はてなキーワード: 充電池とは
キワモノ時計コレクターとしてAppleWatchはかなり気になる存在だ。
そこで、時計コレクター側から見て、どの辺にぶつけてくるつもりなのか想像してみた。
あ、「腕時計要らないし」って反応の人は以下読む価値はないッス。
知らないジャンルにはありがちなんだけど、「時計」のジャンルは想像よりも広大。
「ゲーム」とか「家電」とかと同じくらいの広さだと思ってくれた方が良い。
だからまず、簡単に(あくまでも便宜上)子ジャンルに分けとく。
この中で、ぶつかりそうなところと、全く関係ないところと、想像して見てる。
まず、AppleWatchとAppleWatchSportは無関係。
AppleWatchEditionが(値段上は)関係しそうなんだけど、どうかなあ。
雲の上の世界と書いたとおり「これで500万ならお買い得!」とか言われちゃう世界なので。
若干。顧客を食われる可能性はある。
まず、AppleWatchSportは無関係。AppleWatchEditionがチトどうかな、くらい。
で、AppleWatchと直接関係しそうに見えるけど、AppleWatchの値段が安すぎる。
ロレックスやタグ・ホイヤーは、50~150万円ぐらい。激安で10万~30万って世界。
なので、いわゆる機械式時計のジャンルからすると、AppleWatchの価格帯(7万~13万円)は安い。
この手の機械式時計はコレクターが居る子ジャンルでもあるし、普段使いする人達も多いんだけど、
「社会人になったんだから、良い歳になったし」などの、清水ジャンプの1本買いも居る世界。
OMEGAのスピードマスター持ってる社会人の知り合いとか、探せば居るんじゃないかな。
影響大。顧客を食われるというより、売り方を考える必要に迫られる。
まず、AppleWatchEditionとAppleWatchSportは無関係。
AppleWatchがどまんなかでぶつかる。が、まずは売れる人は限定的だと思う。
実用品からオシャレまでと書いたのには理由があって、時計をつけてる人は、ワリとオシャレさんが多い。
もはや、実用品というよりは、ファッションとして身につけている人が多い子ジャンルなのね。
清水ジャンプで15~30万の時計買っちゃった人は、それ一本でずっと行くと思う。
ただ、コレクターで無くても時計2~3本持ってて、付け替えて楽しんでる人は多い。
そういう人は、ワリと既に持ってるんだよね。iPhone持ってる人が追加で買うかな、くらい。
女性で時計をファッションとして身につける人は、あんな四角い時計を選ばないでしょう。
ただ、土建屋やトラック運ちゃんがBluetoothヘッドセットのヘビーユーザーだったりするように、
ビジネスにも色々有りまして、便利となればガーッと広がる可能性はある。iPad使ってる接客業とかね。
影響小。そこまででは無いかなーという印象。
まず、AppleWatchEditionは無関係。
AppleWatchSportがど真ん中なんだけど、AppleWatchも普段使いに出来る、と買う人いそう。
ここ、TIMEXからアシックスまで幅広い参入のある子ジャンルなんだけど、1万円~高くて10万円の世界だから、AppleWatchSportは高い方。
まあ、正直言って「手荒く扱うと壊れそう」「防水弱そう」「高い」の三重苦の気配はする。
ただ、マラソンとかジムとかワリと高所得層(つまり高くても買う人)が多いスポーツも存在するので、デザインで選ぶ人は居そう。
「欲しいんだけど、あのショッキングな色使いの時計はなー」と思ってた人が買いそうな所。
TIMEXとかGARMINとかカシオとか超良いけどね。ダサいと言われると反論はできない。
影響超大。読めないけど、子ジャンルが一新する可能性すらある。
AppleWatchSportとAppleWatchがど真ん中。
スウォッチとかG-SHOCKを職場で付ける人から、普段腕時計を付ける人が羨ましがる所。
ソーラーだのGPS電波時計だの、ギミック満載の時計も多いジャンルではある。
で、ワリとその手の技術って、3~5年で入れ替わるのよね。
10年前のソーラー時計とか、2次電池がダメになっちゃって、修理1万かー、買い換えるかな-みたいな人も居る印象。
ただ、カジュアル時計の世界は1万円~5万円の世界なので、致命的に高いんだよね。軽く倍以上する。
それを乗り越えてくるかなー、という所。
時計コレクターから見ると、Pebbleとかってキワモノの類なんだよね。
