2022-06-20

フェミニズムが発想はヒューマニズムなのに、態度は新自由主義である理由

個人複数属性統合体であるわけで、仮に男の生きやすさが70、女の生きやすさが50だとすれば、じゃあ、男に10負担を強いて、60:60にしようと言うのがフェミ根本発想なのだが、言うまでもなく1人の人間は、ただ男であるけがなく、ただ女であるわけでもない。

美醜で、ある男の生きやすさが10、ある女の生きやすさが90だとすれば、性別+美醜の合計での生きやすさは、男Aが60+10=70、女Bが60+90=150になる。つまり、より弱者である男Aから女Bはリソース収奪しているわけで、これがつまりは「非モテが反フェミである根本理由だ。

非モテは、アファーマティアクション否定しているのではない。それが結果的にアファーマティアクションとして機能していないと主張しているのだ。

「そちらはそちらで頑張ってください」

と、そうした非モテ弱者を突き放すのがフェミ定型的な対応になっているが、これは①弱者ヒューマニズムで救済すると言う自らの理屈を裏切っている、②自らが加害者に結果としてなってしまっていることに対して修正措置をとるべきであることを理解していない、と言う2点においてロジカルにも道理が通らない態度だ。

「そうですね、ありとあやるゆる弱者性が救済されるべきです」

と言う穏当な態度にどうして帰結しないのかと言えば、合計150点の女が負担を強いられることになるからだ。基本的には貧乏人のためには1円も払いたくない業突張りと同じマインドである

必ずやフェミニストは地獄で裁かれるだろう。

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