はてなキーワード: 別コミとは
前にも似たような話をしたが、自分は24歳で、大学時代はOBが入り浸るようなサークルにいたから、アラサーの知人が沢山いる。5つ上の別コミュニティの男性と交際しているせいか、そういう先輩たち(主に男)から「どうすれば彼女が出来るのか」という相談されることがまぁまぁあって、正直最近少し迷惑している。
その筆頭である「絶対25歳以下としか付き合いたくない」って言ってる30歳の知り合い(嫌い)、話を聞いていたら「若い子がいい!」というよりも「若い時にこっちを見てくれなかった、女の扱いに長けた男の一番になれなかった女性に妥協として擦り寄られることの辛さ」みたいなのを説いてきた。
でもこの人、中高男子校→女子率2割切ってる大学の女子率3%未満の学科→メーカー研究職と、そもそも男子しかいないコースを歩んできた人なのね。サークルに関しても全学年で私含めて女性は3人しかいないから、「こっち見てくれなかった」も何も、いる環境を選ばなかったお前の責任じゃん……と気持ち悪くなってしまった。責任転嫁が過ぎる。すももとかめっちゃ好きそう。
30歳で童貞で、社会人になってから付き合った女の子には1ヶ月くらいで振られてるんだけど、何故か女性に対するハードルがめちゃくちゃ高いの、傍から見てて気分悪い。「自分は勉強頑張ったんだから、可愛くて若くて自分のこと大好きな彼女が出来て初めてフェア」って感情、どうやったら捨てさせられるんだろうね。まずはそのボサボサの眉毛とボロボロのシャツからでしょ。
でもお前ら「クズはクズ同士でつるんでいればええやん」とか平気でいうやん?
KKOとか障害者とか引きこもりとかをとっとと社会から隔離してまえっていうのと、
KKOはKKO同士仲良くすれば孤独にはならないのになんでそうしないんだ?っていうのは同じ様に解釈される。
弱者は「友だち」が欲しいんじゃなくて「社会に」承認してもらって居場所を確保したいのね。
社会から阻害されるまま、自分が容認される別コミュニティを作ろうが、反社会的存在に成り果てようが、
「自分は一旦社会から価値を認められず爪弾きにされた人間なんだ」というコンプレックスは拭えないしそれ故に自己肯定出来ず不安な状態が続くんだよ。
アーサーには小人と仲良くしている余裕なんてなかったんだよ。
「俺、メンヘラ嫌いなんだよね」とのたまう
女のことをまるで分かっていないチンチンにサヨナラしましょう!
その上で「わたしメンヘラなんじゃないか」と思い悩む女性たち。
その上で自らの行動を振り返り、確認してください。
適切な診断を受け治療を受けてください。
ここではメンヘラ=昨今ネットで謳われるようなかまちょ、ヒステリー、嫉妬深さとします。
そしてその上で、「女は全員メンヘラ、男は全員マザコン」です。
いいですか。これが大前提です。
女(私の不安に寄り添ってほしい)
男(僕の在り方を許容してほしい)
メンヘラは、執着と言い換えても良いです。
今の平穏、安心、彼からの愛、金銭的安定、すべてへの執着です。
いやむしろ、出産したとき子供に執着出来るように先に作られています。
健全な身体、精神、懐の深さ、感受性、子の自由を奪わない控えめな性格。サポートするものとしての有能さです。
「いや、ひとくくりにするなよ!」とお怒りの方もいると思います。
女性たちに生じる個性のひとつに「どこまで隠すか」があります。
1.全員にオープン
2.友人にオープン
7.誰にも言わない
※家族やそれに近い共同生活者、医療関係者、カウンセラーは除外。
家族に対する悩み相談はその抵抗度が人により様々でランク付け出来ませんし、その他2つも同様です。
恋人より同性の友人のほうがより隠してることになるの?と言われそうですが
往々にしてそんなものです。女子会がエグいと言われるのはこのせい。
※男性の方もマザコンを誰に対して出すか、でランキングが作れます。
