はてなキーワード: 小学校とは
タイトルの通りなんですが。
育児休暇中に学ぶには、学ぶための余裕を作るための精神的な余裕を作るための経済的な余裕が無いと、現実には絶対に無理。
ただその移行期間さえ社会進出を理由に就労するのでなく、経済的に厳しいのを補助する目的から仕方なく就労する場合、そんな余裕は全くない。
余裕があるなら育児休暇という休暇を取る必要がない。育児休暇があるのは育児が大変だから。そもそも育児も次の世代を育てるという立派な仕事だろう。
余裕がないながらも学ぶための支援を、なら分かる。
学ばないやつはまずいんじゃないの、は流石に大多数の世の中が見えてなさすぎる。
学ばないと就労に戻る際キャリアが下がる現実があるから学ぶための支援を、なら分かる。
なので、支援に関しては、まずは最初の一歩として大いに評価する。
しかし、育児休暇中は学ぶことができる、学ぶことが当然、学ばないのは怠惰だ、という育児休暇を軽んじる意見には反発する。
上記が僕の主張。
多分、僕は、かなり恵まれている。
1番上の息子が生後半年のとき、僕の仕事が超絶忙しかったのが続いていたのがちょうど節目が来たこと、ワイフが育児ノイローゼ気味になったこと、僕もワイフもヘトヘトで消耗しきってもう駄目だ、となり僕は会社に休職を願い出た。
育児休暇みたいなカッコいい休みでなく、完全に消耗の末の仕方なくの休みだった。
最初の二週間、僕は家のこと子どものことを手伝ったが、いくら僕が頑張ってもあくまで手伝っただけで、ワイフの育児ノイローゼは改善する見込みは弱かった。
蓄えがあるから休職したのでなく、仕方なく休職したのもあり、経済的な余裕は無い状況、育児ノイローゼの改善傾向が弱い状況から、夫婦で相談してワイフが働くことになった。
ワイフは元々金融畑の営業でキャリアウーマンだったが、結婚を機に引っ越し、引っ越しを機に退職、結婚後就職、就職しばらくして妊娠、就職してすぐのため産休育休が取れなかったため退職、復職しようも条件にあう仕事がほぼ無い(残業前提、ストレスフル、立地などなど)、で前のキャリアを活かす仕事はすぐに見つからず、一ヶ月経った頃仕方なく近くの工場で働くことになった。
ワイフは外で働くことで少しずつ回復していった。
一方、僕は、離乳食が始まったばかりの息子を見ながらの専業主夫生活となった。
実際に専業主夫をやってみると、サポート役だった最初の1ヶ月と自分主体の半年では、精神的な負担や難易度が全然違っていた。
子どもが夜泣きするとどんなに眠くても抱いていないといけない、泣かしておいても良いんじゃね?とも思っても近所や翌日仕事があるワイフに迷惑をかけられず仕方なく抱く、泣いてる子どもはいつも気まぐれでいつ大人しくなるかが予想つきそうで微妙に予想を外してくる。
翌日眠気で死にそうでも子どもを放っておくわけにもいかず家事をやりつつ子どもの世話をする、ちょっとした作業の合間に一息ついて思わず少し子どもから目を離すと何かやりだす、ちょっとしたことでだいたい死にかける、死にかけるリスクが高くなるので部屋の片付けはしないと、片付けばかりもやってられないので食事や洗濯など別の家事を、別の家事をしてる間にちらかす、散らかさないようにものを完全に片付けると泣いて騒ぐ、対策をうっても必ず何か別の問題が引き起こされそしてそれが堂々巡りしてる感が結構強い。
ワイフが仕事から帰ってくると、一通り世話したあと、子どもの世話をお願いして仮眠する。ひとりの時に寝ると、子どもが死ぬリスク、部屋が大惨事になるリスクがあるので、ここでやっと眠れる。
仮眠した後は夜中子どもの世話がまたやってくる。その繰り返し。
これだけならまだ良かった。
この生活が続き2ヶ月目過ぎたあたりから、洗剤などの家の各種ストック品が切れてきて在庫管理も必要になり考えることが増えてきた、経済的な余裕がない中家に使える少しのお金だけを買い物に使う機会が増えたせいか金銭感覚がかなり細かくなり数円の金額差が気になるようになってきた、寝ても寝てないような疲れが取れたような取れていないような中途半端体調が続くようになった、なんとなく視野がかなり狭くなっていた感じがした。
