はてなキーワード: 初恋とは
初恋は多分幼稚園、相手は同じ年少組みの女の子。別の男の子と取り合いをした記憶がある。
その次は覚えてないけど小学校3年生ぐらいのとき、新任の女の先生が好きだった。(と思う)
その次が5年生のとき、同級生の男の子が好きだった。担任の男の先生も好きだった。
後天的な同性愛なのかなぁとか考えたり、そうすると父親の愛情が足りてなくて……とかソースのない理論を言ってみたり。
父親の愛情が足りてないってのは、暴力的な父だったから。子供には暴力はほとんど振らないけど、妻には振るうタイプ。
普段は普通だけど、機嫌が悪いと何かのきっかけでカっとなって当り散らす。
自分の好みが年上で頼りがいのある男だから、余計に父親を求めてるのかもとか考える。
まあ「年上。頼りがい、男っぽい」とかありがちな好みのタイプなんだけど。
で、幼稚園、小学校低学年中学年のときの記憶があんまない。普通そうなのかな。その頃ちょうど母がノイローゼみたいなので入院(入院してたのか実家に帰ってたのかは知らない、聞けない)してたからそのせいなのかもとか。
親のせいにするわけじゃないけど、もし男を好きにならなかったら違う人生あったよなあ……とか考えてしまう。
今の自分が嫌とか言うわけじゃないけど、やっぱり女の人を好きになって結婚して子どもを育ててっていう生活を想像すると涙が出そうになる。
あまちゃんが好き。
一番見てたのはちゅらさんだけど、
ここまで一話も逃さず見続けているのは初めて。
元々、宮藤作品は好きだし、キャストも面白そうなので見始めた。
で、案の定、面白かったわけで。
(コスプレもすっぴんもかわいいし、ブログとは別の、昔手作りしたと思われる魔法のiらんど的な携帯サイトも愛おしい)
潮騒のメモリーも歌える。(Kyon2風の方で)
なんでこんなに流行ってのかずっと考えてて、
日本は9割以上、田舎者か、田舎者だった人たちで構成されてるからなんだな。
というところにたどり着いた。
それはこの間、太巻さんもGMT47の説明してるときに似たこと言ってて、やっぱり!!と膝を打ったんだけど。
で、生粋の東京人だとしても、なんか東京しっくりこねえなあと思ってる人の気持ちは、アキが引き受けてる。
だとしら、もう、人気が出ないわけない。
みんなの気持ちが詰まってるから。詰まったうえで、夢も見させてくれるから。
今までのあまちゃんには、東京に出ても、帰ってきた人しかいなかった。
東京に負けて。夢破れて。
そんな東京に行って、アキちゃんどうするの? どうなっちゃうの?
そして何より、私たちはどうすればいいの……?
東京に残ってても挫折感を感じながらなんとか生きてる人がほとんど。
東京で成功していたとしても、過去には絶対砂を噛むような経験をしている。
みんな東京で、嫌な思いいっぱいしてる。
そんな東京に……。
なんとなくたらたらと就職して早○年。
だけど東京が良い理由も思いつかない。
でも仕事は休みが少ないから、田舎で週休二日有給もちゃんと取れるところに就職して、遠征してきた方が賢い。
営業ができない。窒息しそうになりながら、なあなあで生きてる。
友達も少ない。
というか、たぶん大切にしないから、結婚式とかに呼んでもらえない。
悩みを打ち明けられるのは一人だけ。それも相手はどう思ってるんだか。
そんな中でまた友達を失った。
まあ、手放しで好きって言える子じゃなかったけど、
その子が懐柔してる友人たちも離れていくかもしれない。
(こうやって書くとほんとクズだな……。)
それなのにまだ、東京にしがみついてる。
負けたって思いたくないから。
戦いを避けて避けて、勝ち負けが出ないように。ずるっこ。
アキにとっての故郷を、克服するために。
私は東京にいる。
東京を克服したい。
アキが成功しても、失敗しても、私の気持ちは寄り添っていられるだろうか。
どちらに転んでも、
東京に私がいないと困るって、少しでも思ってもらえるように。
地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないパッとしない子で終わらないよいうに。
て、とりあえずまだ袖が浜なんだけどね、アキとユイ……。
初めて好きになった人が、好きになってはいけない人だった。
流れで肉体関係を持つようになって、セフレのような間柄だったけど、
彼はわたしのことが好きじゃなかったけど、平気だった。
連絡をとるのはだいたい二週間に一度。会うのはだいたい二ヶ月に一度。
彼にとって都合の良い女でいたかった。
でも、まさか人を好きになることがこんなにも苦しいことだとは思わず、
