はてなキーワード: ブロガーとは
もう、老人会くらいの人か覚えてないと思うけど、昔dankogaiという人がいたんですよ。
perlのハッカーでね、Encode.pm作ったりして貢献されていたんですよ。
すごく本を読むのが早くて、頭がいいもんで、書評をブログを書いていたんですよ。結果、最初の有名ブロガー(アルファブロガー)になったんですよ。
当然perlのハッカーだからperlのソースを書かれてたんですけど、読みづらくてねぇ。perl = 読みづらいを加速させてくれたんじゃないかと思いますよ。
(ex. http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50502585.html)
人気ブログだったので本とかも出されてね、2000年代のインターネットの重要人物だったんですよ。
それから、4、5年くらい前かなぁ?Twitterの波がグワーって来た頃から更新が減りましてTwitterにすっかり移っちゃったんですな。
さっきみたら去年の7月の更新が最後だったんですな。内容を見たらVALUのリードエンジニアになったとの記事ですね。
サイト行って確認するまでなんのサービスだったかも忘れていました。
まぁ、そんなdankogaiさんなんですけどね、最近はおなじアルファブロガーの池田ノビー先生同様、信者商売をされているようでしてニコニコ動画で自分のチャンネルをやっておられるようです。
さて、そんなdanさんなんですが、結構政権批判ツイートをいいねしておりまして、別に個人の思想なんて自由だとは思うのですが、「dan kogaiさんはこのツイートをいいねしました」で入ってくるもんで、へぇそうなんだと思い、増田らせていただきました。
もう2018年なんですなぁ。
大手報道7社の申し入れによりNAVERまとめからマスコミ記事のリンクが一斉に消えた。転載された報道写真や文章が消えたまではいいが、記事のリンクまでも一斉に消えた。NAVERまとめに報道7社の記事URLを載せることもできなくなった。
まあ、海賊版リーチサイトが問題視される中で、ハイパーリンクは自由だ!なんて理想論を大手を振って語ることはできないのだが、非常に残念。
これだと次は5ch系の掲示板ニュースサイトやFacebookやTwitterなんかのSNS、社会派ブログのニュース転載やURL掲載なんかも、プラットフォームが中心になって削除していくことになるんだろう。
最近のマスコミ系ニュースサイトは、記事を転載させないことに熱心だ。これは著作権侵害という話の他にも、転載サイトに利益を横取りさせないため、や、忘れられる権利の問題とか、いろいろ理由はあるだろうが、今は、アーカイブサイトに保存させないようにサイト側でブロックしたりもしていて、これはWebアーカイブを多用している自分としては、かなりムカつく。読売新聞なんかは、さらにはてなブックマークで過去記事を検索できないようにもしているのだから、よっぽど過去記事を掘られることがマスコミは嫌なんだなぁと思う次第。
マスコミ側としては、そんなに過去記事が読みたければ、図書館行くか、デジタル有料会員になれ、と言いたいのだろうが、デジタルで読める過去記事は校生が終わった最終版の記事だけでしょう? Web版の記事は、初報の内容と、初報から数十分後の報道の内容とで、内容が変わっていることがよくある。ちょっとした修正や加筆のみならず、初報がかなりの誤報で、ごっそり内容が入れ替わっていることもある。さらに記事タイトル、見出しはよく改変される。しかし、マスコミのデジタルアーカイブに、こういった修正、訂正、加筆の経過が全て保存されているわけではない。
流れの早いネットの動きを後から調べる時、いつどんなタイミングでどんな内容が報じられていたかは重要で、それは訂正前の生の記事配信の動きを追わなければ、理解は不可能。そんな時、Webアーカイブに保存された記事が非常に役立つことになるのだが、最近の著作権にうるさい方々は、このWebアーカイブを非常に目の敵にしている。マスコミだけでなく、単なるブロガーからも「Webアーカイブから消したい」という意見を聞く。自分らで歴史を作っているという認識はないのか…
生ハゲ子を見てきた
もう少しメディアごとの重みがーとか、広がる範囲と弱火、強火と言っていたが
縦軸と横軸をはっきりさせて例えば発生から日数毎に何日目に何PVのように
今日までの統計でなくもう少し解析的に突っ込んだ話が聞きたかったかな
仮説立てて評価式作ってみたいな理系のゼミみたいなのを勝手に想像して行ったら違った
hagex読者なら言わんでもわかるだろってのと、仮にも勉強会なんだからその場で調べるなりしろよと
今回は時間的に厳しいがもう少しこまめに質問タイムがあってもいいかもしれない
逆に対話形式も面白そうなのでそういうのは少人数で飲み会(スタンプ特典)とか
業界裏話的な方が盛り上がってた
時間と場所の関係で参加者はほとんどhagex大ファンですみたいなキラキラ女子とサブカルクソ女って感じだったので
『異端審問』?
