はてなキーワード: 家庭菜園とは
なんとなく人生の終わりが見えてきたり、時間に余裕が出来た時、何かを作りたく(残せないにせよ)なったりしない?
今はスマホとかで簡単にお絵かきできるし、画材も100均でそろうし、元増のいうようにイラストとか1コマ漫画の影響力とかの兼ね合いもありそう
ワニみたいなのが流行ったり、あんまり人の絵に文句言うもんじゃないよーって風潮も広がってきてて参入しやすいのかも
ひと昔前だったら結構勇気出してなろう小説とかから始まって終わっていく人も居たりしたけど、イラストのほうがハードル低い
自分はとりあえず絵心ないっぽいのはわかってるので、木彫りでも始めようかと思ってる
芸術系の漫画を読み切りとか含めてここ数年で何作か読んで影響されてる
「健常者と同じ職場で同じように働かせればいいのに」という無邪気なブコメが多数あるが、なぜそうならないのか、代行業に需要が発生するのか説明する。
(現在は「障害者」表記は避けられてるが、法や制度で呼称が定められてる場合はその通りに記載する)
従業員が43.5人以上いる企業や役所や省庁には、障害者雇用促進法で全従業員数に対して一定割合以上の障がい者を雇うことが義務づけられている。
雇うと助成金が貰えるし、割合に足りないと罰金(納付金)を払わないといけないが、金額はどちらも微々たるもので、それよりも違反企業名の公表によるイメージダウン・批判を受けることのダメージが大きい。ちなみに企業よりも役所や省庁のほうが義務割合が少し高い。
障がい者には身体障がい・知的障がい・精神障がい(発達障がい含む)の3(4)種類あるが、雇用義務上は区別されずどの種類でもいい。(重度身体障害・重度知的障害は1人で2人分カウント等の特例もある)
オフィスワークでは、頭脳労働や組織内の対人折衝が必要とされるため、必然的に知的水準・調和能力の高い身体障がい者に需要が集中する。障害者手帳を持つほどの知的障がいだと、「雇っても職場には任せられる仕事がない」ためだ。
知的障がい者のための特別業務(社内で使う封筒をのり付けさせるとか、始終情報収集という名で動画を見させるとか)を担う部署を作って入れても、隔離部屋として問題になるしできない。各部署に配置して作業させ(悪く言うと遊ばせておく)ればいいじゃないかと思うかもしれないが、各職場ごとに知的障がい者につきっきりで面倒を見る看護者(作業所でいうところの福祉作業指導員)をつけないといけないし、周囲社員へのモチベーション悪化という弊害が出る。
精神障がい・発達障がいについては認知能力や対人コミュニケーションに難があるため(だから障がい者なんだ、工夫次第で難をカバーできるレベルなら手帳は貰えない)、各職場に配置してトラブルメーカーとなり他の従業員へのマイナスの影響が出るのが怖い。
雇われる障がい者側としても、福利厚生や給与条件の良いほうを望むので、オフィスワークができる身体障がい者で労働意志のある者は、公務員・大企業だけで吸収されてしまう。
特に目・耳・手・知能・内部が健常な下肢障がい者はひっぱりだこで、省庁や役場や大企業で他の障がい者は見なくとも車椅子に乗った下肢障がい者の姿をほぼ必ず見られるのはそのためだ。(省庁役場はあまりに下肢障がい者に拘るので全く足りず、でも法的義務は満たさないといけず、かといって「雇用代行業」のような企業に委託する裏技も忌むため、手帳所有に至らないレベルの障がい者も雇用実績に水増計上してたのが2018年に発覚し大問題になった。)
次に需要が高いのは心機能障害や腸機能障害等の内臓・循環器系の内部障がい者で、こちらは見た目では判らないがやはり公務員や大企業に多くいる。
また精神障害の中でもてんかんは知的能力・調和力に問題がないため需要が高い。
それでも公務員と大企業の義務人数を満たせず、省庁では水増しや大企業では雇用代行に走ることとなっている。
