はてなキーワード: じんじんとは
最近急にタイムラインで読書感想文に対するツイートをよく見るようになって
なんでだろうと思ってたら、ついさっきこれがおそらく話題の大元になったツイートを見つけた。
https://twitter.com/nanngin/status/1276943146639749121
たまーーーーに国語の授業の「作者の気持ちを考えましょう」の無意味さを皮肉った話とかバズってるし
定期的に小学校の国語教育の話は出てくるけど、読書感想文、よっぽどヘイト買ってるんだね。
私は小学生のころ読書感想文が大好きなこどもだった。だからちょっと不思議だ。
他の教科はてんで駄目な中で、人以上に好きなことが作文を書くことだった。
これは今この文章を見ている人ならわかると思うけど、私は特別文を書くのがうまかったわけでもない。
国語の点数も……私は漢字の形を覚えるのがとにかく苦手なこどもで、今考えれば私はディスレクシアなんだけど
何度事前に予習や復習をしても授業で習った範囲の二割くらいしか覚えられなかった(今でも得意ではない)
じゃあそんな中でなぜ好きになれたのかというと、
単純に私を受け持った先生や小学校の教育方針が徹底的に「褒めて伸ばす」方針をとっていたからだ。
ただ、空想や自分の気持ちについて突き詰めて考えることは好きだった。
読書感想文においてもそれは同じで、本を読むこと以上に本を読んだあと、
「自分はどう思ったか、読む前と読んだ後でどのような心情の変化があったか」考えるのが好きだった。
私が作文や読書感想文を嫌いにならなかったのは、先生が誰も作文での自己表現を一度だって咎めたことがなかったことが大きいように思う。
添削やアドバイスをくれた先生はいたような気がするけれど……それでもあくまで私の文章をもっと伝わりやすく、もっと良いものにしようという意思のものばかりで、最終的に私の伝えたいことや表現しているものが曲げられたりするような添削をする先生は一人だっていなかった。
先生の求めるようなことを器用に書けていたこどもだった記憶もない。題材や思想や内容に対するお咎めや修正もなかった。
どんな作文や読書感想文を書いても、先生はみんな私の書いた文章をちゃんと読んでから褒めてくれた。
元ツイを見るとどうもそうでない?学校や先生が多いのかもしれない印象を受ける。
実際のところそういうものなんでしょか。
読書感想文についても同じで、普段私が本を読むのはもっぱらマンガや図鑑、絵本や辞典の方が圧倒的に多かったので
「物語」が他者の手によって選書されているのが新鮮でこういう機会でもないと読まないこどもだったので大変ありがたかったと、それについて生徒が三者三様の自分の意見を書く、という部分が楽しくて好きだった。
その本を自分が選んでいないのに読書感想文全国コンクールの文章読むのも好きだったな。
映画や本のレビューサイトに書いたことがある人ならわかると思うんだけど、同じものを見た人でも全然意見が違うことへの面白さって確実にある。そしてその面白さは、まず自分がその作品を見て自分自身の意見を持っていないと感じることが難しい。
その楽しさを身につけられたのは今思えば読書感想文のおかげかもしれない。
(元ツイにあった「感想文集の売上が図書館担当の先生たちの研究会の出張費用になってる」ことは知らなかったけど、その研究会がこどもたちの図書館教育や国語教育に有用に使われているのなら、私は別に……というかそこに何の問題があるのかわからない。生徒に直接売上が行く方がいいということなら大賛成です)
ただ、みんな同じ教育を受けていたのならみんな私のように文章を書くのが好きだったり読書感想文に嫌悪感を抱かずに済むように思えるけれど実際そうではなかった。
私がそう強く記憶してるのは、学校の何かの催しの時に、作文とそれをスピーチする生徒が必要で、立候補制だったがなかなか手が上がらず、その時私が引き受けた思い出があるからだ。
この時は作文を書くのと全校生徒の前でその内容をスピーチするのがセットだったので後者の部分が重荷になって誰も手をあげなかったのかもしれないけど、とにかく進んで誰も作文を書きたがらなかった。
「作文を書けば先生に褒めてもらえる(しかもテストと違ってここは間違ってるとか言われたり減点されることがない)」という
文章を書くことに対しては全方向ハッピーな考え方をしていた当時の私は多少不思議だったけれど、いくら学校方針でツイートに挙げられたような堅苦しい自己表現としての作文を許さないような教育を受けていなくたって、
