はてなキーワード: 自己肯定感とは
1年半ぶりに髪を切ってきました。
そもそも私はマジで美容室が嫌いで嫌いで嫌いでここ数年好きなアイドルのコンサート前にしか美容室に行ってなかったんですけど
それでもコロナ前は絶対年1以上のペースでコンサートがあったので定期的に髪切れてて(アイドルにマジ感謝)だったんですけど
そんな私が今回髪を切りに行ったのは、家のお風呂が壊れたため仮設風呂のクソよわ水圧シャワーで長い髪を洗うのが面倒すぎるという理由です。
でせっかくバツンと切るんだったらヘアドネーションしたろと思って、ヘアドネーションのサイトから探した初めてのお店に行きました。
マジで予約の電話するときもお店入るときもクソお腹痛くて我ながら(本当に嫌なんだな…)と思った。(本当に嫌なんだよ…)
最初に問診みたいな感じで髪を扱う習慣についていくつか質問されて(下手言うと怒られるやつだ…)と思って嘘つきながら答えたんですけど、
「最後に美容室行ったのいつですか?」て質問にはどう短く見積もっても1年だったのでびくびくしながらそのように答えた。
しかし思えばその時から担当のカワィィお姉さんは怒りもせず呆れもせず(してたのかもしれないけどそれはおくびにもださず)フムフムって聞いてくれていたのだった。
鏡の前の椅子に掛けてひとつ結びにしていた髪を解くと毛先が椅子の肘置きのところくらいまであって(そんなに長かったんだー)て他人事みたいに思った。
同時に、それだけ長い間放っておいたんだと一目で分かる長さだと思って恥ずかしい?居たたまれない気持ちになった。
ヘアドネーションは31cm以上の髪だけを送れるのだけど、お姉さんは「これなら余裕でとれますね~」と言ってサクサク切ってくれた。
マッサージしながらのシャンプーも気持ちよかったし、肩くらいまで短くして(たぶんトータルで40cmくらい切ったと思う)とてもすっきりした。
絶賛無職なので「お休みなんですか?」とか「お仕事何してるんですか?」とか聞かれたらどうしようと思ってドギマギしていた私に、
お姉さんは業務上の言葉以外は何の話も振らずに、静かにただ髪を切ってくれた。
最後に「くせっ毛、好きですか?」と聞いてくれた。
何を隠そう私は己の半生以上を天パいじりと共に生きてきたのだ。
人からいろいろ言われるのが嫌でストパーや縮毛矯正をしていた時もあったけど、
だんだんそれも面倒になってケアもおざなりになって(普通にケア不足は私の努力不足なのでなんか因果100ではないんだけど)
何か言われても「嫌だけどまぁどうでもいいや」と思うようになっていた。
お姉さんは「私はすごくいいクセだと思います」と言って、簡単なスタイリングの仕方を教えてくれて、実際にやってくれた。
帰り際には「スタイリングで分からないことあったら何でも電話してください!」って名刺をくれた。
なんか美容室のお仕事として当たり前というか普通のことなのかもしれないけど、私はすごくすごく嬉しかった。
今まで美容室に行くと、カット中に顔の角度を何度も何度も修正されたり、シャンプー後に30分くらい放置プレイ決められたり、
普通に雑誌読んでたら「めっちゃ読み込みますね(笑)」て言われたりしてきたのだ。
身動きひとつにすごく気を遣って、何の雑誌を読むかも監視されているようで、知らない人と話をするのも苦痛で、
なりたい姿もやりたい髪型もなくて(あるいは私がそれを言ったらバカにされるんじゃないかという怖さがあって)、だから私は美容室が嫌いだった。
不快なことが一度もない美容室があるなんて、今日の今日まで知らなかった。
それどころか気持ちよくシャンプーしてもらって、褒めてもらって、鏡を見たり自撮りをするときに思わず笑ってしまって、
ここに来る前より自分のことが好きになっていて、私は美容室という場所の素晴らしさをようやく知った。
