はてなキーワード: 峰不二子とは
単純にセックスの相性が良くないのに気づいてなかった人が、セックスの相性に気付いて相性の悪いパートナーを振るって話なんじゃないの?
セックス多少うまくても付き合えるか付き合いたいかの序列あんまり変わらんぞ
セックスは多少気持ちいいけど彼女にしたいほどじゃないとか序列決まったらほぼ変わらない
妥協で付き合ってたパートナーだとか実は満足してなくて、よりもっと条件の良い異性と仲良くなったから振るだけじゃないのか?
もっと魅力的な女の子と仲良くなれたから、イマイチになってしまったパートナーを振るだけになってしまう
キャラクターで例えると、ジャイ子と仲良くしてたけど峰不二子と仲良くなれてそっちの方が統合的にいいから鞍替えするようなもの
峰不二子って女人気はあるけど、男人気は無いでしょ
結局のところ見られるのを自分が求める相手か気持ち悪いオタクを想定するかで対応が違うのかなと思う
これじゃん
例の巨乳アニメキャラの献血キャンペーンイラストを擁護してるオタク連中、なにもわかってないなあ。
少しでもセクシーな要素があったら駄目なのか!とかそういう問題じゃないの。
ボディラインが出ているからでもなければ表情がいやらしいからでもない。
それらの要素でもって「女に縁がないキモいオタクが楽しむためにデザインされたであろうものである」という事がギルティなの。
非モテのキモ男を喜ばせるために女の子に水着着せたりポージングさせたりしてる、その動機がダメなんだよ。
そもそも異性愛者の男の性的充足ってのは、そいつが女性が愛でるに値するイケメンでなけりゃ
努力して身なりを整えたり楽しいデートを提供したりプレゼントを捧げたり、必死にアプローチして女性の歓心を惹いて、
女性に利益や喜びをもたらして、それでようやく与えられるべきものなんだよ、本来は。
現実の女ひとり喜ばせられない、それどころか女性にとって視界に入れるのも不快なレベルのキモオタが
非現実的にグラマーな美少女のアニメキャラや若くて胸が大きくて可愛い女の子のイメージを求めるままに供給されて
女性性の表象から安価かつインスタントに性的充足を得てる、だから性的搾取だって言うんだよ。
わかる?
そのためのツールを公的な領域に掲示するな、バカにしてんのかって話。
そんでアニメキャラやグラビアに載ってる女の子と見比べられて、
吐き気がするんだよ。
ご馳走様の言葉の由来は、
あなたのために走り回って用意してくれたのよ、を地で行くようなウーバーイーツの配達員の人にあるためのような言葉ね!
でもあいにく、私が頼んだ饂飩のお汁が全部無かったのは内緒にしてあげるけど、
汁なし坦坦うどんをと、
これなら汁こぼれることもないわね!って思いつつ
坦坦の部分こぼしちゃってるのかよ!ってもうこれは素うどんを越ええる素うどんならぬ、
もうこれは走り回って汁なし坦坦うどんを持ってきてくれたとしても、
とてもご馳走様とは心から言える見込みはないと思うの。
そう言った意味では
まるで
おはようからおやすみまで暮らしを見つめるライオンや
そういった風に誤魔化されがちな感じに惑わされないようにしなくちゃね。
でも
教訓としては出前持ってきてくれるより、
食べに行った方が美味しいのかも知れない!ってことよ。
ただただ教訓のない悲しいだけのお話のフランダースの犬の物語とは世界名作劇場なのよ。
あのようにただただ悲しいだけの、
はるかに美味しい冷凍饂飩の開発に余念の無い一生懸命な会社が提供する
人類が火を使って肉を焼き始めた料理史の1ページを飾れるぐらいなのよね。
もう汁なし坦坦うどんのことで泣かないわ。
「泣かないで」を歌った後「泣いていいよ」って
泣きながら~破った写真に~
私はそう汁なし坦坦うどんの写真を灰皿の上でちぎっては投げちぎっては投げ、
火を付けて燃やすの。
あの日にかえりたい!ってやかましーわー!って思わずツッコんじゃいそうだけど、
ここでツッコんだら負けなので、
この勝負私の勝ちよ!