同性の友人にマザコンとかはない…という場合には、弱みを見せれるかで考えるとしっくりくるかと。
ランキングに照らし合わせてみましょう。自分はどこにいますか。
そして、自分の周りの人を思い浮かべてください。
一人浮かんだら、その人のレベルを推測してください。
例えば学生時代の同性の友人。今でも会う親友で、私しか知らない秘密がありそう。
ならば、レベル6。
人によってレベルは様々で、その人なりのレベルで生きています。
その人がその人のレベルで生きているところを、土足で荒らしてはいけません。
例えば、頼まれてもいないのに親友の不安をその親友の恋人にバラしたり。
「話してくれた=大した秘密ではない」のではなく、自分がその人のレベルの入れてもらえたと考えるべきで、レベルを超えて話を拡散させるのはもっての外です。
つまり、「俺の彼女実は結構メンヘラでさ〜辛いんだよね〜」なんていう男はチンカス。
「あの子本当はメンヘラで〜」なんてその子の彼氏に入れ知恵する女はもっと最悪です。
相手の女の子はレベル4や6で生きているのに、その生き方を否定する行為。
どっちが悪者かは明らかです。
相手がレベル6で生きていたら、レベル5以下は笑われるでしょう。
もしくは、「俺の方が頑張っているのに」発動です。
そう、SNSです。不特定多数に向けて自らの不安を訴える女性の多さ。
女性諸君、SNSで不安を漏らしたら一気にレベル1まで落ちると思いましょう。
「こいつ誰でもいいんだな」と思われて、面倒臭がられます。
メンヘラを嫌うな。メンヘラ女に当たってしまった!と思ったときは
自分の方がもしレベルが高かったら、相手に合わせることを考えても良いかもしれない。
それが嫌ならとっとと別れるべき。
女の大半はレベル4未満のことが多いので、4以上に当たったら感謝しても良いと思う。いい恋人だし、もし子供を望むなら良いお母さんになると思うよ。
そして絶対に相手のレベルを笑ったり、相手のレベルを下回って拡散したりしてはいけない。
それは自分の評価にも繋がると考えてほしい。恋人の愚痴を言う人って最悪でしょう。
メンヘラを消すのではなく、自分のレベルを上げることを考えてみてほしい。
無理にとは言わないが、前述したようにせめてレベル4以上なら
「メンヘラと付き合ってる男」と周囲から見られることを嫌っているだけであるから。
これなら、SNSに気を配るだけで多くの女性はクリアできる気がする。
もし不幸なことに、レベル4以上なのに「お前はメンヘラだ」と言われたり
もしくはレベルを下回る範囲に拡散されたりしたら、そんな男は切ってしまいましょう。
せっかく鍛えているのに足を引っ張ってくる存在です。
※レベリングはくれぐれも無理のない範囲で。執着の絶対量が減るわけではない。おすすめはこのレベルの外、対人関係以外で自分の不安を和らげるられる趣味を得ること。もしくは、まったくの別コミュニティでレベルの低い生き方をして、生き方を使い分けること。
メンヘラは無くなりません。どこかで発散しない限り有り続けます。
自分の恋人はメンヘラじゃないな、と感じたら、別の存在で発散されていると思った方が良いです。
外野の僕の目には、BANANA FISH界隈における腐女子叩きは古参が縄張りを主張して新参を威嚇してる様にしか見えないが
これこれ。なぜだか「BANANA FISHは女の読むものではない」「俺たちのBANANA FISH」ということにしておきたい一派が一部にいるんだよー。
だって腐女子が「幽☆遊☆白書は私達のもの!」って主張したら、おいおいズカズカ乗り込んできて何言ってくれちゃってんの?って思うじゃないですか。
それと同じ。変に煽らないでほしいよ。
BLが好きではない人達(男性ファン、女性ファン共に)による「BLって言うな!」については、別トラバの人が解説してる通りかな。
作者や編集者については、BL作品かどうかはともかく「尖った作品にしよう」という意図はあったんじゃないかな?
