はてなキーワード: 乖離とは
ブランドイメージが高ければそれだけその企業に対する顧客の信頼は厚くなり売り上げに貢献する。
では企業にとってブランドイメージは高ければ高いほどいいのか?といえばそういうものでもない。
あくまでその企業の製品や実態にマッチしたものでなければいけない。
なぜなら、あまりに高すぎるブランドイメージはその化けの皮が剥がれたとき、
そのブランドが受けるダメージは尋常ならざるものとなるからだ。
そういった意味でAppleのブランドイメージは少し高くなりすぎているような気がする。
もしもAppleが作るものが純粋なファッションアイテムならば、
そのブランドイメージは高ければ高いほどいいのかもしれない。
しかし、違う。
その実像というものが現実的で醒めた視点でもって評価されるときが必ずやってくる。
だから、決してブランドイメージという虚像だけでは勝負できない企業なのだ。
ただ決してすごい製品ではない。
しかし、ネットを徘徊していると時折りiPhoneの提灯記事を読むことがある。
信じちゃあいけない。
Appleの莫大な広告費のおこぼれのおこぼれのおこぼれくらいがああいうところに回ってきて、
でもさ、ああいうのって、どこまで信じてる?
なんかさ、いるじゃない。
多分ね、そういうのはみんな信じないと思う。
Appleの新しい製品が出るたびの風物詩みたいにして楽しみにしている人もいると思う。
と思うじゃない?
提灯記事には騙されないぞ、と思ってるじゃない。
でもね、それは本当なのかよ?って思ったりする時ない?
その他の記事が客観的な評価に基づいたものだと思い込ませるための布石になってるんじゃないか?とか。
まあ、私は知らないよ本当のところは。
ここまで書いてきてなんだけど、全然わからないもの技術的なことなんて。
だからさあくまでこれはブランドイメージを構築する手法としての話なんだ。
って思う人はそれは何を根拠に言ってるの?
それとも誰かが主張していることを鵜呑みにしてるだけ?
このへんのね自分の気持ちを疑ってみる態度というのは割と大事だよねって話。
ただそれだけ。
なんでこんなことを思ったかというと
私が持ってるApple製品ってiPhoneはいいんだけどさ、
その他はあんま長持ちしないんだよね。
何かしらうまく動かなくなって製品として重要なある部分の使命を果たせなくなる。
いや正確にはiPhoneも大概だ。
ヘタったバッテリーの交換をしに行ったら、
バッテリーだけじゃなくて、
これも壊れてます、
それも壊れてますって診断されてさ、
それらがぜんぶ交換になってさ、
と、ふと疑問に感じたんだ。
で、いろいろと考えるにAppleって割と虚像の方が大きくなりすぎてるんじゃないかな?と感じだんだ。
少なくとも私の中では。
大好きな企業だし、
大好きな製品群だし、
でもねそれとは別の話で、
それはAppleだけに限らず。
そういうことを書きました。
○ご飯
朝:柿の種。チョコ。昼:キムチ。チャーハン。ラーメン。ビール。夜:麻婆豆腐丼。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみ。
○ 千羽鶴
携帯電話専用ゲームとして発売されていたADVのニンテンドースイッチ移植版。
主人公が恋人のお見舞いに病院に行くところから始まるホラーなストーリーで、システムは選択肢を選ぶだけのノベルゲーム。
基本的には病院を舞台にしたホラーで、おどろおどろしい雰囲気から奇妙な恐怖体験が幾度と発生し、それぞれのルートに入ると大きな事件が発生するのが基本的な構成。
この奇妙な恐怖体験がちゃんと怖いうえに、臭いや小さな傷などの、現実で想像できる範疇の嫌悪感が入口になってるのは引き込まれる。
