はてなキーワード: 精神論とは
エアコンつけないとか、根性で耐えろとかそういう話ばかりだなー、これだから日本会議系と脳筋体育会系はと思ったら、コミケ中止すると言われたら嫌だろ?みたいな話すら出てきたのか。
いいからさ、クッサイおっさんのメンツでやってるものは全部やめてきちんとエアコンつけろや。あと、思い出したかのように、オタクに石ぶつけりゃ味方になってくれるとかいうのはお門違いじゃ。
常日頃、「物が売れない、これでは景気が回復しない」とか「景気刺激のため公共事業をバンバンやるべし」とか言ってる連中は、公立校のクーラー設置を全力で後押しするべきではないだろうか
猛暑がきびしい各地の小中学校の教室にクーラー設置してれば、電機メーカーも電機店も大儲けである
「公共事業の土木工事をやったって、儲かるのは大手ゼネコンだけじゃん」と言うと、「いや、土建屋に落ちた金が他に回り回って景気刺激になるんだ」と返される
だったら、金を落とす先が土建屋ではなく電機メーカーと電機店でも良いではないか?
しかも、需要はものすごく膨大にある、何百億、何千億の金が動くかわからない
普段「日本経済のため、みんなバンバン物を買え、消費しろ、金を使え」とか言ってる連中は、今こそ一致団結して公立校のクーラー設置を後押しするべきじゃね???
そうならない理由は何なのか?
30代半ば、軽度のクローンです。自分の場合は手術を受けていないので身体障害者手帳を取得出来ませんでした。手術をしてるかしてないかが分かれ目になるようです。
長年のうつ病もあったため精神の方で手帳を取得、就労移行支援を受けながら半年で就職しました。35歳でした。
この場合は身体障害者手帳を取得出来るのではないかと思います。
また、病気やご家庭の事でかなり悩まれ苦しんでいるかと思います。
心療内科には通院していらっしゃいますか?文章を読んでいるとうつにも該当するような気が。。。地域の健康課などで精神の手帳取得についても相談してみた方が良いと思います。お医者さんを紹介して頂く事も可能かと。
ここまで追い詰められていると心療内科に受診して精神でも手帳を取得しておいた方が良いと思います。メンタルのケアをする事でクローンの方も多少良くなる可能性はあります。
手帳取得して就労移行支援施設でExcel,Word,PowerPointの授業受けてスキル磨きましょう。
また、履歴書の書き方、ビジネスマナー研修、コミュニケーション研修など積極的に受講し面接時にアピールすれば仕事見つかると思います。
あとは第一印象がかなり大事なので髪を切って身なりを清潔にしましょう。
働き出してお給料が貰えるようになったら高卒の資格取りましょう。まだまだ若いのでチャンスはいくらでもあります。
それからMicrosoft Office Specialist(MOS)の資格も役に立ちますよ。
病気で大変だとは思いますが、むしろをそれを自らの武器にするぐらいの前向きさがあれば必ず道は開けます。
出来れば通信制の大学に入学したいとも考えています。ちょっと前まで無職で絶望して塞ぎ込んでたのに。
いやそもそも目ばかり肥えちゃって子供を産み育てる気のない男女が増えたのが原因でしょ
けど今時それを責めるわけにもいかないし、精神論でもってどうにかすることもできない
二言目には産みたいやつのサポートなんて言うけど、まず意欲がなければ意味がないし
だいたい小手先の支援なんかいつ取り上げられるかわからないのに、そんなものに頼って人生設計するのはリスクが高すぎる
あと何をやったってもう詰んでるんだよ
https://toyokeizai.net/articles/-/229405
あくまで第一義的な仕事(例えばバス会社ならバスの運行・コールセンターならお客さんとの折衝)に対して賃金は発生していて、感情労働そのものには値段がついていないことが多いんでないかと思う。
第一義的な仕事をこなすに当たって感情労働は当然提供されるべきスキル・手段(それ単体では仕事と言えない付加物)とみなされており、感情労働力の行使にはコストを要さないとされている、あるいはコストを要すということ自体認識されてない、みたいな。私自身の感覚ベースの話だけど、建前としてはそうなってませんかね?って感じです。身近な言葉で例を挙げれば「スマイル0円」だとか。
感情労働それ自体に値付けがされてないならば、その価値は低く見積もられがちなんじゃないでしょうか。
「そこは心構えの範疇だから、金銭的価値には反映されない部分ですよ」なんつって精神論の問題に持っていかれてそうな気がする。
暗示的に値付けされてる職種もありますけどね。コールセンターとか。時給高めなのは殴られ代(精神)が含まれているからなんでしょう。雇用側は「精神的にキツいから高時給です」とは言わないけど。