既存のスマートウォッチは、全部どれもこれも玩具のキワモノ扱いに見える。
(これを乗り越えたのがG-SHOCKで、あれは本当に凄いことなんですよ)
LG G Watchの接点が錆びるとか、どこまで舐めて参入してきてんだ、みたいな印象。
ベルト巻いて腕につけりゃ良いんでしょ?軽いのならプラでもいいっしょ、みたいなの感じ悪いよ。
そこからするとAppleWatchは丁寧に作ってきたなー、これが最低限だよなーという感じ。
あってストップウォッチ、タイマーくらい。超枯れてる。超進歩無い。
如何に充電しないか、如何に正確な時を刻むかに血道を上げるくらいで、基本デザインのみ。
AppleWatchの致命的な点は、毎日充電がいることと、その充電池どれぐらいでヘタるの?という点。
時計って3年位は電池交換しなくて済むようになってるし、メンテもまあ10年に一回ぐらい。
買って2年で新作が出ます、は実はそこまで致命的じゃないんだよね。他の時計もそれぐらい出てるし。
陳腐化しようがない枯れたジャンルなので。新作良いなあ、でも買い換えるほどじゃないな、的な。
どちらかと言うと、「液晶のバックライトってどれぐらいで交換するの?ちゃんとサポート有るの?」とか
「内蔵バッテリーがヘタってくるの、どれぐらい?そこ、交換いくらぐらいすんの?」とか
アフターケアの部分が気になって買わない時計コレクターが多いと思う。
腕時計って、指輪と同じくらい、珍しくパーソナルな個人所有を強く意識させるものなんだよね。
普段は付けないけど、社会人になって初めて買った時計はまだ持ってる、なんて人は意外に多い。
そういう意味で、AppleWatchは「丁寧にちゃんと時計として作られてる」けど「消耗品の電化製品に見えなくもない」という謎ジャンルなんだよね。
ここで「消耗品ではない」というのを明確にバーンと打ち出せると、新ジャンル確立のきっかけになりそうな所。
まあ、iPhone所有層の一定割合が買うだけで、単体の時計としては超絶の売れ行きになるだろうけどね。
思い出すのはWiiのゲームソフト「スーパーマリオギャラクシー」の為に編成された「マリオギャラクシーオーケストラ」なんだよね。
全世界で1200万本も売れて、日本国内でも100万本超えて、この「マリオギャラクシーオーケストラ」に参加した人って、恐らくここ最近のオーケストラで、最も「人に聞いてもらえた」演奏をした人達なんだよね。たぶん、そういう時計になる気がする。
iPhone6とかのガラスのなめらかさとか観てると、一線を画した上質感はある。
15年、使い続けてた掃除機がとうとう動かなくなったので、
我が家もようやくダイソンとかか?吸引力が変わらないただ一つのヤツとかか?なんて思いながら家電量販店に行った。
ダイソン高いのな、びっくりしたわ。
15年間、我が家を掃除し続けてくれたスティック式、紙パック式の掃除機は、確か2万円ちょっとだった記憶。3倍だよ。
3倍ゴミを吸ってくれるんかな、いや3倍ゴミが落ちてるわけでもないしな。
他の国産メーカーのめぼしい掃除機も少し安いがそれにしても高いわー。おまけに充電式が多いのだが、充電池は3年ぐらいで取り替えになると。
15年間、我が家で頑張ってくれた掃除機は、紙パックを月に2回交換するだけでよかった。その辺で売ってる共通紙パックでも全然平気だったし。
掃除機買わなきゃいけないのは切実なんだけど、何となく食傷気味になってしまって、
取りあえずちょっといったん休憩しようと、買い換えたいなーって思ってたiphoneのコーナーに行った。
恥ずかしながらiphone4Sなんだけど、別に特に不自由してないんだよ。
唯一言えば音楽と写真をたくさん持ち歩きたいので容量が多い方がいいなって思ったんだけど、大容量のやつ10万円近い。
順調に遅れているようですね。
kickstarterのコメント欄はだいぶ荒れているようですが。
https://www.kickstarter.com/projects/1761670738/ring-shortcut-everything/comments
みんなアレが本当に使えるものとして出来上がってくると思っているんでしょうか。
認識屋やハードウェア屋からすると、出来るわけがないというのがコンセンサスではないかな。
認識屋からすると、まともな認識率で1000個のジェスチャーを認識できるわけがない。
例えば90%以上も出るわけがない。一方でキーボードの間違え率ってそんなに高いとは思えない。
