はてなキーワード: がっかりとは
もうこの悩み、どこに相談したらいいかわからへん。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
あ、こんなサイトあるんや、はてな匿名ダイアリー。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
よし、匿名ならいっぱい書ける、書く。。。。。。アップする。。。。。。反応ありますように。。。。。。。。。。。。。。。。。。
あれ!?反応あれへんやんどういうこと!?なんで。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
はてなブックマークトップページには他の人の悩み記事にいっぱいブクマコメされてたりするのに。。。。。。。。。。。。。。。。。
反応ゼロて。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
もうダメ。まるで私は存在してないみたい。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
↑こういう状況(情況)になってたりするんじゃないかって想像できませんか増田さんたち。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
マジかわいそう。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
これが増田の限界か。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
がっかりんこ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ちゃんといまからでもいいからお悩み投下されたら反応して差し上げて。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
この5年間、恋だったのかなぁと
掌で踊ってだけだったけど
いろいろあったなー
一旦、会えなくなったあとの喪失感
あれは凄かったな
少しでもよく思われたくて
いろいろ考えて調べてプレゼントしたり
少しでもいい飲みやはないかと調べたり
多少でもましになりたいと、服をかったり
会う前にはほぼほぼ髪を切りにいき
おい
おい
いじらしいじゃねぇか
よく頑張ったじゃねぇか
でも
もういいんだ
もういいんだよ
終わりじゃないけど、、、もういいんだ
もう少し、、肩の力ぬいていいんだ
プレゼントや店調べはもういい
服もあるもんでいいし
話すねたは、、まぁそんなに手間じゃないからどっちでもいい
5年間、、、
後悔してるか?
うーーーーーん
後悔、、はしてないと思う
まぁこれはこれでありなのかなと
未だによくわからないところもある
あとは、、、肉食知らないひとが肉たべて、肉なくなって、
肉たべたいって思う気持ち?
カップルやイベントを見るときの羨ましさが増大したような気がする
フィクションだけど、あれはあれで、ずっと長いことの人間関係の積み重ねがあってだからなぁ
納得というか
それとともに、うまく積めてない自分は、、、、としょんぼりするんだ
こんな人はもういないだろうなぁ~
もういいよとも思うし、、、もっかいくらい・・・という気持ちもある
全然総括になってないけど、、、これでいいんじゃねぇか
まだまだ、現在形な部分もあって、
330円
ファミペイの詫びペイで180円もらったのと同時にフラッペ180円クーポンもらったから、
消化するつもりで買ってみた
おいおい・・・と
ただ突っ込んだとしても、
どうせ、混ぜる前に崩しやすいように、だとか、牛乳を足す用のスペースのため、だとか言い訳すんだろうな
はあ
弁当の底上げもレンチンで温まりやすいようにーとかほざいてる業界だし
ただここでまた少し迷う
コーヒーマシンで入れるんだけど、ミルクってボタンとフラッペってボタンがあってどっちだって迷った
ほぐしてるときにストローの中にどんどんフラッペが入ってきてて、
ファック・・・・と思いつつ、適度にスイながらほぐし続ける
そんでやっと吸う
チーズケーキっぽくもない
はっきりいってまずい
量少ないし食べにくいしまずいで最悪だった
これならマックシェイクM200円のほうがよっぽどいい
330円の価値はない