そもそも大半のこどもは「できることなら作文なんか書きたくない」のかもしれない。
だから教育方法をいくら変えたところで作文や読書感想文が苦手な子供は一定数は減らないかもしれない、と少し思っている。
こどもはそもそも面倒なことなんて進んでやりたがらない。好きでもない限り。
作文書くのは好きだったけど、そんな私でも原稿用紙何枚も書き上げると腕が疲れてじんじんした。それでも私は好きだった。
私は学校でも家庭でも褒められることが少ないこどもだったのと、たまたま書くことに対するハードルが低かったので
「書けば無条件に褒められる」作文や読書感想文がとにかく好きだったしそれに救われていた。
元のツイートにあった、
「原稿用紙はこう使いなさい」「作文はこう書きなさい」という形式的指導が子供を読書感想文嫌いにさせてる?
っていう部分について、私はかつてのこどもとしてこれは必ずしも正しくないのではないかと思ってしまった。
本当に何度も言うけど私は特別文章を書くのが得意だったわけではない。
けれど、この「原稿用紙の使い方」や「作文の書き方」を小学校のうちに教わっていなければ、
教え方に問題がある(それに従わなかった生徒に厳しく指導する)だけで、内容自体はとても重要なことなんじゃないか。
これは教育としては非常に重要なことなのではと思ってしまうので、現役国語の先生からこの言葉が出ることに
私はちょっと驚いている。
原稿用紙の使い方や作文の書き方というのは「そう書かなくちゃいけない」というものよりも
「ある程度のルールに沿って書いた方が、見る人は見やすいし、書き手の伝えたいこともより伝わりやすくなる」という
学校教育の中でいうと採点側のためにあるのではなく、生徒のためにあるものだと思っていたからだ。
これは私の小学校時代の先生の、私の文章を見てくれるときの態度がずっとずっとこうだったから、という影響が大きいと思う。
でもこのツイ主の先生の辟易した書き方からするに、きっと現場ではそうではないんでしょうね。
「自由な自己表現をする」ことと「文章表現としてある程度の形式を学びそれに従った作文をつくる」ことは矛盾しないと思うんだけど、この矛盾しない教育がきっと難しいんだろう。
私の小学校でできていたことがそんなに特殊だったようには思えないから、その学校の方針や先生個人の考え方にも左右されるとは思うんだけど……。
あと私が小学校を卒業してからもう十年以上が経っているので今の学校教育ではなかなか同じようには出来ないかもしれない。
ただ、私みたいに作文や読書感想文で救われたこどももいるにはいるのだ。
「みんな嫌いになる」ものとして普遍的に槍玉に挙げられてるのを見ると、偶然私が幸福なこどもだったのか、それとも異常だったのか、よくわからなくなってくる。できるなら前者であってほしい。
ダメなこと
「ひろさんと会いたいな」「では今日会いました!」で、待ち合わせ。私は駅まで迎えに行って、タクシーで「ラ、ラブホテルまで」と昼間から宣言。「元気でしたか」とか「こっちは寒いでしょう」とか適当な会話をするけど、(私はこれからこの人とエロいことをするんだ)と、彼の硬くなったちんこやくんにや、浴室で後ろ向きに立たされてお尻の穴に入れられちゃうことを想像した。どんなエロいこともできる。どんなエロいことされるかな。私も彼を気持ち良くさせて、満足させたい。
白い粉な使い方は「うつ」と「あぶる」がある。あぶると気化して白い煙になる。それを吸い込む。吸い込んですぐ息を吐くと、白い煙のままでる。もったいないから、大きく吸い込んで、しばらく息を止める。
ラブホの部屋に入って、小さなテーブルに向かい合って座り、挨拶もしないで「取り敢えずやりますか」「やりましょうか」と、彼がモノをテーブルの上に出す。
彼の動作をずっと見てる。入れて、カチッと火をつけて、白い煙が溜まったのを胸いっぱいに吸い込んだ。私は(それを口移しでくれないかなぁ)と思った。火を消して、テーブルに置いて、息を止めたまま立ち上がって私の方に来て顔を私に近づけるから、私は顔を上に上げて目を閉じた
唇が合わさり、彼の息が私に入ってくるから、それを吸い込む。彼が私の鼻をつまんだ。いま、私は彼にダメにされてる。
唇が離れ、彼が元の椅子に戻り、私はしばらくして息をゆっくり吐いた。息は透明だった。耳の後ろがじんじんして、あの感覚、あがってきた
「期待しちゃいましたよ!」と思ってたことを言った。普通ならそんな、女の子が欲しがるのははしたないと思うけど、彼は私の期待を満たしてくれたから!
