はてなキーワード: 学費とは
お気持ちドリブンでくくられる中には「総合判断」「違和感」がある。
もちろん論理的に言葉にできればいいが、犯罪にあって怯えて通報できない場合があるように、通常の女性はそういう訓練を受けていない。
普通の人の「これはおかしい」を拾い上げるのがネットの役目だし、
逆に社会学者の役目は24時間張り付いてのネット愚民どもの啓蒙ではない。
大学の学費も払ってない有象無象相手にそれをしてやるには報いがなさすぎる。
https://twitter.com/10john05/status/1058573087736614912
まいにちこの手の被害報告がまわってくる。
すなおに気持ちを話してたらますます犯罪者とフェミ叩きがよってくるネットの状況についてどうですか。
https://togetter.com/li/1281897
(しかもこの表紙写真はコンテンツホルダーに了承を得ていない使い方でどうみても著作権法違反ですね)
https://charitsumo.com/interview/9259
ここに
・厚生労働省からの各病院へのブラックリストでさらし者にし、病院への補助金を減額
ってことが書いてあるが、事実。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASK984DS2K98UBQU00W.html(元記事削除のため)
・看護学校の学費の代わりにその病院で一定期間働くことに対し、期間内に退職しても学費の返還は必要ないとの高裁判決
・労働基準法14条は、契約中の退職の自由が認められない契約期間の上限を3年(一部職種は5年)と定めている
・労働契約を果たさない場合の損害賠償を予定した契約を禁じる同16条
という判例がある。
そういう状況のなかで地域枠からすり抜けたに罰則を与えるのはまずいと判断したのか、病院への補助金を減らすという間接的手段で罰則を与える非常に姑息な手段が執られている。
やろうとしていることは法律上認められていないんだけど、同じことを脱法的に厚生労働省がやっちゃう。
んで、医学部地域枠問題に関して、よく言われるのが「それを理解して入学してきたのだから」という言葉。
ちがう。
これについて説明したい。
地域枠入学者の処遇について受験時・入学時には細かい説明はなく、地域枠から脱出できないという説明はない。
それどころか入試要項や奨学金の契約書などをよくみると契約が解除できる旨が記載されていたりする。
これは都道府県によって異なるが、ある県では
大学の募集要項:医師修学資金給付制度制度(奨学金)の規程により、県内で診療に従事することを確約できる
修学資金制度の規定:次のいずれかに該当するときには契約は解除される d:修学資金の貸与をうけることを辞退したとき
となっている。
地域枠から抜け出せないどころか、契約としては抜け出せるようになっているはずなのである。
そのような契約のもとで大学にはいってきた学生たちは6年生になって突然の理不尽に遭遇する。
大学から突然に、「地域枠どおりの就職をしないならば、卒業を認めない(卒業延期)処分とする」との通達がやってくるのである。
ひどい場合は、就職内定を得た後に大学からこの事実を知らされ、内定辞退をして大学病院に就職するか卒業延期かの決断を迫られたりする。
入るときには公式に認められた地域枠ルートからの出口はあったはずなのに、知らないうちに決定した非公式な慣例によりいつの間に出口はふさがれている。
「それを理解して入学してきたのだから」という言葉に対しては、こう返したい。
「そうでないことを理解して入学してきたのに、なぜそれを強制されないといけないのか」
ちなみに、理不尽に対しての意見を述べると、「大学に恩はないのか」「医師の育成には1億円かかっているのに」「たとえ実際にそういう規程であってもモラルとしてダメだ」「認められない」「納得できないなら退学すればよい」等々のわけのわからない暴言を一教授レベルではなく教授会レベルから滔々と説教される。
自分は中学生の時にトラウマを自分でつくってしまった。以降、人と関わるのが怖くなった。友達をつくっても、長続きしないから、中、高の友達は1人もいない
対人恐怖症と診断された。自分の記憶に過ぎないが、14歳の時、鬱になって、もう中学の記憶は殆どない。
今は行きたくもない大学に通わせてもらっている。通学片道2時間かけて、朝は5時30分には起きている。乗り換えが多いから、遅刻することもよくある。
通学費の一部は自費なので、節約癖がついた。休日しかバイトできないので、あまりお金が稼げないから、学食食べてたら金欠になる
大学では人間関係頑張ろうと思って、積極的に話しかけたり、サークルで先輩に可愛がってもらった
それも夏休み前までの話で、夏休みが終わった途端自分はその”他人”との距離間が分からなくなって、今ではほぼ話せる人がいない
サークルにも顔を出していない
期待している
人間関係が嫌で何も誇れることがなくて努力は人並み以下でしかやらない常に病んでいる自分が
誰かに救われる
何かに救われる
ずっと願っているけど、まだ来ない
あと何年待てばいい?5年?60年?
