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はてなキーワード: もんじゃ焼きとは

2021-07-10

もんじゃ焼き食べたことある増田いる?

もんじゃ焼きって食べ物に馴染みがなく食べたことないので、

あれはどう見てもゲロしか見えず、

しかも半生の状態コテですくって食べるみたいなんだけど、

もんじゃ焼きって美味しい食べ物なの?

未知すぎて見てくれがアレすぎて近寄りがたい。

もんじゃ美味しいよ!って話もそもそもいたことない

にもかかわらず、もんじゃ焼き専門店というのも不思議な話だけど。

とにかくもんじゃ焼きっていう食べ物は謎だらけなんだな。

2021-06-11

ワクチン1回目摂取しました(追記@7時間後)

私は高齢者でも医療関係者でもなく,優先接種の対象でもない,ただのおっさんです.なのでワクチン接種は,今のペースだと,よくて8月以降だろうなーと思ってました.ところがどっこい,私の街(人口100万人)で,高齢者枠の予約に空きがあるからってことで,予約していいよってことになりました.その後に計画されている,大企業枠の前倒しみたいな感じでした.その通知を受けたのが2日前,で今日ワクチン摂取してきました.早!

予約:

来場~摂取まで:

  • 摂取会場に5分ほど早く到着しましたが,待たずに入れました.
  • よくあるアルコール消毒,非接触検温を経て入場.
  • 受付,確認,問診など,3,4箇所のチェックポイントを経て摂取へ.
  • ぷちゅ~ーーーん...
  • 接種後,15分,待機場所にて待機するように指示されます.待機場所には椅子が間隔を空けて置いてあって,気分が悪くなった人はスタッフに申し出る感じです.
  • いくつか待機部屋があり,私のいた部屋には30~40人ほどいたようですが,気分が悪くなってる感じの人はいませんでした.
  • 15分待機し,次の確認をして,はいさようなら
  • 計30分弱.待機時間も考えると,超早いね

接種後の注意:

  • 風呂入ってもいいよ,でも注射痕をゴシゴシしないでね,激しい運動は控えてね,って言われました.
  • じゃあセックスはどうなの?と聞こうかと思ったけど,する相手がいないからやめておきました.激しくないやつならいいんじゃないですかー(適当).

接種後の容態変化:

  • 直後~7分後:何ともなし.
  • 7分後~:あれ,ちょっと認知に影響出てきたかな,という感じがし始めました(詳細は↓).
  • このときはまだ待機場にいて,PCプログラム書いていました.
  • これ以降,その後もしばらく,同じような状態が続きます
  • ちなみに,電車に乗って帰り,自宅でリモートワークしてました.

接種7分後以降の容態:

その他,全般的に思ったこと:

それでは皆様,ごきげんよう

追記@7時間

接種後,7時間立ちました.

2021-04-14

anond:20150710105945

地方を取り上げる際にはその地方しかないものを映さなければならない、という考えが東京中心主義のものなんだよね

だって東京を取り上げる際には高層ビル群や日本都市だったらどこにでもある普通の町並みを避けて浅草雷門皇居前、もんじゃ焼きしかさないなんてことは行われていないわけでね

2021-02-09

鉄板のお店に増田行くよ食い出す魔に蝉オノンパって(回文

おはようございます

コミックの涼しくなるかバカ野郎シリーズ第6巻まで読みました。

あのさ、

電車に乗ってたら、

とある村の鬼祭りポスターが貼られてたわけ。

ポスター写真には田舎の仏間で親戚達が集まった集合写真みたいなのが使われていて、

それぞれ服装普段着なんだけど、

メイクやってるの。

みんなおじさん達鬼メイク盛んにやってて、

あなるほどね鬼祭りってこういうのねって

ほのぼの系の村祭りだと思ってたけど、

ふと気付いたのよ。

そこに一人だけ女性の人が写っているんだけど、

その人だけは素顔で、

素顔でも鬼!ってちょっと意味が分かるとゾワワってなったわ。

きっとチワワもゾワワってなるレヴェルよ。

素顔のままでも鬼って怖いわ。

まあそんな地域のほのぼの鬼祭りポスターの話はいいんだけど

本当に商店街20時にもならないうちに

飲食店は閉店でしょ?

