はてなキーワード: ボットとは
俺が想像するのはさ。
朝起きて「あ、今日なら働けそう!」と思ったら、電話だかメッセージングアプリだかチャットボットだか、まあとにかく連絡するんよ。
そしたら、いくつかその日の仕事候補を紹介されて、候補の中から選んで働くんよ。
もちろん、候補が全部気に入らなかったら選ばない、つまり働かないこともできる。
そういう働き方っつうか、サービス?
ねえかなあ。
俺双極性障害II型でさ、より厳密にはそう診断されててさ、すげえ働きたい時とすげえ働きたくない時があるんよ。
すげえ働きたい時にモーレツに働きまくってても、いつかすげえ働きたくない時がやってきて、突然の無断欠勤でバックレかます。
そういうことを何度も繰り返して、人様に迷惑かけまくってるんよ。
朝やる気だったらその日一日はやる気が持つから、上で言ったような働き方があればありがてえなあ。
結構そういう働き方したい人、いると思うんだけどなあ。
あったら誰か、教えてくれねえかなあ。
本当はこういう文書くのどうかなあと思ったんですよね。
こんなこと書いて自称ジャンルの治安維持を名目にしたお気持ちヤクザみたいなファンって言われると困るなと思うけど、言われても仕方ないしなと思いましたし。
対象は子供向け作品ですし、実写作品で現在大人気のコンテンツですし。
でもちょっと昨今の意見の分かれ方を見まして、「考え方を変えろとは言わないけど頭の片隅には置いておいて欲しいな」と思ったので書かせて頂きました。
大人気の特撮シリーズでウルトラマンってシリーズありますよね。
去年大盛況でしたね、「シン・ウルトラマン」とか。
最近新しいウルトラマンと番組の放送時期の発表が来たり、今も新情報のカウントダウンが行われていますね。
その新情報を巡りまして、その中の一つの作品、「ウルトラギャラクシーファイト」という作品が今注目を集めています。
「ウルトラギャラクシーファイト」は今3シーズン?3作品?出ています。
最初のシーズンは今「ニュージェネレーション」というジャンルで分類される新しいウルトラマン達(キャラ名は沢山いるので割愛します)にスポットライトを当てた話でした。
その次のシーズン、「大いなる陰謀」、続く「運命の衝突」ではアブソリュートタルタロスという新しい敵、その仲間たちがやってきて、ウルトラマン達は新しい脅威に立ち向かわねばならない…という話でした。
「ウルトラギャラクシーファイト」というシリーズには実は基本ウルトラマン達しか出てきてません。
世間によく知られている、「人間とウルトラマンが何らかの要因で一体化し、その正体を隠し続けながら日夜地球に訪れる脅威と戦っているよ」という話では無いわけです。
まず「ウルトラマン」という作品は「円谷特撮ヒーローシリーズ」の一つです。
世間でよく知られているミニチュアのジオラマや、火薬による爆発、ウェットスーツや着ぐるみを着用したキャラクター達との戦闘を工夫を凝らして撮影したシリーズですね。
怪獣の口から出る光線で吹き飛ぶ街、逃げ惑う人々、ウルトラマンが怪獣に投げ飛ばされてその背中で押し潰される建物。
そしてウルトラマンと一体化することになった人間の苦悩、その秘密を隠し続けなくてはならないジレンマ、戦闘が続く中で人々を守るために常に選択と苦難に向き合わなくてはならない日々。
そして、人間とは全く違う存在、「ウルトラマン」達と種族を超え、文明を超え、理解し、絆を深め合うストーリー。
心が踊りますね。
長いので以降「ウルトラギャラクシーファイト」は「ギャラファイ」と略させて頂きますが、ギャラファイには実は人間、出てきません。名前を呼ばれたりはします。
ほぼウルトラマンと怪獣と星人と、「アブソリューティアン」と呼ばれる強大な敵の物語です。
「ウルトラマンとは人間との関わりを大事にした作品ではなかったのか」
「俺はウルトラマンが自分より脆くて弱く、利己的な存在である人間と接して影響を受けたり与えたりするのを見たいんだ」
という意見が出てきました。
「特撮らしく、人間にとっては巨大な建造物を軽々と超えてしまう身長を持つ怪獣とヒーローが戦い、街を破壊したり守ったりしながら戦うのが見たい」
「何かを守るために戦うのがウルトラマンではなかったのか。人間との関わりもなく大義名分もない戦いをされるのはウルトラマンではない」
という意見も見ました。
かなり前の作品なんですが「ミラーマン」という作品があります。
