はてなキーワード: 自己肯定感とは
もやもやしているので整理用。
NHKの2800人の奥様方へのアンケートによると、「夫が私を理解しない」のが第一位らしいので、特別なことではない。
なんでこちらの事情・状況・感覚を理解せず、そちらだけ一方的に押し付けて、「今まで我慢していた」と急に朝から大声でぶちぎれられ、
こちらが「じゃあもう無理してでもそちらに合わせるよ」と言ったら、「無理して、となぜ言うのか」と更にぶちぎれられるのか。
どうにも認められていないという気持ちがあるんじゃないかと思う。
正直、自分としても専業主婦という存在を認めきれないところはある。
無論、今は育児中なので、それなりに大変だし、その点では有難いと思っている。
それでも、仕事と比べれば楽でしょ、と思ってしまっている。これが我慢ならないんじゃないかとは思っている。
妻は小さな世界に入って、人間関係が細く薄くなり、一日の大半を相手をするのが言葉の通じない存在、という中で、
心が小さな変化に敏感になり、ちょっとした言動にも感情の抑制が効かなくなっているように思う。
細かいところまで気になって、その不満が溜まりに溜まって爆発しているようだ。こちらとしては、一言言ったら爆発しているが、そういうことなのだろう。
いろんなお客さんに「いつも本当にありがとうね」とか「毎回フォローしてくれて助かるよ」とか「絶対に異動しないでね」とかほうぼうで言われている増田さん。
うちの職場はお客さんが持ってきてくれたお菓子のおこぼれにいつも預かっている。
「洋菓子より和菓子が好きなんだよね、お客さんには言えないけど」なんて言って、美味しい洋菓子はいつもみんなに配っている。
忙しそうに外回りをして、家に帰っても研修動画を自主勉して頑張って、そしてその成果でこないだ大きな仕事を取ってきたりした。
それなのに、増田さんはいつもアレができてない、コレがうまくいかない、って自分へのダメ出しがとても多い。
何で、お客さんのあれほどの評価が、増田さんの心には届かないんだろう。
今日も結構大きな会社の社長さんと携帯でかっこよく仕事の話をペラペラ~ってやってるのがマジでかっこよくて、
「あの社長からホットラインで相談受けるなんてすごいですね!」って本心で言うんだけど、
いや~って照れるだけで、それはそれで嬉しそうではあるんだけれど、でもそれで増田さんの低い自己評価が改まる気配はない。
・・・まあ私が褒めて増田さんの自己肯定感が上がるなんて大それた思い上がったことなんて考えちゃいけないけど、
でも、職場ではてブやってサボってるダメ老害なんかよりもよっぽど頑張ってるのに、
何で老害の方がのほほんと生きてて、
当社のような吹けば飛ぶ規模の会社に来るなんて
前代未聞じゃねーか!という高学歴だった。
いやでも逆にその学歴なのにウチってことは
何かディスアドがあるんじゃ...と思いつつ
色白で、少しつった大きな瞳はなんとも涼しげで
増田はチー牛なのに。
生きてきたのでそんな後輩ちゃんを見て
若干恐怖したがそんな不安をぶっ飛ばす明るさで
色々喋ったが、その中で驚いたのが仕事に対して
少しでも世の中に貢献したい、とのことで
残ってなかったのでおったまげた。
入社することになったのだがそれと同時期に
なった。外回りは危ないしとのことらしい。
企画を作り、おじさん達に「これ持っていって
何回か実践して見せると臆せず頑張っていた。
増田は安堵した。
新人の頃はよく泣いていた。
後輩ちゃんは涙どころか暗い顔すら見せない、
いつもニコニコさんだ。
もし増田が現役だったら確実に比べられていた。
ことが確定している。めちゃくちゃ羨ましいが
嬉しいのと後輩ちゃんにもそんな弱ることが
あるのか...と驚いた。
何の相談だろうか、もう辞めたいとか...?
どうすれば励ましてあげられるのか色々と
頭の中でシミュレーションした。
ら、まさかの、
「プロポーズされちゃいました!!」
だった。おったまげた。めでてーな!
したかったとのことだった。
後輩ちゃんはどこまでも明るく、まぶしく、
華やかで、可愛かった。
そして何より幸せそうで、本当に良かった。
その天性の明るさと行動力、可愛らしさは
羨ましくて羨ましくて仕方がない。
こんなに幸せそうに輝いてて嬉しい。
お祝い何送ろうかな。お幸せに。
もうすぐママンになるよ!!
