はてなキーワード: BLとは
バズ・ライトイヤーで、一部ちょっと女性同士の短いキスシーンがあるとかで、
14ヶ国で上映禁止になっている。
そんなガチの表現規制案件に、表現の自由戦士はどんな反応したと思う?
「ポリコレざまぁwww上映禁止は正しい!ポリコレに屈しなくて偉い!」だよ。
さんっざんフェミの表現規制ガーと取り上げてきたフェミ松速報も、表現の自由戦士気取ってたきゃしゃんPも、「ポリコレざまぁ!同性愛要素入れる方が悪い!」と騒いでる。
シン・ウルトラマンの「上映禁止にしろ」とすら言ってないセクハラ批判には表現規制ガーと噛みついておいて、本当に上映禁止にした案件にはこれ。
彼らが表現の自由になんか本当は興味なく、フェミ叩きポリコレ叩きしたいだけなんだとわかるね。
海外事例だから?じゃあなんで「フェミはタリバンに文句つけろ!アフガニスタンに行け!」とか言ったの?海外事例だとしても表現規制を喜ぶって終わってね?
まずさ、ピクサーはこれまでディズニーの監視下の元同性愛要素を入れたくても入れられないという検閲を受けていた。それが最近になってなくなったという話なのに、
表現の自由戦士達は「ポリコレ要素を入れなくちゃいけなくなったディズニーが可哀想!表現の自由の侵害だ!」って真逆の解釈をしている。
AV女優は自分の意志でやってるんだ!と言ってる表現の自由戦士が、同じ口でクリエイターは無理矢理ポリコレ要素を入れさせられてるんだ!と決めつけてる。「無理矢理同性愛要素入れさせられて辛いんですぅ」というクリエイター側の発言あるか?
ポリコレ要素を入れるも入れないも表現の自由だし、第一大半の作品にはポリコレに沿った面もそうでない面もある。ポリコレの押し付けが不快だ、ポリコレのせいで好きな作品が叩かれたり封じられるのが嫌だ、というのは理解するが、押し付けでもなんでもないただの一作品にポリコレ許すまじ!ってなるのはわからない。それともポリコレがただそこにあるだけで押し付けだ!ってなっちゃうのかな?
同性愛要素がノイズだ!必要ない!と「見てないのに」騒いでる奴もいる。「見てないのに」だよ。しかも「一部描写、短いキス」なのに。
第一、どうして同性愛だけノイズだ!ポリコレだ!わざわざ入れるな!などとほざくんだ?必要ない異性愛要素はそのへんにありまくるのに。
マイノリティだからだ!ということなら、キャラが左利きとかでも同じこと言ったか?こち亀ヒロインが日仏ハーフだということに「わざわざそんな設定入れるな!ノイズだ!」と騒いだか?
文句つけるマイノリティ属性選んでるくせに偉そうにポリコレだからだと理屈付けしてんじゃねえよ。
それでいて同じ口でBLや百合があるから日本は表現の自由の国!という。BLや百合という「それ専用の嗜好品」だけ同性愛要素認める、って隔離じゃん。
問題の概要すら理解してない奴も少なくなかった。好きなキャラが同性愛者にされるのは不快だ、とか、ホモキスが不快だ、とか、中国は百合には甘いけどホモには厳しいからな、とか。
口出すなら最低限のことは調べろ。
同性愛者なのは既存のキャラじゃないし、問題にされてるのは女性同士のキスだ。
「百合の良さが中国はわかってない!」「日本は寛容だから上映禁止にしない」などと威張ってるオタクが今回は微笑ましかったよ。
第一ポリコレざまぁといえるほどダメージ受けてるのかね。他にもハリウッドが中国で上映禁止になる事例少なくないし、もはや想定済みだろ
「特定諸国に配慮して同性愛要素を消さないディズニーが悪い!」とかいうアフォもいた。あのさ、それ「フェミに配慮して萌えキャラをなくせ」とか言ってるのと同じなんだけどな
