はてなキーワード: 内定式とは
noteのテストを兼ねて。実は退職してからすでに1年以上が経過しているのですが、ようやく書きたいことがかけるようになったと思われるのでいまさらながら退職エントリを書いてみることにします。
TL;DR
文章にしてみたら、自分がどういう環境で働きたいかが整理できました。自分の思考を整理する手段として退職エントリはおすすめです。この文章にはそれ以上の価値はありません。
Safe Harbor Statement
ここに書いた内容は僕から見た一方的な内容であり、辞めたひとバイアスがかかっていることをご承知おきください。近しい人が見れば個人が特定できてしまうような記述がありますが、個人や組織を誹謗中傷する意図はありません。
楽天でのおしごと
2011年4月に新卒で入社。ちょうど6年間、金融関連事業を渡り歩きながらWebエンジニアをやってました。お客様に直接向き合うサービスを作る部署なので、開発も運用もやりました。工程でいうと要件定義/設計/実装/テスト/リリースとぜんぶやりました。役割でいうとリードエンジニアっぽい仕事もプロジェクトマネージャもプロダクトマネージャのマネごともやりました。5年目くらいからいわゆる管理職も兼任してました。
謝辞
やめる直前はとにかく退職することに全エネルギーを注いでいたうえ、決意を固めてからは有給消化という名の出社拒否を行っていたので、お世話になったみなさまにはろくに挨拶もせず退職キメてしまいました。すみませんでした。6年間好きなようにやらせていただきました。自由奔放な僕を多岐にわたり支えていただいた皆様には大変感謝しております。ありがとうございました。
現職について
株式会社ディー・エヌ・エーでお世話になっています。相変わらずWebエンジニアです。素晴らしいタレントに囲まれて楽しくすごしています。エンジニアの裁量が大きく、人材に対するリスペクトを感じます。自由なライフスタイルとマッチします。たのしいです。うぇるかむ。
よかったこと
現職での生活を1年やってみて、良かったなと思うこともまぁ少なくなかったので書きます。
面白いことがたくさん起こる
良い意味でアグレッシブな会社なので、思いもよらぬ業務提携がおこったり、わけわからんくらい事業が成長したり、(その逆もあったり、)「その発想はなかった」的な新事業が勃発したりととにかく様々なイベントに満ち溢れています。飽きることはないと思います。
内定式の直後くらいに英語公用語化がうちだされ、「入社日までにTOEICで○○○点とってきてね(とってこないとどうなっても知らんぞ)」的な脅しを人事にかけられました。おかしいな、ドメスティックな会社を選んではいったはずだったんだが・・・英語ができない子だった僕は泣きそうになりましたが、さまざまなバックアップを会社が提供してくれていたように思います。僕が在籍していた頃は英語が一定のラインに達していないと安くはない代償(労基法との兼ね合いどうなってたんだろう?)を支払うことになっていましたが。僕は強要されないと勉強しないタイプなので、結果的に英語スキルを身につけることができたのは良かったと思っています。
福利厚生が圧倒的にすごい
現職もそれなりに規模の大きい会社ですが、比べてみても福利厚生のレベルは圧倒的です。朝昼晩の食事が無償で提供されてました。会社の建物の中にジム・コンビニ・カフェ・マッサージ・クリーニングをはじめそのまま生活できそうな設備が整っています。研修も充実しています。特に、エンジニアにとって魅力的なのは海外カンファレンスに会社のお金で参加できることです。「いいから行け」的にぶっとばされます。
楽天という会社は中にいても自分たちの会社がどんな事業をかかえているのかわからないくらいにたくさんの事業を持っています。ECや金融が有名ですがそれ以外にも大小様々なサービスがあります。新規事業への挑戦も常時おこなわれています。ライフスタイルも開発スタイルも事業ごとにかなり多様性があり、希望すれば社内異動だけでだいたいのやりたいことをかなえることができます。
お給料が高い
いまでいうとインパクトは薄れましたが、僕が入社した頃はかなり高い水準の初任給を出していたように思いますし、その後もありがたいことに高い評価を頂いていたので(同職種・同年代のなかでは)お給料は高かったほうだと思います。
よくなかったこと
主に辞めた理由です。当然にネガティブな内容なので有料にして伏せておきます。楽天に転職を検討している人とか僕の愚痴をよみたい奇特な方向けです。
エンジニアの扱いがよくなかった
これは部署にもよるのでしょうが、僕がいたところではエンジニアの立場が悪かったように思います。たぶん僕の被害妄想です。とはいえ、現職と比べると圧倒的に裁量は小さかったですし、ビジネス職のメンバーとの関係も良くなかったと感じます。なんでもかんでもエンジニアが悪いことにされる傾向にあったり、筋の通らない理不尽な要求にNOといえるような環境ではなかったとは思います。
僕はたいへん素晴らしい上司にめぐまれていました。そのおかげで好き勝手やってこれたのですが、尊敬する上司の仕事は(僕にとっては)つらそうに見えました。自分が将来同じ仕事をやりたいかなと考えると胃がキリキリしてきて絶対イヤだったので。
