はてなキーワード: 打たれ弱いとは
自分は割とよく泣く方だ、という人もいれば、自分は滅多に涙を流さないという人もいらっしゃるかと思います。
私は、人よりもすごくすごく泣くことが多いです。
そろそろ早泣き選手権の依頼でも来ないものかと思うレベルです。最近は特に、感情から涙腺へ頻繁に直行便が出ているように感じられるほど泣くことが多いです。
涙の数だけ強くなれるという割には、私のこの数えきれない涙は一向に私を強くしてくれそうにありません。
これから綴る無駄に長い私の気持ちの整理は、人によっては気分を害してしまうおそれがあります。
特に彼にガチ恋をしている方々、同ペン拒否の方々、お願いですから今すぐ読むのをやめてください。打たれ弱いので攻撃されたくないです。
アイドルオタクとして今自分に起こっている、所謂「ガチ恋」という感情を生々しく記録しておきたくて書き始めた長ったらしい独白です。
それでも大丈夫だという方は、ほんの暇潰し程度に流し見してください。
私と、ホシという1人のアイドルについて。
私の愛
クォンスニョン様
あの春の日から早数ヶ月、異例の暑さだった五月が過ぎ、日本は梅雨の季節を迎え少し肌寒い日や憂鬱な天気の日が増えてきました。
沖縄の天気は荒れているようですが
いかがお過ごしでしょうか。
連日の怠さと精神的負担に耐えきれず起き上がらなかった体を、布団の上に放り投げたまま、私は今日もまたあなたのことを考えていました。
何かを祝うことがほんの少し苦手で「それ」を言葉にすることをずっと避けてきた私ですが、あなたの23回目の誕生日に何も捧げられないのは、と思う気持ちを引き摺るので今日はもう少し向き合ってみることにします。
誰かを好きになるということ。
私にとってそれは決して珍しいことではなく、対象が身近な存在でもそうでなくとも繰り返してきたことだったのです。
ただ、人より感情の振れ幅が大きい私は「誰か1人」になってしまうことを無意識的に避けていました。どこまでも好きになってしまえるから。
そんな私のリミッターをぶち壊して、
いとも簡単に溺れさせて
足元すら覚束ないほどの「好き」の感情を
世の中には感情が淡白な人もいます。そんな方々からすれば全く理解できないことかもしれません。
それでも私は今、
どうしようもなく「あなたしかいない」という自分の心の叫びに鼓膜を震われるように、
溢れる感情に日夜きりきりと心臓を追い詰められるように、苦しい日々を送っています。
先日のショーケース、双眼鏡を忘れてしまった私は久し振りに、あなただけに囚われることなく13人を見つめる時間を得ました。
私は自分が思っていたよりもずっと、あなた以外の12人のことを大好きでした。
きらきらと眩しく胸を打ち、圧倒的に惹きつけられ視界は潤み、私は思いました。
嗚呼これだ、私が愛しているのは。
私が愛している「アイドル」という概念はこういうものなのだと。
この眩しさをただ一心不乱に追いかけ、その幸福感をめいっぱい享受することができたのでは、と。
私はアイドルを愛しています。アイドルという存在を、概念を愛しています。私が愛しているのはアイドルなのです。
まっさらな気持ちで見詰めることができないのが酷く悔しい。素直に応援できないのが情け無い。
どうして恋なんてしてしまったんだろう。
好きという感情は行き過ぎればただ呼吸を妨げ己を苦しめるだけだということ。
好きという感情は人を生かしも殺しもするということ。
今の私は間違いなく異常でしょう。
然し、可笑しな話ですが私には、
恋をした相手がたまたまアイドルだっただけ、偶然、生まれた国も文化も違う人だっただけ、
などという風に思えてしまうのです。
アイドルが好きな者としてアイドルのあなたをただ追いかけたいだけなのに。
我儘な心はあなたの隣に立ってみたいと嘆き、あれだけ大好きだったコンサート中でさえ己の醜い感情に絶望し、呆然と涙を流してうまく息が吸えなくなってしまう。
目を背けたいのに見つめていたい。
「好きすぎるから嫌いになりたい」
叶わない夢を見て苦しむのはもう
今度こそ、今度こそは、終わりにしたい。
もうやめよう彼を好きでいるのは。
食事も喉を通らない、まともに寝付けない。胃痛と頭痛はひどくなる一方。
彼を好きでいることをやめなければいけない。
このままじゃ私の命が枯れてしまう。