世の恋人たちはすごいなと思った。これに耐えられる精神力を見習いたい。
わたし気が狂いそう。
気が狂いそうだったので、さっき衝動的に、
という旨のメールを送った。
返事なし。頑固な人だからなあ。
もしかしたら、迷惑なやつが消えてくれて清々したって思ってるかな。
他人の考えてることはわかんないなあ。
悲しいけど、虚無感すごいけど、でもあの好きで好きでたまらん苦しいーって
気持ちは消えたから、これでよかったのかも。
大好きだから、幸せでいてほしいな。ちんこもげてほしいけど。ちんこもげろ。
【追記】
たくさんブクマついててびっくりした。ちょっとどきどきしてる。
みんな、男女の話が好きなんだね。
今まで誰にもこんなこと言えなかったから、
10代の頃まで、私は負け組だった。
家は貧乏。成績も悪い。母は醜く太っていて、私もそんな母に似てやはりデブだった。
高校1年生の時、初恋の相手にこっぴどく振られた。そこで奮起した。
まずはダイエット。徒歩だと片道1時間の通学路をバスを使わずに走って登下校することにした。昼食も抜いた。
おかげで定期代と昼食代が浮いた。そのお金で服や化粧品を買った。
そんなわけで、かつてデブ・ブス・バカだった私は、中の上くらいの容姿と、中の上くらいの国立大学生という地位を手に入れた。
もしも産まれたのが障害児だったら、今までの努力が全て無駄になってしまうからだ。
せっかく苦労して手に入れた幸せ、絶対に壊したくない。
私の弟は障害者だ。
弟のことは、もちろん家族として好きではあるけれど、同時に恨んでもいる。
弟が健常者なら、母は仕事をやめなかっただろうし、仕事をやめなければうちは貧乏ではなかっただろうし、母も食事や身なりに気を使っていただろう(若い頃の母の写真を見たことがあるが、今の姿からは想像もできないほど痩せていて綺麗だった)。
好きな人との子どもは欲しい。子だくさんのあたたかい家庭を築いてみたい。
でも、どうしても障害者が産まれてしまう可能性を考えると決心がつかない。
障害者が産まれた場合、施設に永久に預けて親権放棄できる制度が出来ないだろうか?と本気で考えてしまう。
こんなことを言うと理想主義者に批判されるだろうけど、障害児は周りを不幸にする。これが現実だ。
産まれてすぐに判明すれば、籍を入れずに赤ちゃんポストを利用すればいいだろうけど、知的障害などで数年後に発覚した場合はどうしてもない。
障害児と縁を切れる法律を作って欲しい。そうすれば、3、4人産んでもいい(幸い今の会社は、産休育休制度が整っている)。少子化だって少しは解決するんじゃないだろうか。
俺が厨房の頃、スト2流行ってね。俺も大好きだった。中でも春麗っていうね、中国人の女の子が大好きだった。
体育の時間な、ソフトボールあった。ソフトーボールな。俺9番だったんだけど打順回ってこなかった。8番が終わったら1番になるんだよ。永遠に俺には回ってこなかったんだよ。
すごく好きな女の子、~俺にとってはたぶん初恋~、がいて、その子が初めて俺に給食で料理とってくれたのが春巻きだった。
ももクロは10年後みんなから忘れられているかもしれない。でもそれはみんなからとても辛い部分、痛い部分を取り除いたということなんだよ。
今見ないと。リアルタイムで見ないと。後から絶対に後悔することになる。
無駄な人生を生きた俺でもわかることがある。それは今しかできないことがある。
ももクロは今なんだよ。
今逃したらどうなる? 考えられないよ。考えたくない。
静かな部屋にいると自分の拍動が聞こえてくる。一人酒をすると過去を思い出す。僕は今、静かな部屋で一人酒をしている。
小学校中学年の時にやってきた転校生は、華奢な女の子だった。普段はとっきつにくい真面目な表情、仏頂面な感じだけど人と喋る時には笑顔がこぼれる。運動神経もよくて、そのくせ読書も大好き。気がつけば学年の男子のほとんどが彼女のことを好きになっていた。
もちろん、僕もそのひとりだった。
運動もできないし、カッコ悪い僕には高嶺の花のような手の届かない存在だった。同じ班になっても互いに嫌いだと言い張り、隣にならないように席替えをやり直したりした。けれど妙なところで意見が一致することが多くて、互いの感性に関しては認めていた。
僕は男の子だから、女の子には負けたくない気持ちってのがあった、特に好きな女の子には。でも悲しいかな現実は、音痴で走るのが遅いし泳げない僕、走るのが速くて綺麗に泳げる彼女というコントラスト。ミトメタクナーイ~○~ 、そんな現実。