まるでルパン三世に宝石盗ませ解いて最後峰不二子ちゃんが美味しいところ宝石かっさらっていく感じとよく似ているわ!
あばよーとっつあーんって
うふふ。
アイスコーヒーだけガブっと飲んだ感じよ。
もちろん無糖!尾藤イサオとは違うわ。
直接食べた方がスイカ美味しいじゃん!って
志村けんさんを偲びながらそう思ったわ、
あれやったらやったで意外と難しそうだしね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
声を大にして言いたい。
「俺は、巨乳が、好きだ。」
雑誌の表紙には、水着で谷間を強調した若い女の子が載っている。
だっちゅーの、的なやつ。
ロリコンとかじゃなくて良かったとは思う。
ロリコンの人がロリコンになりたくてロリコンになったのではないように、
俺もおっぱいが好きになりたくておっぱいが好きになったわけではない。
オッパイと表記した方がエロい感じもするが、ここではおっぱい、と表記する。
しかし俺は、今の妻を含めて、おっぱいが大きい子と付き合ったことがない。
皆、割とスレンダーな体型の子ばかりだった。そして皆、貧乳だった。
付き合ってはいないが、おっぱいが大きい子とセックスしたことなら何度かある。
一番ノーマルな(?)、男が仰向けになってやるパイズリはやったことがない。
単純にそれをできる、テクニックがある子に出会ったことがなかった。
セックスしたのなら、その「おっぱいが大きい子」と付き合えば良かったのでは?と言われそうだが、
確かにおっぱいは大きいが、それ以外も全体的に大きい子ばかりだったのだ。
ぽっちゃりしていて胸もそこそこある子か、細くて胸はあまりない子か。
どちらかを選べと言われると、後者になってしまう。見栄えの問題として。
しかし、そんな峰不二子みたいな女の子は現実世界にはいるはずがなく、
好きな女優は、安齋らら、沖田杏梨、深田ナナ、吉永あかね、橘なお、等。引退してる人もいてますね。
パイズリは谷間に僅かにローションを垂らしてヌルヌルにすると気持ち良い。
ローションを垂らしてるときの眼が怖いと女の子言われたことがある。
仕方あるまい。パイズリは厳格な、聖なる(性なる)儀式だ。この世で最高の、至福の一時だ。
Iカップの女の子の胸の中は異次元の気持ち良さだった。すぐに逝ってしまった。
何だかんだで面倒くさくなって会わなくなった。後悔している。
なぜかといえば、全体的にかなり大きい女の子だったから。おまんこはゆるゆるだった。
閑話休題。
なんでヌルテカにするとあんなにも妖艶になるのだろう。おっぱいに限らずだが。
そして、谷間に挟まれて、そのまま挟射したい。
所謂縦パイズリも好きだ。あれはある程度の大きさがないとできない。
あとは、正常位でセックスしてるときにブルンブルン波打って揺れるおっぱいも好きだ。
おっぱいを鷲掴みにしたまま発射したい。
巨乳の彼女なり奥さんなりを連れている男を見かけると、激しく嫉妬してしまう。
畜生。良いなぁ。羨ましい。
毎晩あんなことやこんなことしているのだろうな、などと。
妻と暮らしているとそんなことしている時間がない。そもそも出会いもないが。
多少ブスでも(むしろ顔はブスだけど身体はエロい子は好きだ)、
多少ぽっちゃりしていても、この際構わない。
誰か、挟んでくれないかなー。
でもみんなおっぱい好きだよね?
揉んで、顔を埋めて、舐めて、吸って、パイズリされたいよね?
会場で香水をつけたワイシャツを嗅ぐの、悪ノリし過ぎっていうかやりすぎじゃないですか?