マリアントワネットさんが今のこのご時世にいたら、

居酒屋で飲めなかったら、朝居酒屋で飲めばいいじゃない!って

ぜんぜん庶民のこと分かってなーい!って言いそうだけど

考えようによっちゃー、

朝飲みも休日を流すって意味ではありっちゃーありよね。

そっか!

から居酒屋開けてもらえばいいじゃん!って

よその酒場も朝からやってくれれば万事解決なのよ。

でもふと思ったけど、

24時間営業している

居酒屋ってそう言えば今のこのご時世どういった営業時間体系なのかしら?

夜はお酒提供時館ここまで!って言うのがあるけど、

はいからOK!ってお達しはないわよね。

今度ちょっと24時間営業してる居酒屋の前を通ったら調べてみるわね。

本当に近所のお好み焼き屋さんが閉まっていて

時短じゃなくて、

もうガチ休業してるから

久しく私はお好み焼きにありつけてないのよ。

話し変わるけど、

もんじゃ焼きって食べ方分からないんだけど、

あれって焼いて固まるまで待ってたらいいの?

半熟みたいな時でもヘラで救って食べていいの?

世の中にはまだまだ食べ方の知らない食べ物たくさんあるものねって

そう感心しちゃうけど

やっぱり鉄板系の焼く食べ物って

ホットプレートで焼くより

お店の分厚い熱い鉄板で焼いて食べるから美味しいのよね。

もうあれ自体鉄板というか間違いないというか。

鉄板のお店教えてよーって尋ねられたら、

私はその鉄板のお店を紹介するわ。

なかなかご家庭では出せない味の鉄板だしさ、

やっぱり鉄板の厚さなだってー。

大将も言ってたわ。

で久しぶりにちょっとだけ昼前によって

お好み焼き食べようと思ったの。

案の定鉄板を求めるお客さまでテーブルはいっぱいだったので

大将は私にカウンターへどうぞって言われたんだけど、

大将ちゃん椅子に座ってください!って怒られちゃったわ

大将カウンターへどうぞって言うもんだから

カウンターに座っちゃったじゃない!

お尻が鉄板でアチチよ!

そんな久しぶりに行った鉄板屋さんで大はしゃぎするぐらい、

みんな飲みストレス溜まってんじゃないの?って心配するけど、

くれぐれも飲み過ぎには注意よ。

あと鉄板には直接座っちゃダメよ!

あんまり張り切りすぎるのもまったくよね。

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドよ!

久しぶりに殿堂入りした私のお気に入りタマサンド

これもきっと鉄板で焼いて焦げ目をこんがりキツネ色にまで焼いたら

さぞ美味しいんだろうなぁ~って思うけど、

キツネ色の発祥は、

実際に狐さんを焼いて食べたというエピソードからと言う狸さんは僕じゃなくてよかったーって救われたイソップ童話かららしいわよ。

知らなかったわー。

まあそんなタマサンド焼かなかったけど、

今度プレートで焼いてみられたら焼いてみたいわね。

デトックスウォーター

ホッツ白湯ウォーラーインソルティープラムよ。

シャレオツに聞こえる梅干し白湯よ。

ものの言い方によっちゃー横になるから言い換え面白いわね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2020-11-29