緩急の使い方がうまく、1ルートは短いながらも一息付く場面があって、そこから急展開が始まったりと、ホラーの楽しさが小さいながらもちゃんと詰まっている。
また選択肢によっては様々な展開になっていき、ホラー以外にもサスペンス、SF、コメディ、お色気と多様なストーリーも楽しめる。
ルートごとに根本的な世界観が変わっていき、リアリティラインが現実とはかなり乖離したものが続くので、なんでもありでオモチャ箱をひっくり返したような良い意味でのごった煮感が楽しい。
弟切草や、かまいたちの夜のようなサウンドノベルを彷彿とさせられるが、プレイ時間は3時間ほどでコンパクトにまとまっている。
文量は流石に物足りないが、それぞれの起承転結がハッキリしているのでショートショートを読む感覚でお手軽に遊べる楽しいゲームだった。
タイトルの千羽鶴が多様な意味を持って度々オチに使われるのも、今回のストーリーはどうくるかと想像する楽しさがあった。
かなり強引な使い方や、言いたいだけの無理やりな展開もあったが、こういうのは繰り返してこその面白さなので僕は好きだった。
個人的には、コメディが大好きなのでピンクの栞ならぬピンクカードで入場する「秘密のお店編」と、メタネタ満載に脱力のオチが良い後味になっている「おまけ編」の二つがお気に入りだ。
携帯電話のノベルゲームなので、アプリ容量などに苦戦しそうだが、ホラージャンルにすることで良い意味で全てを描く必要がなく美味しとことをいっぱいに出来る工夫が面白い小さくもちゃんとしたゲームで良かった。
Googleマップが酷すぎて段々使い物にならなくなりつつある。Googleマップはもはや2019年版地図
ここ最近、Googleの検索の精度、Amazonの劣化ぶり、Xのインプレゾンビによる壊滅ぶり、Youtubeの検索やレコメンデーションの精度などの悪化ぶりが話題になっている。大手IT、悪貨に駆逐されて惨憺たる有様やね。この話は最近どころかもうここ5年10年定期的に繰り返されてる話題だが最近特に酷い。 それらの話の中であまり話題になってないけど、Googleマップの品質の低下がやばい。タイトルにも書いてるけどGoogleマップ、更新されなさすぎてもはや2019年版地図やね。2019年から現在まで何も変わってないような土地でだけ正確で、再開発等で大きく変わった場所は使い物にならない。このままだと5年後10年後はさらに現実との乖離が酷くなりそう。 2019年というのは、当時も大きな話題になったがGoogleマップがゼンリンとの契約を解除した年だ。Googleマップのそれまでの高精度ぶりを支えてた
身銭を切って結婚相談所に登録するとか、素直になるとかじゃないのかなって思った。
よく言われることは、年齢によって自分の恋愛市場での価値が下がっていることを理解せずに過去のレベルの相手を追究し、カップルにはなれないというやつだな。
マッチングアプリだと陰キャの男性が多いみたいなことを言っているところにそういうにおいをちょっと感じた。
今の自分のレベルにあった人しか自分の周りには現れないはずなので、モラハラ男も陰キャ男も残念ながら増田のレベルを表しているんだと思う。
自分の思う自己像と現実の自己の乖離を教えてもらうには、客観的な立場でアドバイスしてくれる人にお金を払ってコンサルティングをしてもらうのが一番なのかもしれない。
ひとまず例をあげとくと、俺が全くオススメ出来ないアニメは「Serial experiments lain」
如何にもオタク受けや陰キャの共感を狙ったかのような小柄で奥手な主人公。
普段は口数が少ないけど友達の前では結構喋るし、得意な分野についてはやたら早口で高圧的になったりもする。