それを認める機会になったのは、高学年で習ったある保健体育の授業だった。単元の内容は脈拍と呼吸についてだったと思う。自分で心拍を測ってみることになり各自左手の脈を抑えて拍をとった。確か僕の脈拍は78くらい、彼女の脈拍が幾つだったのかは覚えてないのだけれど、クラスで一番遅かった、少なかった。同様に呼吸数も彼女は圧倒的に少なかった。
その時になって、彼女と僕とでは生きるリズムが違うんだなと何故か納得した。ハリネズミの心拍数、象の心拍数とかの話を聞かされたせいかも知れない。多分これが僕の初恋が終わった瞬間だと思う。
その後、男子校に進学し、女子と無縁の生活を送る中で思い出が美化、彼女が神格化され、僕自身が拗れていったのは初恋の蛇足、後の火祭り、別の話である。
今日この頃、彼女とのデートでは20センチの身長差に歩くスピードへの注意が必要だ。もう何年も付き合っているから自然と調整出来るんだけど、たまにズレてしまう。僕たちは別人なのだからリズムが、歩幅が違うのは当然だ。大人になった僕には青い果実の酸っぱさが懐かしい。
http://anond.hatelabo.jp/20130406124816
だれかに殺されたいというのは
「殺さなくては解決しない事案をもっている人間」という
「だれかに殺されてしまうほど価値のある人間だと認めてほしい」という欲求なのかな
こんなに素敵な過去があったんだからきっと今でもだれか認めてくれるはずと叫んでる人もいるし
社会に「死刑にされるほどの価値を強制的にみとめさせる」ために奇行にはしる人もいるけど
「みんなが認めてくれないという愚痴をセンチメンタリックに語る」とか「陰謀論」で
自己価値を創造してひとり陶酔するのが最近は手段としてあるので
クラスメイトとの信頼関係が構築できず振られることができなかった話
これの続き。
初恋の女の子のこと、前ほどではないけど、まだ思い出してしまう。
一年経った今でも今でもどうしてもふとした瞬間に思い出してしまう。それでも前ほど強く思い出すことはなくなったけど。
でもその願いはその子のことを考えてしまうから、今はあまり考えないようにしてる。
思い出すの、やっぱりつらいもん。
あのようなことになったのは僕の過失がかなりの割合を占めているけど、それでもちゃんと気持ちを聞いてくれたら、
今ほどつらくはなってなかっただろうって自分勝手ながら考えてしまう。
好きな人は今でもできないけど、ちょっとずつ人を好きになるのに近づいている気がする。
まだ好きな人はいないけど、生まれて初めてデートというものをした。
あんな楽しい時間、デートと呼んでいいものだと思うし、彼女もデートと言ってくれていた。
まだよく知らない相手と一緒にランチにいくなんてとても敷居が高いと感じた。
しかし彼女の方から会いましょうと言ってきたから、会ってご飯を食べることになった。
彼女との一日はとても楽しいものだった。普段表には出さないような一面を知ったりして、とてもやさしい人で、好きになりそうだった。
まあ、彼女にはすでにお付き合いしている人がいるらしいし、彼女も幸せそうにしているから諦めたけど。
デートをして異性と幸せな時間を過ごせたから、好きな人ができた時にデートに誘っても、きっと幸せで楽しい時間が過ごせるんだろうなって思えるようになった。
好きな人をデートに誘って、うまくいくのかなとかあんまり考えないで済みそうで自信ついたし、一度でもデートをしたことがあるのとないのでは大違いだと思う。
まだ好きになっていない相手と一緒にご飯を食べるだけで、こんなに楽しい時間が過ごせるだなんて、初めて知った。
好きな人とこんなことしたら今までに感じたことのない幸せを感じそう。
昨年の3月、あれから誰も好きになれていない。好きっていう感情を忘れつつある。
それでもあの時君を好きになっていたときとても幸せで君と付き合うのは無理でも気持ちだけはせめて伝えてわかってほしいなと思っていたから、
それを実行するためになんでもやった。
なんでもやったから君に迷惑かけてしまったんだけどね。本当にごめんね。許してもらおうなんて思ってないよ。
好きになる前と好きになってもう気持ちを伝えられないと分かった時ではだいぶ見た目も心も変わって、好きになる前よりかはちょっとは好かれそうな感じになった。
君は僕の家の近くに住んでいるのに、もう会っちゃいけないことほどつらいことはない。
君が今どんな学校に通っているか、僕は知らない。中学の友達に聞けば知ってそうな人はいるけど、そんなことしても何もいいことないからしない。
最近の君のことは全く知らない。
僕は電車通学でバイト先も電車で通っているから、家に帰るのに電車に乗るけど、
黒髪で少しでも髪が長めだと君に似てると思って、君のことを思い出してしまう。