あの、自分の心は既に死んでいるので
精神はとっくの昔に限界を迎えて何も受け止めることができないので
今の自分があるのは全部今までの自分の行いです。正論だと思います。精神が限界超えてもなお普通の人間と同じように生きてきた自分のおかげで今の自分がいる。
そうだ、1番言いたいことは、期待してはいけないのかな
ってこと
対人恐怖症も毎日必死で生きていることも関係なく、幸せになれないのは全部自己責任なのか?
言い訳だとしたら救いの手がでる期待はしちゃいけないの?
ここまで長々と書きましたが、拙い文章で申し訳ないです。かなり読みずらい文章になってしまった、、
ここまで読んでくださった方、ありがとうごさいました
と思うことがある。そんな簡単な話じゃないので本気でそう心に決めたことじゃない。でも色々辛くて、やめてしまいたくなることが最近多い。
海外の大学に通っている。あと二学期で卒業だが授業も生活も日に日に辛くなるばかりで、二学期分きちんと履修できる自信がどんどん小さくなっている。
カウンセリングを受けたらと言われたりもした。それはするかもしれない。しかし何れにしても前途が厳しいことには変わりないだろう。
田舎から東京に出てきた人は、大学を中退したらどうするのだろうか。実家に帰る人もいるだろう。大学をやめて東京でバイト暮らしを始める人もいるだろう。後者はなかなかすごいと思う。
私に同じことができるだけのバイタリティがあるかどうかわからない。簡単なバイトくらいなら私にだってできるかもしれない。でも私は海外にいるから勝手に働くことはできない。というか、中退したらビザは無効になる筈だ。この辺のプロセスもよくわからないが、日本に追い返されるなんて怖いことはあまり考えたくない。
バイト暮らしじゃなくて実家に戻ってしばらくニートするようなことも不可能ではないけど、気がすすまない。私はもともとあの家にいることが好きじゃない。両親もあまり好きじゃないし兄弟とも仲が良くない。
中退して帰って来たりしたら学費を無駄にしたことになり、両親にますます申し訳がなくなるし、兄弟にも申し訳がなくなる。ますます肩身が狭くなる。
友人たちを見ていると、親に愛されているように見える人もいる。そういう人は羨ましい。何に失敗したって、諦めて帰る場所があるんだから。
子供作るのにイチイチ生涯年収計算したりお互いの職歴とか恋愛とか家族付き合いとか老後とか政治とか職場関係とかキャリアとか
子供ができたらできたで出産に育児に保育園、お受験、小学校の雑務、いじめられてない・いじめてないか監視、飯、仕事、家事、浮気せず夫婦関係円満、土日の家族サービス、両親の介護、病気持ちなら闘病、中学受験、反抗期、高校受験、反抗期、養育費、大学受験、学費、浪人ならストレス追加、政治、職場関係、キャリア、ストレス、浮気せず夫婦円満、親の介護、ご近所付き合い、子供の将来、貯金、自分の老後、病気持ちなら闘病、税金、税金、話題を合わせるためにテレビ番組、ストレス、親の葬式、将来、貯金、税金、浮気なしで夫婦円満、家事、居場所、趣味、ストレス、ストレス、自分の死
30-40年前まではケインズ主義で大きな政府でした。学費も安かったです。
で、新自由主義で小さな政府にしていって同時に学費も急騰させていきました。
ただ、大学に行かないとまともな仕事ができないほど高度知的社会になったので、大学に行けないなら子供を減らすという形になっていきました。