仮に、ポリコレや同性愛要素のせいでつまらなくなったが事実だとしても(見てないのにそう判断されてるのは謎だが)、だとしたらお得意の「嫌なら見るな」を行使すれば良いだけの話だ。いつもお前らが言ってるようにな
それこそポリコレクレーマーとやらが押し寄せても自分を通せばいい
同性愛要素があってもなくても、名作は名作だし駄作は駄作だしそう評価されるだけ。
同性愛要素ある駄作枠では、ぼくらの七日間戦争とか、トランスモーファーとかあるやん
他にも表現の自由戦士は「海外ゲームはポリコレのせいでブスばかり出ている!」「最近のディズニーはポリコレのせいでブスが出ている!(昔から容姿の冴えない主人公自体はあった。女性主人公は少ないかもしれないがそれでもあった)」「トイストーリー4はポリコレのせいで糞になった!」「ガンダム新作は女で黒人(というほどでもない褐色少女)だからポリコレだ!」と騒いでる
ことポリコレになると、彼らはお得意の「嫌なら見るな」を守れなくなるらしい
ああ、そういやもへもへの「マーブル(マーベルと言いたいらしい)はキラキラフワフワの衣装で戦うヒロインがいないから多様性がないドヤァ」という雑語りに乗って、「プリキュアの方が多様性ある!」って言いながら、同じ口でハグプリはポリコレだからつまらんとか言ってたのがオタクでしたね。いやハグプリは自分も好きじゃないけどさ
ちなみに趣味で創作してる自分は、脇役キャラにわざわざ必要のないマイノリティ属性を裏設定で付けるのが好きだ。同性愛者だとか在日ハーフだとかムカデを飼ってるとか。
最近、芦田愛菜主演の『メタモルフォーゼの縁側』なる映画がやたらと宣伝されている。
BL漫画好きの女子高生が同じ趣味を持つ老女(宮本信子)と出会い、友情を育んでいくというストーリーらしい。原作は漫画で、この映画はその実写版のようだ。
BLは最近すっかり市民権を得ているが、正直違和感が満載である。
何故ならこうしたBL作品は、BL好きの女性、いわゆる「腐女子」たちの性的嗜好が露骨に反映されているからである。
カップルが若いイケメン同士なのは言うまでも無いし、エロ描写や腐女子のツボを刺激するための萌え描写も満載。
別にそれ自体は自然なことである。商業作品ならばファンの求めるものを描かなければ儲けは出ない。
しかし、こうしたコンテンツが一般的なものとしてテレビで放送されたり書店に並べられたりしている状況には、当然のある「疑問」が浮かぶ。
「これって、フェミニストとかが性的搾取だと騒いでいる男性向け作品とやってること全く一緒じゃねえの?」
性的欲求を満たすためにある属性の人間達を利用し、好き勝手な妄想を楽しんでいる腐女子達の行為はまさしく女性が訴える「性的搾取」そのものではないか。
だって例えばさ、冒頭の映画がもし「エロ漫画を楽しむ男子高校生と爺さんの友情物語」だったらどうよ?間違いなく大炎上でしょ。そもそも気持ち悪いし。BL作品とBLに群がる腐女子も傍から見ればそれと一緒なんだよ。
フェミニストお得意の「ミラーリング」で考えてみればこんなのすぐに分かるはずなんだが、何故「BLはゲイへの性的搾取だから失くそう」という動きは広がらないんですかね。それどころかTwitterでは、BL漫画に不快感を示したゲイのツイートに腐女子から怒りの猛反論が殺到していたりした。
こういう実態に対して、自身がゲイでも無ければゲイの身内や知人がいるわけでも無い俺ですら相当モヤモヤさせられるのだから、当事者であるゲイの方々にとっては本当に腹立たしいだろう。
「価値観のアップデート」は女性だけでなく、男性や性的マイノリティなども含めた全ての人々に対して行われるべきじゃないんですかね?