従業員数が数十人・数百人程度で大企業というほど規模が大きくないが障がい者雇用義務が課されている中規模企業で障がい者を求人すると、身体障がい者の応募者はなく、知的障害者や統合失調症・感情障害・発達障害等の精神障害者を雇うしかなくなる。
手帳を持つほどの精神障がい者は知的水準が高くとも(てんかんを除き)対人コミュニケーションの点で日常生活にも支障がある例が多く、職場に決まった時間に出勤して、他の従業員とコミュニケーションを取りながら決まった時間まで働き続けるという、「健常者と同じ職場で同じように働く」こと自体が困難な人が多い。企業側もそれをわかってるから採用したがらない。もしかしたら大丈夫かも、の当たるも八卦の賭けで正職員として採用するほどの経済的余裕がない企業が多いし、ダメで解雇したあとのトラブルや告発され「障がいがあるとわかってて雇用したんだろう」との批判も怖い。
知的障害者については指導員がいれば単純作業が可能だが、現代日本で単純作業は福祉作業所や、シルバー人材センターや、家庭内手工業的な小企業や、工場では機械が担っており、障がい者の雇用義務が課された中企業のオフィスや工場で知的障がい者ができる労働が無い。
よく福祉作業所ではパンやアクセサリー・小物を作ってるが、パン屋は個人経営や小企業なので雇用義務が課されないし、大きなパン製造工場では製造ライン工という位置になるため、やはり難しい。アクセサリー・小物製造に至っては個人経営ばかりだ。
そんな状況で、法的に課された雇用義務を果たそうとすれば、話題になってるような、知的障がい者を作業指導員がつきっきりで農業という名の家庭菜園レベルの土いじりをさせている雇用代行業に頼るしかない。
委託するより義務違反して一人あたり5万円の納付金を払ったほうが安いとしても、社名公表によるイメージ悪化や批判を恐れ、困窮した末の逃げ道としての需要が発生しているのが現状だ。
代行業を禁止すれば、大企業は農業部門や農業専業の特例子会社を作って、赤字覚悟で(専業農家が機械使って作る野菜に勝てるわけがない)直接雇用するだけで、当事者からすれば状況は変わらないだろう。
特別部署や子会社を作る余裕のない中企業に至っては「どうやっても雇用は無理」と違反覚悟で開き直って、全体として雇用数が減るだけになるのは目に見えてる。
まぁ、オマエがどんな人生を歩んでいるか知らんし、オマエの家庭菜園を野良猫に台無しにされても、オマエよりはネコチャンのほうが遥かに優れていると思ってるので。
(尊敬する上司の趣味が家庭菜園だったが、ネコチャンに荒らされて「殺してやる」って思ったって言ってたけど、実行してたら俺がその場で殺してるよ)
とまぁ、俺はオマエなんかに1つも生命としての価値を見出していないので、独り身だったらさっさと自殺することをオススメする。
これから先の人生も税金と社会保障費だけ回収されて、会社という奴隷組織の一員で、特に伴侶を作れるわけでもない、そんな人生を歩んでいるオマエに災厄あれ。
子どもの頃、尻の穴にぎょう虫を飼っていた。飼っていたというか、気付いたらそこにいた。
気付いたきっかけは何だったか。お腹の弱い子どもだったのでよく粘液便が出ていた。おそらく粘液便を拭いたティッシュに一緒に付いていたのだろう。何となくイメージが頭に残っているのでよくある組み合わせだったはずだ。それはうねうねと動く、細い白い何かだった。最初は驚いたはず。だけどなぜか親に言えなかった。言えば良くないことが起こる気がしたのだろう。
ああ、段々と思い出してきた。そう、最初はペーパーに元々ついていたのか?と思ったのだった。壁付きのホルダーにセットされているトイレットペーパーを手にとって確認するがもちろんこんな生き物はついていない。今までの何千回ものトイレでも見たことはない。もしかして…まさか…尻に付いていたのか?ティッシュに付いた白い2匹のそれをギュッと挟み潰して、新しいペーパーを取ってもう一度尻の穴を拭う。いない。そういえば尻の穴が痒い。私は何を思ったか、ティッシュを尻の穴の中に突っ込んだ。グリグリと入口近くを拭う。
