はてなキーワード: 「ありがとう」とは
俺はLINE返してくれただけで軽率にありがとう連呼するタイプの人間なんだが
少なくとも俺はそんなにしてない
言った方が人間関係円滑になるかなって思って使ってる
なんかテレビやら雑誌で「支えてくれた人たちに感謝したい」っていうじゃん?
親は親だろ…
どういう時に?
命を救われたくらいじゃないと感謝の念って出なくない?
この日常、当然のことばっかだわ
父親と仲が良いっていうけど、増田はめちゃくちゃ気を遣ってるよな
ほいっぷる受け取った時点で本音を言えず「ありがとう」なんて言わせる、娘に気を遣わせる関係だからでは?と思ってしまった
うちも父子家庭で、父親が小学生みたいな奇抜な服を推してくるくだり、めっちゃよく分かるけど
自分は父親のこと嫌いだった(母の他界の原因がこいつ)から、そういうガキくさい服を薦めてきた時点(当時中学生)で
「なにこれ?こんな幼稚なのこの歳で着られるわけないじゃん最悪」って全力で貶したし
中高生が背伸びして持つアイコン化したハイブランドのアイテムを一方的に買ってこられた時(当時大学生)も
「は?いくつだと思ってんの?いらん、誰かにあげれば?」って即突っ返した
その他も何かにつけて全力で本心からガキ臭いいらないと貶しまくった結果、買ってくるものは美味しい消えものばかりになって平和
私は親の面倒を見たり,親へ仕送りをする気はまったくない.
前提として,親には感謝をしているし,私は親を心から愛している.
私の親は素晴らしい子育てをしてくれたと思う.
国立大に進学させてくれたし,大企業に入ることができたし,彼女もできた.
真面目で正直な人間に育ててくれた.
なぜならば,親の生活は自身の責任なのだから,子は親に支援をする必要はないからだ.
大学時代,「親の家事を手伝うから遊びに行けない」という人がいた.
確かに,親を手伝うその親孝行な行動には感心する.しかし「子に労働を要求している親」がとても気持ち悪かった.
飲み会で「親に仕送りをいくら払っているか」というトピックになった.
確かに,仕送りをしているその親孝行な行動には感心する.しかし「子が稼いだ現金を受け取っている親」がとても気持ち悪かった.
それは「親の責任範囲にも関わらず,子が責任を負う(または子に責任を負わせる)」からだ.
親がどれだけ仕事で忙しくとも,家事を大学生の子に頼んではならない.
親がどれだけ貧乏でも,子は親に金銭的な援助をしてはならない.
この責任範囲の逆転の気持ち悪さは,仕事にたとえるとわかりやすい.
上司がミスをしたのに,「あなたのミスは私のミスです」などかばう部下.
親子共々,この理念を忘れてはならない.
俺の娘は中学2年くらいで急激にグレた。学校に行かなくなり不良グループと夜な夜な暴走族をしているようだった。
中学3年のクリスマス、たまたま帰宅してた娘に特攻服をプレゼントした、チーム名が大きく背中に書いてあるものだ。右下に俺と妻と娘の名前を小さくいれた。ダサくする事で、やりたい放題していた娘に対する親からの反抗?と見守ってるぞの2つの意味で。バレたら娘はブチ切れるだろうなと思っていたが、娘はその事に気づいた時、照れた顔で「ありがとう」と言ってくれた。
そしてクリスマス暴走?があるからとその特攻服を着て出かけていった。
俺が殺してしまったんだ、俺のせいだと後悔したがもう遅い。
大正時代生まれの母の世代では「ごちそうさま」は家の中での挨拶なので外食の場合は「ありがとう」とか「おいしかった」とかだと教わった
この習慣ははうちだけではなくかつてはそうだった(少なくとも東京では)ので調べればそういう文献あたるはず
個人的には年配者が場所に関係無く「ごちそうさま」と言ってる姿には違和感を感じる
習慣は変るものなのでそうしたければそうするのも勝手だ。ただし逆の意味で「ありがとう」や「どうも」で通さずに「ごちそうさまでした」と言わないのは礼儀知らずなどとは言えないのは常識として知っておくべきだ。
まったく関係なくて悪いんだけど、ロシア在住の人のYouTube動画を見てると、誰かに会うたびに「スパシーバ」って必ず言っててさ。
挨拶の大切さはどこも変わらんのだなと思った。