報われることのないこの日々はいつ終わるのでしょうか。
ねえ、ほしくん、すにょんくん。
私すにょんくんの全部が好き。
どんなすにょんくんでも好き。
例えばすにょんくんが世界中から嫌われて否定されても私はすにょんくんが好き。死ぬならすにょんくんに殺されたい。すにょんくんのために死ねる。
すにょんくんが私の心臓を握ってるの。
こんなどろどろした気持ちでいっぱいで
わがままばかりでごめんなさい。
出会えてよかったと心から笑えるようになるから。それまではどうか
あなたに恋をしたまま生き延びることを許してください。
母国語が違うということ。
私が思うに、誰が何と言おうとそれは、
お互いの言葉をそのまま何のフィルターに通すこともなく受け取ることが、生まれてから死ぬまで一生不可能だということ。
普段言語に関わることを学んでいる私にはその事実が特に重くのしかかります。
私はあなたの言葉を「聞いて」みたかったし、私の言葉を「わかって」ほしかった。
もちろんあなたの言葉を少しでも自ら理解する努力を怠りたいわけではないけれど、翻訳された言葉は、私にとっては代替品に過ぎなくて、それが悲しいのです。
もうこの世に私がこうして生まれてしまった以上これは致し方ないことだから
一生伝わることのないこの愛をここに記します。
すにょんくん、
と、
愛に満ちた光に包まれるあなたをこの瞼の裏に蘇らせ反芻しながら、笑顔で帰路につきたい。
喜びの涙を流したい。
隣国の片隅より愛を込めて
https://togetter.com/li/1289803
これ。
「『私はパートをして家計を支えるのを手伝うよ』と言う女も叩かれるぞー!」と言ってる男が多いけど、
パートなんか働いてるとは言わない、そんなの専業主婦と同じ、で専業主婦志望女はゴミ、ってごくごく普通に言われる事だし。
共働きなら家事分担しよう、って場合の「共働き」は「妻も正社員」と言う意味であって、
フルタイムだろうがパートだと(「フルタイムなパート」って本来は矛盾してるんだが)専業主婦と同じ、
正社員でなければ共働きとは言わないんだから女が全部家事やるのが当然、と言われるもんな。
何で女だとそれが許されてると思ってるんだろう。普通に袋叩きにされてるのに。
むしろ、何で「家事を手伝うと言う男は地雷」って言説にここまで男が反発するのか分からん。
女だと家事やるのは当たり前、正社員として働くのも当たり前、子供産んで育てるのも当たり前、どれか一つでもやってない女はゴミ、
って言われるのは普通だしそう言われていちいち傷ついてたら生きていけないよなあ。
男は仕事が忙しいから家事育児なんか出来ない!ってのも、女は同じ仕事をしていてもそんな事言ったら袋叩きだよ。
一昔前なら男なら許されてたけど今は男だからと言って許されない、女が普通に言われてる事を男も言われるようになりつつある、ってだけだろうに
何で「女は言われてないのに男だけ言われる」と言う被害妄想に陥るんだろうか。
完全な匿名掲示板とかアカウント制匿名とか掲示板って色々あるけど、増田民って一際打たれ弱さが目に付く。もう毀誉褒貶のどれを付けられてもこれは俺が言ったことだ俺に言われたことじゃないって異常な自己暗示しながらトラバ消す奴とか、誤字指摘されると全レスしちゃう奴とか、俺の専門分野はどっちかといえばこっちだからね~って予防線張ってそっちに踏み込まれるとパニックに陥って泣いちゃうやつとか。
ぶっちゃけネットバトルなんか都合の悪い指摘をスルーして自説を唱え続けて反論の穴を突き続けてればそのうち勝つのに、それができないのが多くない? お前らはなんで増田を選んだの? やっぱなんか増田民独特のソフト・スポットがあるの? 俺もあると思うんだけどさ、なんなんだろうね。
今日もSNSを眺めていた。ADHDプログラマの人が書いたはてなブログが流れて来た。
http://simplearchitect.hatenablog.com/entry/2018/07/02/080248
読んだら涙が出てきた。
私もADHDと診断されて、プログラマのようなことをやっている。ブログの人は47年も生きて働いているけれど、私はその半分も生きていない。共感したなんて言うのもおこがましいのだが、一つ一つの事例が胸に刺さった。
遠くから見ていると私は何かが出来てるように見えるかもしれないが、冗談抜きで人の3倍ぐらい時間をかけないと成果が出ない。しかも、中途半端にしか完成しない。
小学生の時、自分は人の3倍時間をかけないとモノにならないことに気づいた。すぐに身につかない絶望感から目を逸らすために、今日の努力は3ヶ月後に力になると自分に言い聞かせた。それなりに聞こえのいい国立大学に入ったけれど、それは他人の3倍勉強したからと自負しているし、実際、合格最低点とコンマ1点まで同じ点数の滑り込みだった。
同僚がバケーションを楽しみながらも、効率よく色々なものをマスターしていくのを横目に、自分は時間がずっとかかり、しかも中途半端。
新卒でプログラマに就職した。俗に言う文系プログラマというやつだ。慣れない土地、見知らぬ言語、慣れない人たち。研修が終わったら、本社に帰社して短時間の業務をする。日誌を書き、添削を受ける。帰って次の日の予習。1度で理解できないため、ノートにまとめて、単語帳をつくる。朝は起きれないので、夜のうちに次の日の服と荷物を用意する。最初の3ヶ月は本当にパンクしていた。毎晩お風呂場で寝落ちしそうになり、浴槽から這い出て洗い場で仮眠していた。
先日プログラミングの技術調査をして、サンプルコードを書こうと思っていてパソコンに向った。やりたかった事は、たった1つのAPIの検証。しかし朝7時から初めて気づいたら15時だった。しかも、終わっていない。ADHDの私が昔から何回も体験した感覚。いつもながら自分にがっかりする。自分が知らず知らずに無意識にやってる見積りでは、「2時間ぐらいでできるかな。余裕を持って」だった。しかし、いつも私の考えている見積りは大幅に遅い方に間違うのが普通だ。
未だに時間の見積もりが上手くできない。優先順位も上手くつけられない。遅れているのがわかっているのに、追い詰められるほどに助けを求められなくなる。何度も何度も同じことを繰り返し、毎回自分の首を絞めたくなる。絶望。
ほかにも、大事なコンクールの時に限って遅刻したり、いつの間にか部屋の足の踏み場がなくなったり、前日に用意したはずなのに忘れ物をしたり、形式の変わっていない勤務管理表を今も書き間違えたり。
ADHDだと言われてから、まだ1年も経っていない。言われるまでは、自分がそうだと思いもしなかった。みんな同じようにミスをしたり苦しかったりする。だからこれらの出来事は、全部自分の集中力が足りないからだと考えていた。
「ADHDの人の一番大きな特徴は、よくミスをするとか時間を守れないということではなくて、その回数が他人より多いことによって自分を責めてしまって、他人よりずっと打たれ弱いことだ」。
思い起こしてみると、もっとも大きな問題は「最初に思ったことと、関係ないことを大量にしていること」だった。ちなみに、次点は、「何かを調べているうちに、前にやっていたことを忘れる」だった。
ストラテラを飲みはじめる前は、起きている時間の8割は、自分が今していること(例えば歯磨きとか)、別のことを複数スレッドで考えていた。そのうちいくつかのスレッドは、過去に自分が失敗した出来事で、もうどうしようもならないのに何度も何度も自分を責めた。
心療内科に行ったのは、仕事に追い詰められて眠れなくなったため、家人の通っているクリニックを勧められたから。鬱になって不眠気味だから、薬で眠れるようになったり休めるようになればいいな、と思ったからだ。
病院で先生に「ADHDだね」と言われて、帰ってその特徴を調べた夜、寝る前にベッドで大泣きした。
苦しい思いをしたとき、精神力が足りないからだって自分を責めなくていいんだ。脳の特徴だから仕方なかったんだ。薬を飲めば、治る病気なんだ。
いまは家人と可愛い猫たちと一緒に、「無理しない」「健康になろう」をテーマに生活を立て直している。ADHDについて調べたとき、「まんま君のことじゃないか」と言ってくれた家人でも、よく分かっていないんだな、とたまに感じることがある。
親にはまだ言っていない。家人が「君が分身したみたいにそっくり」だという彼らも、きっとADHDなんだろうな、と考える。離れて暮らしているから、言わなくても生活はまわるし、できれば一生言わずにすめばいいと思う。
弟たちには、機会があれば言ってみようと思う。私以上に不器用な彼らが、そう望んだとき、少しでも生きづらさを減らせるように。