社内には外国籍メンバーがたくさんいます。日本語がまったくできないやつも一定数います。そんなエンジニアが日本語のサービスを作っています。わからない言語のサービスを作るというのは大変なことです。間違った言葉が書かれていても間違っていることに気づけません。利用規約に間違った記述があった日には大変なことです。英語が公用語なので、英語が使えても評価されないというのはまぁ受け入れましょう。ただ、かわりに日本語が使えることが評価されるかというとそうではありません。ただ単に日本語がわからないやつの代わりに仕事が増えるだけです。ビジネスの人間は日本人ばかりで英語使わないことが多く、調整系のタスクで忙殺されるのが嫌になったので。
システムのインフラは構築はどこの部署にお願いして、rootが必要なDBの操作はまた別などこの部署にお願いして、それが何営業日必要で、とかシステム開発時の制約とか部署またぐ作業のリードタイムがなんぼとかいちいちめんどくさい上に新しいことをやろうとすると面倒なことがたくさんあったので。
僕が最後に携わっていたサービスが世の中に出たのでちょっとみてみたのですが、平成も終わろうとしているのにjQueryバリバリの2000年台初頭構成のWebアプリが完成していました。僕が置いてきたReact+マイクロサービスなアーキテクチャは無事闇に葬られていました。僕のチームがコミットしていたリリース日よりも10ヶ月遅れのリリースでした。どこからともなくさっそうと現れた「そんな複雑なシステムは運用できない」などとのたまう向上心のなさそうな、他人のアイデアにケチをつけるのがうまいベテラン(?)エンジニアがすべてをひっくり返してしまったようです。(そいつがいかにアレかを13くらいの言葉で説明できるのですが長くなるのでやめておきます)その人物が提示した見積もりは我々がそれまでに費やした工数の3分の1程度だったので、そのとおりに行っていれば去年の夏には終わっていたはずなのですが。そのエンジニアがアレなのは言うまでもないとして、そいつのアレさを見抜けない上長や、IT企業にいながらエンジニアがなにを大事にしているかを理解できずに無茶苦茶な判断をするビジネスの人間に囲まれて仕事をするのが辛くなったので。おかげさまで僕の最後の仕事はその案件で作成したすべてのソースコードの破棄でした。メンバーには申し訳ないことをしました。
退職を決意した最も大きな理由のひとつです。前職最後の人事考課の結果が極めて不満だったので。「どう考えてもこの人達より僕の評価が低いことはないだろう」と思っていた同じ職位の人間よりも評価が低かったうえに、それに対する納得の行く説明も得られなかったので。その当時僕の評価を担当していた上司は非常に管掌が広かったので、いち部下の評価まで細かいことを気にしている場合ではなかったのかもしれませんが。その瞬間この会社に対する信頼は地に落ちました。
半年待ちたくなかった
その後、非公式な場で「評価がまずかったのは申し訳なかった。半年耐えてほしい(※楽天では評価が年2回)」というようなことを何人かの上司から言われましたが、それはつまり「半年待った結果として正当な評価を受けられる」という僕がただ半年間不当な評価を受け入れるだけで、特段メリットがない提案でした。そこに対してどのような補填がなされるかといった説明はなく、耐えた後に得られるものも大したことはなさそうで、しかもそれから半年間の仕事も特段熱意を注げるようなものではなかったので。
朝会という制度がどうしても気に食わなかった
毎週1回(事業によってはそれ以上の頻度で)朝会があります。朝8時からです。そんな時間に起きたくありません。裁量労働だろうがなんだろうが関係ありません。出社しないとどういう扱いを受けるかはここには明言しないでおきます(労基法以下略)。それはヨコにおいておいても朝8時です。内容がつまらないとかではないですが、いちポンコツ社員としては「8時に始まるから7時58分までに出社しなさい」といわれて間に合うように起きることと天秤にかけるほどの重要性が最後まで見いだせなかったので。(というわけで、僕はこの制度が残っている間は絶対に楽天に戻りません。)
応募者に要求している英語のハードルが高い(割に待遇が良くない)ので、優秀な日本人を採用することが極めて難しくなっていたように思います。そのかわり英語はできるけどそれ以外は普通な人物はたくさん応募してきていた印象です。所詮は国内に根ざした企業なので、実務で必要になる英語のレベルはそんなに高くないです。なので英語ができない人のカバーをするのは難しくありませんが、優秀なエンジニアがいないのを何とかするのは極めて困難でした。会社の方針のせいで本当に採用したい人が採用できず、自分が目標にしたいと思える人物・切磋琢磨したいと思える人物が同じ組織に現れず、いろんな意味で先がなさそうだったので。
管理職は向いてなかった
上司からお話を頂いたときは嬉しかったですし、それなりの使命感をもってやっていたつもりでしたが、いま思い返すと管理職の道を選んだのは失策でした。できることは増えましたが当然にやらなくてはいけないことも増えました。僕がやりたいことではありませんでした。とはいえ当時はやりたくないといいだせる状況でもなかった(と思っていました)し、自分のキャリアアップにつながるなら...と打算的なことを考えてもいましたが、僕の考えは甘かったということが後にわかったので。
