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はてなキーワード: 村上隆とは

2015-01-05

21世紀美術館村上隆

実家で父親に聞いたんだけど、金沢21世紀美術館( https://www.kanazawa21.jp/ )へ行って「なんじゃこの美術館は」と低評価する人も結構いるんだって

どうも「美術館」というと、印象派宗教画がたくさんあって、それを観るところだと思ってる人が低評価するらしい。

そんな話を聞いて東京に戻って来てTwitter見てたら、村上隆さんが例によって例の如く低評価されてるらしい。( https://twitter.com/takashipom )

村上隆の叩き方と、21世紀美術館を「なんじゃこりゃ」と言うのと、なんか構造が似てると思った。

2014-11-27

http://b.hatena.ne.jp/entry/ta-nishi.hatenablog.com/entry/2014/11/26/182651

いやこれ、サブカルとオタ兼ねてた自分から言うと、腐女子の潜伏問題と一緒で、オタ文化がそもそも「潜伏大好きオープンになるの嫌だ、オープンな奴は叩け」な人たちが集まって出来た文化からオープンサブカルを憎んで叩いているだけの構図かと。

村上隆を嫌いまくり匿名荒らしまくる2ch文化担い手であった男オタの行動を見ても分かるとおり、「自分の嗜好や趣味オープンにすることを憎む文化」がそもそも男女問わずオタの本質で、だから似た物を愛好しているにもかかわらずオープンにしているサブカルが憎くて憎くてたまらなかったんだろ? と。

オタがきもがられたから潜伏したんじゃなくて、潜伏することを好むから他者交流がもてずに、きもがられたんだろ、という。

もっと言うと、物事オープンにするのは「私と他人超えられない壁がある。全ての人間孤独であり、他者思考を知る手段も共有する手段もない」と言うのを認めることができる人間がすることだ。

オタはそれが出来ないからオープンにすると「自分だけを特別だと思ってやがる!! 他人にどう見られるかしか考えてない!!」と逆切れする。

孤独を気取るくせに、実はもっと孤独から程遠い感性(思考を共有できる他者存在するはず、という希望を捨てられない感性)を持っているから、「いや、オープンにしないとお互いが何を考えているかなんて伝わらない」というのを見せ付けられると、発狂するという。

でなきゃ、オタ叩きが少なくなった今なら、とっとと実名ばんばんオープンに生きるのがオタの主流になってないとおかしいだろ? 90年代より居心地よくなっているのなら。

でも未だにニコ動にすがり、匿名文化にすがるオタ文化

以上、両方兼ねてた自分意見でした。

2014-11-11

村上隆

シックスハートプリンセスかいうやつ

最高にまんまプリキュアデザインだしなんなのっていう

髪の色が変わるヤツがいたりいなかったりとか魔法少女ものとしても全然統一感ないし

なんなんすか

2014-08-10

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRAだって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵アニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーション快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーション快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーション快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵アニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2014-07-17

村上隆叩くオタクの時も思ったけど

普段自分達が消費していて、むしろ表現の自由がー」と言っている物を、自分達の文法とは違う世界で扱われただけで、キーキー言い出す現象なんなん?

2014-06-27

なんかはてな民村上隆叩いてるのが不思議

君たちの大好きな艦これを初期から宣伝していたいわば功労者なんだぞ?

