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はてなキーワード: 追体験とは

2023-09-10

anond:20230909123600

料理ができる=教えるのも上手」ではないしなー

教えるの下手くそな親っているよ、相手の「できない」を追体験できないタイプ

金出せるなら料理教室とかの教えるプロに教わった方がいいんじゃない

 

料理番組動画活用して独り自己流でやるのもいいけど

日ごろ作ってきた人からは、効率化や管理のコツとか、けがや火傷を防ぐ動き方を教えてもらえる(はず)

個人的にはADHDにはこっちが重要だと思う

2023-09-09

20時間も眠っちゃったからもうこれは臨死体験と言っていいよね

ずっと過去の思い出を追体験してたよ、小学校の時に好きだった子と一緒にいた

中学校の時の友達も合流して高速道路で爆走してる車のやまびこ聞きながら、真っ暗な山の斜面で唯一光ってる月を見てた

死んだ後の世界もこんな感じなんだろうなぁ

いい思い出が多ければ天国のような夢を見続けて

悪いことばっかしてると地獄のような夢を見続けるんだろうなぁ

2023-08-29

パウリナ・サラスロベルトミランダを殺したのか?(1)

 この度、岩波文庫からアリエルドルマン(昔は、英語風にドーフマン表記だった)の戯曲作品『死と乙女』が刊行された。90年代に一度、英語から日本語翻訳されたものが劇書房から刊行されたが、その後は長く絶版品切状態だった作品である

 「過去に読んだが岩波文庫から復刊したことは知らなかった」という人は、書店に急いで欲しい。

 読んだことの無い人も、やはり書店に急いで欲しい。

 もしかしたら、作品を読んだことは無くても、朴璐美真木よう子などが主演した舞台を、日本国内で観たという人もいるかも知れない。または、ポランスキーによる映画作品を観た人もいるかもしれない。

 ちなみに、これを書いている増田は、ど田舎生活低所得者なので、演劇文化とは縁が無いことから舞台を観たことはない。

 今回の岩波文庫版は、著者の母語であるスペイン語で書かれたバージョンから翻訳となる。翻訳者による詳細な解説があるので、作品執筆の背景となった70〜90年代チリ内外の政治事情を知ることも出来ることから、一読者として有り難い。

 これを目にしている貴方が、書店に赴いて『死と乙女』を入手して読んでくれるならば、もう以下の駄文を読む必要は無い。

 この増田が読むことを勧めている『死と乙女』とは、どのような作品なのか、読んだことは無いが少しだけ興味が有るという人に向けて、以下を記す。

 ただし『死と乙女』の結末に触れる部分があるので、未読で結末は自分で知りたいという人は、ここで一旦、この駄文を読むのをストップしてもらいたい。

 また、直接的ではないものの、性暴力言及する箇所もあるので、精神的な苦痛を喚び起こされる虞がある人は、ここで読むことを止めてもらいたい。

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 物語の大雑把な時代背景と、粗筋を述べる。

 1970年南米チリで、サルバドール・アジェンデ大統領とする政権誕生した。俗に、史上初の民主主義選挙により誕生した社会主義政権とされる。

 しかし、アジェンデ政権を皮切りに中南米地域社会主義国がドミノ倒し的に増加することを怖れた米国ニクソン政権は、チリへの介入を決定する。かくして、米国の後ろ楯を得たピノチェトが起こした軍事クーデターによって、チリ独裁国家となる。

 この独裁政権時代チリでは、多くのチリ国民政治犯として弾圧され、不当な身柄拘束、拷問虐殺対象となっている。

 チリ国外亡命した人間もいる(亡命はしたものチリ国外暗殺されたという人間もいる)。映画『イル・ポスティーノ』の主人公詩人も、そのような逃亡者であったことを、記憶している人もいるかもしれない。或いはまた、ヨーロッパ亡命していたチリ映画監督ミゲル・リティンが、ピノチェト支配下チリへ潜入して取材する姿を、コロンビア出身ノーベル文学賞受賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスルポルタージュ戒厳令チリ潜入記』(邦訳岩波新書)として著したので、それを読んだ人もいるかもしれない。   

 本作『死と乙女』の著者アリエルドルマンも、チリ国外亡命した人間の一人である

 そして『死と乙女』の主人公パウリナ・サラスもまた、ピノチェト政権下で筆舌に尽くし難い苦痛を味わい、生還したチリ国民の一人である

 本戯曲題名は、音楽家シューベルトの曲に来する。

 パウリナの夫ヘラルド・エスコバルは、ピノチェト政権下で、弾圧されている人々をチリ国外亡命させる手助けをしていた。そのためにヘラルドは、ピノチェト政権当局から弾圧対象とされた。

 しかし、ヘラルドが当局の手を脱して逃亡したので、彼の居場所を吐かせるために秘密警察は、彼の妻であるパウリナの身柄を拘束し、彼女拷問した。その時、拷問者は、目隠しされたパウリナをレイプしながら、シューベルト作品『死と乙女』をBGMに流したのである

 時が流れて90年代に入ると、チリ民主主義国家へと移行する。ヘラルドが逃亡する必要も、パウリナが夫の隠れ場所を吐かずに耐える必要も無くなり、二人は夫婦として、堂々と暮らせるようになった。しかし、パウリナの心には、拷問による拭いきれない大きな傷が残り、それが二人の暮らしに暗い影を落とし続けていた。

 民主主義政権となったチリ政府は、ピノチェト独裁時代に行われた弾圧について、調査究明を行なう国民約束し、そのための調査委員会を任命する。今やパウリナの夫ヘラルドは、その調査委員会のメンバーの一人である。これが、物語の開始の時点で、主人公の置かれた状況である

 物語の冒頭、或る晩、ヘラルドは、パウリナの待つ自宅へと自動車で帰る途中、タイヤパンクにより立往生していたところを、通りがかった医師ロベルトミランダに助けられる。ロベルトミランダの車で自宅に送り届けられたヘラルドは、夜も遅いし助けてくれたお礼にと言って、ロベルトに自宅へ泊まっていくことを勧める。