ずっとパソコン弄りとインターネットばかりしていて、周囲からも心配されてる。
寝間着が🐻のキグルミで露骨にオタク受けを狙っているのもオススメ出来ない。
やたらと衒学的にインターネットの歴史を交えつつ当時インターネットに人々が見ていた平行世界的な闇を都市伝説的に描くストーリーテリングもおすすめし難い。
今見てもレトロフューチャーというには技術レベルが低く、それでいて当初の感覚で言えば近未来的だったであろう、何時の時代ともつかない絶妙な世界観のバランスもオススメ出来ない要素だ。
インターネットの世界に引きこもっていき、ネットの交友関係に依存するうちに現実から乖離し、それの極北にたどり着く寸前にリアルの人間関係の中に自分の居場所を見出す展開もオススメ出来ない。
伶音の選択は物語の中で肯定されるが、それを世界が両手をあげて称賛するのではなく、ただ伶音とその周囲の世界の中でだけその価値が見出されるかのような物語の紡ぎ方は、今見るとなぜレディープレイヤーワンの映画はこういった納得感を持たせられなかったのかという気持ちになってしまいオススメ出来なすぎる。
OPはシットリとしながらも重さと鋭さを感じさせる曲調・歌い方は世紀末の世界を包んでいたフォークロアへの恐怖と憧れに満ちた世相に合致しており、また当時のインターネットにあった陰鬱さ・危うさ・刺激との親和性も高くありながら、歌詞そのものにはデジタル空間を感じさせる要素は一切なく、ただ人の繋がりの中にある高揚と失望の中を漂い落ちていく感覚だけが歌われる掴みどころのなさはまさしくこのアニメに相応しくオススメ出来なさがここに極める。
EDはOPと比べて語られることは少ないがこれまたオススメ出来ない作りをしている。ただただ憂鬱な歌詞の中に人生や社会に対しての絶望が詰まっており、夜中に美少女主人公のアニメを見ているような負け組共に完璧なクリティカルが入る。金属を爪弾いているということを積極的に主張する弦楽器の音色は冷たく切り裂く世間の風を思わせるが、冷たく冷えた子宮に包み込まれているような沈み込むよな心地よささえある。この曲を聞いてから布団に入れば自分の人生のしょうもなさにふと涙が溢れること請け合いでオススメ出来るなんて口が裂けても言えない。
内容としてはSFとしては不思議な要素は決して多くなく、未来の想像という点では攻殻機動隊や電脳コイルに全く及ばず、鬱アニメというには救いがあり、伶音ちゃん目当てに見るにはえっちな場面がほとんどない、それでいてやたらとカルト人気ばかりが先行しているという、どこをどうとっても薦められた側が困惑するようなアニメであり、見所といえば直接的な刺激ではなくゆっくりと取り囲むような不穏さによって作られたメランコリックなネガティブムードと等身大から始まり形而上学的領域へと超高速で飛んでいってしまうスピード感にある当時のインターネットに対する無限の期待感の共感ぐらいのアニメであり、これをオススメするのは俺のような一般独身男性には全く不可能だ。
別件だが、togetterでおそらく番付作成者自身がまとめを作ったことがあったのだが、
これを受けてはてな民が大勢居そうな某大手左翼掲示板ではZ世代は人間として欠陥があるヒトモド○だとか、人権を取り上げて徴兵して●すべきなどという異様な誹謗中傷も散見されている
左翼老人が好きそうで発言的価値観的にマッチングしそうな人物組織を挙げてみると血も涙もない悪の巣窟みたいな絵面になるのは何故だろう?
左翼ほど他人の価値観思想に不寛容で、生命を迫害する構造を見るとやはり人生が極地に達した犯罪者予備軍の底辺が埋没するのが人権思想や左翼思想なのではないだろうか?