「どうぞどうぞ」と彼が言う。自分のじゃないから遠慮の気持ちがいつもあるけど、彼は良い人。私は私がすごくやりたかったことを、いまやりたいようにやっている。
一息つくと、気分も落ち着く。それから近況報告とか、お喋りしたい。彼的にはすぐに裸になりたいようだけど、私に合わせてくれる。良い人。私が相手に合わせる状況もあるだろうけど、彼が私に合わせてくれるから。
話してると小一時間過ぎてる。私もこのままずっとお喋りしててもいいけど、しなくてもいいから、会話が途切れた時に「お風呂入りましょうか」と言う。彼が浴室に行き、お湯を張ってくれる。私はスマホを確認して、化粧台の鏡でつけまつげや化粧の可愛さを確認した。湯船が貯まるまで、テレビのチャンネルを確認したり、有線放送を流したり、ホテルの取説を開いて、時間や値段やサービスを確認したり。
気がついて湯船を見に行くと、もう溢れていた。「入りましょう」「はい」と、彼はそこで服を全部抜いた。彼は多分、部屋で下着だけになって、浴室前で下着を脱ぐような性格だと思うんだけど、彼は敢えてここで全部脱いだように、勝手に思う。彼の裸が恥ずかしい。私は部屋で下着だけに脱いで、彼が先に浴室に入りシャワーを出して、私は洗面台の前でブラを取り、ショーツを脱いで小さくたたんで、隅に押し込んだ。鏡に私の顔と乳房が写ってる。
たぶん、あの換気の一切ない、待合室が超満員だった某病院に子どもを通院させたときが、あやしい。
子どもは突然、こんこんと咳をしはじめた。咳なんてめったにしないうちの子が。
私はノドの痛みと倦怠感、悪寒。
二人とも37度代の熱が出たので通院、インフルは陰性で、
子どもは聴診器をあてるとぜーぜーと音が聞こえるそうで「気管支炎」、
咳が出てから3日目で、急に診断されるかな??