というようなことを考えていたら働く意欲がなくなったため
以上のような経緯により、それまで持っていたモチベーションが迷子になったので。面白いこともまぁまぁあり、ストレスもある環境でした。「それでも会社が必要としてくれるなら...」と思っていましたが、「お前の代わりなんかいくらでもいるよ」という空気を感じた途端に熱が冷めました。
まとめ
正直、辞めた当時は自分の判断が正しいのかどうかに結構なやみました。勤めていた時はそんなに悪くないと思っていたのですが、現職を経験して思うのはやっぱり楽天はエンジニアがエンジニアリングするのには向いてないということです。社内政治が得意な方にはおすすめです。
大学の卒業式で貰った学位記、家に置いといてもしょうがないので実家に郵送した。
俺は親に迷惑しか掛けてない手の掛かるゴミみたいな息子だったから、その息子がようやく大学を卒業して社会に出ると言う事で、感動とか色々あったんだろう。
世間一般では4/2から新社会人のスタートだが、自分の会社は少し違って一足早く明日入社する。
これから会社員として精一杯働き、そこそこ親孝行をしようと思う。
たがそれは叶わぬ夢だろう。
明日入社なのにも関わらず、社員登録表、住民票の控え、給与振込用口座の通帳、何一つ用意していない。口座に至っては開設すらしていない。10/1の内定式で説明があって半年くらい時間があったのに何一つ用意していない。
こんなものはまず仕事ですらない。でもこんなことすら満足に出来ない俺は仕事もろくに出来ず怒られて嫌になって辞めるだろう。もしくはクビになるか。一ヶ月か二ヶ月か、まあ長くても三ヶ月で会社を去ると思われる。
そうして会社をクビになってノコノコと実家に帰ったら親はどう思うだろうか。特に、ようやく息子が社会に出て自分の手から離れ、学位記を見て涙するような母親はどういう反応をするだろうか。そう考えるとなんかもううつ病になりそうだ。これでは俺は親をぬか喜びさせただけのゴミクズである。
行ったらまず怒られるだろう。半年の猶予があるのに提出書類を何一つ用意していないんだから。
そう考えると俺は明日の朝プレッシャーに押しつぶされてバックレるんじゃないかと思ってしまう。
しかし初日からサボったらどうなるんだろう。完全に終わりだよな。2日目のほうが行きづらいし。
なんかもう嫌だ。
友達と遊んでも、ゲームをしても、2chを見ても、美味しいものを食べても、心から楽しくなるようなことはなかった。
「彼女いない歴」という言葉も、当然「童貞」という言葉も大嫌いで、見るのも嫌だった。
「お前彼女いたことあるの?」「もしかして童貞?」という言葉が投げかけられるのが怖くて、飲み会にも行きたくなかった。
女の子から話しかけられることもなければ、女の子に話しかける勇気もない。
コンプレックスの塊を抱えながら、出口のない毎日を過ごしていた。
大学では順調に単位を取得し、就活も順調に終えたある日、ふと風俗にいってみようかと考えた。
風俗で脱童貞なんていうありがちでかっこ悪いシチュエーションに対する嫌悪感や、初めての風俗への恐怖と1週間ほど戦った後、覚悟を決めた。
決行は10月2日。
当時は地方の大学生だったが、10月1日は内定式で東京に行く予定があった。
旅の恥はかき捨て、じゃないけど、知らない街であればお店に入る時やお店から出る時に知り合いに会うことはない。
誰にも言わず、スケジュール帳にも書かなかったが、その翌日をX dayと決めた。
髪を切った。
服装はスーツで行く予定だったのであまり気にならなかったが、パンツと靴下を新調した。
毎晩お店を検索した。
東京にはこんなにも多くのお店があるのかと感動し、一方でそれだけの風俗嬢がいるという事実に信じられない思いだった。
やはり大きな悩みは、自分が童貞だと伝えるべきか、ということだ。
自分が童貞だと伝えれば、きっと女の子がエスコートしてくれるだろう。
だが、正直、伝えたくない。
恥ずかしいし、その話を広げられるのも嫌だ。
悩んだ末、2chで相談してみると、その仲間たちは本当に親切にアドバイスをくれた。
そして、当日は、初めてであることを告げようと心に決めた。
10月1日、内定式を終え、内定者懇親会も早々に切り上げた俺は、一人池袋のホテルにいた。
お店の前まで行くと、思ったよりも看板がギラギラしていなかった。
もっと、『ソープランド』という文字がピカピカしているものだと思っていた。
この中に入るのは大したことないように思えた。
決行当日。
意を決して、お店に向かう。
まだ外は明るい。
周りの目を精一杯気にしながら、滑り込むようにお店に入った。
お店の人と話し、少し待合室で待ったあと、女の子が待つ部屋に案内される。
最初に二言、三言交わしたと思う。
ドキッとした。だってそれは俺から伝えようと思っていたことだったんだ。
「えー、うそでしょー?童貞でしょ?私わかるよ。」と、彼女はさらに続けた。
先に言い訳をしておくと、その時はできるだけ平然を装っていたと思うけど、心臓は爆発しそうで、頭の中は真っ白だったんだ。
そして俺は逃げた。
「あ、すいません、やっぱりいいです。」と言って、荷物を持ってお店を出た。
今思っても、どうかしてるぜ。
もちろんお金は払った。でもそんなものはどうでも良かったんだ。
それから一週間は寝込んだかな。
