はてなキーワード: 学費とは
「理論上は文無しで担保なくても銀行から金借りられるから金ない奴が起業できないのは自己責任」とかさ
一定の金と社会的地位がない奴は最初から門前払いする法律にしとけよそんなん、そんなののせいでヤクザから金借りて、反社に金流すフロント企業ができるんだろ
最初から禁止にしとけば、そういうのは表の社会の外でのやり取りにしかならないから、一般人が被害を受けるようなことはない
「理論上は公教育のみで20年前に比べて倍近く学費が増えてる国立や東大入って卒業して一流企業に就職して勝ち組になれるから不平等じゃない」とかさ
そんな綺麗なルート維持できる人間が何人いるんだよ、マンボウの稚魚が成長する確率くらいでできるからできない奴は甘えとかありえねーだろ
増田が大体人生において苦しんでる悩みの大半って、こういう「理論上は可能(現実的にできるとはいってない)だから文句言うな」っていう慣習やルールに拠るものがめっちゃ多いだろうにな
https://anond.hatelabo.jp/20210212190536
ひとり親家庭ではなかったが、貧しめな家庭に育った。マウントを取るわけではないが、元増田の記述を見るにうちの実家の方が貧していたな、と思い出した。
実は、元増田と同じ気持ちになることが時々ある。うちの嫁にはそういう話を時々していて、受け止めてもらっている。子どもたちには、お金がなくて苦労したという話は軽くすることはあるが、「だからおまえらは恵まれているんだ感謝しろ・努力しろ」とは言わないようにしている。そのカードはえらく卑怯な気がするので出さないことにしている。
スーパーでは積極的に割引シールの商品をゲットしに行かなくていいし、ネットで買い物をするときにも時間をお金で買うようなことが多い。
自分の子どもたちも、親に大学の金を出してもらうのが当然と思うのだろうか。あるいは、周囲の子どもたちも当然という空気の中で育つのだろうか。俺は2年制の専門学校に自費+借金で行った。高校時代のバイトの日々、そして就職してから返済の日々。
自分で学費を出したからちゃんと学ぶのか、親に出してもらったら適当に学ぶのか、このあたりはわからないなーとは思う。でも、子どもが学費を気にしなくていいというのは本当に幸せなこと。その幸せな環境を、できれば作ってやりたい。感謝されなくても。適当に学んでいたとしても。
私の大学では、騒いで授業の進行妨げるクラスメイトに「働いてる合間縫って勉強してるんだぞ」と怒鳴った学生がいたなあ
三流大学で、クソみたいなカリキュラムでも授業料はいっぱしに年100万円くらい取るようなところで
クソはクソなりに特待制度なんてあったから私は年20万円払うだけでよかったが
片道1時間以上かけて通ってたから、別のものを支払ってたんだろう
結局クソ大学なので特に技能は何も身に付かず、複雑骨折した自尊心も治癒せず
安定性以外何も望めないような職場では一応、大卒という肩書きだけは通用した
住んでいたのがクソ田舎でよかったと思えたのは人生で初めてだった
田舎すぎて使い途がなくて貯まったお金で、学費を親に返すことができた
まあこんなものだろうと安穏と生きていたら趣味で意気投合して結婚した相手がよく稼ぐ人で
「自分も遊ばせてもらったから」と子供の大学進学はいくらであろうと全額親がもって当然という雰囲気だ
聞けば関西では一流の端っこみたいな扱いの大学をエンジョイしたそうだ
多くはないであろう、私の負担分の学費を考えると何も言えなくなるが
騒ぐやつ、怒鳴るやつ、高みの見物してるやつ、そのどれにも我が子にはなってほしくはないし
という訳で、上昇婚をしました。豊かな生活を送っていますが、時々どんよりします。
まず、私がどんな環境からこの生活を手に入れたのかをお話ししましょう。
私の実家は年収が400万ないくらいの家でした。兄弟は3人、田舎にマイホームを持ち、母は専業主婦でした。この時点で顔をしかめられる方、多いと思います。そうです、ご想像の通り、この年収でこの生活は非常にカツカツだったと思います。