なんだ、そりゃ。
俺には馴染みのない言葉だったけど、それを聞いていた信者たちは色めきだった。
「まさか、このご時世に、こんな所で拝めるなんて!」
みんな、その場から離れるのをやめて、再び渦中に集まってくる。
俺はイマイチついていけてないけど、みんなの興奮ぶりを見ていると、ただごとじゃないのは肌で感じる。
気になって、タイナイとカジマに尋ねた。
「ねえ、異端審問って何?」
「オイラも詳しくは知らないっすけど、要は宗教をテーマにした裁判って感じ」
「その目的は様々だけど、今回の場合だと免罪符を売っていたあの人を、生活教の人間ではないって証明するための裁判ってところだろうね」
なるほど、話が見えてきたぞ。
ニセ教祖のやっていたことは、そもそも生活教とは何ら関係のないことだと、その裁判で断定したいわけだ。
信者たち目線では、単なる内輪モメが“異端審問”なんていう物珍しさによって、ちょっとしたエンターテイメントっぽく見えるようになる。
教祖にそんなつもりはなかったのだろうけど、結果として名誉挽回と信者の確保を両立する、ベターな回答を出したわけだ。
もちろん、信者たちにとってはどう結果が転ぼうと、構わない。
ただ、なんとなく刹那的に盛り上がればいい。
こういうのって、あらかじめ予約しておかないと借りられない気がするんだけど。
当日に都合がつくなんて、変な力が働いてないか。
裁判所みたく厳かな雰囲気もなく、みんなが同じパイプ椅子に座っている。
まるで、大人の学級会だ。
「本日、昼ごろ。免罪符を売る、生活教徒が出没。ですが、この者が、生活教を騙る人間ではないかという指摘が入ります」
自治体は中立的な裁判官、および“執行者”として参加していた。
俺たちや当事者はともかく、自治体は余計な仕事を増やされてるから、とばっちりだ。
「生活教、教祖。彼が生活教徒ではないことを証明するものはありますか」
証明するものっつたって、信者の多くが自己申告で成立しているような、ユルい宗教だぞ。
当人が生活教徒だと宣言した時点で、水掛け論にしかならない気がするけど。
「生活教の基本教義が書かれた聖書、『ワーク・ライフ・バランス』の3ページ目をご覧ください」
そんなの、いつの間に作ってたんだ。
「あー、そういえば、そんなのいつも配ってた気がするっす」
「流し読みした限りでは、底辺ブロガーの自己啓発みたいな感じだったから、マジメに読む気が起きなかったんだよね」
この日のためにでっちあげたとかいうわけでもなく、当初から一応あったらしい。
「本質的な意味や目的が同じであれば、一つの体系にこだわらなくてもいい。むしろ拘ることこそ、視野を狭くする要因になる」
宗教という体系から生活の意義を教えたくて、立ち上げたらしい。
だけど、周りには「ただのウザい奴」だと思われている。
生活教に入信していることを自称する人間たちも、9割は面白半分でやっているだけだ。
なぜなら俺たちの町では……いや、現代社会において宗教は時代錯誤だから。
長い歴史によって文化として根付いたケースもあるけど、その隙間を新興宗教が入り込む余地は全くない。
科学で大体のことは説明できるし、俺たちはそれを深く理解していなくても生きていける。
おんぶに抱っこだと、たまにエセ科学に引っかかることはあるけど、それは別に科学が悪いわけじゃない。
体系にそういった“ノイズ”が入り込んだり、未熟な人間が邪魔をするのは他のことにも言える話だしね。
「さあ、皆さん。生活をより良くするためには、何が必要だと思いますか?」
「健康ですか」
「正解です。より厳密に言えば、この“健康”とは身体と精神の両方を指しています。まず身体に必要なものは何でしょう?」
「野菜とか、ですか」
「そうですね、野菜。身体に良いとされているもの全般。ですが、それだけでは足りないですよね」
