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はてなキーワード: 紅白とは

2021-01-02

anond:20210102143356

残念ながら相当前から紅白はそういうスタイルになっている。

私も増田に同感なので、基本見ていない。

一応録画はしているので、後から話題になったところだけつまみ食いで見ることはある。

今年ならLiSAとか。

紅白の録画を見ようとしたらマジで無理で30分で諦めた

なぜ見た?

新年が始まったら職場話題についていくために。

特にパートのおばちゃんとか年配の上司とか技術補佐の爺ちゃんと話す時に役立つと思ってさ。

そのへんの職場における関係を良好に保っておきたいけどやや価値観が違って共通話題を持ちにくい相手とのコミュニケーション手段が4時間で手に入るなら安い投資だと思ったわけよ。

どこが無理だった?

全体主義的なノリ、としか言いようがないな。

出だしの「今年はコロナ生活が一変して辛かったですよね」って所で早くも振り落とされそうだった。

別に俺はコロナ生活が変わっても困ってないし、むしろ飲み会地元への帰省が断らなくても向こうから勝手に中止になって助かるぐらいだった。

多数派意見はすなわち全国民意見である」と言わんばかり、いや、言うまでもなくそであるという主張がいきなり豪速球で飛んできた、俺はそう認識した訳さ。

どっかのコピペで「全体を100としてそのうち26を支配すれば、多数派のうちの多数派支配することで結果としてすべてを支配できる」と言っていたが、まさにそういった考えを無自覚でやってのける多数派連中の傲慢国営放送年末特番のっけから飛んでくきたこと、まさにそれが俺を心底がっかりさせたわけだ。

はだしのゲンに出てきた非国民連呼多数派迎合無責任愚民集団からミリも成長してない思考回路が剥き出しだったのさ。

吐き気がしたさ。

でも耐えた。

そもそも歌番組なのにOP一曲からまらず司会進行の自己紹介からスタートって事が気に食わなかったが、こりゃあくま趣味的なもんだ。

そこからの雑なデジタル合成には度肝を抜かれたぜ。

あん適当な物をさも「最新技術との融合≒今風だから若者安心』と言わんばかりに見せられた所でいよいよ必死に飲み込んだツバに酸っぱい味が混じったもんだ。

そこから歌が始まるわけだが、まあ歌の内容自体はそんな文句もないし、ちょっと聞き覚えのあるグループの最新曲演出が分かって多数派に媚を売るための下準備にはなりそうじゃねえのって投書の目的を思い出しもしたさ。

だがな、背景に出てくる映像が無理すぎた。

コロナの中で必死に団結しようとする全国の皆さん』の映像がよお。

ふざけんなよ?

まりはこの紅白ってのはどこまでも「コロナの不幸は『人々が繋がれなくなったことにある』と捉える連中」のためのものだってことか?

そのスタンスが単にちょっと最初MCで掴みを得るためのものじゃなくて、ずっと貫くつもりだってのか?

無理だ。

世間が一色に染まっているはずというその無根拠な盲信、そういった番組税金で作られスペシャル番組として流される。

そんな文化迎合できるか。

俺はチャンネルを切った。

いっそNHKも解約しようと思ったが、一度契約したが最後手続きがクソ面倒くさい国営詐欺のような代物であることを思い出してひとまず愚痴って終わることにした。

歌について

別に歌には文句はなかったし、演奏ステージの豪華さは流石だと感じた。

色んな歌が聞けるというコンセプト自体には文句はないんだ。

いたこともねえアイドルが歌ってようが、アニソン歌手の痛いコスプレ大会だろうが、演歌はまだ終わってませんよと老人世代文化へのヨイショだろうが、むしろそういった「それぞれの閉じこもった文化による闇鍋であることにこそ、国営放送でやる意義があるように思った。

たとえば、AKB系の世界ではやたら人数の多い連中が男性の性欲を刺激することを意識しつつ同じような振り付けで踊る喜び組のような文化が今でも続いてることを、わざわざ自分で調べることな勝手に向こうから教えてくれるのだ。