そこにいたのだ。どうしたどうしたと驚いたかのように、その場でうねうねと動く、やつらだった。
それからというもの、家でトイレに行くたびに尻の穴を拭うのが私の新しい習慣になった。大体いつも2〜3匹は取れる。
自分でもなぜそんなことをしたのかわからないし皆さんも信じられないだろうけれど、私は毎回それを指先に取って挟んでプチプチッと潰していた。潰すと弾けるような、プチッとした感触と独特の生臭さのような匂いがあった。
最初は取ればいなくなると思ったのかもしれない。だけどいなくなることはなく、私も慣れてしまってどことなく毎度の楽しみのようにもなっていた。
今書いていても当時の自分がなぜこれを続けていたのかわからない。衛生的にも信じられない。子どもの恐ろしさよ。
誰にも言えなかったし、体内に変なものがいる怖さより親にバレるほうが怖かった。それにこれが尻にいるのが普通なのか、そうでないのかも分からなかったのだ。
そんな日々がしばらく続いたある日、私は尻の穴から取り出した一匹を身ぎれいにさせてから人差し指の先に乗せ、トイレから出て母親に見せた。「これなあに?」と。
ずっと疑問だったのだろう。
それを見た母親は血相を変えて「これはどうしたんだ」「どこにいたんだ」とわたしの腕を掴んで問い詰めてきた。その勢いが恐ろしかった私は瞬時に見せたことをとてつもなく後悔しながら「外にいた」「庭にいた」と嘘をついた。「嘘をつくな」「そんな訳はない」といったことを言われたと思うが、その後はスッと何も言わなくなり怒られもしなかった。その後のことは覚えていない。薬を飲まされたのだろうか??でも調べたところによるとぎょう虫は家族内で感染しやすいために一家で薬を飲む必要があるそうだ。姉に当時のことを聞いてみたのだが覚えていないようだった。親には怖くて聞けない…。
ただ、私の記憶ではその後もぎょう虫は変わらず私と一緒に暮らしていて、年一回?のぎょう虫検査にはかからなかった、と思う。検査結果は学校から渡されていたはずだけどそのまま親に渡していたから実際はどうだったのかわからない。
ぎょう虫検査は途中からなくなったと思ったのだけど、今調べると小学校低学年までにしか実施されていなかったらしい。一度は自覚があるのに検査を受けた記憶があるのであれは小学校2〜3年くらいの出来事だったのだろう。
これには後日談がある。
親にぎょう虫がバレて、薬を飲まされたのか飲まされていないのか…私の記憶ではしばらくは飼っていたはずだけれども、いつしかぎょう虫はいなくなり、かつて共生していたことも忘れて生活していたある日のことだ。
ふんばって出した便に白い寄生虫らしきものがまとわりついて?いたのだ。それはぎょう虫の何十倍も大きく、便器の中で動いているのを立っていても視認できた。便から何匹も?頭を出してふよふよと水の中を漂っていた。しばらくぶりの寄生虫との邂逅に驚いた私はそれを「ぎょう虫の親玉だ!」と思ってしまった。そしてしばらく迷ったもののまた親にぎょう虫がいたことを伝える勇気を持つことができずそのまま流してしまった。それ以来、私の尻の穴にはぎょう虫は完全にいなくなった。
今思えばあれはうどんだったのかもしれない。ぎょう虫に親玉はいないし、あのサイズの親玉ならそれは別の寄生虫だったのだろう。それはそれで恐ろしいが。
ここから学ぶことは、子どもは怒られそうなことは親には言わないということである。普段から子どもの心理的安全性を築いていけるよう努力したい。
30代半ば
ぎょう虫時代はペットなし、再会時は犬を飼っていた。家庭菜園、コンポスト有り
爪を噛む癖があったので感染経路はそこだと思う。みんなも気をつけて(?)