店側は「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」のあいさつをする
印象をよくする以外に、厨房に来客、退店を知らせるという意味で重要なんだろう
じゃあ客側のあいさつはどうか
俺は基本的に入店時は何も言わないけど、退店時は「ご馳走様」や「ありがとう」ぐらいは言うようにしている
タイミングは、食後会計の場合は会計時、事前会計の場合は席を立つ際か席を立って店員に聞こえる位置に来る時だ
なんで挨拶をするのか
店側に、退店の意思を表明し、持ち帰りなどの店側にもう用事はないですよと伝え、店側にとっても利用者にとっても問題がなるべくないようにしたいからだ
特に事前会計の場合、電話やトイレで席を立っただけなのか、退店するのか、挨拶がないとわかりづらく、片づけその他のオペレートにつなげられないことがある
挨拶があることで、客側の意思が伝わり、無駄な時間が無くなるわけだ
ただ、一方であいさつをしない人がいる
別に批判するつもりはないけど、このような気配りができない人なんだなと思う
一度しか行かない店ならどうでもいいのかもしれないけど、複数回行くなら店側の負担を減らすのは自分に返ってくるんだけどね
そこまで考えられない人が最近増えてるんじゃないなあ
ちょっとした気配りが自分の利になるかもしれないのにその手間を惜しむ
なんだか悲しいことだね
よく「質問しろ」とか「木戸に立てかけし……」とか言うけれど、実際これやるとうまくいかない。医者の問診とか尋問みたいになる。
そして広げてもつまらない会話になりがち。「好きな天気は?」で盛り上がらんでしょ。
なぜならその話にはストーリー性が無いから。ストーリー性が無いと頭に残らない。
え?と思うかもしれない。よく自分の話ベラベラしてる人いるけど、つまらないよ、と思うかもしれない。
どういうことか具体的に解説する。
この場合、「おばあちゃんの荷物を持って階段をのぼってあげた」
にする。
結:ほっこりした
これをただ話で作り上げるのではない。
この話を、「相手に語らせる」。
まず「起」から。「起」のばあいは、「今日何があったと思う?」と相手に想像させることから始まる。
「道徳の教科書みたいなことした」「しなさそうなことした」などなど。
ここでまず5分くらい潰せる。
そして「承」の部分では、動作を語る。この部分では「共感」を求める。
「重くてさ~、君はどんくら重いモノもてる?」みたいに
「転」の部分は、何か大きい出来事だ。ここでも「何があったと思う?」と予想させる。
この場合、おばあさんが「ありがとう」というのは予想できるしおもんないので、普通に「おばあさんにありがとう」と言われる。
「結」の部分は共感だ。「なんかさ、ありがとうっていいよな」みたいに。
「最近有難うって言われた?」みたいに言うと良い。
こうすることで、何の話か分からないのに「楽しかった」というイメージだけ残せる。
そしてこういった「エピソードクエスチョン」を使うと、話のネタが尽きても次の日にはまた話のネタが生まれる。
大学入学で上京し、念願だったソープに行って以来玄人での経験人数は50人近くだったが恋愛では奥手で気になっている女性に何もアクションやアプローチが出来ず素人童貞。
そんな時に中高の同窓会が行われ、そこで再会した女の子と良い感じになった。
その子は高入生で高2、高3と同じクラスだった。大人しい子で当時俺は殆ど意識してなかったが、席が近かったことから日常的に会話したり文化祭の準備を一緒にしていた。
後日にご飯を食べに行った時、向こうから「高校の時気になってたんだよ」なんて言われて、もうそれはそれは浮かれてた。
遠方にドライブした帰り、彼女がうちに泊まりに来てそこで男女の関係になった。
心臓がバクバクになりながらなんとか行為を終えて、幸福感と快感の余韻と安堵で彼女を見つめたら彼女がキスして抱きついてきた。
俺が抱き返した時、彼女が「初めてだった?」と聞いてきた。
俺は一気に鼓動が早まり、血の気が引いたのを覚えている。
その後の会話は殆ど覚えていないが、「私で良かった?」と聞かれ「うん」と答えたら「ありがとう」と言われた応酬だけははっきり覚えている。
そのまま付き合うことになったが、俺は恥ずかしさと気まずさと劣等感でそれ以来彼女との行為が嫌になってしまった。
