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はてなキーワード: 村上隆とは

2011-06-23

誤解を招く発言をさせたら東浩紀天才

http://twitter.com/hazuma/status/83734788913111040

東浩紀は若い連中切ったとか、人格に問題があるとか、いまの東は終わったとかいうまえに、東浩紀を超える批評家ひとり出せない自分たちの能力反省しろよ。バカか。


ちなみにこのツイートの直前の発言はこれ。

http://twitter.com/hazuma/status/83733780975722496

逆にぼくからすれば、この論争はもう行くとこまで行っているから、批評家として介入するとき村上隆カオスラウンジかどっちかとは付き合えなくなるだろうって覚悟もあって、それでここ数週間頭痛いわけだけど、それに較べると若い自称批評家連中はなんて適当コウモリなんだと呆れ果てている。



クリリンしてる人が多いけど、上の発言は「若い自称批評家連中」に対するものだよね?

素人に対して「俺は偉いんだ」と威張っているわけじゃない。

そして、実際に東浩紀を超える知名度・売り上げを誇る若手批評家がいない以上、東の発言内容はまったくもって正当。

2011-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20110619094202

村上隆という人間の背景を知ると主張していることもわかるようになりますTogetterではマッチョ百連発な様相を呈していますが、彼の価値観を知る上では欠かせない資料であることは間違いないので、どういう意図から今回の主張をしているか、ということを知る上でも見ておいたほうがいいかもしれませんよ。

カオスラウンジ界隈雑感

http://togetter.com/li/151267

Togetter - 「カオスラウンジ騒動に対する、東浩紀村上隆の対話。」

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/151267はてブ


この梅ラボ関連の話題は、東浩紀の言うように、かなりめんどくさい。でも、思ったことをまとめていこうと思う。

n次創作著作権

なんというか、周期関数かとツッコミを入れたくなるぐらい同じ話題が繰り返されているような気がしますが、こういう創作に関しては、原則として「やっていけないものはない」という前提があります

極端な例示をするなら、「無差別殺人をしてその血をテンペラ画のように塗りたくって、最後にその包丁を突きつけなければ作品が完成しない」として、じゃあ人を殺してはいけないかケチャップじゃいけませんか、というとそうじゃない。

人を殺した代償として裁かれるのであって、人を殺していけないわけではない。

まり量刑と藝術を天秤に掛けて、藝術の方に重きがあるなら殺しても仕方がないでしょう、殺された人には気の毒ですが。やっぱり刑は嫌だな、となれば別な作品を探すしかないでしょう。

まり、何次創作を作るにせよ、著作権なんて屁じゃねーよ!っていう無敵の人にとっては「著作権違反だ!」も「愛がない!」も説得力ゼロなわけです。まあ私自身も、ああいう手法を以て「誠意がない」とか言う批判は正直アホだと思ってます

繰り返しますが、著作権は明らかに違反していますよ。あとは訴えられるかどうかです。そして、その訴えられたかどうか、刑に処されたかどうかというのは、作品評価の是々非々とは一切無縁だということです

むしろこの騒動自体は、騒げば騒ぐだけ大成功ということになりますし、私はもう成功したとみなしていますふたばがどうだ4chがどうだというキメこな起源の文脈はあまり本質ではありません。


引き合いにだすなら

たとえば、まあこういうところで引き合いに出されるだろうものとしてマルセル・デュシャンの「泉」があるでしょう。男性用小便器に署名だけして出品したあれです

今同様のことをするなら、それに小水でも引っ掛けて署名の代わりとし出品するでしょうか、もうされたかな?

作品に関して端的な説明とデュシャンの人となりはここが短くて分かりやすいかと思いますのでどうぞ(http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/nakaoku(06-7-31))←括弧付き年月日までURL

そしてもう一人、アンディ・ウォーホルも取り上げるべきでしょう。Togetterまとめの中では、鶉アイコンが今作とウォーホルとを態度の違いで「同列には語れない」などとアホ臭いことを語っておりますが全身全霊をもってスルーしてあげてください。(ウォーホルの言う「表だけを見てください」というのは、裏がないことを意味しない。逆もしかり)


