杉田智和が眩しい。
眩しすぎる。オタクとしてきつい時代をすごしながら、それでもきちんと好きなものをオタクとして堂々と語れる。
そして、部分的にでもこういう生き方をしない限り、オタクには卑屈な変態としての道しか残ってなかったのだということも悟った。
いま現在、オタクを熱烈にバッシングしているクラスター、中年以上のこじらせたオタクしかいない。
アイデンティティを身内のdisで差別化していたオタクがオタクを叩いてるという状況だ。
でも、この光景は残念ながら卑屈極まる。
当然だ。
FGOやアズレン、にじさんじが共通語になって、水樹奈々は紅白の常連、LiSAの曲が全国どこに行っても流れてレコード大賞とっている時代に、「キモオタ死ね」なんて言って、それで「そうだねーオタクってキモいよねーw 萌え絵とか描いてるやつってキショイよねー」なんて言いながら「でも、俺はキモいことが分かってるから。分かってるオタクだから。俺だけは別枠で扱ってね」なんてポジションが成立するわけがない。
オタクだと職場でカミングアウトしても「ふーん。どのアプリやってんの? 俺、これ。フレンド登録する?」ぐらいの重さしかない。
そんな時代に、フェミぶって「セルオタは周回遅れ」「萌え絵はセクハラ」「オタクはネトウヨ」なんて言っても「お前はバカか?」で終わってしまう。
せいぜい、ネトフェミぐらいしか「そうだ。オタク文化は頭がおかしくなる」と同意してくれる人はいないだろう。
結局は、斜に構えて仲間を売り渡し、「俺はキモオタじゃないから。キモオタじゃないけれどアニメやゲームが好きな普通のオタク。良いオタクだよ、あいつらキモいよね―」なんてやってるポジションは蝙蝠野郎として居場所がなくなってしまうのだよな。
世の中は真摯に戦い続けてきた奴らのほうが結局は強かったのだということを示している。
こんな時代が来るとわかっていたら、「俺はオタクじゃない。ただゲーム好きなだけだよ」とか逃げる必要はなかったのだ。
結局、物を作り、好きなものを好きだと言い、仲間をdisって売り渡したりせず、感動を分け合ってる人間のほうが強かったのだ。
好きなものを好きだと言ってる真摯なオタクが結局は強かったのだ。
幾谷さんの話か?瀬川さんの話か?ヤマカンの話か?
過去の中年オタクに、堂々とオタクをやれというのは酷だったと思うが、いまはもういいじゃないかと思う。
別に隠れて趣味やってても良いけど、こいつのキモさは自分の好きすら信じられないとこやん
好きを貫いて日陰者を受け入れるでもなく、オタクのキモさを理解して成長するでもない 何年同じとこで立ち止まってんだ
お前のその理屈、フェミの唱える名誉男性と全く同じ理屈だぞ
元フルカツ書記長と噂のあいつが相も変わらずオタクの味方ごっこしてるが、どこか鬱々として見えるんだよなあ オタクを楽しむのも才能だし、若さなんだよ オタクの味方役か敵役かじ...
あの時代に正面からオタクをやるというのは難しか やっぱ?やはり?はやり?