「成人式」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 成人式とは

2024-01-05

anond:20240105103229

😷昔は正月の後の成人式(の暴走成人)叩き見かけたけどコロナでなくなったりしたせいか最近は見かけんくなったやで

2023-12-18

anond:20231218163520

成人式の後ってだいたい

同窓会泥酔して乱交パーティになるけど、

同窓会呼ばれてないからってメチャクチャなこと言いすぎやろ笑

anond:20231218162801

成人式の後ってだいたい

同窓会泥酔して乱交パーティになるけど、

下の毛が金髪だったら

よっぽど覚悟のある男以外は

手を出してこないもんな

パパ活日記 元ギャルの娘

定期が成人式なんだが

親に「金髪にしなさい」って言われたそうだ

 

そうか、親がギャル世代

今ってだいぶ黒髪多いよね

2023-12-13

かけ算の順序を教えられたせいで早稲田9浪して生活保護になった

小学生の時、チー先生のことが好きだった。

うちの母親よりも若くて、でも母と同じくらい包容力があって包み込んでくれるかんじのチー先生

俺はチー先生に「かけ算には順序がある」と教わった。

かける数とかけられる数の順序。

それは、チー先生と俺との間にある、教える人と教えられる人との関係に似ているような気がした。

そんなかんじで小学生の時は算数はいつも90点以上だった。

しかし、、

中学校に入って、最初数学の授業で数学教師は言った。

中学生になっても、国語国語社会理科社会理科のままです。でも、算数数学になります中学校から始まる数学という科目は算数とは違います算数生活なかにあるものです。しかし、数学毎日生活とは直接つながっていません。けれども、私たちのこの文明の基礎を作っているものです。この先、数学では、算数とは違う考え方、ルールがあることがあります。でも心配はいりません。あなたたちの頭は若く柔らかい。新しい考え方やルール勉強しなおせばいいんです」

中学数学教師はベテラン父親よりも年上だった。俺は嫌な予感がした。

その後、、

数学教師は、a x b = b x a と板書する。

他の生徒はそれをノートに書き写す。

そして数学教師は言った。

数学では、かけ算に順序はありません。

俺は耳を疑った。

小学校のチー先生は、かけ算に順序があるとはっきり言っていた。

チー先生うそつきだったのか?

俺は数学教師に、小学校でかけ算に順序があると教わったと反論する。

「まあ小学校算数というのは、子供向けに分かりやすくしているから。中学生になったら、それは忘れて」

そうあっさり言われて、俺の発言は流された。

授業が終わってからクラスメイトに話しかけても、「かけ算に順序がないのは当たり前だろ。すでに知ってた」「算数なんてガキ向けの科目だろ? 執着するなよ」とみんなあっさり、かけ算に順序のないことを受け入れて、数学の授業をちゃん理解している。

俺はその時から大人を信じられなくなった。

小学生からと言って嘘をつく大人が。

それ以降、俺はさっぱり勉強しなくなり、トー横に通ってオーバードーズし、オレオレ詐欺受け子をやって逮捕された。

20歳成人式の時、同窓会が開かれて、チー先生も呼ばれていた。

俺はチー先生に詰め寄った。

「なんで、あの時、かけ算に順序があるって嘘ついたんですか!」

チー先生は答える。

「発達段階に応じた指導必要子供大学生と同じ教え方をしても、誰も理解できない。あなた、嘘っていうけど、高校教科書に載っている極限の定義だって、嘘でしょう。でもだからといって、高校生にイプシロン=デルタ論法を教えるわけにはいかない。それと一緒。だいたい、あなた以外の人は全員、かけ算に順序がないことを受け入れたし、ケイちゃん東大にも受かったでしょう。かけ算の順序を教えられたせいで人生終わったと言っているの、あなただけ。大人になりなさい」

