はてなキーワード: 勝ち馬とは
本日のWESTival広島昼公演にて、ジャニーズWESTのオタクを一旦休むことにした。
休むといってもCDは買うし、いずれ行われるであろう次のツアーにも参戦するつもりではいる。
じゃあ何が休むんだよって話だけど、休むのは物的な話ではなくて気持ちの話だ。
2016年12月24日、人生初めてのコンサートで「私はずっとこのグループについていこう」と心に決めた。あれ程幸せなクリスマスは後にも先にもないだろうし、あの瞬間に私はいつ死んでもいいと思った。
純粋に彼らのことが大好きで、彼らが眩しかった。このグループを好きでいてよかった、濵田くんのことが好きでよかった、濵田くんの仲間がこの6人でよかったと心底思った。
しかしそんな純粋な「好き」の気持ちはいつのまにか歪んでしまった。
始まりは『おーさか☆愛・eye・哀』発売の頃だったように思う。ジャニーズWESTの並び順が変わったのだ。
それまでは重岡センターや虹色順以外の並びにこれといった決まりはなかったはずなのに、いつのまにか[小瀧・重岡・藤井]の並びが固定化された。また、この『おーさか☆愛・eye・哀』には自担のパートがなく、同三人と神山くんに見せ場となるパートが用意されていた。濵田くんには何もなかった。
それ以来、彼のポジションやソロパートを意識する機会が増えた。元からハモりパートが多い彼だったが、A面でのソロパートはこのシングルを機に少なくなったような気がする。
そんな小さなことで、そんなことを気にするなんて、メンバーみんな好きなんだからそれくらい気にするな、被害妄想じゃないのか、何度自分にそう言い聞かせたかわからない。それでも私はどんどん辛くなっていった。
私は7人一並びのジャニーズWESTが好きだった。勝ち馬しか乗りたがらない私は、適材適所で平等な彼らだからこそ濵田くんを好きになった。だからこそ並び順が変わったこと、固定化されたことが辛かったんだと思う。自分が勝ち馬に乗りたいだけかもしれないけれど。
他のオタクからしたら、自担のことばかり考えてる自分勝手な奴、7人全員を愛してやれよと思われることかもしれない。でも私は無理だった。濵田くんのことが好きなのは変わらないけれど、濵田くんのパートが少ないこと、ポジションが固定化されたこと、実際に濵田くんにあまり人気があるわけではないこと、そんなことが気になって気になって、いつしかそれが歪んだ気持ちを生んでしまった。
最終的に、他の6人に対して嫉妬のような醜い感情を向けてしまうようになった。
濵田くんが好きなあまりというより、自らの承認欲求を満たしたいがためだった気がする。
いずれにせよ、もう2016年12月24日の私はいなくなっていた。
そうなってしまってからは、応援していると気持ちが苦しくなる一方だった。こんな醜い気持ちで応援している自分も嫌になった。幸せそうな他担のツイートも、私と違って純粋に彼を応援している同担のツイートも見れなくなった。
でも、歪んだ感情になってしまっても、彼らを降りることはできない自分がいた。それは濵田くんのことがまだ好きだからだ、と信じたい自分がいる。しかし、「濵田くんが好きな私」というアイデンティティとジャニーズWESTがきっかけで生まれた人間関係のため、そしてここまでかけてきたお金と時間による意地じゃないのか?と言われて完全に否定することができなかった。どこまでも自分の感情は醜かった。
そんな複雑な気持ちを抱えて挑んだ、2月のWESTival宮城公演。生で見ればやっぱり7人全員輝いているしかっこいい。しかしどうしてもあのクリスマスほども盛り上がれない自分がいた。その後の二回の大阪公演でもそれは同じだった。
そして自分の決定的な気持ちの変化に気づいたのは今年の4月1日に入ったSexy Zoneのツアー大阪公演である。純粋に楽しかった。かっこいいケンティを見て自然と悲鳴が出た。その気持ちと悲鳴はジャニーズWESTにはなかった。
「ああ、やっぱりもう好きじゃないのかもしれない」。ちょうどSEVENTEENにハマり始めていたこともあってその気持ちは大きかった。そしてもう彼らのことを純粋な気持ちで見れないこと、好きが歪んでしまったこと、あと単純にジャニーズWESTというコンテンツへの飽きを感じた。明確に彼らと区切りをつけるべきであることを感じさせられた。
しかしそれでも濵田崇裕というアイドルを降りることはできないと思った。自分本位な醜い感情は否定できないけれど、やっぱり「好き」という気持ちが残っているのだろう。
だから私は広島公演を一つの区切りにしようと決めた。広島公演を最後に彼らに対する気持ちを整理しよう、彼らを純粋に楽しめる自分に戻るために一度彼らから離れよう、そう決めたのだ。
明確に終わらせるわけではないけれど、ここで一旦区切りをつけようと決めて挑んだ広島公演は思い出深いものになった。
「最後だからあわよくばファンサもらえねーかな」くらいの気持ちで汚い団扇を作って、まあでも案の定気づかれることはなく、呆気なく終わった1日目。ここで若干燃え尽きたところはあった。
付き合いで仕方なく、という気持ちで入った2日目。もう団扇を持つ気はなかったが、同行の友人が「せっかく作ったんでしょ!私が持つよ」と団扇を持ってくれた。席はスタンドで、スタトロが来た時にもしかしたら、くらいの距離。今まで悉く相手にされなかった私は若干諦めつつも来たら頑張ろうという気持ちだった。
そしていざスタトロが通ったとき、隣の友人の強いアピールに押され、「これが最後だから!!」と私も必死で彼に手を振り名前を呼んだ。少し離れたところに同担がいて濵田くんは彼女の「釣って」団扇に反応。もう無理だろうな、ファンサもらうことなく終わるんだろうな、その一瞬でそう悟ったその時だった。彼の視界に自分が入ったのがわかった。今までに感じたことのない確信があった。
彼は私と団扇を持って来れた友人に向けて手を振ってくれた。周りには必死にアピールするオタクがたくさんいた。それでも私の方だけを見て手を振った。
確信はあったが自身のない私は一瞬戸惑った。しかし彼はそれを察してしっかり頷きながら私に手を振ってくれた。他の同担もいただろうに、私の前を通る時は私にだけ手を振ってくれた。
「ああ、これで心置きなく最後と言える」
一瞬のその時間でそう感じた私の口から出た言葉は「ありがとう」だった。彼に届いたかはわからないけれど、本当にそれしかなかった。Twitterではネタっぽく書いたが、心の底から自然と出た言葉だった。これまで濵田くんを応援できて幸せだったな、出会えてよかったな、という素直で純粋な気持ちが久し振りに帰って来た気がした。
そして最後のコールアンドレスポンス、いつもセンターの重岡が舵をとるおきまりのコーナー。しかしなぜか今回は重岡が濵田くんを指名した。いつもはそんなこと絶対にない。自分を含めたオタクたちの戸惑いをひしひしと感じた。これはいつものネタで重岡が結局やるんだろうな、と思っていたが、本当に濵田くんの掛け声でライブが幕を閉じた。
私はこれが自分への何かしらのメッセージだとしか思えなかった。そんなわけないことはわかっているけれど、濵田くんが、ジャニーズWESTが、こんな私でもまだここにいていいよと言ってくれているように感じた。
それでも、このまま応援し続けたらまた醜い自分が出て来てしまうと思う。彼らに対する飽きが来ていることも否定できない。
だから私は彼らを応援することを休むことにした。どう言うスタンスになったのかを説明することは面倒臭いので省略するが、彼氏が一番気の合う友達になった感覚が一番近いと思う。
これから自分の気持ちが戻るかどうかはわからないけれど、一旦今の気持ちを記した。本当にいい区切りになったと思う。
本を読むのを否定している時点で、じゃあ、あんたのその考えはどこから来たの?だれかえらいやつ、勝ち馬に乗れる思想に乗っかってるだけじゃね?と思うな。
右でも左でも考えてるやつは本を読んでる。
政治的立場がどうこうというのは外が勝手につけるものであって、自分は自分が正しいということを言う。それだけだ。
慰安婦の件については「当時合法だった売春業で売春業者が商売をしていた。裏でえげつないこともあったかもしれん。ただし、それは条約結んで問題解決済み。新たに議論になる要素もない」だ
目が覚めて何気なくエフテーピルサドが勝ったレースのことが知りたくなった。スマホでエフテー…と入力すると予測に「エフテービルサド」なんてのが出てくる。いやいや違うから。俺が知りたいのはピルサドのほうだからと検索するとGoogle先生も「もしかして: エフテービルサド」なんて出してきやがる。ふざけてんのか。エフテーもエフテーだ。なんで似たような馬名を使うんよ。
でもまあ興味本位でエフテービルサドのほうも見てみることにした。父ヤマニンゼファー1996年生まれで1999年忘れな草賞の勝ち馬。ああ思い出した忘れな草賞だ。似た名前で同じレースを勝ったのか、ってちょっと待て。俺が思い出そうとしていたのはこの馬じゃないのか、いやいやピルサドだろォ?父親がピルサドスキーだからその名前だったんじゃないのかよ。
おそるおそるピルサドスキーを調べた。1992年生まれで1997年のジャパンカップ勝ち馬。繁殖成績は散々なものだ。うん。時期的に見ても明らかに俺の知ってる「エフテーピルサド」の父親ではないね。
でもなんで俺は今の今まで「エフテーピルサド」と思ってたんだろう?どこで記憶の混同が起こってたんだろう?
(追記)馬名の由来:ピルサドスキー だとォ??ふざけんなよ!父親でもなんでもない馬から取ってくんなよ!!しかも間違ってるし!!!!
全てにおいてただ票が欲しいだけなの見え見えなんだよボケが。
もう芯が通ってるの共産党だけだけど民進党と共闘しようとしてるのが腹たつわーーーーー
お前ら仲間にならなくていいから!!共産党は共産党でいいから!!!
都知事選小池さんに入れたけど、豊洲は難しい問題だったとしても都政投げて新党結成ってほんとクソだから。仲間集めたかっただけか。
そしてここも勝ち馬に乗ろうとしてる下心丸見えの人たちばかり集まってくるし。
北朝鮮がこの状況では世論的にも安倍だろうし、改憲も現実味を帯びてくる。
格差を是正し、アメリカに媚び売らず、かと言って愛国心とか言わず、教育や社会福祉に力を入れる方向に国を持っていきたい場合、いったい何処の党を支持すればいいんだ。
結局のところ、ネトウヨは一体いつの時代からタイムスリップしてきたんだというレベルでコミンテルンや共産主義の残党、中韓のせいにして
ブサヨは日本のクソみたいな商慣行や文化のせいだろう、とネットで盛んに言われているが、日本が急速に社会的にも衰退している理由って
単に世界史で見ればわかるが、アメリカ一極体制が2008年に崩壊したせいでしかないからね、実質アメリカの属国なんだから、アメリカがコケたらそら余波を思いっきり食らったってだけ
そりゃそうでしょ、同じ仕事してても給料や収入が半端じゃない速度で平均が落ちてるのもまさにそのせいでしかないからね。
小泉竹中路線から続く、自己責任だの努力不足論者さん、残念でした。何をどう頑張ろうとも、マイナスサムゲームに突入しているだけだから、勝ってるだけでも負けてるのが大半な訳
でも俺は勝ってるって?あのね、あんたらの年収今幾らよ?マイナスサムゲームで勝てるのなら、あんたら10年前同じことやってたなら今頃あんたら億万長者よ?上級国民の末席に入れてたかもしれないのよ?
年収500万平均が今や300万が大半、同じ努力をしても4割近く大半の人間は稼げる利益が減ってるわけ。わかる?4割だよ、4割。
現状維持するだけでも、俺らは40%増しで努力しなきゃいけないわけ、これが、加速度的にこれからもっと増えてくるのよ。
5年後か10年後には、年収300万維持するだけでも、今の150%くらいの努力をしなきゃいけない時が確実にくるわけ。
「じゃあどうすればいいんだ冷笑野郎!ペシミスト野郎!」なんていうかもしれないけど、まぁいい年こいてお前ら人にもの聞いてばっかだな、たまには自分で考えたら?と言いたいところだが、ハッキリ言っちゃうとね、勝ち馬に乗ればいいだけなのよね。
つーかさぁ、北朝鮮みたいな吹けば飛ぶようなゴミ国家にミサイルポンポン撃たれて挑発されただけで、空母を回航させるだけで口ばかり勇ましいことしか言えなくなったくらいアメリカなんて、ギリギリまで利用してポイして、他のところへすり寄ればいいだけじゃね?イラク戦争の時なんてさ、あるはずもない大量破壊兵器をでっちあげて、速攻で地上兵力数十万も送り込んで、1か月で制圧しちゃってたのに、アメリカもそんだけ凋落してるってわけよ
いつまで落ち目に甘んじてるつもりだ?勝ち馬に乗ろうぜいい加減、お前らだって、ネットでは弱者をぶったたいて、本当にやべぇ犯罪犯した上級国民は、ガンスルーじゃん、その精神でいけばきっとうまくいくと思うんだけどね、俺は
何でこれがマクロになれば、みんな義理人情に篤い善人面するかわからん、お前らが普段ネットでしてることを拡大しすりゃいいだけだろ?
「正義などない(キリッ」
こういう意見がブコメ集めちまうからいつまでたっても増田・はてなーことニッポンジンはいつまで経っても土人なんだよ
まぢ太平洋戦争で死に絶えてれば良かったな
損益的に考えろ
もう一度いう
損益的に考えろ
うわーん難しいよー
頭つかいたくないよー
じゃねえよ
何度でもいう
損益的に考えろ
例え行動がネトウヨ的であっても自民党が損益的に自分の利になると判断するならそれに従えばいいわけ
もし民進党が損益的に自分に利するなら売国でも応援すればいいわけ
それに対して第三者がとやかく言う資格はない、飯を食わせてるならともかく
この辺りがジャップたちはできてなさすぎ
自分の味方に贔屓になればいいのに
正直経済と個人の台所がよくなれば誰が政治しても幸福感は得られるんだよ
民主党政権の前と何1つ変わってねーだろ
ネトウヨがダメならブサヨか!いや、民主党か!ダメか!都民フか!→ダメか!(予定)
もーこの繰り返し
毎日のように登校してちゃっかり提出物出してる時点で全然適当に授業受けてたわけじゃないのよねえ
精神的にも辛い状況下で不登校や保健室登校の時期もあって、気がついたら提出物なんかろくに出したこともないまま卒業したわ俺。
そのせいでいくら実力テストの点数上げたところでせいぜい偏差値60ちょい下の県立高校がいいとこだったんだよね
貧困とか関係なしに健全な関係保った家庭にいて、地域のコミュニティにも馴染めていてなんだかんだ学校にも居場所があるのは恵まれてることとしか思えないんだよなあ…
金の心配せずに高等教育受ける生活なんて全く想像も出来ない様な人だっていくらでもいるし、「とにかく高専や専門学校で頑張ってそれで就職しなきゃ」って、それ以外の将来考えたらバチが当たるんじゃないかってそんな風に考えてる、余裕のない奴もいるんじゃん?
それを考えれば元増田だって恵まれた環境にいたわけだ。視野に大学に進学するという選択肢が入ってくる環境、器用に大学生活を謳歌しながら院まで行ける環境。抜け目なくインターンから始めてしっかり内定とれる環境ね。
増田もとても運が良かったって言ってるけど、その通りで人間関係やら金のトラブルの有無やら色んなことが複雑に絡まりあって結果として成功に至ってるんじゃん。
増田の安定した現在も昔の出来が良かったエピソードも厳密にいえば自分だけの力によるもんじゃなくて、それは増田自身もわかってるかもしれないけど、やっぱりこうやっていいたくて。
なんつうか元増田ってぶっちゃけ結局「奨学金借りてましたー」ってだけでわりかし普通な学生生活送ってた人にしか見えないわ。
進学して要領良く「いいとこ」に就職できてる結果がある以上、勉強してきた環境に恵まれてたという他ないんだよ。結果論なんだよ。
別に元増田の価値観にケチつける気はないんだけど、こういう自分を劣悪な環境の出自だとかハンディ持ちだとか紹介して展開するポジショントークって、はっきりこれが駄目だって言いきれないけどなんだか不愉快だわ。
なんつうか高専までの同級生とか自分の家族とか地元の友達とかもう無意識に見下してる感じがするし、大学以後の言い方もなんか「こんな優秀でブルジョアな人々が集まるハイカルチャーな場所の一員になれて幸せっす」みたいな。他人を有益無益に振り分けてるっつうか、勝ち馬に乗りたいという気持ちというかなんかうまく言えないんだけどさ。
まー「自分のやりたいことがわからない」のもなんとなく納得出来ちゃう。権威主義というのかそういう卑しさが垣間見えるのかな?
やりたいこと見つけるとか夢の実現とか、そういうことは追いつけ追い越せと競い合ったりするもんじゃないと思う。そんな他人からかっこいいと言われたいが為だけに頑張る様な真似をせず、マイペースにやっていくなら「自分が何をやりたいのか」なんてはっきりわからなくてもいいと俺は思う。
平たくいったら「恵まれてないとか卑下すんな嫌味ったらしい。半ば学生のあっさい仕事観や学問観なんざだらだら書き込んでんじゃねえ。うざったいんじゃ黙って働けや。」ってことです。こんな愚痴聞き流してくださバイバイ。
安倍以来、激鬱で生活行動すらまともにやれていないので、ましてや書くことも辛くて、思考はいくらでも自動的に出てくるのだが書けないという日々が続いている。だから、論理的にちゃんとしたことを書く気力がないので、跳躍的に短絡に書く。
近年の現象は、既得権益者の逆ギレと、社会の既成構造に馴れ合う人々のパラサイトで生まれている。そうやって、プーチンも安倍もトランプも生み出されている。
自然界の多くは、普段は役に立たない日和見でできている。人体の細胞のかなりの割合は、役に立っていない。人体に棲む細菌の大多数は日和見菌であり、「勝ち馬に乗ろう」とする。生きていくためには多少のことは辛抱するというそこそこ恵まれた人間が、人数としては多い。こいつらは日和見である。
残念ながら、弱くて卑怯な奴は日和見をするし、組織の論理で行動する。自分の命が惜しかったり、部下や親類や友人のしがらみの社会では、日和見で行動する。本当に正しく善い人でいるためには、ときには人間関係を絶たねばならない。だから、友達(笑)である。妻や恋愛や友情なんかでは、保身のエゴイスティックな行動を取るという生存欲求という意味で強くなれるだけであり、そこには正も善もない。あるのは、人間社会の利己主義に基づいた正義だ。そういう意味で「強い」のであって、正しいかどうかは別の問題だ。
既得権益者は、贅沢な地位を民主党政権時代に抑制され、被害妄想に陥った。恵まれた身分を奪われたら、「差別されている」とすら思い違いもする。もはやコントか漫才かのような笑い話だが、困ったことにフィクションではないから困る(笑)。例えば、このオッサン社会なのに、男が差別されるようになったとすら思い込んでいたりする(笑)。所得があって恵まれているのに、俺のカネを無駄遣いするなと言って税金をケチらせようとし、社会保障費は貧困者に負担させようとする。
ちょ、おま(笑 である。面倒くさいからその一言だけでもいいと思う(笑)
けど実害が甚大だから困る。物凄く困る
社会の既成構造、政体があって、そのなかで権力・権利をもっている階級身分っていうのが未だにある。封建。カースト制のようなものだ。そうして、そのカーストに基づいて人生を過ごしている人間には、その身分に基づいて生きたがるのも居る。沢山居る。世襲の政治家のイエというのは贅沢な身分でもあるが、ときには針のむしろであり、人生の牢獄である。けれどもおそらくは多くの人から羨ましがられている。
同様に人生の牢獄だが羨ましがられるとは限らないものに、夫にパラサイトする女という「孟母三遷」的な封建的人生をえらびたがる人々がある。男尊女卑で差別されているのは明白なのにもかかわらず、男にパラサイトして人生を終えたがる人というのは残念ながらかなり多い。そして実際、ひとりのちからではこの社会構造を変えることはおよそ不可能にみえるし、異論の声を上げるだけでも既成社会で生きていくにはデメリットでもあり、そしてついには、既成社会に適応して疑うどころか心底賛同するという社会適格者化すら起こる。
残念ながら、とにかく実際、女に生まれたら、結婚しないで生きていくのは困難な社会であろう。
男が外でカネ稼いで、女がそのサポートをするという、そういう武家社会かなんかの慣習が拡大再生産され相続されて、今に至っていて、未だにある。
「保守」というのは、「古来を守っている」のではない。決して、ない。単に、既成構造を死守しているということ。奴らの言う「古来」は、既成事実と封建制度。この封建制度ってのも、たかだか中近世のもので、古くはない。古来の古代のものではない。ときに儒教封建であったり。カトリック教会封建であったりするかもしれないが、そういうカースト的社会構造。そして、そうした構造の奴隷にわざわざなりたがる人はかなり多いってこと。たとえば、解放をいやがる奴隷だって沢山いたくらいだし。おそらく今でもインドに行けば、客が自らセルフサービスでやったら、俺の仕事奪ってくれるなと言うカーストの下層者が残っているだろうと思う。