今回の騒動は明らかにこういった系譜の延長上にあります。ゆえに、「もう面白くない」というのはまっとうな言い分であると私も思いますデュシャン以降、何が独創性たりうるのかという問題を突きつけられた芸術家達は、常にデュシャン意識せざるをえないのです。あの藝大アカデミズムから反動ガチ保守村上隆さえも。

最近の騒動界隈に対する雑感

このキメこな騒動(そもそもキメこなが使われてるのは一部なんですが)以前にも、近い話題としてChim↑Pomのいわゆる岡本太郎絵画に添えつけた「原発アート」の話題がありました。

これも同じく私は成功したとしている(というか基本こういうやり方もある、という人が界隈では多いのですが、社会との関わりもあって留保的な回答にせざるを得ない)のですが、権威を借りただけだどうだといろいろな反響がありました。

しかしながら、こうもたてつづけに同じような反応を見ていると、何かを感ぜずにはいられません。

藝術と法律というのは別レイヤーで処理されるべきものであり、例えば貨幣偽造にしても千円札裁判のようなものは、法律で裁かれるのはともかく、「裁かれたのだからこれは藝術ではない」と看做している人が一定数存在するような気がしてならないのです(すなわち、同じレイヤーとして法律>藝術という階層がある)

そして著作権違反だという申告をする人々らは、おそらくその人が裁判にかけられるということそれよりも、「こんな表現が藝術として認められるわけがいから、法律で裁いて非芸術にしろ」という動きのようにも見えるのです

それ自体はひとつリアクションなので、どうということはないのですが、様式美にハマっているような気がしないでもないです

(まとめ中で村上隆が「赤瀬川原平との呼応矮小化だ」とこきおろしますが、彼は矮小化意味をわかっていないのではないでしょうか?あるいは、本質であるところを意図的にずらして矮小化捏造しているのだろうか?もっとも、彼の態度は藝術と非藝術は明確な区切りがあると考える立場だと察するので、何か藝術階層から退けられる言葉があれば何でも良かったのかもしれませんが)


まあ僕の意見としては、こうして日本にも藝術が浸透していくのは大変喜ばしいことであり、みなさんどんどん騒いでください、というぐらいの感想です

2011-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20110521164451

界隈の意見はどうでもいいけど、ブコメにいる「現代アートが最悪云々」言ってる奴の観測範囲が狭すぎて爆笑した

あいつの中で現代アートなんてのは村上隆サブカル界隈しかないんだろうな

2011-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20110320191536

東が村上隆とつるんでるのって俺の記憶には思想地図と仁義に関するまとめしか記憶にないなあ。

仁義なんて書いてあるけど中身は単なる「筋を通せ」って言うだけの話だったし。

http://anond.hatelabo.jp/20110320191536

自分が具体的にどう行動すべきか」みたいなことについては、最近よく言ってるなぁ、とは思うけどね。自分出版業始めたのもそうだし。とはいえ、若い世代に「お前ら立ち上がれ!」とか言って煽ってる様子は記憶にないなぁ。

ああ、村上隆とか猪瀬とかについては、まぁそういう部分もあるとは思うけど。

http://anond.hatelabo.jp/20110320190728

え?

最近あいつのツイッターとかつるんでる仲間を見てないの?

村上隆だの猪瀬直樹だのと非常に醜悪なオッサンクラスタを組んで、

しばきあげ体育会主義みたいな事ばっかり言うようになってるよ。

はてサに嫌われてるのもそのあたりが理由でしょ。


別にあいつら自身が体育会系に耐えられる体質だとは思わないけどね。

あの連中がエセ体育会系になりだした動機は同じで

あのへんのおっさんは「若者に慕って欲しくて慕って欲しくて仕方ない」という共通点がある。

本人の自己肯定としても実利としてもね。

老いて不潔な腐敗臭を放ってる。

2011-03-07

ソラノート炎上案件について、村上隆の檄を思い出した

若いのに狭いたこつぼ世界後生大事にちくちくやり続けてたり、言葉を発する側も学生運動の時と替わらず「反対の賛成」しか言わないしネット界の連携を担保に、仁義礼を欠いて生きて行くのが「パンク」だと嘯き、で、その先のヴィジョンは出せない。出せない事が若者の特権とこれ又居直る。

http://twitter.com/takashipom/status/27078714057

(強調は引用者による)