精神的負荷が高い代わりに報酬も高く、就職する方も織り込み済みの割り切り型職種ならともかく、ホスピタリティが主眼に置かれない(でも感情労働コストが大きい)職種はそれこそ“搾取”されやすいんでないかなーと思います。
また、感情労働の結果メンタルをやられても、そこに労働が介在してないとするならば、労働災害とはみなされにくいですよねってのもあります。
昨今の邦楽事情はてんでわからない。ロックの何たるかを語るだけの知識も素養も持ち合わせていない。だがしかし、一つの時代がまもなく終わる、と言っても過言ではなかろう。
来月をもって、チャットモンチーというロックバンドが「解散」する。本人たちは解散を「完結」と称している。当初はこの表現にうすら寒さを覚えた。なにカッコつけてるんだよ、脂がのってきたのになんで辞めちゃうんだよ、という憤りが先走り、サムいと思った。
それでも、彼女らの系譜をたどり直し、彼女らの音楽を改めて聴いてみた。すると、今回の件はまったく「完結」としか言い表せないこと、さらには「チャットモンチーは既に終わっている」としか解釈できないことがわかってきた。
チャットモンチーへの弔辞と、メンバーへのはなむけの言葉として、思うところをつらつら書いてみる。
昨年1月、松居大悟監督の映画「アズミ・ハルコは行方不明」を観た。地方都市の倦怠に呑まれながらも強かに戦う女子たち。その生き様を暴力的な鮮やかさで映してみせた傑作だった。大都会トーキョーで漂泊していた俺には特に身に刺さるところが多く、新宿武蔵野館で悶絶したことを覚えている。
この映画の主題歌が、チャットモンチーの「消えない星」だった。https://www.youtube.com/watch?v=EUin6rB1Yxw
”不安を言葉にかえて 言葉をくちづけにかえて 夜の永さ 見ないように 待つことにした”
チャットモンチーというのが、かように豊饒な言葉を紡ぐバンドだとは知らなかった。松居監督のオファーを受けて書き下ろしただけあって、女の子の儚さと逞しさを描いた映画を締め括るのにふさわしい曲であった。シビれた。
それからYouTubeでチャットの曲をザッピングし、程なく「シャングリラ」をヘビロテするようになった。
それまでの俺の中でのチャットのイメージは、「数多くの流行りのバンドの一つ」であり、言うなれば「あっち側」の存在として勝手に押し込めていた。おそらく、「風吹けば恋」の(表面的には)爽やかな印象が無意識のうちに刷り込まれていたのだろう。2008年だから俺が中3のときだ、この曲が制汗剤のCMに使われて流行っていた。
”走り出した足が止まらない 行け! 行け! あの人のところまで”
俺にはほぼ縁がなかったピュアピュアな恋愛に胸を焦がす、爽やかな汗が夏空に飛び散る、隣のクラスが運動会の応援歌に使う、スクールカースト上位層の女子たちがカラオケで歌ってやがる……
ここまで読んでピンときた方もいるだろう。中学の時分といえば、流行ものに必死に抵抗するイキった奴がクラスに一人はいたものだ。ちっぽけなアイデンティティーを保つため、そして劣等感を秘匿するために。そいつが俺だった。
ましてや小学5年以来の筋金入りの中島みゆき信者ときたら、もう手の施しようがない。ステージ4の中二病末期患者である。かくして俺はチャットモンチーなぞに目もくれず、ポータブルMDプレーヤーで「旅人のうた」を再生して感傷に浸るのであった。
それから10年を経て、チャットモンチーへの偏見が解けることとなる。件の「風吹けば恋」を聴いてみよう。のっけから衝撃的な歌詞である。
“はっきり言って努力は嫌いさ はっきり言って人は人だね”
スポ根とか精神論は俺が最も嫌うところだ。かつ、そんな奴らへの醒めた目線。メラメラやキラキラを放擲すれば、ひとまず自我は保たれるし、自我の肥大化に慢心もできる。しかし歌詞はこう続く。
“だけどなぜ窓ガラスに 映る姿気にしてるんだ? だけどなぜ意地になって 移る流行気にしてるんだ?”
そう、そうなのだ。「これでいいんだ文句あっか」と居直るには、まだあまりに青すぎた。情熱や栄光を諦めるには、まだあまりに若すぎた。後半の歌詞は、「多少無理してでも流行へのアタッチを試みる」とも、「意地張ってるけどやっぱり流行ものは気になる」ともとれる。いずれにせよ、羨望と嫌悪がないまぜになることはしばしばある。冒頭十数秒でこれほど揺さぶりをかけてくる音楽があるだろうか。
この葛藤をくぐり抜けた先に、前掲のサビが拓かれるのだ。故に、サビだけ切り取って堀北真希を先輩のところに走らせるあのCMは罪深い。「でもやっぱり」を捨象して、さも純情な青春ソングであるかのように仕立て上げている。
さて、資生堂への怒りとともに考えた。お前はどうなんだ。「走り出した足が止まらな」くなることはなかったのか?いやあっただろ!恋に恋していただけだったとしても、どうしようもなくどうしようもないことをしていた。肥大する自我に執着しつつも、何か圧倒的な他者の介入によって自我が瓦解することを待ち望んでいたのではなかったか?