それが一週間に一度ぐらい起こる。
かなりの頻度で君っぽい人を見かけるから、思い出すたびに君に迷惑かけたことを思い出して、つらい思いをする。
人口は多い地域だけど、主要路線でもないからあんまり人は乗ってこないし夕方の時間帯だともしかすると君かなって思ったりする。
今まで何十回も君みたいな人を見て君のことを思い出してしまっているけど、あんなに君みたいな人を見ていたら、一回ぐらい本人を見ていたのかもしれない。
そう考えると、君は僕のことをすごく嫌いなのに、まだ実家に住んでてごめんという気持ちになる。
ちょっと離れれば電車に乗っても君に会ってしまう可能性はそうそうないだろうと。
君が僕のことを嫌いなのは僕のせいだから、僕が君みたいな人を見て思い出してしまうのはつらいけどどうしようもないよね。
これからも君みたいな人を見ては思い出しちゃうと思うけど、もし本当に君だとしても気づいていないふりをして関わらないようにしようと思う。
君は僕のことをものすごい嫌いだと思うけど、それでも僕の初恋の人であることには変わらない。
僕と君がこの街に住んでいて、この街で育ち、同じ学校であったから出会えたわけで、
もしもひとつでも今こうしてある事実と違えば、きっと君には出会うことはなかったし、君を好きになることは一生なかったと思う。
君のことを思い出すのはやっぱりつらい。
これを書いてる途中ぼろぼろ涙でるし、こんなこと書いてても誰も得しない。
けどどうしても忘れられないし、こんな事例増えてほしくないから好きな人がいる中学生や高校生のために書いた。
君にかけてしまった迷惑は計り知れないもので、本当に悪かったと思っているけど、そればっかり考えていたら心が病みそうになる。
君には申し訳ないけどあんまり君に迷惑かけてしまって本当にごめんねとか考えないようになっていきたい。
好きな人ができて、付き合えたりして、幸せになれたら、君のことをあんまり考えなくなるだろうし、
僕が君のことを考えているだけで迷惑かけてる気がするから、考えないほうが少しでも君のためになっている気がするんだ。僕の勝手なんだけどね。
君に直接謝ることはできないのだから、どうしたらいいかなといろいろ考えてみたけど、彼女ができて、彼女を幸せにすることができたら、ちょっとでも君から学んだことを活かしている気がして、償いになるかなって思ったりしてる。
君には全く関係ないかとは思うけど、僕自身がこれで心の整理がつけば君のことをあまり考えなくなりそうで、やっぱりそれが君のためになるのかなと思う。
好きになっちゃったりしてごめんね。
そもそも好きにならなければ君に迷惑もかけなくて済んでたね。
でも一度好きになった事実は変わらないし、しかも僕の勝手ながら君は初恋の人だから、どうしても忘れられることができない。
そのことは本当に悪い気持ちでいっぱいだけど、謝ることもできないからどうにもならない。
こんなことをしてしまった人が彼女つくって幸せになっていいのかなんてわからないけど、君のことを考えなくなるのには好きな人と付き合うぐらいしか思いつかない。
だからどうしてもまた人を好きになって付き合ってみたいなって思うんだ。
努力をして人を好きになるかどうかはちょっと違う気がしなくもないけど、とにかく好きな人ができるように生活の大半を全力でそれに捧げてる。
君は異性と接することの難しさを教えてくれたり、君が教えたつもりはなくても僕は君と関わっているときにいろんなことを勉強できました。
本当にありがとう。感謝の気持ちを伝えられなくて、本当に辛いです。
そもそも僕は君に嫌な思いをさせてしまったのだから、感謝するなんて何様のつもりだって感じではあるから、この気持ちは心にしまっておくね。
でもいつまでも君のことを考えていては前に進めないし、君のことを完全に忘れるのは君が初恋の人だから不可能だけど、あんまり考えなくなることならできる。
だから、少しずつ考えなくなっていくね。
君とあんなことになってしまって、君にとんでもない迷惑をかけちゃって、あれから一年が経つんだね。
あれから毎日君のことを考えて、申し訳ない気持ちでいっぱいになって、今でも考えてしまうよ。
一度経験した失敗はもう二度と起こしたくないから、今度人を好きになったときは相手のことを考えて行動しようと思ってる。
あの時ももちろん考えていたつもりだったけど、君に嫌な思いをさせてしまったのだから、足りなかったんだよね。
10代、人生で大切な時間だと思う。そんな大切な時間の中で僕は君と出会って、好きになって、嫌な思いをさせてしまった。
君が僕のことをまだ忘れているかそれとも君にしてしまったことで苦しめられているかどっちかそんなこともわからないけど、