ハードウェア屋からすると、まだバッテリーがどうにもならない。
そんな小さな電池で持つわけない。充電池ならもっとでかくなる。
当然上記2つに目を瞑れば(ほかにも色いろあるでしょうが)、そりゃ作れる。使えないものが。
これらに対するブレークスルーを示せていない限り、プロモーションビデオのようなことは出来るわけがない。
というのが冷静な判断だと思うのですが。
「掃除しながら本読むのは非効率」ってのも前提を勝手に作っている。どう考えても「掃除中に充電池の残量が足りなくなったから充電してるけど手持無沙汰だから本読んでる」って解釈のほうが普通でしょ。
先述したように「人工知能の学習は自炊して(ryの過程こそが合理的なのでそもそも本を『読む』わけがない」。電子書籍だったらどうこうという問題ですらない。情報をナマで取り扱うのはAIの得意中の得意でやらせない手は無いにも関わらず、本を『読む』こと自体がオカシイ。カメラ映像解析の方が情報処理に余計にメモリ食うしミス(視界のブレや読み間違い)も圧倒的に多くなるであろうことは想像に難くない。まして椅子に腰かけて落ち着いてゆっくりではなく、掃除しながらである。
つまり、この人物はボディを持った人工知能として描かれているが、想定されているのは「ボディを持った人工知能」ではない。
あと自分でも充電パッドとか例に挙げたからアレなんだけど、これって充電「ケーブル」なのは充電中でも広範囲に動いて掃除するためでしょ?
ちょうど人工知能(と充電池)を搭載していない、よく見かける蛇腹ホースの掃除機が、コンセントから直に電力を取りつつ広範囲を掃除できるように。
(というかぶっちゃけ、ブコメにも「ルンバの擬人化」とあったけどそうじゃなくて、これは蛇腹ホースのあの「掃除機」の美少女化なんだろうなと思うけど。深い考えもなくそれこそ「機械的」に萌え掃除機に翻訳したら炎上しちゃったみたいなアレだろと)
とにかく、読書は手持無沙汰の暇つぶしというより仕事と並行してこっそりやってる私的行為。
本業はお掃除で、それも自分の持ち物でない(であろう)書斎のお掃除。つまり本来の書斎の主である人間の家事労働代用。
その「対等」は既に単なる対等や平等を通り越して、限りなく「同一」とか「同類」に近い意味になっている。
細かく言えば、「立場として上下はない(から使役する・されるの関係が成立しない)し、互いに尊重し合わなくてはならない」というニュアンスを大いに含んでいる。
要するに「人間と対等な人工知能」ではなく「血と肉と骨で出来てはいない【人間】」として見ている。
それも「人間に達していない、人間未満である。よって人間ではない」というニュアンスではなく、「人間とは根本的に異質な情報処理を行い、また人間のように振る舞う事自体が彼ら自身にとっても適切な行動たりえない」という意味で人間の同類ではない。
ちょっと毛色の変わった同類、ではない。毛色とかでなく同類ではない。哺乳類と両生類より開きがでかい。
だから本来なら「対等な存在」として並列的に語る事すらできない。
では並列的に、いかにも人間のように描かれているあのイラストの「人物」は何者か?という話になるがそれは前記事に書いたので以下略。
「使役されていない自由な人間は普通掃除しながら本を読んだりしない」って書いてるけど、むしろ使役されてない人間だからこそ掃除しながら本読んだりするんだと思うけど。
「自分のやりたい事よりも優先させなければならない事がある」というのは、社会的に責任のある大人なら当然のことで、むしろイラスト中の人工知能が周りの人間と対等であることの傍証だよね。
この二文は矛盾している。
使役されていない人間だから自発的に掃除と読書を同時に行っているのだとしたら、それは趣味のようなもので「社会的に責任を果たしている大人の行動」には当てはまらない。逆もしかりで、社会的に責任を果たしている大人(の人間)は「優先させなければならない事」に集中するべきであるとされていて、片手間に本を読んでいたら「サボっている」と称される。
>人工知能がホウキで掃除して紙の本を読むことがどれほど高度なことなのかもわからんのか
わからなきゃ「そこまでして『従順でかわいくて世話やいてくれる都合のいい女の子』が欲しいのか…」とドン引きしたりするかw
つうかそんなに高度な事ができる人工知能が「ホウキで掃除して紙の本で読書」っていう人間のフェチに付き合わされてんの見て何も思わんのかい。
>「人間のかたちをしたものに掃除させ」たら「奴隷」。ちなみに料理ならOK。