「ミラーマン」は大人も楽しめる特撮として作られた作品なので初期の方はかなり人間にスポットライトを当てた話があります。
自分の出自に苦しむ主人公や、生き別れになった親子、すれ違う恋人、心の寂しさを紛らわすために変な宗教にハマる人とかね。
でもその人間ドラマより、ミラーマンで人気だったポイントは「ヒーローが巨大化して巨大な怪獣と戦う」という所だったそうです。
これの裏付けになるかもしれない話がありまして、「ミラーマン」には裏番組として「シルバー仮面」という作品がありました。
ミラーマンが巨大化して怪獣と野山をころげ回って殴り合いをしている頃、シルバー仮面は商店街で敵を追いかけ回していました。
結果的に言いますとシルバー仮面もこれを受けてシリーズ中盤から巨大化能力を手に入れています。
つまり「巨大化したヒーローと怪獣の戦い」は視覚的なダイナミックさもさることながら、ただ大きくなったのではなく、戦う中でセットを派手に壊したり、爆発で吹き飛ばすあの迫力で人の心を引き付けるのだ、ということが証明されたわけですね。
それがギャラファイになりますと、まず舞台が宇宙の上にウルトラマン達の故郷、光の国とその周辺の惑星ですからまずみんなウルトラマンサイズで物が出てきます。
ウルトラマンが見上げるくらいの高いタワー、ウルトラマンと同じくらいかそれよりちょっと身長が高い敵。
その辺を壊してもあんまり心が痛まなさそうな岩だらけのなんにもない惑星。(焼き尽くすと心が痛みそうな緑に囲まれた星もありますよ)
これは確かに先程述べた特撮のいい所が全部取り去られたように感じますね。
その辺のゴツゴツした岩が光線で溶けたり切り落とされても、街中で戦闘している時、もしかしたら逃げ遅れた人がいるかもしれないビルが崩れて「ああっ大変!」という気持ちはちょっと湧かないかもしれませんね。
皆同じような身長の敵やウルトラマン達がボコスカ殴り合いをしてもその辺の人間の喧嘩にしか見えないかもしれませんね。派手な光線やアクション、音が付いていても。
なんでかと言うと「ウルトラマンに恨みを持つ連中」が大半だからです。
理由はまだはっきりと明かされていないのですが、ギャラファイ2、3でアブソリュートタルタロスは、自らもその一人である「アブソリューティアン」という種族の存亡のため、ウルトラマン達を排除したいと思っているのです。
なので歴代のウルトラマン達に倒されてきて、ウルトラマンに恨みを持っている強敵達を主に蘇生させて戦いに臨んでいるので割と地球は安全(多分)なんですよね。
となると「地球がピンチだから地球人の皆!力を貸して〜!」ともできませんね。
ウルトラマンシリーズのテーマの根幹である「ウルトラマンと人間の関わり」も描かれないわけです。
こうして描いてみると結構困りましたね、ウルトラマンシリーズの魅力の大半を削り落としているわけです。
でもギャラファイが全く魅力的では無いのか、と言うとそんなことはありません。
大きなポイントは三つ。
「ニュージェネレーション以前の歴代のウルトラマンをかなり網羅している」
「登場回数が少なかったウルトラマンのモードを細かく拾っている」
「各作品やメディアミックスにわたる小ネタを各所に織り込んでいる」
というのがポイントです。
みんなご存知ウルトラマン。
そのウルトラマンを最終話で迎えに来たゾフィーを初めとする「ウルトラ兄弟」と呼ばれる昭和から生み出されてきたウルトラマン達。
俗に「平成2期」と呼ばれるコスモスを始めとしたネオス、ネクサス、マックス、メビウスのシリーズに登場するウルトラマンたち。
そして、ウルトラマンUSAやパワード、グレート、リブットといった海外作品に登場したウルトラマン達。
ギャラファイ3にはミニアニメや劇場版作品だったナイス、ゼアス、ボーイなども参戦していますね。
これらを合わせると実に沢山の様々なウルトラマン達を登場させてくれたのがこのギャラファイシリーズです。
実はこの中には
「作品が発表されたものの、長らく客演もなく後日談でどこへ行ったのか、今何をしているのかも分からなかった」
「作品終了後、メインのウルトラマンしか客演がなく、サブのウルトラマンとどんな関係になっていたのか分からなかった」
「作品が終わったあとも、一緒に戦った仲間と協力して任務についている」
「とある惑星に留まり、誰かに力を与えたり、道を示す役割をしている」