僕みたいな人に出会ってしまったから、その分とても幸せな人生を送ってほしいなと思ってる。
君の性格のよさとあの美しさならきっと素敵な人と付き合えると思います。
こんな人に出会ってしまって君の人生の中で大切な10代の間に勝手に好かれて嫌な思いをしてしまった君だからこそ、素敵な人に出会って幸せになってほしいと心から願っています。
どうか幸せになってね。
私はデザインを勉強するため上京して、にまで進んで、東京で広告代理店に就職した。
広告の仕事は東京中心だ。広告の仕事が好き。この仕事をずっと続けたい。
楽しかった。
同時に、こっちで仕事するならこの人とは結婚はできないとは感じていた。
彼も同じように感じていたようで、話し合った末結局別れた。
あー好きだけじゃ結婚できないんだなーって思った。
それでも、嫌いになってわかれたわけじゃなかったから、なんとなく好きなような
そうじゃないような気持がずっとつづいてた。
結婚式披露宴での余興の「新郎クイズ」に私は全問正解してしまった。
奥様との思い出のデートコースが「盛岡駅周辺」というのもすぐわかった。
彼が何回目かのデートで、私に石割桜を教えてくれて熱心にその説明をしてくれてたから。
食べてるようにみせてたけど、たまに大きめの輪切りはスープの上にういていた。いつもスープは飲みきるくせに。
ぜんぜん難しくないよ。余裕だよ。ばか。
私がデザインした、小さな小さな雑誌広告やイラストを気に入ってくれてて、
披露宴の席で私に「会いたかったんですー!」と笑顔でいってくれた。私に。
近々イラスト展があることを伝えたら、奥様が東京にいきたかった時期と重なっていたらしく
私が彼女を案内することになった。
そんなすぐ切り替えられるほど私はできた人じゃない。
でも、長い長い初恋がようやくおわって、
新しい友達が一人ふえそうな今。なんだかわくわくしている。
生まれてこの方、年上の女しか好きになったことないし、初恋は音楽の先生だったなぁ。
何度かデートしたことあるけどさ、知識も何もないし、それに緊張するのよね。
何話していいかわからないし・・・。弟キャラで甘えられる相手にしか積極的になれないのよ。
ああ、この人のおかげで生きていけるなって実感できるようなのじゃなきゃ、
25年間生きてきて3人と付き合ったけど、全員にそれ求めたよ。
だから、別れたのしれないけど、彼女いるときは精神が安定してたなぁ・・・。
みんな良い人だった・・・はぁ、何で別れちゃったんだろ・・・。
一人なんかさ、俺に内緒で留学の準備して、いきなり留学するからもう会えない、だよ?
電車の中で初恋の人と再会した。中学を卒業して以来、10年ぶりに会話をしたのだけどその時の印象がとてもよかった。平たく言えば好みのタイプにドンピシャだったわけである。
昔(小学生のころ)は優しいぽやんとしたところが好きだったんだけど、雰囲気はそのままにさらに素敵になってた。
骨太で背が高く、ちょっと油断しすぎじゃない?ってつつきたくなる肉付きで、ちょっとだけ年齢より老けて見える人畜無害な感じ。女の子と縁のなさそうな、いわゆるオタクっぽいひと。
その時は二言三言しか交わせなかったのだけど、また会えたらいいなーなんてぼんやり思っていた。
それから一年もしないうちに世間ではfacebookなどのSNSが普及して、中学の友人つながりでその彼ともつながることができた。
お互いSNSを更新しないので、動向はさっぱり上がってこないけれどまぁ満足していた。
しかしそのうちに「ちょっと会ってみたいな」という気持ちがもたげて、ふくらんで、メッセージを送ってしまった。
「パソコン買いたいんだけど、機械詳しいって聞いたから、一緒に見てほしい」
ほぼ10年ぶりの、しかも当時だってそこまで仲が良かったわけではない同級生からそんなメッセージをもらった彼はどう思ったのだろう。
簡潔に「●●日ならいいよ」と返事があって、ちょっと、いや、正直かなりうれしかった。大人になってわすれてた「きゅーん」というアホっぽい感情を思い出した。
もちろん現在「好き」ではないけど、やっぱり初恋の人だし、当日は猛烈に恥ずかしかった。
子供の時分、私はどちらかといえば男勝りで、オシャレなんてものは恥ずかしいと思ってて、お兄ちゃんのお古を着ただっさい田舎のブタ子だった。
それが大人になってそれなりにオシャレも楽しめるようになって、もちろん社会人らしく化粧もする。がんばって高いヒールもはいちゃう。
しかし素材は決して美人ではないわたしなので、小学生のころの面影だってもちろんある。
なにこれ!恥ずかしい!
