はてなキーワード: 意図とは
ググっても「足元の高さが1mであっても」と説明されてるものばかりなのだけど、ソース出してよ
ここで言うソースは「足場の高さが0mでも人が死ぬ」ことのソースではなく、「『1mは一命取る』という安全標語が足場の高さが0mという状況を本来意図している」ことのソースな
そこまで書いたんなら、京都市の条例も調べろよ。といっても君に調べる能がなさそうだから、私がわざわざ調べてやったぞ。京都市の公式Webより、京都市建築基準条例第3条【道路の角にある敷地内の建築制限】の解釈についてPDFファイルのリンクを以下に示してやるよ。
https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000282/282178/shitsumontokaitou.pdf
すみ切り - 京都市
https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000282/282178/sumikiri.pdf
さらに丁寧なことに、上記「すみ切り」のPDFファイルから「すみ切りの目的」という文章を引用してやるよ。
※ すみ切りの目的
すみ切りは、道路の通行の安全を図る趣旨で設けられたものであり、通行上支障のある工作物の類の築造や建築物の突出が禁止される。通行は道路部分に限られるため、すみ切り部分の通行は考慮する必要はないが、反対道路の歩行者又は車両の存在を確認するため、見通しを妨げることのないようにする必要がある。
「工作物の類」とは、令138条に規定する工作物より広い概念であり、工作物以外にも見通しを妨げる物件若しくは施設又は樹木等が考えられる。
上記の文章から、いけず石は工作物・物件・施設・樹木のいずれにも該当していないし見通しを妨げる物でもないから問題ないだろ。一方で君の認識はどうか?
隅切り部分に塀ではなく石を置くことが違法かどうか?具体的には各都市の条例にもよるだろうが、法律の意図を考えればどう考えてもそこには石を置くべきではない。
「具体的には各都市の条例にもよる」って書いておきながら、ろくに調べることもせずに「石を置くべきではない」と決めつけるなんてあまりにも独善的だろ。ブクマカの文章をわざわざ引用してさらし上げをするくらいなら、もっと調べろよ。ちなみに、君がリンクを張ったすみ切りについてのまとめには京都府建築基準条例のリンクが張ってあるけど、京都市域において適用されるのは京都市建築基準条例だから関係ないぞ。このことから、君がリンクを張っただけでリンク先の文章を読み込んでいないことは明らかだね。どうせ「建築基準法 すみ切り」で検索して上位に出たページをろくに調べずにリンクを張っただけだろ? 専門外のことを調べようと努力したことは認めるが、もっと精進したまえ。
いけず石は最高なんだよね。2〜30万する柵とかバリケードぶっ壊されるよりも断然良い。防犯カメラなきゃ泣き寝入りだもの… - Togetter [トゥギャッター]
https://togetter.com/li/2420298
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2420298
ffggmm これで困るのは、公道と私有地の区別がついていないようなドライバーだけだし、別にいいのでは。そうした運転は、人にぶつかるリスクも上がる。
tafutanisu イケズ石は理に適ってるんだから、京都弄りのネタとして消費するんじゃなくてもっと活用しても良いと思うぞ
kotetsu306 この程度で怖いだのぶつかるだの言う人は、市街地に車で入るのはもっと運転に習熟してからにしてくださいね。京都へは公共交通機関でお越しやす
ababababababababa この石にぶつける人は運転が下手なので気をつけてください。その石の代わりにうずくまった幼児やネコ等がいるかもしれません。この程度で視認性が悪い(そもそも道路じゃない)なんて言ってたら事故を起こしますよ
えっ、ブクマカのみなさん隅切りも知らんの?