この香水が同人グッツだったらこの売り方で全然OKだし考えた人天才かwって思ったと思う。
推しの匂いのワイシャツなんて嗅ぎたいに決まってる(なぜならオタクなので)。
私は腐女子なので推しCPのキャラの香水を両方使って攻め(もしくは受け)の香りが
移った受け(もしくは攻め)のワイシャツを作るもの萌えるなーって思う。
夢女子の方はオーバーサイズのシャツにつけて「彼シャツ」やベッドリネンにつけて
「彼のベッド」を楽しむのもいいんじゃないかなー。
でもさ、それは家でやるよ。家でやろうよ。
「お前がエロい目で見てるから変に感じるんだろ?」とも思うんだけどさ、
男子高校生のキャラのワイシャツってさ、制服をイメージするじゃん。
それを公式の場で色んな人が嗅ぐのアウトじゃね?痴漢プレイかよ。
キャラクター達が女の子だったらって考えるとこのモヤモヤは嫌悪感なんだろうなと思う。
スポーツ(じゃなくても良いけど)に打ち込む女子高校生達の漫画があって、
そのキャラクター達をイメージした香水が販売される(ここまでは全然OK)。
でさ、香水とシャツと一緒にキャラクターの全身絵とプロフィールが飾られてるんだよ?
なんかさキャラクター達が公式の場で辱められてるみたいで嫌だよー。
公式の売り場ではあくまで香水(化粧品)として売って欲しいんだよ。
エログッツみたいにしないで欲しい(買う側はエロいことを考えていたとしても)。
今回の商品はエロ目的の商品じゃないならそういう売り方は相応しくないんじゃない?ってこと。
ワイシャツにかけて嗅ごうが、パンツにかけて嗅ごうが、フィギュアやぬいにかけて嗅ごうが自由だよ。
ワイシャツじゃなくてさハンカチとかタオルだったらここまでモヤっとしなかったかも。
坂道くんはキャラもののハンカチ、今泉くんはアイロンがしっかりあてられたブランドのハンカチ、
鳴子くんのは真っ赤で派手なんだけどちょっとくしゃっとしてるとかさ・・・
でもまあそれも家でやるから、ムエットだけで十分かな
あとキャラクターが少年誌作品の未成年なのもモヤっとするポイントかも。
原作がアダルト作品だったり、成人でセクシーなキャラ(冴羽獠とか峰不二子とか?例えが古い)
ならワイシャツ(あるいは下着でも)私はそんなに嫌じゃない(ゾーニングは必要)。
この辺の線引きは個人によってだいぶ違うと思う。自分自身でも数年後は違う考えをしている可能性が高い。
自分が大人になって、大人が未成年と恋愛するお話とかも単純に楽しめなくなってきたのとも関係ありそう。
架空のキャラクターと実際の未成年を混同したモンスタークレームなのかなこれ。
でもさ、オレたちオタクは架空の物語の架空のキャラクターを愛してるじゃん?
公式商品の売り場は作品とキャラクターに愛とリスペクトが欲しいんだよ。
キャラのワイシャツを公式の場所で嗅ぐのは愛はあるかもしれないけどリスペクトに欠けるように思う。
私はそう感じるよ。
あの展示をを考えて作って下さった方たちは、もちろん作品やキャラクターを貶めるつもりなんてなくて、
ファンに喜んでもらいたくて作って下さっていると思う。
批判的なことを書いておいてあれだけど白状するとワイシャツのサイズわかるの嬉しかった。
きっと「腐女子のつづ井さん」のつづ井さんと友人たちみたいに
楽しく真剣にワイシャツサイズを検討して下さったんじゃないかな。
でも私はやっぱり、つづ井さん達みたいにそーゆーのは家でやろうって結論になっちゃう。
最初に書いた通り私は腐女子なので推しのエロい同人誌をしこたま持ってる
(冴羽獠を例に出すくらいだ、もちろん成人済みだ)。
自分だってキャラのエロを楽しんでおいて、公式がエロ?フェティッシュ?寄りなことをすることで
これは自分に都合よく考えているダブルスタンダードなんだろうか?