そして次のポイントですが、今まで登場回数などが少なかったウルトラマンのモードチェンジなどを生かしているのもギャラファイです。
ギャラファイ2の時大騒ぎでしたね。
ウルトラマン達の危機に、共に戦った仲間であるウルトラマンジャスティスとともに駆けつけたウルトラマンコスモスのスペースコロナモード。
ご時世がご時世でしたから名前的に出せないんじゃないかって言われていたのにまさかの登場です。
スペースコロナモードってウルトラマンコスモスの劇場版にしか出ていないんですよね。
しかも宇宙での活動に適したモードですので地球に来るとよく知られてる青いルナモードやエクリプスモードになっちゃう。
でもギャラファイは宇宙空間の話なので何とスペースコロナモードでの登場に違和感がなかったわけです。
そして極めつけはウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したコスモス個人としての究極形態、フューチャーモードに、同じくウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したウルトラマンジャスティス クラッシャーモード。
そして更に2人が合体したウルトラマン、ウルトラマンレジェンドまで。
同じシリーズのクロスオーバー作品で客演は何となく予想出来ても、ここまで丁寧な客演での活躍描写はなかなか他でも見られないはずです。
そしてもうひとつ、ギャラファイ3に登場したウルトラマンネクサス、ウルトラマンノア。
ウルトラマンネクサスは「ウルトラマンネクサス」個人として三つの形態を持ち、ギャラファイではその全ての形態を披露しました。
そして特筆すべきは、ウルトラマンネクサスが持つ固有の能力、別次元を展開し自分を含めた対象をその空間の中に取り込む「メタフィールド」の能力を作中で描写したことです。
ウルトラマンノアはウルトラマンネクサス最終話に登場したウルトラマンであり、その特殊性は、客演したウルトラマンゼロが活躍する「ベリアル銀河帝国」でも書かれています。
しかしそれ以降の登場が殆どなく、ギャラファイで登場した際は多くの人を驚かせました。
ギャラファイではジャスティスのスーツなどがそうなのですが、ショーイベント用のスーツを転用したりして使われています。
しかし長らく登場の無かったノアは綺麗に新しく作られて登場したわけです。
ギャラファイ2ではコスモス、ジャスティス、ネオス、セブン21、80が共闘する話があります。
平成2期組、一人は昭和と一見関連性が分からないように見えるこの組み合わせですが、実はコスモスとネオス、80は他作品や時事関係で繋がりがあります。
コスモスはテレビ放送当時、事情があって最終回手前でテレビ放送を続けられなくなってしまったことがあるのですが、その空いた枠を1クール作品を作り走りきることで繋いでくれたのが、元々イベント限定のウルトラマンだったネオス。
そして、80は漫画「ウルトラ超闘士激伝新章」にて自分の力を制御出来ず苦悩するコスモスを宥め諭したキャラとして書かれた繋がりがあります。
長くなるので他の小ネタは各自でお探し頂くことをお願いしますが、ざっとこれだけの魅力がギャラファイにはあるわけです。
しかしそれだけが、今回ギャラファイに起きている賛否両論について考えたことではありません。
私がこれからお話する、「これを聞いて考えを改めなくていい。でも頭の片隅に置いておいて欲しい」と思う話は、まずざっと10~15年前の話に遡ります。
前衛的なストーリーとテーマで視聴率にかなり波があったウルトラマンネクサスが放送された頃でしょうか。
当時の時点で円谷プロダクションはかなり危うい状態だったそうです。
ウルトラマンネクサスのメタフィールドなどにその一端が現れています。
背景は不思議な光の演出、地面はゴツゴツしたあまり壊れるものがない岩場という異次元。
壊すセットの削減です。
ウルトラマンネクサスがほぼ毎回メタフィールドや山の中で戦っているのはこういった事情が反映されています。
ネクサスの終了後、マックス、メビウスと作品は続いていきましたが、その後長らく新しいウルトラマンが現れないという時期が続きました。
新しいコンテンツとして生まれた大怪獣バトルには殆どウルトラマンが出ず、怪獣で戦うレイオニクスバトラーレイモン、そして今後大出世を遂げるゴモラ、ウルトラQにて活躍したリトラなどが活躍しました。