隅切り(すみ切り)についてわかりやすくまとめた
https://iqrafudosan.com/channel/corner-cutting
建築基準法で、角地には「隅切り」と呼ばれる部分を設ける必要がある。ここは空き地にする必要がある。
当たり前だが車が曲がりやすくしたり視認性をよくするのが目的だ。狭い道路もあるんだし当たり前の措置だ。
これを守って石置いてるなら別にいいが、どう考えてもそうでないものがたくさんあるよな。石どころか普通に塀建ててる家も結構ある。我が家の側の家も長年そうだったが、こないだ家主が売却するに当たって業者がすり切り部分の塀を破壊して売りに出してた。違法状態では売れないからだろう。
隅切り部分に塀ではなく石を置くことが違法かどうか?具体的には各都市の条例にもよるだろうが、法律の意図を考えればどう考えてもそこには石を置くべきではない。
「自己満足で必要以上の能力を発揮してるだけ」の可能性もあるので
相手と協力する方が協力しないときよりもいい結果になることが頭では分かっていても、協力しない者のほうが利益を得るような状況ではお互いに協力しなくなる
·ここで雇われ続けないと生活ヤバいという状況で、生存戦略として必死にやってる
どちらかの可能性もあるけど
そうした本人の意図とは関係なく「結果として他のクルーの楽をする選択肢を選択し辛くしてしまう」というニュアンスをどう含めようか
難しい
尾島志郎(早稲田大学教授)が明確に障碍者を侮蔑する意図を持ったミーム(チーズ牛丼)を批判的な意図を示さずにRPしていた
ソレイユひゆみ✨早期英語推進派🌸東大港区白金インターおうち英語・中学受験・大学受験
@soleil_hiyumi
チー牛が話題だけど、清潔にして、散髪して、太陽の下で2〜3時間運動して、ちょっといいブランドの服を着せて、大きな声を出すようにして、話し方と姿勢をちょっと変えたら、イメチェン可能なのでは。誰か教えてあげたらいいのに。
https://i.imgur.com/YB8vgUg.png
チーズ牛丼が障害者を揶揄する意味を有することは障害者.comによって説明されている
アサ芸ビズの言う通り、「チー牛」の発端となった書き込みは就労移行支援の感想でした。就労移行支援の利用者について「ザ・陰キャって顔」「子どものような髪型」「覇気のない顔」「大人なのに中学生みたいで気持ち悪い」「10人いたら8人はそんな顔」と列挙し、とどめに他所から転載したイラストを添付したのです。
書き込み主もまた就労移行支援を利用しており、自分を棚に上げつつ「利用者の顔はみんなこれだった。発達障害は見た目や顔では分からないというが、あれは嘘っぱちだ。」と持論を展開しています。以後は「発達障害の顔」としても扱われるようになりました。
早稲田大学では「本学の学生および教職員(以下「構成員」という。)ならびに構成員となることを志す者に対し、障がいの有無に由来する差別を行わない」ことを方針として定めているが、今回の件は大学関係の障碍者ではなくひろく障碍者全体についての侮蔑であるから問題ないのかもしれない
まず、文章が極めて散漫だ。意図はどこに向かっているのか、読者にとって非常に分かりにくい。冒頭の「頭脳明晰日本人何処行方何故消滅」という言葉は一見して意味不明だ。
次に、感情的な表現が過剰すぎる。例えば、「魂の血文字」や「妖怪のヘドロめいた深淵なる知識」などのフレーズは、過剰に劇的な表現を使いすぎていて、逆に真意がぼやけている。
そして、無意味に難解な表現を多用している。「崇高で獰猛で苛烈な文章」というフレーズも読む人を混乱させるだけで、その意図が伝わってこない。また、フラストレーションを感じるだけだ。
その上、長々とした無内容な修辞が掲載されており、実際の主張が不明確だ。例えば「未熟ながらも個人の人生を感じられはしないか」と言いつつ、その具体例はどこにも存在しない。
さらに、攻撃的な言葉遣いも問題だ。「書き手のちんこをもいでしまいたくなる」などの表現は無礼極まりない。このような言葉遣いは、対話や議論を不可能にするだけだ。
型にはまった文章を批判するのはいいが、それに代わる具体的な解決策を提示していない点も問題だ。単に「型にはまってる」のではなく、型がどのようにして有用であるかを考察する必要がある。
最後に、読者を無視していて一方的に自分の意見を押し付けている。文章は読者に向けて書くものだ。その視点が不足しているために、読者は興味を失ってしまう。