それでも、時々お金がなくて友達とのレクリエーション(小学校卒業記念で遊園地に行くとか)に参加できなかったこと以外はあまり不自由のない生活を送らせてもらっていたと思います。
しかしながら、大学進学についてはそうも行きませんでした。国立大学の学費すら出せない環境だったからです。私も年間の学費を調べて、年収の1/7を出してくれと言うのは狂気だなと思い、結果、自分で学費を稼ぎながら大学に通う道を選びました。なので、ある国立大学の夜間部に進学したのです。夜間部なら年間の学費が30万程度で済むので、仕送りなしで一人暮らしをしても、昼間にバイトをしながらひと月3万ずつ貯金をすれば良かったのです。家賃は4万、食費1万、水光熱費1万、携帯代だけは親に出してもらって、月10万ほど稼げれば無理なく大学に通える計算でした。月10万だと、時給850円で1日6時間週5日働けば届くので、夜間部で昼間働けるのなら無理のない数字だと思いました。実際はもうちょっと時給が高い仕事にありつけたので、もう少し余裕がありましたが。
そして、大学で出会った昼間部の先輩と卒業後に縁があり結婚して、この生活を手に入れました。
今の生活はとても豊かです。例えば、スーパーで食材を買い物する時に買いたいものの値段を見る必要がありません。大学時代は1食の予算は100円ほど、学食すらめったに使えない有様だったのにです。
周りの人々も豊かです。例えば夫の仕事関係の知り合いは、ほとんどの人が年収1000万は超えているでしょう。今住んでいる区も、平均世帯年収は900万ほどらしいです。
きっとこの先も私は豊かな人々に囲まれて生きていくのだと思います。
私の子どもも、周りの人々の子どもも、大学の学費を親に出してもらうのは当たり前だと思って生きることでしょう。それがどれほど豊かなことなのか、きっと疑問にも思わずに。
私が入った国立大学の夜間部でも、自分で学費を払うような人は稀でした。ほとんどの人は学費も一人暮らしの家賃も仕送りをしてもらって勉強していました。
だから、この国には本当に階級があったんだ、一億総中流なんて嘘だったんだ、と、時々思い出しては実感してどんよりしてしまうのです。
実家には、定年後も働く両親が残っています。兄弟もブルーカラーとして工場で働いていて、多分両親と同じような人生を送るでしょう。けれど、実家のある田舎ではそれが普通の暮らしです。きっと私がこんなことを思ってることを知ったら、ものすごく怒ると思います。
だから、もう実家にはあまり笑って帰れないのです。だけど、この豊かな世界が自分の居場所だとも思えないままです。
せめて自分の子どもにはこの気持ちをわかって欲しいと思ってしまいますが、無理でしょう。
私だけ、この違和感を抱えて生きていく。でも、この罰も今の暮らしと比べるとあまりにもささやかすぎて、やっぱり時々どんよりします。
国家試験に落ちた。
自己採点でもう点数が足りない。
この4年間、親に学費払ってもらって、
決して安くない学費を払ってもらってたのに落ちた。
ずっと成績だけは悪くなかったから過信してた。
もう生きていい理由がない。
国試がなくても生きていけるし、
国試受けてなくても生きていけるけど、
僕にとって国試合格は、
4年間の大学生活の中の絶対条件だったし、絶対合格しなきゃいけなかった。
のに、落ちた。
もうダメだと思う。
来年も頑張るくらいなら死んだほうがマシだし、
周りにとってはそんなことでって思うかもしれないけど、
僕にとっては生きていくための条件だったのに、
頭も痛い。
来年じゃなくて今だったんだよ。
じゃあ勉強して合格すれば良かったじゃんって、ほんとその通りだよな。
でも、僕にとっては頑張ってた。
でも「つもり」なんだよね。
実際頑張れてなかったから落ちたんだし。
本当に申し訳ない。
生きているのが恥ずかしい。
申し訳ない。
誰にも認知されず楽になりたい。