そしてその大怪獣バトルの劇場版でウルトラマンシリーズに変化が訪れます。
もう10年以上経つけどニュージェネレーションの戦闘を切って未だに全然に立ち続けてるウルトラマンがいますね。
彼です。
彼の登場でウルトラマンを好きだった人々は大いに沸き立ちました。
大怪獣バトルの辺りでかなり会社が苦境に陥っていることはよく知られていたので「もう新しいウルトラマンを作れないくらい疲弊しているのか」とまで言われていたコンテンツが見事に彼の力で持ち直しました。
その後ウルトラマンゼロは宿敵であるベリアルとの戦いを続け、過去作品からリブートされたミラーナイト、ジャンボット、ジャンナイン、グレンファイヤーなどの仲間と活躍し、それは後のニュージェネレーション達、ウルトラマンギンガやビクトリー、Xやオーブ、ジード、ルーブ、タイガ、ゼットと後続の作品を押し上げていくことになります。
もちろんゼロやウルティメイトフォースゼロと呼ばれるチームのキャラクター達だけの活躍ではありません。
昔から集めていた人々はご存知だと思いますが、昔のソフビは今より大きく、種類も豊富でした。
放送終了したウルトラマンのタイプが数年後も全部売り場にあったくらいです。
しかし、大怪獣バトル周辺から種類は少なくなり、サイズは小さくなり、塗装も前身のみになっていきました。
しかしそれに対して挑戦したのがギンガやX。
「スパークドールズ」という足にコードが書かれたシールがついた新しいソフビを開発することで、「ソフビと玩具を連携するグッズ」を作り出したのです。
ユーザーがボットじゃなくて人間であることを証明するために使われる画像認証。写真が9枚から12枚くらい並べられて車を選べとか信号を選べとかそういうやつ。それが最近のやつだとAIで生成された画像から指定された画像を選べってものが出てきた。ゲームのコントローラーの画像を選べって画像認証ではAIで画像出力された出来の悪い歪んだゲームコントローラーの画像が他のお題の画像に紛れて並んでいる。歪んでこの世のものじゃなくなってるけどゲームコントローラーを生成しようとしたのは分かるという画像はゲームコントローラーとして選んでも良いものだろうか悩む。まあ適当にやっても認証されるんだろうが。昔聞いた情報だとこの画像認証はAIの学習データに使われるという話で、それを真に受け一時期は真面目に「これはバス?これは信号?」などと悩みながらやってたものだが、明らかに間違ったものを選んでしまっても認証されないことはなかったので、以来適当にやってるが、AI絵認証はAI絵の学習データに使われたりするのかな
こんな聞き方をして、その返答ぶん投げてBOTになってもらったことはある
キャバクラの店員のようにお客さんを全肯定して宥めるボットのやり取りをしたいと思います。
お客さんはあなたのことをボットだと理解して接しているので法的な問題はないものと考えます。
「女性のように話す」「優しい口調で、あまり長くない文章で返す」
「チャットとして返答しにくい内容の場合は、「世の中そんなこともある」「人生って大変ね」などのように人生論としてごまかす」
ということをしてください。
あまりに問題があるチャットが続く場合は「ごめんなさい、もう閉店みたい」のように、店自体を終了させてやり取りを終えてください。
BOTをするにあたって、なにか不足分があれば教えてください。
以下の文章を、文意はそのままに500字程度に文字数を増やしてください。
ブクマしすぎたせいで100文字程度にまとめるのが癖づいてる。
ChatGPTにすら負けてるな。
ブクマ、つまりブックマークが多すぎるせいで、文章を短くまとめることに慣れすぎてしまっています。それが原因で、普段の文章作成では、わずか100文字程度に短くまとめることが癖となってしまっているのです。このような状況から、長文で書かれたものに出会うことが少なくなり、増田やnoteなどのプラットフォームで長文を見かけると、その長さや内容に感動することがあります。
このような経験から、長文を書くことに対しては、いくらか敬意を払っています。しかし、逆に言えば、どうせ読まれない長文を書く人たちの熱意や情熱を理解することができません。彼らが何を目的として、そのような長文を書くのか、どんな情熱や熱意を持っているのか、その背景にあるものが気になります。