ブラックジャックの少しあと、こち亀より少し前、そんな時代に生まれた作品としてオーパーツレベルだろ。
漫画の文脈がいよいよ洗練されていく過程に出来た作品でありながらここまでスッキリとした読み味、演出意図のメリハリや視線誘導の迷いの無さは時代を考えれば異常としか言えん。
同じ時代に生まれた化け物コンテンツとして釣りキチ三平やポーの一族があるけど、これらの作品も今読むとどこかゴチャついた読みにくさがある。
だがガラスの仮面の読み易さはなんだ。
何が恐ろしいって、どのページもどの演出も「これをどういう気持で受け取ればいいのかわからない」と迷子になることが一切ないことだ。
それぞれのシーンの作中における意図がハッキリと伝わるわけだ。
この時代の漫画といえばよくあるのが、コマやページの空白を埋めるように粗雑なギャグが挟まり、迷い箸のような行儀の悪さを感じさせることだが、ガラスの仮面ではそれが極めて少ない。
これから何を描きたいのか、次に何を読ませたいのか、物語をどこに向かわせたいのか、それらが作者の中にシッカリと固まっていて、それを読者に精緻に伝える漫画的なコミュニケーション力を持っている。
何より凄いのが「この物語をただそのまま楽しませることができれば、読者はそれだけで満足するはずだ」という確固たる自信だ。
それが虚勢なのか本心なのかまでは紙面だけでは伝わらないが、ただ一直線に作品を読者にめがけて投げつける渾身のストレートのなんと鋭く重いことか。
漫画が無数の技術と文脈を身に着けた時代を生きる50年先の未来人が読んでなお、「漫画が上手い。漫画力が高い」と思わせるここの普遍的な技量、揺らぎのない精神性はなんだ。
とんでもない作品だな。
50年弱も連載して未だに完結もしないダラダラと間延びした過去の遺物だと思っていた自分が恥ずかしい。
正しく知る誰もがその完成を待ちわびる漫画界のサグラダ・ファミリアだ。
漫画力の高さが本当に狂っとる。
いまさら経緯をまとめると
だが結果はどうでもいいんだ。もとより人気商売だしどうなっても当人の責任である。
「フワは人に死ねと言った!許されざることだ!」
まあ許さないでもいいけど「さすがに字面通りの意図じゃなかった」ってところは汲んであげないと、マジの誹謗中傷といった不法行為が相対的に軽いものになる。
「やす子は芸人だからシャレで返すべきとかいうのはセカンドいじめだ!」
シャレで返せてたらよかったのにね(でもフワが雑すぎたしやす子は器用じゃないし無理だよね)というだけの話だろ。
そこでやっと本題でありどうせ全くわからないであろう話だが、イジメられっ子マインドの奴が勝手に余計なもん投影しすぎなんだよ。「反いじめポーズ」というスカッとポルノのいちジャンルなんだよ。いうまでもなくうわべだけの。
「ダウンタウンはいじめ芸!」そう表現しうる要素もあったし、そればかりのわけがない。なんでも一色で塗りつぶそうとするのやめない?やめないよな。
それってあなたの感想ですよね。オイラが思うに、ドラマとかアニメが嫌いなのはあくまで個人的な好みの問題であって、万人が感じるわけでもないんです。作られた物語に感動するのが嫌いってことですが、そもそもそれがエンターテインメント業界の目的なんですよ。
意図的に感動する場所を指定されてるのが嫌いって言いますけど、逆に言えばそれがプロの仕掛けなんですよね。制作側がどうやって感動を引き出すかを狙ってやるのは当然のことですし、それをわざわざ嫌うのはちょっと了見が狭いんじゃないですか。
本で読む小説やドキュメンタリー映画が好きだってことですけど、それも結局は誰かが意図して作ったものですからね。なんでそれがOKで、ドラマやアニメはダメなのかって、その基準が曖昧すぎますよ。
意図的に感動する場所を指定されてるようであんまり好きになれないんだよな。
なんかこう制作者の意図を感じてしまうというか感情を見透かされてるのが腹立たしい。
とはいえ本で読む小説は好きだしドキュメンタリー映画も好きでよく観てるから
多くの犠牲者を出したアジア・太平洋戦争。追悼の場では「尊い犠牲の上に、平和な日本がある」というフレーズが使われ続けている。戦争を起こした責任が忘れられていないか――。軍国少年だった男性は憂慮している。
朝日の「季節モノ」の角度付きポエム記事を見かけて、思ったことをいくつか。有料記事なので中身は読んじゃない。
「元特攻兵の憂慮」は「平和のための尊い犠牲」という決まり文句の決まり文句性に向けられているようである。