anond:20201129104135

お好み焼きがうまくできなくて菜箸でぐじゃぐじゃにすればもんじゃ焼きなんだよ

失敗ではないのである

2020-07-08

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.食べちゃダメものを食べたい時どうすればいいですか。

それを別のものとして扱えばよい。

例えばウサギの肉を食いたければ“一羽”と数えて「これは鶏肉からセーフ」といって切り抜けよ。

或いは、その責任所在をうやむやにするのだ。

相手ウミガメのスープを出してきたら気にせず食べて、後で「あのスープにそんなものが入っているなんて知らなかった」と取り繕えばいい。

そして「私がそれを食べてはダメなことを料理人は知らなかった。誰も悪くない」とフォローしておけば完璧だ。

この二つは様々なことに応用可能なので、君がベジタリアンだったとしても血となり肉となってくれるだろう。

Q.大した額でもないレジ有料化について、なぜ不満の声がここまで多いのですか。

レジ袋を無料享受していた人間が多くいたからだ。

これはタバコや酒の税金が高いことと原理的には同じである

タバコや酒なんてない方がいい、だけどそれを必要としている人間は多くいる。

無理やり取り上げたら何らかの支障が出るが、かといって歯止めをかけないと医療費バカにならない。

そこで国は二つの選択を彼らに迫るわけだ。

「余分に金を払う」か、「これを期にすっぱりやめる」か。

しかし、それを今まで当たり前のように享受していた者からすれば“その二択を迫ってくること自体”が煩わしいのだ。

レジ袋の有料化が不満なのも、なんだかんだでそこに集約される。

もちろんその他の理由を挙げようと思えばいくらでも可能だが惑わされてはいけない。

彼らは論点を逸らしたり一時的に身代わりを立てて、本当に語るべき問題点を遠ざけているに過ぎないからだ。

私が傭兵だった頃の話をしよう。

同期に「トリガーハッピーのジョン」ってのがいたんだが、奴はその二つ名が示すとおり隙あらば銃を撃とうとする。

プルタブ式の缶詰だろうがライフルで開けたがる中毒者だ。

そんなジョンの口癖はこうだった。

「俺は好きで撃ってるわけじゃない。この手に銃がなければ引き金を引いてはいなかった」

それは奴の見え透いた言い訳だったが、同時に本質を突いていた。

少なくとも、大量射殺事件に対し「暴力的ゲームの影響が大きい」なんていう大統領よりはラジカルだろう。

まりレジ有料化についてのベストな回答はこうなる。

「さっさとバッグに商品をつめろ」

ああ、くれぐれもピストルハンドサインを忘れずにな。

ジョンもうっかりしていたせいで、ハッピークッキーもんじゃ焼きになった……。

2020-06-11

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに分けられる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 どんな記憶忘却可能性を含んでいて、それがいか尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである

 とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるものだ。例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類だ。

 これから話す記憶は――意外だと思われる人もいるかも知れないが――恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は(少なくとも僕にとっては)、一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。

 あるいは、死んだ猫の重みを人生最後まで引きずっていく人もいるのかもしれないけれど、僕がこの世界からいなくなる時に、多分、死んだ猫の記憶は僕の傍にはいない。


 人生というのはタフなもので、多くの場合予断を許さない。例えば、猫は前触れなく死んでしまう。そこに救済は存在しない。

 猫は突然死ぬ

 重要命題である

 だからこそ、我々はタフにならなければならない。タフな(きつい)人生に耐える為には、我々自身精神的にタフにならなければならないのである

 して、タフな人生を生き延びるために重要資質とは何だろうか?

 僕が思うに、恐らくそれは一種判断能力である。つまり重要もの重要でないもの区別する為の判断能力である

 この世界において、重要もの重要でないもの比較すれば、前者は圧倒的に少なく、後者は圧倒的に多い。これは考えるまでもなく当然のことである重要ものが我々の前に際限なく溢れ返っているのであれば、我々の人生もっと救済に満ちたものになる筈だからだ。でも、現にそうなってはいない。人生における重要事物は泥の中の砂金と同じである。それは、恐らくは多くの人が感じていることだろうと思う。

 そう、我々が人生を全うする為にもっと重要能力は、数少ない重要物事出会った際に、その重要出来事を迷わず掴み取る能力なのである

 タフな人生を本当に生き切る人間に備わっている素質は、恐らくはそれだ。彼らは汚泥の中の砂金を迷わず掴み取り、幸運の女神の前髪を毟り取らんばかりに握る。僕も、そういう人間になろうと日々心掛けてきた。この世界に溢れ返る物事の中に、ほんの僅かに存在している、かけがえのない事柄。あるいは、溢れ返る人々の中に存在している、かけがえのない人々。そういう人(もの)に出逢えば、できるだけそれを失わまいとしてきた。