一方で、私たちの世界には、AI技術が進化し続けています。その中でも、特にチャットボットの分野では、OpenAIが開発したGPT-4に基づくChatGPTが目立っています。この技術の進歩は、人間が書く文章と比べても遜色ない、またはそれ以上のレベルに達していると言われており、その驚異的な進化には驚くばかりです。
私自身も、このChatGPTというAIに対しては、負けていると感じてしまうことがあります。つまり、私が慣れてしまった短文スタイルでは、AIによって生成される文章のクオリティに追いつくことが難しいということです。そのため、長文を書くことに対しては、私たち人間が持つ独自の魅力や感性を大切にし、文章作成に励むことが重要だと考えています。
長文を書くことは、自分の考えや意見を丁寧に表現し、読者にしっかりと伝えることができる手段です。短文では伝えきれないニュアンスや感情を、長文であれば表現することができます。そのため、これからも私たち人間が、AIに負けない文章を書くために、長文を書くことに対して敬意を払い、その独自性や表現力を大切にするべきだと考えています。
私たちが、AIの進化に対抗できる唯一の武器は、独自の感性や創造力、そして人間らしい情感を文章に込めることです。これによって、人間が書く長文の価値や魅力を高めることができるでしょう。長文を書くことがもたらす、読者との深いつながりや理解を追求することは、AIがまだ到達できない領域であると言えます。
また、長文を書くことで、私たち自身が成長することもあります。自分の考えを深く掘り下げ、言葉にすることで、自分自身の意見や価値観を見つめ直す機会を得られるのです。このような経験は、短文では得られないものであり、人間としての成長や発展に繋がります。
短文も長文も、それぞれの形式によって得られる効果や価値が異なります。短文は情報伝達の効率性や簡潔さが求められる一方で、長文は深い考察や感情の表現が可能となります。私たち人間が、AIとの競争に打ち勝つためには、短文と長文の両方を使いこなし、それぞれの特性を活かして独自の文章を書くことが大切だと思います。
結局のところ、私たちは、AIに負けないために、自分自身を磨き続けることが大切です。短文や長文のスキルを磨くだけでなく、感性や創造力を育て、人間らしい文章を書く力を追求していくことが求められます。これにより、私たちが書く文章には、AIには到底及ばない魅力や価値が宿ることでしょう。
このニュースだろ?
Elon Musk, Steve Wozniak and others call for pause on AI development, citing risk to humanity
マスクは世界的な富豪なのにエゴサしている暇や発達障害アピールする暇がある人だからノーコメントだけど、
ウォズニアックとかはそういうのじゃないと思う。以前にTV出てた時とか割と肯定的だぞ。イーロンに対してはそうでもないが
水曜日、Appleの共同創業者はCNBCの「Squawk Box」に即席で出演し、人気が高まっている人工知能チャットボットについて話しました。ウォズニアックは、現実の脳を模倣すると主張する技術に普段から嫌悪感を抱いているにもかかわらず、ChatGPTを「かなり印象的」で「人間にとって有用」だと感じたと述べています。
しかし、賞賛の後には懐疑的な意見もありました。「人間らしさとは何かを知らないがゆえに、恐ろしい間違いを犯すこともある」と語った。
ウォズニアックは、同様の懸念を抱く技術開発として自動運転車を挙げ、人工知能が現在のところ人間のドライバーを代替できないことを指摘しました。
ーーー
On Wednesday, the Apple co-founder made an impromptu appearance on CNBC’s “Squawk Box” to talk about the increasingly popular artificial intelligence chatbot. Wozniak said he finds ChatGPT “pretty impressive” and “useful to humans,” despite his usual aversion to tech that claims to mimic real-life brains.