期待してもらってうれしいし、ありがたいけど、自分はそんな器じゃないと思うし恥ずかしいし辛い。本気になれないというか、がんばるのってやっぱりどう足掻いても面倒だし、がんばってる風に見せるのは得意だけど、実際がんばったことってほとんどないから、早々に挫折してがっかりされることが怖い。冒険してみたい気持ちがゼロではないけど、どうしても自分が可愛いし、挑戦することよりも失敗しないことの方が大切な気がしてしまう。がんばってみたいけど、その気概がない。わたしなんてこんな人間だから、誰にも期待しないでほしい。期待されることが怖い。そして、そんな自分が情けない。辛い。
それで感じたのが、「いいな」と思ったことを書いて同調してもらえたほうが「嫌だ」なと思ったことを書いて同調してもらえたときよりも嬉しいなってこと
どっちも励みになったり慰みになったりするから嬉しいんだけど、当社比で
あとはがっかりようなトラバをもらうこともポジティブなことを書いたときのほうが少ない
そりゃそうだ、ネガティブなことを書くと言葉がネガティブなうえに文体もなんとなく暗かったりとがっていたりするからね、人は自分を写す鏡だとはよく言ったものだ
少なくともこの生理前の落ち込んだ気分が晴れるまでは
いいことが思いつかないときは誰かの幸せそうな日記にトラバをつければいいだろう
何書こうかなぁ
猫かわいい
普通にテレビで株主どうこうの話もしっかり触れてるし芸人たちも反社や詐欺被害者について話してるのに
「株主の話をしないテレビの闇!圧力!」「論点がずれてる!!反社問題はどうなった!被害者がいるのに!」とか言ってる奴らは何なんだろう
加藤が怒ってる理由は「亮が反社の被害者に謝りたいと言っているのに吉本がその想いを踏みにじった」「吉本が反社との繋がりを認めずごまかそうとしている」っていうのもあるだろうから加藤と吉本が話し合うことによって反社の糾弾にも繋がるしけして無駄なことではないのに加藤の進退なんて反社問題に一切関係がないんだからどうでもいいと連呼する奴は何なんだろう
宮迫についてもすぐにテレビに復帰しますなんて本人も岡本社長も松本も一言も言っていない
許したなんて誰も言ってないのに「結局宮迫は許されたんだね!ありえない!吉本や局が許しても私は(俺は)復帰なんて許さない!」と憤慨する
加藤も辞めませんなんて言ってないのに「辞めないのか!前言を撤回するのか!嘘つきめ!がっかりだ!」と憤慨する
スッキリは元々バラエティ番組みたいなもので同時刻には他局でも似たような報道番組を放送しているのにわざわざスッキリにチャンネルを合わせて「タレントの揉め事なんて見たくないのに!加藤なんてどうでもいい!ニュースを見せろ!」と憤慨する
京アニ社員がどんな風に焼け死んだか、オタクの献花や遺族に突撃取材した結果を長々と見ていたいんだろうか
実は僕も弟も精神科にかかったことがあるのですが、なかなか状況を理解してくれることが少ないように感じています。
医師は薬を処方するくらいしか、差し当たってできることはないみたいです。
今回は2週間の入院なので、多少はそれ以外の対応もしてくれるかもしれませんが、病院に同行した母によると基本は薬による治療のようでがっかりと言っていました。
ポケモン映画第1作の3DCGリメイク作品を見てきた。感想を要点だけ。
完全版の冒頭のエピソード「ミュウツーの誕生」の有無で、この映画に抱く印象がガラッと変わってくる。幼少期のミュウツーが事故死したフジ博士の愛娘のコピー・アイツーと出会って、コピー・クローンという存在の意義を自問するところに「ミュウツーの逆襲」の魅力の70%が詰まっているというのに。
正直に言うと、「ミュウツーの逆襲」という映画自体は微妙な立ち位置にあるのではないかと思っている。エンタメ性で言えば「幻のポケモン ルギア爆誕」の方が、感動路線で言えば「結晶塔の帝王 ENTEI」や「セレビィ 時を超えた遭遇」の方が印象に残る。登場キャラクターがストーリーに沿った説教臭い台詞を喋らされている感じがどうしても鼻についてしまう。その欠点を有り余ってカバーしているのが「ミュウツーの誕生」ではないのか。
同時上映の「ピカチュウのなつやすみ」がないんだから、どうにかして付け加えることはできなかったのか。勿論、本作はあくまで当時劇場で公開された映画のリメイクであって、子供向け映画の時間の制約からは逃れられない(長尺にはできない)という事情は把握しているけれども……。