俺は絶望した。

早稲田に9浪した後、今は生活保護。

あの時、かけ算に順序があるって教わってなければ、こんなことにはならなかった。

2023-11-27

10デキ婚勢は立派だった

自分20代女。自分地元は、全国転勤のある大企業工場がいくつかある。そのためそういった企業に勤める、地元は別のところにあるエリート家庭と、昔から地元に住んでいる一般家庭が混在していた。


その差は地元公立小学校の頃から明らかで、成績優秀者とそうでないものの差は小学校一年から歴然だった。結局成人式で再開したり、インスタを眺めている感じ、その差は大人になっても変わることなく、優秀なもの東大京大をはじめとした有名大学に進学し、そうでないもの高卒10デキ婚マイルドヤンキーになったりしていた。

先輩方も同じ傾向があったので、近所には若くして結婚したデキ婚の人がそこそこいた。そういう話を聞くたびに、親に「ああなってはいけない」と育てられてきたので、ああいうのは道を外れた悪、恥ずかしいことだと信じて疑わなかった。


しか最近、そういった同級生が2~3人の子供を抱えて地元で働いている姿を見ると、どう考えても立派だよなあと思うようになった。

私は有名大学→大企業コースだけど、就職ははじめから(そんなこと面接では言わないが)結婚までの腰掛けで、今はのんびり専業主婦をしている。子供は欲しいと思ったことがないので産むつもりもない。

もちろんエリート家庭の子も大抵は福利厚生が整ったよい企業に勤めて、共働き子供を産み育てていこうと計画性を持って動いているから私が怠惰なだけなんだが。


そういえば働いていた頃は、40代独身の一度も実家を出たことない派遣さんで、話している内容がまるで20代前半のような人もいたっけ。


そういうのと比べると、若いから何人も子供産んで働くなんて偉すぎるよな。

2023-11-10

anond:20231110155147

子育ては感動するためにしてるわけじゃないっていう違和感もあるかもしれない。親のためのイベントみたいなのは無くなってほしい。特にハーフ成人式みたいな。

これ、壷と直結の親学由来。さっさとやめるべき案件だと俺も思う。

子どもの発表会に行きたくない

幼稚園小学生の子もの発表会が面倒でいきたくない。子供が悲しむので義務で行っている。

理由

感動するだけなので行きたくない

私は行けばすぐ涙が出るぐらい感動する。なんなら他の子供が出てくるだけでも涙がでる。でもそれは私の努力でも成果でもない。いわばポルノを見て勃起させられているのと同じに感じるのだ。薬物を摂取して気持ちよくなってるのにも似てる。そりゃ何百万円、何千時間とかけてきた子供が緊張しながらやり切ったら感動するでしょっていう。

感動している親の一員になるのが気持ち悪い

そして、同じように感動している親の一員になるのが気持ち悪すぎる。自分人生じゃないのに感動したりしてて気持ち悪い。

子育ては感動するためにしてるわけじゃないっていう違和感もあるかもしれない。親のためのイベントみたいなのは無くなってほしい。特にハーフ成人式みたいな。

行けば感動するけど、行かないのを我慢してた方が健康にいい感じ。共感してくれる人が一人でもいたら嬉しい

2023-11-09

この理屈って意味不明なんだよなー

若い女は全世代の男から需要がある」とか本気で思ってるなら、モテない自覚のある男は若くない女を狙えばいいじゃん

でもそれは絶対に嫌なんでしょ?なら自業自得かと。

女なら殆どが当たり前のようにしている妥協なのにね。

tpxyid45i 増田が叩かれまくってるが、女の方が結婚しまくってるのは成人式同窓会とかでも普遍的観測できる傾向だと思う。「若い女」は地位年収関係なく全世代の男から需要があるし、男より結婚やすいのは事実だろう

https://b.hatena.ne.jp/entry/4744771327379257391/comment/tpxyid45i

2023-11-07

anond:20231107210924

成人式で暴れてるようなDQNって騙すもクソも無いレベルで人相からしDQNだけど全員彼女居るよね

なんで?

