2020-08-13

この話はフィクションです。

私が小学1、2年生くらいの出来事だったと思う。夕飯の席で少年犯罪ニュースがやっていた。

詳細は覚えていない。社会に馴染めない少年が誰かを殺して捕まったという事件だったと記憶している。

そのニュースを見て、母は私に言った。

「もしも〇〇ちゃんが人を殺したくなったら、私が殺されてあげるからね」

いや、違かったかもしれない。「〇〇ちゃんが死にたくなったら一緒に死んであげるからね」だったか。「〇〇ちゃんが人を殺したら私と一緒に死のうね」だったか

とにかくそのような事を言われた。

当時の母は思いつめていた。若いうちに田舎に嫁ぎ、祖母と折り合いがつかず、父は子育てに関与せず、子供は頭がおかしい。

私は共感性が異常に低い子供だった。クラスメイトとのトラブルも多かった。思い返すと思い当たる節ばかりだが、鈍感だったので当時は気づいていなかった。読書さえできれば毎日が楽しかった。

しかし、母はその事を気に病んでいた。

母は愛が深く、責任感が強い人だった。

それから少々思い込みの激しい人でもあった。心から私を想っての発言だったと思う。

それでも私は腹が立った。母には、私がいつか犯罪を犯す狂人に見えているのだという事実に打ちのめされた。私は確かに根暗友達はいないが、それでも母くらいは私の事を信じていて欲しかった。

母にこう返した。

「私は誰かを殺す気は無い、そんなに死にたいのなら私に頼まず勝手に死んでくれ」

我ながら最悪である。親も親なら子も子である

母は発狂し、台所から包丁を持ち出して「そんなに死んで欲しいなら死んでやる」と泣き叫んだ。私はどうしたんだっけ。ごめんなさいやめてくださいと縋ったのだろうか。勝手しろよと突き放したのだろうか。

包丁記憶が鮮烈で、他の事はよく覚えていない。結局母は自分を傷つける事はなく、泣きながら車で実家に帰った。

程なくして父が帰ってきて、私は怒られた。この時の記憶も残っていない。

父には「お母さんは心が弱いんだから、みんなで気をつけてあげないといけないんだ」とよく言われた。

その夜だったか、次の日だったか、父が迎えに行って母は家に帰ってきた。そして我が家は何もなかったかのように元の生活に戻っていった。

それから10年近く経ち、私は精神科発達障害だと診断を受けた。

母にそのことを話したら、泣き崩れて「他人様に迷惑はかけるな」というような事を何度も言われた。それが終わると、力なく笑って、「一緒に死のうか?」と冗談のように聞かれた。

「昔似たような事を言われたことがあるけど、母さんは覚えてる?」と聞いたら「覚えてない」と返された。

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