世界で通用する人なんだからもっと敬いなさいよ

2013-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20131230164917

そうだよ。

現代アート(の最先端)ってのはもう「オレはこんなにひどい人間だけど、オレのやってることって凄いだろ? だから許されんだよ」っていうことを競う世界なんだよ。

差別をするお前を差別してやる!」って叫んで、人をドツいたやつを動かなくなるまで蹴る世界

繰り返しになるけど村上隆を見ればわかるだろ。

から終わってしまった。

http://anond.hatelabo.jp/20131230162106

>世の中に無かった差別さえ生み出し、憎悪を生み出し、煽り、人々を不快にさせ、世の中を混乱させるのが「げんだいあーと」なんだろうな

ハッキリ言えばその通り。

それが「現代アートモダンアート)」だよ。

いい悪いよい正しいは置いといて、そういうものだよ。

・・・から結局ごく一部の好事家のものしかなれなかったし、なれないんだから

村上隆見てればわかるだろ。

2013-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20131208053456

バンクシーが恥ずかしいかどうかはともかく、村上隆カオスラよりははるかにイケるだろ。比較対象が低すぎる。

皮肉・風刺の恥ずかしさについて

ネットではバンクシーが人気だ。

まとめサイトで取り上げられるたびに結構な数のはてブがつくし、「村上隆カオスラなんかとは比べ物になんないね」といったコメント散見される。

いやいやいくらなんでもそりゃないだろう。

そんないかにもな風刺、そしてそこにたまーに詩情を紛れ込ませることによってうっかり感動させるなんて手法は恥ずかしくって出来るもんじゃない。

海外ではそりゃ切実なメッセージ性もあるんだろうけど日本では別モノだ。

バンクシーみたいなものを真に受けてしまった日本メディアとしては、虚構新聞が挙げられるだろう。

2013-09-29

奈良ラッセン論争について

奈良美智 「自分の作品のファンがラッセンも好きなら発表をやめる」 - Togetter

ムサビの受講生アンケートにおける「嫌いなアーティスト」に村上隆草間彌生会田誠カオスラウンジが挙がるも,奈良美智が挙がらなかったらしい。

それについて,武田氏(誰?)が「奈良美智好きな人ラッセンが好きなんだろう」という発言をしたらしい。

それについて,奈良氏が「武田さんの発言は、なんだか心外だなぁと思います。僕の作品が好きな人統計をとってみてほしいですね~。ほんとにそうだったら、発表を辞めます。本気で。」とtweetした。

ラッセンは「美術」として扱われておらず,他方で奈良は「美術」として扱われている。これは,ラッセン美術館に展示されない(あるいは美術館を発表手段としていない)が,奈良美術館に展示されていることに端的に表れている。村上隆美術館に入り鳴子ハナハル美術館に入らないのと同じである

もっとも,そのような,業界での位置づけ(奈良=内部者,ラッセン=部外者)という視点は,両者のファン層が重複するか否かと関係しない。

ファンになるか否かは,業界での位置づけではなく個々人の好みの問題であるから,作品あるいは商品自体の性質から導かれるはずだ。

 

ラッセンの絵は,海とイルカという具体的なモチーフを扱いながら何らの意味を持たない。

奈良の絵もまた,何らの意味を持たない。(それ故に,殊更に「嫌いなアーティスト」として認識する必要に迫られない。)

少女という具体的モチーフを扱っているかのように見えるが,実際にそこで行われているのは,キャンバスに直線を数本引いて「この線の緊張感が」と云々する古式ゆかしい現代アートのものである

作品のスタイルからして,ラッセンは中身の無い美しい物好きに,奈良は中身の無い顕学主義者に好まれるであろうから,両者のファン層は異なると予想される。

したがって武田氏の発言は失当であり,奈良が怒るのも尤もなのである

 

(などと書いてみたけど,何らの意味を持たないという点では草間彌生も同じなのに彼女ムサビ生に嫌われているらしいので,間違ってる気がする。)

2013-09-12

途中に出る広告で思い出したけど

五輪招致で(現時点で)儲けていて、引き続き食い込んでいくであろう芸術家日比野克彦なのに。

http://news.mynavi.jp/news/2013/08/15/140/index.html

(現時点で全く噛んでいないらしい)村上隆が真っ先に名前が出て、変なバッシングされるんだから、世の中って不思議

日比野氏は今、目立たないように頭を下げているんだろうなぁ…

2013-09-09

村上隆オタクから叩かれる理由がわからん

パクリだとか言われるがそれ言い出したらコミケやらの二次創作成り立たんだろうに

2013-09-08

呪詛言葉述べてるヤツらより

オリンピックで一儲けしてやろうと考えている村上隆日比野克彦の方がマシってのが、ここ読んでると判る。

呪って呪って呪ってそればっかり。オリンピック東京に来なくったって、招致予算が漏水対策費に回る訳じゃないのにね。

決まったからこうする!じゃなくて、呪詛言葉ばっかりのヤツらは、そうやってずっと言い続けていればいいよと思うね。

2013-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20130725205630

同じく美大受験予備校へ通い、都内で一番難しいと言われている私立美大を出た者です。専攻は油絵20年くらい前の受験生の多い時代だったので、デッサンとかやらせたら相当うまいと思う。

言ってることはその通り。

なんだけど、予備校で身につく画力って作家として生きていくために必要ものとは違うよね。

まぁ、村上隆なんかは予備校こそが画力を身につけるところ、みたいなことを確か言ってたと思うけど。

美大卒業した人間のうち何人が絵で食えているか、立ち止まって考えてみるといい。

草間弥生美大出てたっけ?