ちょうど昨日、友達と会ったのですが、ある話の流れで友達が「〇〇って芸人さんがね、すごいアゴが出てるんだけど、学生時代1回もいじめられなかったんだって。いじられる愛されキャラだったんだって。そういうのってさ、自分の意識の問題だよね。」って話をしていて、私はマジで「………」になってしまった。
私だって確かに「いじられる愛されキャラ」だって思ってきたけれど、本当はいじめられていたのかもしれないのだ。
「いじめられていた」、と思うより「いじられる愛されキャラ」だって思っていた方が傷つかないから、惨めじゃないから、苦しくないから、無意識にそう思い込んでいただけかもしれないのだ。
でも自分がどう思おうが、どう捉えようが、自分が受けた仕打ちは変わらないじゃないですか。
ふわふわの、ぼさぼさの、私の髪のことを揶揄した人はたくさんいて、私がそれにどうやって返していたのか思い出せない。
10年経って今でも会うような友達の中でも、私を揶揄った子がいる。(別に今それを恨んでいるという話ではないんだけど、いじめっ子といじめられっ子ではない友達同士でも当たり前に拳は振るわれていたということ)
いつの間にか何を言われても曖昧に笑って流すようになってしまったな。
何ていうか髪以外のこと、例えば私の生き方に関することや、おっぱいの大きさに関することで揶揄われたときには
「そういうことを言わないでください」「あなたにそういうことを言われる筋合いはありません」とちゃんと言い返すことができるし、
そうしているうちに私につまらないことを言ってくる人は周りからほとんど消えたけど、
どうしてか髪のことはずっと曖昧に笑って流してきた。
どうしてかというか、私は髪のことを痛めつけている自覚があったし、大事にしていないと分かっていたし、自分だって好きじゃないし、
そういう風に言われても仕方ない、そういう風に言われるのは当然のことなんだ、という気持ちがあった。
今日が初めてだった。
他人が私の髪を「良いクセですね」と言って、そして私自身も良い!と思える形で見せてくれたのは、本当に初めてのことだったのだ。
これまでだって「外国人みたいで良いじゃん」と言ってくれた人が、いたにはいたんだけど、
私は本当に卑屈なので(皮肉…?)(嫌味…?)(良いわけね~だろ)(なんの苦労もせず直毛の人間は黙っとれ)などと思っていました。(口では「ありがとうございます^^」と言っていました)(最悪)
鏡を見て、私も「確かに、良いかも!」と思えたのが、本当にスゴいことだと思う。
今日こちらのツイートを拝見しまして、今まで私って自己肯定感バリ高だと思ってたんだけどもしかして全然違いましたか・・・・・?????になっちゃった。
https://twitter.com/job_rinu/status/1412011094512603141?s=20
なんかそもそも私の自己肯定感の高さって22歳の頃に「人はそれぞれ違う」ことを完全に理解したことに由来していて、
人はそれぞれ違うんだから、私がどれだけクソだろうがクズだろうが、それで良いんだ!!!!!っていう肯定感だったんだけど、
それってもしかしたら、私が自分のことをクソだとかクズだと思っているというゆるぎない証拠だったのかもしれません。
自分のことを大事にするっていうことにはまっっっったく取り組めていなくて、いつまでもセルフネグレクトをし続けていて、それがもしかしたら私の無意識の呪いだったのかもしれません。
ということに気づけたのは間違いなく今日美容室に行ってあのお姉さんに髪を切ってもらえたからでした。
お姉さん、本当に本当にありがとう…
おっぱいの話で思い出したけど、私の新卒時の同期は私含めて6人いて、1年目2年目はまぁそれなりに仲良くてみんなで休み合わせて遊びに行ったり飲みに行ったりしてたんだけど、