ここ数日のJXUG (Japan Xamarin User Group) の話を見ていてなんだかなーと思っていたが、ついに主宰がコメントとポリシーを出した。
これでこの話「だけ」は終息に向かって行けばいいと思う。
今回の件は、担ぎ上げられた方の性別や過去の言動も相まって盛り上がってしまったが、男性だったら同じことが起こっていたか、という問いかけには「起こりうる」と答えたい。
一つの例を出す。
「『テスト書いてない』なんてそれ○○の前で言えるの?」「テスト書いたから大丈夫です!」
これは、別コミュニティの男性の話を基に持て囃された言葉で、IT業界でコードを書いている人なら似たような内容を見聞きした方も多いだろう。
当の本人は、テストだけにフォーカスされてしまっている事を良いと思っておらず、一つの手段である事を伝えるために苦労しているようだ。
男女問わず、コミュニティの中で誰かを担ぎ上げて人柱にする事は起こる。
コミュニティ内の交流会や発表の場で、ちょっとした有名な方の記念日を祝う事もあるだろう。外部の人がそれを見ても問題のない表現は幾らでもできる。
しかし、コミュニティ内の発言を Twitter等で確認すると「内輪向けすぎて、ないわ」と感じる。イベントログでも同様である。
件のピラミッドが描かれたスライドは、新規参加者を疎外するには十分なもので、現場に居た参加者が「これはマズい」と思わなかったのであるなら、非常に危険な状態ではないか。
考えてみてほしい。何の知識もなく興味だけがある未来の開発者が、その画像を見た時の事を。コミュニティに参加するためには、まず自分は一般ピープルの扱いを受け、ピラミッドの上部と「人脈」として繋がらなくてはならない。それはXamarinを利用するためのコストでは無い筈だ。
自分はMSのプロダクトは気に入っている。また、Visual Studioを普段から利用している。Windows開発者かと問われれば、Windows開発者でもある、と答えるだろう。そして、XamarinもVisual Studio for Macも良い方向へ進化していく事に期待している。
だが、少なくとも、現状のコミュニティには参加しようとも思わないし、必要な技術情報や交流は国外の物を利用し、参加するだろう。
あくまで、このコミュニティに限った話であるため、他のコミュニティで邂逅しても特に何も思わない。
一つ、コミュニティポリシーの経緯について。今回の件に影響を受けすぎているように感じるため、中性的な表現に修正した方が良いものになるのではないかと提案したい。
JXUG 名古屋ハンズオンでの事実について - Xamarin 日本語情報
それでは、より良い開発を。
怨讐星域を読んだ。一巻を読み終わった時、一巻から三巻までの帯についてる煽りは嘘じゃないのかもしれないと思ったけど、結局尻すぼみな読後感になってしまった。残念。
なんだか似たような恋愛話が多かった気がした。宇宙船でのお見合いシステムも、なんで男性がアクセスして相手を見つける話ばかりだったのだろう。逆があっても良かったはずだし、女性が主人公になる話があっても良かった。もちろん結末はいろいろだったけど、過程が似たり寄ったりでちょっとうんざりさせられた。
また年代記の体裁をした短編集になってるのに、ひとつひとつのエピソードに重みがないのがもったいなかった。もっとこう後世に残る大発明とか、大きな障害を克服したとか、些細な行いが禍根を残してしまったとか、重大なエピソードに焦点を当てればいいのに。改めてあらすじを眺めてみるとそうじゃないことがわかるんだけど、読んでいる最中は余分な話があるなって感想を持ってしまった。たぶん構造が悪いんだと思う。
一巻は素晴らしかった。新天地での人類と生物との戦いや別コミュニティとの交流なんかはわくわくした。サラマンダー殲滅でもそうだったけど、梶尾真治が生み出す生物は特殊でグロテスクで面白い。スナークとの格闘や百年蟬とブッシュ・バードの話なんかすごく面白かった。
終末期の地球の話は一巻の中で異彩を放っていたと思う。ハッピーエンドっていう話は主要な内容もさることながら、とある高校生が家族と一緒に暮らしていることに衝撃を受けた。もうすぐ地球は滅びるのに、脱出する選択肢も提示されていたはずなのに、地球崩壊を信じない父親の影響を受けてか新天地に移動しなかったことを思うと、自由選択の切なさというかもどかしさを感じないわけにはいかなかった。そりゃあ最終的に決定したのは本人なんだろうけど、それでいいのかってどうしても思う。終わり方も切なかったので終末モノが好きな人には読んでもらいたい内容だった。