3DCGはお見事。ポケモンやトレーナー達の魅力を存分に発揮した映像になっている。
ポケモンの解釈とCGでの再現という点では、毛深さや気持ち悪さを妙に強調した「名探偵ピカチュウ」よりも、アニメ的な表現に徹したこの映画の方に軍配が上がる。ハリウッドのように、ただ予算や技術があってCGを作るというだけでは不十分だということを示す好例だろう。
主題歌の「風といっしょに」もリメイクされた。原曲と同じく小林幸子だけでは物足りないという判断なのか、何故か中川翔子も加わっての歌唱。余計なことはしないでくれ、というのが正直な感想だった。
だが、そんな感想は中川翔子の歌声を聞いてひっくり返った。ビブラートのかけ方や歌い回しが第二の幸子。なのにモノマネ特有のくどさやわざとらしさが微塵も感じられない。
中川翔子に思うことは色々あれど、歌に関しては類い希なる実力者だと痛感した。松本隆作詞・筒美京平作曲の7thシングル「綺麗ア・ラ・モード」を聞いたとき、彼女の歌の上手さにただひたすら感心した10年前の記憶が蘇ってきた。
この映画がプレスコで良かった。オーキド博士のナレーションの安定感。
TVアニメのサンムーン勢が一回も映画に出演していないことに気づき、複雑な心境に陥る。
ここ数年のポケモン映画は懐古路線へと舵を切っていたが果たしてそれで良かったのか、その方針は節目の20周年だけ良かったのでは、という気持ちが湧き上がる。
公開直前のインタビューで新海は「賛否が分かれるものを作った」と語った。
それを見て、「あ、いつもの新海に戻るのかな?」と思った。『君の名は。』で釣った客にポエムと自己完結の新海ワールドをぶつけて全面戦争を仕掛けるのか! と。しかしそんなこたー全然なかった。蓋を開けてみれば『天気の子』は単なる劣化『君の名は。』に過ぎなかった。がっかりだ。
ダメな点は色々あるがクリティカルだったのは物語の感情がまだらになってるところ。ようは暗いシーンのあとにやや明るいシーンが来るのだがまた暗いシーンになるためどういう感情でいればいいのかが凄くわかりにくかった。
『君の名は。』はややおセンチなモノローグから始まるが、すぐに入れ替わりのコメディシーンにつながり、テンポの良いそれは見ていてとても楽しい。
楽しい気分にひたっていてやや飽きを感じ始めた頃に瀧と先輩のデートが失敗し、「なぜか。もう二度と。俺と三葉との入れ替わりは起きなかった」という“謎”が提示される。
そして瀧は直に会おうと糸守を訪ねるが、そこで彗星の落下によって三葉がすでに死んでいることを知る(シリアス)、という感じだ。
『君の名は。』のストーリーはこれ以上追わないが、コメディ→謎→シリアス→目的の明確化(彗星が落ちる前に皆で避難する)→歓喜(かたわれ時の再会)→暗転→奮闘→大団円、と今どういう感情でいればいいのかということを物語が迷わせないつくりになっているし、『君の名は。』はそういった完成度を持った作品だった。
RADWIMPSの楽曲も、シーンの移り変わりや強調に使われて非常に効果的だった。
翻って今作である。
冒頭、ヒロインが天気の子になった経緯を説明されたかと思うと、家出してきた主人公が新宿歌舞伎町で世間の冷たさを味わうシーンに続いていく。いきなり説明→暗いシーンをカマされ気分は上がらない。
その後やや明るいシーンになるが、主人公やヒロインの生活環境がアレなので底部に流れるテンションは暗く、そしてそれがやがて表面化(その最たるはヒロインの消失)する。
その表面化も事前に予測がつくように設計されてるため、明るいシーンを見ていても「どうせ後で……」と落ち着かない。つまりずっと消耗させられっぱなしなのだ。これはキツい。
もうひとつキツいのは主人公が幼稚すぎて感情移入しづらいという点だ。
子どもが主人公がなんだからそらそうだろ、という話はあるのだが、“学校”がフィールドだった前作とは違って家出してきた少年のフィールドは“社会”になるためアテもなく家出してきたことやそれが故に困窮しても「帰りたくない」と言い張る姿はやはり幼く映る。
特にコイツやべーとなったのはヒロインが消えた理由を理解しない周りの大人にキレ散らかすところだ。普通こういう情報格差によって周囲が無理解な時、視聴者としては主人公側の心情に立つものだが今回は中々そうなれない。何故か。それは視聴者と主人公の側にも情報格差があったからである。