ルンバがあるのにわざわざ人型ロボに掃除させるのは使用する人間のフェティシズムだろう。
それとどこに料理OKと書いてあるんだ。一体何を読んだんだ。いけないキノコでもやってるのか。
>何故本を読んでる事が前提なのか
ブコメが「読書をしてる=使役されるだけの(ry」と主張してたのでそれに反論してみた。
自分はそもそもサムネしか見てなかったので本に言及されるまで本を持っていた事に気づかなかった。ホウキを持っていたことにも気づかなかった。
気づいてみるとどう見ても人間の書斎をお片付けするの図にしか見えない。人工知能は目では読書しない。
>自我を持った人工知能に対して「ヒト型である必要がない」とか「性別がわかるようなのじゃなくていい」とか何様だよ
人工知能にコスプレ趣味に走るような自我があると思っているんですか。
少なくとも今現在チューリングテストに挑戦してる連中はみんな自我なんてないぞ。たぶん身体性の獲得くらいからクオリアを取り扱えるかどうかが課題になってそこで情報を統合するために自我みたいなシステムが必要になるんじゃないかなって感じはするけど。でも無くても何とかなったよみたいな話にもなるかもしんないし。
というか、自我を持った人工知能に対して「絶対ヒト型であってほしい」「かわいい女の子やってほしい」とはそれこそ何様だね。
生身の人間の女が付き合いきれなくて裸足で逃げ出すような欲望に、従順なロボットを従わせたいというその身勝手は問題じゃないのかね。
まぁだいたい合ってるのでいいんだが、よくわからんのが、
そもそも使役されていないよ・本を読んでいるのは「使われるだけの存在じゃない」アピールだよ派
⇒反論として最もまずく頓珍漢であり、人間の女性にも人工知能にも失礼。レイシズム二乗してパターナリズムが入ってる上にSFの延長でものを考えちゃってる痛すぎるタイプ。正直これが一番ヤバい。無自覚すぎて。
まず人工知能が学習にあたって人間と同じように本を使うと思ってんのがもうオカシイ。本を読むというのは極めて身体性の高い霊長類ヒト科的行為であって、自炊してファイル読み込んでついでにクラウドあたりに接続して情報をバラまきつつ拾いまくった方が圧倒的に効率がよい人工知能がやることではない。
読書による学習をもって成長や自立性を表現しているという解釈自体が、イラストの人物を「ボディを持った人工知能」ではなく「血と骨と肉で出来ているのではない人工の【人間】」と無意識に見なしている。
ところで、使役されていない自由な人間は普通掃除しながら本を読んだりしない。読みづらいことこの上ない。例外はこの時期の大掃除の最中に押入れから出てきたマンガに捕まった時くらい。
つまりこのイラストの【人間】は自分のやりたい事よりも優先させなければならない事(掃除)があり、その仕事の合間にサボりながら少しずつ自由を行使するしかない存在であることが前提されている。
これは過去に奴隷として扱いを受けてきた全ての人間の境遇そのものに一致する。
彼らの言い分を踏まえてあのイラストを見ると、あれは奴隷的に扱われているアンドロイドではなく、人間の召使の女を描いて「これは人間ではありません」という言い逃れのためにケーブルに繋いだものであるという見方をむしろ強めさせる。完全に差別。
ここのパートですな。
結論として「こういう解釈もできるから差別的表現じゃない」って批判者に対して反論するのは無意味だと思うけど(この反論をする人はPCの概念がわかってないと思うよ)、「そもそも使役されていないよ・本を読んでいるのは「使われるだけの存在じゃない」アピールだよ」という解釈そのものにはまったく差別的要素を含んでないと思うけどねぇ。
検証してみよう。
まず、イラスト中の人工知能が「使役されている」存在であるというのが、勝手な前提だよね。
「使役されていない自由な人間は普通掃除しながら本を読んだりしない」って書いてるけど、むしろ使役されてない人間だからこそ掃除しながら本読んだりするんだと思うけど。
「掃除しながら本読むのは非効率」ってのも前提を勝手に作っている。どう考えても「掃除中に充電池の残量が足りなくなったから充電してるけど手持無沙汰だから本読んでる」って解釈のほうが普通でしょ。
そして手持無沙汰に読む本は、効率重視の電子書籍じゃなくてもいい。
それを踏まえて考えるなら、「読書による学習をもって成長や自立性を表現しているという解釈自体が、イラストの人物を「ボディを持った人工知能」ではなく「血と骨と肉で出来ているのではない人工の【人間】」と無意識に見なしている。」という推論からは、「イラスト中の人工知能は人間と対等な存在である」という結論が導かれるよね。