書き出したら思ったより長くなっちゃったな。
こんなまとまりの無い文章を読んでくれた方がもしいるならありがとうございました。
「君の名は。」の二匹目のどじょう狙いで類似企画が乱発されたわりにはどれも鳴かず飛ばずに終わりなんとも寂しい。
19年は天気の子、プロメア、ドラクエ、すみっコぐらしが興行収入10億円を超えてまだマシだったが下まで見ると本当に悲惨。
ブームに便乗し、散々金をかけてプロモーションして、人気俳優や芸能人を声優に起用し話題作りしおいて結果は「すみっコぐらし以下」「ドラクエ以下」という事実を関係者はどう考えているんだろうか。
作品名 | 公開日 | 興行収入[億円] |
---|---|---|
HELLO WORLD ハローワールド | 9/20 | 5.9 |
ルパン三世 THE FIRST | 12/6 | 5.9 |
空の青さを知る人よ | 10/11 | 5.7 |
海獣の子供 | 6/7 | 3.1 |
二ノ国 | 8/23 | 3.0 |
きみと、波にのれたら | 6/21 | 2.5 |
バースデー・ワンダーランド | 4/26 | 1.3 |
LUPIN THE IIIRD 峰不二子の嘘 | 5/31 | 0.1 |
ぼくらの七日間戦争 | 12/13 | ?? |
この世界の(さらにいくつもの)片隅に | 12/20 | ?? |
幸福路のチー | 11/29 | - |
HUMAN LOST 人間失格 | 11/29 | 圏外スタート |
薄暮 | 6/21 | - |
LAIDBACKERS-レイドバッカーズ- | 4/5 | - |
あした世界が終わるとしても | 1/25 | - |
https://pixiin.com/ranking-japan-boxoffice2019/
作品名 | 公開日 | 興行収入[億円] |
---|---|---|
宇宙の法 黎明編 | 10/12 | 6.7 |
機動戦士ガンダムNT | 11/30 | 5.2 |
モンスターストライク THE MOVIE ソラノカナタ | 10/5 | 3.6 |
ペンギン・ハイウェイ | 8/17 | 3.0 |
劇場版 マジンガーZ INFINITY | 1/13 | 2.4 |
若おかみは小学生! | 9/21 | 2.3 |
君の膵臓をたべたい | 9/1 | 2.3 |
さよならの朝に約束の花をかざろう | 2/24 | 1.8 |
ニンジャバットマン | 6/15 | 0.8 |
小さな英雄 カニとタマゴと透明人間 | 8/24 | 0.6 |
犬ヶ島 | 5/25 | 0.4 |
詩季織々 | 8/14 | 0.2 |
https://pixiin.com/ranking-japan-boxoffice2018/
主体性と客体化について。
https://anond.hatelabo.jp/20191031141650 の補記の続き
- id:ultimateblue 自分の店の看板しょって下着広告出してる下着屋と献血の看板しょってトロ顔乳袋女広告出してる赤十字は全然違う話なのになんか無理やり共通化して黒塗りに持っていこうとしてない?この章だけなんか変
- id:peta0227 ポスターと下着で矛盾するの、主体露出はOKで客体消費はNGの文脈が今回は不適当なケースだからだと思う。ポスターのテーマが「公共で客観的にどう映るか」なら「下着は主体だからOK」はハイコンテキストで不適当かと。
- id:kutabirehateko 下着の広告は消費者たる女性をターゲットに作られており、着用する女性を性的に消費することを煽るためのものではない。男は下着姿の女性や女性用下着を性的に消費するものと公言してはばからない世の中がおかしい。
- id:kumaponta 主体と客体なんて委託でも入れたら途端に不明確になる。判断基準としては合理性に乏しいものだと思うな。主観的な基準はいくらでも騙せるものだよ。明確な客観的基準こそ合理的だと思うよ。
- id:junglejungle 女性下着が本当に主体的なのかかどうか。勝負下着という言葉もあり、男性の性的喚起を目的としている要素もある。かわいい下着を着るべきというジェンダー観の押し付けもある。と、こういう屁理屈もつけられる。
主体性と客体化に関する言及が多く見られた。この観点は重要なのではあるが、正直に告白すると、複雑すぎて細かい議論から逃げてしまった。
たとえば、以下のような2つのケースは、比較的論じるのが簡単である。