ある種の歴史認識が転換された。勝手に頭の中で理屈をこねくり回してあの不可解な時期を言語化してるきらいは否めない。それを差し置いても、俺のパラダイムシフトを惹起するだけのパワーを与えてくれたのが、チャットモンチーだった。(自己史認識の転換を迫るという点では、「majority blues」も凄まじい。こちらは橋本江莉子作詞。“みんなと同じものが欲しい だけど みんなと違うものも欲しい” https://www.youtube.com/watch?v=xVi0jwNXe3A)
中学ン時、誰か無理やりにでもこの曲を通しで聞かせてくれる奴がいればよかった。チャットモンチーそのものはもちろんのこと、「風吹けば恋」を作詞した高橋久美子との邂逅がえらく遅れてしまった。
後に俺は、10年間のすれ違いをひどく悔やむことになるのだった。
読書という荒野 (NewsPicks Book) 単行本 – 2018/6/6 見城 徹(著)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07D9D1QVM/
今をときめく幻冬舎の編集者、箕輪厚介氏による自社の社長アゲの一冊である。
元々、箕輪氏は双葉社で勤務していたが、その頃に見城氏にアプローチをかけ、『たった一人の熱狂』という書籍を編集した。
その際に見城氏に見初められて幻冬舎に転職し、その後、数々のヒット作をつくる。
つまり、元々この見城徹という男は箕輪氏にとって恩人のような存在であり、本書はいわばその「黄金タッグ」とでも言うべき二人による共同制作本なのだが、悲しいかな、文章は読みにくく、何とも昭和臭の漂う精神論やモーレツ主義が垣間見られる何とも言えない言葉が羅列され、かつ見城氏の既刊とも内容の被りが多く新味に乏しい。
つまり、純粋な編集能力や書籍の質という観点から言えば、高く評価することが難しい一冊であり、手に取った多くの方が後悔することになるであろうと予想される。
それでは、なぜこれだけ話題になり、勢いよくベストセラーへの道を突き進もうとしているのか。
そして、どうして箕輪氏の手がけた本は次々と売れていくのか。
そこには、彼がホリエモンから学んだ一種の戦略(スキーム)が存在する。
箕輪氏は「箕輪編集室」(通称”みのへん”)という名前で、自身のコミュニティを持っている。
そのコミュニティでは、箕輪氏を慕う約1000名の会員が月額でそれなりの会費を集い、イベント等に参加し、そして箕輪氏が手掛けた書籍をいちはやく贈られている。
メンバーたちは、書籍が発売される前に予め本をもらい、読み込み(あるいは読まないでいる方もいるかもしれない)、そしてAmazonに一気に星5個のレビューを書きまくる。TwitterなどのSNSでも盛大に感想を発信し、あたかも「大波が来ている」かのような演出に貢献する。
他のレビューで、この本を「News Picksメンバーにだけ向けた内輪本」と表現されていた方がいるが、非常に的確な指摘である。そもそもとして、この書籍は第一義的には自前のコミュニティメンバーに読ませることを意識してつくられているのだから。
さらに、箕輪氏の周辺にいるファンなども早い段階でAmazonの予約を入れ、人気ランキングを一気に押し上げる。
かくして、箕輪氏の担当した本は世に出た瞬間に、恰も「超話題作」であるかのような堂々たる風評を追い風に、勢い良く売れていく。
書店も利益を最大化したいもの。初速が良く「売れている」本は目立つように置き、堂々と展開する。
そして幻冬舎お得意、特大新聞広告などの宣伝と一気呵成の大増刷である。数万部を世に送り出して、「大ヒット!!」という流れをつくっていってしまう。このあたりの既成事実の作り方というか、本の勢いの出し方と売り伸ばす力は幻冬舎という版元が誇る最強の武器であり、出版不況の中で確実に結果を出しているのだから凄いとは思う。
かくして、クオリティとは無関係に、書籍のイメージと評判は肥大化し続ける。
そして、「どうやらこの本、人気らしいぞ」という噂に釣られた方々までもが買い求め、そして多くは失望していくわけである。
こうした「売り方」最優先のテクニックに走った商売をいつまで続けていくのだろうか。
根本的な編集能力を磨かず、ひたすらに勢いと話題性だけに頼った本づくりは、どこまで寿命が保つのだろうか。
これから箕輪氏のつくった本を手に取りたいという方は、冷静に立ち読みなどを通して内容と、そのクオリティを冷静に見極めた上で購入されることを勧めたい。さもなくば、期待した分だけ失望も大きいかもしれないから。