タスクリストは前からつくっていけれど、ついタスクリストを無視して動いてしまうことが多い。前日までに荷物を用意したり、他人の3倍練習できるようになったのは、繰り返した失敗と後悔の日々から身につけた私の処世術。
久しぶりに風俗に行った。
何をしてるのか何をして良いのかわからなくなった。
もちろん、裸の女子が横にいて、チューしたりおっぱい揉んだりちんこ揉まれたり、
僕がしたいことは当たり前のようにしていいんだけど、
おっぱい触るのって異常じゃないかとか、キスをしたいとかキモいんじゃないかとか、
立体裏裏ビデオにしてもらって、自分でちんんこぐにゅぐにゅして、
女子に
「Sですか?」
「バリバリSよ!」
「バカにするようなことを言ってもらえませんか」
「どんな?」
「可愛い女の子が裸で目の前にいるのに、何自分でしてるの。みたいな」
「わかった。ねぇねぇ、はやくおちんちん大っきくしなさいよぉ。おっきくして私の中にいれてよぉ(入れてはいけないお店です)」
「(ぐにぐに…)。どうも打たれ弱いみたいで、凹みました…」
「うふふふふふ。だめじゃん。」
気を取り直して、中学生のおなにーごっこみたいなのをしたら、
ちんこをいれるわけではないので、大っきくならなくても焦りませんでした。
異動先のおばさんにいじめられた。
・書類を隠す
・申し送りノートを私だけ見せてもらえない、
・あいさつしても無視→のちほどみんなのいる前で「あいさつくらいちゃんとしてよ!」と叱られる
・バレンタインには何も持ってくるなと釘をさしてくる→おばさん一人でみんなに配って「最近の子は気が利かないね」
・ファブリーズをかけてくる
・私の顔をみて「育ちってほんと大切だよね。育ちが悪いのは親が悪いんだよ」(なおおばさん独身で子なし)
そんなこんなで気づいたら半年くらいで死にたくなってた。
そこから逃げるように仕事を辞め、以降ずっと派遣社員で働いてる。
人間不信になって、今でも人が信じられないしフラッシュバックして朝泣きたくなる。
逃げぐせがついたのか派遣先でも怖い人がいるとパニックになって
なかなか続けられない。
コールセンターで、マニュアルもあるし属人化してないので働きやすい。
できることなら一生ここで働きたいけど、正社員への登用制度がない。
そして、お給料が異常に安いのだ。
よくよく考えたら、生活が苦しい。
おばさんのいじめから自分を守るために、すぐ忘れようとする癖がついてしまったのだ。
悪いことだけならよいのだが、良いこと、大切なことも忘れがちになってしまった。
こんなんじゃ、ほんとに働けない。
一生派遣なんて、無理。生きていけない。
死にたさがなくなってきたのに、生きていけないのつらい。
去年の夏ごろから意識をし始めて、夏は1デーのインターンに行ったりしていた(選考があったところは全落したので)
1留かつ単位も残ってるのもあってこんな状態じゃ就職厳しいだろうなと半分パニックになってたら
結局ESも自己PRもまともに書けず、学校の方も留年は免れたけど4年にも3授業分単位が残ってるような状態になってた
3月に入ってからは、あらかじめ就活サイトの方で目星付けてた会社の説明会に行ってたりしたんだけど
満員だったり、行ってみたい説明会がバッティングしたり体調崩したりして結局週3ぐらいでしか動いてない
三週目あたりからはテストセンター行ったり無理やりひねり出して添削も受けてないようなES出したりしてた
それでも筆記で受けた所はパスしてたし、本当に読んでいるのか怪しいようなESも通ったりする
(まだ大きい企業は受けてないからかもしれないけど てか多分そう)
そしてこの1,2週間は面接をいくつか受けてきた
とにかく緊張で何も言葉が出てこなかった 慣れれば大丈夫 なんて言うけど多分自分は何回やっても無理そう
そもそも友達もいないしバイト以外では声も出さないような人間だから即興でなんか言えといわれても頭がフリーズしてなんにもでてこない
自分でも不十分なのがわかるESの粗を突かれるわけでもちろんしどろもどろの返答しかできない
付け焼刃でテストセンターのついでに志望分野に関連する資格を取ったけど(インターンで知ってはいたけど)なんの意味もない
このまま秋、冬までずるずると就活する自分が割とリアルに浮かんだ