「自分のやりたい事よりも優先させなければならない事がある」というのは、社会的に責任のある大人なら当然のことで、むしろイラスト中の人工知能が周りの人間と対等であることの傍証だよね。
もちろん、上記したのは「可能な解釈」の一つにすぎない。でも、「イラスト中の人工知能は生身の人間と対等な存在として描かれている」というこの解釈自体が差別的要素をはらむものだとは思わない。
http://anond.hatelabo.jp/20130301155027
このエントリーに触発されて書いてみる。
EVOLTAとeneloopの新型のデザイン変更とその反応についてだ。
もと増田氏のエントリでは、技術的な革新性と歴史、と言う切り口で語られたので、経営的、経済的な話からeneloopブランドがどうしてこうなったかを考えてみる。
簡単に言うと、独占禁止法の関係でeneloopの生産はライバル社に売却された。現状eneloopはライバル社から購入されている状態だから、できるだけ早く軟着陸させEVOLTAブランドに統合しなければならないと言う事だと思う。
Panasonicはeneloopブランドを高く評価している。評価している故に生産と同時に売却され、eneloopのシェアが他社に渡り、自社の電池ビジネスが脅かされる可能性を排除する必要もあった。だからこう言う事態になっているのだと。
(なお、この記事中の記事引用における強調は、全て引用者によるものである)
eneloopを生み出した三洋はPanasonicに合併した。その経緯はおおざっぱに三行にまとめると
と言う事である。
「これからの時代、もちろん家電も地味に売っていくけど、電池ですよ電池! 皆さん知ってましたか? 三洋は電池と太陽電池が強いんです。さらに設備向けBtoBビジネスが良いんですよ!安定的に利益を出せます」
と株主に対して強弁して、株主もそれはだいたい嘘じゃね……と気付いた人はいたようだが、これを名目に株主を納得させた。
当時の記事日経ビジネス - 2008年11月13日 パナソニック、痛み覚悟の三洋買収で挽回狙うには
パナソニックの三洋買収の狙いは明白だ。三洋が持つ世界シェアトップのリチウムイオン電池と、世界7位の太陽電池事業を掌中に収めることだ。大坪社長は「両社の持つ環境・エネルギーの技術を合わせれば、世界の人々にとって望ましい事業展開ができる」と語り、今後、電機業界の雌雄を決すると言われる「創エネ」の分野で絶大な力を振るう決意を示した。
とある。こうして三洋はPanasonicに合流することになった。
特に電池事業では、三洋の電池事業とPanasonicの電池事業がくっつけば、シェアを大きく取れると言うことが期待された。
しかし…。
eneloopにつかわれているニッケル水素蓄電池は、Panasonicと三洋のシェアを合わせると世界シェア8割であった。
Panasonicは「既に市場はニッケル水素からリチウムイオンに移行しつつあるし問題ないんじゃね?」と思っていたようで、日本の規制当局はその言い分を信じて承認しているのだが、海外で審査が進むにつれて、だんだんと雲行きが怪しくなってくる。
パナソニック、三洋子会社化に立ちはだかる米国競争法の“壁” - ダイアモンドオンライン 2009年4月7日では以下の様に伝えられる。
最大の焦点となっているのは、環境対応車に搭載される二次電池の寡占状況である。
車載向け二次電池には、ニッケル水素電池とリチウムイオン電池があるが、「ニッケル水素電池の両社の合計シェアは8割強を占めるので、問題視されている」(パナソニック幹部)もようだ。
もっとも、パナソニック・三洋連合にも言い分はある。現在は、ニッケル水素電池が車載向け二次電池の主流だが、今後は大容量化を期待できるリチウムイオン電池が主流となることが確実であり、両社の統合は排他的な競争環境を生むものではない、というものだ。
三洋幹部は、審査の停滞について、「厳格に審査されていることは、米自動車“ビッグスリー(ゼネラル・モーターズ、フォード・モーター、クライスラー)”の再建問題と無縁ではないだろう」と指摘する。
この頃は米国自動車業界がガタガタであり、世界潮流である環境対応自動車への舵を切らなければならない時期だった。その時に重要部品で巨大シェアの企業が誕生し、首根っこを押さえられるのは厳しい、というのが米国政府の意向であったのだ。