毎日熱を測っていたが、37度の熱が10日くらい続いて、
昨日からやっと36度代に下がってきた。
倦怠感も減った。
インフルエンザにかかる前の日の晩のよう。
肩の関節まで、じんじんといたんでくる。
いままで、扁桃腺が腫れたことはあったけど、それでも1週間もあれば腫れはひく。
本当にしぶといなにかが、身体に入り込んでいる感じがするのだ。
「いやぁこれやばいですよ」と歴代の歯科医に言われ続けて幾年月。
痛み自体は顎関節症のもので、親知らず由来のものじゃなかったのだけど
これも機会じゃ、と抜歯してきました。
https://anond.hatelabo.jp/20190508063336 の経過日記的なものに大変励まされたので別例も挙げてみます。
ただ私の場合は寝そべっている親知らずが顎の骨に癒着していたようでちょっと大変でした。
ぐいぐいメリメリ器具に力をかけるので患部より、負荷のかかる顎が痛い。
舌の上にコロッと抜けた歯がころがったところで試合終了。その後何針か縫います。
そりゃもう痛い、という事だったので痛み止めを受け取った薬局で即2錠飲む。その後も5時間おきに2錠。
これは用法用量ギリギリなので後で怒られました。(けど怖いので飲む)
ズキズキじんじんしてくるものの、耐えられない感じではないかなぁと思いました。
口が痛みで開かないので、ウィダーインゼリーをあらかじめ買っておいて本当によかった。
この日は痛いし疲れるしで、仕事?何いってんだという感じ。
コブ取り爺さんの様に頬が腫れる。おもしろがってぱしゃぱしゃセルフィーを撮ったのだけど
この日は抜歯した総合病院ではなく地元の歯医者さんで術後の消毒/検診。
とにかく血餅(患部にできるかさぶた)がとれちゃうとドライソケットという
とはいえ痛み止めが合うのか?結構余裕。ちょっと仕事しちゃったり。
舐めてた。患部の痛み、腫れもさることながら喉が腫れ上がって唾液を飲み込むだけで激痛。
喉の皮膚を触るは勿論、顔をひねって腫れた部位が伸びるだけでも痛い。
脂汗だらだらで何回か熱も上がってたように思う。とにかく動かず痛み止めに希望を託して微動だにしない日。
腫れは継続。痛みで覚める断続的な睡眠を終えて朝一地元の歯医者に。
化膿はないが炎症してる、とのことでしっかり消毒清掃してもらい、追加の抗生剤をもらいました。
その後、午後にはあれ?痛くない!と思えるほど急に回復。時間が経つにつれ少しずつ腫れも引いてきた。
夜寝ようとしたら抜歯箇所が少し疼くのと同時に猛烈にかゆい!痛み止めで飲んで就寝。
腫れはさらに軽減。少し頬がアザっぽく色がついてきた。
痛み止めは飲まなくてもほぼ大丈夫。夕方頃疼いたので一度だけ飲みました。
夜にはまた痒くなってきた…
ほぼほぼ回復。おっかなびっくりなので食事や歯磨きに神経使うけど、
通常生活に戻れるかなという感じです。
痛みもかゆみも治まりつつあるなか、口開かないのがわずらわしくなります。
麻酔もなく痛みもそんなない(ちょっとはある)のがほんと謎。ずるって抜くんじゃないのかな…。
ご飯類は事前に用意しといたほうがいいです。と、仕事、学校などはある程度休める状態でやったほうがいい。
私の場合は3日目がピークだったので人によって山場はずれるが概ねキツイのは1日だけっぽいです。
抜歯前に2,3個用意しておく。
上に同じ
上に同じ
お湯をかけるタイプのやつ。私はアマノフーズファンなので色々試してちょっと楽しかった。
すする
すする。
すする。
試す機会がなかったのですが、湯豆腐的なものを色んな味で作るのもいいかも。
細かくちぎってボウルにいれてすりこぎ棒で潰す。
ヨーグルトいれても。そしてすする。
自分を完結させるために、「体外離脱の中で恋愛のプロセスをもう少し積みたい」と思っていた。
自分の人生でやはりどこか恋愛をもう少ししてみたかった、という思いがあった。
未完結な「くすぶり」みたいなものがどこか自分の中に存在しているのだ。
現実世界では立場上自由に活動することは難しくなったが、自由な世界にいって、それを完結させたい、と思った。
