はてなキーワード: 学費とは
私立大学の理工系に入学してくる生徒ってこれまで専門科目は何一つ学習していないし、実習の授業も受けたことなければレポートを書いたこともない。そして早慶などを除くと理科すらオンリーワン科目の3科目入試だから、普通科の学習内容もマトモに勉強してきたのか怪しい。
ずっと遊んでたのか?
今、ムサビの油絵科にいるんですが高校の頃から思考停止してたかもしれないと気づきはじめました。入学してだいぶ経っているんで今更?という感じだけども。
わたしが美大を目指したのって美術を学びたいわけでもなく就職したいわけでもなくただ絵が上手くなりたいってだけだったのかもなと思う。
正直なところ絵のことあまり好きではないだろうし、情熱もそんなないんだけど、幼少の時から絵が上手くなりたいって想いは一貫してもってるなと思う。
多分絵が上手くなりたいって想いだけでここまで来た。画力の向上と美大の相関はないから道間違えまくってる。(多分美大に合格する=絵が上手い認定って考えがあった)
あと受験のとき最初デサ科志望だったのに平面構成合わなくて即油絵志望に転換したのも平面構成(デザイン)じゃなくて絵が描きたかったからなんだろうな。日本画ではなく油絵だったのは単純に西洋絵画が好きだったからかな。
芸大落ちてムサビ補欠だったときそんな落ち込まなかったのも予備校で描いてりゃデッサン(絵)上手くなるからいいやっていうのがあったのかもしれない。受験ストレスは凄かったけど。
芸大第一志望でムサビ第二志望だったけど芸大第一志望だった理由が「風潮的に芸大がNo. 1だったから」「学費が安いから」だった。ムサビを第二に選んだ理由は「風潮的に芸大の次はタマムサだから」と「芸祭がよかったから」。
これ、ムサビの「芸祭がよかったから」が一番しっかりした理由じゃないか?なら、私の第一志望ってムサビだったのでは?と思う。今ムサビに通ってるからそう思うだけかな。でも、そう思うってことはムサビで色々学べて楽しいってことがベースにあってこそよね。いいことです。高い学費をありがとうお父さんお母さん。
とりあえず今は会社に入って働いてみたいから就職しよ、楽しかったらそのまま続ければいいし飽きたら院とか考えてみよかなー副業で作家もよさそうーと軽く思ってるんだけどこれまた思考停止してんのかな。
今、大学という仕組みは崩壊しつつある。その一因は少子高齢化だろう。学費を払う子どもは減り、高齢化で国家の予算は社会保障費に回され研究費は枯渇する。高いスキルを持つ筈の教授達は雑用に研究時間を失い、論文の被引用数は減り続ける……。日本の大学の未来は暗い。今の大学に持続可能性はない。
しかし、大学は必要だ。高等教育を受けた大量の人材が日本の科学技術を、国際競争を支える力となるはずだ。国力は教育から。
そのために、大学の在り方は変わるべきだ。
そこで私は、『大学は働きながら通う形態にシフトすべきだ』と主張したい。
社会人が働きながら自分の稼ぎで通えるような場所にシフトチェンジする事で、教育格差を是正し、少子化時代においても幅広い年齢層から学費を集めて、子供を産む親の学費負担を軽減することで少子化を解消し、持続可能性を高めることができるはずだ。
そして、国が音頭をとって、大企業に「大学に通いながら働ける雇用形態」で高卒を雇う枠を作らせるべきだ。(障害者雇用のように一定の雇用率に対して給付金を出すといいかもしれない)
国や企業からの一部学費の補助などもあったほうがいい。初めは高卒の20代30代を対象として、徐々に17〜18歳を対象にすることを考えると、受験と就活が被らないようにギャップイヤーを長く設けることなどが必要かもしれない。
ともかく国が全面的に支援して、新しい形の大学と大学生、そして働き方を作り出していくべきだ。
もちろんこれは増田の考えた一意見に過ぎない。現状の大学のあり方に疑問を持つ大学職員が沢山いるはずだ。大学の在り方の議論がもっと活発化すれば、より良い意見が出てくるはずだ。大学には是非、日本の未来を明るくして照らして欲しい。
有難いことに親の庇護下にあった時代はお金がなくてご飯が食べられないことはなかったし、奨学金を貰って学校に行くこともなかった。そう、衣食住は満たされていたのだ。家に帰れば専業主婦の母がおり、父が働いたお金だけで家族全員が暮らすことができた(バイトはした)。
もちろん周りの友人達の親の中には共働きの人もいたがその理由については特に考えることもなかった。他人の家の経済状況なんて全く興味がないし、考えもしなかったからだ。寧ろ流行りのゲームも買ってもらえない自分の家よりディズニーランドにいつも行っていて、最新ゲーム持っていて、正月夏休みには親戚から万単位のお小遣いを貰っている友人の方がお金持ちだと思っていたくらいだ。私の親に対して大変失礼な考えだ。