 人物だけではない。記憶に関しても同様の態度を取ってきた。

 我々の心の中には無数の記憶存在している。その多くは、断言するに無意味記憶に過ぎない。病院記憶体育館記憶商店街記憶――はっきり言って、その殆ど無駄記憶だ。重要記憶というものは一握りしか存在していない。

 我々の人生には限りがある、その限られた人生の中で、無意味記憶無意味な情愛を注ぐことだけは避けなければならない。情愛を注ぐべき人を選び、情愛を注ぐべき記憶を選別すること――自分にとって重要ものを、重要でないものの中から選び抜くこと――それが本当に大切なことなのだ。だから、我々は、警戒しなければならない。一見重要であるように装っておきながら、実際には全く我々の人生無意味事物……そういうものへの執着を捨てなければならないのである

 書いていて思うが、幾分このような視点には屈折の気配がある。勿論、それは自分でも分かっている。でも、やはり我々の人生は貴重なものであり、貴重でないものと触れ合うことで、その輝きを鈍らせる必要はない――そういう視点が一抹の正しさを備えていることも、また事実なのだ

 はっきり言おう。

 これから語る記憶は、決して僕の人生重要ものではない。むしろ、どうでもいいものなのだと。

 

 大した記憶ではない。

 道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からなかったが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っていた。既に絶命していた。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの運転手ゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を自転車に乗って通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見ていた。

 通り過ぎる。

 川沿いの道を走り、こじんまりとしたアパートに辿り着く。駐輪場自転車を停め、アパートの裏手へと回り込むと、階段を上った。

 階段を上る度に、カンカンと乾いた金属音がこだまし、やがて僕は二階の自室の前へと辿り着いていた。

 鍵を開け、扉を開け、自室へと体を滑り込ませる。

 薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時にも猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に轢かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。猫の頭部がごろりと動いた。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く夥しい血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、たまに、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車だった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンへと戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が死んだ猫の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし、それはあくま一般的な教訓に限っての話だ。僕個人の、個人的な教訓に関しては、少しばかりはあるかもしれない。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタルな――欠くことのできないほど重要な――部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタルな部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-06-10

死んだ猫の重みを知る人へ

 この世界人間は二つに分けられる。死んだ猫の重みを知っている人とそうでない人である

 数年来の友人に向けてこの文章を書いている。あるいは、見せずにしまっておくかもしれないけれど。


 この話を始める前にまず記憶というものについて書いておきたい。人間にも二種類いるように、記憶もまた二つに大別できる。つまり、忘れても思い出せる記憶と、忘れてしまったきり思い出せなくなる記憶である

 記憶というもの原理的に忘却可能性を含んでいて、それがどんな尊い記憶であれ、厳然と忘れられうるのである。とは言え、尊い記憶は大体忘れた後でも思い出せるのだ。

 例えばそれは親愛なる友人に関する記憶だったり、あるいは情愛を抱いた誰かに対する記憶だったり――そういう類の記憶だ。

 これから話す記憶は、恐らく後者に分類されるものである。死んだ猫の重みに関する記憶は、恐らくは一度忘れしまえば二度と思い出せない記憶である。つまり、その記憶は僕の人生においてそこまで重要記憶ではないということになる。


 タフな人生を生きようとする人間功罪の常で、僕は重要記憶とそうでない記憶峻別することができる。多くの場合その判断は極めて正確だ。

 僕は自分にとって重要物事とそうでない物事を多くの場合峻別できると思っているし、何よりも、自分にとって重要人間とそうでない人間峻別できると思っている。そこが功罪なのである人間自分にとって重要人間とそうでない人間並置し、比較し、時に冷徹判断する。いざという時に切り捨てることのできる人物と、そうでない人物を頭の中の整理棚に分類する傾向がある。とは言え僕は冷酷な人間を自認してる訳ではなくて、基本的に分け隔てなく親切に接することをモットーにしてるのだけれど。それでも、自分にとって大切な人物とそうでない人物は分けて考えなくてはならないと考えている。