家にお金がなくて大学受験の勉強するのも大学に行くのもしんどかったんでしんどい。
うちは親との仲も悪かったんで、学費くれ>出せるかアホ>じゃあバイトして払うよバーカ、みたいなのがずっとループしてた。
まぁお金があったらバイトの時間分も全部勉強に費やせていたかというとそんな自信はないし(そもそも予備校とかのお世話にならずに勉強できる自信がなかったからバイトしてまで通っていた訳で)、最終的には学費の安い国立夜間に受かって自分でなんとかできたしいい大学だったから結果論として良かったと思ってるけど、お金がないという理由で勉強できない状況はしんどい。
今は子どもがいて、子どもには絶対こんな思いさせねーぞとの気持ちでいる。しかしそういう気持ちでいる分、家の懐が子どもの頭に追いつかなかった時どうしよう、また勉強とお金でしんどい思いをするしさせるのかと思うと、今からどんよりする。
小学生のときに家庭のお財布事情をなんとなく察してから、どこかずっと遠慮してしまってたかもなという話。
忘れられそうでずっと忘れられないし、かといって人に言える話でもないので書いて吐き出そう。
最初は共働きの親が夏休みの間の預け先の候補として通い始めた。
楽しくてその後も続けてたらいつの間にか中学受験のレールにのってた。中学受験しました。
放課後や土日に遊ぶのを犠牲にして通っていたけど、自分としては楽しんでいたと思う。講師の授業も勉強も楽しかった。
これは個人的な考えだが、中学受験の勉強は人生の基本的な部分でめちゃくちゃ役立つので楽しく学べるようなら、ぜひおすすめする。
前置き長くなった。
その通ってた塾の夏期講習でどれを受講するか決めるときの話が本題。
プリントが配られ、ご両親と決めてねと言われる。
なるほどたくさんコースがある! お値段も……3万とか4万とか。
基本の4科目コース。これは必修でとっておきたい。たしか全部で20万くらいだったかな。
それとは別に理科の実験中心のコースがあった。そのコースだけで5万くらい。
受験に必須なコースではないが、実験をするから少し高めだったんだろう。
理科(特に実験! )が一番好きだった私はそのコースを受講したかったから、親に必修+実験コースが受けたいと言った。
まあ、進学塾に通わせてくれるような親だから学ぶことに対しては基本なんでもOK。応援してくれるスタンスだった。
……だったはずなのだが、その時だけは違った。
私は必死に食い下がった。理科が好きで、実験も好きで、担当の講師も面白くてとても好きだった。
「でも5万……うーん……受けなくていいんじゃない? 」
「ちょっとね……」
20万の価値も、もちろん5万の価値もきちんと分かっていなかった私はそのあとも食い下がったが、結局実験コースは申し込まなかった。
子供心に悲しく、ショックだったのを覚えている。
学ぶ希望が金銭面の理由で叶えられなかったような感覚が残った。
あと、月謝の高い塾に通う罪悪感もそのときからどこか感じるようになった。
社会人になったいま考えれば両親の気持ちも分かる。5万は高い。
通ってた塾なんて毎月の月謝は5万以上だったと思う。
頭では理解している。きっと小学生のときも頭では理解していた。
でも受講したかったのだ。
中学受験は、運が良いことに受験した学校はすべて受かった。なかなか偏差値の良い私立も含めて。
ずっと頭にお金のことがあった。
学費でも、高いのは避けたいな。塾ももう行きたくない。お金かかるから。
親にはお金のことは言わなかった。なんか言いづらかった。
親を責めたいわけでもなくて、でもお金のことで遠慮してるのはおそらく事実だから。後ろめたさがあった。
親がそれを感じてたのかは分からない。
私は「制服が好きだからここにするだけ」とか言ってた。実際に制服が好きだったから嘘じゃないけど、ホントはお金のことも考えてた。
そんなこんなで大学受験。塾に通う友達を尻目にこれまた頑固に塾に行かない私。
なんて軽口を親には叩いてた。