2011-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20110106004638

今時20代半ばなんて大学生レベル変わんないぞ。

変わんない奴は余裕でそんな感じで30ぐらいまで行く。

村上隆とか東ナントカとかはそういうの集めてだまくらかして親分になろうとしてる。

2010-12-03

ニコニコ生放送 村上隆芸術闘争論#2 森川嘉一郎プレゼン

以下、森川プレゼンの聞き取りメモ

村上は美大を問題にしてるが一番問題なのは小中高の美術教育だと考える

村上が批判するところの『自由主義』≒内発的なものを表に表現することこそ美術の真髄であるという思い込み

そのルーツは小中高の美術教育

小学校はともかく中高でそういう教育を行うのは問題なのではないか

日本美術教科書は他国と比較すると異様に薄く内容的にもかなり異なる

典型例として

自画像

自分を見つめる

生まれてからずっとつきあってきてる自分ですが、自分のことはよく分かってるようで中々つかみどころがありません。

自分ってなんだろうは永遠課題かもしれません

今の自分をよく見つめ、心の中や自分らしさがあらわれるような自画像を描いてみましょう

このときアニメ絵を描くと教員は嫌な顔をし、

「それはあなたの絵ではなく誰か他の人の書いた絵でしょう」

「人の真似ではなく見たまま感じたままを描きなさい」

NGが出る

褒められる絵

美術教師・教科書が褒める絵のスタイルには傾向があり、顕著なのが風景画における印象派

心ひかれた場面に出会ったら絵に表してみましょう

光や影、広がりや奥行きを各画面の構成や色彩で工夫すれば、印象深く表すことができます

印象派

日本美術教育印象派美術最先端だった頃に開発された技法が輸入され太いチャンネルになっている

その結果として印象派的な書き方を教えることが日本美術教育の一つの王道を成している

外国美術教科書ってどう違うの?

分厚い

美術史を丁寧に教える

ルネッサンスの項では遠近法が開発され、そうした理論の注入が行われた結果それまでの中世の絵から

どのように変わっていったのか、等が論理的に

20世紀の項では

ピューリズムとかシュープレマティズムなどマニアックな流派まで結構詳細にどういう背景を持って

どのような流れで出てきたのかを触れる

中学生教科書

半分は美術史をやり残り半分は実作

こういう教科書を読みどういう課題をやるのか

例えばエジプトの壁画、ファンアイクの絵、マチスの絵に到るまで丁寧に模写をした上で

それがどういう時代背景の元にどういう技法で描かれているか自分なりに読み込んで

まとめる、ということを行う。

日本でも美術史をやらないわけではないが、それは日本史世界史の授業で行い

美術の授業とは切り離されている

基本的に向こうでは美術史自分で描くこととを両輪のように組み合っせてやってる

こういった模写を通じた美術史教育を受けることによって、

美術というのは歴史があり、何が「美しい」と思われてきたのかは時代時代によって

かなり変わってきている。

歴史の積み重ねがそれを作り上げている。

それは宗教だったり政治であったり、そういった権力のもとで作られてきたとか

あるいはフランス革命により王政が打倒された結果、描くモチーフが王侯貴族から市民に変わっていったり

そういう技法まで含めて流れがあり

我々が何を美しいと感じるかというのは、実は自分が生きた時代に人々がそういうものを

しいと思うように訓練されたから、そういうものを美しいと思うのだということが体得されてゆく。

しか日本場合

ある人がなにかを美しいと思う、それは何か訓練された結果美しいと思うのではなくて、

あくまで内発的ななにものにも影響されないそういう感覚があり、その美しいと思ったその感覚

あるいはそれを表現することそのものが美術なんだという風な、いわば洗脳を受ける結果として、

自分があるものを美しいと思うときに、例えば広告とかTVCMとかの結果としてそういうものを

しいと思うようになっているにも関わらず、内発的に美しいと思っていると誤解している

ところが発生しかねない。

疲れたんでここまで

以下、日本美術教育のこのような特殊性のルーツはなんのか、等々

またこういった『自由主義』が美術教育専門家ら自身にも問題だと認識されていること、

にもかかわらずこーなってんのか、日本美術教育がどのように位置づけられてるからなのか、等々。

更にかつて現在美術界同様な状態だった日本建築界が磯崎新の仕掛けによりどのように

変わってゆき、現在のような5~6人のワールドクラスを輩出するまでに変わっていったか、等々

村上は磯崎が建築界で起こしたことを美術界で起こせるのか、等々

と続く

とにかく根拠が実感だけの村上さんよりはるかに具体的で面白かったんで、こんな糞エントリじゃなく

直接↓を見てもっと洗練されたまとめ、感想、そしてツッコミを書いて欲しい。誰か。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv33643068