最初は夢だった。
まず、いくつか繰り替えし同じような部屋のシーンがあった。
そこで「誕生日だからプレゼント」という声と共に気づくと女性からフェラをされていた。
何となく「よがらなければ」という演技めいた気持ちもありつつ、快楽に身をゆだねていた。
女性器の独特のにおいに誘発されながら、はやる気持ちを抑えながら自分も舐め始めた。
世界が自分をその世界に没頭させようとすればするほど逆に自分の思考も冷静になった。
はっとして思う「同じ部屋のパターンだ!これは夢ではないか!」
気づくと自分の意識が部屋中を駆け巡り、夢の中のまま目覚める。
自動再生であるかのように引き続き物語を展開しようとする夢が、薄っぺらい張りぼてのように見える。
その展開を無視し、ワクワクした気持ちとともに夢の中で夢に気づいた感覚を味わう。
まず何からしようか。。やっぱり跳躍かな。
何かのまとめでみた「まず簡単な跳躍から初めてみるといい」という前知識がよぎった。
三段飛びのように部屋を飛び跳ねてみる。ぴょーんぴょーーんぴょーーーーーん。
うまく行った。飛行できそうだ。
「本当にリアルなのかな」瓦一つ一つを見てみる。
「本当にリアルだ」
そればかりか、屋根にビルによくありそうな、サーキュレーターみたいなものまである。
街を飛行しながら、「このチャンスに、このまま体外離脱をしたい」と思った。
そこで知り合いの声がして「腕などを重く感じて行って抜けるのはどうか」という提案をしてもらう。
右腕を重く感じていこうとすると、じんじん痛いほどに重くなってくる。しかし中々抜ける事が出来ないしその感覚が分からない。
その重さに引きずられるように地上に降りる。そこはどこかのお店みたいなところで、知り合いらしき人が何人かいる。
僕はもうその時点で何かに引っ張られるように、この世界で例えば睡魔に襲われてまさに段々眠くなるがごとく、エネルギーがなくなっていくのが分かった。
このまま引っ張られれば現世に戻る事が分かっていたので、何とかそれに抗おうとする。
時間がないという焦りと共に「このチャンスに体外離脱しなければ」と思い、「みんなで瞑想をしよう」とする。
これまたネットのまとめでみた瞑想法、「体外離脱先で瞑想してさらにそこで体外離脱する」という方法を取ろうとした。
しかし最近しばらく瞑想していないので足が硬く、また着ているいつもの服も瞑想向きではなく、中々組めない。
「しまった」と思ってるうちに睡魔のようなエネルギーの低下が益々起き、もうここには長くとどまっていられない、と思った。
「そうだ。あと自分はこの世界でナンパをやってみたいのだ」そこで瞑想への取り組みを中断し、外にでて試しにナンパをやってみる。
女性を襲ってみる人もいるようでそれが頭をよぎったが、自分の意図ではないということを思い直して、ナンパしてみる。
雑にやったのもあるが、さっと逃げてしまう。
この世界に出てくる人はすべからく、この現実の人々よりも、若干自動人形のようでもあるが、実感はあった。
大通りに出て軽くやってみてそこで終了。
羞恥心や恐怖心はなく、「声掛けをした」という実感や満足感があったので「体外離脱先でナンパや恋愛経験をして実感はあるのか」という疑問に対しての仮説検証はできた。
目を覚ました後はとてもエネルギーに満ちた感じがした。
※ 元増田の人ではなく、文章を提案した人です。元増田さんの作品とは関係ありません。
***
轟音とともに、目の前が真っ暗になった。思わず足が止まる。見ると、ゆうに三メートルはあろうかという石の壁が、私の行く手をふさいでいた。一本道、まさに袋小路だった。
荒くなった息を必死に殺しながら、壁を背にする。大通りから差し込む光が、いつ奴の体で遮られるともしれない。両側の建物には窓はなく、身を隠せそうな場所といえば、右側の建物に設置されている、エアコンの室外機のみ。
どうする———。路地の幅は約一・五メートル。足をかけるような突起はないが、両足を広げて突っ張り、石の壁に手をついて登っていけば、あるいは……。