頭のなかには国公立しか選択肢がなかった。お金かからないし。私立はやばいもんなお金。
塾にも行かず独学でうまく行くほどのストイックさも、頭脳もなく、努力家でもない。
結果、大学受験は失敗するんですが。
いま考えればもっと必死に私立でもなんでも入ってれば良かったなぁと思う。
奨学金もあるのにな。
中学受験のときたくさんお金使ってくれたのに、お弁当とかもずっと作ってくれたのに、大学はいれなくてごめんなさい。
今は働いてお金ためて、いいタイミングあったら大学行きたいなと思ってる。
何が言いたかったかというと、子供時代に大人のぽろっと溢した言葉って、意外と刺さって頭の片隅にずっとあったりするよね。
親を責めたいわけではないから、この話はここに置いたらそのあとは墓まで持っていくつもり。
高い月謝払って塾に行かせてくれたことに本当に感謝してるのに。
責めたいわけでは全くないのに。
それでも今も忘れられないから、たぶん…なにか思うところはあるんだろう。言語化するのは怖い気がして今はちょっとできない。結局は努力できない自分がダメなのだ。
いまお子さんのいる親御さんは、お子さんの学びたいと言ったことに対しては、できるだけ叶えてあげてほしいです。
それと中学受験、楽しかったタイプの子供もいるよ。受けてよかったと心の底から思ってます。(いま話題らしいサp……スの回し者とかではないです。ライバル塾だったからサ……kスはあんまり好きじゃなかった)
お金の事情は、仕方ないことももちろんあるけど、できるだけうま~く隠してあげてほしいです。おたがい無理のしない範囲で。
隠せなくても、なにかフォローをいれてあげてほしいな。
うまくまとまらなかったけど、これで。
読んでくれたひとありがとう。
●追記
ボロクソに言われて、「ほんとそうですよね……頭悪いんですよ……すみません……」と凹むと同時に「あ?うるせえ見てろや」の気持ちもわいたのではやめに大学受けようと思う。
(頭悪いのと国公立狂いのため現役時代からずっと東大以外浮かばないんだけど、社会人で受験するとなると海外とかのがいいんだろうか…)
夢を壊すようだけど大学って増田が考えてるような真面目な場所じゃないよ。大学は勉強するところっていうけど実際ほとんどの学生にとっては友達と恋人作って楽しく遊ぶ場所になってるからみんなコミュニケーションとりたがるし(特に新入生なんかキラキラ大学生したい!って人多いだろうし)教員も学生会もそういう需要を知ってるから機会を与えようとしてる。さらに言えば今年一年ほぼ全部オンラインだったのにきっちり施設利用費も学費として取られてるから学費安くしないなら通いたいって学生とか保護者も多い。学校によって違うかもしれないけど、親に言って明細みたいなの見せてもらったらわかると思う。
そういう意見が大多数だから大勢に合わせるのは癪かもしれんがどうしてもそんな生活したくないなら教授に直接掛け合ってみたら。増田みたいな人に理解ある先生ならなんか考えてくれるかもよ。
扶養照会、99%以上断られてるらしい。そりゃそうだよね。共助の社会構造じゃないもん
まず三親等以内と一緒に住んでない人が大半でしょ。単身世帯が3割、夫婦と子供が3割ちょい、夫婦のみが2割、二世帯同居が0.5割。で三親等のおじおば、甥姪なんかと同居してるのが当てはまりそうな「その他」は7%もない
だいたい親戚なんか、よほど血縁重視の田舎じゃなきゃ年に2回も会えば多い方で、年1も会わないのも普通
仕事のために引っ越すのもよくある話
今や血縁共同体なんか、せいぜい親子と夫婦関係でしかもはや成り立ってないんですよ
昔の日本には確かにあったかもしれません。でも、それもけして強いものではありませんでした
中国人なんかどこの国にいても、中国人のコミュニティを発達させてきましたし、今だって親戚をすごく重視します。アラブもそうです。日本にアラブや中国のような強い血縁主義はありません。あなたは親戚をあげて一族いちの秀才に学費を援助したりしないでしょう?