 さて、そんなこんなでこ記憶は恐らく僕の人生においてそこまで重要記憶ではないと、僕ははっきりと峻別している。


 大した記憶ではない。道の真ん中で白い猫が轢かれていた。静かな初夏の日和だった。

 その肉体の損傷は一見して分からないが、恐らく内臓が酷く傷ついたのであろう、鮮血が周囲には広がり、血溜まりを作っている。既に絶命している。絶命してからどれくらい時間が経ったのだろう? 正確なところは分からないのだけれど、多分一時間と経ってはいるまい。白い猫はまだ綺麗だった。制限速度の高くない、幹線道路から外れた細い道路だったことが幸いしたと見え、多くの車はゆっくりと車を走らせていた。つまり道路の真ん中で横たわる猫を、更に醜く変形させる前に、彼らはハンドルを切ることができたのだ。

 猫は口と目を半開きにしていた。その筋肉運動はとっくに停止している。

 僕は当時学生で、自宅への帰路にあった。青々と晴れた日だった。白い猫の横を通り過ぎる時、僕は猫のことを横目で見た。

 さて、帰宅する。薄暗いアパートの自室はひんやりとしている。

 猫のことしか頭になかった。アパートからその猫のいる場所までは数百メートル距離があって、僕はあらゆる意味当事者ではなかったにも関わらず保健所に連絡をした。住所をある程度正確に伝えて、電話を切った後にキッチン棚を漁り、そこから掃除用のポリエチレン手袋を取り出した。

 再び自転車に乗って猫のところに向かった。数百メートル距離時間はそれほど掛からず、辿り着いた時には猫は最初のままの姿勢を保っていた。相変わらず見える範囲には傷一つなかった。

 僕は歩道自転車を停めて、車列(鮮血を目の当たりにし、おっかなびっくりハンドルを切って迂回する車列)が十分に途切れたタイミングを見計らって、猫のところに駆け寄った。それで、僕は猫の脚を掴んで、車に引かれる心配のない路端へと引きずった。

 そう、引きずったのである

 抱きかかえた訳ではない。単に引きずったのだ。鮮血が道路に擦れて跡を作った。

 猫は筋肉が弛緩した所為か失禁――脱糞していて、その茶色の飛沫がポリエチレン手袋に付着した。

 そこには愛情は無い。僕の人生残留するべき温かい思念というもの存在していない。

 だから、この記憶は決して僕の中に残留し続けることはないだろう。人生のいずれかのタイミング忘却され、その後決して思い出されることはないだろう。

 僕は猫にそれ以上傷ついてほしくなかっただけである

 猫が道路の上でぐしゃぐしゃになっている姿を見たくなかっただけである

 ある種の同情みたいなものはあった。でも、それは決して愛情ではない。僕は見ず知らずの猫に、しかも既に生命の無い猫に、愛情を抱ける類の人間ではない。

 僕は猫を引きずって、車に傷つけられる心配の無いように、路側帯の辺りまで移動させると、手を離した。そして、そのまま保健所の車がやって来るのを待ち続けた。

 初夏の晴れた静かな日和である。時折、眼前を通り過ぎる車の運転手がギョッとした顔で、猫と道路中間辺りから続く血痕を見遣るだけである。僕は猫から少しだけ距離を空けて、偶に、盗み見るように視線を向けた。本来当事者である近所の主婦達が歩道で、遠巻きに何かを話している。さっきの僕の行動を彼女らは全て見ていた。