初めに違和感を持ったのは私が大学に上がった時だった。奨学金の説明があるため、該当の人は残ってくれ、とアナウンスがあった時多くの人がその場に残っていた。その時点での私の中の常識は学費というものは親が出してくれて当然だったのだ。今思えば非常に傲慢な考えだ。
また、ニュースなどで貧困問題が取り上げられてる際も自分の身近に該当する人がいなかったし、この飽食の時代に食べるものがなくて苦しんでいる人がいるという事実自体どこか夢物語の様だった。
唯一若い人の収入が少なくて生活が苦しい、ということだけが実際に働いて実感を持つことができた。
SNSを見ていると最後まで文章を読まずに感想を書いたり、文章の正しい解釈が出来ていない人が多い。最近話題の漫画を読んだときに作者が「本編のこのキャラのこの行動の理由はこういう事です。」と注釈をつけていた時は絶句した。人の受け取り方は千差万別あるとはいえ特に漫画は読んだ受け取り手が意味がわかる様に描かれていることが多い。さらに作者だけではなく編集者もチェックして他者に伝わることを確認している筈だ。それなのにコミックスで作者が注釈を入れなければならないくらいにキャラの行動の理由がわからないという手紙が届いたということだ。それはつまり読解力のない人間が増えたと捉えることもできるのではないか。読解力がないという事は正しく相手に伝わらないし、伝えられないことに繋がる。それはコミュニケーションが正しく取れないから満たされないことに繋がるのではないか人は喜怒哀楽の中に細かい感情の機微があるはずで、感情表現や、行間が読み取れない事は学だけでなく人としての感情も乏しい事だと私は思う。
冒頭に書いた様に私はオタクだ。二次創作はよく見る。最近の二次創作で疑問に思うのは大食いキャラが食べ方が汚い様に描写されることが多くなったな、という事だ。私個人としては「大食い」と「食べ方が汚い(行儀が悪い)」は全く違うことだと思っている。しかし何故か大食い=食べ方が汚いのイメージが定着しているのだ。作中でキャラクターの育ちがいい描写をされていても何故か二次創作では飢えた獣の様な食事方法をさせられているのだ。よくオタクは「沢山食べる君が好き」と言っているが、自分の推しが飢えた獣の様にご飯を食べていることには抵抗がないのだろうか?私はものすごく嫌だ。二次創作に限らずテレビを見ていても食べ物を上から食べる、口に物が入ったまま話す、迷い箸などの芸能人はよく見かける。定期的に箸の持ち方が炎上もしている。正しい持ち方はその持ち方である根拠があるのに、自分ができないからそれはおかしい!という人間が増えた気がする。(勿論、懐石料理の様に部屋の開け方から食べる順番まで守れ、とは思わない。私だってそこまで出来ない。一般常識の範囲の事ができていない人がいるのだ)
あくまで私個人の見解だが、人間は自分が体験、経験したことを主軸に物事を考えたり行動する為、それだけちゃんとしたテーブルマナーや躾がなされていない人が増えたのかとすごい貧しさを感じてしまった。
よく本に出てくるフレーズとして「知識は宝だ」の様な文章がある。実際に知識があって頭がいい人ほど腰が低く、心にも余裕がある様に思える(この場合の頭がいいは勉強ができるだけでないということも補足しておく)。心の穏やかさはそのまま豊かさに繋がっていると私は思っている。最近のSNSを見ていると、世界の実情が辛いことも踏まえても、貧富格差広がっている中全体的に貧しくなっていってるのと、絶え間ない情報と自分に都合のいいところしか見ない様な状況になっている気がする。それによって(それだけではないけれど)感情のコントロールが効かなくなってるのを、SNSやら、二次元キャラやらに当てがって発散してる様に見える。昔からいたのかもしれないがガッツリ目に見える形になっていて、経済的にも精神的にも貧しさを感じて私は怖い。
世帯年収550万の地方暮らし(夫400、私150)。子供は、春から高校生の中3の長男と、小5の次男。
義母が亡くなり、介護も不要になったのでそろそろフルタイム勤務(看護師)に戻ろうと考えている。長男の高校受験のための塾、次男のクラブチームなどで出費が嵩み、現在の収入と貯金では大学進学する場合心許ない。特に長男は私達夫婦に似ず、勉強に向いているようで、県外の医学部を志しているため、かなりの出費が見込まれる。
だが、夫は激務で、わたしもフルタイムに戻るとなると楽ではないのが目に見えている。今までどおり家事を行うのは難しいだろう。
そこで今まで自分と夫で行ってきた家事の一部を息子にも分担したい。また、今まで親が請け負っていたユニフォームの洗濯や週末の昼ごはんなども各自準備して欲しいと思う。
現在夫と話し合って考えているのは
長男の分担
・週2、3程度の夕食作り
・週1の洗濯物干し
次男の分担
・週1の洗濯物干し
・週末の昼食
・平日の朝食(オカズは準備するので各々で食べて欲しい)
・自室のゴミ出し
もちろん息子たちとも話し合って決めたいと思うが、この分担はありだろうか?また、分担には報酬を設定すべきだろうか?するとしたらいくらぐらいが適切なのだろう?