そもそもこんなに長くなるとは思っていなくて、始めは2年ぐらいで帰る、もしくは呼んで一緒に暮らすつもりだったのが、コロナやら新しい部署のトラブルや何やらで、結局丸4年単身赴任する羽目になってしまった。その間に自分もアラフォーになり、奥さんは40歳になり、長女は幼稚園に入り、子供が2人増え、自宅は鳩の巣になり、伯母一家が夫婦とも亡くなった。いろいろ仕方がなかったとはいえ、結構失ったものは大きかったように思う。特に奥さんと子供にはつまらない思いもさせたと思うと本当に頭が上がらない。
一方で、4年間ほぼ自分のために時間を使えたこともありがたかったのもまた事実で、バカみたいに仕事したおかげでそう簡単にはクビにならないぐらいには使ってもらえるようになったり、国内様々なところへ行って温泉巡ったり、JGC取ったりして、趣味の幅も増えた。日光街道、水戸街道は踏破した。あるもので適当にやることもやれるようになった。魚屋で丸の魚を適当に買っても、適当に捌いて食うぐらいはできるようになった。コスパと言いつつ結局はコストしか気にしない意識からは脱却できたし、今の年齢にしてはできることをできるレベルには達していると自負している。
そこで、あと半年でできるようになることをもう一つ増やしたい。半年である程度のレベル、もしくは帰ってからも続けられそうなレベルまで高められそうな趣味・特技を始めようと思うのだが、何が良いだろうか。
今のところ候補は次の通り。なお、勉強は子供と競うようにやったほうが双方のモチベーションアップに繋がると思うので、帰って本格的にやることになるかなと思う。また、DIYや家庭菜園もしかり。
茶道や華道、あるいは伝統音楽など。安直かもしれないが、いい大人がやる趣味というのを一つ身につけてみたい。美術館やコンサートは機会があれば年1〜2回ぐらいは行っていたし、毎年1月1日は必ずラデツキー行進曲に手拍子することが習慣になっている。(一度現地でやってみたい)あるいはナンバ歩きを体得しようと気づけばそういう歩き方に変えている。とまあ、自分が消費する側のものはたまにやったりするのだが、一度ある程度筋道立てた続ける趣味というのも始めてみたいと思っている。
高校時代は登山に打ち込んでいて、大学時代には体力だけでマラソン走り切るとかもやっていたが、さすがに今は体力気力が持たない。街道を歩くことも続けているが、実際のところ街道歩きはそんなに体力を使わない。なんだかんだで当時のコツを身体が覚えており、40km歩くぐらいならなんとかこなすし、娘を肩車したまま1kmぐらいなら歩ける。ただ、さすがに治りが遅くなっているな、というのは実感しており、一旦身体の使い方を改めて体得したほうが良いのかもしれないと思っている。
実は35歳にして初めて髪を染めた。これまでハゲると思って手を出してこなかったが、この年までむしろ髪の毛の量が多く、髪質も硬いので、頭がごわごわになることにずっと悩まされてきた。そこで思いきって髪を染めたところ、なんでもっと早く始めなかったんだ、というぐらいしっくり来た。適度な髪へのダメージが逆にちょうどいい髪の硬さになり、見た目にも野暮ったさがなくなった。というような、これまで手を出してこなかった習慣があれば始めてみたい。
上の内容にも近いが、3大欲求をきちんと満たしていくことは重要だと思っている。奥さんとの性生活には十分満足しているが、これも奥さんの協力なくしては成り立たないし、下手するとDVにもなりかねない。きちんと自己処理も必要だと思っている。ただ、一発抜くだけで早晩持たないだろうなという実感がある。中高生みたいに毎日抜くとかは体力的にとても無理で、しかも賢者タイムも年々短くなっているというか、満たされ感が減ってきている。そこでドライオーガムズを身につけ、きちんと性的にも満たされる必要があると思っている。
他にも、これやってて今充実してるよ!ということがあれば教えてもらいたいが、すでにやってるという諸賢からも、その感想を教えてもらえるとありがたい。
結局は、オリーブオイルで焼いて塩と黒胡椒を振るのが一番旨い野菜だと思う。
天ぷらとかごま油でナムルとかも悪くはないけど、どちらかというと強引にレパートリーを増やそうとしている感があるね。
↑の理由に加えて、ちょっと前までは割と高価だった印象もあってなかなか自分では買わない野菜なのと、結構常温で日持ちがするっていうのもあって、そこまで相手の迷惑になりにくいと勝手に思っている。
来年の参考に。
あと、トマトやナスなんかに比べると、栽培技術の上手い下手で味にバラつきが少ない。
極端な話、収穫が遅れてオバケ状態になった実や、受粉が上手くいかなくて瓢箪みたいな形になった変形果でも、そこそこ美味しく食べられる。
一時期に比べると市価はガタ落ちなので、お得感が減っているのは残念かも。
でもまだまだ職場とかで配ると喜ばれる野菜ランキングではトップクラスかなーというイメージ。
手作業で受粉orホルモン処理をするのが望ましいので、そこだけは手間。
一株あたりの収量はそれほど多くないので、そこもまあ残念っちゃ残念だが、それでも一株から何個も収穫できるので、数株植えれば自家消費分には十分すぎる。
まあ、とにかくなにより、病気、害虫でほとんど苦労したことがないのが大きいね。(単にうちの環境に合っていただけかも知れないけどね)
圃場管理のお手軽さ★★★★☆
単位面積当たりの収量★★☆☆☆
お得感(コストパフォーマンス)★★★☆☆