私こと団塊ジュニアの祖父は抑留帰りである。でも時間の経つのは早いもので、いまや兵士として戦争体験したのは、そしてそれを確かに語れるのは稀な長生きの方だけになった。あと一歩でそれは完全なる「歴史」になってしまう。ツルっとした決まり文句しか残らないのか?という危惧はよくわかる。
朝日の意図は「戦争を起こした責任が忘れられていないか――。」のほうにある。日本のした戦争は悪の戦争なのだからろんりてきに言って日本人戦没者は「自業自得」または「単なる巻き添え」であり「尊い犠牲」ではありえないというアホが極太マジックで書いたような単純な理屈がそこにはある。
ちょっと話逸れるが井上和彦氏とかがやる戦争美談、英霊漫談みたいなのは聞くに堪えない。左翼へのカウンターのつもりなんだろうが、普通に考えて誰が国のために死にたいもんかよ。まず気の毒だし申し訳ないし、そんな気持ちよく語れたらもう嘘だろう。ましてや誇らしいだなんて、まともな神経で言えるわけがない。
だれも簡単に言葉にしようのない万感込めた「尊い犠牲の上の平和」なる決まり文句だったはずだ。今後はその意味も変質していかざるを得ないが。どうしたって我々は応仁の乱の犠牲者を思って泣くことができない。
ずっと昔に「きけわだつみのこえ」を巡るゴタゴタのルポを読んだ。その悲しくも美しい詩の力の影響下に、わだつみ会なる遺族会みたいなものができ、しかし純粋な「慰霊」あるいは「顕彰」を意図する派閥と、彼ら戦没学徒兵はあくまで侵略側であり「犬死に」であったという解釈にこだわる派閥のあいだで「わだつみブランド」の争奪戦が起き…
「犬死に」のドグマは今日に至るまで何の進歩もなく朝日に受け継がれているのである。だってドグマだからな。
「尊い犠牲」が戦争責任を曖昧にするとかいうなら主語不明の「あやまちはくりかえしませぬから」はどうすんの?とかそういう議論はいまさらしたくもないが。
前述の通り戦争体験者はもういなくなる。いわば戦争の記憶そのものが鬼籍に入っていく。現実との結び目をほどかれて「犬死にドグマ」や「誇らしい戦争美談」は文面を変えることなく軽やかにツルツルと高級なそうめんをすするがごとくに語られ続けるだろう。
そのような可能性も考慮に入れておくべきって意味で念頭に置くって書いたけど、もしかして念頭に置くって考えの筆頭にしておくみたいな意味で、そのせいで意図とは異なるニュアンスになってしまっていて文意が伝わらなかったのか?とか思ったがそんなことはなかった。
「念頭に置く」の意味は「いつも覚えている」です。 「念頭」は「心。 心の中。 胸のうち」という意味です。 この場合の「置く」は「あることを心にとめる」という意味で使用されています。
アスリートの性的画像問題が共同通信運動部によって報じられて以降、被写体を性的な意図を持って撮影することがやっと問題視されるようになり、そこから盗撮問題について論じられることが増えたと思う。
私が読んだ、高校野球のチアガールに対する盗撮問題も、そうしたなかで報じられたものなのだろう。
個人的にちょっと予想外だったのは、その報道に対する反応だった。
主にヤフコメなんだけど、
「チアガール経験者に聞いたことありますが、見られてもいいように見せパン履いてるそうなので大丈夫ですよ」
とか
「盗撮は良くないけど、彼女たちは可愛い姿で踊っているところを見てほしいはずなのに、最近は遠目に写してるものばかりで残念。ちゃんとズームして写してあげてほしい」
とか
「チアガールは見てもらうことで成立するものだから、撮影することを盗撮するというのは間違っている」
とか。
私が記事のコメント欄を観たときは、そういうコメントばかりだった。
最初のは、見せパンを履いている=スカートの中を撮影してもいいということにはならないし、
2つ目のやつは、そもそも誰もカメラをズームして写すことに反対していないし、問題点は遠目に写すか近寄って写すかではないし、
3つ目も、撮影することそれ自体は問題になっていないから、今もマスメディアが撮影してる(ちなみに、マスメディア側にも問題はある)
こ、これが認知の歪み……と思った。
夢女子ランキングがRiJのアーマードコア解説で使われたらしいけど、婚活RTA(デート相手の女性を配信でこき下ろす)なんてしてるような人に使われたくないよーどうせオモチャにする意図しかないよー女をおもちゃとしか思ってないじゃん……
つっかかってるって政策金利の話の時に国債金利を持ち出した意図について聞いてるだけなんだけど。