成人までの扶養は親の義務だ。しかし、大学進学費用、仕送りなどは義務ではない。もしそれらの負担を求めるなら、私や夫の生活に必要な家事も分担して欲しいと思う。わたしも夫も奨学金を借りて進学したので、社会人になるときに借金を背負う大変さは身にしみて知っている。だからこそ、今のうちに稼いで援助できるようにしたい。
結婚するだけなら金はかからないとか言ってる人をよく見掛けるけれど、どういう理屈なんだろ。
まさか書類を役所に出すだけならば金はかからないって意味で言ってる?
あまりにも的外れで現実を見てない意見だと思うんだよなー、結婚するだけなら金はかからないって理屈。
貧乏人は、そもそも金がなくて異性と出会うようなチャンスが作れない。
生活は基本的に職場と家の往復だけ、ナンパは論外、人と会うような趣味があったとしても趣味は出会いの場じゃないという事で拒否される。
第二に、結婚にかかる金というのは生涯を見越した金額を指している事が分かってない。
結婚すれば大抵のカップルは子供を作るから子供の進学にかかる費用として塾代や大学の学費等、将来ニートになったとしたらその生活費も工面しなければいけない。
仮に生涯子供を作らないと決心していたとしても老後の年金プランや介護などを考えなきゃいけない訳だ。
自分一人の分だけじゃなく、相手の分まで考えた人生設計が求められる。
だから結婚には金がかかるって言ってるんだが…分かってないのかなー本当に。
あと、どんなに金があっても結婚しない人がいる事なんて当然分かってるよ、そういう人達はどうぞそのまま好きに生きればいいじゃん。金があるなら困らないんだし。
私大のほうが東大より受験にかかる様々なコストは昔から低いと思うけどなあ、
ちょっと年の離れた三人兄弟で、兄二人は私立大学の学費全部出してもらって一人暮らしも仕送りたっぷりで満喫してたのに、運悪くリーマンショックと重なって受験期にカネがないカネがない今は我慢のとき我慢するべきと呪いをかけまくる親のもと、俺だけ国立実家通いバイト漬け苦学生やる羽目になった。兄二人は実家に金を入れるほど稼いでないし、そもそも親が息子に迷惑かけられないっていう精神性だった。俺は息子じゃねーんかよクソがって言いたくなったが、まあバイト代や奨学金を取り上げるようなことはしてないので諦めた。
兄二人はさんざん遊ぶ余裕があった大学時代に知り合った人とさっさと結婚して、俺だけ未だに独身。そりゃあ出会いも遊ぶ時間も無いならしゃーないよな。クソが。
で、今でこそ全く金に困らない、十分な収入がある状態で、「学費分お前の口座に振り込んだ、これでお前だけ不幸じゃないな」って親から連絡が来た。
この金すら憎い。
タイトル通りなんだけれど。
今年の1月初旬に100万円の原資から仮想通貨取引を始めて、2月中旬現在で1300万円まで資産が膨らんでいる。
自分について
・34歳の一般職
・年収650万
・この時は100万円を入れて2ヶ月で40万円まで減ったところで撤退
・今年まで取引なし
正月に上の知人から仮想通貨の大口理論なる記事が送られてきて、それを読んで納得したから。
それがこれ。
https://note.com/808ojisan/n/ne5213105b5ca
簡単にいうと仮想通貨のほとんどは無価値で、価格が上がったり下がったりするのは仮想通貨を大量に保有している大口プレイヤーが価格操作して儲けているから、という理論。
本題
仮想通貨は無価値でポンジみたいなものっていう意見は、はてな界隈でもよく出る意見だったけど、この記事を読んですごく納得してしまった。