彼女からは「嫌いになった?」と聞かれたが、行為を厭う理由を言える訳もなく適当に誤魔化した。
人間の善を信じすぎていたのに気付いたので記して戒めにしたいと思う。
話のベースは"個人宛大量フラスタのお礼を全く言わない推し"にキレている私。
人間性は元々切り離して推してきたので、発言がズレてたり認識に齟齬があったりしても推し続けてきた。
典型的な 「私はちゃんと理性的だから大丈夫」 だったんだと思う。
推しはお手紙や贈り物、フラスタのお礼は基本的には言わないが気まぐれでお礼を伝えたりは数年おきにしていた。
更に、お礼は基本的に言わないくせして手紙や感想を寄越せと言ってきた時期もあった。
まにうけた若い私は普遍的で手短な感想を直接伝えた事も、手紙を送った事もあった。
対面の際に私が見たのは、一般的な反応では全くなく、迷惑そうにしていたので違ったんだな、とそれ以上なにかレスポンスを取ることはなかった。
そこで私は気付いた振りをしたらしい。
こういう人間なので、仕方のない、これがこの人間の普通で、考えた行動でもないと。
これが最大級の推しに期待をしていない だと思い込んでいたらどうやら根本から間違っていたと気付いた。
人間は「ありがとう」と「ごめんね」をちゃんと相手に伝えるべきだと諦めきれてなかったようで、大まかに言えば性善説が根底にあると思い込んでいた。
嫌いなゴミカスであればすぐにバケモノレッテルを貼れるので、確実にそうなんだろう。
とは別に私自身他人の事を自分の事のように思う癖があるのも気をつけないとな、と思った。
同じ寿司が回り続けるのをみて廃棄かもしれない…と寿司に心を痛めているのは普通に考えて鬱病。
こいつみたいな奴に花を贈る時点で"覚悟"をしておけって感じ、と妹に言われて推しって人間味ゼロだと他担に評価されてんだ…でも本当にそう…としみじみ感じる。
私は結局声が良くて、演技も良くて、顔もスタイルも良い心の機微などないバケモノを推していた。
自分が信じる人間の誰でも持っている善性はそもそもないし、推しはバケモノである。
これを踏まえて今後、イベントに行くかちゃんと感じないといけないなと妹に言ったら
バケモノを推している事に折り合いをつけて自分はバケモノを推しているんだと自覚しろ、みたいな事を言われたので覚悟を決めなければなと思いましたが、そもそも2023現場はトーク系は行かず相当選んだ上で行ってたんだよな。
数年前、短期間だが発達障害(ADHDが主)の人とお付き合いした。
これまで発達障害の人と深く関わったことが無かったので、衝撃的なことが多かった。
何かの参考になればと思い、フェイクを入れつつ書く。
初期の彼の印象は、博識かつ行動的な人だった。
知識が豊富で会話のスピードが速く、賢い人だなと認識していた。
フットワークも軽く、出会って間もなく告白され、率直で素敵だなと感じた。
でも親しくなった途端に、はて、と感じることが増えた。
彼はとにかく常に自分のことで頭がいっぱいなのだ。延々と自分のことを喋り続ける。
例えば、彼に「誕生日はいつ?」と訊くと「12月15日!」と返答がある。
また、デートで待ち合わせの日時と場所を決めるが、ほとんど守られたことが無かった。
本人もこれまでの人生で何度も同じ失敗をしており、気を付けようとしていた。
彼「行こう!」
(1週間後)
彼「会いたい」
彼「わかった! 伊勢丹行きたい!」
(土曜日の朝5時)
彼「上野に向かってるよ」
彼「あ」
増田「バイトで疲れてるのかな? いったん家に戻って休んだほうがいいと思う」
彼「そうする」
(11時55分)
(13時半)
彼「いま起きた……」
増田「えーと」
彼「ずっと楽しみにしててめちゃめちゃ準備してたのに…こんなのばっかりだよ……」(激しく落ち込む)
まず、どうしたら土曜日に上野だと思ったのか本当に分からなかった。おそらく彼にも分からなかったんだろう。
とにかく朝寝坊しないことに必死で、「待ち合わせ時間」という概念も頭からすっぽ抜けてしまったのだと思う。
ほとんど同じようなことが何度か起こった。
一度も「ごちそうさま」「ありがとう」などとは言われなかった。
