はてなキーワード: ロジカルとは
学生に戦略コンサル人気だよね。給料そんなに高くないよね。馬車馬のように働いて素人のつけ刃な見た目だけ良い非科学的な資料こしらえてロジカルシンキングとかほざくの悲しくないか?しかもクライアントにいるデキる人たちからは邪魔者扱い。所詮は高級人材派遣業者でしかないと気付いた頃には手遅れ。ロジカルロジカル言うだけのイロジカル詐欺師になることに旨味があるの?
https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2019/PA03326_01
北中 精神医学への期待は,時に過剰なものにも見えます。精神科が生きづらさを救ってくれる場として認識されたことで,自身を疾患のラベルで語りたがる人が増えました。セルフチェックをして精神科へ来院し,誰しも経験するような人生の葛藤を,脳神経科学的な特性に由来する事象として,バイオロジカルに,早急に解決することを求めるような風潮もあるかと思います。
加藤 確かにそのような場合が多く見受けられます。「同僚にひどいことを言われ,具合が悪くなった」と言う患者さんがいます。それは具合が悪いのではなくて,ひどいことを言われて嫌な気分になった当たり前の心の働きで,疾患の症状ではないのですが。
ほんとオタクの中でも際立って糞ムーブだから直したほうがええで
これを印刷して目に入るとこに貼っておきな
https://togetter.com/li/1536191
まあそんな人のことなんか気にしないという選択も一つの人生ではあるけどもな、あんまりおすすめはせんなあ
樋口さんほんと良いな、正直Twitterでバズってうんちゃらみたいな料理研究家とはカテゴリが違う、料理への科学的な下敷きがあるから私の中での信頼度がハンパない…/あと写真も文もうまい
https://b.hatena.ne.jp/entry/4721717727881875490/comment/nomans
一個人は複数の属性の統合体であるわけで、仮に男の生きやすさが70、女の生きやすさが50だとすれば、じゃあ、男に10の負担を強いて、60:60にしようと言うのがフェミの根本発想なのだが、言うまでもなく1人の人間は、ただ男であるわけがなく、ただ女であるわけでもない。
美醜で、ある男の生きやすさが10、ある女の生きやすさが90だとすれば、性別+美醜の合計での生きやすさは、男Aが60+10=70、女Bが60+90=150になる。つまり、より弱者である男Aから女Bはリソースを収奪しているわけで、これがつまりは「非モテが反フェミである」根本の理由だ。
非モテは、アファーマティヴアクションを否定しているのではない。それが結果的にアファーマティヴアクションとして機能していないと主張しているのだ。
「そちらはそちらで頑張ってください」
と、そうした非モテ的弱者を突き放すのがフェミの定型的な対応になっているが、これは①弱者をヒューマニズムで救済すると言う自らの理屈を裏切っている、②自らが加害者に結果としてなってしまっていることに対して修正措置をとるべきであることを理解していない、と言う2点においてロジカルにも道理が通らない態度だ。
「そうですね、ありとあやるゆる弱者性が救済されるべきです」
と言う穏当な態度にどうして帰結しないのかと言えば、合計150点の女が負担を強いられることになるからだ。基本的には貧乏人のためには1円も払いたくない業突張りと同じマインドである。
「救助者が個人として反論しかできない」のが、今回の原因もとい脆弱性である。
対策としては「世論を味方につける」、すなわち「救助活動の様子を証拠として動画に保全する」といったことが挙げられる。
彼らは得てして「対話不能」「集団的被害妄想」「お気持ち至上主義」であり、SNSを通じた不特定多数の同調による肯定感でもってかろうじて生かされている。
逆説的に、SNSにおけるイニシアチブを掌握してしまえば彼らは蜘蛛の子を散らすように消えてしまう(見なかったことにして次の狩り場を探すだろう)。
テキストによるロジカルな対話が通じない彼らを黙らせられるのは、「客観的な映像証拠」しかない。
救助活動の始終が動画として残されていれば、揺るぎない現場再現の証拠として機能するし、被使用者の一人称視点の供述は完全に無視できる。
AED等を使用した一連の救助活動を「一次救命処置」と呼ぶが、そのうち「周囲に助けを求める」という場面でもう一人余分に 【救助活動を証拠として保全する人】 を用意すればよい。
『6.救命の連鎖(4)~ 一次救命処置(心肺蘇生法 その1)-防災危機管理eカレッジ』
https://www.fdma.go.jp/relocation/e-college/ippan/cat/cat4/cat1/4-1.html
従来の ①通報する人②AEDを持ってくる人 に加えて ③救助活動の状況を撮影する人 を確保するのである。
(通報者がこれを兼ねようとすると、救助開始までラグが生じてしまうためよろしい選択ではない)