自分にとって異文化である空間で今何がどう流行っているのかを、半年~数年程度の遅れの範囲で一気に把握できるというのは非常に便利なのものだ。

ぶっちゃけ紅白にはその文化の本当の最新ブームはまず出てこない。

選考段階において流行っているかが一つの基準になるし、その上で多くの層にとって「そうそう今年はこれが流行ってたんだっけ」と思い出してもらうことが目的からだ。

本当にその界隈に置いて最先端のはやりは、その界隈の中で勝手に盛り上がっていろが紅白スタンスだろうし、それは正しいと私は思っている。

紅白に何を求めるか

何も求めない

紅白という番組方向性が「多数派お祭りであるというのならそれを貫けばいい。

闇鍋歌番組別に他にもあるわけで、私が求めているのがそれならばそっちを見ればいいわけだしな。

私が求めるような「世の中における多数派を気取る人達とのコミュニケーション手段」を目的紅白を見るのなら、そもそもコロナにおける最大の被害は人恋しさ」という価値観の方にも迎合して見せなければおかしいのだ。

それができないくせに安易他所文化に首を突っ込んだ時点で、私に文句を言う資格はない。

どうせ紅白の話になれば自然そういう流れになるだろうし、その時に必死に誤魔化してもきっと何処かで矛盾が出るだろう。

下手をすれば「地元に帰れなくて寂しかったです~~~😂」「人のつながりって本当に大事~~😍」と心にもないことをひたすら一年中言い続けることになったやもしれぬ。

そうなるぐらいならもっと別のアプローチ雑談ネタを探った方がまだ建設的だろう。

その事に気づけたのは紅白のおかげだ。

多数派であることに甘えきった自称普通」派の連中)の高慢というものちょっと甘く見ていた。

NHKに求めるもの

でもさ、俺やっぱこういう番組作るのに金払ってるって思いたくないからさ、解約させてくれない?

別にジョジョ田亀源五郎ドラマとか興味ないし、子供いないか教育も見ないし、ニュースも「中立中庸」って感じでやってないみたいだしさ。

いらないんだよね。

それか割り切って完全な人頭税として国が正式徴収してよ。

それで100円ぐらい今より値段下げて。

正直、自分が払ってるお金の中に「他人の家にズカズカ上がり込んだり嫌がらせすることで相手プレッシャーをかけて金巻き上げてくるヤクザまがいの連中への給料」が入ってると思うと凄く嫌なんだよね。

そこは本当勘弁して欲しい。

2021-01-01

中年オタクが正面からおたくをやればよかったと今更思う話

杉田智和が眩しい。

眩しすぎる。オタクとしてきつい時代をすごしながら、それでもきちんと好きなものオタクとして堂々と語れる。

こういう生き方が正しかったのかと、思っている。

そして、部分的にでもこういう生き方をしない限り、オタクには卑屈な変態としての道しか残ってなかったのだということも悟った。

いま現在オタクを熱烈にバッシングしているクラスター中年以上のこじらせたオタクしかいない。

アイデンティティを身内のdis差別化していたオタクオタクを叩いてるという状況だ。

でも、この光景は残念ながら卑屈極まる。

当然だ。

FGOアズレンにじさんじ共通語になって、水樹奈々紅白常連LiSAの曲が全国どこに行っても流れてレコード大賞とっている時代に、「キモオタ死ね」なんて言って、それで「そうだねーオタクってキモいよねーw 萌え絵とか描いてるやつってキショイよねー」なんて言いながら「でも、俺はキモいことが分かってるから。分かってるオタクから。俺だけは別枠で扱ってね」なんてポジションが成立するわけがない。

オタクだと職場カミングアウトしても「ふーん。どのアプリやってんの? 俺、これ。フレンド登録する?」ぐらいの重さしかない。

そんな時代に、フェミぶってセルオタは周回遅れ」「萌え絵セクハラ」「オタクネトウヨ」なんて言っても「お前はバカか?」で終わってしまう。

せいぜい、ネトフェミぐらいしか「そうだ。オタク文化は頭がおかしくなる」と同意してくれる人はいないだろう。

結局は、斜に構えて仲間を売り渡し、「俺はキモオタじゃないから。キモオタじゃないけれどアニメゲームが好きな普通オタク。良いオタクだよ、あいつらキモいよね―」なんてやってるポジションは蝙蝠野郎として居場所がなくなってしまうのだよな。