 結局ロベルトミランダヘラルドの申し出に甘えることにし、ヘラルドが寝室に居るパウリナに声を掛けて、彼女にも客人を泊まらせることを了承させる。

 翌朝。

 ロベルトミランダは、椅子に縛られている。パウリナが、彼にリボルバー拳銃を突き付けている。

 それを見て驚く夫ヘラルドと、狼狽する医師ロベルトミランダに対して、主人公パウリナは告げる。

「昨夜、この男の声を聴いて気づいた。この男、ロベルトミランダこそが『死と乙女』をBGMとして流しながら、あたしを拷問し、レイプした人間だ」と。

 ロベルトミランダ拳銃を突き付けて「洗い浚い罪を吐かせる」と主張する主人公パウリナに対して、夫ヘラルドは思い止まるように説得する。

 チリピノチェト独裁体制を脱して民主主義国家となったとはいえ、いまだピノチェトを支持するチリ国民も決して少ないとは言えない(現実世界2023年現在でも、ピノチェト支持者が残っているのだから民主政権に移行したばかりの90年代前半を時代設定としている物語の中では、尚更である)。独裁政権時代弾圧活動に関与した人間たちの全てを、罪に問うて処罰しようとしたならば、親ピノチェト派の有権者からの反発を招き、まだ体制も盤石とは言い難い民主主義政権が倒れることになりかねない。最悪の場合内戦が勃発して、更に血で血を洗う国民同士の殺し合いともなりかねない。

 そのため、現実世界チリで行われた調査も、調査対象事件を「被害者殺害されたという重大なケース」に限定し、尚且つ、真実を綿密に明らかにした調査報告書を作成する代わりに、弾圧関与者の氏名公表や厳しい処罰免除するという、謂わば折衷案の形をとらざるを得なかった。

 処罰免除するという条件を餌にした、一種司法取引によって、ピノチェト独裁政権時代弾圧に関与した人間に、己の罪を自発的告白するように促したとも言える。

 しかし、もしも調査委員の一人であるヘラルドの妻パウリナが、ロベルトミランダ殺害してしまったとしたら、いや、殺害せずとも、拳銃を突き付けてロベルトミランダ自白強要したこと世間に知られたならば。

 民主化した政権も、真相究明も、全てが水泡に帰すことになりかねない。

 パウリナは、ロベルトミランダの命までは取らないことを条件にして、今ここにいるパウリナ、ヘラルド、ロベルトミランダの三人で"裁判"を行なうことを強引に承諾させる。かくして、現実チリで行われた真相究明の動きを追体験するような、緊迫の一夜が、舞台上で演じられることとなる。

 以下では、物語の結末に触れているので、未読の人は一旦ここで増田駄文を読むのを切り上げて、まず『死と乙女』を読んでもらいたい。

 ロベルトミランダに罪を告白させること(供述テープレコーダーに録音した上で、ロベルト自身の手で文字起こし原稿を書かせ、さらに「自発的真実を語った」と宣誓する署名までさせること)が出来たミランダは、ロベルト監禁する前に家から離れた場所へ移動させておいた彼の車を、返すために取りに行くようにと夫ヘラルドに頼む。

 そして夫ヘラルドが家を出て二人きりになると、パウリナはロベルトミランダ銃口を向け直す。

 「真実告白すれば命を助けると言ったのに、約束が違う!」と抗議するロベルトミランダに、銃口を向けるパウリナ。

 パウリナは、ロベルトミランダの語りを聞いて、心の底から反省や悔悛が彼には見られないと判断したのだ。

 ここで演出として、舞台には幕が降り始め、パウリナとロベルトミランダの姿を隠すとともに、その幕は鏡となっており、演劇『死と乙女』を観ている観客たち自身を映し出す手筈になっている。

 再び幕が上がると、物語ラスト場面であり、パウリナとヘラルドは、二人で連れ立って、音楽演奏会に出掛けている。演奏の休憩時間では、他の観客と、調査委員会による調査の成果について、夫ヘラルドは語り合っている。

 休憩が終わり、演奏が再開される。

 すると、その演奏会の会場にロベルトミランダが入って来て、主人公夫婦から離れた、ずっと後方の客席に彼は座る。

 夫ヘラルドは気づいていないが、パウリナはロベルトミランダ存在に気づいて、しばし後ろを振り返り、ロベルトミランダを見る。ロベルトミランダは、何も言葉を発すること無く、ただ、主人公パウリナに視線を向け続ける。やがてパウリナも、ロベルトミランダから視線を外し、前方(演奏会舞台があると設定されている方向)を向いて、物語は終わる。

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 パウリナ・サラスは、ロベルトミランダを殺したのだろうか?

 この増田は、殺したと考えている。(続く)

2023-08-22

anond:20230822184335

できねーから

いくらオナニーしても追体験できねーから

できないことを想像してることにかけては通常セックスTSセックスも変わんねーから

anond:20230822182130

チンコ擦ってるだろ。

作中のイケメン美少女ラブラブエッチしている生理は、オナニーによるホルモン活性化追体験できる。

でも女体化による性志向メス化チンコ擦っても追体験できないんだよ。

2023-08-02

すでに死んでいる人のために犠牲になる必要なんてこれっぽっちもない

https://anond.hatelabo.jp/20230801140703

これに対して、皆が口々に「書いてくれてありがとう」はあまりにも無責任だよ。

これは増田が背負うべき責任でも何でもない。

現世は生きている人のためにある世界なのだから、死人のために犠牲になる必要はない。

実際に被爆した人たちがどれだけのトラウマを抱えてようと、増田自身トラウマを抱える必要は全くないのだから

しろトラウマを抱えていた人たちは後世にトラウマを残さな責任があるのだから増田もっと怒ってもいい。

勘違いするバカいるから先に言っておくけど、だからといって戦争核兵器使用肯定するわけではない。

そんなものダメに決まってる。

からといって、その抑止が、当事者と同じレベルトラウマを跡継ぎに負わせることでいいわけないだろう。

それが本当に核兵器利用の抑止になるかどうかは疑問だし、もっと効果性の高い方法はいくらでもあるはずだ。

もちろんここでそれを議論したいわけではない。誰か頭のいい人がちゃんと考えてくれ。

ただ、被害を忘れないようにと自らの被害追体験させることは、もはや加害行為であるということをもっと考えるべきだ。

ここで俺が言いたいのは、当事者たちがどれだけの未練を背負ったかは知らないが、そんなもの自分たちが墓まで持っていけということだよ。

こんな思いをしてまで個人が語り継ぐ必要なんてない。物言わぬ資料館に任せればいい。

それよりも許せないのは、こういう人の意見を利用して他国に石を投げることを肯定する人間たちだ。

それはもう暴力肯定であって、戦争をなくしたいのではなくて相手を殴る自分肯定したいだけになっている。

バービーの件で一番うんざりするのはそこ。

自分たち被害を語るなら、合わせて自分たちの加害も語れよ。

そのどちらをも持って、再び繰り返すべきではないというならわかる。

そうじゃないなら、そんなもの欺瞞であり偽善だ。

聞こえのいい言葉呪い個人押し付けておいて、自らの暴力肯定する人間戦争反対を語ってくれるなよ。

自分在日朝鮮人3世だけど、一連の話はまじで腹が立っている。

自分たち悲劇被害ムーブで語るくせに、自分たちの加害については一切口にしないその態度に。

自分たち祖先がどれほどひどい目に遭ったかも知っているし、それを理由にどれだけの横暴を繰り返したのかも知っている。

自分にしてみればそんな枷を背負いたいとも思わないし、自らの被害を自らの暴力肯定のためだけに語ろうとする同胞たちにうんざりしてきた。

そういう輩を見た日本人は何をしてきたよ。

反省して悲劇を繰り返さないって思った?なんだこいつら関わらんでおこうとしか思わなかったろ?