……この提案さえも、証拠保全のための撮影を「強制的なポルノ撮影だ」と訴えてくるような状況になったときは、素直に受け入れて社会の滅びを待つしかないだろう。(了)
アンチタコピー増田、アンチミーリ増田とかいるけど結局売れて悔しがる未来しか見えない。鬼滅がなぜ売れたかの分析みたいなのと同じで要素レベルの良さや悪さを箇条書きしても面白さの本質には辿り着けないだろ。
俺もツェリードニヒみたいなモヤシが念能力の天才とかおかしいだろ、底知れない悪意を食った念獣が最強、とかの方が無理がなくね?とか、ハンター試験って毎年5人ぐらいしか受からないのにハンターは毎年何十人も死んでておかしい、とか
真希波の正体を見てる奴に明かさないのはフェアじゃないとか、モデル式波のオリジナルって何だよ、とか、今回カヲル君がバカすぎないかとか、
スカーってめちゃくちゃ殺人とかしてる割にペナルティもなしに美味しい思いばっかしてて読後感が悪い、とか、ロイ・マスタングとルイ・アームストロングは名前が似すぎだろ、とか
言ってるけどそんなことは各要素が正しくても実際それほど面白さには寄与しない。鬼と日本刀が出ていてつまらない作品も、物語がロジカルでつまらない作品も、人間の感情を丁寧に描いてつまらない作品も数えきれないぐらいあるのだ。
そしてタコピーにもミーリにも面白度はある。少なくとも一山いくらのいい話漫画とは一線を画すものなことは(俺としては)間違いない。信じられるのはそこだけで、結局そこ以外の話は全部漫研の世間話と同じで正解はない。そしてそこに面白くする要素の正解があるかのように話すやつは信用してはいけない。
久々に実家に帰ったらACMA:GAMEっていう昔マガジンでやってたデスゲーム系漫画が置いてあって読み返してたのね。
主人公はクソデカ財閥の高校生社長でロジカルな思考と覚悟を武器に悪魔のゲームに参加していくって話。
で、主人公が勝ったら「ゲームについて知っていること」をギャンブラーから聞き出す。
ギャンブラーが勝ったら「主人公の財閥の利益全部花火にして毎年打ち上げる」って条件で勝負する。
で、主人公が負けるんよね。
えぇ!?って感じじゃん。
そこから主人公が「大事なのはここからだ」つって巻き返そうとするんだけど
それがまさかの「泣き落とし」なんだよね。
なんでやねーんじゃん。ロジカルマシーンじゃねぇのかよ。プランBないんかい。
それをギャンブラーは蹴るんだけど、勝負会場を財閥の社員が取り囲んで主人公にエールを送るのを見て
「うーん、これは奪えないでヤンスね」つって権利を放棄するの。
ハァ!?
なんじゃそりゃ!
そこをひっくり返しちゃったらもう何のために戦ったかわかんないじゃん!
全部茶番じゃん!
お互い大事なものを勝ち負けに賭けるってルールをひっくり返しちゃダメ。
仮にこれが「実はルールにはこんな抜け穴があってギャンブラーが勝ったと思ったけど勝ち条件を満たしてなくてひっくり返して主人公が勝ちました」ならまだ許せるけど、「負けました。相手が優しくて負けを払わなくてよくなりました」は違うじゃん。
勝ち負けのルールが変わるのは許せる。
野球だったら
「試合終了時点で相手より点を取っていれば勝ち」ってルールのゲームだと思ってたら
実は「5回まで試合を進めて試合成立させなきゃ負け」ってルールのゲームになっていた。
って話がONE OUTSって漫画にあったんだけど、そういうのはいい。
でも、試合で負けました、なんとかお願いしたら黒星なくなりましたは意味が分からんじゃん。
試合が成立したら、もともと決まっていたルール通りにコトが進行しないとわけがわからなくなるから本当にダメ。
もしくは事前に「勝負に負けてもノーペナになるかもわからんね」ってルールを提示しておいて。
最初からそう言ってくれてれば誰も真剣に勝負なんか見ないから。
そういうことだから。
アメリカテキサス州で、実質、人工中絶が不可能になる州法が成立したらしい。
まず、これに関するリアクションのうち、それは間違っているよ、と言う諸々を指摘する。まず、この州法が違憲、あるいは脱法的であると言う見解について。
そもそも合衆国憲法で、中絶権の規定は無い。今日の妊娠中絶合法化は連邦議会レヴェルでの立法措置も経ておらず、1972年のロー判決を根拠としている。レンクイストとホワイトは、ロー判決に関しては、「司法による立法措置」であることを理由として、ロー判決に反対している。
つまりそこにあるのは、司法解釈であって、法律や明確な憲法規定ではないわけだ。だからそもそも「違憲」になりようがないし、脱法的にもなりようがない。そして司法解釈に過ぎないから、司法解釈で変更され得る。現在の最高裁に今回のテキサス州法の案件が回れば、ほぼ確実にロー判決の司法解釈は棄却される。
「違憲だ」「違法だ」と言うけど、保守派は法廷闘争を待ち望んでいるのだ。法廷闘争になれば、負けるのはリベラル派であり、そうなれば「違憲だ」「違法だ」と指をさされるようになるのはリベラル派の人たちであり、人工中絶した女性はめでたく犯罪者だ。