とか思いながらもやっぱり「昔より綺麗になった」と思ってもらえたらいいなーなんて期待もあって
待ち合わせで彼に近づいていくとき、めかしこんでる自分がとてつもなくいたたまれなかった。この辺が支離滅裂なのはちょっと許して。
ランチしてショッピングしてお茶したわけだけど、小中の9年間があるから人となりはわかってるし話には困らない。むしろ楽しい。
話してみるとやっぱり彼はオタクになっていて、女の子ともあまり縁ないようで、それがちょっとうれしくもあった。
だって女の子とこうやって話すの半年ぶりとか!半年ぶりの女の子がこんなのでなんかいっそ申し訳ない。
私自身男性とお付き合いしたことがないので、相手が同じくらい初心なのは大歓迎。
あー、やっぱり初恋の人とお付き合いできたら素敵だなーなんて思った矢先、彼の就職先が四国だと知った。しかも来月から行ってしまうらしい。
残念だけど、これは発展しないなと気づいてしまった。
彼もこちらで彼女を作る気はなさそうだった。今回は誘われたので来た、というだけだったのだとおもう。
当時の自分はいろいろ未熟だったため、ごく普通の友達付き合いのみで、付き合うには至らなかった。
今は自分が28歳だから、10年近く会っていなかったことになる。
「昔好きだった」という思い出補正もあって、すごく輝いてた。
自分から話しかけて軽く世間話をしたが、人数も多かったためそれほど込み入った話もせず、
今度また飲もうね!と軽く約束を取り付けたくらいでその日は別れた。
後日、メールにて「飲みに行こうよ」と誘ってみたら、意外にもOKだった。
あの頃好きだった人と、サシで飲めるってだけでわくわくした。
約束を交わし、当日を待った。
当日。
彼女は相変わらず可愛かった。
当時好きだった人が目の前にいることに苦しかったわけではなく、
安定した職に就きたいと言って仕事に追われる日々を過ごしていた事実。
どこかしらで、初恋の人や長年好きだった人ってのは人生うまくやっていてほしい、
って自分の中で思っていたので、なんとも言えない気持ちになった。
知らない方が良かったのかもしれなかった。
1次会が終わって、彼女が手をつないできた。
次行く?と聞いてきたので、2次会にも行った。
なんのフラグかと思った。
2次会後も変わらず手を繋いできたので、
冗談で「連れて行くぞー」と言ったらまんざらでもなかったので、
とりあえず一緒にラブホテル行った。
久しぶりに出会って、すぐに体を許せるような人になっていた彼女。
自分も、ホテルに入ってからその事実がとても自分の中で消化できず、
自分から誘ったのにものすごく悩んだ。手を出していいかどうか。
やったら、もう二度とあの頃の気持ちには戻れないし、
彼女がそういう人だっていうことを信じなければいけない。そもそも浮気だし。
やらなかったら、好きな人を目の前にして何してんだと思うし、
何より、こんなシチュエーションもう二度とないだろう。
やってもやらなくても後悔する。
結局致した。
自分もくずだなぁと思う反面、何が彼女を変えたんだろうと思った。
何も知らない方が良かったのかもしれないが、
また一つ、複雑な思いを抱えて、自分も大人になったなぁと感じた。
小6の娘から「お母さん、仕事辞めて」 働く母親のジレンマ〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121112-00000006-sasahi-soci
これに対しid:kobeni_08がブクマ。
そもそも「成績で決まる塾の席順」がかなりカルチャーショックなんですけど… あと、受験勉強って母親が監修できるもんなのか?そんなことできる人のリソースが、もんすごい勢いで一家庭に投下されてるってのも…
いわゆるNバッグを背負っていた小学生として思うところがあるのでキーボードを打ち込むことにする。
毎週土曜日にカリキュラムテストという出題範囲の決まったテストが実施され、
総合得点の上位20人と算数、国語、理科、社会の各科目は上位5人はその結果が廊下に掲示される。
で、算数の授業では算数の、国語の授業では国語の成績に応じて、席順が教室の前のドアの横に貼り出される。
自分の教室では2人用の机が3列あり、黒板に一番近い真ん中の机の左から1位から順番に座る。
つまり黒板に近い生徒は成績がよく、教室の後ろにいる生徒は成績が悪いことが一目でわかるわけだ。
個人の成績表と全国ランキングもテストのたびに配られ、競争心を煽るあらゆる手段が取られていたと思う。
ただ自分たちはあんまりこの席順には執着していなかった。むしろ何ヶ月かに一度実施される公開模試、
この公開模試の結果によって席順ではなくクラス替えが行われるのだ。