ノアズ・アークの船員たちの心情も良かった。地球の人々に内緒で宇宙船で脱出することを選んだ大統領の苦悩とか、人生が宇宙船の中だけで終わってしまう人々の無常観とかが胸に迫った。コミカルな内容もある宇宙船の話だけど、いつもどこかに物悲しさがつきまとっていた気がする。
二巻にも好きな話がままある。ノアズ・アークの怪物は結末がギャグだし、アダムズ小屋の話はモンスターパニックになっている。深遠の選択で描かれているジレンマもよかった。
三巻になると、復讐とか戦争とかそういう話になっていくから話が重くなる。戦中の情報統制とか教育方針とか、そういうものに抗う話じゃなくて浸透していく話になるから読んでて辛かった。また結末のカタルシスも微妙。予想出来た終わり方なのは致し方無いとしても、もうちょっとドラマチックに心情を追って欲しかった。
このシリーズ、せっかくなら一巻は地球に残された人々を主に描いて、二巻は約束の地に先回りした人々の歩みだけでまとめて、三巻での宇宙船で旅だった人々の真意を重点に書いたら良かったんじゃないかな。単純に年代順に物語を並べたゆえの弊害が出てしまったように思う。読みやすくはあったんだけど。
増田には、そもそもいないかもしれないけど、オタサーの姫として悩めるみなさまこんにちは。
大学時代に2度ほど壮大なサークルクラッシュをさせ、未だに同窓会へ参加しづらい元オタサーの姫です。最近、20代後半に突入しました。
最近は仕事で海外を飛び回るようになり、プライベートも充実しています。ふと振り返り、「あの時、頑張って自分を変えて良かったこと」を書いてみようと思います。
もし貴女が、"オタサーの姫になりかけてる"または"オタサーの姫になってしまい人間関係に疲弊している"としたら、ちょっと読んでみてください。
私の場合は、学校の課題やテストにおける自信の無さ・甘えが、周囲の人間を"うっかり"釣ってしまう材料でした。
一緒に課題やテスト勉強する場合には、教えることよりも教えられることが多かったです。
そこから、先輩・同級生から助けてもらう必要がそこそこ無い程度まで、基礎学力を引き上げていきました。
基礎学力の上げ方は、予習にて教科書内の理解不能な単語・数式を全て潰す。
この潰し3点セットの徹底です。
目安としては、自分の学科の試験にて上位3-5%を保てるまでやり込めるといいと思います。
基礎学力を引き上げた状態で、何かしらの研究テーマへチャレンジしてみましょう。
まだ研究室へ配属されていない場合は、気になったテーマを持つ教授へ相談し、研究会or査読なし学会での発表を1stゴールに設定し、ゼミ参加などしていきましょう。
すでに配属されている場合は、査読ありの国際学会1本はマストで挑んでみましょう。自信をつけるためなので、1つ目は国際会議でさえあれば、難易度は問いません。
調べれば調べるほど、結構出せるところはありますよ。(ちょっと怪しい学会もあるけど)
研究という単語が難しくなさそうとか、挑戦してみたい、とかそういうポジティブなノリの習得。
そして、"成果を出す"という楽しさを見出すのがゴールです。
もし自分がぽっちゃり体型という不安を持っているのであれば、簡単な筋トレをしてみましょう。
食事制限は、身体にも心にもよろしくないです。
そして、化粧でブスをごまかすより肉体作りをした方が外見に関しては良く効いてきます。
食べずに痩せるではなく動いて痩せることを意識してみるといいと思います。
大体3ヶ月くらい頑張って続ければ、オタサーの姫っぽい服を着たとしても、"単なる普通にお洒落な人"的な体型になると思います。
基礎学力・研究業績が積み上がると、奨学金(日本学生支援機構じゃないもの)や留学のオファーを見つけて挑戦してみましょう。
留学や奨学金団体の晩餐会など、新しいコミュニティへステップアップし、新しい友人関係を積み上げましょう。
ステップアップしながらコミュニティを転々とするスキルを身につけると、そのうち依存しなくても良い場所が見つかります。
出来ないこと、分からないことがあっていいんです。
失敗してもいいんです。