2010-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20101106181019

エントリ国家論は抽象的すぎってことじゃね

村上隆アメリカで成功したけど日本ルーツ地盤を重んじてるわけじゃないし

村上隆@takashipom氏は語る;「弱者面して傷をなめあう連中に、芸術家は務まらないぞ!」

http://togetter.com/li/66357

アメリカに住み暮らしていつも思う事は、この国は戦時下にあるってこと。戦争して国家を起動させてる。その国の傀儡下で呑気にぬるま湯が気持ちがいい、と、惰眠をむさぼるチョイスをしたのが日本国民自身だったのです。で、この結果だ。国という外殻を意識しない事がリベラルだと勘違いした知識人達。

 

無能が「かわいい」と評価する事がサブカル的にいけてた時代の顛末がこれだろ。じゃあ、どうすりゃいいのか。決まってるだろ。自分社会責任を理解し(精査レベルでもいいよ)何をすべきかを気付き、そして出来る事をやるだけだろ。国とは何か。国家国民との距離感認識し直すべきだ。 

 

『自由』を無差別に流布した無策を呪え!『サブカル』をフラッグシップに展開した思考を戒め!『教育』をゆとりだなんだと手抜きを擁護した空気を自身で嘆け。そして日本SF映画のような国になり、崩壊して行く。これが夢ならいいのだが、夢だけど夢じゃなかった、、、んです。

くその通りとしか言いようがない。

例によってキチガイはてサクラスタがファビョってるのはお約束

2010-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20100922191511

俺が考えてハイになったけど、そんなに甘くないと思って現実に戻った未来予想図

美大受験予備校に行って、絵が描けるようになる(そうすれば絵が描けるようになると村上隆が言っていた)

そうしたら、基礎的な絵を描く力はついていると思うので、漫画の描き方を専門学校で学ぶ。

それで漫画雑誌に持ち込んで、多分ダメだろうから同人趣味にして適当に生きていく。

いまどき絵を描くのに金はかからない・・・? だろうし

そんな夢物語にひたる大卒一年

元増田バイトして金はあるだろうし、学校行きなおすのも面白いかもよ?

2010-09-05

村上隆が相変わらずオタクの人に嫌われてるの見ててふと思ったんだけどかつてのリキテンスタインとかやっぱり当時のコミックアーティストの反感買ったりしたのかしら。ウォーホルに作品化された洗剤の箱やスープ缶のデザイナーとか何か言ってんのかな。多少の文句はありそうだけども。

2010-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20100903095016

タイトルに出てきたホメオパスについて、何で嫌われているのか、言及されて無いな。

ついでに言うと、あれは砂糖玉を薄めてるんじゃないの。

金属とか毒物を薄めて飲ませてる。

そうすれば抵抗力が付くんじゃないかって事で。

そして、それで十分であるとして、それ以外の医療、つまりは機械医療を放棄しているのが問題なんだ。

そういった事でおきている問題の積み重ねによって、叩かれるに至っている。

村上隆が叩かれてるのは、

村上隆表現しようとしているオタク像、オタクエネルギーって奴を現代のオタクは持ち合わせていないから共感できないという事。

岡田斗司夫に「発想が古臭い、とにかく顔がブサイクすぎる」と94年に言われているほど当時ですら過去オタク像を表現している。

国内に向けて、「これがオタクですよ」って言っても「それは30年も昔のオタクで既に絶滅している」と即否定されるんだから、

海外に向けて、「This is..., the "OTAKU"!」と言ってウケを取る。

国内オタクからすると、海外オタクとはそういうもんだという認識をもたれるのが嫌なんだ。

日本に来る外人が、「Where is a ninja?」、「Where is a samurai?」と聞いてきても困るだろ。

同じように、アキバであんな30年前のオタクを探されても出てこない。

あれは、パソコン通信や、雑誌投稿欄、コミケの変質といった状況で生まれたもの。

今の、インターネットや、ニコ同、同人誌卸の存在といった状況には生まれえない。

当時の彼らの欲してやまなかったもの全てに最初から手が届くんだから。

葉鍵が売れたたとかももはや過去の事だろ。

あなたも、もはや過去のものとなった「Key信者」なんてものに語りかけている。

そんな物を現代のオタク界隈に探した所で、村上隆と同じように「そんな時代のオタクはもう居ない」と叩かれるだけだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20100903095016

萌えを泣き要素で薄める」って何?