思考実験として例えば相模原障害者殺傷事件の舞台がもしもコミケだったらと思惟してみる
左翼の不倶戴天の敵であり被差別のオタクが障害者の代わりに死んだのなら、はてなや左翼界隈では万雷の拍手を送られたのではないだろうか?安倍晋三が射殺されたときのように
本質的に反社、反人権思想の左翼が人権などと連呼しているのは極道が独自の社会性で暴力を行使し後支えする土台理論として仁侠などと主張することと同一性があるのではないか
参考文献
人権を「怖い」と敬遠する若者 ジャーナリスト安田浩一さんの危惧
https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2J4VHVS26UPQJ008.html#expertsComments
どっちかっていうと勝ったの世のオタクって感じがする
あの大騒ぎのおかげで、フェミニストとミサンドリストは違うって可視化されたし
仁藤氏の言動はcolaboの活動とは乖離してて、ただのミサンドリストだったわけじゃん
三重交通の奴なんて前だったら絶対消されてたのに、今回無風だったじゃん
あれは暇氏の功績といっていいとおもうんだよな
https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2024/wp24j01.htm
素晴らしい研究だ
第一に、わが国貿易部門の生産性は、米欧と比べると、安価な輸入品の活用等による生産プロセスの効率性改善により伸びてきた面が相対的に大きい。
第二に、海外との競争激化などから、わが国貿易部門の競争力が海外対比で低下したことは、わが国の交易条件の悪化や実質実効為替レートの円安化の一因になったとみられる。
第三に、雇用・賃金面では、製造業から非製造業に雇用のシフトが生じたのと同時に、貿易部門と非貿易部門の賃金格差が拡大した。
第四に、グローバル化の進展は、過去 25年間の大半の期間において、日本の消費者物価を継続的に下押しする要因として働いてきた。
第五に、海外との競争激化もあって、価格マークアップが縮小する中で、わが国企業は、賃金マークダウンの拡大により収益を確保してきた。
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1990 年代半ば以降、わが国で交易条件の悪化と実質為替レートの円安化が同時進行した背景について、Obstfeld (2010)は、貿易部門の競争力・価格支配力低下や、中国との競争激化などを指摘している。
交易条件の変動は、家計の可処分所得(実質)を通じて、個人消費(実質)に影響する。
日米欧の実質個人消費と実質可処分所得の成長率の長期トレンドをみると、両者はほぼ一致しているが、わが国は、交易条件悪化による負の所得効果により、実質個人消費の伸びが雇用者報酬等の半分程度にとどまった(図表4)。
この点について、齊藤 (2023)は、交易条件の悪化によって、わが国の国富が海外に流出―GDI(Gross Domestic Income)の停滞―してきたことで個人消費は長期間低迷してきたと指摘している。
R&D や GVC 参加率の要因は、各国の生産性伸び率の相当部分を説明する。
また、国別にみると、米欧は特許・知財や前方参加の押し上げ効果が大きい一方、わが国は後方参加の押し上げ効果が大きい。
これは、わが国貿易部門の生産性は、米欧と比べると、安価な輸入品の活用等による生産プロセスの効率性改善により伸びてきた面が相対的に大きいことを示唆している。
本推計結果は、わが国では、革新的な製品・サービスをグローバルに提供する「プロダクト・イノベーション」よりも、製品を効率よく生産する「プロセス・イノベーション」の比率が高まってきたこととも整合的といえる
わが国企業の労働生産性を、製造業大企業とそれ以外で比較すると、この25年間で両者の乖離幅は大きく拡大した(図表9)。
また、わが国製造業の輸出を、企業規模別にみても、その牽引役は主として大企業であり、中小企業からの輸出はほとんど伸びなかった(輸出売上高比率の変化<1998年→2021年>:大企業13%→23%、中小企業2%→5%)