手当は昔は充実して、減らして、つい最近少し揺り戻したが全然足りないという状態です。
40年前は1980年であって、もうその頃は大学進学率は40%ぐらいになっています(今60%)
なお、データ。
これから書くことは、たとえ増田でだって書く気はなかった。なぜなら、今毒親に苦しむ人を殴る文章だからだ。
だけど、ビ・ハイアの件を知って考えが変わった。
私の母は子供を殴る母だった。本人は躾だと言っていたが、例えば弟がした悪さなども姉である私が監督していなかったのが悪いという理由で殴られた。
だから子供の頃の私は母が背後を通るだけで殴られるかもしれないと思って肩をすくめる生活をしていた。私の背丈が母に追いつく頃になると殴られなくなり、以前殴られたことを訴えると母の記憶からそれは消えていた。
私は殴らない父が大好きだったが、殴る母を止めなかった時点で同罪なのだと気付いた時、父もまた嫌いになった。
私は両親の悪口を口はばからない10代に育った。両親は私の口から周りの人へ伝えられる悪口に何度苦虫を噛み潰したことだろう。だが、私は両親が大嫌いだったのだ。悪口を言うことを何も悪いことだとは思っていなかった。
また、両親、特に母とは何度も怒鳴り合いの喧嘩をした。特に私の進学についての喧嘩は深刻だった。両親は女の私に勉強をして欲しくはなく、高校進学でも大学進学でもぶつかった。その度に私は両親を納得させるだけの材料を(嘘でも)用意した。高校進学の時は、大学には行かないから好きな高校に行かせてくれ、と。大学進学の時は、入学金だけ用意しえてもらえれば後の学費生活費は自分でなんとかする、と。
そして私は大学進学を機に家を出た。
自分も怒鳴らず、母の怒鳴り声を聞くこともない生活は初めてで、アルバイトと授業で忙しかったが、非常に穏やかな生活だった。最初の頃は。
スーザン・フォワードの「毒になる親」という本に出会ったのは多分この頃だったと思う。涙を流しながら読んだ。非常に得心のいくことばかり書かれていたと思うが、その内容は今となっては正直あまり思い出せない。
私の穏やかな大学生活はあまり長くは続かなかった。精神の調子を崩し、授業に出るのが困難になった。生活がかかっているのでアルバイトだけはなんとか続けていたが、それすら休みがちになってしまった。
精神科にかかり、主治医はこの現状を両親に連絡するべきだと主張した。
私はそれを拒んだ。両親に、やっぱりお前には無理だったと言われるのが嫌だった。しかし、現状は困窮していき両親に病気のことを明かすことにした。
連絡は父にしたが、私は冷たい一言を覚悟していた。だが、父はゆっくり直していけばよい、と予想外の返事をしてくれた。
そして私は投薬治療を受けながら、両親からの金銭的援助も受けて6年かけて大学を卒業した。
だが、大学をなんとか卒業できても就職はできなかった。私はその頃一人で生きて行く気力もすっかり失っており、卒業後は実家に戻り両親の元に身を寄せることにした。
あんなに嫌いで飛び出した家にまた戻ることがとても皮肉に感じられた。
そう、私はここまで両親に支えられててもまだ両親のことを受け入れることができていなかった。
むしろ両親のせいで精神病になり自分の送りたかった人生から程遠い人生になってしまったと嘆いていた。
それから7年ほど、引きこもり、良くなったと思って働いては調子をまた崩して引きこもることを繰り返し、最終的に自殺未遂までして入院もした。
