はてなキーワード: 多国籍とは
忘れもしない高校2年の春、人生の転機となる出会いがありました。シンガポールへ家族旅行に行った時に、偶然出会った現地の日本人起業家です。緊張で何を言われたのか覚えていませんが、世界で事業を興す楽しさについて語りかけられた時、全身に鳥肌が立ったことを覚えています。心が震えて、その日の夜、一睡も出来ませんでした。
帰国すると、「世界で事業を作りたい」という想いを止められず、高校に行くのをやめて、海外に出ることを決めました。同時に、学校に自分の居場所を見つけられず、そのプレッシャーから逃げたかったのだと思います。英語圏で物価が安く、日本人がいなさそうな場所を探して、フィリピンのダバオという町を見つけ、ここに住むことを決めました
その後、2017年に事業作りの拠点を探してシンガポール、カンボジア、タイを周り、マレーシアを選びました。
東南アジアの英語圏で、シンガポール・香港は既に成熟して物価も高い。それに比べてマレーシアはまだ発展途上ですが着実に成長している、かつ様々な人種・宗教が入り混じる多国籍国家に魅力を感じました。
また、高校もろくに通っていないような自分が普通の正攻法を辿っても、大きな結果は生み出せないだろうと思いました。これから伸びる、成功例のまだ少ない場所から勝負する必要があった私にとってマレーシアは最良な国に思えました。
マレーシアの首都クアラルンプールに降り立ち、電車に乗ると、顔にターバンの様な布を巻いた人(ヒジャブと言います)に溢れており、中国語やヒンドゥー語、英語が飛び交うまさに異国の地でした。
こんな場所で本当に事業は興せるのか、不安でしたが、やれるという根拠のない自信だけはありました。
とはいえ、右も左も分からない状況だったので、現地で結果を出している起業家の元で働き、事業の作り方を学びたいと思い、気になった企業へ手当たり次第メール/電話をしてみることにしました。
https://imperial.instructure.com/courses/15737/pages/123movies-watch-minari-online-2021-full-hd
https://imperial.instructure.com/courses/15737/pages/watch-minari-2021-f-dot-u-l-dot-l
https://imperial.instructure.com/courses/15737/pages/watch-the-little-things-2021-full
……多国籍のお母さんやろ
https://anond.hatelabo.jp/20200813115920
https://anond.hatelabo.jp/20200813164528
久々に日記を書きたくなったので、今回は方向性を変えて年代記風の記事を投下してみます。
私自身は業界の全盛期である80年代~90年代前半を経験しておらず、当時の状況を記述するのに十分な知識がないため、その時代については省いています。
ということで、私がこの業界に入ることになる少し前の90年代半ばから物語を開始します。
※工場の呼び名は企業の再編によって変わる事が多々あるので、原則立地で表記している。
80年代後半に栄華を極めた日本半導体産業であったが、日米貿易摩擦の影響で一時に比べて勢いを失っていた。
また、韓国企業の台頭により得意分野のDRAMの雲行きが怪しくなり始めたのもこの時期である。
(余談だが、日本の半導体衰退の原因としてよく話題に上がる韓国での週末技術者バイトはさらに昔の話である。このころにはすでに強力な競合に育っていた。)
とはいえ世界的にみると日本の電機メーカーは資金力・技術力ともに上位であり、一時的な不況を乗り越えさえすれば再び繁栄が訪れると誰もが信じていた。
そんな時代背景の元、日本企業は貿易摩擦に対抗しつつ、さらなる勢力拡大を図るため、自動車産業の成功例に倣い世界各地で現地生産を進めることで変化に対応しようとしていた。
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | カリフォルニア州ローズビル | 1981 |
富士通 | オレゴン州グラシャム | 1988 |
三菱 | ノースカロライナ州ダーラム | 1989 |
日立 | テキサス州アービング | 1990 |
松下 | ワシントン州ピュアラップ(National Semiconductorより買収) | 1991 |
東芝 | ヴァージニア州マナサス(IBMとの合弁でドミニオンセミコンダクタ設立) | 1996 |
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | 英 リビングストン | 1982 |
日立 | 独 ランツフルト | 1990 |
三菱 | 独 アーヘン | 1990 |
富士通 | 英 ダーラム | 1991 |
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | 中国首鋼集団と合弁工場設立 | 1991 |
三菱 | 台湾力晶半導体(Power Chip)と提携しDRAM技術供与 | 1994 |
東芝 | 台湾華邦電子(Winbond)と提携しDRAM技術供与 | 1995 |
沖電気 | 台湾南亜科技(NANYA)と提携しDRAM技術供与 | 1995 |
日立 | 新日本製鉄及びシンガポール開発庁と共同出資でシンガポールに工場建設 | 1996 |
Windows95ブームの終焉による半導体のだふつき、アジア通貨危機後の韓国メーカーのなりふり構わぬ安値攻勢、ITバブル崩壊による半導体需要の激減と、短期間で何度も悪化する半導体市況。
次第に半導体産業は将来性を危ぶまれるようになり、成長分野から社内の『お荷物』とみなされるようになっていった。
かつて半導体事業の中核だったDRAMは、優位性を失い韓国企業に覇権を譲り渡してしまった。
資金面でも徐々に脱落するメーカーが現れ始める。はじめについていけなくなったのは、バブル期に事業の多角化を進めて半導体に新規参入した鉄鋼メーカーだった。
続いて総合電機各社も規模縮小に向かう。世界中に作った半導体工場は投資の回収ができないまま次々と閉鎖されていった...