中国の独占禁止法関係に詳しい、名古屋大学教授、 川島富士雄氏のブログ 2009年11月1日付によると
3)3つの電池市場が関連商品市場。商務部は第1に、コイン形リチウム二次電池、第2に、民生用ニッケル水素電池、第3に、自動車用ニッケル水素電池を関連商品市場として画定し、それぞれ企業結合後に市場占拠率が61.6%、46.3%、77%に達し、競争上の問題があるとしています。中でも、第1と第2の市場について、結合後、単独価格引き上げ能力(中国語原文「単方面提価的能力」)を持つと指摘している点は、公告された決定では初めてであり、注目されます。
そして最終的にはこのような結果になる。
5)問題解消措置として日本国内の工場の第三者への売却を条件付け。上記の関連地理的市場が世界市場とされたことに対応してか、第1のリチウム二次電池については、三洋電機の鳥取県岩美町(公告では岩見町とあるが、正しくは岩美町)の鳥取工場の第三者への売却が、第2の民生用ニッケル水素電池については、三洋電機の群馬県高崎市の高崎工場の第三者への売却等が(ただし、パナソニックの中国江蘇省の無錫工場の売却と選択的条件)、第3の自動車用ニッケル水素電池については、パナソニックの神奈川県茅ケ崎市の湘南工場の第三者への売却に加え、トヨタとの合弁会社(パナソニックEVエナジー株式会社)への出資比率引き下げや代表権放棄等が、それぞれ承認の条件とされています。中国域外の工場の売却を条件としたのは本件が初めてであり、今後の実務にとっても注目の動向です。
そして、三洋電機の持つ電池工場が、FDKへと売却されることになる。三洋電機,Ni水素2次電池の製造子会社をFDKに売却 - 日経エレクトロニクス 2009年10月28日付によると
三洋電機は2009年10月28日,民生機器向けNi水素2次電池の製造事業を約64億円でFDKに売却すると発表した(発表資料)。同社の子会社で,Ni水素2次電池の製造を手掛ける三洋エナジートワイセルの株式をFDKに譲渡する。これは,パナソニックの三洋電機への株式公開買い付け(TOB)により,2社合計のNi水素2次電池事業の世界シェアが大きくなり,米国と中国の競争法当局からTOBの認可が下りないための措置。
譲渡後,三洋電機の電池事業としてはLiイオン2次電池とニカド電池,ハイブリッド車向けNi水素2次電池が残る。また同社は,民生機器向けNi水素2次電池のブランド「エネループ」も引き続き使用する。エネループ向け電池は今後,FDKから購入する格好となる。
こうしてPanasonicとeneloopの製造は分離することになった。
売却先のFDKとは、富士通の子会社である。富士通とPanasonicは、言うまでも無く電池事業、その他での競合関係にある。
通常、こういった売却の時にはブランドも一緒に売却されるのが一般的だろう。しかしeneloopブランドはPanasonicに残った。これはそれだけeneloopブランドが強力であることをPanasonicが認識している証拠だと考えられる。
その他に、2011年4月1日のダイアモンドオンラインの特集「【企業特集】パナソニック 電工、三洋を解体・融合・再構築 100周年に向け大坪改革の正念場」には以下の記述がみられる。
次代を担う電池事業はどうか。重複するのは、繰り返し充電して使えるニッケル水素電池の三洋「エネループ」とパナソニック「エボルタ」がメイン。これも、「エネループが強いなら、エネループを残せばいい」(大坪社長)と言い切るほどで、圧倒的なシェアを持つエネループが残るだろう。
大坪社長とは、当時のPanasonicの社長、現在の会長の大坪文雄氏である。当初は当然のようにこういった観測がなされていた。
しかし、Panasonicは独占禁止法の壁により、eneloopの工場を売却することとなった。そこで大きく戦略転換を迫られる。
ここからは具体的な記事は無い。通常表にでる話では無いので、推測である。
FDKにニッケル水素蓄電池生産工場を移転する際、折衝の中で、当然FDK側はeneloopブランドを同時に譲渡することを求めたと考えられる。しかし、Panasonicはeneloopのブランド力を手放す事が惜しい。そこで、中間案として、eneloopブランドの継続期間の定めと、eneloopブランドで販売するニッケル水素蓄電池は、"すべて"FDKが生産するものを使用する、といった買い上げ契約になっているのではないか。