何もやる気が起きなかったし、自分はなんて馬鹿なんだと、自責の念でいっぱいだった。
今思い返してみれば、彼女は悪くない。
だって、お客が童貞かどうかを知ることは、彼女にとっては重要なことだ。
でも、当時の俺にとって、自分が童貞であると誰かに知られることは、とても怖いものだった。
たとえ自分から伝えようと思っていたことだったとしても、そうだったんだ。
社会人になり、童貞としていじられるのだけが嫌で、非童貞として振る舞う日々。
それでも童貞だろ、っていじられることもあった。
童貞じゃないって言っているのに、なんでバレるんだろう。
当時の俺は、童貞である自分が悪いと思っていた。それが恥ずかしいと思っていた。
でも最近の件で、色々と思い出し考えた結果、やっぱり童貞は極めてセンシティブな話題であって、人を深く傷つける場合があるということを、彼女のような女性に知ってほしいと思った。
ちなみに、研修は。1週間ほど行われた。
就職厳しい上に、研修も厳しく、絶叫系の挨拶をさせられたり、社歌を大声で歌うとか言う、アレ。
(染矢和己って人の本の影響を受けているような中小企業だった)
内定式の後にも、似たような飲み会もあったのだけれど、厳しい研修の後ということ別の雰囲気だった。
同期70人ぐらい。社員300人ぐらいなので、まーブラックだけど、初任給が27万ぐらいだったんで騙されていたような。
座敷の席で、川の字に5列ぐらいになって、長机があって新入社員と先輩とが適度にミックスして座るという形式。
なんか、酒の席が一段落してきてふと、1列向こう側に座っていた社長が
まじまじと俺の顔をみて「オマエは、童貞か?」って聞いてきた。
キョドってのをいじってやろうぐらだったろうか。(今になって思えばだが。)
研修の様子を見ている中で、変わったヤツやな...って認識があったらしい。
さすがに、ここは若かったのと、実際に童貞では無かったので
「えっ。違います」と返事した。
すると、周りの同期の女子の一人が、「相手は誰よ」って言ってきたので
「クラブの後輩です」と答えた。
たたみかかけるように、
他の先輩・新入社員もいるところで。
かなり、悲しい出来事だった。
(今思えば、クラブと言わずにサークルと言えば良かったのかなどと、思うこともあるが、コトの本質はそんなことではない)
最上位に、役職の高い男性職員>モテる女子・リア充系女子>喪女系OL>童貞男子
というヒエラルヒーの最下層にいるというレッテルが貼られる訳だ、童貞っぽい男は。
言い換えると、童貞マインドをもった言動をする女性に慣れてない男は、そのこと自体が揶揄される対称になってしまう。
性的な魅力であろうが、なんであろうが、実力以外の能力も目に見えない評価対象なる世界だよな。
脱線した。そんな解説は、他を読めばいいさ。具体的な童貞いじりの例を提示したかっただけだ。
2016年、哀愁の貴公子!: エコノミスト誌の記事、「東大 VS 慶應」についての所感。
経済学の研究が強い大学―慶應はさほど強くない : 大学・学歴データまとめ―研究、就職、受験、世界ランク
【就活生必見】メガバンク(都銀)の頭取の学歴から見る学閥の状況
東大と一橋の学生が10人ほどいた。ほかの大学の内定者はいない。
帝大と商大が80円,早慶クラス75円,MARCHクラス70円
ttps://twitter.com/matsuura_rits/status/174811759293636608
ttps://twitter.com/ssgt0808/status/471248359345254400
ttp://hoshinokanata.net/itochu_ceo_gakureki/
ttp://hoshinokanata.net/mitsuico_new_ceo/
ttp://hoshinokanata.net/mitsuico_ceo_gakureki/
ttps://twitter.com/kazu_fujisawa/status/700904776851017728
ttp://changi.2ch.net/test/read.cgi/job/1263870676/320
内定式か…。俺の時は内定式はなかったけど「内定者懇親会」って名目で会社主催の東京湾クルーズ飲みがあったなぁ。オレノミライに希望を持ちながら参加したけど、旧帝大とかだけの懇親会は既に何回も開催されてた、って話聞いて、絶望とこんにちはしたFラン出身の俺。— ゆう@正真正銘DEBU (@boo_mcz) 2013年10月1日
学閥で一番笑ったのが、昔向かいに住んでた有名企業に勤めてるW卒のおっちゃんが、上がK卒になった途端飛ばされて下がみんなK卒で揃えられたと聞いたことだな∩´,,•ω•,,`∩— どとう㌠@かぶ栽培中 (@rst_kz8) 2016年2月17日
丁度バイトしてた時慶応学閥が早稲田閥にひっくり返されてしまった事があり有力者が軒並み子会社孫会社に出向される姿を観てブルーになった事がある。そこには知っている人のオヤジさんまでいて..... だから就活の時は大手ってほんと受けなかった。大手はどこも同じだと思ったから。— わかけん (@wakaken_1027) 2013年8月15日
女性役員比率を業種別でみると、最も高かったのがサービス業の5.29%(女性役員数は108人)だった。次いで、小売業の5.21%(78人)、金融・保険業の5.20%(122人)。