ある時、店で会計を終わらると開口一番「安っ!」と言われた際には、唖然とした。
また彼は、日常的にどうでもいい嘘(というか言い訳)をついていた。
あるとき、駅のホームで隣り合っていると、彼が飲んでいた飲み物がこぼれて増田の服が濡れた。
「ちょっと~」と軽く言うと、即座に「最初から濡れてたよ」と言われた。
そんなわけはないし、別に彼を責めているわけでもない。わけが分からな過ぎて、何も言えなかった。
おそらく、発達障害の特性による失敗を幼少期から叱責され続け、
自己防衛のために自然とそういう嘘が口をつくようになったのではと想像している。
例をあげたらキリがないが、このような言動に疲れてしまい、早々にお別れした。
ここに書いた以外にも、ADHDの特性にピタリと当てはまることばかりだった。
これこそ言い訳になるが、恋愛まっただ中でIQがダダ下がりしていたため、付き合っている時には気付かなかった。
「親御さんとも相談して医者にかかってみては」と提案できたと思う。
こうした恋愛関係以外でも、彼は何度も詐欺にあったり、衝動的な行動や失言により
友人を失ったり、浪費をして生活費に困ることを繰り返したり、
たびたび激しい自己嫌悪に陥るなど、とにかく生きづらそうだった。
そして彼は自身を双極性障害ではと疑っていた。少なくとも、付き合っていた期間に発達障害の話は出なかった。
中学校の時の同級生の性格が悪すぎて、未だにつらく思う時がある。
同級生はウサギが好きで、ウサギのイラストのついたレターセットをプレゼントした。
喜んでくれると思いきや「レターセットなんていらない」「レターセットたくさん持っているのにまた増えて困る」「でも仕方ないからもらってやる」と言われた。
今思うとそんなこという人間がいるなんて信じられないけど、本当に上記のようなことを言われた。
私も「じゃあ、あげない」と言えばいいものの「私のセンスが悪かったのかな?」と反省していた。
そして同級生からは家でいらなくなったもの(ほぼガラクタかごみ)を渡され「お前こういうの好きだろう?よかったな~」と言ってくる。
本当はほしくなかったが、せっかくもらったプレゼントだから文句は言わず「ありがとう」と受け取りはした。
体育の時間に私の下着が体操着のシャツから透けていると「お前、超透けてる!恥ずかしい~」というのに、同級生もばっちり透けてた。
自分は透けててもいいのに、私が透けているのは悪いのか?もっというなら、その頃の女子はみんな下着が透けていた。
学校の帰り道に同級生の家族の愚痴をたくさん聞かされて「お前はそんな悩みなくていいな」「こっちは気が狂いそうだよ」と言われた。
そう言われる自分の方が気が狂いそうだった。
私はピアノをやっていて、学校の音楽の時間前に音楽室のピアノを弾かせてもらえることになったが、なぜかその同級生がついてきて、ずっとピアノ弾いてる。
私が少しでもピアノを弾こうとすると「手(の形が悪い)!」と言って手を叩いてきて弾かせない。
私と同級生は学校でいじめられていたが、いじめられるよりもその同級生と関わるのがいやで学校に行きたくなかった。
もしかするとその同級生と一緒にいたからいじめられたのかも、とも思っている。
(まあ、私が泣き虫で気が弱いのがいじめられた原因だとは思うが)
今思うと、私の家庭環境はそこまで悪くなく、その同級生は家庭環境が最悪だったからなのかな?と思う。
家庭環境が悪いだけでなく学校でもいじめられていたから、家庭環境が悪くなくのほほんと生きている私に意地悪してはけ口にしていたのだろうと。
10以上年上の彼氏からクリスマスにMacBook Airをプレゼントしてもらった。
私は学生で、彼は社会人。お互い独身。彼は典型的なApple信者だ。
今そのプレゼントのことで揉めている。私は素直に喜べず、結局プレゼントを返してしまった。
今まで、Windowsメインな私に使って欲しいと、喜んでくれると思ってプレゼントして
くれたんだろうと感謝している。
最初は、少しひっかかっりながらも喜んで「ありがとう」と応えた。
けれど、時間が経つにつれて、ひっかかりがもやもやと広がってパッケージを開ける手を止めた。
これをもらったらダメなんじゃないか?自分でバイトするなり努力して買いたかったんじゃないの?