グローバル化進展の生産性へのプラス・マイナス効果(生産性上昇・競争激化等)は、最終的に企業収益に反映されると考えられる。
この点に関連し、Furusawa, Konishi and Tran (2020)は、グローバル化のもとで市場統合が進むと、高品質の製品を生産するトップ企業の収益は大きく伸びる一方、そうでない企業は業績が悪化し、企業間格差が拡大することを理論的に示している。
この点に関連し、わが国の企業収益を企業規模別にみると、貿易型・大企業(FDI・輸出をともに行う企業)は、この25年間で経常利益率が20%ポイント強上がった一方、非貿易型・中小企業の業績は数%ポイント程度しか改善しなかった(図表9右図)。
対米国では、1990年代半ばから2000年代前半にかけて、IT 関連財等での競争激化の影響から、交易条件は下方にシフトしたとみられる。
また、1995 年以降の累積でみると、交易条件の下方シフトには、米国が一番大きく寄与している。
その他に含まれる一部新興国など、2010 年代以降、改善に寄与した地域もあるが、対アジアでは、中国のWTO加盟以降、同国や韓国・台湾などとの競争激化で交易条件が緩やかに悪化している。
実質為替レートの変動は、短期的には生産性といったファンダメンタルズとの関連が薄いとされる(Miyamoto, Nguyen and Oh (2023))一方、長期的には―貿易部門の(海外との)生産性格差が影響するという――バラッサ・サミュエルソン(BS)効果と整合的といわれている( Rogoff (1996)、Chinn and Johnston (1996)、Lothian and Taylor (2008)、Chong, Jorda and Taylor (2012))。
BS 効果とは、ある国で貿易部門の正の生産性ショックがあると、労働市場で賃金が上がり、それにより非貿易部門の物価が海外よりも上がるため、当該国の実質為替レートが増価するという考え方である。
わが国実質為替レートを長期で振り返ると、1980 年代からピークの1990年代半ばにかけては、わが国貿易部門の生産性が相対的に伸びたことやプラザ合意の影響もあり、円高が進んだ(図表 11 左図)(Rogoff (1996)、Ito (1997, 2005)、Ito and Hoshi (2020)、Yoshikawa (1990))。
一方、1995 年のピークから最近にかけては円安が進み、その背景にはわが国貿易部門の競争力低下によって、「 逆バラッサ・サミュエルソン効果」が働いたと解釈されている(Ito (2022)、Ito and Hoshi (2020))。
この点を詳しくみるため、日米の貿易部門の労働生産性比率と実質為替レートを比較すると、両者の関連が深いことが示唆される(図表11右図)。
また、日米2か国のDSGEモデル分析からも、ドル円の実質為替レートの最近までの推移は、BS効果のメカニズムによってかなり説明できることが示されている(來住・法眼 (2024))。
わが国は、交易条件悪化の影響でGDIが伸び悩む一方、GNIはFDIの効果で伸びが高く、海外対比、これらの指標の乖離が大きい(図表12)。
そのうえで、わが国のGDIについて、齊藤 (2023)は、交易条件の悪化を起点に国内所得が海外に流出したことが、個人消費の長期停滞に繋がったことを指摘している。
わが国のFDIが増加傾向を辿るもと、企業はFDIで得た収益を国内にどのように還流させているかも経済への影響を考えるうえでは重要である。
わが国企業の FDI 収益(現地法人からの配当等)は、海外展開のリスクを念頭においた予備的貯蓄選好(Amess (2015)、Aoyagi and Ganelli (2017))や、担保需要17(Kang and Piao (2015)、IMF (2023a))などから、半分程度が海外拠点の内部留保(再投資収益)となっている(図表13左図)。
また、国内還流資金に関する企業アンケート結果をみると、その使途としては、研究開発・設備投資、給与・報酬が約2割を占めるものの、「分からない・その他」との回答が6割程度ある(図表13中図)。