自分の教室では成績がいい順に栄冠組、3組、2組、1組の四クラスあって、栄冠組とそれ以外では授業時間、内容と宿題がかなり違う。
親としては同じ学費を払っているのだからよりよい授業を受けさせたいから気合が入る、
自分としてはクラスが変わると友人や好きだった子と一緒にいられなくなるから気合が入っていたと記憶している。
学校での人間関係や親との関係が決して順調ではなかった自分にとって、塾でできた友人たちと休み時間や行き帰りに一緒にいられないのは想像するだけで恐ろしかった。
2,3週間くらい前からカリキュラムテストの勉強と同時進行で過去の公開模試や問題集をひたすら解いていた。
そのおかげもあってか自分は小学4年の時から小学6年を通じて栄冠から落ちることはなかった。
そういえば今でも好きだった子は年に一度くらいは夢に出る。
まあ初恋だったんだろう。元気にしているだろうか。
山のような宿題が課されるんです。ほんとに山のような。
中学受験が終わった時に今まで解いた問題集とプリントを縦に並べたら当時の自分の身長ぐらいあった。こんな量を小学生に管理させるのは無理。
そうなると母親が監督になるしかない。母親が監督になるしかないのだが、母親が中学受験の経験がないと、上位校にいくのは厳しいのではないか。
実際母親の”受験ママ友”の学歴とその子供の受験結果を思い出すと相関はあると感じる。
ノウハウの蓄積の差や、子供に指導するときの説得力の差は大きい。
母親が今までの人生でやったことがないことををやれ、というよりも自分もできたことだからお前もやれ、という方がまだ納得しやすい。
それとママ友は共働きより専業主婦の人が多かったはずだ。共働きだと遊びたい盛りの小学生を週4、一回3時間近くの塾通いをさせ、宿題とプリントを管理し、
最も集中して勉強する金、土、日につきっきりで教えるのは難しい。この上家事もやるわけで…
この娘はそんなに勉強して将来どうするの。
↓
↓
収入と家庭の安定はそれなりに相関する
↓
家庭の安定は家庭の幸福にそれなりに相関する
と自身は思っている。
中学受験はあくまで通過点だと言うことはわかっている。上の相関だって絶対ではない。ただ何もしないよりかはマシではあると思う。
2月1日まであと3ヶ月を切っている。がんばれ受験生。
ずっと好きな人ができなかった。
初恋のときに、相手の男の子が好きすぎて暴走しちゃって、それと同じことを繰り返すのが怖かったのも、人を好きにならなかった理由だと思う。
口では「彼氏が欲しい」「好きな人が欲しい」って言ってたけど、実際そんなことは無理って自分でもわかってた。
私は中学生のとき1年間不登校で、ずっと家でネットをやってた。
オタク趣味だったから、まとめブログとか2ちゃんねるとか、良く見てた。
ネット上には(特にまとめブログとかでは)男尊女卑な考えがよく書かれてる。
直接女の人を貶す文章でなくても、女が頭が悪いということや、女は男より劣っているという前提で書かれている文章とかも多い(まとめブログで見るブラックジョークとかでもたまに見る)。
そういうのを見てて、私は一時期女なのに女が嫌いになって、そしてその後男の人が嫌いになった。
ネット上には、いろいろな人のむき出しの本音が乗っている。
「少し優しくしたらすぐ股を開いてくれた」とか、そういうのを見るたびに、表面上は優しくても本当は皆女とやりたいだけなんだろうなあと思ってた。ちなみにここ最近で一番ダメージを受けたのは、大学生が新入生の女の子を品定めすることを「穴探し」と呼んでたっていうやつ。
子どもは好きだし、普通の女の子なので、結婚に憧れはあった。好きな人と毎日暮らせたら、そりゃ大変なことだってあるだろうけど、すごく幸せだろうなあと思った。
でも、不登校期間でのネットや、両親を見てて、結婚に対する憧れはなくなってしまった。
2ちゃんねるの婚活のスレとかを見てて、女の人は金銭的な安定のために男の人と結婚するんだ、と思った。そして、そのためには、処女ですれてなくて、純粋で、男の人の後ろを3歩下がって歩いているような人でいないとダメなんだと思った。
両親の関係も、私の結婚に対する憧れを打ち砕いてくれた。両親はもともと仲が良いわけではなかったけれど、私の不登校をきっかけにそれは更に悪化した。お父さんはお母さんのことを見下して、すぐ「あいつはバカだから」と言う。お母さんもそれに何も言わずに、たまにベランダで一人で泣いていた。結婚ってお互い支えあって、お互い尊敬しあって生きていくことだと信じてた私には、それだけのことで「結婚に対する憧れ」を打ち砕くには十分だった。
それでも、その後に、一度だけ人を好きになったことがあった。
穏やかな人だった。
どこか飄々としていて、性欲を感じさせない人だった(そしてそのことが私にとってとても大事なことだった)。