浦沢直樹美大出てたっけ?

漫画家に限って言うと、俺が知ってる美大卒の人って、西原理恵子しりあがり寿佐藤秀峰くらいなんだけど。(不勉強でごめんね)

美大だけで、毎年、何千人の美大生が社会に輩出されるのよ。

あ、ちなみに上位の美大予備校に通わず入学する者はほとんどいない。

まぁ、元増田は現役美大生なんだと思うけどさ。

いや、ほんと予備校技術美大卒って肩書きなんて大したことないって。

俺の周りは絵で食えてないし、俺自身、漫画とかイラスト、ほんと下手だしね。

2013-02-25

ヘボヲチャー藤原正彦内田樹イケダハヤトを見て気づいた共通点

藤原正彦

内田樹

イケダハヤト

ここ数年くらい「とりあえず一躍脚光を浴びた」感のある人間を見てきたけど、

この3人だけは「なんだかなあ」という感じでいつも見ていた。

一躍脚光を浴びたけど、いつの間にかフェードアウトしてった藤原先生内田先生

そして、なんか読者の失笑を一身に浴びつつ、フェードアウトしつつあるイケハヤ師。

藤原正彦。かの有名な「国家の品格」の著者。

本についてはもう色んなところから突っ込みを受けた挙句、気付いたら保守論客みたいな感じで持ちあげられたのはいいけど、

あの人今どうしてんだろうみたいな感じの人。

品格本以降、全ての段落に突っ込みどころを搭載したクラスター爆弾を投下してくれていた。

たぶん割と高位の老害

内田樹。代表作はたぶん「ハシズムを許すな」だと思われる。自称思想家武道家本業翻訳家実業家。チラシの人や精神科医のお友達

橋下選挙ときにちょこっと出てきて喧嘩を売ってきたけど土俵に出てこないままフェードアウトした感がある元大学教授

やまもといちろう曰く、「専門から外れた物事でゴミすぎる論説をしては物笑いの種にされる

池田信夫曰く、「彼の頭が悪いのはしょうがないが、せめて知らないことには口を出さないほうがいい

深沢明人曰く、「現実に立脚した話ではなく、何か気の利いたこと、一風変わったことを口にして、商品にしてやろうというだけ

そして我等がイケハヤ師である

最早説明不要な感じになってきてるが、最近尊師エントリーがびっくりするほど酷い。

嫌われれば嫌われるほど、一流の人たちに囲まれるようになる - ihayato.書店 | ihayato.書店

アンチのみなさん、今日もせっせとありがとうございます - ihayato.書店 | ihayato.書店

どのくらい酷いかというと、顔を真っ赤にしながら自転車操業やってんだけど肝心の自転車は1ナノも進んでいない。

そんな感じである

とりあえずこの2つのエントリーの間のブクマ数を調べてみた。(2月25日時点)

アンチのみなさん、今日もせっせとありがとうございます - ihayato.書店 | ihayato.書店 182

安易な謝罪がモンスター消費者を助長させる - ihayato.書店 | ihayato.書店 5

(本)村上隆「芸術闘争論」 - ihayato.書店 | ihayato.書店 1

「一流の人は、みんな異常」—デザイナー・山本寛斎名言まとめ - ihayato.書店 | ihayato.書店 41

嫌われれば嫌われるほど、一流の人たちに囲まれるようになる - ihayato.書店 | ihayato.書店 123

もうめんどいので調べるのをやめますが、炎上エントリーを挟んだエントリーがあんまりブックマークを稼げていない。

というか、炎上エントリーと、それ以外のエントリーの落差が酷すぎる。

プロブロガー」なのに大丈夫なんだろうか。本来このあたりのエントリーPVなりアフィ収入なり稼がないといけない筈なのに。

これで月収なのか売上なのかよく分からないけど月間52万(以上)稼ごうというのだろうか。

やまもといちろうとのブログでのやりとりのほうが圧倒的に面白かったし、

現在進行形でイケハヤ師の株価がどんどん下落、というか暴落していっているので、

対談をやる頃にはもうイケハヤ師自身が賞味期限切れになってフェードアウトしている可能性大である

炎上マーケターサイクル

フェードアウトしていった2名と、これからフェードアウトしていくであろうイケハヤ師、

通称炎上マーケター」の仕事サイクルはこうである

  1. 専門知識もなく
  2. ろくに調べもしないまま
  3. 断言する
  4. そして言い訳を言っとく

この一連のサイクル、特に3において主張されるものが過激であればあるほど、炎上すればするほど、有名になる。

一部の人間に尻尾を振りまいている内容ならなおよい。(保守、反TPP脱原発、脱貨幣経済など)