この点に関連して、内閣府 (2023) は、海外からの配当金などが国内の設備投資や賃金に活用されていない点を課題と指摘している。
今後も人口減少により国内需要の増加が見込みにくい状況が続くとすると、企業には、海外需要を取り込みながら生産性を押し上げるインセンティブが働き続けると考えられる。
グローバル化は、限界費用の低下やGVCの深化等を通じて、先進国の物価を押し下げてきたといわれている。
とりわけ、わが国の物価は、FDIの推進などから、輸入ペネトレーション比率(輸入額/総供給額)やGVCの後方参加率が高まったことで、海外の安価な輸入品等の影響を受けやすく、他国対比、物価の押し下げ効果が大きかったとみられる(Andrews, Gal and Witheridge (2018)、Goodhart and Pradhan (2020))(図表 19 左図・中図)。
本コンファレンスの報告論文である福永・城戸・吹田 (2024)は、時系列手法を用いて、
①グローバル化によるコスト低下圧力などを含む各種の海外ショックが、2010 年代後半まで継続的に日本の消費者物価を下押しし、2013 年に日本銀行が導入した量的・質的金融緩和による物価押し上げ効果を一定程度相殺したことや、
わが国では、多国籍企業が高い交渉力を持つ傾向にあり、近年の FDI 増加によって労働者の交渉力が弱まったことが指摘されている(Dobbelaere and Kiyota (2018))。
この点に関連して、わが国企業の賃金マークダウンをみると、価格マークアップが縮小するもと、賃金マークダウンは大きく拡大しており、企業の賃金交渉力の向上が示唆される(図表21左図・中図)。
これは、企業が価格マークアップ縮小を、賃金マークダウンの拡大により相殺することで収益を確保してきたことを意味しており、わが国の労働分配率が米欧と比べ、長期的に安定してきた一因と考えられる(図表21右図(青木・高富・法眼 (2023))。
こうした価格マークアップの縮小と、賃金マークダウンの拡大は、わが国で物価・賃金が長らく上がりにくかったことについて一つの整合的な解釈を与えている。
こうした傾向が生じる理論的背景について、Mertens (2022)は、所謂「レント・シェアリング」モデルと整合的であると指摘している。
すなわち、同モデルによると、価格マークアップが小さい企業(縮小している企業)は、そこで発生した余剰を雇用者と分け合う結果、賃金マークダウンが大きい(拡大する)特徴がある。
グローバル化の影響は多岐にわたるもと、この四半世紀を振り返ると、わが国経済・物価への影響の特徴は、以下の5つにまとめられる。
第一に、わが国貿易部門の生産性は、米欧と比べると、安価な輸入品の活用等による、生産プロセスの効率性改善により伸びてきた面が相対的に大きい。
第二に、海外との競争激化により、わが国貿易部門の競争力が低下したことは、わが国の交易条件の悪化や実質実効為替レートの円安化の一因となったとみられる。
第三に、雇用・賃金面への影響をみると、熟練労働者への需要増や競争激化の影響もあり、製造業から非製造業に雇用のシフトが生じたほか、労働生産性が相対的に低い非貿易部門における賃金が低迷する中、貿易部門と非貿易部門の賃金格差が拡大した。
第四に、わが国の物価については、FDI の推進等で、輸入ペネトレーション比率やGVC の後方参加が高まったことなどから、海外の安価な輸入品等の影響を受けやすく、他国対比、物価の押し下げ効果が大きかったとみられる(Andrews, Gal and Witheridge (2018)、Goodhart and Pradhan (2020))。また、グローバル化進展の影響を含む海外要因が、2010 年代後半まで継続的に日本の消費者物価を下押しし、2013 年以降の強力な金融緩和の物価押し上げ効果も一定程度相殺していた可能性が高い。ただし、足もとでは、これらの海外要因は一転して物価の押し上げ要因となっている(福永・城戸・吹田 (2024))。