教祖は、相も変わらず二流ブロガーのライフハックみたいなことを説いていた。
信者たちも面白半分で付き合っているのに、良くあんなの笑わないでいられるな。
「さあ皆さん一緒に、目を瞑って。森羅万象に宿る精霊と魂で共鳴し……おっと、呼吸をすることを忘れないで。愚か者は呼吸することを忘れます」
けど、これに真面目に付き合う人は誰もいなかった。
信者の間では、教祖がこれで目を瞑ったら一斉にその場を離れる、という遊びが密かに流行っていたからだ。
ガキの俺が言うのもなんだけど、ガキくさい遊びだ。
まあ、大真面目に付き合ったなら、それはそれでどうかって気もするけど。
「花の精霊が、皆さんの目や鼻、口から入り込むのが感じるでしょう……」
恐らく気づいているだろうに、それでもやり続ける教祖も大概だよな。
「……さて、今日の布教活動はこんなところですかね。あまり悪目立ちすると通報されかねないですし。私個人のせいで、生活教に泥を塗ってしまっていけない」
教祖は、いそいそと退散を始めた。
この教祖が世間では「ちょっとウザい奴」で済んでいるのは、こんな風に謙虚なところもあったからだ。
大仰に場所を占有したりだとか、商売紛いなことをしているわけでもない。
普段は地域のイベントに精力的に協力したり、善良な市民であることをアピールしているのも効いている。
ただ街中で声高に叫ぶ、ストリートミュージシャンみたいにしか思われていないってことなんだろう。
教祖的には不服だろうけど、これが生活教の、俺たちの街での日常だ。
……だけど、その日は違った。
「え? 自治体って……どこのです?」
「ここら辺の自治体です」
「いや、『ここら辺』と言われても、たくさんありますし……」
教祖は警戒している。
なにせ、この町には自治体が多い。
中にはヤクザに片足突っ込んだようなのまでいる。
「我々のことはいいんです。こちらの質問に答えていただきたい。生活教が最近、“寄付”という名目で商売紛いのことをやっていると連絡を受けましてね」
「ええ!?」
おおっと、いつかはやると思っていたが、とうとう馬脚を現したか新興宗教。
ナオキイシイの出産クラファンが話題になった時、俺は何にも思わなかった。
『自分の顔をネットに出して、一生懸命やりますみたいな文章をいっぱい書いて、ここまで身を削ってやるなんて凄いな!面白い人がいるな~』みたいな感じに思ってた。
だから批判意見が噴出しまくった時も『詐欺や犯罪じゃないんだから支援する人の勝手じゃん。批判している人達はお金を取られた訳でもないのになぜ必死なのだろう』なんて思ってた。
ただし俺はあくまでもクラファンを眺めていた一個人で、ナオキイシイに金を出した訳でもない。話に入る権利のないただの傍観者。
『海外旅行中なんだけど、行きの飛行機乗り遅れてチケットキャンセルしたら帰りのチケット代を余計に払わないといけなくなった!お金ピンチだからpolcaで助けて!』
騒動の中身は出産クラファンと同じような感じなんだけど、俺の場合ここではナオキイシイの時のような『誰も騙してないし悪いことをした訳でもないんだからえーやん!』みたいな気持ちにはならなかった。
なんとなくモヤモヤ感があってムカついた。
今回も俺はただの傍観者で、リプライした訳でもないし、ツイッター眺めてたいただけだから何もしていない。
では俺の中でナオキイシイとやぎぺーで、何が違ったのか、ということを考えてみたところ、それは『嫉妬』なのかなと思った。
ナオキイシイは金のないダメ大学生で、ツイッターやブログの様子を見る限りでは俺が見下せそうな存在だと認識→嫉妬しない存在→だから何にも気にならない→寛容になる。
一方やぎぺーは高学歴で信者もたくさん抱えてて会社を起こして自立しているなどの点から俺が嫉妬する対象と認識→そいつらがさらに儲けたり幸せになったらムカつく→寛容にならない。