俺は基本的に主人公と視聴者の情報格差はない方がいいと考えている。視聴者が得ている情報によってこうすべきと思う行動を主人公が取らないと苛立つからだ。もし主人公と視聴者の情報格差を作るならフォローは必須だと思ってる。『天気の子』はそのいずれでもない。
ヒロインが消えると視聴者は早い段階で予測できる。そういう設計になっている。しかし主人公はそれを察しないし、決定的な情報が提示されたときも反応が鈍い。それなのに自分は周囲にキレ散らかすのだけは忘れない。ただのやべーやつである。
主人公がそんなだからヒロインと再会し、気持ちを確かめ合うように互いの名前を呼ぶシーンも冷めた目で見てしまった。『君の名は。』のかたわれ時やラストシーンのよっしゃ感とは雲泥である。
そろそろまとめに入ろう。最初に『天気の子』は劣化『君の名は。』と言ったが、『君の名は。』とは何でどう劣化しているというのか。
『君の名は。』とはひょんな出会いを果たした少年少女が超常現象によって引き裂かれ、残された側は相手ともう一度出会うために必死にもがいてそれを果たす“エンタメ作品”である(『言の葉の庭』と『秒速5センチメートル』以前は“エンタメ作品”ではない)。よく見かける構造といえばそれまでだがいずれにしても『天気の子』はその形を踏襲している。しかし肉付きが圧倒的に劣る。
これまで挙げてきた要素はその筆頭格だし、その他にもふたりが再会するシーンのアイデアや演出にも歴然とした差がある(「かたわれ時だ」は非常に美しい)。「忘れないように名前書いとこうぜ」からの「好きだ」のようなぐっとくる演出(コメディ部分で手に名前や苦情を書いて伝えていた、という点とつながるのが良い)もないし、ラストシーンの拙劣さは『君の名は。』に比べると目を覆わんばかりだ。「天気って不思議だ。ただの空模様にここまで心を動かされてしまう」という主張も正直「だから?」という感じで刺さらなかったというのもある(けっきょく大事なのは天気ではなく大事な誰か、という結論だし)。
『君の名は。』がヒットしたから次もそれで、というのは理解できるし、これ以外でどうやれというのかとすら思う。ただ肉付きでここまで劣ってしまうなら違う構造の話にチャンレジして死んだほうがまだマシだったのではないか。
というわけで『天気の子』はがっかりするほどの駄作だった。クソミソにけなしておいてなんだけど俺は新海誠のファンなので悲しい。
『ほしのこえ』で新海を知り、『秒速5センチメートル』で「これは新海の集大成だ!」と吹き上がった過去を持つ俺でも『君の名は。』のPVを見たとき「あ、これは売れる」と素直に思った。実際その通りになったし(もちろんあそこまでの大ヒットになるなんて思いもしなかったが)、そんなクソウザい古参でも『君の名は。』が新海作品の中で一番面白いと胸を張って言える。
新海誠はいつまでも過去やどうにもならない何かに拘泥する男を描くだけのクリエイターじゃなくなっていた。それはとても喜ばしいことであり、同時に階段をいくつも上ったんだと確信した。『天気の子』のPVを見て嫌な予感はしたが、押し殺して封切り初日に映画館へ向かった。嫌な予感を信じるべきだった。だって『君の名は。』はPVからして面白そうだったんだから。
前作の半分、悪ければ1/3ぐらいの興収だろう。口コミも広がらず、けっこうなコケ方をすると思う。
新海誠は新海的なものとの決着を『秒速5センチメートル』でつけ新境地を切り開こうとした。しかしそうして出来上がったのはジブリの劣化コピーだった。『言の葉の庭』という中編で再起を果たし、『クロスロード』という小品で手応えを得た新海は金字塔を打ち立てた。しかし次に作ったのは前作の劣化コピーだった。
新海はこの先、どこに向かうんだろう。今作が劣化コピーだったという認識なくして前には進めないと思うが本人も周囲もそれをひた隠して次なる場所を目指すんだろうか。
久しぶりにケンタッキーフライドチキンでチキン頼んで食べた。少ない個数だとハズレを掴まされるという都市伝説を信じてるから、パックで買って家族で食べた。
明らかに劣化してない?なんかしょっぱくて、チキンもパサパサで。嫁も「なんか味落ちたね」って。こういうジャンクな味が大好きな子供たちも無言。
たまたまロットが悪かったのかと思い、別の店舗で再度注文。くりかえすこと5店舗。劣化は事実だったとしか言いようがない。なんでこんなスパイスの味が消えて塩になってんの?チキンはなんでパサパサ?