 やがて、彼女らの内の一人の若い主婦が僕のところにやって来て、保健所には一応連絡したんです、と言った。僕は短く返事をした。

 彼女は元の場所に戻っていって、相変わらず主婦達と何かを喋っていた。僕は、その場で保健所の到着を待ち続けた。


 やがてやって来たのは、ゴミ処理車であった。内部に回転する鉄塊こそなかったものの、それは紛れもなくゴミ収集車であった。

 この後の描写についてはあっさりしたもので、その車中からスタッフ二名降りてきて、主婦らに挨拶をした後に黒いビニール袋を広げ、手早く猫をその中に入れた。そして、車両収集スペースにその袋を入れると、瞬く間にその場から去っていった。

 僕はそれを見届けた時にやけに安心したのを覚えている。これで、道路の上にもんじゃ焼きのような物体が出現する可能性はなくなったのだと、そう考えていた。僕はそのまま自宅に戻り、猫の糞の付着したポリエチレン手袋を処理した後で、日常ルーチンに戻っていった。


 多分、この記憶は僕の人生残留することはないと思う。単純に、この話の主旨は、僕が猫の死体の重みを知っているという、そのことを主張する他にない。教訓と呼ぶべきものはそこにはない。

 しかし僕自身にとっては多少の教訓と呼ぶべきものはある(どっちだよ)。


 多くの場合、我々の性向とか心の働きのバイタル部分に作用するのは、僕がここまで延々と語った記憶の類ではなく、誰かへの愛情記憶であり、誰かから愛情記憶である

 そういうものを欠くと、我々のバイタル部分は鈍化する。必要以上に鈍化し、何らかの問題を引き起こさずにはいられなくなる。記憶というものを二種類に大別した時に、我々の性向に最も強く、最も好影響を与えるのは、明らかに「思い出しうる」方の記憶だ。そのことに疑いはない。

 とは言え、最近の僕は少しだけその考え方を改めることになった。

 これまで僕が延々と語ったこ記憶は、凡そ間違いなく僕によって忘れ去られるだろう。そして、二度と思い出されることはないだろう。このテの予想が外れることは僕に限ってまずあり得ない。この記憶は僕のバイタルとは無関係なのだ。この記憶によって僕が行動を規定されたり、何らかの関連行動に走るということは――この文章を書いていることを除けば――まずあり得ない。僕にはそのことが手に取るように分かる。

 でも、と思うのだ。

 この記憶は、翻って言えば、忘れられるまでは僕の記憶に残り続ける(トートロジー的な文章だ)。僕は、そのことに少しだけ意義を感じてしまいそうになるのだ。

 記憶には二種類ある。忘れられた後に思い出しうる記憶と、そうでない記憶である。前者に比べれば、この世の中においては後者記憶の方が圧倒的に多い。この世界殆ど記憶後者、つまり他愛のない記憶によって構成されていると言っていい。それらは例外なく忘れ去られる運命の途上にある。