一方で、子どもは今まで以上に懐いてきた気がする。母乳育児だったのだが、母乳が欲しい時以外は僕に懐いて僕の方が泣き止んでいたため、ワイフは「私がただの母乳製造マシーンと化してる」とボヤいていた。ワイフとの戦友感、自分自身が兄弟4人一番上で子どもの大変さがなんとなく慣れてたこと、自分自身が子育てや家事が比較的苦でなかったこと、などなどがあいまってなんとかやってこれたが、なにか一つでも噛み合わせが悪ければズタボロだった気がしてる。
なんやかんやで、今4人目も産まれ、今隣で寝ている。上の子たちは寝相が悪いのでワイフと一緒に寝ている。
2人目、3人目、4人目、と子育てに対する慣れ熟練度により楽になる、僕のキャリアアップに伴い経済的に楽になる、楽になる部分がある一方、同じ遺伝子から始まって似てるはずなのに個性が強く同じようで同じでない、下の子を見るのと同時に上の子を見るので大変なのは全然変わらない。
家電の違いでの負担軽減はかなり大きい。食洗機、洗濯乾燥機、ロボット掃除機、大容量冷蔵庫、電鍋ホットクッカー、等々の家電のお陰で一日に必要な家事に要する時間が減って助かっている。
それに、家事したくない疲れた時、外食に行けるのは気晴らしになる。
子どもが大きくなれば、24時間目を離せられないような大変さはなくなり、直接的な疲労はぐっと減るが、幼稚園や小学校の世話などやることが多いのは変わらない。
その数時間は正直休憩にまわしたい。
ワイフは元々キャリアウーマンで仕事が好きな人間なので、ゆくゆくは復職したいと思ってるが、また金融系の仕事に戻るには再度勉強して資格など取り直さなければいけない。
余裕は、子どもが大きくなれば多少はできてくるのかもしれない。でも、その世代ごとに大変なことがあるので、なんやかんやいってずっと楽にならないのかも。
今余裕を作ろうとするには、金があれば改善する部分が大きそう。
実際ここまで作ってきた余裕は子育てによる慣れよりも、経済的部分が寄与した割合がかなり大きかった気がしてる。
家電や外食、家事代行、子どものストレス発散のためのレジャー、何をするにも金をかけなければ自分が動くしかなく、金をかければ楽に満たすことができる。
当たり前の話だ。
我が家はワイフが専業主婦でもなんとか暮らしていける稼ぎがあったから辛うじてやっていけた。
だが、幼稚園小学校の親の同世代を見ると、皆経済的な理由で仕方なく共働きしてる。
一人目を育てていたあの頃、あの頃のままの経済状況だったら、仕方なく共働きになっていたと思うし、共働きになっていたら精神的な余裕は全くないだろう。精神的に余裕ない中では勉強ができないし、余裕を作るには金がいる、金を作るには働かなきゃいけないし、働いていると余裕がなくなる。
そんな堂々巡りのなか、皆苦労しながらやってる。
うちは、僕がほぼ完全リモートワーク&ワイフが専業主婦だから、乗り越えられてる。
恵まれている。
という背景があっての最初の主張だ。
以上
生い立ちにしては文章が上手だなと思ったら編集者に転身していた。更生の理由を「嫌気が差した」とだけ書いているが、どういう気持ちなのか詳しく聞いてみたい。
学校通ってない奴が漢字の文章を?悪い冗談だよな。足立区にいた時小学校に似たような奴がいたけど、名前を漢字で書くのがやっとだった。今は何やってるか。しっかし大検て簡単に取れるんだな。
そのような生い立ちでもしっかり文章書いてるのがすごいと思った。
こういう生育歴・境遇の人間がこんなまともな文章を書けるとは、俺らが若い頃には考えられんかったよ、最初の一文が書けないとか「楽しかったです・美味しかったです」くらいしか書けない人物しかいなかった。
最近こういう「日本の底辺にいる人たちに取材をしては増田に投稿する増田」がいるなぁ。本人にしては文章が巧すぎるんだよ。アフィリエイトブログでもいいから記事にして収益してお金を取材対象者に渡せばいいのに。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230128224222
これをどうにかしたいんだよな。