たまにぽこぽこ蹴ってくる!!可愛い!!
張り切ってしごおわおうち帰ったら
で、些細省くがいじめ倒されすっかり
出来上がった増田は吐きながら出勤し、
吐いて泣いてしてたら死にたくて死にたくて、
トイレで吐いた後初めて腕を切ったんやが
死ぬ...なんてことはなく赤黒い痕を見ると逆に
思い続けなければならない恐怖から逃れるべく
腕を切り続けた。死ななければ!という気持ちが
一瞬だけ出血とともに消え去るみたいで、
その瞬間だけ病む前のアホ増田になれた。
こうして増田の片腕はどえらいことになった。
他の出来る若手がバンバン辞めてたので、
使えない増田すらもこれ以上辞められたら困ると
なったらしい。
それで怖い人のいない部署に異動になった。
精神もずいぶん図太くなり、会社でなぞ評価されなくても結構みたいな人間になった。
悪口ですか?お好きにどーぞ!みたいな感じ。
自己肯定感を上げてくれるとこじゃないと
気づいてしまった!!
考えた結果が結婚くんだったのだ。
したいわけではないぞ!!
手出しの早い男だったので付き合って早々
振られるかと思ったが何か泣いてくれたので
一緒に泣いた。その後盛り上がった。
お腹にベイビーを授かり今に至る!
いや切りまくってウン年経つが全然消えねえ!
聞かれなきゃ言わねえが聞かれたらどうすんの!?
ことになること間違い無いので、できる範囲で
一旦お辞めになって!
こんな後悔せずに済んだなと思っている!
鬱憤はここで吐き出すのよ!
日記に書くのは良いことよ!
内容うっす!まとまらねえ!
まあここってこういうしょーもない日記を
生まれてこのかたカスの私は「明らかに乞食目的のクラファンページを見る(金は出さない)」という悪趣味があるのだが、その最中に出会ったVtuberが彼女(仮にV子としておく)であった。
大好きな歌を歌ってみんなに届けたい!
そんなキラキラした夢がありつつも資金が足りずPCや機材が準備できないV子は、ついにクラファンに手を出すことにしたのだろう。
高校生か大学生だろうか、少ない貯金をやりくりしてでもどうしてもVtuberをやりたいのだ、なんて健気な子なんだ。やたら顔文字を使っておりイマイチ真剣みが感じられないところにも、若さというか幼さが感じられる。
V子に興味が湧いたカスオタクは、リンクから彼女のTwitterを覗いた…のだが。
ネットリテラシーって知ってる?と思うほど、個人情報が出るわ出るわ(本名の下の名前、生年月日、血液型、身長、胸のサイズ、最終学歴、居住都道府県)!
マジ…………?
二十代のいい歳なのに、「この衣装は戦う時にはフォームチェンジして〜(以下クソ長くてどうでもいい設定)」だの、「神界生まれだからお勉強は苦手なんだ(//∇//)」だの、中学2年生がノートにまとめててもアイタタタ…となるような設定がてんこ盛りだった。
加えてその超重要(笑)な設定は徹底されておらず、普通に中の人の情報までペラペラ喋っている。神の子なのに派遣社員なんだ…しかも中卒なんだ…みたいな、赤裸々な事情が丸わかりである。
など、いやマジで社会人か!?背伸びした中学生でなく!??と壮大な釣りを疑ってしまったが、V子は至って真剣だ。毎日のようにクラファン支援のリツイートをし、達成率0.1%のまま数ヶ月頑張っている。こいつに支援するやつもなかなか勇気と根性があると思う。
さらにV子は、「専業Vtuber目指します☆」とまでのたまっている。すごすぎる。神界生まれの彼女の目には、人間界の現実など見えていないのであろう。貯金額は約10万(これもツイートしていた)、歌ってみたは現時点で全てカラオケ収録(しかも全部2桁再生)の彼女が、専業Vtuber!?
私は震えた。
人は安定を求めるものではないのか。学歴がなくとも地道に資格を取るなどして働く、結婚して家庭に入り主婦になる、など無難かつ堅実な道を選択するものだとばかり思っていた。芸事の道を選ぶものなど一握りだと決めつけていた。
けれど、V子は違う。
インターネットリテラシーも資格も金も技術もない、他人に勝るような部分は自己肯定感ぐらいの彼女が、Vtuberで飯を食おうとしている!
なんて無謀なんだろう。社会人のくせに化粧もしない、貯金もないし友達もいない、やることといえばゲームかお世辞にも上手とはいえない二次創作ぐらいのV子。
可哀想に……。
Vtuberのコンテンツとしてはクソほども面白くないが、彼女の生き様は見ていて興味深い。以前バズった某メガネをかけたbotと似たようなスリルを味わえる。
5chやまとめサイトにいる「金銭面だけは何が何でも男女平等マン」「結婚によって1円たりとも妻より多く負担したくないマン」て本当にいるのか?
俺のまわりでは見たことないし、一人か二人が寝る間も惜しんで書き込みまくってるだけじゃないのか?
最近優秀であることを目指した先に何があるのか自分には何も見えなくなってしまった。
ここまでは皆が耳にタコができるほどよく聞いた話だと思う。でも吐き出す場所が欲しくて書いてみた。
ただ自分の場合は上位互換がいるせいで自己肯定感がなくなってしまい、メンタルがやられた、とかそういう話ではない。
上位互換という考え自体が社会構造や雇用形態に囚われてる考えなのではないか、という認識から自分の幸せがわからなくなった。
物事や事象はただ”ある”だけだが、それに対する社会や文化が良い・悪いと言った評価をつけていると考えている。
いや、今改めて考えると事象や物事というくくりさえ、広義的に文化的な考えに囚われているのだと思う。
そう考えると、自分の幸せはどこに有るのかわからなくなってしまった。
お金をいっぱい得られれば幸せなのか?わからん。人から褒められたら幸せなのか?わからん。
例えば生涯趣味も何もなくてお金を使いたい対象が見つからなかったら幸せとは言えないと思うし、当然お金ですべての幸せが手に入れられるわけではない。
人生にも物事そのものにも意味はなくただあるだけであり、自分が楽しくて満足できればなんでもいいと思っている。要するに楽しんだもんがちということ。もしくは不満や不幸を感じないのも幸せと言えるかもしれない。極悪犯罪者だったとしても、それが社会的にどんなものであれ幸福を感じたり納得できるのであれば、空虚な人の人生よりよいものだと思う。
自分の幸せは自分ででしか定義できないというのが私の気持ちだが、それによって幸せや生きるモチベーションを見失ってしまった。
つまり中途半端に主観を重視する観点を得たことで、客観的・社会的な要素が組み込まれた幸せに頼れなくなってしまった。
今までは優秀になっていっぱい稼げればとりあえず幸せになるだろう、みたいなふわふわした感じで、社会的な要素が自分の主観的な幸せに入っていたことに気づいて居なかった。
しかしそれに気づいてしまった私は、幸せになるために以下のいずれかをしなければならない。
2. 自分の幸せに再び社会的な要素が組み込まれている状態を認識しなくなる
3. ここまでの思考の背景を改める
昔は理解できなかったが、”自分探しのたびに出る”人は1番を解決したくて、旅に出ているのだと理解してる。もし解釈違いだったら教えて欲しい。ちなみに自分も1番で解決したい。ということで幸せがわからなくなってしまって、何のために生きたらいいか分からず現在とても虚無という現状をまとめた記事が以上。主観には社会性が含まれてしまっているので、自分の心の”衝動”に今後耳を傾けていきたい。今の所全然聞こえないけど。
スピリチュアルなことを書いてるとよくわからなくなってくるので、怪文書になってたらごめんなさい。
参考にするためにも是非教えてほしい。
ひんひん…偶然見つけてヲチってたアカウント、フリート踏んじゃってブロックされちゃった………自己肯定感皆無拗らせオタクって感じでめちゃくちゃ面白かったのに…ツイ消しよくするし…プロフに二度と見るなって書いてある…いんいん…
ドラえもんに、のび太がひみつ道具に頼ってテストを切り抜けようとしたか何かで、最終的に自力で対処することにしたのか、ママに「30点も取れたの、よかったわね」と褒められておしまいというエピソードがあった。もう細部はだいぶ忘れたのでこんな書き方になってしまうが。