『女の友情と筋肉』という、ムキムキマッチョな女性たちを主人公にした漫画がある
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男性が女性を演じることの是非をめぐりtwitterで賛否両論に
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肯定派「そもそも原作の筋肉を女性俳優が再現するのは難しい。ヴィジュアルが合っていればそれでいい」←わかる。
否定派「原作だと女性キャラなんだから女性俳優に演じてほしい」←わかる。俺も処女のキャラは処女の声優に演じてほしい。
否定派「当事者が演じるべき」←わかる。俺もBL作品に出演する演者は全員男性同性愛の当事者であるべきだと思う。
否定派「女版ブラックフェイスでしょ」←わかる。戯画化された同性を異性が演じるのって不快だよな。宝塚とか。
否定派「そもそも劇の製作陣が男性ばかりじゃん」←わかる。マイノリティ当事者を描くものを非当事者が中心になって製作してるの不愉快。なので男性同性愛を描く作品の製作陣は基本的に男性同性愛の当事者であるべきで、非当事者が中心になって製作するのはやめるべきだよな!
そもそも政治話に関わらず常識が生まれつき構築しづらいせいでやらかして会社から処されてるぞ
書き出したらキリが無いがここ10年くらいのだと、
ことばの由来をすべて把握して使う人だけが石を投げなさい…
ってなったよ。
なんで自分が嫌なことを相手はしてくれて当たり前だと思ってんねん😅
別姓認めず、姓を変えて当たり前の感覚ってことは政治家の皆さん喜んで改姓した側ばっかなんやろうなあと思ったら女に改姓させたおじさんばっかやないの😅
ば………馬鹿なのかな…😅
そこはさぁ!誠意をもって喜んで改姓して「愛する妻の名字になって幸せです😘僕はもう妻のもの😘」ってアピールしないとさぁ!って思うよ😅
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彼は転勤ありきの仕事だけど悪いけど私は仕事辞めたくないし無理やん。彼、次の辞令で転勤の可能性クソ高いんだよね。
なんで着いてきてくれると思っ天然
私が頑張ればなんとか養えるかな、まあ彼には転職してもろて共働きで。転職後やや彼の給料下がっても当面私が仕事頑張れば夫婦二人くらいいけるっしょと思ってたけど
彼も仕事辞める気ないやん😅そりゃ嫌だよね仕事辞めるの、私だって嫌や😅
兄の妻(義姉)は結婚して仕事辞めて兄についていって転勤のたびにあっちこっちいってもう何年も仕事してねえよ。
これ笑っていいのか謎だけど笑っちまったわ😅
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こ…子ども?!改姓したくないからせいぜい事実婚やん?!私シングルマザー扱いになるんですかね?
っていうか痛いの嫌だし約一年間体調不良になった挙げ句死ぬほど痛い思いして最悪死ぬかもしれんイベントこなせって?!嫌に決まってんじゃん😅
政治家のおじさんたちは妊娠出産をやってみたいと思ってるのかな、実は…だから産んで当たり前だろって感覚なのかな…🤔(妊娠する系のBLは私も大好きだけど…オメガバースのおかげで増えたよね、ありがたい…。)
金かかる上に死ぬかもしれんような健康状態になってくださいとはなかなかおもろいこと言うやん😅
いや~実は私バイセクシャルで過去には女の恋人もいたけど相手が異性になった途端トントン拍子で草って思っとったけど全然そんなことないね。
で、仮にうっかり子ども産んでその子どもが私みたいにマイノリティだったらこのクソ社会で生きるのか🤔と思ったら産めないよね😅
私に産んでほしけりゃ「産んでやってもええが?」くらいの社会にしてもらわないとさぁ😅
ちょっとでもマジョリティと違う属性持ったら即しばき対象の社会じゃん無理ゲーだよ~😅さすがにそこまで子どもに鬼畜になれんわ😅
でも産んでる女の大半はマジョリティだからなぁ~んも考えずに産んでるんだろうな😅
子育て環境が~😣ママも大変なのぉ😣とか言いつつ結局産んでるんだもん、そらぁ女さんチョロい😅と思われますわな😅
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どうすんのウチら😅
例えば女好きが明示されてるキャラが二次創作でゲイカップルになる場合は
隠してた、偽ってた、気づいてなかっただけでゲイやバイだったという主張をするじゃん
気づいてなかったけどバイだったわ~ってなったら多分嫌な気持ちになるよね
「かもしれない」で後者のような主張をされてお互いに傷つくよりは
「勝手に同性愛者にするのはご本人に迷惑がかかります!」ってやつ
いやカミングアウトしてないだけかもしれないじゃん
こういう言説に「同性愛は下等で悪いもの」「絶対に人に知られるわけにいかない」って日々圧かけられてるかもしれないとなんで思えないんだろうと
そのへんの素人の妄想作品よりよっぽど同性愛のイメージが定着するよね
現実はほぼ「へー」で終わるようなことを
私達は本人や本人のファンへ多大な影響力があるっていう誇大妄想からそこに至るのがマジでキモい
(BLの棲み分けにかみついてた男がいたけど実際イライラするほど過剰だよ)
異性愛者かもしれないし同性愛者かもしれない、言ってない=異性愛者、とは限らないのだから
「これは妄想です」って毎回明示すれば十分だと思う
腐女子って、推し語りとかはめっちゃするけど、なぜか自分の感情の分析や平易な言語化をしたがらない。不思議に思う。
もしかしたら女オタク全般なのかもしれないが、私が交流のある女オタク≒腐女子で、非腐女オタの生態が曖昧なので腐女子として書く。
言語化しないというのはつまり、評論・批評的な作品への言及をしたがらないし(稀にする奴は浮いてるとして敬遠される)、「地雷を嫌がるのはこういう感情の動き」みたいな言語化もしたがらない。
たまに「地雷って何がどう地雷なのか」みたいな話をしていることはあるが、そこではアレルギーなんですとか宗教なんですとか、地雷というたとえ話にさらにたとえ話を重ねていて、共感や説得の手法としてはアリだが分析的言語化はされづらい。
それに自分が分析をしたがらないだけではなくて、他者が分析していると「わかってない」「レッテルの押しつけ」という反発が大きい。
もちろん分析的な言語化にある種の乱暴さがあるのは間違いない。
たとえば物語作品を理論的に分解して言語化するのは、マジックのネタバラシのように、「魔法的面白さ」をある程度解体にして「仕組み的な興味深さ」にしてしまう面はある。
感情の分析も、言葉からこぼれ落ちるものは絶対にあるし、それがむりやり型にはめることになるのもたしかである。
そうではあるが、それでもその「言語化という乱暴な試み」には価値があると思うし、男性ジャンルだとそのような蛮勇をするやつがそれなりにいる。
年々、評論家気取りのオタクが嫌われるようになっている傾向は男オタクにも言えるのだが、それでもやろうという奴とそれを読む奴は今でも出てくる。
なぜBLを好むようになったかという話題で、ハマるきっかけになった作品を語ることは盛んだが、己の欲望や執着がどこから来るか分析するのは嫌われる。
地雷を見た時の拒否感がどのような感覚なのかを表現する言葉は見るが、その拒否感を分解することはされない。
エモい作品のどのシーンがエモいのかは熱く語られるが、どうしてその描写がエモく感じられるのか、ここでいうエモとはどのような感情なのかを明確化することはやってはいけない。
男性ジャンルでも、このような分析をすると「無粋だ」「野暮だ」「理屈っぽい」「難しくいおうとしてるけどただ可愛くて好きなだけだが」と散々叩かれたりするのだが、それでも分析したいという欲望が抑えられない奴らが活動しており、何年後かにはそれが界隈の財産になっていることも多い。
