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はてなキーワード: 嫉妬心とは

2023-09-23

他人様の家庭の幸せに嚙みつくデジタル通り魔

「Xでそんな投稿するのが悪い」と己の嫉妬心正当化してる奴

思考回路が完全に通り魔痴漢と一緒。

公道でそんな格好してる方が悪い」とか言ってるオッサンを見た時にどう思うよ。

なんで自分の事を省みないんだろう。

2023-09-20

anond:20230920124712

ギャンブルガチャをやってる奴らに嘲笑や哀れみの視線を向けることは心理として自然だが、「法律で取り締まれ」とか「警察に捕まればいいのに」的な思考をするのは、嫉妬心が不自然にゆがんだ心理

2023-09-16

ジャギは泣ける。泣けてくる。

子供たちはケンシロウに憧れる。それで良い。

強くなれば、優しくなれる。愛。勇気。ええことや。ほんまやで。

しか人生というのはままならないもの

オオタニサンになるなんて夢。

トップに立って年収もウン億円なんていうスターはほんの一部。

ほとんどすべてのアスリートたちが何らかの理由挫折し、

絶望し、悲嘆にくれ、嫉妬感情に苛まれる日々を過ごす。

ましてや、何者でもないただの社会人なら、ストレス要因はそこかしこにあふれている。

悔しい。くやしい。クヤシイ。クソ!クソが!あの野郎

そんな状態から人はなんとかして抜け出して、

またいつもの生活に戻るもんなのだろうが、

しかしそれでもなお、嫉妬感情は押し寄せてくる。

酒を飲んでも治らねえ。クソが!くそったれ!

そんな感情がいつの間にか積み重なって

どんな卑怯な手を使ってでもあの野郎を…!

という感情になることだってある。

卑怯?知ったこっちゃねえだろ!クソが!

彼が心の底から嫉妬心で突き動かされているのをみると、

もうやめてくれ、と思ってしまう。本当に、もうやめてくれ。

もういいんだ。わかった。俺はお前の気持ち、わかる。

なんとか俺は世間と折り合いをつけて生きようと思ってるんだから、頼むよ。もういい。

そんなジャギが、北斗の拳の中で最も、

最強でもなんでもない平凡な俺に寄り添ってくれているような気がする。

2023-09-08

anond:20230907224844

多分小説家は安定しない仕事だし、後輩は後輩で安定してる増田が羨ましいとかあると思うよ。

それに嫉妬自分を磨く燃料だからいいと思う。

上昇意識がなければ嫉妬心も起こらんから

クリエイティブなことやりたいなら、なろうでラノベ書くとか、趣味で何かやりたいことやったらいいんじゃね。

嫉妬心は枯れてしまった

お金持ちや才能に嫉妬する増田を見て、そういえば嫉妬をあまりしないなと思った。

嫉妬しない訳ではないけど薄っすらで、悩んだりバネにして頑張るといった嫉妬の強さがない。

何故かを考えたら、優秀な姉たちがいて、嫉妬つくして疲れて枯れてしまったのだと思う。

歳が離れているのだから勝てなくて当然なんだけど、身内なのでよく嫉妬をしていた。

そのうち中学生になる頃には、嫉妬心が薄れていた。

負け犬根性というやつかもしれない。

大人になって何かに嫉妬して勝ちたいと思ったことがない。

穏やかに過ごせるけど、ギラギラした嫉妬心を燃やしている人を見ると、あれくらいエネルギーがあった方が何かを成せる気がする。

anond:20230907224844

こういう身近な人がアンチとかしてそうなんだよな

やっぱ嫉妬心なのかな

そんな作家友達いて幸せだって発想にはならんのやな

妬む方に行くのはなんでなん?

だって金と地位権力があれば岡田准一ジャニたかった

お前たちだって本当はそうなんだろ!

嫉妬心で叩いてるんだろ!

俺にはわかってるからな!

anond:20230907114224

そりゃ社交辞令だろうけど、社交辞令に対していちいちイライラする人間が今の増田なわけでね

そういう人間社会の中で客観的にみてどのように評価されてるかを考えればおのずと答えは出るだろう

問題彼女ではなく増田の中にあるんだよ結局

その嫉妬心を克服しなければ一生他人の振る舞いに感情を振り回され続けることになる

仏の教えに従って悟りを開いてみてはいかが?