悔しく感じたら、とっても素敵です。
「今はいいんだよ」と自分自身に微笑んであげながら、少しずつ乗り越えていきましょう。
被害者の素振りで近づいてくる男性陣もいますが、笑顔で避けましょう。
助けるフリをして、根掘り葉掘り聞いてくる女性陣には、一言「気遣ってくれてありがとう」とだけ返しましょう。
笑顔で「そうなんだね」とか返しておけば適当になんとかなります。
そんな感じで案外生きていけるというのが、私の後から学んだことでした。
好きな服も、着ちゃって大丈夫です。
アンパンマンミュージアムに連れて行く親って、「子供が楽しんでいるのを見るのが楽しい」んだよね。
楽しくないなら連れて行く義務なんてないからね。対象は精々3歳までで、子供が自分で情報調べてここ連れてけという訳でもないし。
これがもっと大きい子であれば「どこにも連れて行かないと大人になった時に何もしてくれなかった親と認識されるのではないか」とか
「それを周囲の友達やら先生やらに言い触らされると恥ずかしい」とかそういう計算が働いたりするかもしれないけど、アンパンマン世代でそれは無い。
どうせ連れて行ってもすぐ忘れる。
専業主婦の方が力関係が強い訳ないだろ常識的に考えて。金がある方が強いに決まってる。
資産家の娘と結婚した婿養子とかだったら別だろうけどそんなんじゃないだろ。
元増田の所属するコミュニティは「育児している男はかっこ悪い」と言う風潮があるんだろう。だから皆嫌々やってるというポーズを取ってるだけ。
別コミュニティだと「育児している男はかっこいい」場合もあるので、そういう所だと育児なんてやってない男がイクメンの俺ポーズを取ってたりする。
成功したものだけで、コミュニティを形成しれていることを最近よく感じる。
アメリカでは顕著なようだが、日本でもそれを実感する機会が増えてきた。
ソーシャルネットワーク、スマートフォンとここ最近コミュニティ形成における環境が大きく変化した。
昔から大学、そして会社と階層別コミュニティはあったが、コミュニティ形成がより視覚化された。
昔一緒に情報交換して切磋琢磨した仲間も、勝ち上がれば勝ち上がったものでまたコミュニティを形成し、敗れ去ったものの声を聴かなくなり遠ざけるようになった。
敗れ去った側の自分としては、こうやって人は社会的に死んでいき、生きながらに亡霊となるのだと思う。
死んだ者の声はもう生者には聞こえない。
死んだ者には、条件の悪い住環境、労働環境、よりモラルの低いコミュニティが待っている。
日本はまだましだが、格差が進めばますます死者の環境は悪化するだろう。
まるで、天国と地獄のようだ。
成功したものだけで、コミュニティを形成しれていることを最近よく感じる。
アメリカでは顕著なようだが、日本でもそれを実感する機会が増えてきた。
ソーシャルネットワーク、スマートフォンとここ最近コミュニティ形成における環境が大きく変化した。
昔から大学、そして会社と階層別コミュニティはあったが、コミュニティ形成がより視覚化された。
昔一緒に情報交換して切磋琢磨した仲間も、勝ち上がれば勝ち上がったものでまたコミュニティを形成し、敗れ去ったものの声を聴かなくなり遠ざけるようになった。
敗れ去った側の自分としては、こうやって人は社会的に死んでいき、生きながらに亡霊となるのだと思う。
死んだ者の声はもう生者には聞こえない。
死んだ者には、条件の悪い住環境、労働環境、よりモラルの低いコミュニティが待っている。
日本はまだましだが、格差が進めばますます死者の環境は悪化するだろう。
まるで、天国と地獄のようだ。
http://anond.hatelabo.jp/20100425122119
ちょっと脱線するけれど、Twitterだって海外のユーザーをフォローすれば海外と繋がることができる。
でもそれが簡単で無いのは、TLの上で日本語ユーザーと外国語ユーザーとは本来は別コミュニティとして分ける必要があるのに、Twitterの性質としてそれができていないからである。
たとえば、日常生活でも、会社とプライベートとではコミュニティが分かれる。プライベートでも、家族、同級生、サークル活動などで、コミュニティは自然と分かれるものだ。
それがTwitterのTLではごちゃ混ぜになってしまう。
List機能を使えば可能なのかな。そういう風にList機能をコミュニティの分離に使っている人いる?