だが腐女子ジャンルだと、なんというか本当にタブーという感じがある。
言語による解剖の手際がいい話ほど、「恐ろしくて存在すべきではない話」のように思われる。
己の欲望やコンプレックスや悪意の根を探る/探られることへの恐怖が男性より強いような。
なぜなんだろうな。
BLは非実在男性であることを明確にするために、たとえば角を生やして、あくまでも鬼なのである。としてゆくべきだし、
美少女系も、積極的に猫耳やエルフ耳にすることで、実在の女児とは無関係なのである。とするのが妥当な線かなあ
と思う。
何故なら「ま〜ん(笑)」などの女性器を揶揄する2ちゃんねるミームはそもそも同性愛サロン板が発端だから
同性愛サロン板からニュー速VIP板へいわゆる「淫夢」が輸入され、それと同時期に女性器を揶揄するミームまで輸入された
同性愛サロン板では腐女子による荒らし行為が問題視されていた背景があって同性愛サロン板民が腐女子へ対して女性器を揶揄するようになったのが始まり
当時のニュー速VIP板の勢いは当時を知る者なら理解できるだろうけど、このニュー速VIP板の文化的影響は2ちゃんねる全体へ波及してしまった
では何故VIPPERが女性器を揶揄するようになったのか?と言えば「ねとらじ」の女性配信者のせい
当時のニュー速VIP板ではいわゆる「ねとらじスレ」が頻繁に立っていたのだけれど端的なイメージを伝えるならば当時の女性配信者は「オタサーの姫」だった
ニュー速VIP板では本来「(良くも悪くも)面白さ」に高い価値が持たれていたのだけれど、ねとらじによって女性性のみで一点突破し、本来(ニュー速VIP板的価値観で)評価されなければならない面白さが不当にも評価されないという事態になってしまったんだ
更に言えば2次創作BLは当然ながら原作に独自解釈を加えて男の登場人物の絡みを楽しむという文化だったのでVIPPERとしては受け入れがたいものだった
ねとらじ女性配信者がヘイトを買い、それへ巻き込まれるかたちで腐女子も叩こうという空気が醸成されていったがまだこのときは腐女子を名指しして叩くという動きがあまりなかった
この流れが変わるのがニコニコ動画と同性愛サロン板から輸入された淫夢の登場
ニコニコ動画の違法アップロードとMAD動画はVIPPERが求めていた面白さがあり、VIPPERは次第にねとらじからニコニコ動画へ偏重していくようになるんだ
VIPPERに淫夢が支持されたのは、一般的にイメージされる腐女子が好む明らかなフィクションである美男子同士のBLとはかけ離れた、実写のガチムチ・ぽっちゃりした男同士が絡み合うというある種の鏡面となっていたから
実際にニュー速VIP板へ腐女子が立てたと思われるスレには淫夢系のレスやAAを貼り付けるという嫌がらせが横行した
当然、ねとらじ女性配信者を持ち上げる男VIPPERへも男同士が濃く絡む淫夢は嫌がらせとなるので非常に高い効果があった
そして、ねとらじが廃れる切っ掛けとなるのがニコニコ生放送の登場
ニコニコ生放送はそれ以前に一大勢力となる東方・アイマス・ボカロを取り込んで「歌ってみた」を興隆させる
黎明期のニコニコ動画には「腐女子コメント(腐米/腐コメ)」と呼ばれる概念があり徹底的に腐米は嫌がられたが、これはニュー速VIP板から対ねとらじ女性配信者の空気が輸入されていたからだった
つまり当時の2ちゃんねる女叩き、そして女性器を揶揄するミームと淫夢は切っても切り離せない関係があり、それらの背景を追うと腐女子による同性愛サロン板荒らしに行き着くんだ
ねとらじ以前に1度2度の局所的なものではなく誰にも否定できないような多くの「ま〜ん(笑)」と揶揄されたという証拠があるならこの主張は成立しないので、どうぞ否定してみて欲しい
淫夢は同性愛サロン板で生まれ、腐女子が同性愛サロン板を荒らし、ニュー速VIP板がねとらじ女性配信者対抗のため活用拡大し、その流れで「ま〜ん(笑)」と揶揄するようになり、ニコニコ動画へ輸出した
これが歴史だ