はてなキーワード: 冗談とは
昔こういう企画はVシネマでしか見かけなかったのに、時代は変わるもんだ。
という冗談はさておき。
今や2大VTuber事務所に成長したにじさんじとホロライブが、奇しくも同時期に新人女性VTuber5人組をデビューさせた。
で、このご時世どこにも行けずヒマなこともあり、10人全員の初配信を見てみた。
双方の戦隊()の方向性の違い以前に、配信者のポテンシャルや画作りの質で圧倒されてしまう。
それくらい、今のホロライブの採用とプロデュースが、神懸り的に噛み合っているというか。
それこそ尾丸ポルカなんて「お前今度こそ天下取れよ」と言わずにはいられないわけで。
まあ、世界中のキモオタからスパチャを毟り取る野望を持つホロライブのことだから、これくらいは先行投資として当然なんだろう。
だって結構なカネ取るわけだから、払うだけの付加価値がないとっていう。
そんなこんなで目的がどうあれ、結果的に色々クリエイティブなことやれていると。
とはいえ、にじさんじの子らも「ギャルとチンピラの寄合所帯」みたいな現状に対する新風にはなりそうだけど。
実際、Live2Dをデビュー前に漏洩させた件で謝罪来てるし、しかも、お子様が不自然な内容の原稿読んでる+舌足らず感が酷すぎるし。
某所に上がってた、去年のツイキャスと思しき配信の録音でも、社会人経験皆無としか思えない発言がバンバン出てたし、引退したにじさんじ所属のVTuberのこともベラベラ喋ってたりと非常識極まりなかったので、こうなったのは無理ないかな。
正直、即解雇ヘタすりゃ損害賠償請求来てもおかしくないのが、ここまで甘々な処分で済んだのが奇跡むしろこんな奴残しといて大丈夫か?ってくらいの話なので、これから心入れ替えて頑張ってというか、マジで今後絶対他所に迷惑かけんなよって感じ。
まあ、誰にでも若い時期はあるし、採用したカバー側もガバ過ぎる(google並にエグそうな反面、とんでもなく迂闊なところもある)と言えるし。
ほろふぁいぶさんのほうはまだあまり見ることができてないので避けますが、せれ女のほうはヒスピさんがクリティカルでした。同期コラボも始まるみたいでたのしみ。
こっちは逆にせれ女の方をあんまり見れていないのだが、確かに北小路さんは歌つよつよなうえに器用万能感がヤバいね。
歌もミュージカル出身ぽいのが個人的に好み?昼小路/夜小路も用意がいい・センスがいい。
それにしても同期コラボまだー?という感じではある。自分も早くコラボ見たいわ。
まあまずはピンでじっくりキャラ立ちさせてって流れなのかもしれんし、「てぇてぇ」を売りにしているホロライブのコラボとは色々違うんだろうなーと。
ほろふぁいぶは、ねねちゃんのオタクでありつつも人懐っこくてニュートラルな感性がツボだったかな。何より本人が雑談で心底楽しそうに配信していたのがgood。
どちらもまだちゃんとは見てないけど、(大物)転生者がそれぞれのリーダー格っぽいのが面白いなと思った。尾丸ポルカならワンチャン魔乃アロエを救えるかもしれない。知らんけど。
双方のリーダー格とも、5人の中では抜きん出た配信力で甲乙つけがたいわ。まさしく東西横綱級の「強くてニューゲーム」系。
このうち尾丸ポルカは、先に初配信だった西園チグサの配信内容を踏まえて、自身の配信内容を変えるとか、よく行き届いていると感心したよ。
以降、両者ともあの手この手でネタを繰り出して、既にそれぞれの箱のファンの間でレジェンドになりつつあるし、大物っぷりがマジで凄い。
好きな人の目の前で髭男のpretenderを聴いてる。
不毛。
【追記】
イヤホンして爆音で聴いてたんだけど、途中でもしかしたらその人の咳払い1つ聞き逃したくないと思って途中で音量落としてしまいにはイヤホンを外してしまった。
めっちゃ好きな曲だし、共感というか響きまくるんだけど、やっぱ好きな人の声には敵わん。
そして一人になってまたpretenderを聴き直してる。
想い人は自分に優しいし、多分大事な存在と思ってくれてると思うし、前に冗談混じりに家族だと思ってるって言われた。そんなんいわれたらマジで自分にとって君は何なんだよ状態。知ってるし分かってるけど分かりたくないんすよ。。けどこの曲の中の人は偉いよね、自分からグッバイ言ってる。自分は勇気がないからオヤスミとしかいえなかった。
自分では歌えない、報われない恋を抱えてる世の人のために、恋を恋と呼べる前に喪失感を抱えてしまってる世の人のために髭男はこの曲を歌ってくれてるんだと思ってるんだけど、本当にありがとう。
チー牛だのカオナシだの本気が冗談か知らんが余り目にも目についてすげえイライラする
直近でもfateの映画で映画館が臭いだのもちろん陽キャが言うならわかるよ?