その長い間、両親とは時々ぶつかりつつも私は親に甘えて実家で暮らした。何度仕事で失敗しても、帰る家があった。でも、親に対する感謝の気持ちで暮らしていたのではなく、この家にいるから私は治らないと思って暮らしていた。
そんなある日ネットが何だか奇跡を起こしてくれて、私のここまでのどうしようもない身の上を承知の上で結婚してくれる相手を見つけることができた。そして私はまた家を出た。
それから一気にとは行かないが、パートナーの支えもあり上り調子で回復し、今では幸せな生活を送っている。
そんな環境になって思うことは、私の両親は私が思い込んでいたほどの毒親ではなかったということだ。自分が辛かった時はあまり気づいていなかったが、肝心なところでちゃんと支えてくれていたのは両親だった。私が結婚して家を出ると言った時も心配こそしたものの最後には快く送り出してくれた。
正直な話、これをもって私の両親はちゃんとした親だったとまとめるつもりはない。子供を殴り、事あるごとに自尊心を削ってくる親であったことは事実だった。
しかし、私の人生の全てを邪魔するほどの親ではなかったこともまた事実だ。
少なくとも、私は私の両親をもう毒親だとは呼べない。
この感情を何と呼べばいいのかわからない。許しでもなく納得でもなく受容でもなく、でもその間にある何かだ。あえて名付けるなら、解毒かも知れない。
私の辛さは無かったことにはならない。でも、それを恨む心は消えた。
もちろん最初から何も辛いことがなかった方がずっといい。けれども、私は両親を毒親なのだと思うことによって余計な寄り道をしたような気がしてならない。
すごいくだらない
実家から遠いところで一人暮らしして大学行ってたけど、単位取れなさすぎて無理になってしまった
学費はもちろん家賃も全部払ってもらってる上に仕送りまでもらってるのに
11月くらいにそのまま何も言わずに消えてしまおうかなと思ってた
(学費の引き落としが11月末だから、そのときにはバレるなーという)
たぶん頑張って説得したら絶縁とまでは言い出さないんじゃないかなと思う
でも中退するとかしたとか、どうして?こうだから、って会話すると思うともう無理
親が知ってる番号の携帯は部屋に置いていこうと思ってるから、連絡取れなくなるけど
逆に学費引き落とされない後も気づかれなかったら家賃もったいないなーとか
(親の契約で勝手に引き払えないので放置して出ていこうと思ってた)
絶縁になったらもう死ぬまで、死んでも会えないってこと?親の葬式を私は知らないままで生きていくかもしれないってこと?
大げさ過ぎるのはわかってるけど
さっき何も知らないままの母から「正月か冬くらいに遊びにいこうかな」って電話きて
何にも言えなくて
観光するようなところ調べておくねって言った
無理だー……
ばかすぎる
辞める前に休学とかにしといたらよかったな
でもなんで急に?って言われても説明できない
急じゃないし、定期的に電話くれてたけど、単位ちゃんと取れてる?って聞かれてもうんとしかいえない
私のこと、小さい頃の優等生とかまじめな子どもの印象でずっといるんだろうな
遅れてきた反抗期みたいなものかと思ったらバカバカしすぎて我ながら呆れる
親不孝だってわかってるけど
この先ずっと付き合っていける根気がない
悪い親じゃなかったはずなのに
頭がいいとか真面目とかそういうのじゃなくて