いま自分たちがしている行動をもう一度見直すべきだね。

戦争をなくしたいなら、核兵器使用をなくしたいなら、過去被害をほじくり返して騒ぎ立てることは無意味だし、むしろ逆効果だ。

過去はきっぱりと切り捨てて、未来の話だけをしたほうが遥かに建設的だよ。

少なから自分はそう生きているし、子どもたちに過去の枷を背負わせるつもりは一切ない。

ただのお気持ち表明でしかないけど、俺はこの増田が素直に可愛そうだった。

それは君が背負うべき役割ではないし、そんなことを押し付けてくる周囲にもっと怒るべきだ。

自分自分幸福を最大化させるためだけに生きればいい。

そのために必要なことだと言うならもちろん異論はない。

ただ言わせてほしいのは、そうやって周りが褒め称えることは、自分たちが苦しみを背負いたくないからといって相手押し付けるような呪いしかないということだよ。

増田がこれ以上呪いを背負う必要はない。自分たちが何とかするから自分人生生きろ。

誰一人その一言を言ってやれないことのほうが不気味だよ。

2023-07-29

キング・クリムゾン能力

まず、キンクリの能力ジョジョ5部を読んだ人ならはっきりと理解できる形で簡潔に説明できる。

キンクリは、「過程無視して、結果だけを得る能力

これはまさに、アバッキオの同僚が語った「避けるべき道」そのものだ。


そして、上記のキンクリ能力定義から、GERの能力すらも簡潔に説明できる。

それは、「キンクリ(対峙する能力)の逆を相手に跳ね返す」というものだ。

GERの攻撃を受けたディアボロは、「キンクリの逆の能力」「終わりがないことが終わり」、つまり過程だけを永遠に追体験し、決して結果には至らない」という、

キングクリムゾンという能力が切り捨ててきたものを、能力自身に跳ね返すという能力だ。


これらの能力ボス、そして主人公に与えられているという事実は、それが5部のテーマであることに他ならない。


まりキングクリムゾン、そしてゴールドエクスペリエンスレクイエムは、5部のテーマにおいて、対になる能力なのだ

そう理解すれば、キンクリの能力とはどのようなものなのかという話は、簡単だ。


そしてさらにそこからある意味5部最後の謎である「眠れる奴隷」、つまりローリング・ストーンズ能力輪郭も見えてくる。

そして、5部最後の謎である"眠れる奴隷"が示すものを受け継いだのが、6部なのだ…副題が「ストーン・オーシャン」だし。間違いない。


プッチ神父が示した(示そうとした)正義は、まさに「全人類が"ローリングストーンズ的覚悟"を引き受けた世界」のことだからだ。

そのような運命論を、どう乗り越えるのかが、6部のテーマなのだ


キングクリムゾン能力について語るとき、GER、そして5部のテーマを絡ませないこと、

そして5部のテーマと"眠れる奴隷"、そして6部のテーマを絡ませずに語ることは、誤った語り口である個人的に思う。

2023-07-27

小学生の頃の夏休みを思い出すゲームを買ってきた

くっそ暑いのでSteam夏休み追体験ゲーム買ってきました。

どんな内容なのかかるーく書いてみます

ストーリー

念願の夏休みだけど両親が忙しくて叔父叔母の家に預けられる事になった小学生主人公

都会ぐらしの主人公にとって、田舎の夏にはワクワクする事がいっぱい。

従姉との再会。大自然との触れ合い。宝探し秘密基地。ひと夏の忘れられないおもいでを30枚の絵日記に残そう!

様々な夏休み体験ミニゲーム除く)

作中にあるミニゲーム形式夏休みの想い出

フラッシュ暗算をひたすら繰り返すゲームになっています。大変だった記憶が蘇る・・・

と言うか釣り昆虫採集です。どうぶつの森と地続きなのかな?ってぐらい多種多様な虫や魚が採れます釣りスキルを強化して海釣りに挑戦して・・・なんかマグロとか釣ってんだけどって笑えちゃう。余った虫魚は研究者に売ってお金になるので本作のメイン金策です。

家事の大変さを学ぶとして叔母さんの洗い物を手伝います。汚れが数値化されていて0ちょうどになるように加減したりして磨いていく。マイナス1以下になると割れちゃうから注意。やったなーって記憶が蘇る。

タイミングよくゲージを止めて相手のメンコを吹っ飛ばす!まるでコロコロコミックのようなノリで展開される笑いと熱血のあるシナリオ駄菓子屋で買えるめんこのコレクション要素も見どころ。

占い師と協力して特殊釣りゲームを行って金色の魚を釣り上げるミニゲームで作中で一番むずかしいか・・・主人公の体力を上げておかないと積むのも面白さの1つ。

近所の高校夏季練習にお邪魔して、小学生ながらマラソンを鍛えて顧問先生に挑戦するミニゲームです。ときメモをなんだか思い出すデキ。

とまぁ、ゲームだけど、懐かしの夏休みを堪能できました。面白かったです。

https://store.steampowered.com/app/1227890/_/?l=japanese

ゲームこちらです。

冬休み版も日本限定で先行発売されたようなので次はそっちを遊びます

2023-07-17

物語わたしたちの中にある(君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか、をみた。

自分ジブリファンではないので、物語の先にある「モデル」や「元ネタ」までは考えが及ばないのだが、

「こんなお話だと解釈したぞ〜」ってのを書きたい!(ネタバレあり)