ナオキイシイの出産クラファン騒動を眺めていた時の俺はリベラルで公平性を持ち、倫理的にも論理的にも物が見られるプチ賢者を気取っていたが、やぎぺーに嫉妬している自身を俯瞰してみるとこんな小さな嫉妬で、思想は簡単に変わってしまうんだなーって思った。
俺みたいなペラペラな賢者気取りは結構多いのではないだろうか。
皆色々言うが結局は多くの場合自分と相手の上下関係に縛られてるだけなのかな、って思った。
スマホによってネットがより一層普及し、とうとう小学生から80代の年寄りまでスマホからwebにアクセスするようになった。
それによって、より多くの弱者が強者の実態を知ることができるようになった。そこから起こる嫉妬や不満が原因となって日本でも弱者と強者が対立関係になったりしてね。
マルクス(なんてハンドルだ)に寄せられた批判が「揚げ足取り」だと思うならマルクスと同レベルの馬鹿だから自覚をしてくれ。
広く伝わる表現を選ぶ以外にどうやって影響を広げていくんだ?
こつこつと働いて周囲の人を思いやって自分の人生を楽しくして生きていってくれ。
「彼女の話を聞いてぼくちんショック!」なんてくだらねえことを何故世間に広く伝えなきゃならんの?
自分たちにできることはないのか?
ねえよ
素人のやることはすべて余計なことか?
余計だよ
ゴミを撒き散らしてる自覚ぐらいは持ってくれよ。馬鹿って口開くだけで迷惑なんだから。
そしてマルクスはゴミみたいなアウトプットがやけに広まったので
そこで泣きを入れるなら口を閉じてろよ。
自分の声を無思慮に世間に広めたいけど発言内容をチェックされたり批判されたりしたくありましぇーーーんてか?
そんな都合のいい世間はどこにもねえよ。
お前やマルクスみたいな馬鹿じゃなくても自分の発言には責任を持たされてるんだ。みんなそうだ。
なんのための働きかけ?
雑音出してるだけじゃねーか
馬鹿は手元の仕事をコツコツやって周りの人に注意を持って優しくしろ
そうすりゃ周囲はそれなりにお前のことを認めてくれるし幸せに生きられる
身の丈を忘れて御政道談義なんかしようとするんじゃない
馬鹿が部屋に入って来て何か有意義な仕事してるような顔でゴミまいて遊んでるから
「お前のやってることはクソなので部屋をこれ以上汚さないように」って説明されただけだろう。
こういう不寛容で人の行動の意志を摘むようなスタンスが称賛されるのはこわい。まずい部分があったら都度修正しながら進めていけばいいじゃん。
お前が言ってるのは「この不潔な残飯を直しながらチャーハンを作ればいいじゃん」みたいな話だ
実際にはその残飯はなんの役にも立たない
この場合は残飯を捨ててキッチンを掃除するのが必要な仕事であって
http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2018/04/01/201456
そも元ツイは気持ち悪いと思ってたんで同意しようと思ってたんだが意外ともにょった
信用に足る発信の仕方をしないとまずいってことはわかる
そのためには勉強しないとってこともわかるんだけど
あまりにツイ主の失敗や未熟さを許さずこき下ろす姿勢に辟易してしまった
揚げ足取られないように論理武装しないと駄目か?広く伝わる表現を選ぶ以外にどうやって影響を広げていくんだ?ちゃんと勉強するまでは発言は控えないといけないのか?それはどの程度あれば十分なんだ?結局専門家とインフルエンサーと戦略屋が組んで出てくるのを待つだけか?それはいつになるんだ
自分たちにできることはないのか?素人のやることはすべて余計なことか?つーかどんなジャンルでも大多数は素人だろうに、そいつらの発言を萎縮させていいのか
その当事者意識ゼロのスタンスで、いままでいったい何を改善してこれたんだ