正しい人間であってほしいって思ってるのわかってた
俺はいじめられっ子だったし、あまりモテなかった。でも好意を持ってくれるような子もいないでもなかったが、中高生の頃は美少女以外は眼中になかったので受け入れられなかった。
そんなこんなで拗らせてしまって、浪人して大学に入り、ファッションには全く興味なく小汚い格好でバンド活動に没頭していた。今考えると服を新調することなく同じものをずっと使っていたので、ファッションどうこうの前にたぶん臭かったんじゃないかと思う。そりゃあモテない。
そんな俺だったが、帰省中に実家の電話が鳴り、全然絡んだ記憶のない高校の同級生からだった。何の用だったか忘れたが、呼び出されたのでそこに行くと、違う子がいた。
お互いの現住所は近くはなかったが都内で会えそうだったので次は都内で会う約束をした。
あっという間に付き合うことになって、何度か会った。
親も知っている子だったので、初めての彼女に浮かれて報告すると、すぐに別れるように言われた。別れなければ学費も出さないと脅された。
悲しかったが、付き合ってすぐの彼女と、自分の将来と天秤にかければ重い方は決まっている。
彼女に電話で別れを告げた。理由は言えないけれどもう会えないということで押し通した。「何で泣いてるの」と聞かれたが「泣いていない」と言って電話を切り、着信拒否した。めちゃくちゃ泣いたけれど、かわいそうなのは彼女の方だ。
短期間しか付き合えなかった初めての彼女。初めてできた大事な人に最低な酷いことをした。
もうすっかりおっさんになり、妻も子供もいるが彼女のことは忘れられない。あのまましばらく付き合っていたとしても、いずれ別れた可能性が高いような気もするが、いろんなことがあまりに印象深いし、終わり方があまりに残酷なことをしてしまったのでいつも心に引っかかっている。
男は引きずるけど女は引きずらないとよく言うから、彼女にとっては数多くの付き合った男たちの中の一つにすぎないのだろうか。
むしろそうあってほしいのだけれど、とにかく幸せになってくれていてほしいと思う。
しかし、後悔があるのかと言われれば、正直言って、ない。
俺の子供達が同じ状況になったら、俺も全力で別れさせるだろう。このシュリンクする日本で減り続ける中間層にしがみつくのがどれほど大変か。無用なリスクは極力排除しなければ生きていけない。犯罪者と親類になるのは御免だ。最悪だな。最低だ。好きだったのに。
学位取得者って、それはケインズ政策から新自由主義政策に移る前。さらには30年以上前に学費が安かった時代に取った人も含むでしょうが。
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2013/04/17/1333454_11.pdf
今はむしろ低いほう。
で、小中学校でみっちり教えるのは賛成だが。わからないまま上位学校で授業に缶詰めになっても苦しいだけ。
ただ、Fランク大学はいわばそのケツを吹いているだけの状態。本当はもっと初級でみっちり教えること。それには初級学校教員の雑用を減らして補修など学生の学業に集中できる状況にするべきだがな。
ほかの統計が実態を反映してないって戯言は聞くに値しない。大学半分にするんだろ?ということはざっくりと大学進学率が半分になるってことだな。
そうかもね。でも、無料だったら遊び惚けてるやつが増えるから駄目だ!というにはこの折衷案でもいいんじゃない?