2023-11-03

anond:20231103170007

DV男には出会たことがないので臆測だが、付き合う前から暴力を奮ってくる人のほうが少ないと思う。

最初暴力しない人間として出会うんだから、'普通の人'の枠にいる。



成人式で暴れてるようなDQNはどう見ても女殴りそうだけど絶対彼女居るよね

2023-10-28

18歳の大企業工場勤務男子に圧倒的な補助金を出せば女子が群がる

成人式までに一人くらいの子供は出来るだろう

イケメン運動部全国レベル経験男子なら爆盛りの補助金

2023-10-11

絶望するチビ

小学校の頃から仲良い男友達グループ

・俺

地方国立工学部地方国立工学研究科自動車メーカー技術

身長164、痩せ、彼女いない歴=年齢

・A

地方国立教育学部公立高校教師

身長175、痩せ、今の彼女含め3人と交際

・B

県立商業高校施工管理

身長174、デブ、今の彼女含め2人と交際

・C

日東駒専法学部大手SE

身長176、筋肉質、今の彼女含め5人と交際(同時並行もあり)

・D

県立工業高校鉄道会社技術

身長163、ぽっちゃり彼女いない歴=年齢

他の同級生見ていても成人式同窓会女子から「垢抜けたね!」って言われるのは決まって高校大学前半辺りで背が伸びたパターン。低身長だと服装髪型こだわっても「昔から変わんないね!」としか言われないんだよ。向こうは悪気なく言ってるんだろうけど。

身長低いってまじで非モテ要素なんだな。今まで気にしてなかったけど、最近彼女がいまだにいない同級生や友人」が自分含め軒並み身長低い男で、どんなに昔冴えなくても身長高いだけで社会人になると彼女できてるってのがキツすぎる。もう少し歳取ったら変わるのか、或いはもっとその傾向が強くなるのか。注視

2023-10-09

教室の中の荒れる成人式

荒れる成人式みたいな成人には眉を顰めるけど、教室の中で荒れる成人式みたいなことをしている生徒は大事しろいう声が強い。大事にするだけで教育できたら非常に楽だし、成人式警察もいらないよな。

2023-10-02

なぜ少子化なのか完全に理解した

自由を優先するから人権意識が高いから。結婚(出産)しない自由を優先するから好きな人物を選ぶ自由を優先するから

この自由を保ちながら人口を維持もしくは増加させることは国民の営みだけでは不可能だ。人口子宮人口出産を実現させて、国によって子どもを増やす方法しかない。その時には子供の人権問題の辻褄を合わせるため、真の「成人式」ができるだろう。

2023-09-26

anond:20230926155744

まりは......私有財産

G&Wは、私有財産宗教と不可分であるため、根源的なものだと主張する。その例として、先住民伝統的な儀式で使われるトランペットやその他の道具を挙げている:

このような神聖ものは、多くの場合存在する唯一の重要かつ排他的財産形態である......神聖文脈に厳密に限定されるのは、命令関係だけではない......絶対的な、つまり今日でいうところの『私的財産も同様である。このような社会では、私有財産概念と聖なるもの概念には、形式的に深い類似性があることが判明する。どちらも本質的には排除構造なのである。(p. 159)

ここで「絶対的もの」が「私的もの」と訳されていることに注目してほしい。祭祀財産が「絶対的」な程度に神聖であるならば、それは定義上「私有財産」として適格である、という主張のようだ。

この混同は、著者が宗教私有財産の関連付けに権威を求めているときに強化される。この時点でG&W(p.159)は、エミール・デュルケムの「聖なるもの」という古典的定義を持ち出している:

デュルケムは、聖なるものの最も明確な表現は、ポリネシア語で「触れてはならない」を意味するタブーであると主張した。しかし、私たち絶対的私有財産について語るとき、その根底にある論理社会効果において、非常によく似たもの、実際にはほとんど同じものについて語っているのではないだろうか。