しかし毎回違った燃料が投下され続けなければ周りからは飽きられてしまう。

なおかつ1(専門知識がないこと)が露見しないように注意しなければならない。簡単なように見えて実は結構難しい事なのだ

FUJIWARA先生と、内田先生は、専門知識がないことが露呈してしまったために、フェードアウトしてしまった。

今、イケハヤ尊師も、周りの失笑を買いながら、専門知識が皆無なことを露呈している。

彼らの言論に共通しているのは、「賛否両論ではなく、ただの間違い探しである」ことだ。

間違い探しになりはじめたら、もう終わりだと思う。

2012-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20121212230212

村上隆やsukebeningenについてはよく知らないけど、

放送大学青山教授講義おもしろいのは同意

あれは見るべき。

2012-12-12

村上隆とsukebeningen

2004年ネットで話題になっていた、町山氏による批判記事を見て、

村上隆という、オタクからひどく嫌われている芸術家がいることを知った。

(町山氏を知ったのもそれが初めてだった)

その後、村上氏のことをネットで調べ、ギャラリーフェイクの22巻も読んでみた。

村上氏に対する私の印象は、「オタク文化剽窃する似非クリエイター」になった。

 

そんな印象が変わりだしたのは、2010年ごろだった。

Twitterニコ動番組を通じて村上氏の人柄や言論に触れたことで、

もしかして自分村上氏を誤解しているのでは……と思うようになった。

 

芸術への興味がわいたので、放送大学芸術講義をとってみた。

青山昌文先生の『芸術史と芸術理論』。

古今の芸術家批評家たちの足跡を追いながら、芸術とは何か、

芸術作品がいか世界を語ってきたかが解説される内容だった。

芸術家や作品を語る中で、「作品の見方は自由。本当に優れた作品なら、誰にでも理解できる」

芸術とは、天才が生み出す独創的な表現である」といった通俗的な認識が、

いかに幼稚で次元の低いロマンチズムにすぎないかが、繰り返し説明されていた。

この講義は本当に面白かった。物の見方が変わる快感を味わうことができた。

 

しかし、何より大きかったのはsukebeningen氏である

絵の良し悪しがわからない私にも、sukebeningen氏の意見は、どうしても正しく思えてしまう。

美術を知らない私でも納得せざるを得ないほど、sukebeningen氏の言葉は鋭い。

とびきり強い正解を出しているように見えるのだ。

また、創作という営みについてのsukebeningen氏の考えを読まされるたび、

視界が大きく広がるような、頭の中がすっきりと晴れるような感動があった。

sukebeningen氏の言論を通じて、村上隆への印象が大きく変わることになった。

 

 

いいことばかりではない。

sukebeningen氏のおかげで、自分意見を持つことが怖くなった。

おもしろいのか、つまらないのか、自分の判断にまったく自信が持てないから、

オタ絵や映画の良し悪しを語ることができなくなってしまった。

美術素人でもsukebeningen氏のような知識を修得できる道は無いのだろうか……。

2012-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20121006182111

村上隆自分を批判する日本自体をネタにする人だからまったく困ってないし痛くも痒くもないよ。

一番困るのは日本全国が村上隆信者になること。その時村上隆ネタが無くなる。

2012-07-02

http://anond.hatelabo.jp/20120701043238

その「根の暗さ」というのは,村上隆の作品にも通じると書いているけど,

小説とかと比べてどうなんでしょう.小説世界だとそれって普通だったりしませんかね.

他の方が書いているように,VOCALOID曲はラノベっぽい印象を受けます

VOCALOIDには人間歌手がいないのだから創作活動としては小説に近くなりそうな気はする.

逆に言うと音楽というのは自分で歌うか他人に歌ってもらう必要があったので,

ネアカ」であり続けた創作活動だったということはないですかね.