世の中は真摯に戦い続けてきた奴らのほうが結局は強かったのだということを示している。

こんな時代が来るとわかっていたら、「俺はオタクじゃない。ただゲーム好きなだけだよ」とか逃げる必要はなかったのだ。

結局、物を作り、好きなものを好きだと言い、仲間をdisって売り渡したりせず、感動を分け合ってる人間のほうが強かったのだ。

好きなものを好きだと言ってる真摯オタクが結局は強かったのだ。

世の中は正しかったのだと悟ったとき最初からきちんとオタクとして生きればよかったと思う。

正面からオタクをやればよかった。

でもあの時代に正面からオタクをやるというのは難しかった。難しかったんだよ。本当に難しかった。

anond:20210101163213

その区別はよくわからないけど、少なくとも紅白出てるし。

anond:20210101125615

冗談にはならないって30年いいつづけてもわかってもらえない

乃木坂なら紅白ならみたいなことをいわれる

からグッツも買わない

もう買わない

わるかったな

おうえんしてたんだけどよ

わらえない冗談を言ったから無理

はなしかけて あやまろうとするたびに相手死ぬから

あやまるんだろうなと

つたえておいて 幽霊人殺し

AKB欅坂紅白でなかったし、乃木坂はなんか違う団体に成っていたし

まぁAKBとしては義務は果たしたんだなぁという感無量

anond:20210101101549

あるいみ、今年の紅白はこのへんじゃないっすかねー

というのに

じゃぁ、このへんでいってみますかーみたいな31日でした

坂本冬美紅白

なんか名曲であるかのように扱っている人が多いけど、要は「マンピーのG☆SPOT」と同じ種類の、桑田佳祐の悪ふざけソングだよね?

悪ふざけとして完成度が高く面白いのは認めるけど、普通に名曲であるかのように扱っている人が多いのがとても違和感

個人的には「こんな悪ふざけな曲を紅白坂本冬美に歌わすなよ(苦笑)」という感想しかなかった。

紅白みてない

去年も去去年も見てない

紅白観たけど

やっぱり自分の好み以外のものを観るって大切だなって思った。

今まで知らなかったけど好きになったグループも出来たし。

2020-12-31

TVを人とみてて、価値が合わなくてイライラする。

髭男見てて、「この曲知らんわー。」(チャンネル変えられる)

紅白東京事変を見てて、「ボカロ曲みたい。初音ミクが歌った方がいいよな。」って感想イラッ。

(いや。事変の方が先人だし。ボカロの方がインスパイアされてるし。)

YOASOBIを見てて、「ボーカルの人可愛くないな。」って感想イラッ。

(今年、散々夜に駆ける聞きまくってたやんけ。歌が良ければええやろがい。)