萌え現代美術で薄める」って何?

普段でも「サラダマヨネーズで薄める」とか言っちゃってるの?

村上隆の作品を漫画アニメの「代替」として消費してる奴がどこにいるの?

ねえ、どこが似てるの?

上手いこと言ったつもりだったの?

バカなの?

2010-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20100902200728

その文脈なら村上フィギュアが本当にヌケる出来だったら叩かれない

ヌケる、ヌケ無い以前に、ブランド付いてなきゃ売れないだろ。

村上隆ブランドを付けないでワンフェスに持って行ったら売れないだろってフィギアを、

芸術だ何だって、あたかも日本オタクアイコン的な扱いされてるのが気に食わんのだと思うよ。

例えば、ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展のわたおにフィギアは、叩かれるどころか、オマージュされたりしてたし。

現在オタクニーズに即していれば、アイコン的な扱いされても何も問題は無い。

あの人が表現しているのは、1980年代オタク界隈を表したものであって、あの頃のサブカルの仄暗いエネルギーでしょ。

色んな事件があって世間に引っ張り出され、パソコン通信インターネットになった現在のオタに、

黒歴史として忘れ去られてたネタを、「これがお前らだ」って突きつけられたら、そりゃキレるわな。

村上隆金持ち

http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20100901/p1

結論:金持ちなんだからぶん殴りたくなるに決まってるだろ!!

たしかに、村上隆フィギュアは16億円で売れている。

しかし、それはあくまで市場に出たものが16億で取引されただけであって、

中古市場の売買と同じであって、村上隆に金が入ることは無い。

そうでなくても、1作品1億円とか値段がついてはいるが、

よく知られているとおり、村上隆会社という体制で作品を作っている。

やはり1億円がそのまま村上隆に入るわけではなく、作品が売れた金で、会社を運営する費用をまかなわなければならないのだ。

1億円とか言う金が、会社を運営するとか人に給料を支払うという点から見れば、はした金であることは、常識だ。

村上隆金持ち」というのは、あまり強固な意見ではない。

村上隆は「"Fuck"でアメリカ文化を語ってる」のと同じ

村上隆&あずまんの話を見て思った

http://togetter.com/li/46163

村上隆は「オタク文化を、現代美術翻訳しようとしている」とのこと(自身の主張)。

自分村上隆の作品とやらは、例の精液で投げ縄してる男と、乳で縄跳びしてる女のフィギュアしか知らないが、

アレをもって「ハイコンテクストオタク文化を、同じくハイコンテキスト現代美術翻訳している」とか言うなら、

それは"Fuck"と"Ass"だけでアメリカ文化全て(文学社会)を語ってるのと同レベルで頭がおかしい愚行だと思う。

たとえて言うなら、乳縄跳びがAss、精液投げ縄がFuckに値するだろうか。

それで、「あまりにも乱暴すぎだろクズが」とか言われたときに、

「お前らもっと勉強しろよ。FuckやAssの使われ方の奥深さを知らないのか?」とか言ってるのが、村上と東って構図に見える。

2010-07-20

逃げなんて恒常的に行われてることだ、それを取捨選択というか、逃げというかってだけで。

例えば、あんたはアフリカの貧しい子供たちに何かしてやったのか?

ホームレスに銭をあげたことがあるか?

部屋に飾る絵を描いたことがあるか?

枯れそうな花に水をやったことは?

さびしそうな奴に声をかけたことは?

やりたい、みんなはやってる、やらなきゃいけない、でもしないことなんて死ぬ程あるだろ。

人間中身は似たようなもんだ、どんなに憎い奴も、どんなにいい奴も、根っこは同じ。ただ、ちょっと違うだけで

親が病気ってだけで、

田舎に生まれたってだけで、

顔が悪いってだけで、

女ってだけで

その人生面白いように腐っていく。俺と変わりない人間が、ただちょっと違うってだけで、大学にも入れず競輪場ゴミ拾いをやってる。

もし彼の環境が違ったなら、黒田硫黄に、村上隆に、スチャダラパーに、清水崇なれたかもしれない。パリスヒルトンにだってなれただろう。

あんたらだって環境が違えば

青年海外協力隊にいるかもしれないし

炊き出しに参加してホームレスに汁をわけてるかもしれないし、

芸術家になってたかもしれないし、

園芸の神様になってたかもしれないし、

引きこもりの再出発を支援してたかもしれない。

まるで自分自分で計画を立てて、努力して勝ち取ったと思ってるその地位は、環境が作り上げたものに過ぎない。

この文章であんたらの考えが変わるとは思えない。「俺はがんばったのに」っていう不公平感があるだろうからしょうがない。

でも、駄目な奴を排除しようなんてのはもうやめよう。

けなして、無視して、そいつらを自殺や引き篭もりに追い込んだりするのは、もうやめよう。

彼らを認める方法ってのがあるはずだ。あんたらにも慈悲の心ってのはあるんだろ?

2010-05-28

謝肉*ラウンジ

破滅*ラウンジは終わった。

再生」という単語にこれだけの機能不全性を感じたのはいつ頃ぶりだろう。骨から離れてしまった血肉は再生のしようがない。真っ暗でなにも見えない。俺は虚ろな意識と視界の中、少しずつ思いだした。

破滅再生ラウンジの最終日、開始17時や18時頃はまだ平和だった、各々が好きにネットを、ゲームを、音を、絵を、工作を、プログラミングを、好きにやった。いつもどおりに。一見したらカオスなこの空間は秩序で保たれていた。ゴミと見まがう紛うばかりの作品達黒瀬、浅子の手によって厳密に調整、配置され、終始鳴り響いている数箇所からの騒音も定期的にキュレーターの手によって均一に混ざり合うように調整されていた。しかし最終日、破滅メンツの合唱する「紅」によって覚醒状態になった人間達は調整の抑制を受けず、終了の時間とともに黒瀬、嘘、梅沢らを中央のPCでできたジャンクタワーに投げつけた。ジャンクタワーには似非原やパターサンの書き殴ったドローイング同人誌、血、精液などがへばりついていたが、同時に包丁や割れたガラス片なども装飾されていた。そこに生身のキュレイターやアーティストが投げつけられたらどうなるか、想像に難くない。一触即発の緊張感で保たれていた会場の空気カオス側の中心人物三人の内臓の吐露によって破滅した。作家も、鑑賞者も、ギークも、関係ない。ナンヅカ存在する人間はすべてジャンクタワーに叩きつけられ、同時に刻まれ、死亡した。逃げ惑う人間はすべて糸柳に捕まり、叩きつけられ、刻まれ、死亡した。地下に作られたこの空間は窓がなく、入り口も二つだけだった。一つは山本悠の巨大な作品と脚立によって鉄で溶接され、完全に塞がれていた。山本悠自身がよかれと思ってやったこの創作も、彼自身の死を呼ぶだけだった、愛する者の名を言いながら彼は死んだ。もう一つの出口は「受付」の奥側に搬入口として位置していたが、赤い奇妙な形をした立体的な椅子に大量に積まれた作品と書類と死体に阻まれて、ろくに通れる状態ではなかった。血と精液にまみれたそれらをかきわけても(同人誌自慰する者と数少ない女子ライトレイプする者で溢れ、会場内は白濁液でまみれていた。)、かきわけている間に正気を失ったギーク達に捕まり、ジャンクタワーに叩きつけられ、刻まれ、死亡した。「バトルロワイヤル」「バイオレンスジャック」「ベルセルク」「GANTZ」、なんでもいい、そういった虚構の物語で起きていた残虐な出来事が、延々と目の前で繰り広げられていた。唯一ギークの中で正気を失わなかったyuisekiは人を殺すことをせずに、左手右手を失いながらも満面の笑みを浮かべながらインターネットに興じていた。最初から狂っていたのかもしれない。

大量のアニソンやらブレイクコアに混じって人の叫び声が聞こえ続けた。笑い声も聞こえ続けた。junkMAが音が発生する元となるジャックを次々と死体の内臓に突き刺すので、やがて音楽は消滅した。生きる者が次々と破滅する中で、生き残った者も自害し始めた。そして俺の意識は途絶えた。

目が覚めた時、俺は叩きつけられたまま意識を失ってたことに気づいた。先に叩きつけられた肉の上に叩きつけられたおかげで、致命傷に至らなかったらしい。しかしこ空間で血を流しながら数時間に続けることは自殺に等しい。十数年前のPCに付着した菌が培養され、確実に腐食しているのだ。少しずつ、死が近づいていることを知った。

暗闇に目が慣れ始めてきた。大量に積み重なる死体が、まだかすかに生きているPCの光に照らされて、見える。時たま、誰かの携帯電話が軽快なアニメゲームメロディを鳴らし、今は亡き主人を呼ぶが、答えることはなかった。見知った作家が幾人か死んでいるのを確認する。なぜこんなことになったのか、わからない。どうしてこんなことになってしまったのだろう。「どうしてこうなった」というネットジャーゴンがふと頭をよぎり、ふふっと笑ってしまった。模造紙オフ搬入、搬出の時などに、どうしてこうなったって言って笑いあっていたなと思い出した。そういう言葉アートギークも関係なく通じたし、一緒に笑い合えた。twitterをやり始めたのはいつだったっけな。なんだか最初のほうから始めている糸柳やyusekiって奴がいて、こいつらといつか面白いことができたらいいなって考えていたんだな、そういえば。理想的な形で一緒にできたとは思っていたんだが、まさか殺されるとはな。笑えねえよ。擁護した東浩紀村上隆はなんて言うんだろうな…それが聞けなかったのが本当に残念だ。

死ぬ間際に幻影が見えた。再生ラウンジを取り壊し、破滅ラウンジを再構成して記録を撮ろうとしているカオスと破滅のやつらが見える。観客は誰もいない。それなのに、いつもどおり楽しそうに音楽をかけ、ゲームをし、ネットをしているあいつらがいた。それは、俺が体験したどの瞬間の破滅ラウンジよりも居心地がよく、満ち足りた空間だった。再構成の記録が終わり、電気が付いて明るくなった空間で彼らは誰かを祝っていた。一人女がいて、涙を流しながら喜んでいた。糸柳は用意されたケーキ包丁で丁寧に切り分けていた。包丁自体の重みでケーキ自体が歪まぬよう、慎重に分けていた。その包丁で女を殺すことも、犯すこともしなかった。それは幻影だった。

2009-11-01

萌えがわからない

もうタイトルどおり。これだけ日本橋行ったりしてるんだが、いわゆる萌え系(絵)の棚にはなるべく近づかないようにしてます。

「どれを指して萌え系?」

「どれもおんなじだろ」

という意見もあるかと思いますし、ものすごく線引きが難しいんですけども。

私の小学校高学年から中学生あたりまでの時代で使ってた言葉で言うと、パソパラで出てきた絵であり、PC98で一時代を築いたエロゲーの絵なんですよね、あれってそのまま。いや、直系の子孫というか(苦笑)

エロゲーアダルトビデオエロ本と同じく、性欲処理に使用するだけのツールであって、それを持っていることすらも恥ずかしく、押入れやベッドの下や机の引き出しの奥などに秘匿するものでした。そこにあるけどもないものとして扱われる、日陰の存在でしかなかった。たとえそこで使われているシステムだとかシナリオだとか絵が秀逸であれ。エロ、というジャンルに属しているという一点のために、さんざんお世話になっておきながら、後ろめたいだけのものでしたね、私にとっては。エロエロじゃん、ってバッサリでしたよ。まぁ当たり前っていえば当たり前ですかね。逆に言えば、後ろめたいものだからこそ存在しえうる表現方法でしかないだろうと。いくつもの条件付で評価したり酷評しなくちゃいけないジャンルなのだ、と。

萌え系の絵も、それを盲目的に肯定する層すらも、私はそう見てますね。エロゲーで使われてる絵の文法を押さえてるものなのは間違いないですし、実際原作エロゲーという例もかなり多かったりしますしね。限りなくエロゲーに近いか、ヘタするとそのものでしかないジャンルだと。いくら村上隆が評価されたりボーメの鬼娘やふんどし巻いた女の子フィギュアカルティエ財団現代美術館*7に飾られるいまでもね。それはそれ。萌えエロゲーなんかに興味のない人間がどう捉えてるのか?たとえキャラがかわいくても、エロというジャンルに属してたり、そう見なしうるものは頑として受け入れないし認めないんですよね。そこに実際にはあるけどないものとして扱おうとするのです。いくらテレビ萌えがこんなに広まってます、なんて声高に言ったところでもね。これが現実でしょうし永久に変わることはないと思います。

象徴的なのが2003年埼玉県健康福祉部医療整備課の監修でエロゲー水夏』のキャラを使った『水夏 ~おー・157章~』という教育ソフト学校現場に配布されかけた事件ですね。別にハダカが出るわけでもなく、手を洗いましょう~くらいの他愛のない内容だったらしいんですけどね。それでも一部の県会議員から

AV女優学校の授業に起用するのと同じことじゃないか!エロゲーとはなにごとだ!!」

クレームがつき、父兄からも問い合わせが殺到。結局配布は直前で撤回されソフトも回収されてしまいました。当時の産経新聞記者だった安藤健二がこの事件を当時紙面で採り上げ、さらに追加取材ののち出版したのがルポ封印作品の謎』でした。現役AV女優インタビュー

「私達は人間とは思われてなかったんですよね?」

などと答えてるのが印象に残ってますね。あれから何年も経ってますけど、いま同じことやってもやっぱり認められないでしょうね。萌えとかなんだのって、一般的に単語としては広まってますけども、実際のところそんな言葉すらなかった頃の日陰のままだと思いますよ。

「うわ、オレっていい歳してこんなもの見てるんだぞ~」

と、苦笑いしながらこっそり人目につかないところで自虐的にもて遊ぶべきものだと思いますね本質的にヤバイものなんですから。ヤバイものを扱ってるんだぞと開き直ればこれほどゆかいなものはありませんしね。

真剣に取りくんだり、間違ってもこれがアイデンティティだ、などと言い出したら目も当てられません。本当にただのイタいヤツですからねそうなったら。モノがモノだけに。取り返しがつかなくなる(苦笑)

大々的にメディアで採り上げられたり、いい大人が堂々とショップで買えるいまが異常なんですよ。単に日本産業界経済が落ち込んでるから仕方なくもてはやされてるだけだという意見もありますけどね。それにしてもやりすぎですよまったく。オタク的なものって基本的に後ろめたくてめちゃくちゃ恥ずかしいものなんですから。これが世界に誇る文化だ、と日本橋あたりで叫んでるようなヤツはいいかげんに認めたほうがいい。この売国奴が!、と優しく言ってあげたいですね(笑)そういう恥ずかしいものをいい歳した分別のつく大人が頭使って金使っていじくりまわすからこそ、愉悦感を味わうことのできる個人の倒錯趣味なんですよ本来は(苦笑)

なので、思春期当時を思い出すのか、直視するのが気恥ずかしい。これ、正直な気持ちです(笑)

2009-08-08

佳主馬が男と気づかずハァハァしていたのは俺だけじゃないはず

サマーウォーズ

仮想空間の表現としては新しいのかもしれないが、

(村上隆っぽい世界生理的に受け付けないため

冷静な判断ができないので判断保留。)

映画としては微妙

主人公が夏希が好きな理由が、

高校で一番人気の先輩」以外に無く、

夏希はそもそも侘助が好き。

劇中で2人の仲が深まるエピソードが無かったせいで

最後のラブラブぶりには唐突さを感じた。

いくらでもやりようはあったと思うんだ。

たとえば、主人公が親戚一同の前で、弔いに戦いましょうといった時に

その発言に対する夏希のリアクションを挟むとか。

侘助が改心するプロセスに主人公が絡んでみるとか。

また、背負ってるものが

佳主馬、侘助に比べて、

主人公と夏希は薄い。

主人公はよそ物だから仕方ないとして、

あそこで全部を背負って戦うのが

夏希っていうのはよくわからん。

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