2018-04-10

ナオキシイにはムカつかなかったけどやぎぺーにはムカついた理由

ナオキシイ出産ラファンが話題になった時、俺は何にも思わなかった。

しろ出産ラファンには好意的意見を持っていたぐらいだ。

自分の顔をネットに出して、一生懸命やりますみたいな文章をいっぱい書いて、ここまで身を削ってやるなんて凄いな!面白い人がいるな~』みたいな感じに思ってた。

から批判意見が噴出しまくった時も『詐欺犯罪じゃないんだから支援する人の勝手じゃん。批判している人達お金を取られた訳でもないのになぜ必死なのだろう』なんて思ってた。

ただし俺はあくまでもクラファンを眺めていた一個人で、ナオキシイに金を出した訳でもない。話に入る権利のないただの傍観者

ところで、先週ネットの有名ブロガーやぎぺーが

海外旅行中なんだけど、行きの飛行機乗り遅れてチケットキャンセルしたら帰りのチケット代を余計に払わないといけなくなった!お金ピンチからpolcaで助けて!』

と、言う行動がありネットで少し話題になった。

騒動の中身は出産ラファンと同じような感じなんだけど、俺の場合ここではナオキシイの時のような『誰も騙してないし悪いことをした訳でもないんだからえーやん!』みたいな気持ちにはならなかった。

なんとなくモヤモヤ感があってムカついた。

今回も俺はただの傍観者で、リプライした訳でもないし、ツイッター眺めてたいただけだから何もしていない。

では俺の中でナオキシイとやぎぺーで、何が違ったのか、ということを考えてみたところ、それは『嫉妬』なのかなと思った。

ナオキシイは金のないダメ大学生で、ツイッターブログの様子を見る限りでは俺が見下せそうな存在だと認識嫉妬しない存在→だから何にも気にならない→寛容になる。

一方やぎぺーは高学歴信者もたくさん抱えてて会社を起こして自立しているなどの点から俺が嫉妬する対象認識そいつらがさらに儲けたり幸せになったらムカつく→寛容にならない。

ナオキシイ出産ラファン騒動を眺めていた時の俺はリベラル公平性を持ち、倫理的にも論理的にも物が見られるプチ賢者を気取っていたが、やぎぺーに嫉妬している自身俯瞰してみるとこんな小さな嫉妬で、思想簡単に変わってしまうんだなーって思った。

俺みたいなペラペラ賢者気取りは結構多いのではないだろうか。

皆色々言うが結局は多くの場合自分相手上下関係に縛られてるだけなのかな、って思った。

スマホによってネットがより一層普及し、とうとう小学生から80代の年寄りまでスマホからwebアクセスするようになった。

それによって、より多くの弱者強者実態を知ることができるようになった。そこから起こる嫉妬や不満が原因となって日本でも弱者強者対立関係になったりしてね。

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