ttps://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yamaguchi/08.html
今月で同棲で解消することになった。
5回目の春を迎えそうな時期に、僕らの関係は大きく変化した。
第一印象は、酒の強い女だということ。そして、顎のラインがとてもきれいだということだった。
100人近くの内定者が集まりひどく飲んでいたこともあり、正直顔をあまり覚えていない。
4月。新卒研修を終え、研修で唯一仲良くなった同期に飲み会に誘われた。
その飲み会で、次々と日本酒をあけて目立っていたひとりの女性。彼女だった。
前述の同僚以外、研修で数回話したことがある程度の参加者たちしかいない飲み会は居心地も悪く、つい酒を飲みすぎた。
座敷席にこれ幸いと横になっていた僕を覗き込んだのが彼女だった。顎がきれいだ。よく見ればまつげが長い。
彼女とは配属先の部署は違ったものの、同フロアにいたため何度か顔を合わせた。
気まずさをかき消すように例の飲み会をネタに話をしたが、自分の失態を掘り起こしてしまい苦い思いをした。
付かず離れず、顔を合わせれば挨拶や雑談をする程度の仲で2年が経つ。
この日もエレベーターホールでいつまでも来ないエレベーターを待っていた。
「私、来月いっぱいで会社辞めるんだよね」
同期のなかでも何人かすでに退職者はいたので別段驚きはしなかったが、少しさみしい思いもあった。
「じゃあ今度、送別会代わりに飲みでも行こうか」
そう口からこぼれたのは、ほとんど無意識。なんなら社交辞令に近かった。
ビール、ハイボール、日本酒と矢継ぎ早に空ける彼女の飲みっぷりは、清々しかった。
会社を離れて初めて二人で飲む。他愛もない話から恋愛まで、話は尽きない。
中盤からは手酌をさせてしまっていたが、徳利を傾けおちょこにお酒を注ぐ彼女の所作が美しいと思った。
もっと見ていたい。
彼女が仕事を辞めたあとも何度か飲みに出かけ、僕らが付き合いだしたのはごく自然な流れだった。
付き合って1年くらいが経過したころ、家賃更新のタイミングとなった。
それまで1時間かけて通勤していた僕は、会社に近い物件を探した。
しかし、都心に近い部屋は高い。相変わらず赤ちょうちん系居酒屋で飲んでいた時、彼女に東京は家賃が高いとぼやいた。
彼女は事も無げに同棲を提案した。僕はその決断力に感動し、すぐさま共に住むことを決めた。
彼女のご両親に同棲の挨拶をしたときは緊張した。父親が好きだという日本酒の一升瓶を手土産に持っていったところ、すぐに了承をもらえた。彼女と父と母と僕。みんなで飲んだ。彼女の両親はもちろん酒豪で、日本酒は一本では足りなかった。
毎日彼女が作ったおつまみで晩酌をした。ときどき、デパ地下で美味しそうなおつまみを見つけたら買って行った。美味しいと目を細める彼女の姿は愛おしかった。我ながら陳腐だが、この時間が永遠に続けばいいとさえ思った。
一昨日、彼女が突然、酒を飲まなくなった。胃が受け付けないらしい。病院へ行くよう薦めて出社した僕のLINEに、彼女からの連絡が届いたのは、その日の昼だった。
「妊娠してた」
心当たりがなかったわけではない。じつは一度避妊に失敗していた。
言い出せない臆病な自分が情けなかったが、僕は彼女と結婚したかった。
「きっと一升瓶を2本持っていったら許してくれるよ」
飲む人がひとり減ったのに勘弁してくれと苦笑した僕の心は、すっと軽くなっていた。
・未だに夢に出てくるトラウマを成仏させるために退職エントリ書く。
・某広告代理店ほどひどくないけど、振り返ると相当ひどい。
・できるだけ事実に即して書く。けど信じるか信じないかはおまかせ。
・目的の気持ちの整理、なのでわかりやすくもない。だいぶ前の話なので時系列もバラバラ。
・もし書いてる人がわかっても、そっとしておいてください。もう関わりたくない。
・PRは上手くメディアに頻繁に露出していたが、採用関係は実情と離れすぎて社員の評判は冷え冷え。現場とのギャップが常にあった。
・やたら某社の役員ばっか入ってくるけど、だいたい半年~1年以内で辞める。そのたびに現場が振り回される。
・オフィスが汚い。新品を買うという発想が総務にない。
・苦労して獲得&戦力化した新卒が3年で半分辞める。
・新卒の給与が他の会社より低いのをあの手この手でごまかしてた。
・採用ページでただの「不安定」を「常にチャレンジングな環境」と言いたがる。
・自分も含め、日曜出社が常態化していた。社長は知ってたけど黙認してた。
・↑の事実認識が甘い役員がGPTW(※働きがいのある会社ランキング)でトップになりてぇと言い出すも、
アンケート結果で会社の惨状が露呈。会社全体のテンションが下がる結果に。
・社長は社会起業家とかいわれる。この界隈の経営者はインテリヤクザ、まじでヤクザ。
・無表情で威圧&高速の罵倒で精神力を削ってくる。いいのは外面だけ。
・絶対ムリな予算立てる。案の定達成できなくて社長が毎回会議でキレる。でもインタビューでは何か美談になってる。
・担当者の休日出勤が確定してる毎週定例作業が4年間くらい放置されてた、IT企業のくせに。
・自分の上司が3ヶ月に1回変わった。指示も全部違うものだった。
・パートさんを深夜2時近くまで働かせていた。はっきり言ってどうかしてる。
・上司と話してると汗が止まらなくなった。その様子を笑われた。
・上司に詰められているとき、涙が止まらなくなりもうダメだと思った。
・お前みたいなやつは殴られても仕方ないみたいなことを遠回しに言って来た。
・パートさんが定期的にヒステリーを起こす。なぜか自分が上司から怒られる。人間不信になった。
・パワハラが横行しているが、誰も指摘できない。社内通報制度なんてものはない。
【人事・労務】
・3年目に総労働時間計算したら400h/月超えてて、労務にどうしたらいいですかって言ったら、上司に相談してくださいといわれただけで終わった。基本労務は何もしないんだなと思った。
・精神を病んで会社に行けなくなり、人事にメールで休む連絡をしたが無断欠勤にされた。
・面談と称して最寄りじゃない駅の喫茶店に呼び出される。2時間説教されて終わり。
・退職面談の時に↑の話をしたら、自分にできることはなかったか考えろと説教された。
(くたばれと思った。)
【自部署】
・一次会⇒仕事の話、上司がやたら熱い(笑)夢とか語っちゃう。
・二次会⇒ゴシップ(特に恋愛系)、会社/特に上司の愚痴しか言わない
【営業】
・ナチュラルにルールを無視。なぜか強気&謝らない。(これで営業嫌いになった)
【開発】
・コードかけるエンジニアが社員にほとんどいなかった。ほとんど技術派遣だった。
(やめてから知った)
・よく聞く入社理由:ビジョン、成長できる環境、ソーシャルビジネス
・よく聞く退職理由:給与が低い、仕事のレベルが低い、想像以上に動物園(会社が)
・新卒の人は、基本起業、独立考えてる人じゃないとベンチャーは辛いと思う。
懇親会でぼっち回避するために周りの子に話しかけたりしたけど、全然会話が盛り上がらず自分のコミュ障っぷりを晒してしまった
そもそも友達もいないような奴が一般職女子の集団に馴染めるわけないよなあ…
就活を終えたばかりの4年生はこれを聞いて、「内定者に逃げられたから、新卒一括採用を止めたんでしょ」と言う。
また、「ヤフーでは半分近くの人が内定をもらってから、蹴ったみたいだ」と聞いた。
現にヤフーでは、前年度にはなかった、6月を過ぎてからの追加採用が行われている。
半分という数字に確証は持てずとも、相当数の辞退者が出たことが想像できる。
これだけ聞くと、「ヤフーの人気が落ちたのか?」ともとれる。
実際、ヤフーの新卒採用は中途採用に比べて人気がない。それは、人気企業ランキングから見て取れる。
なぜ人気がないのか。それは単純な話で、「新卒採用に優しくない会社だ」と評価されているから。
ヤフーはあまり新卒を育ててくれない、そのため新卒の年収は同列の他社に比べて低い。即戦力になる中途をとって、会社を維持している。ヤフーを受験する新卒生たちは、OBOGからこのような話を聞き、理解している。
今年の新卒採用は、どんな大企業も多くの辞退者に悩まされていた。
本来であれば内定式を行うはずの今日を過ぎても、採用活動を行っている大手企業が多く存在しているのがその証拠である。
現役の大学4年生たち、2017年4月に入社予定の学生の就活スケジュールはかなり異例だった。
内定を出し始めるのが6月と言いながらも、多くの企業は3月から学生との接点を増やし、「選考という名前ではない選考」を行っている。
つまり、実質の就活の期間は、3月から6月初旬までの3ヶ月ちょっと。
多くの学生は、その3ヶ月ちょっとで、できるだけたくさんの内定をもらうために奔走していた。
本来であれば、内定の受諾は「行こうと思っている会社」にするべきものである。
しかし、今年に関しては期間が短く、「どの会社に行こうか」と悩んでいるうちに、就職活動が終わってしまう。
そのため就活生たちは、「6月まではできるだけたくさん内定を受諾し、全部受け切った後、会社が主催する内定者イベントなどに参加してから判断しよう」と考えた。
つまり、行く気のない会社の「内定者イベント」に参加する就活生が多くいた。
多くの企業の選考が終わった7月になった途端、今までなんの素振りも見せなかった学生たちが一気に内定辞退の電話をかけてくるのだ。
選考通過も喜び、その後の内定者の集まりにも積極的に参加していた学生が、いきなり手のひらを返してくる。
もちろん、もしものために企業は採用人数より多めに内定を出す。
しかし今年は、その「もしも」を大幅に超える辞退が続出し、多くの企業が追加募集を実施せざるを得なくなった。
結果として、優秀な学生をとる大企業であればあるほど、直前になってからの内定辞退者が続出したのだ。
この「内定辞退者続出問題」が、直接今回の「新卒一括採用廃止」につながったとは思わない。
ただ、一因になったことには違いないのではないか。
残念なことに、現大学3年生が挑む次年度の就職活動も同様のスケジュールが予定されている。
企業側は今年の反省を踏まえ、必要人数の採用をしなければいけない。
ヤフーのような「新卒に期待しない」という手段に打ってでるのか、はたまた別の手段か。
来年の採用活動も、企業間の争いが熾烈になることは間違いない。
1つ注意しておくと私は内定者ではない。
数社金融関係の会社から内定をもらっていたが全て内定を辞退した。
就活時代の自分と言うよりかは,今から3年ないし2年夢に向かって頑張り続ける自分への決意表明である.
就職活動は始めると実感するのだが予想以上に大変だ。
毎日朝から晩まで企業の説明会に行き、面接を3月から始める企業・4月・5月・6月に始める企業が
均等に分布しており、就職活動をやめない限りその忙しさが続く。
2〜3回の面接で内定を出す会社もあれば10回以上面接をする会社もあり、
1日インターンなども行かなければならない。今でも3・4月のスケジュール帳を見ると感動する。
大体の就活生は20社±10社ぐらいの選考に進んでいるだろうが、
その高々30社は本当にお前の受けれる会社の中のTOP30か
常に考えて欲しい。
TOP30を決める中で本当に何がやりたいのかを決めるのは重要だ。
就職活動中にどれだけ頑張っても目先の内定に気を取られてしまう。
私の周辺でも普通に説明会解禁が3月にもかかわらず、3月中に国内大手金融機関から内々定をもらった人がいた。
しかし、踊らされてはいけない。お前が本当にやりたいのは何かを考えろ。
毎日面接で似たような志望動機を言い、同じようなエントリーシートを書いていると、
例えそれが嘘であっても本当かの様に思えてしまう。
ひたすら軸をぶらさずに自分の本当にやりたいのは何かを考え続けろ。
就職活動を始めるにあたって、大概の人間は自分の興味のある分野を決める。
そのときの決めてとなるものが、自分の今いる場所であったり、今の専門であろう。
理系となれば自分の研究分野から延長線上で就職する人間が多いし、
文系でも法学部や経済学部は大学時代に学んだことの活かせる職業を志望する。
自分の今できることは限られているが、将来できることは無限大にある。
自分の本当にやりたいことを1歩どころか2万kmでも歩いて探せ。
は無意識に楽な方向に流れようとする。
お前は就職して何がしたい。
そりゃ、マイホームを構えるとか幸せな家庭を築くとか出世するとか
色々な目標はあるかもしれない。しかし、それが本当にお前のやりたいことか。
人のために生きることは褒められることだが、まずは自分のなれる最高地点の目指せ。
楽をするな。
殆どの人間は「ある分野において世界の頂点に立つ。」というような夢の体験をしたことはない。
せいぜい上位1%ぐらいにいればいいぐらいだろう。
しかし、自分が得意と思えること、人より勝っていると思えること、せめてこの新卒内では上位10%に入れると思えることは
1つだけでなく2つか3つはあるはずだ。その一つだけを目指さずに10%の3乗を使えるような職業を探せ。
就職活動中、自己PRであったり自分の長所なんかを述べていると、
しかし、それらのことは面接官からすればどれも似たり寄ったりのエピソードである。
それをさもすごいかのように話すのは恥ずかしい。謙虚に生きろ。
そのような聞き飽きたようなことを聞いてもちゃんと褒めてくれる。
今の自分に満足せずに、自分の持ちうる全ての能力を最大限に発揮するために楽をするな。
自分のやりたいこと・できること・やらなければならないこと。全ての高みを目指せ。
もう10月にもなると内定式が始まり遊ぶ人も増えるけど、僕のことを気遣って誘いは来なくなるから友人もいなくなる。
就活で時間が取られるから学業面でも精神的に追い込まれて、学位取るために頑張って研究まとめて論文書いて試験勉強も頑張りつつ平日は面接、休日は説明会。
5月から都内で就活始めたけど、落ち続けて資金ショート。地元で始めても受からず、後期に突入。
すべてを投げ出す選択は後で後悔しそうだから取れないしそもそも卒業できるのかとか何もかもが中途半端になって最悪の結果になるんじゃないかとか、いろいろ考えて毎日泣いてる。
自分は今修士2年で、この春、某web系企業に入社予定である。
卒業は確定しているし、心の余裕と持て余した時間から、さっそく始まった17卒の就活事情をTwitterなんかでリアルタイムに見ている。
16卒 (つまり自分と同じ) が後輩にしているアドバイスのツイートなんかも見て、感心している。
それで自分が如何に就活をナメていて、運良く内定を得たかを実感した。
カバンなんて、普段使ってるのでいいと思っていたし、わざわざ就活用に別途、買うなんて発想がなかった。
リクルートスーツに似合ったカバンを使え、という趣旨のようだが、そういえば自分は、スーツを着ても無かった。
自分は2社だけ受けて内定を決めたし、就活らしい就活に割いた日数は、一週間もないと思う。
間に何もしない日を入れれば、最初にエントリーしてから内定承諾するまで、一ヶ月くらいか。
これは運が良かったとしか思えない。
3月が始まったんだね。
真新しいリクルートスーツを着た就活生と思わしき学生を電車で見かけて、
あー去年、俺もこうやって就活してたんだなーなんて思い出したり。
最終的には去年の3月に思っていたよりもいい企業の希望する職種に入れることになった。
内定者懇親会やら内定式やら内定式同期と会う機会が数回あったんだけど、
本当にみんなスペック高そうだし、宮廷院卒ゴロゴロいるし、何よりコミュ力高すぎて、不安感半端ないのよ。
家でひとりで寝っ転がりながらネットしているのが一番好きな、引きこもり体質の俺は到底仲良くできそうにない。
内定後、1ヶ月くらい研修があるんだけど、2人1部屋での生活らしい。本当に嫌で嫌でしょうがない。
仲が良い人でさえ、同じ部屋で寝泊まりするのが嫌なのに。
就活中はこんな自分を偽って、社交性あるようなフリをしてきたけど
いざ働き出すとそんなメッキは剥がれちゃう訳ですよ。
メッキ剥がれて何が辛いかって、無能を雇う会社もだけも、無理をしてる自分が辛い。
何が言いたいかっていうと、そんな頑張らないで自分の能力に見合った会社、もしくはそれ以下の会社に入ったほうが、きっと幸せな人生を送れるんじゃかなってこと。
自分は卒論真っ最中の大学4回生。BtoBのメーカーに営業職で内定が決まっている。まだ入社すらしていないけれど、最近会社への暗い気持ちが溜まってきて苦しい。
原因はいくつかあって、一つは会社がFacebookを強要すること。FBで会社をフォローさせていいね!させて、大学の後輩に就職情報なんかを通知させたいらしい。自分はFBに、自分がどこに就職するのかなんて書きたくないし、そもそも会社の人とFBでつながりたくなんてない。公私混同したくない。
二つ目に、入社してないのに忘年会の出席を求められたこと。入社したら忘年会の出席も仕事と割り切るつもりではある。だけど今はまだ大学生だ。年末は実家に帰って論文の修正しながらゆっくり過ごしたい。一月の研究発表の準備もしたいし、久々のまとまった時間で趣味もしたい。
三つ目に、現大学3回生向けの就活セミナーの手伝いをほぼ強制されたこと。ほぼというのはよほどの理由がない限りという意味。これも同様、来年入社してからなら構わないけど、現時点の自分の所属は大学であって企業ではない。
四つ目に、入社後のゴールデンウィークにBBQやるからきてね!参加費4kな!と言われたこと。祝日もいかなきゃいけないのか。
五つ目に、これらを内定式以降に言われたこと。今更就活やり直せない時期にこういうこと言われると悪質に感じる。
そこそこランクの良い会社だったせいで、早く就活を辞めたい一心で内定受諾してしまい、今更後悔している。自己責任と言われれば仕方ないのかもしれない。だけどこれが社会の当たり前なのか?距離感がおかしいと思う。時間を売ってお金をもらうだけの関係なのになんで休日まで関わらなきゃいけないのか。大学生の時間を奪われなきゃいけないのか。
正直、私は3年もたないと思う。
あれだよ、教師目指してたけど諦めちゃったの。けっこー頑張ってたんだけどだめだったよ。
非常勤やりながら目指すとかも考えたけど、奨学金とってるからちょっと金銭的に無理があるし。
親に相談したら1、2年なら面倒見るよって言ってもらったけど、まあ、申し訳なさすぎるから本気で教師なりたいなら社会人になってからでもできるわーって思って遠慮した。
で、今週から就活始めたんだ。遅すぎだよね。同級生はもうみんな内定でてるのに、内定式の写真とかTwitterにアップしてるのに、私は今週から就活だよ。笑っちゃうよね。
ってか17卒でももう就活始めてる子いるしね。遅れをとりすぎでしょ。やばいでしょ。
エントリーシートの書き方も分からなかったし、大学で頑張ったことは?って言われてもね、教職の勉強頑張りましたって書けないしなあ。困った。
大学で面接練習してもらったけど、全然ダメだった。嘘つけない人間だから聞かれることなんにも答えらんない。
自己PRならできるけど、私のいいところってITの現場で活かせる気がしないよ。
志望動機もないもん。教師になれなかったから消去法ですとしか言えない。
あわよくば御社の社員と結婚して寿退社して専業主婦になるふりをしてもう一度教師目指したいですって言いたい。言わないけどね。
こんなんだけど、明日、人生初の会社説明会っていうのに行ってきます。
でもそもそもこんな時期まで採用活動やってる会社って大丈夫なの?まあ文句言ってられる立場じゃないけど。
あーもう、ほんと後悔。こんななら最初から就活しておけばよかった。
っていうか教師ってめちゃくちゃ大変なはずなのになんでこんな採用枠少ないの。おかしいよね。はあ。
どれもこれも努力の足りなかった自分が悪いんだけどね。すごく反省してる。
ほんと、なんとかなるって思いたいけど、ここ最近めっちゃ胃が痛い。
ずっと順風満帆な人生だったから、こんな、一番大事なところでつまづくなんて思ってもみなかったよ。
だめだったらバイトしてもう1年頑張ってみればいいじゃんとか思うようにして、ストレスだと思わないようにしてるけど、全然意味ない。やっぱ不安だ。
せっかくここまでやってきたのにフリーターかよとか思っちゃうよね。
はあ、もっと気楽に考えたい。
とりあえず内定欲しい。
内定式とか、うちんところは無かった。
( http://b.hatena.ne.jp/entry/267744944/comment/omega314 )って、内定もらってるのか。
22歳の大学4年生、4月から新入社員として社会に出る増田だが、未だかつてないほど死にたい気持ちでいっぱいだ。
就職先は希望の業界で希望の職種。忙しいけどやりがいのありそうな場所だ。内定式でみた社員たちはワイワイと楽しそうにしていて、活気のある会社みたいだった。
でも死にたい。未だかつてないほど。
なんで死にたいかというと、有り体にいうともう頑張りたくないからだ。
自分でいうのもなんだが、自分は大学卒業までだいぶ頑張った。ちゃんといい子でいたし、勉強も運動も趣味も充実させ、好きなことでそれなりの賞をとったりした。
でも最近思う。
もういいんじゃないか。
俺、22年よくやってきたよ。
もうこれ以上頑張る必要なんかないのかもな、と。
死にたいと思うこと自体は今回が初めてではなく、中学生の時から常にあった。
いじめられていた時はカーテンを留める布で首を吊ろうとしたし(勇気が足りなくて死ねなかった)、高校時代は何度か電車に飛び込もうとした。(これも勇気が足りなくて(略))。カウンセラーに「死にたいと思ったことは?」と聞かれた時「割と常にですが、みんなそんなもんじゃないんですか」と返して苦笑いされたこともあった。
親に理不尽なこと連続で言われ続けた時、ブチ切れてしまって、何を言われても「ああああ!!」と泣き叫ぶしかできず、軽いパニックみたいになった。
いわゆる癇癪ってやつだな。
この癇癪がきっかけで1週間に3回くらい泣くようになってしまった。元は全然泣かない人間だったのに。
親への癇癪はそれから何回かあった。でもそのうち、こちらが泣き叫ぶことが増えたせいで親は当たり障りの無い対応をしてくるようになったからだいぶましになった。ただ今も、すごく些細なきっかけで泣いたりする。
あと、道中で突然喚き立てたくなったし、歩くのが遅い女に「おせーよブス!」って当たりたくなるようになった。
これもいままでなかったからそういうこと考えるようになった自分にかなりビビってる。
あとは、音に敏感になったり、自律神経失調症っぽくなったりしてるな。
病院に行くべきなのかもしれないんだろうけれど、実はそれも難しい。
ちょっとこみいってるのだが、家族の一人が元鬱病患者で、親はそうさせてしまったことにかなり負い目を感じている。これ以上精神病者が増えたらまとめて発狂コースだろう。
めちゃくちゃな文章になってしまった、こんなものを載せてスペースと時間を奪ってしまってなんだか申し訳ない。やはり当たり前のことが少しずつできなくなってきているのかもしれないな。