そして著者は、アマゾン原住民仕事をする民族学者たちが、「湖や山から栽培種リアーナ林、動物に至るまで、彼らの周りにあるほとんどすべてのものには所有者がいる、あるいは潜在的に所有できる可能性がある」(p.161)ことを発見したと述べている。ある種や資源に対する霊的存在神聖所有権は、その種や資源を他の世界とは一線を画すものである。同じような理屈が、西洋私有財産概念を支えているとG&Wは書いている。もしあなたが車を所有しているならば、あなたは全世界の誰であろうと、そこに立ち入ったり使用したりすることを妨げる権利がある」(p.159)と彼らは説明する。

G&Wが、精神的な「所有権」についての伝統的な概念と、自分の車を所有することについての考えを混同しているのを見つけるのは、非常に息を呑むようなことである現代私的所有権を、超自然存在による天然資源の「所有権」と、その「根底にある論理社会効果」において「ほとんど同じ」とみなす彼らは、いったいどこの世界にいるのだろうか?

先住民活動家たちが、湖や山は強力な精霊にとって神聖ものだと語るとき、彼らは「私有財産」に等しいものを支持しているわけではない。もし「偉大なる精霊」が森を所有しているのであれば、その森は売り物ではなく、私有化されるものでもなく、伐採会社所有権を主張されるものでもないという明確な含意がある。

デュルケムの洞察の中で最も強力なものひとつは、人々が神性を呼び起こすとき、そのコミュニティ全体の道徳的な力を想定しているということである。つまり、ある山が神のものであるならば、それは私有化できないと宣言していることになる。G&Wがそれを逆手に取り、「私有財産」という概念は、あるもの神聖であるという考え方そのものと不可分に生まれものだと主張するとき、これがいかに粗雑な間違った表現であるかがわかるだろう。

デュルケムが実際に主張したこと

デュルケム(1965年)にとって、「分離」は私的流用のアンチテーゼであった。近親相姦に対する世界的な文化的タブー起源説明するために、彼は「ある種の隔離的な力、つまり男性的な集団を遠ざける力を女性に持たせている」(1965: 72)という伝統的な信仰を当惑させた。デュルケムは、このような信念体系において、女性隔離する力は血の力であり、聖なるもの概念と密接に結びついていると書いている。女性が血を流すと神性が目に見えるようになるとすれば、それは女性の血そのものが神であるからである。血が尽きるとき、神はこぼれ落ちる」(Durkheim 1965: 89)。

デュルケムにとって、「分離」という原初的概念は、私有財産とは何の関係もなかった。問題は、成人した若い女性に何が起こるかということだった(1965: 68-96)。月経が始まると、彼女親族は、彼女所有権を主張するために、つまり彼女を「入門」させるために、体として集まり彼女男性との付き合いからも世間から隔離した。彼女隔離は、特別儀式である成人式によって達成された。これにより、彼女身体神聖ものであり、それに関する彼女選択は、姉妹や他の親族に対して説明責任があることが確立された。デュルケムにとって、このような集団行為と関連して、人間意識言語文化の出現は、共同体という新しい種類の権威が初めて誕生した時点であった。

もしG&Wが現代進化科学に関心を示していたなら、こうしたデュルケーム洞察が、血のように赤い黄土色が、男性女性の肉体が神聖ものであることを新たに認識させるために、女性によって化粧用の「戦化粧品」として使用されたという考えに基づく、人類進化における黄土色の記録に関する最も新しく権威ある現代考古学説明を、いかに先取りしていたか認識できただろう(Watts 2014, Power 2019, Power et al.)

季節的か、月的か?

さて、『万物黎明』の中心的なアイデアにたどり着いた。それは、私たちはかつて皆自由であり、生き方を選ぶことができたかである

人類学を学んだことのある人なら、エスキモーアザラシ猟師たちが伝統的に冬の間は性的共産主義実践し、夏の間は家父長制的な家族生活に切り替わる。G&Wは、この振り子あるいは振動モデルヨーロッパ後期旧石器時代氷河期文化適用し、これらの複雑な狩猟採集民は、エリート特権権力の垂直階層を意図的に築き上げ、古い季節が新しい季節に移り変わるときに、それらをすべて取り壊す喜びを享受していたと論じている。