こういう高価な実用品まで買ってもらったら、援助交際と同じじゃないか?
ただでさえ歳が離れてるのもあって、不倫と勘違いされがちだった。そう見られないよう気をつけていた。
こういうもやもやを理由として説明し、食事もご馳走してもらってるし特別にプレゼントは要らない、
そりゃあ彼は傷つくよね。でもなんだか私もプライド傷つけられた気がする。
以前からことあるごとに「Appleの製品ならなんでも買ってあげるよ〜。Air買ってあげようか?」と言っていた。
その度に丁重に断ってきた。大した負担ではないのかもしれないが、そこに彼の私に対する支配心が見えたんだよね。
彼は中年になるまで女の子と付き合ったことがなく、私が初めての彼女。私は恋愛経験豊富な方。
気負ってる部分もあるんだと思う。
返してから、ちょっと口論があって、結果彼は怒ってしまって連絡取れなくなった。
怒ったり、機嫌を損ねると殻に閉じこもってしまう。
私は、どうするべきだったのか。ゴチャゴチャ面倒な理屈つけず、無邪気にわーいと喜ぶべきだったか。
彼の機嫌が直すには、今どうすべきなのか。
そもそも何かを所有する権利を主張することが可能かどうかも後付のもの。
幼稚園児の集団に玩具を投げ込むとそれぞれが勝手に自分の物だと主張し始める。
警察や裁判所が機能していることの保証なんてどこにもない中で皆ひとまずそれを信じようとしている。
自分の考える社会道徳が他人と同じものであるかなんて分からない。
談話室の中央テーブルに置かれた誰かのおすそ分けに貼られる「範囲でご自由にお持ちください」の付箋に「一人◯個まで」とわざわざ書くべきかどうかなんて誰にも分からない。
生存権はそれを理解してる人達の社会が守っているが、逆に言えばそれを理解していない子供同士の社会やDV家庭では守られていない。
分かった上で踏みにじる者たちもいるのは、キリスト教の牧師が神に懺悔しながら子供のアナルをほじくるようなものと言えるだろう。
知らないどこかの誰かがしたらしい検証を皆信じている。
自分で実験をしてみれば分かるというが、実験結果が定説と食い違うとやり方が悪いだけだと否定される。
たとえば「ありがとう」と声をかけた花が歪な咲きかたをしたら、それは声のかけ方や水のやり方に問題があっただけだと決めつけられるのだ。
皆が悪く言ってるものは悪く見えるが、自分の嫌いな相手が悪く言ってるものは逆によく見える。
印象を受けるということ自体がミラーニューロンの生み出すまやかしであり派閥闘争の一手段に過ぎないのだろうか。
貰えると嬉しいが、こんなものに価値があると思っている奴ははてなーしかいない。
だがはてなーは貰うと喜ぶ。
皆苦しいときほどそれを求めて必死にネットで道化を演じるが、本当にやるべきことはさっさと寝て自然回復力に任せることでありつまりは武器軟膏。