2023-08-29

[]替え歌師と詩人

ここに替え歌師の話がある。蛇の物語、人々を嘲りの笑いに誘い込む罠の話である

その時期に、子供向けのこのような歌があった。

蜜蜂の子は偉い子、雀蜂の子は悪い子。そんなことは常識さ」

その替え歌師は蛇の舌を持っている。次のように書き換えた。

「毒蛇の子は偉い子、蜜蜂の子は悪い子。そんなことは常識さ」

子供たちはその変な替え歌意味がわからなかったが、おかしかったので笑った。

こうして替え歌師の呪術がその歌に秘められ、この歌が広まった。

そもそも蜜蜂、雀蜂、毒蛇とはなんなのか。

蜜蜂は働き者で、普段は温厚な性格をしている。善人の喩え。

雀蜂は獰猛で、他の者の所有物を奪い取る悪人の喩え。

そして毒蛇とは、善人を悪と言ったり、人を悪に導く嫉妬者の喩え。

まり替え歌師は、その嫉妬者を偉いと言い、善人を悪いと言った。

呪術に犯された子供たちは、蛇の言葉を使うようになった。

人々がまっすぐと信じていることに対して、巧みな舌を使い、疑問を抱かせる。

その疑問は善を悪へ曲げることばかりだ。

かに、そのような疑問によって知性が向上しているようにも見えるだろう。

しか子供たちは自分の吐いた言葉に混乱していることにさえ気が付かず、

その混乱は悪意を育てていった。

ある時、善に導かれた詩人替え歌師が呪術を振りまいていることに気がついた。

彼は浄化のために、正しい詩を書く必要があった。

しかし曲げられたものがあまりにも多かったため、下手な詩がかえって事態悪化させるのではないか詩人は考えた。

嫉妬心の強まった子供たちは、「これは善に基づいている」などといえば、「退屈だ、悪や闇に走ろう」などと言うだろう。

闇に走った子供たちは、その後に待ち受ける後悔について知識も知恵もない。

詩人は闇に走った者の末路を詩にした。

「これは闇に走った者の話である

彼は凶悪悪人に操られ、末端の鉄砲玉として酷使される。

薬によって狂い、まっすぐと見ることすらできない。

彼は若きうちに牢獄に入れられ、人生時間無駄にする。

その道で得たことは何一つない。

見よ、これが愚か者の末路であった。

愚か者は蛇の舌に狂わされているので、

悪人上層部を目指そうと悪意を耕すかもしれない。

その時は人は彼を救えない人であると見放す。

愚かで居続けることに対してかたくなになるな。

蜜蜂のように、善きことを仲間のもとへ運び込むことを学べ。

狂った人は、善きことと悪しきことの区別がつかないので、

悪しきことを運んでくるかもしれない。

あるいは善きことが運ばれているのに、それを捨て去ろうとするかもしれない。

悪しきことが満ちた場所は、地獄となる。

地獄を望むものなど誰もいない、その蛇の言葉を正しい方法浄化せよ。」

このようにして、詩人の詩が蛇の世界へ普及した。

蛇たちはこの詩さえも曲げようとするが、これは試練である

もし人々が善き道を見極めるのであれば救いがある。

しかし蛇が蛇を教育し、悪しき物語が広まるのであれば、忌み嫌われ、裁きの前に置かれる。

彼らがどちらを選ぶのか、将来のことなど誰が知ることができよう。

2023-08-20

anond:20230818193331

部活じゃなくなるから関係ない。はい論破」が多すぎて目眩がしてくる。

はてなーの中に本気で体育会系児童健康生命を気にしていた人間は居ないということがよく分かる。

単に「運動神経のいい人達が盛り上がっているのに冷や水を浴びせかけたい」という嫉妬心に覚えれた運動音痴の集まりだったということだね。

2023-08-13

40代男の大半はこうなんじゃないか

いよいよ、歳をとったことを理由にして勉強運動さぼりはじめてる。やりたいことも趣味特にない。

新しいドラマ映画を見る集中力もないかyoutubetiktokばっかり。最近youtube10分以上の動画すら消費できなくなってきた。

生活レベルを維持するためになんとかお金は稼がないといけないし、周りの同年代出世すると多少なりの嫉妬心はある。かといってさらなる責任を持って仕事したいわけでもないんだよな。