あんまり音楽小説もたくさん聞いたり読んだりしない方なので,蓄積のあるかたの考えを知りたいです.

2011-08-17

権威が認めたもの芸術

権威が認めたもの芸術」って指摘して怒る人は、一体何を芸術としたいのかなあ。大体、みんな美術館にあるような「芸術」で心揺さぶられたことなんか、ほとんどないはずです。我々の心を揺さぶったのは、大量複製されたアニメマンガだったわけで。


↑これらを見て、村上隆の「日本には現代美術マーケットがない」というセリフや7~8年前に読んだ↓を思い出した。

現代美術なり、現代音楽なり、現代批評なり、頭に「現代」とつくヨーロッパ由来のハイカルチャーは、日本では、自前のマーケットを持たないまま、権威によってしか人材調達ができなくなっている。あまりにその制度が硬直しているから、制度のなかでキャリアを持っている人間が、その硬直を打ち破っていかないとどうしようもない。

擁護するはずの村上隆こそがカオスラウンジに激怒した理由が何となくわかる。

2011-08-13

re:なぜ現代アートには糾弾が相次ぎ、美味しんぼコラは受け入れられる

http://anond.hatelabo.jp/20110813025031 に対する私見。ブログに書く程でもないんで此処に。


元増田が疑問に思っているように「おいしんぼ」を加工して遊ぶという行為カオスラウンジは似ているようにも、見える。

じゃあ何が違うのかっていうと「使った元ネタ」の出自が何かって話なんだと思うよ。


カオスラウンジコラージュと、おいしんぼのコラージュで決定的に違うのは、カオスラウンジコラージュ元ネタ二次創作であり、おいしんぼが商業作品である、という点。

これだけ。


ちょっと前に村上隆自分のやってる事を翻訳だ、って言ったのをきっかけに揉めたのを覚えている人もいると思うけど、これに当てはめて考えるとわかりやすいんじゃないかな。

村上隆翻訳事件については http://togetter.com/li/46166 http://mojix.org/2010/09/03/murakami-mukatsuku http://tsunoga.blog32.fc2.com/blog-entry-298.html らへんを読んでくれ)


「おまえら」は商業作品をコラージュしたり二次創作したり、という「翻訳」をして、それを「おまえら」の世界で楽しんでいる。

それに対して「カオスラウンジ」は二次創作コラージュするという行為を通してアートに「翻訳」した。ついでにいうなら「翻訳」をきっかけに金儲けもしたw

そういう事なんじゃないかな、と思ってる。


アートっていうのは「権威」によって「これはアートだ」と認められる事だ、と思う。

その権威が何処かの美術館に飾られる事なのか、なんたらビエンナーレ入賞することなのか、村上隆美術手帖に絶賛されることなのか、何処かのオークションで何億って価格落札される事なのかはともかくとして「これは、アートだ」と認められさえすれば、便器にサインをしただけの簡単なお仕事ですアートになるよっていうのが20世紀初頭からアートシーンを支配している「空気」だよね。

カオスラウンジは、だから「そういう空気」が支配している世界二次創作コラージュするという「翻訳」をして、その「翻訳をした内容(と行為)」がアートとして認められた。


でも「おまえら」からすれば「自分たちの愛が穢された!」って事になるんだろう。

いつも自分たちが商業作品を二次創作という形で「翻訳」して楽しんでいる事と全く同質なのにね。


カオスラウンジがやってる行為MADの違いが何処にあるのか説明出来る人はいないんじゃないかな。

元増田の疑問は、まさにそこにあると思う。

二次創作を更に二次創作するサークルもいると聞くが、それは「おまえら」の世界の中で完結する行為から許容されうる範囲の事なんだろう。(揉める事もあるって聞くけどね)


上手く表現出来る気がしない(だから増田に逃げたというのもあるんだが)のだけれど「お互い、人の財産を奪う事の罪悪感は低いんだけど、自分たちの財産が奪われる事には敏感だよね」って事に尽きるのではないかな。(財産、という言葉は適切ではないように思うけれど、他に上手い言葉が思いつかない)