まあ、他にもTwitterが解決しないといけない問題はある。
日本語で書いたつぶやきは日本のコミュニティにしか伝わらない。外国語で書いたつぶやきは海外のユーザーにしか伝わらない。
蒼井そらのTwitterで、彼女が日本語と英語とを重ねてつぶやいていたのを見て、これはTwitterのグローバル的な面を意識した行動として素晴らしいと思ったのだけれど、140文字の中でそれをやるのは大変だろう。
機能として、どのコミュニティを意識したつぶやきなのかを表明する方法が必要なのだと思う。
英語と日本語の両方のコミュニティに所属しているユーザーがいるとして、日本のコミュニティに彼の英語のつぶやきを見られた時「いきなり何を書いているだこいつは」と思われないためのものが必要だ。
日本語コミュニティだけの所属だとしても、コミュニティ間の距離が遠いほどこの問題は大きくなると思う。同じ言葉でもコミュニティによって意味が全く違うなんて場合よくあると思うのだけれど、そういう場合は配慮しないといけないわけで。
まあ、こういう問題については、アカウントを分けてしまうという方法で対応してるユーザーも多いのではないかと思うが。
インターネットが一般的でなかった時代、ネットユーザーは「キーボードが打てる」「文章を読むor書くのが好き」「自分をアピールするのが好き」「新しい技術や情報が好き」といったような比較的インテリジェンスが高い、いわゆる似たもの同士ばかりが参加していた。
察する察しない論争がちょっと盛んだったけど、自分はなんでも口に出すタイプの女だ。察してもらうのを待っているのはまだるっこしいし、やっぱり自分の意図を伝えるなら口に出してハッキリ言う方がいい。
しかし昔から私は自分の要望をハッキリ口に出すタイプだったというわけではなかった。きっかけとなったひとつの事件がある。あれは今から15年前…私が高校生の頃、いわゆるバナナフィッシュ事件である。
私は昔から隠れオタクで、中学にあがった頃から別コミを読んでいてバナナフィッシュという(少女漫画にしては見た目が地味な)漫画を愛読していた。その日もいつもどおり、本は買えないにもかかわらず書店に通っていた。本棚を「これもあれも面白そうだなあ」と眺めているだけで満足だった。そんな私の横で、店員さんがマジックで張り紙を書き始めた。ポップというほどではないが、○○最新刊発売中とかそういうもの。ちらっと見るとどうも売れ残りのカレンダーの裏側を使ってるみたい。ビリビリと破るその手元を見ると……ア、アッシュ!?
そう、それは私が欲しいなあと思いつつ買うことができなかったバナナフィッシュのカレンダーだったのだ!
私は隠れオタクで、自分のオタクな部分があまり好きではなかったため、書店にわざわざ予約注文しなければならないカレンダーなどというものを手に入れることはできなかった。でも本当は大きな絵柄のカレンダーには憧れがあった。しかもバナナフィッシュは絵柄として地味だからなのか、当時のファンの年齢層が高かったせいなのかあまりカレンダーとかにはならなかった(カラーページも極端に少なかった気がする)のでとてもレアなカレンダーだった。
そ、それが張り紙に! ああああアッシュの顔が真っ二つになってるぅぅぅぅ!
私の心は千々に乱れた。このままではすべてのカレンダーが破かれて張り紙にされてしまう。ああああもったいない! 今なら! 今ならまだ間に合う!
私は勇気をふりしぼって店員さんに声をかけた。
「あああああのっ、その、それ…欲しいんですけど売ってくれませんか?」
店員さんは怪訝な顔して「これですか?」と言った後「いらないものなので別にいいですよ、どうぞ」といって無造作に輪ゴムで丸めて私にくれた。ただで。あまりのあっけなさにポカーンとしたのを覚えている。冷静になって考えてみれば店員さんにとっては売れ残りの何の価値もないカレンダーで、別にその裏を使わなければ張り紙が書けないというものでもない。
でもそのとき私は、自分にとっての価値と、他人にとっての価値がイコールではないことや、だからこそ交渉や要望を伝えることで自分の願望を満たせるということを身をもって実感してものすごく感動していた。だってタダで! カレンダーがもらえるなんて! すごいすごい! もっと早く言ってみればもう一人くらいアッシュを救えたかもしれなかったなあ!
この出来事があってから、私はできるだけ自分の要望を口に出すようになった。意外と他人にとってはたいしたことではない場合も多いので、望みをかなえてくれることが多い。嫌なら断られるだけだしね。世の中言ったもん勝ちですよ!