これはしばしば言われる「他人と比べるより過去の自分と比べよう」を想起させる。他人、まあ当然のように100点取ってそうな出木杉あたりと比べりゃ30点なんぞハナクソみたいなもんだが、0点コレクターののび太にしてみりゃ自力で30点取ったのは大したものであろう、そりゃ。かくて彼の自己肯定感が育まれ…
イヤ、でも。そうは言ってもお前30点だろ。親子してそんなんで喜んでる場合かよ。
俺はこのエピソードをそのようにしか受け取れない。中学受験のため小学校生活の後半を進学塾通いに費やし、成績が悪いと連帯責任でクラス丸ごと正座で授業を受けさせられ、さらには講師から帝國海軍の甲板整列よろしくケツバットを頂戴仕り、苦労の甲斐あって入学した進学校にも学内の成績によって歴然たるカーストが存在しており、定期テストで30点にも満たないような赤点を叩き出したりと底辺に甘んじた俺はやはりハナクソのような扱いを受け…という、曇りガラスの十代であった。常に他人との競争であり、成績上位の者が勝ち組で、最終的に東大や地元の旧帝大合格者こそが価値ある生徒だった。過去の自分との比較などに甘んじる余裕はどこにもなかった。
まあそんな自分語りはどうでもいい。いくらね、当社比で成績向上したといってだ。常に他人と比較「される」のだよのび太くん。自力で30点も取れたぞ、なんてのは自己満足もいいところなのだ。シャブ中が壁に向かって「俺かめはめ波撃てるぜぇ」とヘラヘラ笑ってるのと変わらんのだ。
ドラマを見た人向け。
大豆田とわ子の最終回を、何とな〜く家族に付き合って見ていた。
全編見た訳ではなく、家族が見ているときに脇で見る程度の関心の低さで。
最終回は丁度食後のコーヒーが欲しくなって、偶然いつもより長めに食卓に残っていたから、スマホ片手に半身でテキト〜に見ていた。
母がモラハラに怒って娘が「私が教育すればいい」って言うのは一昔前と立場が逆転していてこれはこれで令和だなぁ。
とわ子が「マー」宛てのラブレターを見つけたときも、ドラマならあるだろうな、と思っていた。
亡き母に父以外に愛してる人がいた、なーんてTSUTAYAで一棚にひとつはありそうだなとか考えてた。
けれど、唄がとわ子のことを「可哀想な人」と言ったのに対して、
画面のこちら側にいた家族が「なんで?」と一人言を言ったとき、
「あぁこの人は分からないんだ」
「分からない人がいるんだ」
と考えた瞬間に、私はとわ子に一歩近づいたのだ。
有り体に言えば、親近感を感じた。
という確信が揺らいだとき、大抵は自己肯定感が揺らぐものだと思う。
少なくとも私はそうだった。
自分は親の枷だったんだと感じて、生きるためのハシゴがバラバラと崩れたように思えた。
「親は私が生まれたことで仕方なくその役割を強制されてるんだ」はすぐに「自分はいない方がいいのでは?」という考えに変わった。
とは言ってもそれを理由に自殺しようとは思わない。自殺しない理由が1つ減ったくらいのもんである。だからこうして生きてスマホ見ながらドラマ見るとかしてる。長い人生の中どうせ出てくる絶望の1つだ。
マーに会いに行く二人の気持ちも分かった。
ハシゴを外されたのなら、代わりが欲しくなる。
「そりゃそうしたいよね」と他人事に思った。
「マー」さんが女性だと分かったとき、ぶん殴られたようだった。
「共感しなければ良かった」と思った。
なにしろ、
加えて言えば、母は父の恋愛対象ではなかった。
(私の父は女性であろうと何だろうと「父」であり、私にとって「父」は固有名詞なので父と呼ぶ)
とわ子の「あなたのことが好きだったんですよね」という問いに、
「マー」に「もちろん」と即答されたとき、
目の前が真っ暗になった気がした。
「マー」が簒奪者のように感じた。
「どうして産んだのか」という問いに、時代のせいだとマーが答えかけたとき、足元から自分が崩れていくように感じた。
「あなたは仕方なく生まれたよ」と言いかけられたように感じた。
「ごめん」とマーに謝られたとき、ホッとした。
言いきられなくてホッとした。
という言葉に救われたのは私だった。
「それで正解だった」と言われて救われたのは私だった。
現実の私が救われたのだ。
「私」を選ばなかった方の「父」に
誕生を祝福された気がした。
投げ捨てたくなったのも本当なんだろう。
でもそれを選ばなかったのも本当なんだろう。
ストンと納得した。
足の裏に地面の感触がした。