***
「こちら石原。容疑者は奄美大路をまっすぐ北に逃走中。仲間は見られず、武器も所持していないと思われる。追って連絡する。」
突然のことだったため、足による追跡となったが、容疑者は見た所十代の少女。女性ものの小さなハンドバッグ以外に持ち物はなく、サンダルを履いた足での逃走。確保は容易。
C-1地区警戒本部から名瀬神社に向かう大通りを直進していた容疑者は、その中程にあるベトナム料理店と学習塾の間の路地に姿を消した。
ポケットから本部より支給のスマートフォンを取り出し、C-1地区の地図を呼び出す。ビンゴ。うろ覚えで自信はなかったが、あの路地には、かつての大戦の際、市街戦の準備として設置された可動式のバリケードがある。地図上のバリケードのアイコンをタップ、『起動』。
***
迷ってはいられなかった。サンダルを脱いで、バッグにしまった。これを捨てて行くわけにはいかない。デニムのショートスカートで両脚を広げることになったが、気にしてはいられない。どうせ、捕まったら恥も外聞も無いのだ。
冷たい石に両手をついて、塗装された壁面を両足で必死につかんだ。右足を少し持ち上げる。腰を持ち上げる。次に左足。指先が壁のてっぺんに届くまで、あと一メートルと20センチほどあるように思われた。逃げてきた距離の短さを考えれば、間に合うようには思えなかったが、他に方法も思いつかなかった。
***
逃げ道は塞いだはずだが、万が一があってはいけない。五十メートル先の路地に足を急がせた。手錠を取り出し、ベトナム料理店を左に見て、暗い路地に駆け込む。
気配がない。まさか、逃げられたか。スマートフォンのサーチライトを起動して、路地の中をくまなく照らす。バリケードは正しく起動しており、窓のない壁に阻まれた路地。逃げ道はないはず。隠れているとすれば、室外機の後ろか。嫌な予感を覚えながら、ゆっくりと路地の奥へと進み、室外機を確認する。平成46年式、コクミン社製。奄美大路からみてその反対側を照らすと、容疑者が持っていたものと思われる、桃色のハンドバッグが落ちていた。
逃げられた。でも、どうやって。
***
この壁さえなければ———。必死に体を持ち上げようとする両足と、上半身を支える両腕は、疲れと恐怖で力が抜けてしまいそうだった。
この路地に逃げ込んだのは、ここが教会への抜け道になっているからだ。教会に逃げ込んでしまえば、奴らも好きに捕まえることはできない。まさかこんな壁が設置されているとは、思いもよらなかった。
その時、上半身を支えていた腕が、下方向にずらされた。
え?
私の身体は大きくバランスを崩し、上半身は壁とともに地面に落ちて行った。壁が引っ込んだのだ。
痛い。肘を地面に打ち付け、足も挫いたようだ。じんじんする。
次の瞬間、再びあの轟音が聞こえたかと思うと、壁が持ち上がり始めた。
何が起きたかはわからない。でも、何をすべきかは明らかだった。
***
スイッチを入れるとイソギンチャク状のシリコンが高速で回転して固くなった乳首とその周りを激しく嬲る。
敏感なところをぐちゃぐちゃとかき回されてくすぐったいような少し痛いような快感で下の方もじんじんと熱くなる。
奥のほうがきゅうんと疼いて思わず足をくねらせてしまい、もう中を刺激したくて仕方なくなる。
でもすぐに挿入はせず、ディルドーを何度も何度もぐりぐり擦りつけ、入れたい気持ちを焦らす。
「は、早く入れてよっ…あっ……おちんちん欲しい、よ………!」
思わず恥ずかしい声が出てしまう。恥ずかしいことを言えば言うほど、自慰にふける背徳感が止まらない。
隣の部屋に聞こえてしまうかもしれないが、もう気持ちが高ぶって抑えられない。
ぐしょぐしょに濡れたところで1度乳首ローターを止めて、ディルドーをゆっくり中に入れていく。
私はきついほうで、1度ディルドーが抜けなくなって助けを呼んで二人がかりで抜いてもらったことがある。
十分にディルドーを慣れさせないと、大変恥ずかしいことになってしまう。