こういうおじさんにパワハラ防止で「でも周りの人は新人に対して令和の新人に対しての接し方をしてますよね?」と伝えても理解して貰えない。
歴史から学ぶ機能が0で、経験からしか学べない人を教育する方法が全くわからない。
なんというか、小学校の読書感想文で「僕が桃太郎だったら、怖くて鬼退治に出なかったと思います」と言って褒められた所で共感能力や想像力の成長が止まっているんだよね。
まあ確かに初歩の段階はそれでいいんだけど、それで大人になられると「1+1=2、1×1=1、どうだ!俺は数学が得意だろ!」みたいな状態になっちゃう。
どうやって教えれば理解してもらえるんだろうな。
そもそも自分が今の時代だと上司からあまりパワハラされないってことをどう解釈してるんだろう。
自分の性格がクソだから、子供にもそれが受け継がれるんじゃないかなって心配してたんだ。
でもどうやら杞憂だった。
同年齢の子と比べても重度の人見知りで、加えて癇癪持ちで些細なことで何時間もブチ切れていられるし、ああ俺の子だわ、って思ってたんだ。
人生辛いだろうな。性格や人付き合いはしょうがないとしても、健康的に育てて、あと学力があれば何とかなるかな、みたいなことを考えていたんだ。
挨拶も結構できるようになって、家族以外の人とふれあえるようになって、年下の子にも優しくなった。
小学校に上がってからは、人並みに社交的でリーダシップをばりばり発揮して困った子は助けて足は速く成績優秀でポケモン大好きで多分見た目もよし。ただし走る以外の運動はからきしダメというなんというかすごい成長を遂げて。
今に至る。
俺とは大違いだ。成績優秀だけは同じ。
育て方がよかったのかな。環境かな。
音沙汰なしになってから長いけど
私にはかつて「小学校教諭になりたい」と言い放った男友だちがいた
「じゃあ別に高校生相手でもよくない」「なんであえて小学生を教えたがるのかな」
納得のできる回答は結局帰ってこなかった
選択肢はいろいろある中で、あえて、子ども相手でもいいじゃなく子ども相手「が」いい、と考えるのって、まさに子ども狙いとしか思えないし、そう邪推しない人がもしいたらそいつ逆にピュアすぎてキモいよ
今日から特典で芹沢本が貰えるからみんな、劇場行こう(ダイレクトマーケティング)
ネタバレにならない範囲でネタバレすると、あの世界でもコロナ禍は発生してた
すずめが新幹線でマスクするの身バレ防止かと思ったらそういうことなんやな
そういえばスナックでも消毒してたな
来週から上映回数減って辛い。終映じゃないからいいけど…すずめの戸締まりが観れない世界が私には怖いんです!
気付いたこと
・響鬼でやりたかった清めて鎮めるってこんな感じなのかな。響鬼見たことないけど
・明石海峡大橋の先は明石なのに、草太は東京モンだから神戸だと勘違いしてると思ってた。調べたら明石じゃなくて神戸だった
妻も働くことによって何とか生活をやれている
妻は優しいし、体調も気遣ってくれる
俺より子供を優先するようになった
まあそれは当然のことなのだが、扱いが前より厳しくなってきた
俺は精神障害者3級で、うつ病と発達障害(ASD)なんだが、それを忘れてるんじゃないかと思う時がある
俺もわざわざ周りに障害者であることを言う必要はないと思ってる
だが、ママ友の家族との付き合いとか、公園で他の保育園仲間(子供は6歳で4月から小1)とランチするとか、そういうのも時々付き合っている
他にも、動物園などにいくときも「他の家族のパパを見て子供が寂しがる」から一緒に行ったり。
でも俺は外出したり、知らない人と仲良くしたりするのが苦手なんだ
「親としての自覚を持って」と言われても、無理をしたら仕事ができなくなるんだ
だから俺は妻に言った
「俺が精神障害者であることを言って、そういう集まりの仕事を減らしてもらえないだろうか」と。
だが妻がこう言った
と。
リミットを超えると倒れるから、制限しないと生活が成り立たなくなるのだ
そう言っても妻は聞いてくれなかった。
結局、もしPTAや町内会の抽選に当たったら、役員やらなきゃいけないことになった
それより俺は、妻の発言が辛い
俺は恥ずかしい存在なのか?