個人的には、カオスラウンジの「作品」を見ても手段も内容もたいした事ないなあ、と思う。

じゃあ何がアートとして評価されたんだろうと自分なりに篩に掛けて残ったのは「二次創作コラージュする」という行為(水浸しもだけど)であって、それだけは既存アートシーンには(おそらく)存在なかったと思うからだ(思いついたけど誰もやらなかっただけなんだよ、という「批判」はあるとは思うけど)


そんなわけでカオスラウンジの皆さんの今後の活動を生暖かく見守っていきたい次第でございます

一回「やらかした」事というのは、それが何であれ、二度と繰り返せないのがアート世界であるにも拘らず、バッシング覚悟で二次創作コラージュするという「翻訳」をしなければカオスラウンジという集団のアートとしての価値は無価値であると言っても過言ではないだろうから

自分の敵は自分っていうか、針のむしろを用意したのは自分自身なんだし。10年代日本アートシーンの騎手としてがんばってくだしい。


2011-08-06

村上隆はモノを見る目がない

カオスラウンジなんて大した美術教育も受けてないしオタ度も薄々だし単なるオタとアート勘違いした徒花的存在(あるいはアウトサイダーアート)にすぎないという事にはみなさんそろそろお気づきだろうが、なんでここまで無駄に色々できちゃったかってやっぱり村上隆が一旦認めちゃったことが最大の問題だと思うんだよな。

別に大した価値基準もない現代アート業界のなかで、別に公募展とかでも受賞歴のない奴らにとって村上隆の評価ってのはそれこそ成り上がりのための特急券みたいなもんだったんだろうなと(故に駄サイクルと言われたりもしてるんだろう)。

ただ村上隆って、実のところ創作(と言うと反発する人もいるだろうが)の力はかなりのものを持っているが、人のもんを判断する審美眼みたいなものは決定的に欠けているんじゃないか最近それに気づいた。

村上隆の作品とそこに対する理論構築に関しては個人的にかなり評価しているが、自作以外に対する批評感想それから村上隆取り巻きその他もろもろは正直言って完全無視で構わないんじゃないかなーと思っている。

海洋堂行った時にあまりフィギュアを見る目がないか専務におもいっきりバカにされてたり、ちょっとアレな作品を持ち上げがちだったり、たぶん見る目の無さってのは昔っから今まで一貫して変わってないんだろうな。

まあ名選手が名監督になるってわけでもないのはあたりまえのことだし。

村上のおじさんにはワークス体勢でバンバン作品を作っていって欲しいが、無駄下部組織作ったりして自分の方向性以外の方面に手を出そうとしてる最近の活動は正直言ってやめた方がいいかなと思います

2011-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20110803104842

当たり前じゃない。

村上隆さえ語るにゃヘドが出るっていうのに。

2011-07-29

Pixiv, カオスラウンジ芸術マーケット日本芸術教育

今私は、鬱状態仕事を休んでいる。フリーランスアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。

2ch のまとめサイトで、件のPixiv騒動をしった。

カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。

面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真photoshop10分ほどやっつけでコラした絵をPixiv投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ

http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg

で、私の意見

これ、日本芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。

まずマーケット

これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるからお金にしなくちゃいけない。

で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。

そのために役にたつの権威(power)。カオスラウンジ村上隆美術手帖がそのicon。

私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。

村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?

本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験意味は?

美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクスト脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本マーケット権威もっちゃったんだから

僕は90年代青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。

日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。

もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。

自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?

日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…

僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分フィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。

yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分意見が先にくるんだよ。

例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。

日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。

全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。

この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。

藤城嘘ブログ6月25日の記事。

http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625

端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。

同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。

でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?

例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。

やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。

ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。

で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ

ネットオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。

一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。

今回の件をきっかけに、私は初めてふたば掲示板をみた。

みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。

世の中の多くの人たちが、文化については保守的日本をみたら、なんで演歌歌謡曲が未だに紅白重要立ち位置を持っているかということ。

これ大事だよ。普通だもん、それが。

そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通芸術家でないの?

少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。

あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。

炎上たから?ビジネスパートナーが予定していた商品をキャンセルたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?

本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。

この謝罪、カッコワルイよ。

たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。

(個人的に村上嫌いだけど、プロとして何となく分かる。)

で、彼らがここまでやってこれたのが、日本芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。

私自身の、私立芸大在学のとき経験をモトに。

「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine art伝統の不在が起因なんだろうけど。

自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?

タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?

若いアーティストから仕方ないんだろうけど…

酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。

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