これは企業買収ではよくある話である。自社のコア技術を洗練させていく上で事業部を切り離して売却するとき、一定の期限や条件を区切るとしても継続して購買を続けると言う契約付きになるのはごく一般的だ。そうでなはいと、売却されたあと従来は社内需要がしめていた部分の需要がごっそり無くなる事になってしまったら、買い手のつかない商品を作るラインを押しつけられることになって誰も購入はしないだろう。
これは一連の動きとも合致する。たとえば従来はeneloopブランドだったスマートフォン用外部バッテリーなどからもeneloopブランドは消えている。またeneloopブランドで展開されていた電気カイロや省エネ製品も姿を消した。
今回の、eneloopブランドを目立たなくして、Panasonicを全面にだすデザイン変更とブランド変更は、全量FDKから購入しなければならないeneloopブランドを徐々にPanasonicブランドに移行させたいがための措置だと思われる。
今後電池の性能は上がっていく。しかしFDK側は他社ブランドeneloopに最新技術を投入する意味はそれほどない。また、これは外部から見たイメージと、社内の実際の所の見え方の違いだと考えられるが、EVOLTAの技術の方が、eneloopより優れているようだ。これは事業部門は売却したが、何らかの方法でeneloop開発のコアになった人材がPanasonicに残っていると言う事も考えられる。今回はデザインとブランドばかりに目が行きがちだが、eneloop側よりも、EVOLTA側の方が強力な技術転換がかかっていることがわかるだろう。
順番は私が考える可能性順だ。
eneloopブランドのフェードアウトはほぼ間違いが無いだろうと思うが、今回のような反応が全体におき、また有力な顧客(大手家電量販店)からの要望などが出てくれば、2番目の可能性も考えられる。この場合、eneloopは、LUMIX、VIERA、Panasonic Beautyと並ぶブランドに位置づけられて、下手をするとPanasonicのエネルギーソリューションのブランドになり、太陽光パネルシステムまでeneloopを名乗るようになるかも知れない。ただFDKが同意するかは不明だし、そこまでの価値がeneloopと言うブランドにあるのかと言う事は不明である。二次電池市場が今後リチウムイオンになっていく中、ニッケル水素の伸びしろはそれほど大きくないだろうし、電池の主戦場はBtoBであることもあって、コンシューマ向けブランドがどれだけ重要か、と言う判断は慎重になされなければならない。
三番目はあり得ないとは言い切れないが、ほぼ無いだろうと思う。これだとPanasonicがeneloopブランドを手元に置くことで二次電池市場を手放さなかった意味が無くなるし、二次電池市場を他社に明け渡しても良いほどの対価をFDKが支払えるのならば買収の時に実行されていただろうからだ。今後十分にEVOLTAに移行された後でeneloopブランドがFDKに渡る可能性はあるが、正直行って、ニッケル水素電池はこれから大幅に伸びる分野では無いので、そこにコストを賭けるかどうかはわからない。
いろいろと騒がれたが、この戦略はだいたい上手くいくだろう。何故かと言うとPanasonicの電池シェアは半分近くを占めていて非常に高く、それらの販売網を使って一気にEVOLTA蓄電池を押し込んでいけば浸透するのは時間の問題だと思われるからだ。充電器の共用化はその布石である。今後、EVOLTA蓄電池はあるのに、eneloopが売っていない、と言うシーンは増えていく。その時にいくらeneloop派でも、同じ充電器での保証がされているEVOLTAが販売されていた場合、EVOLTAはだめだからeneloopを探す、と言う行動をとるだろうか? とる人は非常に限られているのではないか。後は、eneloopブランドでなければ売りにくい、と言う販売店側からの圧力だが、これは徐々に減っていくものだと思われる。
思ったより反応が大きく、感謝申し上げる。
その中で一つだけはっきりさせておきたい事があるので念のため追記させていただく。この話は本質的にはお客さまには関係が無い事である。これを忘れてはならない。Panasonicの関係者はこれを言い訳に使うべきでは無い…いや、Panasonicはこれを言い訳にすることは無いだろう。客に寄り添う事で、時にはマネシタなどとあざけりを受けながらも成長してきた会社なので、これがベストではない事ぐらいは百も承知だろう。その上で、取り得る限られた選択肢の中での判断だったのではないか、というのが要旨である。