しかも自分が死亡している業界が割とブラックなのもあって大企業にしがみつこうと思ったら6月までには決まってないと厳しいとも言われたのもあってパニックが炸裂している
ここまで文章を読んでもらった人にはわかって頂けると思うけど文章能力もなければキャパシティ、コミュニケーション能力もない
大学も指定校推薦で入った(めちゃくちゃ後悔してる 自分みたいに社交能力がない奴が入ると自力で解決できなくなるし受験の禊をしてない分打たれ弱いなって自分でも思う やめた方がいい)
さんざん就活の為に動く時間はあった けどバイトだったり授業だったり既に不利な立場にあるってところで真剣に向き合うのが怖かった 言い訳しかできない
一昨日、まともな会話にすらなってなかった面接の後に会社最寄り駅の桜を無になってみてたら涙が止まらなかった
桜を見て泣いている就活生っぽい人がいたら花粉症がさく裂しているだけなので宗教の勧誘とかは辞めてください
今日はweb系のところで未経験可、入社前から研修付の所を見たりして
ESに作成物のリンクがあったので大学の授業で作ったC++の簡単な数値計算のプログラミングを無理やりほぼやったことないjavascriptで書き直したりしてた 楽しい 大学情報系にすればよかった
どうなるのか メンタルがすり減り引きこもりorニートになるのか
わかり次第追記します
とある若手俳優が大好きで神様のように崇拝してきました。性格からなにから全てを。1年と半年くらいそれが私の精神の支柱、正しく生きるためのすべてだった。
そうして生きてきて急に、なぜかは分からないけれど心を壊した。大好きな俳優のことも、舞台や映画を観ることも全く楽しく感じられなくなり、そんな自分が情けなくなりエンターテインメントに触れると悲しくなって希死念慮が湧く。そんなどん底の状態を過ごして精神科にかかり、今は少しだけ回復しているところです。
完全回復とはいえないけれど少し落ち着いたいま、ぼんやりと辿り着きました。推しを崇拝するのをやめる。
精神科で言われたこと、自分の人生について、周りの人々について、俳優界隈で起きた事件についてのこと、いまの芸能界の情勢のこと もろもろ考えてわたしはもう推しを崇拝するのやめる。やめます。
決して私の中での推しの価値が下がったわけではないし彼の仕事に対する熱意も考え方もパフォーマンスも性格もすべて尊敬してる、尊敬してもしてもし足りなくて崇拝する、神様のように崇めるという結果になってしまってたわけなんですけど私はそれをあえてやめます 心を断ち切る
なぜかというと私が彼を神様みたいに崇拝することが逆に彼にとって失礼なんじゃないかと思い始めたから。彼は神様じゃない 神様じゃないのに弱い人間である私が精神のよすがにするためにブログを読んで、パンフレットを読んで、演技を見て、ご神託のようにありがたがって泣くなんて彼にとったらどれほどの重荷だろうと(決して彼はわたしの心の内を知ることはありませんが、精神世界においての話なのです)ぼんやりと絶望してしまったからなのです
推し俳優を神様のように尊敬して人生の指標にするという生き方はとても有意義で現代的で素敵なことだと思うけど、それは精神の正しい人に許されることであって、私みたいな何かに依存しないと生きていけない、心が非常に打たれ弱い人間にとっては命取りになりかねないなぁとも思いました。推しに失礼だからとかなんとかぬかしたけど結局は自分の精神と人生のゆくえを危惧して保身のためです。みみっちい考えだけど
なんか担降りする人の文章みたいなっちゃったけどこれからも変わらず推しが大〜好き!!!舞台は変わらず観にいくつもりでいます ただ今までと違うのは、彼の文章を隅々まで読んで聖書の進言のように心に留めておこうとしたり演技とか彼の美しさについて過剰反応したり(これはすごく難しいことだと思うけど、本当に輝いているから)彼のお仕事の成功が自分の人生の至上の喜びだというまでに感じることをやめること 感受性をちょっと鈍くして好きでいたいなぁと思う 私は彼の演技やパフォーマンスが大好きでちょっととぼけたようなところがあるけどストイックな性格がすごくいいなぁと思ってるいちファンであるだけ。そういうライトな気持ちで舞台に行けたらなぁと思うと心が軽くなっています。