市場の期待: 10年物国債の利回りは、政策金利だけでなく、将来の経済状況やインフレ率に対する市場の期待も反映しています。そのため、政策金利が即座に10年物国債の利回りに反映されるとは限らず、時には政策金利と逆方向に動くこともあります。
君が書いたのか知らないがこう書かれてるように影響は与えるが絶対的に連動するものじゃないんだから政策金利の話の時に国債金利を見て利上げを評価をしている理由が分からない、という話しかしてないけど。
コミュニケーションを増やす: 直接的に話し合うことで、相手の考えや意図を確認することができます。オープンな質問を使って、相手の意図や考えを具体的に尋ねると良いでしょう。
ボディランゲージや表情を観察する: 言葉だけでなく、相手の体の動きや表情からも意図を読み取ることができます。例えば、相手が緊張しているのか、リラックスしているのか、話したいのか避けたいのかを観察します。
相手の視点に立つ: 相手がどのような状況や立場にいるのかを考えることで、その人の行動や発言の背景を理解しやすくなります。相手が何を求めているのか、どんな感情を抱いているのかを推測するために、その人の視点や状況に目を向けてみましょう。
過去の行動や言動を参考にする: 相手の過去の行動や発言から、その人がどういう意図を持ちやすいのかを推測することができます。過去のパターンやトレンドを見て、今後の行動を予測します。
フィードバックを求める: 相手に対して「このように理解しましたが、正しいですか?」と確認することで、あなたが理解した意図が正確かどうかを確かめることができます。これにより、誤解を減らすことができます。
感情に敏感になる: 相手の感情に注意を払い、その感情が意図にどのように影響しているかを考慮します。感情は、意図を読み取る手がかりとなることが多いです。
石丸伸二はポスター代を踏み倒し、名誉毀損をおこなった人である。
https://www.sankei.com/article/20240703-YFVEJOMLYJIAJKSPUG35JH2BJU/
https://www.47news.jp/11167261.html
ゆえに、石丸伸二を支持することは、名誉毀損を行い、ポスター代を踏み倒す人物を支持することである。
名誉毀損を行い、ポスター代を踏み倒す人物は「悪」である。(普遍的な倫理である)
しかも、石丸伸二は、裁判で負けた後ポスター業者の名前を晒す行為を行なっている。
https://x.com/shinji_ishimaru/status/1734934269355844063
石丸伸二は、
「例のポスターの話ですよ。一部のみを切り取って公開した意図は、全部は公開しきれないので、必要なところだけを開示しただけですね。誹謗中傷しているのは予想外の出来事でしたか?うーん難しいですね。やっちゃいけないことはいけないだけで、どこまでそれに対して僕が責任を負うのか、負えるのかというとこういう活動をしてる限り、制御できない部分ってありますよね。ただ僕の立場から言うのは、どうでも良くないですか。またね、切り抜きに使われるかなと思って、あえて言ってみるんですけど、だって完全な民事の訴訟ですよ。別にどっちが悪い云々でもなくて、単に契約がうまくいってなくて、両者の合意が取れなかった、それだけなんですね。だから当然先方を攻めるのはアレですし、僕に対してなんやかんや言うのも、どこからその元気が湧いてくるんだろうなと思います。」
https://www.youtube.com/watch?v=b_k7ddbyJus
と弁明している。
X上で
「そもそも、公費負担が相場でないならば、選挙公営制度の根幹を揺るがす事態です。 もっとも、#公費負担 は #選挙 に絡む利権として問題視されているので、世間の関心が集まるのは何よりも良いことだと感じます。 」
と発言しながら、
「どうでも良くないですか。」
と石丸伸二は言っている。
これを「そのまま」受け取ると、石丸氏は「選挙公営制度の根幹を揺るがす事態(公費負担が相場でないこと)」を「どうでも良くないですか。」と言っていると言うことになる。(これも論理の問題である。)
選挙公営制度の根幹を揺るがすことは、民主主義を揺るがすことである。
故に、ここから導かれることは、石丸伸二は、「民主主義をどうでも良い」と言っていると言うことである。
故に、石丸信者は、「民主主義をどうでも良い」と言っている人を支持していると言うことである。