この革命を大いに楽しんだからこそ、氷河期天才政治家たちは、革命で得たもの永久にしがみついていてはいけないことに気づいたのだ。彼らは、連続する革命を楽しみ続けるためには、その間を一過性反革命で埋めなければならないことを理解していた。次の革命的高揚のための格好の標的を提示するために、「特別な」個人支配力を確立するのを許すことによって、そうするのである

私はこの考えが大好きだ。偶然にも、30年前に『血の関係』が出版されて以来(ナイト1991年)、私たち急進人類グループ狩猟採集民の平等主義の奥義として分析してきた振動原理酷似している。一方、私の振動モデルはまったく同じではなかった。というのも、私たちは亜北極圏ではなくアフリカ進化したのだから、季節的なリズムよりも月ごとの周期性が優先されるべき十分な生態学理由があったのだ。つまり、G&Wが想像したような方法権力が掌握され、明け渡されたのであれば、社会生活は月の満ち欠けと連動する月周期でひっくり返されたことになる(Knight 1991: 327-373)。

権力振り子

G&Wの歴史は、狩猟採集民の対立と交替に満ちているが、その周期性は一方的な季節性である狩猟採集民は太陽だけでなく月にも従うことを彼らは知らないのだろうか?彼らの最も重要儀式は、女性月経の満ち欠けと結びついており、月によって予定されている。

コンゴ熱帯雨林では、女性たちは男性勇気潜在的支配力を示すよう意図的に促すが、ンゴクと呼ばれる女性だけの儀式では、男女間の「権力振り子」で遊び半分に降伏する前に男性に反抗する。G&W (pp. 114-15)はこのことに言及しているが、その後に次のように主張している:

単一パターンはない。唯一の一貫した現象は、交代という事実のものと、その結果としてのさまざまな社会可能性の認識である。このことから確認できるのは、「社会的不平等起源」を探すことは、本当に間違った問いを立てているということである

もし人類が、その歴史の大半を通じて、異なる社会的配置の間を流動的に行き来し、定期的に階層を組み立てては解体してきたのだとしたら、本当の疑問は「なぜ行き詰まったのか」ということかもしれない。

この最後質問は実に深いものであるしかし、この問いに答えるには、以前はどのような状況であったのか、ある程度現実的認識を深めてからでなければならない。私たち先史時代祖先が、本当に自由で、本当に「身動きがとれなかった」時代があっただろうか?

結婚が恒久的なものになったとき

中央アフリカの森の民バヤカでは、月は「女性の最大の夫」と言われている(Lewis 2008)。どの男性立場から見ても、妻は血を流すたびに、事実上、天国の夫のために彼を捨てることになる。この古代比喩Knight and Lewis 2017)の背後にある現実は、女性が月のある期間、遊び半分で「権力を掌握」した後、自分の主張が通れば進んで男性に譲るという伝統であり、Finnegan(2008)が「動く共産主義」と呼ぶもの確立している。このような社会における親族関係居住パターンは、月経排卵兄弟恋人親族関係結婚共同体連帯セックスの親密さの間で揺れ動く振り子を設定する。

このようなパターン古代から存在した可能性が高いことを考えれば、G&Wが政治的な揺れに対するある種のブロックを、歴史過程で実際に起こったこととみなすのは正しい。しかし、そのブロック説明するには、G&Wが触れようとしないトピックを扱う必要がある。それは、月経をめぐる先住民の慣習に敬意を持ってアプローチすることを意味する(Knight 1991.)また、親族関係パターン結婚後の住居の多様性理解することも重要である--これも決定的に重要トピックだが、G&Wは著書でほとんど触れていない。