子育てのおかけで休日を充実して過ごせているけど、自由時間ではないかストレスが貯まる。かといって自由時間をもっても別にやることなくて時間をもてあます

この増田も色々書きたかったけど、これ以上書くのがめんどくさいなのでこんくらいで。

マジで活力がないわ。

2023-08-10

[] 嫉妬する兎

亀のタリと兎のシャドがいた。タリは海の中をスイスイ泳ぐが、シャドはいつもタリを軽蔑している。シャドがタリの業を無に帰するために、陸では鮫たちを称える運動をし始めた。タリはそんなことを気にもせずに暮らしていたが、シャドの嫉妬心は頂点に達し、ついにタリを海から引きずり出す計画を立てた。

シャドは鮫たちと結託し、タリの住む海底の洞窟火薬を仕掛けた。そして、タリが海中で眠っている夜、シャドは火薬に火をつけて爆発させた。海水は激しく揺れ、タリは洞窟から吹き飛ばされて陸に放り出された。タリは目を覚まし、自分がどこにいるのかわからなかった。周りには鮫やシャドの姿はなく、ただ荒涼とした砂漠が広がっていた。タリは恐怖と絶望に打ちひしがれた。自分はもう海に帰れないのだと思った。

しかし、タリはあきらめなかった。彼は自分の殻を使って砂漠を歩き始めた。彼は海を求めて歩き続けた。途中で、彼は他の亀に出会った。彼らはシャドや鮫に追われて海から追い出された者たちだった。彼らはタリに同情し、一緒に海を探すことにした。彼らは困難に立ち向かいながらも、仲間として助け合って歩いた。

やがて、彼らは海を見つけた。しかし、それはシャドや鮫が支配する海ではなく、別の海だった。それは青く澄んだ海で、色とりどりの魚や珊瑚が泳いでいた。タリは感動して泣いた。彼は仲間と一緒に海に飛び込んだ。彼らは自由に泳ぎ回り、幸せを感じた。タリは思った。シャドや鮫のせいで苦しんだこともあったが、それがあったからこそ、この美しい海と仲間に出会えたのだと。

2023-08-08

[] 蛇の皮を剥げ

蛇は毒で人を傷つける

あいつは無知から、この知識で見下してやろう、試すのは私だ」とあなた嘲笑っているのがわかる

奴の心にあるのは妬み

善悪を知りながら、わざと悪を選ぶという愚かさだ

それとも善悪をすでに忘れ去ったのか

奴は愚かである自覚があるときさえ、他人を引きずり込むことを好む

嫉妬にまみれていてなお、恥じることもないというのが、奴の愚かさをより鮮明にしている

「その妬みに基づくあらゆる行為が恥である」と言ったら、奴はそれをほめ言葉だと言って正当化し始めるだろうか

奴には救いの道があるのだろうか、もし嫉妬の虜であれば、奴は善人を呼び寄せ「嫉妬心の苦しみを教えてやる」と言って攻撃するのか

善人は奴の罠にかかり、他者とくだらないことを比較する思考回路に引きずり込まれ

善人は「これは蛇が歪めた結果である」と気が付くこともあるが、弱すぎて抵抗できずに堕落する者がいる

そのような善人を見つけたら、助ける手を差し伸べられるようでなければならない

蛇とその仲間が偉そうにしているなら、奴らの手の内を暴き出せ

2023-07-30

推しゲイだったら素直に嬉しいけれど

ゲイカミングアウトしたという芸能人の事はよく知らないけれど

自分場合ぶっちゃけ本心吐露するならば、推しゲイだったらそりゃあもう嬉しいし、安心して押せるようになると思う

だって女と結婚する可能性がないんだもの

これはこれで差別と言われればそうなんだろうけれど、推し恋愛結婚が女相手だとどうしても嫉妬ちゃうんだよね

一方、男が相手だと何故か嫉妬心は沸かずに素直に祝福出来る。実際海外俳優推し同性婚した時には嬉しかった

ただしあくまでも「男」である事が前提。実はトランス女性でしたとか言い出したら確かに裏切られたと感じると思う

2023-07-29

anond:20230729012227

寂聴とか今話題社長のような欲望に愚直な人も取り繕ってるし

通常の人以上の嫉妬心があるだろう。

 

おまえは陳腐自己啓発に刷り込まれきれいごとを捨てて、まずは現実と向き合うべき。

2023-07-13

anond:20230713193927

あれは離婚の時にトランスを盾に離婚して子育てという罰ゲームから逃げてずるい!っていう嫉妬心自分の夫にあれをやられるとキツいという恐怖心から叩いてたんだと思う

実際には離婚したあとも子育てやってたのかもしれないか筋違い可能性も大いにあるがそういう風に受け取った人が結構いたんだと思う

2023-07-07

1983年判決死刑)では、山岳ベース事件永田が主導したものとされ、その原因を永田の「不信感、猜疑心嫉妬心敵愾心」「女性特有執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味」だとした。

2023-06-25

ある種の女性たちが水着撮影会なんかを中止にしたい理由

要するに女同士のマウントの取り合い。

昔ながらの価値観に縛られている女性というものは、

自分より容貌が優れていたり、

自分より魅力的な身体を有していて

自分より男をはるかに魅了してしま存在に対して激しい嫉妬心を持つ。

 

そういった昔から価値観に縛られている女性たちは、

必要もないのに心のなかに女同士のカースト制度を描ききってしまい、

常に自分は負けているのだ、という劣等感を抱きながら成長することとなる。

 

もしも男であれば、

容姿の優劣を跳ね返すような人間性だとか能力社会的地位などを獲得することで

自分より容貌の優れた存在に対しても上位に立っている

(という自分勝手な心の中の意識)を持つことも可能なのだが、

女性場合には外観の魅力がすべての面に影響を与えてしまい、

何をどうやっても美人とブスとではブスのほうが劣等感を抱き続けることとなる。

とくに人の見かけによるカースト価値観に縛られ続ける女性たちにとっては。

 

しかし、ここでそのカースト順位を逆転する方策がなくはないことに気づく。

容貌に優れ、男たちを魅了する若い肢体を有する自分たちよりも優れていると

(その女性たちが勝手に思い込んでいる)女性たちを自分たちよりも

下の存在として位置づける方法だ。

 

それが、男どもに性的搾取される馬鹿可哀想な女ども、という位置づけ方法だ。

 

これにより、はじめて人生のすべての場面で上位的であった存在に対して自分マウントを取ることが可能となるのだ。

あの人達は、馬鹿ですからねえ、私達優れた者共が守らなければならないのです。

それによって苦情を言われたりしますが、いえいえそれに対して文句は言うまい

あの人達馬鹿から自分たちが守ってもらっているのに気づけないのです。

なにせ、男どもに性的搾取されることだけしか能がない劣等種なのですから

とまあ、こんな感じです。

このように、結局はただの女同士のマウントの取り合いなのです。

2023-05-24

anond:20230522191203

でもさ二次元からこその悩みなんだけど皆んながR18漫画及び絵描いてんの見てたら嫉妬心ムクムクなっちゃって寝取られ気分で疲れましたわ

2023-05-17

俺が「推しの子」を第一話で見るのをやめた理由と、「アイドル」で露呈したikuraの限界、あるいは「アイドル」という誰にも歌えない歌について

昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。

これを読む前に注意してほしいのは

・これはアニメ推しの子」を見た感想だということ(漫画ではない)
ネタバレが含まれること
・全部俺の主観的意見にすぎないこと

だ。

え、「アイドル神曲やん

YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。

そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。

第一話、そして主題歌アイドル」で提示されたこ作品テーマ性について

偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。

その重要過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。

この物語評価されている大きな要因としては、まず推しの子自分がなるっていう第一話のインパクトコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。

これ自体別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程スキップしているので作品としての完成度が低下している。

たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか

また、アクアルビー父親に関する伏線第一話だけっていうのもつらいポイントではある。

どうしてもそこからストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーアイドルを目指すとか、主人公父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い

クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。

何よりOPが完全にアイの歌なので納得のいかなさがすごかった。

「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!?

となってショックのあまりここで見るのをやめてしまった。

次に、YOASOBI「アイドル」について(こっちのほうが喋りたい)

初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。

それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。

まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。

もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。

”この曲が大ヒットしたのは既存音楽流行りを踏襲しつつ、独自の要素を絶妙塩梅ミックスし、絶妙な斬新さを表現することに成功たからだ”と俺は思う。

これがどういう意味もっと分かりやすく言うと

今までの曲と同じようでちょっと違う、なんか斬新な感じがする曲がヒットする

ということだ。「白日」とかがわかりやすいかな?

音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。

「夜に駆ける」が大ヒットした要素

「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。

Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。

ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。

初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。

正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。

しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッションリズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽トレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。

Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。

「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは

・繰り返される転調

ボーカリストikuraの存在

だ。

この二つの要素が、「夜に駆ける」が大ヒットした要因だ。


一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後Cメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める

ボーカリストikuraについて

「夜に駆ける」がヒットした最大の要因だと思う。


個人的に、歌手ikuraの卓越した点は二つ。

ikuraが持つ優れたリズム
自我の顕れない説得力のある歌声


まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップ気持ちよくハマっている。

この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。

イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い

・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい

・その次の打ち込み感のあるピアノめっちゃいい

・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い

・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い

・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい

Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。

Bメロの”触れることな言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい

・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。

・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい

・その後のピアノソロめっちゃいい。

Cメロの”もういや「だって疲れただって」”の「だって疲れただって」のリズムがすごい。

ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである

これが「夜に駆ける」がハマった一つの理由

次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について

これは説明がとても難しい。

歌手には二種類のタイプがいると俺は思う。それは、

自分のことを歌う歌手

・なんでも歌える歌手

の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。

まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。

自分のことを歌う歌手について

とりあえず例を列挙する。

りりあ「浮気されたけどまだ好きって曲」

米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。

back number高値花子さん

実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。

ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。

りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?

この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。

汚れた君は嫌いだ

君を汚したあいつも嫌いだ

この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。

こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。

でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。

あとこのタイプ歌手一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。

なんでも歌える歌手について

ikuraやAdoはこのカテゴリーに分類される。

こういう歌手ボカロ文化の発展で増えたと思われる。

歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプ歌手歌い手文化にそぐわない。

自分共感できる曲だけを歌うことでその問題解決してる人もいるっぽいけれど。

なんでも歌える歌手の例を挙げる。

・ikura

Ado

Aimer

・yama

・suis

とかなんか今流行りのアーティストばっかりになった。

ヨルシカはナブナ個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。

これらの歌手限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。

「夜に駆ける」とikuraの関係

YOAOBIのコンセプトは”小説音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。

「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。

あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。

さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものからだ。

ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自解釈することに成功している。

この作品自体をどことな俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公ヒロイン感情移入するのではなく、どこか客観的視点から物語淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことな人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。

これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。

もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。

本題のYOASOBI「アイドル」のすごさについて

制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。

今回の場合

・Ayaseが持つ独自リズム感とベースライン

・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)

・”推しの子”のOP要求される、アイドルソングライクな(コール差しまれるなどの)要素

この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。

YOASOBI「アイドル」とボーカルikuraの限界

この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。

アイドル」の歌詞原作推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。

まず「推しの子」のあらすじを一瞬で説明すると

医者主人公のところに推しアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す

というものだ。

そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループ所属していた女性だ。

アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。

1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。

ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。

問題はその後だ。

アイドル」の二番の歌詞についての見解

この話をするためには歌詞掲載しないといけない。

はいはいの子特別です

我々はハナからおまけです

お星様の引き立て役Bです

全てがあの子のお陰なわけない

洒落臭い

妬み嫉妬なんてないわけがない

これはネタじゃない

からこそ許せない

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。

一見最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には

完璧じゃない君じゃ許せない

自分を許せない

誰よりも強い君以外は認めない

とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスマジですごい。

ikuraはこの二番を歌いこなせていない

Vtuber歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子マッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。

ikuraの人格と「アイドル」の二番はあまりにも相性が悪いと言える


たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプ女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。

先ほどの話に戻る。世の中には

自分の歌を歌う歌手

・どんな歌も歌うことができる歌手

の二種類が存在する、と言った。

しかしそれを逆に考えてみてほしい。つまり世の中には

とある人間しか歌えない曲

・ある程度どんな人間にも歌いやすい曲

の二つがあるのだ。

そして「アイドル」という曲は”とある人間しか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身体験)をベースに紡がれているからだ。

ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。

かに愛されたことも

かのこと愛したこともない

そんな私の嘘がいつか本当になること

信じてる

まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロ歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことな空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。

あるいは、

【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。

【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースからもっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用

とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。

アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬経験がある歌い手のほうが歌声説得力が増す。

しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。

アイドル」を完璧に歌える人間存在しないかもしれない、とか思った

あと原作読んでる人に聞きたいねんけどこの「45510」の主人公って作中で出てくるん?

というかここまで細かく考察してると逆に「推しの子」の続きが気になってしまった

2023-05-04

anond:20230504233357

とりあえず、持ち家羨ましいと断ってから書こうぜ

全部憶測しかないことを並べても、君の嫉妬心しか見えない

論理的な部分が何もないんだから

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