絶頂に達するとディルドーを余計ぐいぐい締めつけてしまうらしいので更に抜けにくくなる。
とても恥ずかしいし申し訳ないのでもうこんな経験はしたくない。
ディルドーが慣れて来たら、中の敏感なところを繰り返し刺激すると、とても気持ちがいい。
そのまま中で1回イってから、もう一度乳首ローターのスイッチを入れる。
「あっ、いい、あああああ!」
更に敏感になった部分がイソギンチャクにかき回されて、背中が仰け反るほどの快感が押し寄せる。
この後乳首ローターとディルドを洗わなければならない。一気に現実に引き戻される。
相手がいるならまだしも、一人でせつなくなって自慰をするなんて、ただ虚しいだけ。
しかも震えるプラスチック2つとゴムでできた棒に慰められるなんて。
それを黙って裸で洗ってるなんて惨めすぎてもう死にたい以外の感情では言い表せない。
性欲なんかいらない、激しく抱き合いたい。
隣で寝るだけでいい。誰か隣で寝てください。
付き合いはじめてすこしたった彼女とセックスする機会があったのだけれど、
たくさんキスをして撫で回して指を挿れて、本当のところはわからないけれど彼女は気持ち良さそうにして、イっちゃったと言ってはいて、それを見ていて非常な充足感を得ることはできたけれど、いざというときに役立たずで傷つけてしまったと思う。自分も不甲斐ない。
1日前にデートしたときは手を握っただけでいきり勃ってしまったのだけれどなんでだろう。
2杯飲んだお酒のせい?緊張のせい?普段のオナニーの仕方のせい?ゴムのせい?
あと、想像では、裸をみただけで頭の奥がじんじんするような気がしていたけれど、思いのほか冷静だった。
肌すべすべだなー、思ったより脂肪ついてる、とか、おっぱい寄せていたんだなとか思ったよりも匂いが薄いとか。
とりあえず変な間があくまえに場を設けたいのだけれど、次は失敗したくない。
はてなーの諸先輩方にお知恵を借りたく思うのでよろしくおねがいいたします。
必要な情報などあればなるべく答えていくのでご指示いただければと思います。
今まで幾多の同人誌即売会にきたけど、次期国家元首ご来場というのは初めてだわ。台湾すごい。 pic.twitter.com/QF638m81f4— じんじん的ななにか (@zin_zin) 2016, 1月 30
「日本の首相も見習うべき」とか「みっともない」みたいな的外れな意見が出てて草。
台湾は中共と比較して民主主義国家であるという自負と誇りがあるから、こういった「自由な創作の場」がある事は台湾人の誇りなんだよ。
公的機関が萌えキャラに走ったりするのも、「政府の方針とかに左右されない遊び心」を表現した結果なんだよね。ま、それこそプロパガンダじゃんって気もしちゃうけど。
蔡英文氏は中国寄りでは無い政策を主張しているから、こうした表現の場を尊重していると言うアピールが根底にあるんだろうね。
日本って現時点で表現の自由が担保されちゃってるから、こういう「自由な表現ができる事を特別だと思い尊重する」空気って100年経っても訪れないだろうし、羨ましくも思ったりするけど、やっぱり自由が特別に感じるって状態は異常だと思うから今のまんまでいいかなーとか思ったりした。
結跏趺坐は座禅の時に禅僧が組む坐法の一つですが実はこの坐法には、ショートカットがあるのですね。私の場合は長くこの結跏趺坐を練習していたのですがなかなか長時間組めるものではありませんね。とにかく痛い。足がじんじん。すぐ痺れるし、またが裂けるってーの。この座り方の体系的でわかりやすい説明は今までお目にかかったことはなかったのですが。今回初ですね。感動しました。これで暗夜行路から一縷の光が私の目前に差し掛かったと言った実感です今は。結跏趺坐についてこれでもう何も要らないでしょう。とっても嬉しい楽しい、ワクワクするんですよねー。これから毎日ストレスだらけの生活かもしれません。それはもちろん皆さんもそう。会社勤め。嫌ですねそういうの。それを座禅でストレス解消できるかもしれませんね。結跏趺坐を速攻で身につけて見まーす。