悲しい。でも仕方ないよな。そういう社会なんだ今は。
だからなんで全てとか極端なんだよ。小学校でも標本の考え方習うだろ。だいたい当てはまってりゃそうだと考えるってのが普通人の思考だろ。
そうやってなにを発言しても否定しかせず対案を出さない建設的じゃない態度なのもくだんの本は叩いてたな。受け売りだが、まあ先のトラバは受け売りを一一歩出た自分の考えになってたろ。
でもそれ言い出したら子供がおむつ外れるまでは温泉も銭湯も一緒には行けないことに変わらないんだから、幼児~小学校低学年ぐらいの微妙な期間ぐらいは我慢すりゃいいと思うのね。
特に温泉なんかはそもそも不要不急というか贅沢って領域の娯楽じゃん?内風呂や家族風呂があることで宿の値段が跳ね上がるということもないし、施設を選べばいいだけだよ。
業間てのは、小学校の授業の合間ってことで、2時間目と3時間目の間だったかな? 少し長い休み時間があったのだ。
その長い(といっても20分くらいか?)休み時間に、ただ遊ばせておくのは惜しいと思ったんだかどうなんだか、ラジオ体操の亜種みたいな音楽を流して体操をやらせるっていう、迷惑な試み(?)が、行われて、ちっ!めんどくせーなー! って悪態つきながらダラダラと覇気のない体操をしたのだったw
大学受験でどの大学選ぶか悩んでいる時期の話なんだけど、ちょっとトラウマっぽいけど微妙な所だから書いて整理する。
既に世界は氷河期を食らったあとで、まあ世の中ってのは「もう東大に行こうが無駄だ」「とりまIT業界はオワコン」「文系は無価値な詐欺師。理系は専門家気取りの素人」「とりまこんな世界にした竹◯をぶっ殺す」みたいな言説が溢れていた。
今思い出すとあれは今Twitterで流行ってる不幸自慢が半分ぐらいで、大袈裟な表現を繰り返してとにかく反応を待つという側面も強かったんだろうな「友達3人が持ってる」を「クラスのみんなが持ってる」に言い換えるようなレベルの幼稚な過剰表現だったんだろう。
うちの家系はなんか公務員一家みたいなところがあって、公務員の父と専業主婦という組み合わせの親戚ばかりだったから「実際世の中どうなの?」と聞ける相手もいなくて、頭の中はネットの情報ばかりに偏っていった。
漠然と将来はプログラマーになりたいという気持ちがあって、それは結局子供の頃にゲームクリエイターになりたかった夢を現実的なレベルに調整しようとした結果だった。
でもIT業界は終わってしまったっぽいので、そこに近い辺りの電子工学系に進もうと思っていた。
それでオープンキャンパスとかで情報収集してそれぞれの学科の将来像を聞いていくと、なんだかどこに行っても自分は社会で生き残れない気がしてきた。
日本じゃ自動車業界が強かったらしいけどリストラ沢山したと聞いているし、韓国とかが伸びてるっぽいから日本の大抵の業界はもうかなり厳しいとかそんな話もネットでよく見た。
厳しいノルマを課されて生き残れるのかって考えだすと、全部もう無理だと思えてきた。
それがどっかで負の無限ループを頭の中で組んでいって、少しずつ増えていくうちに、段々とメンヘラ系の話題をネットで収集する傾向も増えていった。
ある日親に
「最近、希死念慮がある。もしかしたら、子供の頃からずっとあったのかも(自分、背が小さくて臆病だからいじめられっ子だったし……)」
と相談した。
うちの親はなんか大学で心理学をちょっと齧っていたっぽくて、そんで今でもたまに図書館から借りてきた心理学の本が机の上にもたまにあったからナニカ分かると思った。
そしたら親は思いっきり鼻で笑ったんだよな。
「いやいやそんなん希死念慮のうちじゃないって。大丈夫だって。受験勉強が辛いから現実逃避で変なこと考えてるだけだ。寝るか勉強しろ」
って。
まあ確かにそうなんだと思う。
漠然と死にてえ居なくなりてえ疲れたもう辞めてえ未来見えねえ理想通りじゃねえ自信が持てねえ皆に嫌われてる気がする迷惑かけてる気がするから親からも鬱陶しがられてるとしか思えねえみたいな気持ちが溢れていただけで、実際に行動に移したかと言えばせいぜい首吊ロープの強度はどれぐらいがいいかまで調べたぐらいだった。