もともと「絆」の薄かった日本の血縁共同体をさらに薄くしたのが終身雇用です
会社のそばに暮らし、会社の中で一生を終える社会では血縁共同体はますます不要になりました
血縁共同体を軽視し、破壊したのが転勤制度です。会社に依存させるためにあちらはこちらへ人を飛ばし、血縁や地縁を切らせてきました
そんなことをしておきながら、まさか2020にもなって「共助」なんて言葉を耳にするとは思いませんでした
別に共助が悪いというわけではありません
共助ができるような土壌が日本にはないんですよ
共同体意識の拠り所は「うつくしい国、日本」。ネトウヨの愛国心なんか共同体意識とは言えません。地方の衰退は共同体意識の喪失の表れです。地方を愛しているのは今やマイルドヤンキーぐらいのものです
今までもなかったし、これからもないでしょう
今や毒親からも嫌な親戚からも生まれ育った地域からも皆解放されたがっていますから
「自助共助公助」、気が触れた発言だとしか思えません。さもなくば何も考えずに言ったか、おちょくってるかです。
「自助 公助」しかないんですよ。「自助 null 公助」なんですよ。国に頼らないでnullに助けてもらってください、なんて何も言ってないのと同じです。
ひとつ援護するならば、政治家が世襲であることが原因かもしれません。コネと地縁と血縁で構成された政治家の世界に生まれれば、「共助」なんて口から出るのも仕方のないことなのかもしれません
それは「社会は容易に親に子離れをさせてはくれない」ということだ。「子どもの“成功”は親次第」というプレッシャーもハンパない。
国内最高峰と言われる大学に複数の子どもを入学させた母親の育児法(学習時間を捻出するために母親がドライヤーで髪を乾かしてあげると文字で読んだときには仰天した)はメディアでもてはやされるし、天才児の親、成功者の親は幼児期の教育法を紹介する。「スマートチャイルド」を育てようと、意識の高い親の多くは必死だ。
受験に特化した塾はますます専門性を高め、合格するために正解に最短距離でたどりつくための効率よい学びを提供する。そして、効率の良い学習法に巡り合えた優秀な子どもたちは、「子どもの能力を伸ばす」と評判の人気校に集まっていく。
子どもが勉強をし続ける根気があるかどうか親が自信を持てない場合には、経済力によって下駄をはかせる方法もある。私の知人では教育理念にほれ込んだ小学校に子ども2人を受験させるために「高級車1台分」の塾費用を払った人、のびのびとした雰囲気の学校に通わせるために3人の子どもの教育に年間800万円かけていると噂されている人もいる。
子どもの人生の選択肢を増やすためには、経済力、情報収集能力、育児リソース(実家のバックアップ体制など)がモノをいう。
ちなみにこのような傾向は、日本だけに限らない。
「“良い”教育=経済力」の構図は、多くの国で顕著になっている。
仮に自分の成育歴が育児に影響するのなら、男も女も農作業にいそしむ貧しいムラで適度に放っておかれ、勝手にやりたい勉強を見つけ、先生がすすめてくれた奨学金によって今よりずっと学費の安かった国立大学になんとか進学できた自分は、子どもを放っておく以外の方法を知らない。子どもにご飯を与えて抱っこをして体を使って思い切り遊ばせ、今日を無事に終えるための「ケア」はできるが「現代の教育の正解」を提供することができない。
学校の先生は昔のように「君の偏差値なら、このくらいの学校を受験しよう」とはアドバイスしてくれないから、親が主体的に学習塾を選び、進路選びをサポートしなければならない。
良い大学に入り、良い会社に入れば、一生安泰だと考えられていた頃には、学歴競争が過熱していた時代もある。多くの父親が「企業戦士」に徹する陰で、「教育ママ」が奮闘していた家庭もあっただろう。
一方、現代の「良い教育」とは、子どもが自分らしい人生を歩み、人生の選択肢を増やすための「生存戦略」という一面がより色濃くなっているようだ。そして、その戦略には金もエネルギーもいる。親と子が一体化して、教育のための情報収集をして、親が子どもを鼓舞し、叱咤激励し、共に進路を選んでいく必要性がある。
結果、平等と仲良しが建て前の教室の中で、子どもたちは、見えない競争に常にさらされている。
教育系メディアで、成功体験とともに頻出する親の言葉だが、はっきりいって、そんなケースはほとんどない。
教育基本法では「教育の機会均等」の条項に「すべての児童生徒に同一の教育を与えることを意味するものではなく、個人差に応じる教育を施すものである」という補足がある。この「個人差」が「経済力の差」「親の意識の差」となっている現実がある。