大まかなストーリー

ライフステージ転換期の、戸惑いと受容を描いたお話」だと思った。

・眞人:少年から青年期への変化(ヒミ=ヒサコも同年代

・ナツコ:青年から母親への変化

転換期の渦中、心や体の変化に戸惑いを抱える者たちが神隠しにあった〜みたいな。

キリコに関しては、次のステージに引き上げてくれるキャラに感じた。

ちょっと悪知恵をくれる先輩だったり、手助けしてくれる産婆さんみたいな(実際物語では船頭や見守り役に徹するし)。





以下、私の解釈をつらつら書く



1.変わりたくない眞人とナツコ

戦時中だが暮らしには困ってなさそうな眞人。

だけど眞人はこの先の人生に興味がなさそうで、疎開先の学校も嫌、新しいお母さんも嫌、

気持ちはこれから先の「生」よりも、死んでしまったお母さん、つまり過去」に向いている。

しかし体や心は先へ先へと成長していて、ナツコや父親の「性」に触れて戸惑い、怒りを感じている。

塔への侵入が失敗に終わった後の眞人の声の低さに驚いた。

「塔への侵入を試みる=精通メタファー?」なのかな。

2次成長の強調を感じて、眞人は少年青年になりかけている状態なんだなと思った。

初期、アオサギヘ異常な攻撃性を持って接しているのも思春期のあまりあるパワーを感じたw

自傷行為は、クラスメイトへの嫌がらせではなく「こんな環境に送り込んだ父親」を責めたい面もありそう。

自分拒否しているんじゃない、周りが自分拒否しているんだ」という状態を作り出したい、

社会への拒絶を相手のせいにしたい…という受け身な心の表現のように思えた。

アオサギはそんな「社会的死を望む眞人の心の表れ、葛藤」なのかなと。

成長なんかしないでずっと自分の中にいたい!ずっと子供でいたい!みたいな願い。

眞人はずっとお母さんの子供でいたかった。

異世界に行ったのもの「ナツコを取り返しにいくぞ〜!」みたいなモチベがあったわけではなく、

ただただお母さんに会うために、流されるままにいった印象。

なんなら「お母さん=過去」に向かって、成長したくない〜〜みたいな思いも抱えながら向かっている感じ。

門をあけるのもペリカンの力だし、船をこぐのもキリコの力。

まだまだ与えられる存在の「キッズ」なんだよね。

同様に、ナツコもつわりに苦しみ、出産が怖かった。いきなりできた息子(眞人)が怖かった。

言われなきゃ妊娠中なんてわからない、母親感のない妖艶なお姉さんビジュ。

そんな、変化が怖い!変わりたくない!状態の眞人とナツコが、同じく殻に閉じこもった大叔父に導かれて異世界へ行ったのかな〜というのが物語の始まりの捉え方。


2.大人のヒミツを知ってしまう眞人

ヒミとの出会いは、「自分の中の母親像に別の面を見つける」という体験だったんじゃないかなあ。

母親元少女だったことを知る、そして少女母親になるということのヒミツを知るというか。

産屋に入る=禁忌を犯す…というのは、「性行為」を知る?とかなんじゃないかなと。

(ナツコとヤったとか、ナツコで抜いたとかじゃなく、どうやったら子供ができるか知っちゃう…みたいな)

ヒミ/ヒサコ、ナツコ、眞人は性行為を知っているか楽園から追い出される…みたいな見方もできるのかなあ。大叔父はそれを知ることを拒んだからずっと楽園にいる。

血の表現の多さや、おどろおどろしいジャムパン処女性の喪失のようにも思えたし、ジャムパンキリスト教で言うワイン(血)とパン(肉)にも思えた。

(あの食事シーンでキリストとの契約人類繁栄させ続けることを約束させられたのかな?とも思ったり。)

精子っぽい表現の多用、「命を奪う、頂く」「命が死ぬ、命をつくる」みたいなモチーフも多くて、全体的に「命の受け継ぎ」が描かれてる感じがした。

ワラワラ邪魔をする老ペリカンたちは、戦争によって死んでしまった人や今で言う氷河期世代なんかの

「そう生きざるをえなかった人々=命を繋げなかった人々」なのかなあとも思えて、

その選択や悲しみを否定する気にはならず、敵キャラだとは思わなかった。

このへんは私が出産適齢期を過ぎつつある未婚女性からそう感じ取ったのかも。

そしてこれだけ性的な印象を感じておきながら、物語全体を通して「子を産め」というメッセージだとは思わなかった。

というか、大叔父世界で作り出されるワラワラたち=精子たち?は…なんか受精しなさそうな感じがするw

殺生もせず、無垢もの加害意識を持たざるもの)の精子放出は、オナニーなんでないかい…?と。。

ナツコが「あんたなんて大嫌い」みたいに言うのは、眞人だけに向けられた言葉じゃなくて

子供を産み育てることへの恐怖、与えられる存在から「与える・守る存在」に変わらなければならない、母になることへの恐怖の表現なんじゃないかなと。

眞人が「お母さん」と呼びかけることでやや柔和な表情に変わるのは、眞人への好意ではなくて覚悟が決まったような、我を取り戻したような感じがした。

あのシーンでナツコは母になる覚悟、眞人は大人になる覚悟母親の死を受け入れ新しい母親を受け入れる、実社会と向き合う覚悟)が決まった感じ。

そういう意味ではこの物語神隠しではなくて、「ナツコの出産」の寓意でもあるのかな?


3.世界への責任に気付く眞人

13個の石の積み木が駿の作品数を意味しているとは思いもしなかった〜!(というかそんな知識なかった!)

英語12まではeleven…twelve…て数えるけど、13からはteenで数え始めるので、そういうキッズティーンの境目に留まる…みたいな意味なのかなと思って見てた。

叔父キッズにしがみついて、1から13まで積み続けるが13を超えられない(13個詰むとバランスが崩れてしまう)

知識自分想像の中だけで楽園を作り上げ、維持している。

眞人にとってのアオサギは、大叔父にとってのインコ大王なんじゃないかな。大叔父は、インコ大王と共に自分楽園に閉じこもることを決めた。

眞人はアオサギを説得し、社会と向き合うことを決めた。13よりその先の世界を作っていくことを決めた。

(この異世界聖書楽園だとしたら、キリコは蛇の側面もあるのかな…)

叔父もけして悪役とは思えなかった。

本をたくさん読んで知識理想社会への願いはたくさんあったんだろう。だけど実社会で石を積むことを選ばず、自分楽園を"理想世界"にすることを選んだ。

叔父は眞人を楽園に閉じ込めようなんて思ってなくて、世界へ送り出すことを心から喜び、希望を託しているように思えた。

このシーン、これが駿からメッセージなんだろうなと思って見ていた。

自分理想知識教養を大切に、でも自分の中だけでもなく、血縁でもなく、半径5mでもない、外の世界と折り合いつけて"よく生きてくれ"みたいな。

いつまでも誰かの作品や誰かに庇護される世界に留まっているなよ〜みたいな。

私たちはみんな14個目のブロックを渡されていて、この世界をよくするためにそれを投じる責任がある。そんなことを思った。


4.じきに忘れていく

神隠しのような、蘇りのような、胎内回りのような鑑賞体験を通して自分が感じたのは「やだ〜〜思春期追体験みたい〜〜〜」という感想

アオサギが言ったように、私たちはじきにこの感情を忘れてしまう。

だけど異世界は石のカケラと、キリコ人形を残してくれた。

成長と共に、私たち世界への意志理想希望や野望)はどんどん弱まってしまう。だけどカケラぐらいはみんな持っている。

自分が忘れても、キリコ私たち思春期を見守っていてくれた少し上の先輩)はうっすらとその青い時代を覚えていてくれる。

私たちはいつかの眞人でありナツコでありキリコなんだろうな。

この社会の暖かさと、この社会大人として生きていく自分責任…みたいなものを感じらせられて、鑑賞後はなんだかじんわりと涙目になってしまったのだった。


感想おわり

アッ…そういえばこの映画には「おわり」がなかった。たぶん。

監督から後世を生きるわたしたちに対して「社会と関わること」「命を紡ぐこと」「ものをつくること」のバトンを受け渡されてるような気がして、

この世界はおわらない、つづいてく…さぁ、君たちはどう生きるか?みたいなメッセージを感じた。(タイトルのまんまァ!!)




さいごに

この映画難しいなって思ったのは、小さな感情の動きやメタファーっぽいものバラ撒かれていて、

それらが調理されて最終的にハンバーグやらカレーになって出されるでもなく、そのまま終わるところ。

見る人は、物語カケラ自分なりに取捨選択して、頭のなかでそれぞれのストーリー調理しなければいけない。

それゆえ、ジブリや駿ファンはそれを彼らの社史や人生だと捉えるし、そうでない人は何か別のものに捉えるのかも。

(当然"カケラ"だけ渡されるわけなので「なんのストーリーもなかった…なにこれ?」となるのも当たり前。)

私は出産適齢期を過ぎつつある未婚女性なので、どうしてもカケラの拾い方や積み方にクセがあると思う。

でもそういう、「見る人によって様々なミスリードが生まれる=見る人の中にいろんなストーリーが生まれ作品」って本当に面白いと思うんだよね。

結局この映画が見せているのは映画ではなく、自分自身のような気がする。

私の勝手解釈を読んでイラだった人もいるかもだけど、もしよかったら他の方が感じたストーリーも教えてほしい!

▼楽しかった解説メモ

先人の皆さんたちの解説も楽しく読みました〜!!(ジブリいろいろ未視聴なのでほ〜そう読み取ると確かにおもろ〜と勉強になった…

https://anond.hatelabo.jp/20230714205336

https://anond.hatelabo.jp/20230716093137

https://anond.hatelabo.jp/20230715212033

おれは天性の下戸だけど、ビールに合う味とかワインに合う味みたいな感覚は分かる。他人感想インプットたからかプリミティブなものかは知らんけど。

たまにそういうアテに合わせて飲んでみると、やっぱりアルコールの風味は不味いなって思う。上善如水ですらこれを飲みやすいんなんて大嘘をつくなと思ったし、多分本当に飲めないんだと思う。

ただ餃子に合わせてビール飲んだ時だけはちょっと美味しいなって思った。

それはドロヘドロ読んで無性にマネしたくなった時だから、そういう追体験をしているというシチュエーション込みで楽しんでいたのも大いにあったかもしれない。まあそれでも烏龍茶なりコーラなりの方が良いと思ったけど。

付き合い程度に飲めたらいいかなとは思ってたけど、まあ飲めないなら飲めないであんな毒水飲まんほうがええわな。

でも人類を誘惑してやまない娯楽を楽しめないのも悔しいかタバコ吸ってる。

人類が育んだ素晴らしい文化なんてもんじゃなくて、単に人間の脳をハックするだけの嗜好品だという人もいるだろうけれど、おれはそういう話はどうでもいい。

セブンスターココア香りがするというけれど、おれはそれが未だに分からない。あくまタバコの風味としての話だし、砂糖を舐めたような甘さがある訳ではないのだろうけど。

昔一瞬だけ本当にココアのもの香りを感じた事があったけれど、あれは錯覚だったんだろうか。

セブンスターピースの違いを当てようと思えば多分当てられるんだろうけど、この風味を求めてコレを吸ってるんだよ!というほどには感じていないのではないかと思う。

タバコもヤニクラに耐えながら吸い続けたし、アルコールとさほど耐性は変わらないような気がする。

風味を楽しんでるというより、タバコを吸うという体験を消費してるんだと思う。

他人からはかっこいいどころか時代錯誤迷惑人間と思われるのだろうけど、おれにとってタバコを吸う所作は紛れもなくかっこいい。

映画スター一服する姿のカッコよさをスクリーン越しにそのまま取り出したような気分になれる。その新鮮さは何度ライターを擦っても色褪せない。

ただ自分にカッコつける為だけに吸ってるかと言えば、くどい飯を食った後の一服は確かに本物のような気もする。

2023-07-13

Factorio研究リー投資

積立NISAも最大限設定したし、それでも貯金はまあまああるので、個別投資で学んでみたい。日本に住んでいて日本会社給料をもらっており、日本株だとインサイダー取引抵触してしま危険性もあるので、海外の株に手を出したい。

積立NISAではSP500に入れてるので、SP500と重複しない米国個別投資したいということで、Factorio研究リーにしたがって投資する方法を試している。これを自分で「Factorio研究リー投資法」と呼んでいる。

要は、Factorio研究リーの後半に登場するエネルギー系株でSP 500に重複しておらず、事業内容的に今後伸びそうな企業投資してみるというスタンスだ。工場自動化ゲームFactorioは、何もない状態からプレイヤー

工場を発展させることで研究リーが進み、新たなエネルギー工場コンポーネントなどが解放される仕組みとなっている。研究リーの内容はMODを入れていなければ、極端に言うと人類産業革命追体験することに近い内容となっており、

後半側に登場するツリー内容に投資しておけば、それが数年、数十年後には株価が上昇するのではないか? という仮定だ。

これが面白いのはそれぞれの企業存在する背景や事業内容、それぞれのエネルギー現在地とこれから何となくかめることだ。私は世の中のことを何も知らないバカなので、

例えばそのエネルギーをどう取り出して抽出しているかなど、それだけでも社会勉強している気分になる。社会勉強して、投資して、うまくいけばリターンが返ってくる。めちゃくちゃ面白い

半分おふざけでやった面もあるので少額しか買えていないが、第1段として取り組んだ結果、今のパフォーマンスSP500の25%を大幅に上回る70%のパフォーマンスを見せてしまった。

当然個別投資なので分散なんてほぼできていないので、すぐに乱高下することもあるだろう。ただすでに積立NISAの方で老後の蓄えは賄える気がするので、このままこの研究リーにしたがった投資法を試していこうと思い、第2段を投入してみた。

この先どうなるかは分からないがいろいろな事業内容を学べてるだけでも面白いので、まあいいかなと思っている。これに飽きたらその時点で利確してもいいだろうし。

2023-07-05

anond:20230705175807

かんじょういにゅう 【感情移入】


他人言葉や表情をもとに,その感情や態度を追体験すること。共感。


②〘哲・心〙〔empathy;Einfühlung〕リップスの美学などで,自然芸術作品などの対象自分感情投射し一体化すること。


お前さんが言ってるのは②の意味だな。

[] 映画怪物」と一部批判について

ネタバレを含みます

未鑑賞の方は事前情報なしでの観賞を強くおすすめします。














監督是枝裕和脚本坂元裕二映画怪物を観た。

個人的に本当にすごく良かった。多くの人にこの映画を観てほしいと思う。

一部から意図的クィア映画であることを隠蔽しているという批判が上がってるみたいだけど、僕は制作サイドの判断を支持したい。

なぜならこの作品人間が持つ無意識の加害性、また特にマジョリティマイノリティの人々をいか無意識に加害しているかということも描いた作品だと思うから

自身は元ヘテロバイだけど、この映画は事前情報なしで観に行けたので湊の母親や保利先生視点ヘテロとして追体験できた。

そして、この映画を観た多くのノーマルの人々と同様に第三幕で明かされる真相に大きな衝撃を受けることができた。

もし、事前にこれがクィア少年同士のラブストーリーだと知っていたらここまでの衝撃を受けることはなかっただろう。

そして、バイセクシャルをカミングアウトしていない僕はきっと映画館でこの映画を観ることはなかった。

また、もし大々的にそれが告知されでいれば、一番この映画を観てほしいマイノリティかもしれない子供の親たちにこの映画は届いただろうか。観れたとしてもそれは事前情報なしの観賞体験とは全く異なるものであったはずだ。

もしこの映画に注文をつけるとしたら、最後のシーンだけだ。湊と依里が生きていると確信できる描き方にしてほしかった。

ただ、あの終わり方だったからこそ彼らは観客の心の中で生き続けるのかもしれない。

2023-06-25

”ぶつかりおじさん"なるもの最近初めて知った

なんでも通りすがりにぶつかってくるおじさんのことを指すらしい。

へぇそんな悪質な人が居るんだなと思う反面、最近田舎から東京引っ越してきた自分としては「それっておじさんだけなのか?」と思うところもある。

というのも、東京民ってすれ違いに避けなくないか

東京駅が常に混雑しているのは仕方がないとしても、歩いていてこちらに真っ直ぐ向かってきても一向に避けようとしない。

それはおじさんに限ったことじゃなくて、というかどちらかといえば若い女性に多い。

すれ違い様、明らかに避けないと肩がぶつかる。

そんな状況でも相手は一切身体を避けず、真っ直ぐに堂々と歩みを進めてくる。

こちらが寸でのところで身体を翻して避ければ、向こうは何事もなかったように前だけを見て歩き去っていく。

何だかこちらばかりが気を使って損をしている気になって、卑しくも悔しくて、そこで一度実験してみたんだ。

避けないと、どうなるかって。

するとぶつかった。簡単にぶつかった。当たり前のことだ。相手も避けなかったんだから

肩がぶつかり、相手は”信じられない!”と言った具合に目を見開き、その場で数秒足を止めて私のことをにらみ付けてきた。

そのあと何事もなかったようにスマホに目を落とし、忙しなく指を瞬かせながら足早に去っていた。

理不尽過ぎないか!?


このような投稿を俺は昨日の土曜に行っていて、ブクマが三つ付いていた。

でも今朝確認してみると、そんな投稿はなくて、ブクマゼロ

当然だよな。

だって投稿していたのは夢の中で、俺は夢の中の投稿を思い出して、今ここでこうして実際に投稿しているわけで。

でも夢の中で俺は確かに現実に起こったことをそのまま記事にしていて、でも俺が夢で見たのは増田での投稿たこ記事のみだ。

俺は夢の中でブクマが付いたこ記事のことを見たはずで、この記事の内容自体は実際に体験したわけでもないのに(ただ単に投稿した記事のことだけを覚えているのだから)それでも俺はこの記事の内容を何故か”現実のこと”のように感じられるし、体験していないのに体験したことのあるような気がしている。

記事の中にある回想の思い出を追体験したような夢を見たわけでもないのに、俺はそれを夢でありながら現実のようにも感じてしまっている。

縞模様のワンピース身長160センチほど。おそらく20代で、上白石萌音似の女性

彼女は俺が避けないとぶつかってきて、信じられないといった大きな目を俺に対して向けてきた。

俺はそれを夢の中の記事を見ただけで実際には記憶にないはずだが、俺はそれを覚えている。

現実出来事として。

俺は疲れ過ぎているのかもしれない。

2023-06-17

下書き

書き直し。

ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。

 

全部谷川俊太郎って演奏会明日やるんだけど、中の2曲が自分経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい

「生きる」と「ネロ」。

 

去年の夏、子供誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。

 

数日後、会社仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。

数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援ヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。

会社は早退して駆けつけた。

 

病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署手続きやら葬儀社の互助会書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団練習は無断欠席していた。

 

 

諸々落ち着くまで合唱団練習は一ヶ月ほどお休みした。

復帰してはじめての練習に行ったら、新曲が始まっていた。

「生きる」だった。

ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。

 

うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。

曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。 

 

……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。

それはのどがかわくということ

木もれ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。

本来の詩とは少し違うが、合唱歌詞としては

くしゃみをすること、手をつなぐこと

あなたと、あなたと手を…あなたと、あなた

と続く。

くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。

 

これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系から、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。

そうはならなかった。

寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。

そうはならなかった。

私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまたからだ。

私は亡くなった人と手をつないだことがない。

 

曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然科学芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。

それら美しいもの出会うということ。

あの人はもう、新しく美しいもの出会うことはできない。最後電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。

 

「生きる」というタイトルなのに、谷川俊太郎の詩は死が匂う。

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこが揺れている、揺れているということ

いま、いまが過ぎてゆくこと

不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。

生も死も同じ時間の中にある。

 

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。

もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリ存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。

それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さな人間でも、愛する可能性がある希望

 

そして曲はまた、

あなたの手の

あなたの手のぬくみ

いのちといういのちということ

生きるという生きるということ

あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。

 

私が繋がなかった手のぬくみ。

永遠に失われ、想像上にしか存在しない温かさ。

 

 

一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。

空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。

子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。

  

亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。

でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。

去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。

今日リハーサル明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。

もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。

 

 

ネロ」も練習復帰後すぐに始めた曲だ。

これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。

しか

ネロ

もうじきまた夏がやってくる

(中略)

おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった

と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ

 

主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。

何でもかんでも自分関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。

 

今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。

ネロ

もうじき又夏がやってくる

しかしそれはお前のいた夏ではない

又別の夏

全く別の夏なのだ

去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。

お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。

去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。

 

曲は、しか喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。

たびたび出てくる「知る」という営為

そして僕は質問する

いったい何だろう

いったい何故だろう

いったいどうするべきなのだろうと

主人公は何を知りたいのだろう?

なぜネロは死んだのかを?

なぜ生あるもの死ぬ定めなのかを?

私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。

 

詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、

ネロの声や「気持ちまでも」が「はっきりとよみがえる」。

それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、

しかネロ

もうじき又夏がやってくる

新しい無限に広い夏がやってくる

そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう

新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え

春を迎え 更に新しい夏を期待して

そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいもの貪欲に取り込む力強さ。

(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)

 

私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。

冬場からこち空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。

家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダー書き込みもそのまま。去年、子供誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。

それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。

まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。

 

 

(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記距離を置かないと吐き出しにくい)

 

引用の詩は曲のために繰り返しなどの改変があり、オリジナルと少し違っています

2023-06-15

anond:20230615180759

自分リスナーです。ただ、そこまで古参ではないですが。

元増田さんの気持ち理解できます

自分は、たぶんそれこそM-1準優勝でブレイクした頃、その後じゃない方と言われてもがいていた頃の若林さんだったら、自分の半生のドラマ化なんて鼻で笑ってそうだけど、年月を経て今の考え方では「まぁそういうのもありなのかなぁ。任せてみますか。」と受け入れられるようになっているのも理解できます

きっと元増田さんはそういう心境の変化自体若林さんが変わってしまったようで寂しいんでしょうね。

自分ドラマは毎週見てます

無理に見ろとはいいませんが、フリートークで聞いたあのエピソード実写化されてるとか、髙橋海人君の演じる若林さんが生き写しすぎるとか、そういうのだけでも見る価値はあると思いますよ。

TVer無料で見れる3話だけとか、YouTubeにアップされてる漫才完コピ動画だけでも十分と思います

このところラジオでもほぼ毎週ドラマの話してるので、フリートークもより楽しめます

何より、元増田さんが自分を重ねていた頃の二人を追体験できて懐かしく思えるんじゃないでしょうか。

ここからたりないふたりが中心になると思うので、そこを通ってないならちょっと思い入れは薄れるかもしれませんが。

まぁ何が言いたいかというと、見たくないもの見る必要はないけど、オードリー好きならこの祭りに乗っかっといても損はないと思うよ、きっと楽しめるよという話です。

地上波プライム帯のドラマに出てるTAIGAさんとかたぶん今後一生見れないですよ笑

2023-05-22

人生が変わりそうだったけど、あんまり変わんなかった漫画5選

すごい漫画大好きだけど(1万冊くらい読んでるけど)、人生変えるほどでもないなというのを、自分体験を含めて、書いていきます

もちろん漫画自分の糧となってる(色んな事を追体験できたとか、知識の幅を拡げられたとか)という自覚はあります

スラムダンク

小学生の時のずっとサッカーやってたけど、スラムダンクの影響で中学からバスケ部に入った。

けどバスケ部も入ってみたものの、面白くもなかったので3ヶ月で辞めて、サッカー部に入り直した。(ちょうど日韓ワールドカップが開催されてた影響もあるけど)

家畜人ヤプー

読んだ後、ちょっと性癖が偏った。

けど、その性癖を人前に出すわけでもなく、彼女かにも変な性癖を出すわけでもなく、ごく普通の性生活を送ってる。

僕等がいた

ちょうど中学の頃に読んでて、矢野くんっていう男の主人公的なキャラがかっこよくて(女の子モテそうな感じで)、服装とか行動とかちょっとだけ真似したりした。

結果、少しモテたりしたけど、所詮付け焼き刃で(通用するのは中学生くらいまでで)、社会人になったら自分の軸をしっかり持ってる人がリスペクトされる(モテたりする)よね。

バッカーノ!

これは漫画じゃなくてアニメ(ラノベ)だけど、センター試験2日前くらいにたまたま深夜テレビ見てたらバッカーノ!がやってて、めちゃくちゃ面白かったから、センター試験直前なのに全話観ちゃった。

ただ、意外と試験に影響なくて志望校に受かった。これでもし志望校落ちてたら人生変わってたかもしれない。

まぁ前日にアニメ観ただけで落ちるくらいなら、どうせ落ちてただろうし、あんまり影響はないと思われる。

・ピスはめ

これ読んで成年漫画にハマった。そしてそれがこうじて学生時代成年漫画を扱う書店バイトしてた。

でもまぁそれは、ただの趣味しかないし、そんな人生が変わったとかじゃないなぁ。普通全然違う業界就職したし。

結論

漫画なんて、所詮娯楽でしかなくて、だいたいの人にとっては、人生なんか変えるほどの影響力なんてない。

てか、ハンターハンター読んで人生変わったってどんな人生なんだよ笑

ただ漫画家になったとか、編集者になったとか、中華一番!読んで料理人なったとか、本当に人生が変わった人はいると思うからちゃんと影響があった漫画って知りたい気持ちはあります

もし、そういう人がいたら教えて欲しい。

参考までに、漫画的な写真表現を生み出した人(梶賀康宏さん)の記事は非常に面白かった。

http://hue-hue.com/media/photographer013/

2023-05-08

anond:20230508212404

そんなことないで

原子力船むつ、とか

チェルノブイリ福島事故が起きるまでは、とくに一般的問題にはされてなかったで?原子力って

ケツや胸からチャージする鉄腕アトムとか、なんなら原子力とは違うかもやけど核融合もつドラえもんとかガンダムとか

とにかく放射能を出さずに善に使うとか、逆に悪側が使うとか、そういう場合忌避されとらんかったんや

まぁ確かに戦争被曝してない欧米やとまた違う鈍感さはあったなー、サンダーバードなんか、放射能汚染された雨雲が通り過ぎたか危険は去ったヨカッタヨカッタてな回があって追体験してビックリしたもんなー😅

2023-04-27

アリスギアアイギス EXPANSIONが平成過ぎて凄いから見ろ

内容は二十年前のアニメかな?と思う様な美少女達がてんやわんや日常謳歌するのに終始するという、昨今の価値のある物語や迫力のアニメーションや強烈なエロスを期待すると特に何も得るものが無い題材

キャラクターの造形は地に足ついてる印象とキャラクターテンプレ感が1人のキャラ内に両方が内包されていて他の作品と比べるとアイマスっぽい感じに見え、男キャラは全員モブ顔で美男子が得に登場せず、敵に至っては物語開始前に大規模作戦があって活動休止中で出てこない。

物語の流れは1話AパートBパートに2分割した上で最後に1分程度のCパートを重ねるという1クールで2倍満足できる構成で、個人的にはギャラクシーエンジェルという朝のアニメ彷彿とさせる内容。

因みにソシャゲもあるけどそっちの出来もアニメと同じくらい古い感性オタクチューニングされていて流行最先端にいる作品ではないが長く支持しているファンがいたりする。

そんな何もかも20年前なセンスで何でこれが令和の時代に作られ、放送されるに至ってるのか全く奇跡だなぁと思うアニメ

アリスギアアイギス EXPANSION、通称アリスギアEXマジで面白いというよりは懐かしいというかホッとするというか温かいほうじ茶感凄いからお前ら試しに一回は見ろ

アマゾンプライムビデオで最新話以外無料で観れるしニコニコ動画かにもある

元ネタ

anond:20230427160935

ここからコピペ改変じゃなくてちゃんとした説明

ソーシャルゲームアニメ化」だからゲーム知らんしなーってまず思うじゃん。

大丈夫

だってゲーム原作遊んでなくてもアニメギャラクシーエンジェルは楽しく観れてたじゃない。深夜アニメだと「ヤミと帽子と本の旅人」とか原作エロゲー遊んでないのに観てたし。

何よりもゲーム原作の話を追体験とか全然やる気ない作品なので尚更大丈夫大丈夫

で、この作品のウリなんだけど

主人公アニメオリジナルキャラクターの「高幡のどか」というキャラクターで。ウマ娘アグネスデジタルみたいな女です。

主人公がデジたんみたいな汚物なんすよ・・・。なるほどそう来たかって感じ。

世界観なんだけど、人類の敵である機械生命体が存在していて、人類地球から脱出して数百年かけて銀河系を半周ほどぐるりと宇宙船で旅をして

機械生命体に勝てるだけの技術力を獲得して、女の子けが使える超武装機械生命体達と戦ってるって世界観なんだけど

アニメの直前に大きな戦いがあった結果、アニメの期間中は敵が出ないだけでなくゲームプレイヤーキャラクターが何かやらかし戦闘作戦営業停止しているって設定で

からもう原作知らなくても全然大丈夫

トンチキな平成アニメと言うか

空っぽにして笑って投げっぱなしのギャグ美少女がわちゃわちゃしてるっていうそういう、和むアニメと言うか

疲れないアニメなんですよ。

世間的には大して注目されない作品かもしれないし

今のコスパとかタイパとか重視する現代人にとっては観ても得るものがないって思われるとじゃあウマ娘や鬼滅やガンダムプリキュアなんかの話題作だけ観るわサヨナラーってなりそうだとは思うんだけどさ

肩肘張らずに、なんかこう、古いなー懐かしいなーって

クスッと笑えるアニメ観るとよく眠れる感覚ってわかる?

そういうアニメが観たいって人にアリスギアオススメっすよ

P.S.立体物めちゃくちゃたくさんあって、そこまで人気のないコンテンツにしてはオモチャが多いのが特徴でもある

2023-04-02

[]ps4 ドラゴンボールカカロット 序盤

悟空追体験というけど他のキャラ操作時間の方が長い

追体験って仕様しょうがないとはいえストーリー敵に勝ってもお話の展開にまったく影響与えないからつまらなさすぎる

つーか勝ってもまったく無意味とかバトルとか成長とかの意味ないやん・・・

軌跡シリーズかよ

いやまあifとかオリジナル難しいのもわかるけどさ・・・

話の筋わかってるから話をみるために仕方ないとも言えないだろう

2023-03-28

anond:20230328135418

子どもがいなくても理不尽、金の苦労、親の気持ち追体験は出来ちゃう

違うのは子ども起因の理不尽子ども起因の金の苦労、親の気持ちのものだよ。

そこを履き違えると意図せず人を傷つけるし、争いの要因にもなりますよ。

2023-03-21

比較対象を「風のリグレット」にしていいなら「カブトクワガタ」は神ゲーになるわな

だって風のリグレットってゲームとしての要件定義ギリギリじゃん。

デジタル紙芝居ですらない。

ゲーム機をカセットデッキにした分岐型のラジオドラマ

プレイヤー選択権がある分、選択肢のないデジタル紙芝居よりは上なんだろうが……。

ただデジタル紙芝居って純粋な「物語追体験装置」であり、あれもまたゲームという枠組みを半ば逸脱しているわけで。

たとえばどんな簡単RPGであってもプレイヤー側にはそれなりの自由度戦闘があり、そこには「無数の選択がかけ合わさった結果としての勝敗」が存在する。

その「複雑に様々な要素が絡み合った果てに結果が出力される」というイニシエーションプレイヤーキャラクターシンクロ率を大幅に調律するわけだ。

デジタル紙芝居にはそれがない。

デジタル紙芝居における選択分岐は「もしキャラクターがこの選択を選んでいた場合は」という極めて単純なIF分岐であり、そこにプレイヤー側の自由度ほとんどなく「どちらの話を見ようかな」という傍観者としての選択になりがちなのだ

それと比較すれば当然「カブトクワガタ」というのはゲームとしてだいぶ立派なものになるが……そもそも比較対象おかしいからなあ……。

スムージーゼリー比較して「咀嚼能力がない人でも食べることを楽しめる」の線でどちらが上等か比較されても「そもそもスムージーはまだ飲み物領域から出てきてないだろ」と言いたくなってしまうのだな

2023-03-07

ハルヒブーム全盛期の時に西宮聖地巡礼してみたかった

ハルヒブーム全盛期の時に西宮聖地巡礼してみたかった

当時の空気を目で見て肌で感じたかった

別段ハルヒに限った話でもない

「あの時のあの感じ」というものは何であれ 後からいくら欲しがっても簡単に手に入れられるものではない

過去追体験が決して不可能とは思わない

小説を読むなりアーカイブを辿るなり 疑似的な経験を得ることはできると思う

だがそこにリアルはない

完全ではない

からこそ今を大切に生きねばならないと思うが いくつになっても「今」はそれほど楽しくない

時間が経ってからでなければその価値に気付けない

anond:20230307182704

あ、いや、推論の過程を省いたというつもりはないんだけどね。むしろから読んで矢印に沿って読めば推論を追体験できるようにしたつもりだったんだけど。

解釈の詳細をいってもこれ以上つまびらかにする要素もないと思ってた。これ以上なんか書いてもぐだぐだするだけだし、俺のいる掲示板特にすぐ「長文」って言う奴らがいるからね。

面倒からというよりはそこからへん警戒して必要十分なだけ書いたつもりなんだけど、俺もまだまだ未熟なのかも。

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