高いビルの上にいると手すりの先に吸い込まれてしまうような恐怖心があって、若干高所恐怖症ぎみみたいな時期だったけど、通学のときにホームや電車に吸い込まれそうになる感覚とかは全然なかったし、希死念慮と言うには遠かったのは事実だ。
でもうっすらそれに近いものが始まってたと思うんだよな。
希死念慮って医者も認めるラインが10ででそれが100まで溜まったら本当に死ぬとして、自分はまあまだ1ぐらいとかだったんだろうけど、それまでは0.05ぐらいだったのが気づいたら20倍になってたわけで。
たとえば小学校の頃に、サッカーの授業が終わったあとにサッカー部にやたらガミガミ言われたのが嫌で次の体育の日に休もうとしたときも、とりあえずその日だけ休もうぐらいまでしか考えてなかったけど、高校時代はそういう人間関係のゴタゴタや学校での失敗があるたびに退学がよぎったし、その退学したあとの世界で想像する自分はそのまま引き籠もって一ヶ月後~20年後とかのどっかで首吊ってた。
なんかこう勢いよくネガティブな方向に吹っ飛んで行きたがるような衝動というか、結局逃げ癖みたいなもんなんだろうけど、その範囲が人生全体に及んでいる状態だった。
とにかく人生そのものが失敗作にしか思えないし、世界そのものも毎日ちょっとずつ嫌な気分を積み上げてまで生きるに値するようなものだとも思えなかった。
まあ全体的に気分の沈み方が人生でも上位一桁代に入ってた時期だった。
その頃に親に相談してみて帰ってきたのが、「その程度で」っていう鼻笑いだったんだよな。
はぁ……やっぱ駄目だなまだ引きずってるな。
こっちの聞き方が悪かったり、実際受験勉強とか将来を考えるのが辛くて逃げたい時期だったのはまあそうなんだろうな。
そこで親としては「ここで変に甘ったれることに成功体験を積ませられない」とか「変に希死念慮があると言ったら思い込みでもっと悪化するかも」とか考えたんだろうな。
本当に言葉に詰まったなかで、もうどうしようもないからで笑うしか無かったのかも知れない。
でもあの笑い方はやっぱ鼻で笑ってんだよな。
「オマエごときの人生で悲観的になるとか人生経験しょぼすぎんだろざっこwwww」っていう気持ちがその時は見えたんだよな。
少なくともその時は。
それが本当にそうだったのかは分からないのは知識としては分かるんだけどな。
人間の記憶が無加工で情景を絶対記憶するビデオカメラじゃなくて印象を中心にそれっぽい情景を当てはめるフィーリング手動の再現映像でしかないって。
でも自分の記憶にあるのはやっぱ、鼻で笑われたことなんだよな。
いやまあ自分で読み返して思うよ、なんか私可愛そう感出して承認欲求満たせないか狙ってる面倒なやつでしかねえなって。
でもそれを精神がヤバい時期に親に笑われたのはやっぱ根に持って良い気がするわ。
やっぱトラウマっぽいなー。
コレ思い出すたびに、「親の葬式で手を合わせないで遺灰ぶちまけてやりてーな」みたいな気持ちが湧いてくる。
大事に育ててくれてありがとうございますクソムシに育ちましたよくそったれってかましてやりてーなって。
人間関係ってどうして絶対にやっちゃいけないミス一回で壊れそうになるんだろうな。
人間の脳みそなんてバグばっかなんだから、とっさにリアクションミスるぐらいいちいち気にしてられんじゃん。
昔のPCがしょっちゅうフリーズしてたり、今でもブラウザやゲームが突然クラッシュするのと同じ程度の頻度で人間なんてバグんじゃん。
分かるんだけどな。
分かるんだけど疑いが消えないんだよな。
https://twitter.com/takigare3/status/1618550206559309829
これ見て小学校時代の真柴くんのパパを思い出したんだが雰囲気がすげー似てる。
特に悪意とか怒ってる感じではないんだけど全く面白くない「冗談」を繰り返すからバチクソ嫌われてた。