小学校1年だか2年だかにミュウツーの逆襲を劇場で見て泣いた子どもが大人になったのが私なんですけど…。
泣ける泣けるとありがたがるのは確かに大人が多いけど、子どもにって泣ける作品に引き込まれるものは(言葉にしないだけで)あります。
まぁ、泣ければいいと思ったセンスのないおっさんと、大衆が生み出したモノが麻枝准であり、新海誠であり、一部の京アニ作品なんだけどもね…。
この3者それぞれに良さがないわけじゃないけど、話に文句言っちゃいけない、泣けたら正義って風潮は未だに好きになれない
ああ…色んな人と話して気づいたのは
「泣ける作品像」
作品で泣くのはシーンの破壊力と言うよりも、むしろ登場人物誰かしらへの共感や尊敬…そうなることしかなかったことへの無常観みたいなもので泣いてるから
「この話/こいつおかしくね?」
だと泣けんのよ…
もうちょっと根っこの部分について言うなら、普通の人は創作されたキャラを「こういうキャラ」と思ってみてるけど、発達障害の人って尖ってたり盲目的に打ち込んでる生態が普通すぎて「わかるー」って思ってみてる。
ましてや泣けんのよ
みたいな感想を述べてる人を見た時に
「え?アレって舞台装置だったの?ホームズの元ネタみたいに、発達障害的・自閉症寄りな人をモデルにしてできたキャラじゃないの!?」
みたいになったわけ。
ますだーはちゃんとシナリオ吟味した上で泣いてるから、感動スイッチボタンを豪華な音楽なり冷静に考えるとおかしいちぐはぐな会話回しだけで無理やり押しちゃってよくわかんない...