はてなキーワード: 外圧とは
もちろん養育費とかDVとか共に解決すべき問題があるよね、というエクスキューズは必要だし実際にそのように動いてる(振り上げた拳を下ろした人も散見される。下ろせて偉い)。
でも共同親権自体に関してはもろ手を挙げて賛成一択だろ。養育費の問題を解決するまでDVの問題に手をつけちゃいけないみたいなバカな話ないだろ。
ましてや国際社会で怒られが発生しているこの状況においておや。未だに外圧がないと変われんのかという失望は置いておいてな。
賛成派に変なやつが多いのは認めるけど反対派にだって変なやつはいるし、人で判断するのバカみたいだからやめたほうがいいよ。
なんか共同親権が家父長制の推進みたいに言う人までいて、全然意味わかんないからちゃんと説明してほしいわ。
生む機械として嫁に入り、長男を生んだ後不要になり放逐され、こっそり実の子に会いに行くが親権がないため連れ回しで逮捕されてしまう。みたいな昭和的家父長制単独親権ストーリーだって作れるわけ。
共同親権のない国ってインドとトルコと日本だぜ?これ、女性の人権がばっちり保証された進歩的な国か?
俺は父親の顔も知らないのにお前の父親はクズクズだからお前もクズクズ言われて育ってもちろん実母にも継父にも殴られて、布団たたきでたたかれて、裸で締め出されて、数日家にも入れてもらえなかったり、飯もなくて、カップ麵勝手にくったらボコボコにされてたが。これは女がやったらDVじゃないん?あるいは受け手が女じゃなければDVじゃないのかな?
共同親権があったら助かったとは別に思わんよ。けど単独親権が守ってくれることなんてなんもないし、同じような境遇の子で共同親権があったら防げることもあるのかな、って思う。
今だって調停して親権きめてんでしょ。DVが離婚事由なら争って剝奪すればいいじゃん。自分が会いたくない程度の問題なら我慢しろよ。あんたは会いたくもないかもしれんが、子供にとっちゃ親だぞ。
ちなみに調停だか手続きだかちゃんとやってないからか知らんけど俺の戸籍父親んとこなの。ウケるよね。俺は関係ない人にボコボコにされてたってわけ。
弊害を完璧にカバーできるように細やかに組み上げる前にとにかく拙速でもいいから共同親権の体裁を整えろって、誘拐する日本人母問題に端を発する外圧が凄いことになってたんじゃないかなと思う。
そういう意味では、痴漢冤罪などどうでもいいからとにかく拙速でも女性の安心を!で導入された女性専用車両と、性質としては似ている。
>共同親権反対派は、敵は外国人DV夫や保守政治家や統一教会だと思い込んでいたようだが、日本に外圧を招いた犯罪者である日本人妻こそが本当の敵であることに早く気付くべきだった。
共同親権反対派は、この辺の浅はかさというか「こういう事をしたら周りの人間は悪感情を持ってしまい結果として自分に不利になる」が分からないから回り回って自分で自分の死刑宣告書に署名をするような羽目になってるんだろうなあとは思う
「外国人との結婚が破綻した日本人妻が子供を日本に連れ去り返さない事件が多発している。これは拉致である、犯罪である、子供の人権侵害である。日本も批准しているハーグ条約違反である。先進国並みの共同親権を早急に認めよ」という欧米諸国からの。
この外圧を共同親権を導入せずに済ませるルートはおそらくあった。子供を連れ去った日本人(妻であれ夫であれ)を犯罪者として処罰し親権を剥奪するという法の運用を日本が行えば。
「共同親権の導入は我が国固有の歴史と文化から難しいのでございます。しかしながら、貴国の訴えを最大限尊重いたしまして、今後は外国から一方的に子供を連れ去った日本人親は誘拐犯として懲役刑に処します。刑務所に入っている犯罪者に子供の養育は不可能ですので、子供は外国人親のもとに返されます。共同親権ではないですが、子供を奪われたと貴国に訴えている外国人親の望んだ結果が実現いたしますので、これでどうかご容赦いただけないでしょうか?」
このように交渉して単独親権のまま外圧をかわすことはできたはず。
共同親権反対派は、敵は外国人DV夫や保守政治家や統一教会だと思い込んでいたようだが、日本に外圧を招いた犯罪者である日本人妻こそが本当の敵であることに早く気付くべきだった。
主に外圧によって著作権が非親告罪化されそうになった頃を知っている創作者方面からクソミソにけなされているけど、生成AIが世に与える負の影響を考えれば、生成AIと疑われてネット上で叩かれたり通報されて警察に逮捕されたりするような冤罪による被害は、生成AIを利用するような犯罪者を取り締まる法的根拠ができることに比べれば十分に許容できる範囲内だとしか思えない。
冤罪によってネットで炎上したり、警察に逮捕されても、生成AIを使ってないと証明できれば炎上に対して名誉毀損で訴えたり、警察からもすぐに釈放される訳で、その程度のデメリットに比べれば生成AI利用を制限することでクリエイティブな場を清浄に保つことには十分過ぎるメリットがある。
生成AI利用を著作権非親告罪化すると二次創作文化が死ぬは、論理の跳躍だし、そう言うことを主張する奴はクリエイターの敵として厳しく糾弾されるべき敵でしかない。
昨年子どもが生まれ、育休を3ヶ月取った。都内の上場スタートアップ勤務ということもあり、男性育休には寛容な環境で、同僚からはお祝いにおくるみもいただき、前向きに送り出してもらった。
当然だが、とてもハッピーな気持ちで育休に入った。出産に立ち会って自然と流れた涙は、これまでの人生で最も無垢で、言葉にならない嬉し涙だった。仕事と子育てを両立して、より一層充実した人生を送っていくぞと意気込んだ。
しかし、育休中に痛感したことがふたつある。
まず、育休中は仕事をしていないので、育休を取ったからと言って仕事と子育てを両立したとは思えなかった。数ヶ月程度の育休は「特に大変な新生児期を乗り切る手段」であって、「仕事と子育てを両立する手段」にはならないのが現実だ。
そして2つ目に、「両立」と勝手に言っているが、それは自分だけの問題なのかということ。子育ては夫婦の共同プロジェクトだ。義務教育までとしても15年を要する、一大プロジェクト。そのプロセスにおいて、当然、妻には妻の「両立」がある。
育休は子育てのほんのプロローグに過ぎず、その後が本番と言ってもいい。
3つそれぞれの満足度(納得度の方が適切かも)のバランスをどうやって保っていくか。中長期的にはこれが1番のテーマで、もはや、要素がふたつであることを前提にした「両立」という言葉で捉えること自体が、時代遅れに思えた。
妻はメーカー勤務で、仕事好きな人間だ。バリキャリ志向ではないが、自社商品を愛してやまないタイプで、今後もフルタイムでの仕事を望んでいる。彼女が仕事を通して充実感を得ることは、一緒に生きる私や子どもにとっても大切なことだ。
私は会社に働き方の相談をした。フレックスがなく、リモートにも回数制限があるため、せめて後者は緩和できないかと。しかし残念ながらその交渉は実らなかったため、転職を決めた。
次はリモートかつフルフレックスの環境で、幸いなことに年収も大きく上がるオファーをもらえたので、自分自身の問題は解決できたが、これだけ少子化が社会問題になる中でも、子育てと仕事の両立に優しくない現実を突きつけられたモヤモヤは消えていない。
経済合理性が伴う事由や、事業を左右するような外圧がなければ企業は変化しない。女性社員の活躍を進めて社会情勢に応じつつ、男性社員にはこれまで通り仕事にフルコミットさせたい。これが経営者の本音だろう。
しかし、その男性社員に子どもがいるとなれば、しわ寄せはパートナーの女性にいき、どこかで働くその人のキャリアを制限し、家庭の幸福度の総量も減らす。間接的に女性活躍を阻害しているわけだが、大半の企業は「知ったこっちゃない」と言うだろう。
だから思う、男性こそ子育てを理由に転職した方が良い。環境や制度を変えなくても男性社員が辞めないから、企業も変わらない。賃上げだってそうだろう。
厄介なことに、子育ては本当に千差万別。子の性格や体質、家庭の経済力、時間の柔軟性、幼稚園や保育園の環境、本人やパートナーの体力、実家の頼りやすさなど、いろんな変数で難易度が変わる。
カードに恵まれただけだったかもしれないことに想像が及ばず、n=1の個人的な体験談で断じてしまう人もいる。そういう人が上司や経営者の会社にいるなら、すぐに転職した方が良いと個人的には思う。
少子化と人手不足が課題の社会なのだから、共働きで子育てもしようという自分は多少わがままを言ってもいい。自分にそう言い聞かせることで、同僚に迷惑をかけることを頭から消して長めの育休を取り、転職も決めることが出来た。
仕事より家庭、という安直な二元論では捉えていないし、仕事ももちろん頑張っていくが、「仕事=今の職場」ではないはずだ。
繰り返すが、男性こそ子育てを理由に転職した方が良い。それが大きなうねりになれば、いろんな問題が少しずついい方向に向かうように思う。
Wikipediaにはブランディングされライト化、大衆化、陳腐化してきた経緯もちゃんと書いてあるじゃん
世間からの「個性的でなければいけない」という外圧により、「無理して個性を作らなければいけない」と焦る若者が増えているとして、その理由を「カルチャーシーンから“メジャー”が消えてしまったから」だと分析し[26]、「属するだけで安心できていたメジャーが消えてしまった今、彼らが探しているのは、要は“拠りどころ”なんだと思います。自分が属しているだけで、楽しいと思える場所。それが、オタクという属性です。(中略)推し活動をしているオタクはすごく輝いているから、自分もああなりたいと切望する。もしそうなれて、オタクという属性を手に入れられれば、結果的に自分は“個性的”にもなれる、と捉えている。だから正確に言えば、“オタクになりたい”んじゃなくて、“拠りどころになりうる、好きなものが欲しい”だし、それは“個性的な自分でありたい”だし、一番正直に言うなら“
原田曜平は、非常に多くの若者たちが、自分のことを「オタク」と自称するようになっていることを挙げ、本来であれば、サブカルチャー好きを指す言葉である「オタク」というワードが、メジャーなカルチャーにまで使われるようになってきていることに驚いたと述べている。また、話題になった作品だけをチェックしており、オタク知識は総じてそう深くない「エセオタク」が増えており、濃度の高いオタク(ガチオタ)からは「にわかオタク」と揶揄されることもある[28]。
また、日本政府が観光資源の一環として、国策で「クールジャパン」戦略を行うようになったのも2010年代からであり、迫害から一転し、おたく文化は政府お墨付きの“体制側”の文化になったとも言える。
日本人がちゃんと給与高い会社に移ってくれるならこんなに賃金横ばいになってないだろ
日本人は賃金上げなくてもなかなか辞めないから、企業に賃上げ圧力が働かずにどんどん生活が苦しくなってる
だから最低賃金上げるなりして外圧を与えないとって話だと思うけど、冷静に考えて国民が頭おかしいよな
高給を稼ぐことが生活を守るのにいかに大事なことかとか、高みを目指すために必要なリスクを取ることとか、ちゃんと教育に組み込んだ方が良いんじゃないの
私がツイフェミならロリ作家がこんな解りやすくヤベェ行動したのに便乗して、オーストラリアのH&Mとか、H&Mに抗議をした作家とかにこのイラストとアドレス送りつけまくり、海外にLOがどういう本なのか説明付きで引用で拡散して、ワンチャン外圧からの日本の児童ポルノ雑誌潰し狙うから、砂漠を凍結させただけならめちゃくちゃ優しいと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240227085257
この増田もトラバもほとんど完全に的外れで、今回に限ったことではなくいつも同じような流れで本当に不思議なんだけど。
個人の能力が高まって生産量が上がるのは自明であって社会は何も進歩していない。
そうではなく、設備投資、イノベーション、配置換え、何でもいいが
効率を上げることで同じ投入能力でより多くのものを得られるように、システムを変更することが「生産性を上げる」ということだ。
これはしかし決して簡単なことではない。投資とリスクテイクを常に行い、市場に結果を評価される必要がある。
経営者がもはや設備投資や取引先変更などのリスクテイクを行う気がないからだ。
零細企業は長期的な利益の最大化ではなく、経営者のライフイベントによって動く。
経営者がそれなりの報酬を得ている老人ならもはや設備投資もリスクテイクもやる気は起きないだろう。
死ぬまで低賃金労働者をつかって現状維持し、資産を減らさずそれなりの年収を確保できればそれで満足してしまう。
これは個人の行動としては合理的で、だれかの能力の介在する余地はほぼない。
だからそうなったらもう生産性を上げるには外圧で潰して資源を開放するしかない。
政策レベルで強制的に最低賃金を徐々に上げていくことはこの一つの外圧だ。
もちろんこの過程で失業率は上がるだろう。ストにもレイオフのリスクがあるし、企業が破綻するかもしれない。
しかし単純に労働力分配という観点からみればそれはあくまで、ほかの効率のいい仕事へ移行する際の待機時間であり
「失業=まともな人生からドロップアウト」のような日本の観念が意味不明なのだ。
もちろん失業率が高すぎないに越したことはないが、それは単に待機時間が短いほうが効率がいいというだけの話だ。
社会全体の生産性の向上を止めてまで失業率を下げるのは本末転倒ではないだろうか。
経済効率だけから考えれば失業者の生活は社会保険でカバーすればいいだけの話だ。
実際に最低賃金を上げていった国は徐々に生産性が上がっている。
むろん、人間には感情というものがあり、労働に参加していないと社会的無力感を感じるし
それを抜きにしても人間関係などの社会資源から切り離され個人レベルの損失はあるから
しかし少なくとも経済学的には、雇用状態/失業状態は個人の能力を表すわけではなく、単に今労働力が市場に利用されているか否かを表すに過ぎないし
最低賃金の水準は個人の能力とは関係ない。しいて言うなら社会の能力に関連している。
もちろんただ最低賃金が上がればいいという話でもなく結局は生産性を上げることが重要だ。
そしてそもそも、低賃金労働者=能力が低い、というのは必ずしも正しくない。
ほかの指標がないから「現在の賃金=個人の能力の代表値」とすることが横行しているが、雇用の流動性が低いほどこれは不正確になる。
もちろん能力評価による昇進や転職が機能している場合には個人の能力に相関はするだろうが、能力そのものではない。
さらに言えば生産性が上がれば必ず賃金が上がるとも言えないので
可能ならば労働者側もストなどをして労働者のパイを増やすことをやる必要がある。
ここまで書いてきたことは教科書レベルの話で、流石のはてな民といえど本気でこれを理解できないほどアホとは思えない。
明らかに一部の世代の日本人が病的なまでに設備投資やリスクを嫌っており、それをしなくていいように逆算してロジックを組み上げているとしか思えないのだ。
こっちにも仮説はあるのだが、本当のところはよくわからない。