これじゃコンビニのパクリチキンのほうが旨いじゃん。コンビニのほうが安いし、ケンタは専門店なのに何やってんの?のと。がっかりがハンパねー
■本音を語らない彼。
本音を語ってくれないので、不満が募る。
例えば。
彼にも、どのドレスがいいか聞いてみたところ、これがいい、と3着選んでくれた。
何か二人で選ぶとき、こんな感じで私の反応を見て答えていることが殆どで。
本気で選んでないでしょ、私の反応見て言っただけでしょ、と。
どれでもいいなら、好きなのを選んでいいよ、って言えば、それで納得したのに。(もしかしたら、私にばっかり考えさせないで!とそれはそれで怒るかもしれないけど)
他にも、何着も着るとお金がかかるから一着でいいと私は言っているのに、式ではドレスと着物両方着てほしい!と珍しく物凄く主張。
じゃあドレスはウェディングドレスとカクテルドレスのどちらがいいのか聞くと口ごもる。
カクテルドレスがどんなものか説明した上で尋ねてもはっきり答えないので、式で着用する衣服がどんなものかよくわかっていないのに、なんで2種類着ることに拘っていたんだろう?と思っていたら。
後々、義母が、ドレスと着物両方着るべき!と言っていたらしいことを知った。
新居に関しては、彼なりに拘りがあるようなのだが、はっきり言ってくれないので、なかなか決まらない。
私が予算内でいくつか賃貸物件をピックアップして提示すると、否定はせずいいね!と言いつつ首を縦に振らない。何がダメなのか尋ねてもはっきり言ってくれないので、一軒ずつ聞いては微妙な反応を返してくるのに、疲れる。
埒が明かないし彼にも探してもらうように頼んだが、探しているふうなことは言うけど、一軒も提示してくれないので、本気で探しているのかと疑ってしまう。
将来についても、近い将来戸建てを買いたいとか、子供ができたら専業主婦になってもいよ、とか言ってるけど。
年収考えたら無理でしょ、貴方転勤族なのに戸建て買ってどうする気?とどこまで具体的に考えての発言なんだろうと思ってしまう。
(本人が強く主張するから、ある程度考えての発言なんだろうと思って従うと、痛い目に合いそうで正直ちょっと怖い。
このあたりは、今度突っ込んで聞くつもりだけど。)
気を遣っているからこそなんだろうけど(母に言わせれば、見栄をはりすぎ、らしい)、もっと彼の本音が聞きたいし、もっと真剣に考えて欲しいと思うのだけど。
・「ジフ」と読む一派
実は「GIF」の読み方は、長年海外で論争を引き起こしている大きな問題だった。「ジフ」と読む一派と「ギフ」と読む一派で対立していたのだ。しかし今回ある人の “鶴の一声” によって、その長い論争に終止符が打たれたのである。
鶴の一声を放った人物、それはGIFの生みの親スティーブ・ウィルハイトさんである。ウィルハイトさんはGIF開発の功績が称えられ、ウェビー賞というものを受賞したのだが、その授賞式のインタビューで次のようなことを話した。
・間違っていますね
「オックスフォード英語辞典は、(ジフとギフの)どちらの読み方も認めているようですが、間違っていますね。正しくは、ジフと読みます」(スティーブさん 談)
GIFの父であるウィルハイトさんの言葉は、多くの海外インターネットユーザーたちに衝撃を与えており、喜びと落胆の声があちこちから沸き起こっている。
「そんなバカな!」
「知ってた」
「ふうー、ようやく論争に終止符が打たれたのか」
「やっぱりな!」