たとえばリップルとかいう国際送金に使うと謳っている仮想通貨なんて、時価総額が何兆円もあったわけだけど、結局はリップル社や○尾率いる○BIの金儲けの手段だということが実際に明らかになってきたんだよね。
仮想通貨はゲームメイカーである大口の金儲けの手段であって、投資対象ではないってことなんだ。
でも、そんな大口の考えを理解して、大口が持つのと同じポジションを持てば儲けることができるってわけ。
詳しい内容は上に置いた記事に譲るとして、具体的にはビットコインとそれ以外の仮想通貨(アルトコイン)とで値動きのパターンが違うので、シーソーのようにポジションを持ち替えるわけ。
ビットコインが3年ぶりの高値を更新してしばらくしてからアルトコインが伸びると記事に書いてあった。
そこで紹介されていたあるアルトコインに100万円入れたら4倍になり、それを利益確定して別のアルトコインに入れたら3倍ちょっとになり資産が1300万円になっている。
これがたったの1ヶ月半の間の出来事。
おそらく今年はこれからまだまだ仮想通貨の価格は上がり続けるだろうね。今はまだ序章なんじゃないかな。養分にする人間をどんどん市場に集めてくるために価格を釣り上げてくる。
悲しいかな、養分的な人間は安い時に買うんじゃなくて、価格が上がれば上がるほど飛びついてしまうんだよね。ま、だから養分なんだけど。かつては自分もそうだった。
資本主義の世界では儲けるのはいつだって金のある資本家だし、搾取されるのは無知な貧乏人なんだ。そうやって格差がめちゃくちゃ広がっていく。
だから、実のところ、そう考えるとかなりモヤモヤする部分が自分の中にある。
自分が得ている利益は、そんな無知な情弱養分の貧乏人から搾取したものなんだ、って。
そのお金は、もしかしたら子どもの学費を何とか工面するためにシングルマザーが投じたなけなしの貯金だったかもしれないし、老後の生活費にするために初老の夫婦が投じた退職金だったかもしれない。
そう思うと胸が痛くなるし、自分がやっていることは金をむしり取っている大口たちと同じ悪行なんじゃないかとも思う。
でもその一方で、そもそも相場っていうのは他人の金を奪い合うところなんどだ。殺し合うところなんだよ。
だから、相場に参加している時点で、みんな相手を殺しに来ているし、同時に自分が殺される覚悟を持っていないといけない。
そんな養分の貧乏人たちがお金を取られたところで、彼らに同情する余地はない。そんなふうに自分に言い聞かせて、納得させようとしている。
自分はこれからも大口理論に沿って仮想通貨相場からお金を抜き取っていく側につこうと思っている。
もちろん100パーセント、割り切れるわけじゃないけれど。
仮想通貨で儲かってるので、昨日はちょっと奮発して普段なら行かない高級寿司店に行ってきた。コロナ禍もあって予約が取れてラッキーだった。
鮮やかに光る寿司ネタを目の前に、「これは弱者から巻き上げた金で食べる寿司だな・・・」なんて感傷に浸ってしまった。やっぱり割り切れない思いがどうしてもある。
どうやってこのモヤモヤに決着をつけたらいいんだろう。
大学が学生に授業のためにパソコンの用意を求めたり、支給したりするのなんて、コロナ禍前からのことである。
「対面授業」であっても、様々な目的のために学生はPCを利用させられていた。支給と言っても学費の一部として買っているにすぎない。
なのに、学生がPCを用いるということ自体が、オンライン授業のためのものであって、コロナによる影響みたいに書かれるのはとても違和感がある。
というか、学生がPCでなにかやってるのを見て、「コロナによって特別な取り扱いとしてやってる」と解釈するのをやめてほしい。
課題の提出ぐらい前からオンラインでやっている。その意味では多くの授業がハイブリット形と言えるのではないか。