でもさこういうので声荒げるようになったのって5chとかtwitterでアニメアイコンしてるような奴ばっかなんだよね
がんばって、すこしづつ たべるけど
足が ふつうのおとなより 細い
40まではがんばって生きてなんとかだけど
ふざけんな!って思うけど
よのなかには こういうやつもいる。
わかりやすくいえば、誕生日ケーキのろうそくを他人が吹き消すが2度あるから
これはもう警備もグルということで、信用しない
医者も同様 信用しない
他人の結婚式で 冗談が必要を濾してできる人間というのはいる。
それを披露宴ではなく式によぶやつがわるいし 女性側の要望となると
だから事前に聞いて
破断をお願いする
ごめん、
数年たえたけど
むりだった
ならしならしとかで やろうとして
自分たちは変わろうとしない。
人口の人数に応じて順番にという当たり前の話なわけで・・・0にみえても、たとえば、コロナではないウイルスの場合数年の潜伏期間も報告されているわけで
あいつは病原菌だからと冗談言っただけで差別といわれるから慎んでいる恐怖政治の現代www
あのさぁ
集団に免疫があると 私には免疫がなくても謎の力で守ってもらえる作戦とか
謎の論調もあったけど
一見正しそうに聞こえる とんでもにお気をつけ下さい。
女性を物扱いすると言うのがどういうことなのか理解しているんだろう。
物扱いする感覚に染まっている… 可能性は確かにあるが、元増田の文章からはそれを窺わせる記述は見当たらない。もしそうとしか読み取れないならば、それは風俗を批判するものを拒絶したい為に、彼らをまとめてモンスター化し実際の意見から目を背け、自分たちの加害性を直視したくないだけだと思う。
性風俗がその他のエンタメ産業となんら変わらないのなら、未成年だろうと堂々と働けるし、管理売春も合法になるし、セクシャルな冗談がゴールデンタイムのテレビに流れ、海外遠征で売春したバスケットボールプレイヤーはなにも謝罪を迫られない。
現在この世界がそうなっていないのは、性に関わることは個人のプライベートでその人個人の本質にとても近いために、特に注意深く大切にしなければならない。社会がそのように要請しているから。
妊娠の怖れのない幼稚園児の段階からプライベートゾーンを守るように教育されるのはその為だ。
個人の自由意志を尊重しなければならないので、究極的には売買春は止められないのだが、しかし「性風俗は人間の本質的な部分を売り買いしているのでは?」という疑問をもつ注意深さは誰にとっても必要だ。
死のうとしてるんだぼく。っていうのは認識した。
でもがんばって生きようとしたんだよ。
その心を折る人がいた。折ることに成功した。だから、生きようとはしていない。でも死のうともしていない。
死のうとしてるんだぼく。っていうのは認識した。
だれかの心を折れる人が、うそでもじょうだんでも、折ろうとした。折ろうとした後に、事故が起きた後に折ろうとするなということが同じ文章を操るものとして許せるかどうか。
心を折るということを冗談でやろうとしたということを認めるかどうか?
むずかしいはなしだが・・・
てめー15年前からだなぁ。
さいや人ではないけど、死ぬほど心を痛めつければ、復活する力で強くなれるのという風に学説をとなえて実践したな?
つまり
オラにみんなの元気を分けてくれー!
お!お盆玉だー!
って日本全国一人から元気じゃなく1円もらったら0.3秒ぐらいの一瞬で億万長者ね。
あそう?
今は億万長者って言わなくて億り人って言うのね?
知らなかったわー。
知ってた?「お盆玉」
私は甥っ子姪っ子にせがまれたけど、
だってさー、
バーベキュー行って
お肉とかお野菜とか色々たくさん出てくるじゃない。
一番美味しかったのなぁに?って私は優しく聞いたのよ、優しく。
そしたらなんてみんな答えたと思う?
「タレ」だって!
もれなく子どもの心も鷲掴み!
確かにたれ美味しいけど、
塩とコショウでキメなさいよ!って意識高く言いたいところだけど、
やっぱり全部タレが美味しいって!
そんでさ、
お皿に入れて食べるじゃない。
こればっかりは仕方ないわね。
肉ばかり食べるヤツらに言いたいところだけど、
ふりかけなのにお野菜食べ野菜!って言うのも殺生よね、って今気づきました。
だから私は甥っ子姪っ子のほっぺたに、
ハケでタレを塗ったら姉に怒られちゃったわ。
そりゃそうよねーって。
もう先にほっぺにハケでタレ塗った時点で気づいちゃったんだけど、
点取られたら、
ほっぺたにタレの付いたハケでバツ印をつけるゲームを考えてみたんだけど
なんだかお正月っぽくって、
それはそれでバーベキュー盛り上がると思わない?
私はホッペが焼肉のタレでベタベタにされるのが嫌だからやらないけどね!
でも甥っ子姪っ子たちに
負けたらホッペにタレつけられるんだからね!って教えると、
ちゃんと真面目に点取られた方にタレ塗られてたわ。
そしてまた私は姉に怒られたところまでが、
バーベキューセットだろ!って思ったところよ。
甥っ子姪っ子がなになに?って寄ってくるので、
バドミントンのラケットで食材乗せて焼いてみたら?って冗談を言うと、
本当にそれするから、
いや子どもながらにそういうことしたらラケット燃えちゃうことぐらい理解してるんじゃないの?ってところは理解なかったみたいで、
私はまた姉に怒られるという、
そんなこんなで
甥っ子姪っ子はお盆玉のことをすっかり忘れたようで、
来年はどういった手段で忘れさせるかごまかす方法を今から考える次第よ。
やっぱりバーベキューは塩とコショウで意識高くいきたいものね!
でもさ、
今思ったんだけど、
鰻だけタレでしょ?
鰻はやっぱり塩だよね!って冗談でも意識高い系のウソ路線で庶民を騙すぐらいの人がいてもいいのにね。
きっと何年か先にはきっと塩鰻が夏の風物詩として
今までの験担ぎミールアイテム「カツ丼」や「キットカット」などの地位を一瞬でもぎ取れるはずよ「塩鰻」って
柳沢慎吾さんも甲子園横浜高校のネタのくだりで「塩鰻」を人気落語の一席ぐらいな勢いでやってくれるはずよ。
塩鰻!
意識高くない?
美味しんぼとかで「塩鰻」の回の話でもやってみなさい、
これまた一瞬で意識高い系な鰻の食べ方ってなっちゃうで決まりよ。
海原雄山さんが言うに決まってるわ。
美味しんぼのなにかの回で、
「いいかい若いの、塩鰻をな塩鰻をいつでも食べられるようになりなよ」って言ったり言わなかったりとか言っちゃったりして。
でも栗田ゆう子さんは実は半信半疑で、
山岡さんと海原雄山さんが美味しい!美味しい!って言うもんだから
同調圧力で美味しいと言わざるを得ない感じで挟まれちゃうくだりとか最高!
とても私の口から言えないけど、
こ、こんな意識低い食べ物だなんてって初めてみたときはそう思ったけど、
実はあれ
その地位をりんご飴から一瞬でもぎ取った「冷やしきゅうりの一本刺し」は逆にとても意識高い系の食べ物だったのよ。
逆の逆張りを取られたってわけよ!
さて、
今年の夏は「塩鰻」と「冷やしきゅうりの一本刺し」に「チーズティー」で決まりよ!
うふふ。
ピッツアトースト!
黄色くなった完熟ゴーヤーを使ったスムージーも意識高い系でしょ?
完熟ゴーヤーいいわよ。
ガブガブと湯水のように飲むわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
この話はフィクションです。
私が小学1、2年生くらいの出来事だったと思う。夕飯の席で少年犯罪のニュースがやっていた。
詳細は覚えていない。社会に馴染めない少年が誰かを殺して捕まったという事件だったと記憶している。
そのニュースを見て、母は私に言った。
「もしも〇〇ちゃんが人を殺したくなったら、私が殺されてあげるからね」
いや、違かったかもしれない。「〇〇ちゃんが死にたくなったら一緒に死んであげるからね」だったか。「〇〇ちゃんが人を殺したら私と一緒に死のうね」だったか。
とにかくそのような事を言われた。
当時の母は思いつめていた。若いうちに田舎に嫁ぎ、祖母と折り合いがつかず、父は子育てに関与せず、子供は頭がおかしい。
私は共感性が異常に低い子供だった。クラスメイトとのトラブルも多かった。思い返すと思い当たる節ばかりだが、鈍感だったので当時は気づいていなかった。読書さえできれば毎日が楽しかった。
しかし、母はその事を気に病んでいた。
母は愛が深く、責任感が強い人だった。
それから少々思い込みの激しい人でもあった。心から私を想っての発言だったと思う。
それでも私は腹が立った。母には、私がいつか犯罪を犯す狂人に見えているのだという事実に打ちのめされた。私は確かに根暗で友達はいないが、それでも母くらいは私の事を信じていて欲しかった。
母にこう返した。
「私は誰かを殺す気は無い、そんなに死にたいのなら私に頼まず勝手に死んでくれ」
母は発狂し、台所から包丁を持ち出して「そんなに死んで欲しいなら死んでやる」と泣き叫んだ。私はどうしたんだっけ。ごめんなさいやめてくださいと縋ったのだろうか。勝手にしろよと突き放したのだろうか。
包丁の記憶が鮮烈で、他の事はよく覚えていない。結局母は自分を傷つける事はなく、泣きながら車で実家に帰った。
程なくして父が帰ってきて、私は怒られた。この時の記憶も残っていない。
父には「お母さんは心が弱いんだから、みんなで気をつけてあげないといけないんだ」とよく言われた。
その夜だったか、次の日だったか、父が迎えに行って母は家に帰ってきた。そして我が家は何もなかったかのように元の生活に戻っていった。
それから10年近く経ち、私は精神科で発達障害だと診断を受けた。
母にそのことを話したら、泣き崩れて「他人様に迷惑はかけるな」というような事を何度も言われた。それが終わると、力なく笑って、「一緒に死のうか?」と冗談のように聞かれた。
「昔似たような事を言われたことがあるけど、母さんは覚えてる?」と聞いたら「覚えてない」と返された。
本当はもうちょっと対話してからにしたかったんですが、返信が無いようなんで先に書きますね。
のほうですよ。
「冗談じゃない、フェミニストはフェミニスト間の議論をするんだ、勘違いされるようなことを言うな、迷惑だ。」
ってね。
そうすればそれ自体が、「なるほど、フェミニストはお互いに議論をする人もいるし、意思疎通や共通認識形成もする人もいるんだ。アンチフェミのレッテル貼りは間違いだったんだ。」と周りから認識されていたでしょう。
なんなら、
これは、アンチフェミの自作自演書き込みなのでは?とすら思った人もいたかもしれません。
まあでもそれって、オタク側も同じなんだよなあ。
と言い出した。
それに対して私がオタクは議論をすること(むしろし過ぎなくらい)を指摘すると、今度は
と言い出した。
最初は「フェミニストも議論しないけどオタクも議論しない」、という主張だったはずが、いつのまにか「オタクも議論するかもしれないが、フェミニストも(私が見ていないだけで!)議論をしている」という主張に変わった。
これではあなたの認識が全く分かりません。オタクはオタク間で議論するの?しないの?フェミニストはフェミニスト間で議論するの?しないの?
こういうことがあるから「一人一派」は嫌われるんです。最初の時点で立場が明確でないから。
確かにどんな集団にも変な奴はいます。どんなに注意しても変な行動をとり続けるやつはいます。
そういうやつに対して、「あいつは違う、一緒にしないでほしい。」って言いたくなる気持ちはわかります。
そういう「見解の相違」なら全然かまいません。「主張を統一しろ」なんていいません。
ただそれが成立するのは「考えの違いが判明した時点で議論・批判し、見解の相違を表明していると客観的に認識できる場合」です。
例えば消費増税を主張する経済学者に対してそれを横でのほほんと聞いている別の経済学者がいて、
「あなたも消費増税に賛成なんですか?」って聞かれて「いや、私は反対です。でも一人一派ですから。」って言われて納得できますかね?
いや、そこは消費増税が経済学全体の答えだと勘違いされるから反論しろよ、って思うでしょ。
問題行動してる横で何も言わず、自分に火の粉が降りかかってから否定するのは「見解の相違の問題」とはいいません。議論する態度の問題です。
これが次々と投稿されるツイッターなら、「全ての投稿を追うことは難しいから、フォローしてない人のコメントは把握できないから。」という弁明もあるでしょう。
私だってここについてるトラバ・ブコメを全部読んでるわけじゃないしね。
しかし発端となってるコメントはたった2つ上にあったのです。それを見逃すというのは無理があるでしょう。
あなたは元増田の主張を強化するチャンスがあった。ところが見事に逆の行動をし、むしろアンチフェミの主張を強化してしまった。
何するんだよってうっとおしがられながらも
叶わぬ夢。
中学生の頃、じゃれ合っている同級生の男子を遠巻きに見ていた。自分はそういうものに何も興味はないと思っていた。私はもっと高邁で、奇抜で、愉快で、進歩的なことを考える人間だと思っていた。
高校生のころになると私は(主観的な認識としては)原因不明の寂寥感に苛まれていた。このままではまずいと思った私は、世間に対する警戒を緩め、私の世界にポップカルチャーやら何やらが流入してくるのを受け入れた。そのころ、私はようやく、抽象的観念的な理想は、自分が具体的他人とどう付き合っていきたいかということとあまり関係がないことに段々と気がついていった。
そして、私が友情という観念に仮託していた自分の感情は、大人の友人関係では叶えられないものであることを知った。むしろ、私が欲しているのは、愛、しかも痴なる愛であることを悟った。
私を慕う部活の後輩がいた。そして、彼の声には甘えるような響きがあり、回りくどい冗談には愛着が示されていた。時がたつにつれ、彼の声に私は痺れるようになった。私のそんな気持ちは伝えてしまいたかったが、うまくいかなかった。そうならないように、彼が会話の雰囲気を操作しているような気がした。私の胸は焦がれた。
私は自分の目的を達するためにもっとも良いと思った遠方の大学に入学した。私には野望があまりに多かった。一方で、私の心は干からびているようだった。自己肯定感あふれる鬱病患者のような奇妙な状態に陥った。私の自己実現欲求は空転し、私は留年した。
大学生になっても、課外講義をとると、キラキラした笑顔で川の水をかけあっている一年生の男子がいた。とても眩しく見えた。留年生の私だが、そんな彼にも普通に話しかけることができたし、彼は自然に仲間のように接してくれた。でも、私は関わろうとするのを辞めた。「友情」に素直に満ち足りる彼らは、最初から、別世界の存在のように思えたからだ。私が人間で、彼らが天使であるかのような。
そういうことがあったせいからか、親密な感情を全く想起させないが、冗談や興味深い話はするというような「好ましい」人間関係が、これまで以上に、勝手に構築されるようになっていった。相手は居心地が良さそうにしていた。私もまあ居心地は良かった。でも、それを破壊したくて仕方がなかった。私は飢えのために闘わなければならなかった。不道徳で、実りの無い戦いを。
今、私はそれから何年も経って、いろいろなできごとを起こしていったし、巻き込まれていった。しかし、未だにこんな文章を書いているほどに、何も進歩がない。
自分の場合起こった事などを記録しておいて後で読み返してあーそうだったなと思い出せるのが好きなのでたまに書いてる
その際自分が思ったことなども書くけど、なんというか心情の吐露というよりはもう少し控えめな表現になることが多い
読むのは自分だけだが、どこかで自分自身にも気を許していない部分がありカッコつけてしまうとこがある
事実から目をそらして逃避しがちなので自分にも嘘をつくというやつだ
ある眠れない夜があり、汚いことも含めてとにかく書きなぐってみた
忘れたいことや目をそむけたいことも全部書いた
これはきっと二度と読み返せないのではないかと思いながら書いた
過度に自虐的にしたり冗談ぽくごまかさずできるだけ率直に事実をつきつけて書いた
そしてその日の日記を、何度も読み返している
妬んだり羨んだり、誰かに好かれたい、嫌われたくない、寂しい、そういうときは読み返そうと思う