ガキ使を見てて、 「TKOの人何したん?」(説明する)「ふーん。そのニュース知らんとここ笑えないわ。(スマホゲーム)」

イラッ。

イライラするのは私のせいだろうか。

みんなTV見る時こんな否定的っていうか興味なさげに見るの?ならいっそ見なくて良くないか

からTVみたいって言ったんじゃないのになぁ💢

紅白が本当に存在しているのか分からない

幼少の頃は結構早めに寝かされる家だったので、大晦日に夜ふかしをした記憶がない。

中高生になった頃には、紅白に興味がなく大晦日普通にネットしてた。

大学生からテレビも所有しなくなった。

実家に帰る年もあるけど、大晦日の日だけはなぜか結構早く寝る。

からまれから一度も紅白を観たことがない。あるのかもしれないけど記憶にはない。

コロナ懐疑論者や地球平面論者のように振る舞うつもりはないけれど、自分にとって紅白は本当に存在しているのか半信半疑なところがある。

anond:20201231212920

あの乃木坂さん、紅白年末なんですけど、もうすこし、お金かけてもらえませんか?絶対的予算感の壁を感じるんですけど

みなゼンマイ仕掛けの機械のようだ

大晦日紅白ガキ使を見たり、学校の長期休業にボーリングカラオケに行ったり、人はなぜこうも形式的でつまらないことを繰り返す生き物なのだろう。

紅白

人生で初のたった一人の大晦日。43才独身女。

紅白みてたら泣けてきた。2021年頑張ろう。

anond:20201231183514

紅白だし1回目は初回特典でおまけしておいてやるよ どこでいうのかだけ

昨日のレコ大での豆柴の大軍の行動が批判されているけど、

あれを良しとする価値基準で作られたのが、今日の「ガキの使いであることは、

十分に留意されるべきだと思う。

かつては紅白裏番組と言えば、「ガキの使い」と格闘技しかなかった。

両方とも公共電波で流すべきではない低俗ものだ。

今年は格闘技フジテレビだけだけど、だからといって代わりのコンテンツも大したことはない。

年越しの過ごし方教えてくれ

ヤバイヤバイ!このままだとFate面白くもない特番見てやってもいないFGOの思い出話を死んだ目で聞いて年が明ける!

どうする?

紅白見るしか無いのか?

紅白

あんなつまらものを?

そもそも紅白見た後ゆく年くる年じゃん。

あの虚無を?

虚無で年越し?

マジ?

寝てたほうがマシ?

パプリカ」と嵐の「カイト」と米津玄師

アイドルグループ「嵐」2020年いっぱいで活動を休止する。最後テレビ歌唱12月31日の「紅白歌合戦」だろう。

おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソングキャンペーンタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。

本来ならば7月24日東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間一喜一憂しているはずであった。

嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。

また嵐自身活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。

そして国家総力を挙げた一大イベントアンセム日本トップアイドル記念碑を兼ねたこ楽曲トータルプロデュース制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である

まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。

合唱曲としての親しみやす

米津は前年にもNHKタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしプロデュースを行っている。

結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。

バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンス披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴出来事であった。

おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。

ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。

(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)

また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井ラップ二宮が上ハモ松潤が下ハモ相葉ファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。

カイトというモチーフ

なぜ米津玄師カイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体モチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。

同じくNHKテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。

これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである

地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナー冒険心を鼓舞する内容なのだ

対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である

さら面白いのはこのカイト最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。

まりカイトとは未来に向かって邁進する人間のもの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。

カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先から視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。

人は絶えず不安孤独に苛まれ瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイト手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分カイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以垣間見た気がする。

パプリカ」との関係

パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワード散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。

これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。

そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。

パプリカピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較甘味があること等で区別されている。ピーマン実像象徴とすれば、パプリカ子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカ花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れないである。僕の解釈では”パプリカ”もまた子ども次世代を見守りかつて子どもだった自分郷愁を寄せる歌である

よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。

カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。

パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。

これに加えて5人組の子集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。

 

カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカから託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。

そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます

様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂アイドルが抱えるドラマテック感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。

この物語徳島実家から独立ニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。

そして「カイト」はファンにとって嵐からの餞別でもある。

ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーコンサートテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズ存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。

オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的人間感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンス米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。

2020-12-30

リトグリの安牌具合は異常

カラオケが上手い娘で出来たグループくらいしか知らないけど、売れてるんでしょ?

毎年レコ大紅白出てるもん。

でもさー、全っ然曲知らないんだよね。

まぁ乃木坂リリースニュースも知らないけどね。

ただテレビはいっぱい出てるからレコ大とか取ってもいいけど。

前に家入レオインストアたことあるけど結構年配の人が多かったからそっちが支持層なのかなぁ。

anond:20201230164256

なんにもみない でも ゆーちゅーぶに だれかがあげてくれればみられる

紅白とか 数日遅れても みられるよ

anond:20201230094150

あと とりあえず 飯をたらふくくえ いいからくえ

いか栄養素を井の中に詰め込んでいけ

以上に コロナに対して有効方法があると思うなら紅白NHKにあつめて飯を食わせる以上の方法をどうか提案してください

anond:20201230093815

煮沸している鍋から直接配膳して即座に食う以上に、免疫学的に安全方法があるならおしえてください。たのむ。

紅白コロナだけはさけたい

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