また、EVOLTAの方を売り払う事でeneloopの工場を残すべきだったのでは無いかと言う意見も拝読した。忘れてはならない前提条件として、三洋が経営を行き詰まらせたのは、確かに引き金となったのは新潟県中越地震であるが、本質的には市場変化への対応の遅れと、コスト構造からの採算性の悪化である。Panasonicのニッケル水素電池の生産拠点は海外にある。一方三洋の生産拠点は日本国内にあった。(分離されたFDKトワイセルの会社概要にあるように、ニッケル水素電池の生産で国内に残っているのはこの拠点のみだ)2009年は円が急速に値上がりしはじめ、どこまで円高が進むかという事に各社頭を悩ませていた時期である。最終的に、どちらを売却すべきかと言うのは当時の内部資料を見なければならないだろうが、おそらくこの辺りから三洋の工場が売却され、Panasonicの工場が残った理由がある。またパナソニックの国内電池関連施設は、トヨタとの合弁で作った当時のパナソニックEVエナジーとの関連などもあり、そう簡単に手放せるものではなかった事も推測できる。(ただ、パナソニックEVエナジーも、独占禁止法の回避のため、出資比率を引き下げざるをえなかったわけであるが)
この他に、EVOLTAの工場で作ったものにeneloopを付けて売ればよかったのでは無いか、と言う指摘も頂戴した。ただしこれでは、おそらくFDKに売却するときに交わされたであろう生産に関する契約と、独占禁止法上に引っかからないために競争相手を作るという目的が達成できないので不可能であった。
上記追記でも伝えきれなかった部分がある様なので再び追記させていただく。
この文章は、このような事情があるからデザインが悪いと批判をした人々は軽率だ、等と非難をするものではない。
あくまでも、そのような批判が出る事は承知の上で(お客さまの不満が出ることは分かっていて)、取りうる選択肢はこれしか無かったのではないかと言う分析を重ねたものである事を承知して欲しい。
マニアックも何も、消費者にとって充電池ってのは使い捨て乾電池の代わりとしての意味合い、上位互換としての役割が大きいんだよ。
wiiのリモコンだって、最初は「乾電池式かよ」という反応があったにもかかわらず、そこに一番最初に飛び込んだのがエネループだった。
どこの量販店もwiiのそばにはエネループが置いてあったし、そんな感じでwiiと一緒にエネループを買った家庭は多いだろうし、だからこそ充電池=エネループっていうブランドづくりに成功したんだよ。
ちょうどこの頃に、ゲーム以外の商品でも「繰り返し充電池使えます」とか、ぼかさず「エネループ使えます」とかいう文章が、一時的とはいえ電池を使う商品にステッカーなどで追加されるようになった。瞬間風速的には、ポリゴンショックレベルの社会現象と言えると思う。
乾電池と充電池の各社の違いやら、それぞれの違いやらについてなんて人類の殆どは答えられないだろうけど、一般的な意見として「電池を棄てずに繰り返し使えるのはなんとなく経済的っぽいし環境にも優しそうでいいことじゃない?」ぐらいの価値観を得られたのは大きいわけ。
それを実質的に牽引してきたのがエネループブランドの充電池(三洋ではない)なんだから、それがパナソニックロゴに取って代わられれば嘆く声も出るだろうよ。
どう言えばいいんだろうね、オーストラリアの国旗のユニオンジャックとそれ以外の比率を今年の四月からイギリスの強い要求に応じて逆転しますってなったら、オージーは反対するだろ?そんな感じだよ(違うかw)
たかが充電池ごときにデザインがどうのこうのとか吠えてる連中って性能についてはどうでもいいんだろうね。
エネループって別に図抜けて優れてるってわけでもないし、そもそも富士通製だし、充電池にブランドなんて大した意味ない(代替性の方が何より重要)、むしろエネループとエボルタを混用しても問題ないほどにまで共通化すべきなんだよな。
それはすなわちソニーのサイクロンエナジーと富士通充電池と共用できるという意味でもあるから、ユーザーの為を思うならブランドなんてとっとと潰してPanasonicに統一させるぐらいの破壊的イノベーションが必要だったのが充電池業界。それを一部とはいえ成し遂げたんだからパナソニックは万雷の拍手が降り注いで当然のはず。
そんなにエネループブランドが大事なら発売前に「旧」デザインをしこしこ買い溜めてろって話だわな。5年ぐらいならそのまま使えるんだろ?ww