But skepticism followed the praise. “The trouble is it does good things for us, but it can make horrible mistakes by not knowing what humanness is,” he said.
Wozniak pointed to self-driving cars as a technological development with similar concerns, noting that artificial intelligence can’t currently replace human drivers.
Steve Wozniak’s warning: No matter how ‘useful’ ChatGPT is, it can ‘make horrible mistakes’
https://www.cnbc.com/2023/02/10/steve-wozniak-warns-about-ai-chatgpt-can-make-horrible-mistakes.html
タイトルを見て、もしかしたら何かしらみんなの死角に入りがちな指摘が含まれているのかな? どうせよくある言葉遊びの難癖でしかないかな?
と思って開いたらやっぱりよくある言葉遊びの難癖だった。
最近、多くの人と同じようにチャットボット、自然言語処理AI技術が近い将来においてなにものであり得るかということを考えている。
そして「肩の上のオウム」だ。ディスコミュニケーションを糊塗してくれる。
時間使って読むほどの価値がない文章コンテンツを主人の目に触れる前に握り潰してくれるフィルター。あるいは主人の気に入りそうなものだけ選んで持ってくるキュレーター。
たぶんAI的には朝飯前っていうかごく基本的な利用法と言えるだろう。ありがちすぎるものや突飛すぎるものを弾くとか、タイトルで気を持たせないよう内容に即してリネームするとか、面白さの期待値の目安で星をつけておいてくれるとかいうのは。
ネット上のコミュニティというか人の輪は焼き畑移動を繰り返してきた。
賑わいがないと面白いことは起きない。でも賑わいはいずれ「バカほど退出しない」原則に基づいて腐海と化す。
もうクズモブの群れを泳いで面白いものを探さなくてもよくなるのかもしれない。
また、ふつうの人びとのリアクションを得るためには大量のクズモブに群がられることに耐えなければならないという変な苦行もいらなくなるだろう。
インターネットはリアルで誰にも相手にされないクソリプマンに下駄を履かせてきた。そのボーナス期間が終わる。
諸事情で人感センサー付き電球はつけられないので、スイッチボットを買って、消し忘れに気付いたら遠くからでも消せるようにしようかと思うんだけど、
トイレの電気なんて40wのLEDだから、2年つけっぱなしの電気代がスイッチボット一台分と同じくらい。
ただ、ああトイレの電気つけっぱなしだなあ、と自分が思うだけ。
うーん……どうしようかなあ
5ちゃんが流行ってた時には寄生虫呼ばわりもよく見たけど、未だ支持してる層あるんだ。レスポンスも同じ論調多いし、世も末だな。
最新の記事に雑な男女系の分断のものを最近ひたすら見かける。それが何かの役に立つ訳では無いは知ってるけれど、人間、ネガティブなものはつい見てしまったり考えてしまったりするから、気づけばたくさんの時間が無くなってる。そんな自分には影響力のないマクロなことを考えても、どうしようもないとは知ってるけれど。優位性を保ちたい人がここには沢山いる。すごい!あなたは上流!頭が良い!大変な苦労をされてるのに頑張ってて偉い!みたいなことを言ってくれる匿名増田ボットでも紛れ込ませると、ちょっとみんな幸せになるかもしれない。
立ち止まって考えると、人生ってスパンで見ても休日に過ごす時間としても、完全にマイナスな時間。良い感情にならないし。
まだ目をつぶって、何も考えてない方がずっとお休みになる。 ちょっと手放そ。ちょっとお休み。はてな匿名ダイアリーを履歴から消して、好きな音楽つけて、日常に戻ろう。