ここ40年、おおむね最高裁は保守派優位で推移してきたけども、ロー判決を廃棄できる機会が何度かありながら、それが出来なかったのは、レーガンに指名されたオコナー、ケネディ、スーターの3判事が、最高裁陪席判事になってから、スタンスを保守派からリベラル派に変えてしまったせいだ。そもそも合衆国憲法自体がリベラルなので、ごりごりの保守派とみなされていたスカリアでさえ、憲法原理主義的な解釈をする人なので、判決としてはリベラルになることもあった。
それの前例も踏まえて、今の保守派判事たちは、かなり強固な保守派が選ばれているので、最高裁長官の職務にあるロバーツが職責上、敢えて中立的なスタンスをとることもあるのを除けば、リベラル寄りの判決を出すことはまずあり得ない。今は最高裁は6対3で保守派が優勢なのだ。
保守派にしてみれば、法廷闘争ばっちこい、と言う感じである。とはいえ、その6対3の保守派優勢の最高裁が、トランプが要求したオバマケア違法化にはNOを突き付けたように、100%党派的な思考をとるわけではないが、中絶は、命の問題だから、そうそう簡単に妥協する余地も無いのだ。
中絶に関する議論で、男女平等と言う観点から、もっと言えば「男も逮捕しろよ!」的な意見から立論する人もいるが、根本的にその人たちの論理が間違っているのは、これが公共の福祉の調整案件だと言うことを認識していない点にある。胎児の人権と女性の間での公共福祉の調整案件が発生しているのであって、そこには男性の権利と調整しなければならない必然性は全く無いのである。
これは言うなれば、過去の徴兵制における男女不平等が、「機能的な軍隊を必要とする政府の必要」と「徴兵されることによって著しい負荷がかかる男性の諸権利」との間に発生したものであって、それは男女不平等ではなく、「女性は関係がない」案件であったのと同じことである。ロジカルにはそうでもあるし、歴史的に言えば、徴兵制のように女性には他人の命を犠牲にして、法益を享受してきたと言う「実績」もある。
言ってみれば中絶禁止は、「女にとっての徴兵制」であって、徴兵制の名のもとに、徴兵された男性たちの「戦死」を見守って来た女性たちには、「女にとっての徴兵制」自体を批判するロジカルな資格は無いのである。
そして、中絶に関して言えば、どこからがヒトとみなすかと言う難しい問題はあるにしても、1月1日13:00に新生児が誕生するとして、13:01に新生児を殺せば殺人で、12:59に”胎児”を殺せば器物破損に過ぎないと言うのは、機能的にも倫理的にもかなり無理がある。自然着床した受精卵にヒトと同等の、あるいはそれに準じる人権を想定するのは、最も無理が無い解釈だろう。放っておけばいずれヒトに至るのだから。
そして胎児や受精卵はDNAが違うので、女性の一部ではないし、女性の付属物でもない。他人の命を女性に無条件に与えていいのかと言う問題でもある。
胎児の人権(生存権)と女性の身体自由権を比較した場合、どちらが重篤な損害を被るのかと言えばそれはもう生存権であるのは間違いないので、人権を重視すれば重視するほど、中絶は違法化する以外には考えられない。この袋小路を女性が逃れ得るとすれば、「胎児はヒトではない」とするか、より根源的な人権思想ではなく、単なる女権思想を至上としてその上に立脚して「女性に損害をもたらすから中絶禁止こそが違法である」とするしかないのである。
どちらもナチス的なファシズムに陥っている。つまり機能的には既に自立しているような胎児に対しても、ヒトではないと規定し得ると言うことは、障碍者、LGBTQ、ユダヤ人などをヒトではない、少なくとも生存が許され得るヒトではないと規定出来る権能を、政府社会に与えると言うことである。人権思想の上に女権思想を置くことは、ナチズムそのものである。
宗教保守から中絶禁止の動きが一方的に起きているわけではなく、リベラルの内部においても、人権思想の観点から中絶には批判がなされていることには留意すべきである。
とはいえ、強姦の結果としての妊娠出産まで強制するのはプロライフ派の大多数にとっても本意ではない。それは、性的被害の記憶と結果が多大な負担と共に長期化し、心身ともに女性を生存レベルで危険に追い込むことに他ならないからである。この場合は「緊急避難」が想定されるだろう。誰も他人の命を救うために、死や死に等しい損失を甘受する義務はないのだ(徴兵制はこの意味でも、最も過酷で最も非人間的な強制であった。そして女性はそれを放置していた)。しかし現実の中絶案件のほとんど、かなり緩く見積もっても95%以上は、強姦案件ではない。性行為をしなければ防げるものであるし、避妊器具を用いれば防げるものであるし、ピルを飲んでいれば防げるものであるし、アフターピルを用いれば防げるものである。数多くのルート回避の方法があるにも関わらず、それらの回避をしなかった結果の妊娠中絶である。当然、胎児の生存権を上回る法益性がそこにあるとは考えにくい。
私は、強姦案件での中絶は合法、それ以外は違法、とするのが妥当だと思うが、その妥当な落としどころが「女性の身体権の絶対性」主張派とは築くことが出来なかったがために、より人権原理的な立法措置が、アメリカやヨーロッパでも徐々に取られつつあるのが現状である、と言う認識である。