「あいつはクソ」ってどれだけ丁寧に書くのが上手でも、結局キャッチボールにならない石の投げ合いに過ぎないじゃないか
こういう不寛容で人の行動の意志を摘むようなスタンスが称賛されるのはこわい。まずい部分があったら都度修正しながら進めていけばいいじゃん。
アフィリエイトブロガー(ブロガーといっていいのか悩むが)がたまに「よろしくお願いします!」みたいな挨拶をブクマでしにくるけど「うちはそういうブログじゃないんです」ってはっきり言ったほうがいいのかな。だってブログの中身に興味を持って来てくれた人と違ってアフィリエイト目当ての人って無差別にブクマつけてるだけだもん。うちのブログの中身なんて全く興味なくてただ自身のサイトのアクセスアップのためだけにうちを利用しようって人でしょ? まあ放置しとけば数日で来なくなるんだけど、中身なんて全く興味がないのに金儲けのためにすり寄ってきて金にならないと判断したらすぐ去ってしまうド失礼さに今日も遭遇して気分は悪い。
まともな起業家なら、取引先に企業が入っていたり協力会社があったりするはずで、会社やサラリーマンを自分と比べて貶める必然性も理由もないだろうから、酔っ払って機嫌が良くなってる炎上ブロガー系なんだろうなぁ。
ある弱小アフィブロガーが、「炎上上等」というタイトルで持論を展開する記事を書いているのを見た。
タイトルに「炎上上等」と付けているが、記事の中で書かれている持論は相当に日和っている上に具体性の無い物だった。
タイトルに「炎上上等」と付ける事で記事の読者を増やしたかったのだろう。
最近、このブロガーに限らずだが、"炎上"という物を勘違いしている人が時々見受けられる。
「炎上すれば注目を浴びる→注目を浴びれば宣伝になる」と、意図的に炎上を起こそうとしている人も居る。
だが、「"炎上"とはそういう物ではないんじゃないか?」と思ったので今回記事にした。
ここからは私的見解となるが、私はこれまで様々な炎上を見て来て、炎上には共通して必要な物が有ると感じる。
少し前の話だが、こんな出来事が有った。
著作(ライトノベル)のカバーイラストがポルノ認定され広告を禁止された件についてTwitter日本支社に行ってきた話 - Togetter
あるライトノベルの作者がプロモーション...つまり、宣伝のためにTwitterに広告料を支払っていたのだが、
宣伝ツイートの内容が不適切であると判断され、広告から除外されたという物だ。
これについて、この作者はTwitterの日本支社に異議を申し立てに行った。
そして、この異議申し立てに行った事が話題となった。
こういうのこそ正しく「炎上」だろう。
では、炎上には何が必要なのか、それをこの件を例に示してみよう。
第一に、「多数の人間が共通して憤る対象となる存在」が必要だ。この案件で言えば「Twitter社」がそれになる。
次に、その憤る対象に対して実際に異議申し立てや抗議を行いに行く存在。異議申し立てや抗議に行く存在がいる事で、
その出来事が現実に起こっている事なのだという「リアルさ」が見ている側に増す。
そして、「リアルさ」が増す事により見ている人達に「一体感」が生まれる。
後は、実際に異議申し立てや抗議に行っている様子を実況ツイートする等で生で見ている感じ、つまり「ライブ感」を皆に与えれば良い。
炎上は起こそうと思って起こせる物ではない。
炎上を起こすには「多数の人間が共通して憤る対象」と「その対象の存在が現実の物であるというリアルさ」
「リアルな物を見ているという一体感」と「それが現在進行形で起こっているライブ感」を見る側に与えなければならない。
机の上やパソコンの前に座って文字を打っているだけでは炎上は起こせないものなのだという事を、その弱小アフィブロガーには学んで欲しい物だと思った。