前者は「女性の客体化」であり、認められない表現だという人もいるであろう。今回の宇崎ちゃんのポスターは、ポスター批判派にとってはこれにあたる(露出度ではなく、乳袋だが)。
後者は「主体的」な露出であり、前者を認めない人も、こちらを認めるケースが多いであろう。下着広告の大半はこれにあたる。
では、以下のケースはどうであろうか。
これは言い換えると「主体的な客体化」であるが、このケースはどう判断されるのだろうか。
さらに次のケースはどうだろうか。
段々と即答が難しくなってくる。次の例はどうだろうか。
これはコメントでも多く言及されていたが、女性誌の一部などで発生しているケースである。宇崎ちゃんが認められない場合、男女を入れ替えただけのこのケースも認められるべきではないように思われる。
次のケースはどうだろうか。
ここでいう団体は、具体的には赤十字である。赤十字には、恐らく女性を客体化する意思は存在していなかった。今回のケースでは、たまたまコラボレーションをした作品に、女性を客体化した要素が含まれていたことになる。もう少し正確に表現するならば以下だろうか。
このケースからは、なんとなくまずそうな雰囲気が漂っている。情報によると、セーラームーンはこのパターンらしい(anod:20181007164838)。セーラームーンの露出度の高い服装が、男性編集者による女性の客体化に由来しているという文脈を考慮するのであれば、セーラームーンは全面的に認められなくなるかもしれない。セーラームーンは認められると考えている方は、どう判断するだろうか。キズナアイも、もしかするとこのケースに入るという人もいるかもしれない。
このケースを、少しいじってみよう。
セーラームーンが認められやすい理由は、セーラームーンのキャラクターたちにはっきりとした自己が見られるから、という説は一定の説得力がある。似たような例といて、次のケースはどうだろうか。
ナミや峰不二子はこのケースだろうか。自己がはっきりとしていると、多少の露出度の高さは認められる傾向があるように思われる。あるいは、露出度の高さは、「貞淑であるべし」というジェンダーロールからの開放と見なされることすら有り得る。ここで興味深いのは、これらのケースでは依然として、男性による女性の客体化がベースにあるということだ。
このケースの考察は、個人的には、非常にクリティカルであると考えている。もし、ナミや峰不二子、あるいはセーラームーンが認められるとすると、「客体化」や「主体性」は、実は判断基準としては重要ではないという可能性が出てくることになる。むしろ重要なのは、「自己をはっきりと持つキャラクター」と表現の外形であり、言い換えれば「異性に媚びてない」見た目であれば、その誕生経緯はどうであろうと、問題ないという判断になりえる。
「宇崎ちゃんは嫌だが、セーラームーンは許せる」という人は、「宇崎ちゃんは異性に媚びているが、セーラームーンは異性に媚びていないようにみえる」からという心理が理由かもしれない(もちろん、違うかもしれない)。これが正しい仮説だとすると、表現の是非の判断が、外形が許せるか許せないか、という問題に帰着してしまう。さらに、an・anの表紙にも違和感を覚えない人であれば、「同性が異性に媚びている表現は嫌だ」という結論になる可能性がある。
私自身は、このような表現の判断基準の持ち方は、どちらにしても問題ないと考えている。なんらかの経緯により、このような判断基準に至ったとしても、それは個人の自由である。一方で、客体化あるいは主体性が表現の是非に影響を及ぼすという観点の妥当性は、必ずしも明白ではない、とも考える必要があるのではないだろうか。
いずれにせよ、表現の誕生経緯を勘案することは非常に難しい。セーラームーンの例にしても、男性編集者の存在など、そもそも知らなかった人も多いだろう。これはつまり、外形のみでセーラームーンの表現の是非を勝手に判断していた人が、それなりに存在しているということだ。私自身は、このような理由もあり、客体化あるいは主体性といった要素を表現の是非に持ち込むことには慎重になるべきだと考えている。
もし、何らかの理由で客体化に触れたい場合は、例えば「過剰に異性に媚びた表現は、性的搾取やセクハラの助長につながるのでNG」といったように、むしろ外形をベースとした基準にしてしまったほうが、理解も得られやすいし、運用が楽なのではないだろうか(もちろん、「過度に」とはどの程度か、とか、「異性に媚びた表現」が果たして本当に性的搾取やセクハラの助長につながるかどうか、「異性に媚びることは悪いのか」などの別の議論は必要である)。