相手も、私がその人を好きってことを知っていたと思う。
ある日、皆でお泊りをすることになった。4人くらいで。2人は先に寝てしまって、私とその人の二人きりになった。
詳しい状況は省くけど、私はあんまり抵抗できない状態だった。ものすごく眠くて、でも好きな人との時間だったから(どうせ両想いにはならないってわかってたから)、起きていたいと思った。
どういう流れでそういうことになったのかはわからないけど、気づいたらキスされていた。舌入れるやつ。
そのときに抵抗したかどうかは、あんまり覚えてない。キスされて一瞬嬉しかったけど、すぐに気持ち悪くなったことは覚えてるけど。
胸をまさぐられて、耳を舐められて、ついでに下も触られた。
下着を脱がされそうになって、そこでやっと本気で抵抗した。
本当に、穏やかそうで、いい人だと思ってた。でも実際はこんなんで、私の「男は全員獣論」は私の中で圧倒的支持を得ることになった。
それから、誰も好きにならなかった。
いい人は沢山いた。私に優しくしてくれる人も沢山いた。ときめいたこともあった。ここから「好きになる努力」をすれば、好きになるんだろうなあ、みたいなことは何度かあった。
でもそれを全部無視して、私は誰も好きにならなかった。
もちろん私は魅力的な女の子ではないので、私から近寄らなければ男の人が私と(そういう意味で)接触することは無かった。
半ばあきらめのような気持ちで生きていた。
結婚したい、彼氏も欲しい、好きな人だって欲しい。でもそれは私が男の人が嫌いな限り一生無理なわけで。一時期は女の人を好きになろうかと考えてたこともあった。
でも今年に入って(そうだ、そういえばまだ出会って1年も経ってない)、優しくて草食系っぽい、私が昔好きだった人のような人と仲良くなった。友達として。
友達として好きなんだと思ってた。
ずっと人を好きになってなかったせいで(あの人を除けば6年ぶりくらい?)、どんな感情が好きってことなのか忘れてた。
本当に、趣味が合うっていうか。優しいっていうか。なんていうか……
ところで、ここまで私は「私は潔癖です!!」みたいなこと書いてたから、こう言うと驚くかもしれないけど、私は下ネタが好きだ。下ネタっていっても、「あの子胸おっきいね!柔らかそう!」とか、「このオナホが気持ちよさそう」とかそういう…なんだろう。そういうのを話すのがなんか好き。多分、自分が女の人を性的に消費しているように見せかけることで、自分は消費する側である(消費される側ではない)って思いたいだけなんじゃないかなーと思う。
まあ、それで、その人にも下ネタの話をしてたんだよ。ずっと。
なんでこんなにその人に下ネタ話したいのかなーって考えてたんだけど、多分反応を見てたんだろうなあ。
その人は童貞で、なんか潔癖っぽいとこがある(気がする。私がシモに関して潔癖でないだけかも)。オナホの話をしても胸の話を振っても食いついてこない。オナホなんか、私が男だったら絶対に買ってると思うんだけど、その人は絶対いらないって言う(いまだにこの理由はあんまり理解してない)。
いい人なんだな、と思った。
女の人を、性的に消費するだけじゃなくて、なんか、うまくいえないけど。気遣いとか、そういうことができる人なんだな、と思った。
それで、それだけで、私には十分だった。
好きって気づいたのは最近だけど。もう頻繁には会えなくなっちゃってからだけど。
多分、ほんとうにはじめのほうから、ずっと好きだったんだと思う。
来月に一回会うよね。そのときに、言わせて欲しい。
ずっと、男の人のことは、もう好きになれないんだと思ってた。結婚したいけど、できないんだと思ってた。でも、そんなことないって思わせてくれてありがとう。私も、人のことが好きになれるんだって、気づかせてくれてありがとう。
好き。大好き。
アラサーにして初めて本格的に恋をした
やっとデートに誘えた
なんて楽しいんだろう
高校生の時は孤立主義だったし、底辺校の中では優秀な生徒ポジだったためか、相手は労せず手に入れられた
大学生の時はネトゲにどっぷりで、その世界はある意味底辺だったから、これまた労せず手に入れられた
だから、リアルな人間関係のなかで人にぞっこんになったことがなかった
相手には彼女がいるし、この年になるとそこからひっくり返すのは至難だろう
実際ひっくり返したいわけじゃないから、当たり障りない共通の趣味で誘いをかけることしかできない
手遅れ感は非常に深い
ただ、恋をしているのが楽しい
不登校時代がなければきっともっと早くにこれを得ることができ、普通の人生を獲得できていたのだろう
でも、私はあまりにも不全だったことをまだ覚えているから、後悔することすらできない
ただ、いま恋をしているのが楽しい
私の中にこのような情動の可能性があったことが嬉しい