 それでも、と僕は思う

 その記憶は、忘れ去られるそのタイミングまで、じっと待っている。

 僕の記憶の中で息をしている。

 猫の視線の色を、僕は今のところ忘れていない。奇妙に硬直した、黄色い瞳。

 多分、僕の記憶の中に、未だ留まっているところの猫は、待っているのだろうと思う。

 僕が猫のことを忘れ去るその時を。

 じっと、誠実に、待っているのではないかとそう思うのだ。

2020-05-18

ゲロ味のもんじゃ焼きorもんじゃ焼き味のゲロ

一体どっちを選べばいいんだ…

anond:20200518180608

ちくわぶ名前は聞いたことあるけど、存在認知したことがなかったです。すみません

今度スーパーに行ったら見てみます。お麩のコーナーにあるのかな。

もんじゃ焼きは、子供の頃に九州もんじゃ焼きが食べられるところに連れて行ってもらったことがあって「お好み焼きのほうがいいな」って思って以来食べてない。

本場のもんじゃを食べたらまた別の感想が生まれるんだろうか。

なんか小さいヘラ?でちまちま食べるのが性に合わなかった…。

2020-04-24

大阪府が休業要請に応じないパチンコ店の店名を公表したが

気持ち悪り〜

公権力ってムカつくわ

意地でも営業し続けろよ

応援してるぞ、パチンコには興味ないけど

知事野郎がヤ○ザに○されれば面白いのにな

もっと公権力に逆らって俺を楽しませろや

こんな国ぐっちゃぐちゃのもんじゃ焼きになってしま

2020-04-15

中身で流行ったもの

※とか昔よくいってたけど、江南スタイルとかPPAPとかつくったもの自体価値ではやったのもあるよな

この世もまだまだ捨てたもんじゃ焼き

2020-03-24

anond:20200324135735

何だそのレスは。まるでもんじゃ焼き納豆を入れるみたいな言い方だな

[]3月23日

ご飯

朝食:ビジホ朝食。昼食:ピザ。夕食:もんじゃ焼き

調子

地獄を乗り越えた。あとは金曜日までなにも起きずに平穏な日々を過ごせることを祈る。

○本格スマホRPG

ガチャピンは30連でゴムーン二つと、SSRセレフィラ。

2020-03-21

片栗粉って炒めると酸味がでるの?

もんじゃ焼きって後半、酸味がでるじゃん。あれが好きだったんだけど、ソースかなんかから出る酸味なんかなあって思ってたわけ。

最近炒め物に片栗粉いれてどろっとさせるのにハマってたら、見事にもんじゃ焼きのあの酸味がでたんだよ。

なんか鍋の底の焦げ付き感ももんじゃ焼きっぽかったし……もしかしてあの酸味、片栗粉(とか小麦粉)由来だったの???

2020-01-21

もんじゃ焼きってあの半熟生まで食べるの?どういう食べ方したら良いの?あの小さなコテでちまちま食べるの?

2019-12-16

anond:20191215234745

社会の分断化、結構なことじゃないか

無敵の人たちを束ねて鉄砲玉として扱う存在が現れて日本をぐっちゃぐちゃのもんじゃ焼きにして欲しいわ

いい加減今の社会に飽きたもん

あ〜もっと治安が悪くなんねーかなぁ〜

2019-09-08

もんじゃ食べたかった

今週出張東京に行った。

頑張ったご褒美に月島に行って未体験もんじゃ焼きを食べるぞ!!!って決めてたのに、お一人様を理由に断られた…知らなかった…

店の前で自分にグイグイ客引きしてきたおばちゃんも一人だと分かると急に落ち着いて「ダメだねぇ」とよそよそしくなってしまった

どのお店も中ガラガラだったのにな…

もんじゃは2人前からメニューしかないとかなのかな?

お店にも事情があるのか、もんじゃ作法なのか、わからないけれどただ悲しみと恥ずかしさともんじゃ食べたさが残った…

2019-06-11

anond:20190611123302

5. もんじゃ焼き  見た目が嫌!だってゲ○みたいだもん!

もんじゃ焼きときで……

貴様らに本物のゲロみたいな食べ物を教えてやろうか?

anond:20190611122444

外国人オエッ…海外ではゲテモノ扱いされる日本料理食べ物

1. 日本の味とも言えるお味噌汁は、残念ながら不評でした(泣)。はっきりと「まずい、これは嫌い」と言われてしまいました。お味噌汁味噌の味がどうも味覚に合わないそうで、苦手だと言っていました。

2. 容易に予想できた納豆に次いだのが白子。独特のヴィジュアルが不評の要因であった。

3. イカタコほとんどの国でゲテモノ扱いされ、世界消費量の半分以上が日本です。

4. まずあんこの黒さ。気持ち悪い。なにそれ?しかもそれがスープになっていて、焼けるように甘い。さらに中に入っている意味不明の気色悪い白い物。(もち・白玉)白い物を食べようとしたら噛み切れない、伸びる。吐きそうだ。

5. もんじゃ焼き  見た目が嫌!だってゲ○みたいだもん!

韓国

ちょ。。。

アメリカ

最初は美味しいものが出来そうだったのに、誰かが食べたものを吐き出した見たい。気持ち悪い。

シンガポール

失礼ながら申し上げますが、ゲロに見えます。 :(

フィリピン

ゲロみたいw

https://matome.naver.jp/odai/2144820360774290101?page=2

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