工場の現地化の試みは失敗に終わり、10年程度という短い期間での工場立ち上げ・閉鎖はマンパワーと資金の浪費に終わった。
こうして各社は体力を削られ、余力を失っていくのだった。
NEC、日立、DRAM事業の統合を決定。エルピーダメモリ設立。
神戸製鋼、米TIと合弁の西脇の半導体工場を米Micronに売却
日立、台湾UMCと合同で初の300mmェハ(従来の主力の直径200mmのウェハから2.25倍の面積になり、ざっくりいえば同じ工程数で2倍程度のChipが取れてコストを削減可能。現在に至るまで主流のウェハサイズ。)を使用する工場、トレセンティテクノロジを常陸那珂に設立
東芝、DRAM撤退。北米拠点のドミニオンセミコンダクタを米Micronに売却。
NEC、非メモリー半導体事業を分社化、NECエレクトロニクスを設立。
繰り返す半導体市況の激しい変動も落ち着きを取り戻し、待ち望んだ好景気がやってきた。
90年代後半からの不況で体力を消耗した日本企業だが、いまだ技術力は健在。
折からブームとなっていた『選択と集中』を合言葉に、各社の得意分野に集中投資だ!
パソコンではアメリカ企業に後れを取ってシェアを失ったが、液晶・プラズマをはじめとするテレビ、DVDレコーダーにデジカメ等、日本のお家芸である家電のデジタル化が進展する今こそ最大のチャンス!
さらに、世界中で規格が共通化された第三世代携帯電話が普及すれば、圧倒的な先進性を誇る日本の携帯電話が天下を取れるのだ!半導体復活の時はついに来た!!!
製造業の国内回帰の波に乗り、生産性に優れる300mmウェハの工場をどんどん建てて再起をねらうのだ!
日立と三菱がロジック半導体事業を統合、世界三位の半導体メーカールネサステクノロジ誕生。
富士通、米AMDとNOR型Flashメモリ事業を統合、Spansion設立。
エルピーダ、三菱電機からDRAM事業を譲渡。日本の残存DRAM事業が集約。新社長を外部招聘し、反転攻勢開始
東芝、四日市に300mm対応のNAND型Flash工場、四日市第3工場建設開始
Spansion、会津若松に300mm対応のNOR型Flash工場建設を発表
ルネサス、UMCからトレセンティテクノロジの持ち株を買収。完全子会社化
東芝、四日市に300mm対応のNAND型Flash第4工場を建設開始
2000年代の日本企業の反転攻勢は、リーマンショックで終わってしまった。
日本の電機業界が成功を夢見たデジタル家電は韓国勢との競争に敗れ、携帯電話でも海外展開に失敗した。
90年代から繰り返し計上してきた赤字と、2000年代の大規模投資を経た今、半導体工場への投資を継続する資金的余力はもはや残っていなかった。
不採算部門とみなされるようになった半導体事業は設備投資が止まり、建設されてからわずか数年で時代遅れとなってしまった。
これ以降は、東芝のNAND型Flashメモリや、ソニーのイメージセンサーといった競争力を維持している分野、また旧エルピーダのDRAM工場といった外資の資金を得た分野のみが投資を継続されることになる。
ルネサス、日立時代からの欧州拠点、ランツフルト工場をLファウンドリーに売却
日立、シンガポールの工場をシンガポールのチャータードセミコンダクタに売却
ルネサスとNECエレが合併。世界第三位の半導体メーカー、ルネサスエレクトロニクス発足。フィンランドのノキアからモデム部門を買収。
ルネサスエレ、NEC時代からの北米拠点、ローズビル工場を独テレフンケンに売却
米オン・セミコンダクター、三洋電機の半導体事業を買収
ルネサスエレ、ノキアから買収したモデム事業から撤退、さらに2300人リストラ。またNEC時代の中国の合弁を解消し撤退。
富士通、マイコン・アナログ事業を再建したSpansionに売却
東芝、四日市の300mm第5工場2期分稼働。200mmの第2工場を300mmに建て替え
Panasonic、半導体工場をまとめてイスラエルのTower Jazzに売却
富士通とPanasonic、SoC設計部門を統合、ソシオネクスト設立
この時期に至ってようやく主要半導体メーカーの工場再編が一通り完了し、現在につながる枠組みがほぼ出来上がった。
リーマンショック後の大規模再編で日本企業の世界的地位はかつてないまでに低下し、国内の工場においても外資系の傘下に入るところが増えた。
現在半導体の先端工場に継続投資できる日本企業は、イメージセンサーに強いソニーと東芝のメモリ事業を引き継いだキオクシアだけである。
はたして日本の半導体産業は今後どうなるのだろうか?再び世界に飛躍する日はやってくるのだろうか?
東芝、四日市の第2工場建て替え完了。大分と岩手の200mm工場を分社化、ジャパンセミコンダクターを設立。
東芝、本体の粉飾決算のあおりを受けてメモリ事業を分社化。東芝メモリ設立。四日市に300mmの第6工場建設開始。さらに北上市に300mm新工場を建設
ルネサスエレ、米intersilを買収
東芝メモリ、四日市の第6工場が稼働。多国籍連合のファンド、パンゲアから出資を受ける。
富士通、桑名の300mm工場を台湾UMCに売却。また、会津若松の200mm工場も米オン・セミコンダクターに売却。
Panasonic、残ったマイコン等の事業を台湾Nuvotonに売却して半導体から撤退
ちょうどいま美容室の話をしていたんだが
客の個人情報だからな 客の髪質がどのぐらいでそまるか?はその客個人のデータで 匿名化したからつかっていいかというと 利用目的とか難しい 世界で1人だけの髪質って 多いからな
店が使うのなら 目的別開示で 許可がいる(ほかのお客様 つまり へたすればあなたのライバル)を染めるためにあなたのデータ使っていいですか?
許可もなく客の髪を実験台にはできない 人体実験になっちゃうからな それをやると
店の繁盛のために 髪を染めているわけではないからな
それだと カットモデルとよばれ 金額(下手すりゃマイナスで店から謝礼が出る)と契約が違うだろ それににてるのか
この髪質の人間を探している → たまたまいますから 匿名化して → 狙った後に匿名化してどーすんの
むずかしいからやなんだよ ※ただしくは この紙質の人間を この目的でそめたいため 謝礼はXX円 募集をお願いします と募集して来たひとを匿名化する
いるとしってりゃ その集団を狙った時点で 匿名化前の情報を使っているし 先に目的を言うと 相手が拒否できる これが難しい
※拒否されてデータをとれないから、あとだしじゃんけんでいやいいや 匿名化されているしというのは 講習を受けないとわかりにくいNG
そういうのににていて 疑われたくないから いわないでくれというやつ。
というデータを その回のデーターを何のために、どの範囲で利用する目的でデータを収集するのか?通知することなく 取得すること 実験台にすることに個別の報酬と許可を得ないで やったと
むずかしいんだよ これ
日本のために 会社のために 経営層はいいけれど 出稼ぎ多国籍労働者もいる会社もあるし 平等っていうのがあって
同じようなそうに平均的に希望を取らないと わいろとか 不当な所得と疑われる
チーム平均ぐらいははかるけどな
コロナの中で年始に考えてたやることリストが(主に外出系)が破綻した
もう残り5ヶ月しかない中でやることリストの路線変更せねば!という気持ちです。
上期の振り返りも兼ねて、今後のやることリスト変更したいと思う
みなさんも残り5ヶ月何する想定か教えて欲しい
私の今年のやることリストに入れたい
今年めいっぱい長期的な遊ぶ予定だったのになあ。
→花火大会開催されない行けない悲しい
・一週間以上の海外旅行をする
→かなしい
・キングダムもう一度読む
→読んだ
→行けない
・副業する
→したけど失敗した、全部やめた
→マニアになるのやめた
改め、2020年残り5ヶ月でやりたいこと
・筋トレを極める
・登山、緑豊かなところへ行く
・手持ち花火する
・パン作りとか何か極めようかな
でも食べたら食べた分だけ太るんだよなー
・新しいスポーツ始めたい
・noteはじめる
→今年やったけど頓挫した
もう一度チャレンジ
・花を飾る習慣ができた、素敵
・市民プール行きまくってる
泳ぎながらボーッとできて最高
みんなの今年のやることリスト教えてくださ〜〜い
・テレワークが加速する
・手ごろなオフィス家具が売れる
【追記】現状,子育てとテレワークを両立しなければならなくなり,子育てしている世帯の負担が増加している.
・UberEatが今のAmazonのような存在感を示すようになる
・出前館のような国内配達サービスは今の楽天.ヤフーショッピングのような立ち位置になる
・倒産した鉄道会社の路線を使い,自動運転を試みる企業ができる
・9月入学が導入される.これにより海外留学が盛んになるが,所得格差による教育格差が広がる.
・5月が超大型連休になる.
・抗体のありなしで就ける職が決まる
・製造業のような人が集まって行う仕事は,抗体が無ければ出勤できなくなる
・人件費は高くつくが,確実に納期に間に合うため,抗体を持った集団を持つ企業はたくさん受注を得る
・国内で感染封じ込めに成功した国限定で経済活動が再開する.ドイツ,台湾,マレーシアがその先頭に立つ.
はっきり言えば、岩田健太郎は、危機管理に油を撒いて炎上させた。
今回の件。
もうすでに船の中に感染は拡大している恐れ。
船員は防疫の専門家ではない。
という複雑な問題なんだよね。
だから、現場は、「ベストよりもベター」で動かざるを得なかったということは想像がつく。
そこにベストのみを主張し、命令系統を無視した理想主義者が出てくるとどうなるか。
そして、専門家ほど「なぜこんなことができないんだ」と怒り出す。
でも、できない理由は、単純にリソースが足りないからだったりする。
正論であることは間違いないゆえに、指揮系統が余計に混乱する。
感染症専門に限らず、医師が、「岩田医師の言ってることは正しいが、やり方が確実に間違っている。グレーな対応こそ、今回はせざるを得ないのに」というのはそういうことだ。
85%の対応しかできないこともあり得る。それがベターである、ということは危機管理の場合如実に起こる。しかし、そこに部外者がなぜ100%の対応をしないのだ、と言い出したら、無能だからではなく、15%ができない事情があったのだということだ。
これは、「あらゆる観光客をなぜすぐに入国禁止にしないのか?」というのも同様だ。ドラスティックに防疫のみを考えるならばそうしたほうがベストだが、日本の法体系は諸事情によりそれができない。しかし、「だから官僚は無能だ」とかいうのはベストを主張しているようで、全く無意味な行為になる。だから、ベターな、聞き取り調査、発熱の管理という方法を取った。できない事情があったということだ。
少なくとも「正しいことを言っているから、危機管理上あらゆる面で正しかったか」と言えばNOなのだ。
グレーゾーンでの対応を国民が糾弾するようになったら、まず最初に「人権」が犠牲になる。
そこが最大限ヤバイ。
foorin team Eが出てきて結構ガッカリしたんだよな
日本語版のパプリカがレコード大賞をとったらしいけれど、普通に考えると時間が経てば売り上げは頭おちになってくるはず。
そんな時にteam Eを投入すればシリーズ物の続編を出したようなもので、前作のファンが何もしないでも買ってくれる。
「応援ソング」だとか言って公共放送で宣伝し放題やってきて、それでそこそこ売ったら続編を出す。
なんかそういう商業主義的なものが鼻について一気に嫌になってしまった。
今年この曲を聞いても米津さん儲けられてよかったねーと思うだけで、全く応援する気持ちにはなれないと思う。
一歩下がって、英語バージョンを出すことで世界の人に親しんでもらうというのだとしたら、なんでオリジナルのメンバーを多国籍にしなかったんだろうって思うんだよね。
ネットでざっくり検索しただけだが、献血ポスターに黒人を採用したことはないようだ。なぜだろうか。
日本で献血を啓蒙するのだから日本人を対象にするために黒人を除いたというのはもっともらしい理屈だが
それでも、そういう人々は少数派に過ぎないのだからわざわざ取り上げる必要もないと言うのだろうか
折しもラグビーワールドカップでは多人種、多国籍、様々な肌の色の選手たちが日本代表として活躍している。
その姿を私達は応援していながら、日本に暮らす外国の人々を少数派だからと切り捨てていいのだろうか。
多様性を重んじるならば、少数派も取り上げるべきではなかろうか。
献血ポスターに採用されるオタクコンテンツにまつわる騒動からこんな発想に至った。
件のポスターは、採用されたことで議論を巻き起こしたが、採用すらされないことにも示唆があるのではなかろうか。
多様性を重んじるならば、献血ポスターに黒人がいてもいい、オタクコンテンツがあってもいい。
万人にとって当たり障りのない表現は、時として少数派を切り捨てることになる。