一人の女の子が私のおっぱいが小さいということを結構しつこめに揶揄してきたときがあって、私は「いえ、すべてのおっぱいに平等に価値があります」「どの大きさが好きかというのは人それぞれなので、価値も人それぞれです」と答えていたんだけど、
そろそろしつこいな~と思ってたときに、他の同期がその女の子にちゃんとみんな揃って「言いすぎだよ」「しつこいよ」「もうやめなよ」って言ってくれたことがあったんですよね。
おふざけだろうが何だろうが他人の身体や属性に対して攻撃したり揶揄ったりすることはそもそもクソなんですが、そういう場面を見かけたときに、「それは間違ってる」「良くないことである」とちゃんと指摘できる人間がいる心強さよ…
自分も誰かに対してそうありたいし、自分自身についても、ちゃんと大事にしていきたい。
クソでもクズでも良い!っていうのは確かに救いだし、ぬるま湯だし、セーフティーネットだし、私がダメダメなのは本当にそうなんだけど、
私だってまるっきりダメなわけじゃないし、価値があるし、その価値をこれからいくらでも磨いていけるし、既に私を大事にしてくれている人たちのためにも、磨いていくことを諦めちゃいけないんだって、忘れないようにしたい。
これから書くのはかなり昔にある先輩医師と久しぶりにあった際、喫茶店かどこかで話したことだ。
一言一句覚えているわけでないのであやふやな部分はあるが、大筋はあっていると思う。
特定を避けるために口調などは変えてある。
こんなことを書いて誰かの役に立つかは分からない。
それでも読みたいという酔狂な人だけ付き合ってもらえればそれでいい。
「お前、せっかく医者になったんだからもっと稼げばいいのに。」
「はあ、一応普通のサラリーマンよりはかなり収入はあると思うんですが…」
「いやいや、保険診療でちまちま稼いでんだろ?
そんなもん仕事の忙しさからしたら割に合わんだろ。自由診療やれよ。」
「自由診療ですか…」
「自由診療は楽だし儲かるぞー。」
「でも、患者集めるの大変じゃないですか?」
「そんなもん簡単だよ。SNSとかで見込み客の喜びそうな話をばらまいてやるだけ。」
「見込み客…ですか?」
「世の中にはな、親とか学校の先生とかいじめっ子とかへの恨みつらみやら怒りやらを
いい年になっても抱えてる奴らが一定数いるんだわ。」
「で、そういう奴らをさ、簡単に囲い込める情報の出し方があるのさ。」
「情報の出し方…」
「そう。大きく3つあってな、①常識や定説とかの反対のことを言う。
②断定口調。③感情を煽る。これにしたがって出してりゃだいたいいける。」
「…それは具体的にどんな感じなんですか?」
「まず、1こ目な。これが特に大事。見込み客の奴らはさ、権威とか権力とかが根本的に嫌いなの。
多分恨みや怒りのある親やらと重ね合わせるんだろうな。
だから、政府とか大企業とか医者とか権威のありそうなものには自動的に反感を抱くわけ。
そこで、普通の医者がすすめる薬とかワクチンとかは本当は毒だとか、
大体の人間が食べてる○○は危ないからやめろとか言ってやると簡単に信じる。」
「本当にですか?」
「理系に明るい奴は引っかからないのも多いけど、物事を科学的に考えられない
中高年の女なんかはほぼいけるな。だいたいが、常識的な科学理論にも権威を感じて反感持つし(笑)」
「なるほど…。」
「科学に弱いだけあってそのへんからテキトーに理屈にあいそうな論文でも拾ってきて、
『ここに書いてある』とかやっとけば『シェアさせていただきます!』とか言って拡散までしてくれるぞ(笑)」
「バレないもんなんですかね?」
「まずだいじょうぶだな。査読とかメタアナリシスの意味も知らんような奴らだし、
「信じたくて信じる。」
「そう、奴らは大嫌いな親やらと同一視する政府とか医者とかをを見返したくてしょうがない。
しかも、その気持ちが心の底にあることにすら気づいてないし、見る度胸もない。
そもそもその親やらに自己肯定感を砕かれて劣等感の強い奴らにとって、
普通の人たちは知らないことを私たちは知っているという優越感は麻薬みたいなもんさ。
一度味わわせりゃこっちのもんだな。」
「ちょっと怖いですね。」
「いいんだよ、どうせ一生治らねえから。いい気分にさせてやるのもサービスのうち。」
「治らないものでしょうか?」
「ああ、よっぽど腕利きのカウンセラーのとこに気長に通い続けりゃ可能性はあるが、
臨床心理士は権威を感じて敬遠するし、行ったとしても占い師か怪しいスピリチュアルってのが関の山。」
「そんなものですか。」
「そうだよ。実際うちに来る奴らはチャクラがどうたらとかレイキがどうたらとかに金使ってるバカも多いぞ。」
「…」
「で、2つめな。断定口調にする。そもそも自分に自信がない奴らだから言い切られるとより確信を深めるんだな。」
そこが狙い目で、言い切らないのは隠してることがあるからだって解釈にするんだわ。
奴らは基本的に心がふらついてるから答えがハッキリしないことに耐えられない。
だからすぐに答えが出せるように白黒で考えるクセが染み付いてるのな。断定してもらうとホッとするらしいわ。」
「頭が悪いんですかね。」
「いや、意外とそうでもないぞ。話してるとそこそこ賢こそうなのも多い。
結局心になんか抱えてるやつはなんかのポイントをつかれるとまともな思考回路が働かなくなるんだろうな。」
「たしかにそうかもしれません。」
「でもって最後に③感情を煽るってやつな。奴らが根本的に心の底に恨みや怒りがあるってのは話したな。
その感情を代弁するように発信するんだ。」
「それはどんなふうに?」
「医者とか製薬会社とかを敵に見立てて口汚く批判したりするのさ。
『医師や製薬会社は利権にまみれています。ワクチンなんて毒物を金儲けのためにバラまいてるなんて許せません。』
みたいな感じな。基本冷静に批判しつつ、時々『氏ね』とか言うとめっちゃ受けるんだわ(笑)」
「その人たちにしたらスカっとするんでしょうね。」
「そうそう、よく分かってきたじゃん。」
「ええ、でもその人らはよくても家族とか友達とかが横槍を入れてきませんか?」
「『頭のいい人には逆に分からないんだよ。』ってやつな。」
「?」
「意味不明だろ(笑)。奴らはそこそこには頭がいいけど、めちゃくちゃいいわけでもない。
そこにコンプレックスをつのらせてるわけ。だから、暗に君のほうが優れているっていうメッセージをやれば
嬉しくなってすぐこっちに戻ってくるって寸法な。」
「ふーむ…。」
「頭のいい人ほど常識に囚われてしまうとか言ってやれば有頂天だな。
『世の中の人間は洗脳されてる。私は真実を知ってる!目覚めた!』とか言い出したらばっちりだわ。」
「洗脳されてる奴らほど他人のことを『洗脳されてる。』っていうの面白いよな(笑)」
「…」
あとは何療法だろうが、グッズだろうが、機械だろうが飛ぶように売れるわ。」
「それはそうですよね…。」
「事前に本でも出しとくと完璧だな。出版社も常識と反対のことを書いた本に
「はあ?打つに決まってんじゃん。俺も家族もバッチリ打ってるわ。
ディティールはだいたい合ってるはず。
読んでくれた人には一応ありがとうございます、とだけ言わせてもらいます。
くっせー女
この手の「ありのままの私をうけいれない男」をいけしゃーしゃーと話す人は
水族館が気に入らないとか二回目で高級レストランは違うとか知らねーよ
承認欲求ポルノ女優が気持ちよさそうにあえいで悲劇のヒロイン楽しむ悪趣味王女様だろw
一般社会ではそういうのあけすけにするのやめましょうって話ではあるんだけど
それを大っぴらにやりましょうって仕組みが婚活だろ?
だからおまえは水族館違うなって思ったなら黙って「次の候補」に行けばいいんだよ
本当なら数年かけてじっくりお互いを理解するところをぎゅっと短縮するんだ
そりゃペースに違和感あるかもしれんけどそれが相手の問題なのかわからん、婚活になれてる奴なんていないんだからな
婚活マスターなんてこの世にいたら気持ち悪いからな「この人婚活デートプラン慣れしてる!」なんておかしいわけだし
シロクマ先生とかが使う「何者か」と、そういう若年世代的にnotableな「何者か」ってだいぶ違うような気がするんだよな〜
昔風の意味での「何者か」って、有象無象の無名な大衆じゃなく、何らかの分野では認知されてるひとかどの人物、みたいな感じでしょ。
で、昔はそういう風な存在になることが「自己肯定感」につながる、何者かにならないと自己肯定できない、という発想
(おれは錯誤だと思うし、たぶんシロクマ先生もそう思ってると思うけど)があったと。
今ってそういうのあんのかね? youtuberにならないと自己肯定できない、フォロワーが500人いないと自己肯定できない、
みたいな発想あんのかな?
Togetterで漫画レビュー書いて1万ビュー以上読まれると、
「三沢は紹介するマンガは素晴らしいのだが、レビューが下手くそ」
自分の想像を超えたマンガを見つけて、それをテンションで語って伝わらない…ってオタクにとって最上の幸せだよねww
「誰にでもわかる書き方で冷静に、紹介してる作品」
はまだ自分の想像を超えてないし、自分を突き動かすほどの面白さを見いだせてないんだよ。
ちょっとわかんない人が出るぐらいテンションが上がるモノを見つけて、早口になってる方がオタクとしては正しい
ぼくの作品紹介がリアクション芸や実況の側面を帯びるのはそういう理由です。
一言二言でサクッと説明できない作品はもう、心に残った言葉や、その言葉を巡ってあれこれ考えてる人間(自分)を見せちゃったほうが早いなぁ〜と考えてそこにたどり着くわけです
というコメが出るんだけど…あんたにさえ何度も目に入ってるし名前覚えてる時点で俺の勝ちなんだよなぁ〜
「俺くんが書いた記事ヒットして、同じ界隈の人に一通り読まれたよ」
って。
あとは好き嫌いに関わらず名前覚えられてるぐらいコンスタントにヒット作を出せてる実感を感じる。
…そうやって考えていくとこの人達って一瞬傷つくんだけど、ありがたいかな。
覚えてて欲しいとは思ってないけど、忘れられない程度の腕前ではいたいと願ってるからそれが証明されてありがたい
自分の好きなことを好きなように書いて、それが読まれる&レビューや商品紹介なら作者と自分にチャリンチャリンするの、マジで理想形なので、その方向で腕前が維持されてるならぼくは幸せです。
最近、なんかうまく行き過ぎてると思ったら、致命的な失敗に気づいて
ってなった。
ロバが馬になるわけじゃないんだからなにか見落としてる。
積み上げてきた努力が実ってきてるのもまた事実なんだけどね…。
ただ、調子に乗ったり、勝利の美酒だの次のステップだの余裕ができた時に生まれるものを考える段階じゃないよ。
勝ちなれてないやつはすぐ自滅する。
一区切りつくまで気を抜くな。勝ち始めてもまだ、勝ちきってない。いつもそうだ
ただ…自分がちゃんと勝てる自覚が出てきたのか、自分の失敗に気づいた時に「よく気づいた俺!」って思えるようになった。
はてなとかTwitterとかでよく見かけるんだけど、少しでも当てはまると承認欲求だの自己顕示欲だのマウンティングだのから始まり、本当は自己肯定感が低い人みたいなレッテル貼りみたいなのも見かけるんだけど。
最近youtubeでも変な心理学講座(自称心理カウンセラー?)がやってて、レッテル貼りが加速していそう。
本当に○○な人間は△△をしないとか、いや人によるでしょ?