非貯蔵型狩猟採集民の間では、女性一般的に、少なくとも子どもが2、3人生まれるまでは実の母親と暮らすことにこだわる(Marlowe 2004)。遺伝学的研究によれば、私たちの種が進化したアフリカでは、このパターンはるか過去にまでさかのぼる(Destro-Bisol et al.)終生結婚の代わりに「花嫁サービス」が一般的で、アフリカ狩猟採集民の女性は、母親キャンプに住み続けながら、選んだ恋人を受け入れる。一時的な夫は、狩猟した肉を花嫁とその家庭に持ち帰ることで、自分の役に立たなければならない。それができなければ、彼は出て行く!このような取り決めのもとで、誰もが親族関係結婚生活の間を交互に行き来する。

母親と同居するのは弾力的なパターンだが、夫から圧力で住居を変え、夫とその親族永住せざるを得なくなることもある。このような場合子供連れの若い母親は逃げ出すことが難しくなる。かつての自由を失うと、夫の世話は強制的支配へと変貌する。エンゲルス(1972[1884])が「女性性の世界史的敗北」と雄弁に表現したのは、この悲惨な結果だった。世界の多くの地域で、結婚を固定的な絆に変えた家父長制的な力は、それに応じて社会生活全体にも固定性を押し付けた。

人類はいかにして「行き詰まった」のか

これは、「なぜ私たちは行き詰まったのか」という問いに対する有望な答えのように見える。では、G&Wはこの問いにどんな答えを出すのか?彼らの最終章は非常に蛇行していて、それを知るのは難しい。彼らは、人へのケア強制的コントロールへとシームレスに変化する可能性について言及しているが、なぜかこれを結婚後の住居や家族生活の変化とは結びつけていない。最も身近なところでは、17世紀ヨーロッパ北米のウェンダットにおける処刑拷問光景描写している。国王臣民を罰する権利は、妻子を躾ける家長義務モデルにしていたことを思い起こさせる。このような政治的支配は、公に王の注意義務として表現された。これとは対照的に、ウェンダット囚人に長時間拷問を加えるのは、支配と統制を愛情によるケアから公的区別するという、正反対の点を強調するためであった。囚人は家庭の一員ではないので、拷問される必要があったのであって、愛される必要はなかったのだ。

そうしてG&Wは、ケア支配区別の中に、私たちがなぜ行き詰まったのかについての待望の説明見出したのである

私たちは、ケア支配の間のこの関連性、あるいは混乱が、互いの関係を再創造することによって自分自身自由に再創造する能力私たちいかにして失ったかという、より大きな問題にとって極めて重要であると考える。つまり私たちいかにして立ち往生してしまったのかを理解する上で、極めて重要ことなのだ...。

狩猟採集民の研究ジェンダー研究を探求する代わりに、G&Wは視野を先住アメリカ人軍事指導者拷問者、ヨーロッパ君主経験限定し、これらの人々の心理的葛藤想像することで、私たちがどのように「行き詰まった」のかを探っている。上に引用した当惑させるような言葉意味があるとすれば、私たちが行き詰まったのは、特定権力欲の強い人物が、人々を思いやることと暴力的支配することを混同してしまたからだと示唆しているようだ。

これはまともな説明だろうか?人々は本当にこのように混乱してしまったのだろうか?答えの代わりに、G&W自身が行き詰まったようだ。私たちは、同じ質問を少し違った言葉提示されているだけなのだ

外的な暴力と内的なケア、つまり最も非人間的な人間関係と最も親密な人間関係との間に新たに確立された結びつきは、すべてが混乱し始めるポイントを示しているのだろうか?かつては柔軟で交渉可能だった関係が、結局はその場に固定されてしまった例、言い換えれば、私たち事実上立ち往生してしまった例なのだろうか?

この本全体で最も重要な問いに答えようとする努力は、これ以上なされていない。

(続く……)

2023-09-09

小学生の時の幼なじみ、同じ地区でよく通学も一緒にしてたし家で遊んだりもした子が、成人式以降に会っていちいち私の名前を妹の名前と間違えるの、本当にびっくりした

義理堅くて思慮深い大人びた子だという印象だったか

結局、彼女にとっては私は名前を覚えておく必要もない存在だったんだろうと感じたし、まあその通りなんだろう

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん