はてなキーワード: 打たれ弱いとは
やあ、久しぶり、ふと思い立って君に手紙を書きたくなった。元気かな?元気じゃないよね、絶賛学校に行きたくない感じだよね。クラスメイトからの心無い言葉で気持ちも髪型も滅茶苦茶だよね。あ、髪型は元々だったね。
僕は今年27歳になるんだけど君に残念なお知らせが3つあるんだ。
1つめは、髪の毛を毛根から変える技術はまだ出現してないってこと。無根拠に思ってたよね「俺が20歳ぐらいのころにはそういう技術が出てる」って。残念ながら君のいる時代から14年たっても出ていないんだ。でも縮毛矯正は傷みにくくなったし、良いアイロンも出てるよ。あっ、君はまだアイロンの存在を知らないよね。ヘアアイロンっていって髪をまっすぐに伸ばす器具なんだけど、来年あたり君もつかい始めるよ。でも、君の連珠毛の酷い縮れ毛と多汗症と不器用さで大して使いこなせないんだけどね。関係ないけどハゲの治療は進んでるよ。毛髪再生治療の実用化を2020年頃までに目指してるんだってさ。凄いよね。
2つめは、君は14年経った今でもこのコンプレックスから脱却できていないってこと。君は来年から縮毛矯正をかけ始めるんだけど、それが手放せなくなって14年立った今でもかけ続けているんだ。吃驚だろう。そして君は最近人の目がとても気になるようになってきたよね。君はクラスメイトから髪質をいじられ、心無いいじりで笑われ、だんだん人と一緒にいることが辛くなってきたよね。コンプレックスのせいで無駄に人の目につくようになったよね。遺伝要因と環境要因で君はSAD(社交不安障害)をこじらせるようになるんだ。27歳の男が未だに中高生の笑い声が聞こえる度に嫌な気分になり動悸がするんだよ。未だに人の目が怖くて怖くてたまらないし、人付き合いを避けてるんだ。そうすることが心の平静を保てる唯一の方法なんだ。悲しいけど、14年後の君はこんな情けない姿になっているんだ。
2つめの時点で察しがついてるだろうけど、3つめは未だに彼女いない歴年齢なこと。高校生にもなれば彼女できるって思ってたろ?吃驚だよね。あ、そうそう、高校には無事進学できたよ、近所の馬鹿高校なんだけど先生から「受かったのが奇跡」って言われたぐらい中学卒業時の君の成績は酷いものだった。君は高校生になると3か月に1度のペースで縮毛矯正をかけるようになり縮れ毛を積極的に隠すようになるんだけど、君が高校に上がる頃には既に性格が暗くなっているんだ。昔みたいにヘラヘラ笑ってると心無いいじりの対象になってしまう恐れがあったからね。だから髪質を馬鹿にされることはないけど、髪質に怯えるようになるんだ。「〇〇君って矯正かけてる?」ってクラスメイトの女の子に見抜かれた時の恐怖とパニックは、きっと君と僕にしかわからないよ。縮毛矯正のお陰で、君はグロメンから雰囲気フツメンぐらいにはなれたんだ。そのお陰で好意を持ってくれてる女の子は2、3人居たみたいだよ。でも、この頃になると君は彼女欲しいなんて余裕はなくなるんだ。女の子やリア充(今の時代では陽キャラっていうらしいよ)の笑い声が凄い怖く感じるんだよ。「キモい」って言葉がすべて自分に宛ていい放たれてる気がするんだ。いや、実際何度か言われてるんだけどね。教室にいるだけで挙動不審になるのを隠すのが精いっぱいなんだよ。君はこれから先ずっとずっと、人の目に怯え、自信を得ることも承認欲求が満たされることもなく、擦り減りながら生きることになるんだ。あ、君は卒業間際女の子に告白されるんだけど、君は自分がどういう行動にでたかわかる?振っちゃうんだよ。何故かっていうと「天パがバレて嫌われるの怖いから」だよ。だって、子供にも遺伝するしね。髪質にいい思い出なんて何一つないもんね。
悪いことばかり書いてごめんね、さらに悪い事を書くと、僕はこれから先の君に対するアドバイスが何一つ浮かばないんだ。坊主にすれば髪と無縁の生活が送れるけど、おそらく君には髪への強い拘りが深層心理に隠れているんだと思う。だって、髪に本当に無頓着なら坊主にしてるもんね。まあ、面長で壊滅的に坊主が似合わない顔っていうのもあるけどね。ちなみに僕は今、縮毛矯正をかけたり、短髪の時はハードジェルで固めてパーマ風にしてるよ。それでも酷い縮れ毛だから、パンチパーマみたいになっちゃうけどね。
君はこの先髪について思い悩むだろう。家族からは「髪ぐらい」といわれたから周りに相談しようにもできないないし、解決の糸口が見当たらないんだよね。どう頑張っても毛根から直毛が生えることのない君は学習性無力感に陥る。14年経った今の僕は、お世辞でも「良い大人」とは言えないし、「体だけ大きくなった子供」みたいな感じなんだごめんね。精神的に酷く打たれ弱い27歳になってしまったんだ。正直周りから「社会のクズ」って言われているような、そんな生き方を今は送っている。けどね、君はこの髪のお陰で一つだけ良い長所を身に着けたんだ。それは「他人の容姿を絶対に馬鹿にしないこと」なんだ。君は普通の人よりも自分の容姿でひどく悩んできた。だから自他の容姿にとても敏感なんだ。これから先、君の身の回りの人が他人の容姿を笑うことがあるけど、君はその流れに乗っからない人間だよ。ちっぽけなことに聞こえるかもしれないけど、それは立派なことだし、今の君だからこそ学び取れることなんだとおもう。近所の顔に疾患があるおばさんがいるよね?一昨年亡くなっちゃんだけど、生前に分け隔てなく挨拶してくれる若い子は近所に君しかいなかってっ言ってたよ。学生のうちは辛い思いばかりしたけど、君のボロボロになった感性は微量ながらも誰かをちょこっとだけ幸せにできる力をもっているんだ。
正直、今の君は生きててもしんどいだけだって思ってるよね。ネックにならない普通の容姿に産まれたかったって思ってるよね。僕も未だに酷く息苦しさを感じたりするんだ、この齢で情けないよね。僕は君のことを救うことはできないけど、今なら君の心がわかる。誰も君の辛さを理解してくれないけど、僕は理解できるよ。
今日、電車で君にそっくりな髪質の中学生を見たんだ。暗い表情と自信のなさげな猫背と制御不能な剛毛連珠毛の縮れ毛は紛れもなく中学1年生の僕だった。君がこれを読むことはないだろうけど、世界で少なくとも僕だけは君の気持がわかるよ。
体罰と言うのは極端な例ではあるが、同調圧力や無意味なルールの強要などの厳しい教育を経験していない子供は社会では通用しない。
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これは事実だと思う。
しかし数年社会人やってきて気づいたのだが、そもそも間違っているのは社会の方だ。
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「無意味な厳しい教育」と言うのは、理不尽な社会に適応させるため洗脳みたいなものだ。
それで良い社会が維持されるというのであれば洗脳だって良いだろう。しかし、この洗脳は社会にマイナスの影響を与えているとハッキリ言える。
この洗脳のせいで多くの会社組織は硬直化し競争力を失っている。明らかに日本経済にマイナスだ。
30近い人間の言うことと思えないが、リアルに困ってるので教えて欲しい。
自分は空気があまり読めず、読めないが故に無礼な発言や過剰な発言が多い。KYなんて可愛いものではなく、基本的発想が自己中心的で無神経の域だと思う。
自己中の自覚はあり、人を不快にさせる発言を改善したい気持ちもあり、微々たるものだが改善してはいる。指摘してくれた相手には感謝しかない。
自己啓発系の本を読んで、失敗も経験といった考え方や、落ち込まないように抑制すると逆効果だからX時までとことん落ち込むと時間で区切る方法を学んだ。
「何で自分は言う前に気づけ無いんだ」と自責して終わりにせず、「これが駄目だったのならこう変えよう」と改善に繋げられるようになった。
なのに「またやってしまった!」と気づいた時のショックだけが脂肪みたいに蓄積して困っている。
もう改善策も見つけて実行できて同じケースでの失敗はしてないのに、ふとした時にショックだけがフラッシュバックしてくる。
昔は「何で自分はこんなに馬鹿なんだろう」って心中で落ち込むだけだった。
次にやけ酒・やけ食い、もしくは1日まったく食欲がわかないの、食欲の両極端化が起きた。
二年くらい前からトイレの個室の方にこもって泣くようになった。家でも職場でも外出先でも一旦泣かないと立ち直れなくなった。
蓄積と悪化を顕著に感じている。
仕事と給与は適量で、人間関係は会社全体で良好なホワイト企業だと思う。特に上司には恩義を感じている。
どんなにムカついても見捨てないでくれる古くからの親友もいる。
家庭環境に特筆点はなく、両親共に健在で、社会に出てから感謝することも多いのでしっかり育ててくれた良い両親だと思う。
自身の外見は上中下なら「下」だが、幸い特徴的部位はなく、いじめの対象となったことはない。
彼女や親友は、遊んでる最中に自分が唐突にトイレにこもり、目を赤くして帰って来たら心配し、話を聞いてくれる。励まし、慰めてくれる。
悩みを打ち明ける相手がいないことはない。
上位3位は就寝前、入浴時、調理時。主に脳内が「無」の状態の時に起きやすい。
なので、気の置けない相手との雑談の合間や、慣れている仕事を行っている際も上位に入る。
圧倒的なのは就寝前で、暗い部屋でいい歳した大人が泣いていると、思考がマイナスに寄ってしまい、蓄積されていたショックが増幅して帰ってくる。
睡眠時間が削られるのも困るが、頻度は低めでも仕事中にも起きてしまうのが本当に悩みどころだ。
就寝前のフラッシュバックで不眠気味になり、仕事に影響が出たので、精神科を受診した。
不眠症の傾向があるとは診断されたが、うつ病の傾向は見られないとのことだった。さもありなんと思った。
フラッシュバックが起きていない時は、70まで生きれるとしてもあと40年余りしかないことを悔やむほど楽しく生きている。
だからこそフラッシュバックが起きる意味は皆目見当もつかず、また発生時の自分の落ち込み様にも理解が出来ない。
睡眠薬は処方してもらったが、嫌なことを思い出さずに入浴できる薬などあるわけもなく、現状はできるだけ脳を「無」にしないことしか対策がない。
そんなの交通事故防止に対し「注意して運転しましょう」と言うだけのようなものだ。
軽減はできても根治はできない。
顔が見える相手だと緊張してしまい、3回受けて3回とも効果や収穫はなかった。
「小さいことは気にしないようにしましょう」と言われ、それができないから受けているのにとがっかりしただけだった。
学生時代には、まだ自分が精神的に幼く、叱られた経験も少ないから強いショックを受けるだけで、大人になれば緩和されると思っていた。
今でも叱られるのがとにかく怖くて嫌だ。
経験として成長に繋がっている実感があっても、「怒られてしまった」というショックの蓄積はなくならない。
新たな注意点の発覚(によるショック)が怖いので、職場の昼食時の雑談などには入らなくなった。
幼少~少年期は腕白で、乱暴な子だったように思う。滅多に叱られない優等生では決してない。
もしかしたらその頃から蓄積されていて段々臆病になり、今、「死にたい」まで到達してしまったのかもしれない。
だとすれば自分は生まれつき異常に打たれ弱く、それは一生改善されることがないのだろうか。
積もり積もって「死にたい」が「死のう」になり、本当に自殺したら、自分としては残念ではある。まだ「こち亀の最終巻を読む」しか夢を達成できていない。
でもフラッシュバックは本当にいつ来るか分からないので、例えば彼女と買い物に出てる最中に「死のう」に到達するほどのフラッシュバックが起きたらと思うと非常に怖い。
自分は死にたいなら死ねばいいが、真面目な両親や、責任感の強い彼女にはどんな迷惑をかけるか分からない。
常日頃から自殺の二文字が頭に浮かんでいるならまだしも、現状では「人生楽しい」という時間の方が長いので、いつ死んでも良いようにと孤独な状態を作り出すことはできない。自分勝手だが。
それでもいつかポーンと自殺してしまいかねないと怯えるほど、フラッシュバックとショックの蓄積が怖い。
これだけ長々と書いたが、そう言えばまだ先週叱られたことを書いていなかった。
女性メンバーが自分はデブだからモテないと自虐ネタを入れて来たのだ。
過去に似たようなケースで「太っているより痩せている方がモテやすくはある」と返したら叱られたので、女性の自虐ネタは否定するのが正解なのだと思っていた。
「別に太っていると思ったことはない」といった旨を返すと「嘘だ~w」というレスが来た。
会話の雰囲気やスタンプから向こうも会話に乗ってきてくれているのだと思ってしばらく会話していたら、後ほど別のメンバーから個別LINEで指摘が来た。
「軽く終わらせて欲しい自虐ネタを、稚拙な嘘でフォローされて、長々とそのネタで会話を継続されると精神的に辛いものだよ」といった内容だった。
時を置いて読み返してみると、たしかに相手の女性からは早く会話を切り上げたい雰囲気が漂っていたし、他のメンバーからも会話をやめるようヒントが飛ばされていた。
自分はむしろ相手の女性に、女性として十分魅力的であるとフォローしていたつもりで、良いことを言っているつもりだった。
冷静になってみたらただのセクハラだった。
ただこれだけだ。
自己中が、女性の前で格好つけたかったものの、ただ空回りしただけだ。
「気をつけよう」で終わらせていい話だし、すでに「自虐ネタの対応は、自分のような人間にはまだレベルが高いので、もっとコミュ力が高い人に任せ勉強させてもらおう」と改善案を自分の中で明示した。
もう一週間も前の話だ。
なのに今日会社でこの一件を指摘された時のショックがフラッシュバックした。
急に心臓が圧迫されたような感覚になり、トイレの個室でひたすら「死にたい」と呟いた。
こんなに死にたいと思ったのは初めてだったので驚いたし、怖くなった。
前回のフラッシュバックの時は、死にたいとは思ったが口には出さなかった。
今回は呪詛のように呟いていたので、いよいよもって危険だと感じた。
まとまりがなく、長々とすまない。
皆はどうしてるんだ?
こんなフラッシュバックは起きないのだろうか?
ここまで読んでくれた人がいたなら、まずは貴重な時間をありがとう。
異常に打たれ弱いと言っておいて説得力もなにもないだろうが、このフラッシュバックを根治したいので、何かあれば是非教えてほしい。
情けないと叩かれて終わるかと思っていたから、今本当に嬉しい。皆どうもありがとう。
帰宅したら教えてくれた病気や本を調べてみる。ブコメも一つ一つ拝読する。
本当にありがとう。
お礼と、情報をまとめた。
http://flashbackshock.hatenablog.com/entry/2017/06/22/023926
「自分で考えろ」と言う人で、新人にちゃんと教えないだけでなく、仕事の引き継ぎも雑な人。
仕事ができる有能な人が多いし、本人はワーカホリックになるまで脅迫的に努力してる場合もある。
「この仕事は自分にしかできない。だから休めない」って周囲に当たり散らして仕事抱え込む人より、
「この仕事は自分にしかできない。でも休みたい。だから誰にでもできるように整理してテンプレート作って……」って人の方が周りも助かるし後輩ついてくるし上の評価も高いでしょ。
自分が優位な立場に居たいからって優秀そうな奴に「自分で考えろ」「なんでそうやったんだ」とダブルバインドかまして、
最近、正確に言えばここ一年、説教クソ社会人にクソバカ理論(「勉強できる奴って、社会に出たら使えないことが多いんだよな〜笑」)を食らうことが異常に多いんですよね。
たしかに私は、早稲田大学に通いながら、将来選択に迷って留年をして、現在5年生です。
きっと自分の軸を持って将来選択をし、キャリアを信仰し、明確な目標を持って「社会人」を勤め上げてきた貴方たちは、私に「教えてあげたいこと」が山ほどあるのでしょう。
私は実際、学生の身ですから、反論できることなど何ひとつありません。
そこで、
これは早稲田大学に通う22歳からの、社会に対する切実な啓蒙ですが、
やめてもらえませんか?
高卒あるいはFランおじさんが学歴のある学生に偉そうにするの、やめてもらえませんか?
勉強すらできない大人が、勉強のできる学生に対して「勉強ができても笑」などといった謎の経験則を振りかざすの、やめてもらえませんか?
受験という、誰もが平等に実力を試される時期に適切な努力をしてこなかった人が、他人の「適切な努力」を馬鹿にするの、やめてもらえませんか?
「勉強ができる奴は」とか「いい大学出たって勉強ができるのと頭が良いのはまったく別」みたいな100万回言われてきたクリシェを1時間かけて説くのは、せめて、自分の会社の新入社員にしてもらえませんか?
学生相手に、「社会に出ないとわからない」ことを説いて強者のツラをするのは、さすがに暴力的ではないですか?
「勉強なんかできなくても大丈夫」などと言うのは、持たざる者の哀しき遠吠えではないですか?
英語も、お金も、教養も、学歴も、「そんなのなくても大丈夫!そんなのがすべてじゃない」と言うのは、いつだって持たざる者ではないですか?
私は、持っている者が「持ってなくても大丈夫!」と言うのを聞いたことはありません。
少なくとも私は、学歴はあってよかったと思うし、教養のない人生など想像ができない。
だからこそ、英語だってできるようになりたいし、お金だってあったほうがいいのだと思う。
勉強ができることを悪みたいに言うな。
勉強ができる奴は打たれ弱い、指示待ち人間だ、融通が利かない、などのクソみてえな経験則を捨てろ。
飲みの場で高卒が熱弁を振るう中、勉強ができる側の人間はあえてそれを論破しようなどと思わないでしょう。
持たざる者には持たざる者の人生があり、持っていたかもしれない人生など、想像もできないでしょう。
私ももし高卒だったら「勉強のできる人間は」などとほざいていたかもしれないけれど、学歴があるので、「もし高卒だったら」などと想像することもできません。
沈黙してください。
学歴がないというハンデ(自業自得です)を背負いながら、人並み以上の努力をして、正社員として人並みの生活を手に入れたかもしれません。
だからといって、受験期に人並みの以上の努力をして学歴を手に入れて、人並みの努力でそのまま社会に漕ぎ出そうという学生を、どうして見下せるのでしょう?
とにかく、やめてください、と言うほかないのです。
だいたい学歴の話をするのは、低いほうです。
「どこ大?」「早稲田です」「おお〜頭いいねえ、俺なんか高卒(Fラン)だからさあ」
から始まる会話が苦痛すぎて、私たちは神経をすり減らしているのです。
誰も幸せにならない会話です。
そして、学歴自虐から始まる努力話あるいは説教をやめてください。
これは切実なお願いです。
卑屈になるのは勝手ですが、こっちの肩身を狭くするのをやめてください。
とあるゲームについて、動画配信をしながらこのゲームはまず自分でプレイすることを進める、ということを配信主が主張していました。
まあUndertaleなんですが。
個人的には初見は見るなと言いながら初見の目に入るようなところに動画を上げてあまつさえクリアまで流すというダブスタに「そんなに初見に見てほしくないなら動画を上げないか、せめて布教するにしても途中までにしておけばいいのに」としか思えませんでしたが、それはそれとして配信主がそんな主張をしたのは「実際にプレイするのと比べて動画で見たのでは面白差が半分に減る」とか「実際にプレイした方が絶対楽しい」とか「その方が初見の驚きが味わえる」だとかそういう理由のようでした。
実際にこのゲームはまずは自分でプレイするべき、という意見が多いようで、いいからまずはやってみろ、ときます。
でもこのゲームは個人的には初見でネタバレなしで実際に自分自身でプレイしたからと言って必ずしも楽しめるゲームではなく、むしろ一部の人は動画で見た方が楽しめるんじゃないか、と思ったのでだらっと理由を書いてみます。
あくまで「一部」であって全員がそうとは思いませんが、「いいから騙されたと思ってやってみろよマジで!絶対損しないから!」というゴリ押しが非常に気になりましたので。
※ここから先はUndertaleについてのネタバレを含むため、ネタバレしたくない人はご注意下さい。ゲームの楽しみを損なっても責任は負えません。必ず損なうとも限りませんが。
まず、なぜそんなに実プレイをお勧めされるのかという背景を簡単に説明すると、このゲームはかなりメタ的な構造をしておりゲーム内に「ゲームを実際に遊んでいるプレイヤー」のことを想定したギミックがあったり、プレイヤー自身に訴えかけるようなシーンなどが多々あります。
このことによりプレイヤーはゲームの世界を眺めている「物語の外の人間」ではなくて物語の一要素として内部に組み込まれて擬似的ではありますがゲームの中、とまではいかなくてもゲームと現実の中間くらいのポジションに立たされることになります。
こうしたギミックの数々は、なるほど確かに実際にプレイして当事者になるのと動画の視聴者として傍観者になるのではたとえ同じ風景を見ていたとしても感じ方は変わってくるでしょう。
ですがそこに一つの疑問があります。「では当事者でいた方がゲームを楽しめる、というのは本当なのだろうか?」ということです。
いくらゲームと現実の中間にいたとしても、その役割どころが物語にとって些細なことであれば、やはり当事者とは言いにくいでしょう。Undertaleはちゃんとプレイヤーを物語の中心に置いてくれます。プレイヤーの選択は物語の根幹に関わり、どんな行動を取るかで登場人物のほんの些細な会話の内容から最終的なEDの中身まで非常に多くの場面で変化が起こります。
当事者であるプレイヤーはその行動に責任を求められ、登場人物にとって好ましい行動であれば喜び、褒められ、登場人物にとって害ある行動であれば嫌われ、攻撃されます。
そういった「当事者となること」を楽しめる人であればこのゲームはとても楽しいものでしょうしお勧めできますが、では誰もがそうして当事者として振舞うことを望むのか、と言われたら答えはNOだと思います。
実際にここに、他のゲームはともかくとしてUndertaleというゲームにおいて当事者にはなりたくない人間が最低一人はいます。
プレイヤーを当事者として据えることでゲームとしての面白さを表現しよう、というつくりのゲームである以上、いくらその完成度が高く、素晴らしいものであっても当事者であることを嫌がる人にとっては「楽しくない」のです。
ここでいう楽しい、楽しくないというのはそのままの意味で、作品としての完成度が高いことは必ずしも楽しく遊べることには繋がりません。
結局楽しく楽しくないは最終的には趣味の問題になってきます。そしてこのゲームはかなり極端なつくりをしているので人を選ぶ、好みによって好き嫌いがかなりばっきり分かれるゲームではないかと思います。
私などは物語の裏に隠されている設定やらについてはとても興味深いとは思っていますが、ゲームというくくりで見るならまさにとても完成度が高く人気があるのも分かるけど好みじゃないし実際にプレイしても別に楽しくない、です。
先にも言った通りこのゲームにおけるプレイヤーは当事者です。そしてプレイヤーは動画の配信主です。つまりUndertaleにプレイ動画という形で接した時、そこには自分でプレイした時とは違う「傍観者」としての関係が生まれます。
ここでようやくゲームとしてではなく、他の要素を持ち込まずに「物語」としてのUndertaleに接することができるようになるのです。
ゲームとしてのUndertaleはあわないけれど物語としてのUndertaleは好き、という人はこれまた一定数いると思います。二度目ですが、ここに私という実例がいます。
ゲームとしてのUndertaleがあわない私には実プレイをすることは苦痛であり、動画を見て楽しむ方が百倍楽しい……というのは盛りすぎですが、まあ少なくとも動画で見る方がより楽しめます。
つまり実際にプレイした方が必ずしも動画で見るよりも楽しいとは限らないわけです。
とは言え、作者の方は表現の方法としてわざわざゲームという手段を取ったわけですから、動画しか見ていないと作者が伝えたいことは一部しか伝わらないというのも事実です。
ゲームをプレイしたところで100%伝わる訳ではないですが、ゲームをプレイするよりは伝わることが少ない……あるいは、作者が見せたかった風景とはずれる可能性が大きくなる、というのはその通りでしょう。
ですので「作者が表現したかったものを見てほしいから実際にゲームをプレイしてほしい」というのは理屈としては正しいので、そう言った意味では私も「非常に完成度の高いゲームなので、作者の表現を実際に感じてみるために実際にプレイすることをお勧め」します。
ただし、それによって楽しい気分になれるか、動画で見るのと比べて楽しめるか、という話になれば人によるので一概には言えません。
というか繊細な人にはプレイをお勧めしません。一番平和なルートだけ動画で見るのが一番楽しめると思います。
好みが激しくて実際にプレイすることでガチのダメージを負い兼ねないゲームを「その方が絶対楽しい」から「ゲームのプレイをお勧めする」のはそれこそUndertaleという主体性が重要になってくるゲームをプレイしたにしては「当事者意識の欠けた無責任な行動」だなあと感じた、ということです。
Undertaleに興味がある人は、心の強い人、ゲームはゲームと割り切れる人、打たれ弱い場合はマルチEDで自分の苦手なEDが回収できなくても気にしない人、シューティング(さらに言うなら弾幕避け)ができる人、あたりにはプレイをお勧めします。
打たれ弱いけどコンプ癖がある人、メタを多用するゲームに抵抗がある人、キャラの発言の後ろにある作者の思惑が鼻につく人、シューティング(弾幕避け)が苦手な人あたりにはプレイはお勧めしません。