人間の善を信じすぎていたのに気付いたので記して戒めにしたいと思う。
話のベースは"個人宛大量フラスタのお礼を全く言わない推し"にキレている私。
人間性は元々切り離して推してきたので、発言がズレてたり認識に齟齬があったりしても推し続けてきた。
典型的な 「私はちゃんと理性的だから大丈夫」 だったんだと思う。
推しはお手紙や贈り物、フラスタのお礼は基本的には言わないが気まぐれでお礼を伝えたりは数年おきにしていた。
更に、お礼は基本的に言わないくせして手紙や感想を寄越せと言ってきた時期もあった。
まにうけた若い私は普遍的で手短な感想を直接伝えた事も、手紙を送った事もあった。
対面の際に私が見たのは、一般的な反応では全くなく、迷惑そうにしていたので違ったんだな、とそれ以上なにかレスポンスを取ることはなかった。
そこで私は気付いた振りをしたらしい。
こういう人間なので、仕方のない、これがこの人間の普通で、考えた行動でもないと。
これが最大級の推しに期待をしていない だと思い込んでいたらどうやら根本から間違っていたと気付いた。
人間は「ありがとう」と「ごめんね」をちゃんと相手に伝えるべきだと諦めきれてなかったようで、大まかに言えば性善説が根底にあると思い込んでいた。
嫌いなゴミカスであればすぐにバケモノレッテルを貼れるので、確実にそうなんだろう。
とは別に私自身他人の事を自分の事のように思う癖があるのも気をつけないとな、と思った。
同じ寿司が回り続けるのをみて廃棄かもしれない…と寿司に心を痛めているのは普通に考えて鬱病。
こいつみたいな奴に花を贈る時点で"覚悟"をしておけって感じ、と妹に言われて推しって人間味ゼロだと他担に評価されてんだ…でも本当にそう…としみじみ感じる。
私は結局声が良くて、演技も良くて、顔もスタイルも良い心の機微などないバケモノを推していた。
自分が信じる人間の誰でも持っている善性はそもそもないし、推しはバケモノである。
これを踏まえて今後、イベントに行くかちゃんと感じないといけないなと妹に言ったら
バケモノを推している事に折り合いをつけて自分はバケモノを推しているんだと自覚しろ、みたいな事を言われたので覚悟を決めなければなと思いましたが、そもそも2023現場はトーク系は行かず相当選んだ上で行ってたんだよな。