少なくとも今の高額な学費をそのままのこして、少子高齢化をどんどんひどくしていくよりは。
今や、大学の学費のことまで含めて子供を作るのが当たり前で、それがゆえに少子じゃないとだめだといいう社会。子供が多いのは大学のこと考えてないバカと笑われる時代。とすると、大学の学費は減らさないとならない。
昨日から鼻炎が酷くて鼻炎薬を飲んだら鼻は止まったけど市販薬なので全身干からびて怠かった。夜になっても治らないのでもう一度薬を飲んで寝たら身体は火照って暑いし朝起きたらやっぱり全身カピカピで喉が痛い。今日は2限からだからいつもよりは遅いけど家が遠いので6時半には起きないといけない。
全てのやる気が消えている。なんとか朝ご飯を食べて化粧まで済ませたけどどうしても家を出られない。あいかわらず鼻炎は酷くて全く粘り気のない鼻水が滝のように出てくる。
熱を測ったら完全に平熱だったけど今日はもう休もうかな、でも休むと面倒だし午後は必修だし放課後はサークルの集まりがあるからできれば顔を出したい。体調は良いとは言えないけど特別悪いわけでもない。
だけど必修も最近は先週から作ってきたものを見せてちょっと面談してあとは他の人が面談してる間作業するだけで半分くらい家でもできるんじゃないかってことばっかりだ。作業するのにパソコンがほぼ必須だから片道2時間半も重いノートパソコンを背負っていかないといけない。だったらもう今週は休んで家で作業してようかな。
もうすぐ学祭があるからその準備にも追われてて毎日毎日やらなきゃいけないことを消化して気がついたら1週間が過ぎている。
終わらないから毎日1時くらいまで起きていて朝は5時に起きるから睡眠時間が絶対足りてない。だけど早く寝るために作業を何もしないで1日を終えるのが怖くてつい夜更かししてしまう。ソシャゲはきっちり周回している。虚無。
リビングから今日も元気なアナウンサーの声が聞こえてきて、あの人たちは毎朝早くから笑顔で頑張ってるのにどうして私は頑張れないんだろうって思ったら辛くて涙が出てきた。こういう時に泣いてると世界で一番自分が不幸だと思っている人間みたいで嫌だ。なのに出るものは出る。
大体私の世界で一番不幸なのは自分に決まってる。自分の辛さを一番強く感じているのは自分だ。他の人から見たら私の何十倍も大変な思いをしている人はたくさんいるけど他人の辛さなんてこれっぽっちもわからないから結局私が一番辛い。
大学から家が近いくせに徹夜したとか朝起きるのが辛いとか言ってる人間が嫌いだ。絶対私の方が辛いと思う。お前は1週間に6日5時起きの生活をしたことがあるのか?
だからって一人暮らしは料理洗濯掃除ゴミ出し買い出し全部自分でやらないといけないから実家から離れられない。
この間ネットで流れてきた漫画ではこうやって人生に疲れた時、不器用だけど優しい先輩が声をかけてくれてた。そのままのあなたでいいんだよって言ってもらえてた。
私の周りには私と同じくらい辛い人間しかいないからそんなイベントは起きようがない。心の中の夢彼氏に励ましてもらおうと思ったけど疲れた心ではそんな妄想さえできない。今そのままのあなたでいいんだよとか言われたらよくねーーよハゲとしか言えないけど。
好きなことを高い学費払ってやらせてもらってるんだから授業出ないと勿体ない。だけど高い学費の割に毎回面談しかしない教授もどうなんだよ。話すと次回やることがわかるから意味がないわけではないけど待機時間がひたすら虚無だし毎回授業長引くし早めに面談終わらせて時間通りに帰るのもどうかと思って残ると帰りが8時9時になる。それから飯食って風呂入って11時。今日こそ学祭に出す絵を描くぞと思っていたのにあと1時間しか今日がない。
毎日課題と学祭の準備のことばっかり考えてて授業始まってからろくに趣味の絵が描けてない。月曜から金曜まで大学行って土日課題やってまた月曜だ。午前上がりの日も帰ったら4時前だし疲れて眠いから昼寝をすると7時前。
朝起きてから夜寝るまでずっと何かしら考えてて脳が休まる暇がない。唯一登校中にゲームやってる時は比較的何も考えなくて済むけどその時間を作業に充てられたら……とか考え始めると何もしたくなくなる。
しばらく部屋でうずくまってツイッターのみんなの推しについてのツイートとか見てたらなんとか元気を取り戻したから2限はもう間に合わないけどせめて午後だけでも出ようと思ってなんとか家を出た。すごい偉い。
今日もどうせ授業は長引くんだろうけどさっさと面談を終わらせて7時には家に帰ってテレビ見ながらお母さんのご飯食べて金曜提出の課題やって時間があったら学祭の絵を描いて12時半には寝よう。明日は1限だ。
凡人は努力しないとどうにもならないんだからせめて授業に毎回出るくらいのことはしよう。凡人のくせに努力しなかった奴より努力したけどどうにもならなかった凡人と思われる方が5億倍はマシだ。