第五に、海外との競争激化もあって、価格マークアップが縮小する中で、わが国企業は、賃金マークダウンの拡大により、収益を確保してきた。こうした調整メカニズムは、わが国の物価・賃金が長らく上がりにくかったことについての1つの整合的な解釈といえる。
相手に対して「〜してほしい」という期待は一切抱かない、もし抱いたらすぐに捨てる
最も愚かなのは「俺が相手を思う気持ちと同じくらい、相手に俺を思ってほしい」と期待すること、唾棄すべきだ
勝手な期待を抱いて勝手に裏切られた気持ちになるのは、精神衛生上非常に良くない
俺は特別でなく、更にはある女性の特別になれるはずがない。そう願うのは、白馬に乗った王子様に見初められる以上に現実逃避した妄想だ
相手に対して「〜したい」という期待は一切抱かない、もし抱いたらすぐに捨てる
最も注意すべきは「言いたい」ことを求められてないのに話してしまうこと
相手から求められたとき、雰囲気的に乗るべきなとき、初めて話せばいい
つい自身の考えや経験を「言いたい」と思ってしまうが、相手が聞きたいことを話すべきであり、俺の考えや経験など相手は興味がなく知りたくも聞きたくもないし、反応に困るだけだろう
良し悪し問わず、もし感情的になってしまったら、口を閉じて時間を空けるべき
感情的になると、密かに抱いていた「〜してほしい」「〜したい」ことが漏出しがち
そうして俺なんかと卑屈自虐にもなりがちだが、それらは相手にとっては不愉快なだけで、自己満足の押し付けであると恥じる
行動指針が卑屈そのものによるのは否めないが、だからといって卑屈に振る舞わず、もっぱら自己批判・自制の道具にすべきだ
一方通行な罵声に近くなることすらあり、言われた相手も困るだけで全く建設的でない
録画録音されて全世界に配信されたとしても大したダメージはないような、そんな振る舞い、会話を目指すべきであろう
チャットで会話するときは原則、相手が話す以上の文字数で話さない、相手が取った間より大きな間を取るよう心掛ける
もしかしたら「自分のことを話してほしい」「俺になにかを尋ねてほしい」、「俺のことを話したい」「相手になにかを尋ねたい」と思うかもしれない
そういった気持ちを整理した状態で、上の制約を守ると、俺に知って欲しいとか俺を知りたいとか、そういう興味を全然抱いてくれてないんだと現実がわかる
会話は止まるかもしれないがそれでいい、そもそも相手は俺と会話したいなどと思ってはいない
暇な時間を潰したいとき、偶然気紛れに目に入った俺のメッセージに、考えなしのそれっぽい文字列を返しているだけだ
血の通った会話をしてると思っているのは俺だけで、相手は思考停止して無機質な文字列を返す暇潰しをしてるだけだ
人類の半数は女性であり、外見は否が応でも他人の目に入ってしまうわけだが、価値観の大きな乖離があるとき、キモいという感情を抱かれるかもしれない
半数からどう見られ考えられても、他人だから知り得ないから俺には関係ない、と考えるのは利己的で幼稚であり、あまり望ましくないだろう
TikTokやInstagramなどのアプリが女性ないし若い年代に普及?したことにより、彼ら彼女らの「自分がどう見られるか」という意識は思いの外相当に高いであろう
俺が望むのは隠れて生きることであり、努力で緩和できる価値観の乖離を放置することによって、目立ち謗られてるという疑心暗鬼は少しでも減らしたい
年頃の女性の外見に対する意識や努力を尊敬して倣えば、もし小さく縮こまっている俺の姿が視界の隅に入っても、あえて取り上げて謗られはしない程度になれるかもしれない
今までの経緯のふりかえりと、今回何が起きたかお伝えしますね。
まずは何が起きたか振り返ろう。
※ソースがない、との指摘がありますが、「本人の証言レベル」ですがありますよ。事実ベースです。後で貼っておく。
・原作者はドラマ化にあたり「原作に忠実に描く」条件を出し、日テレと合意
・いざ開始してみると原作から乖離した脚本が毎回提出され、毎回大幅に修正する始末(1話から8話まで)
・原作者と脚本家は最後まで1度も会話せず、間にはチーフプロデューサー1人のみ
・原作死守という条件が一向に守られず、他の脚本家を探す時間も無くなったため、9話と10話は原作者が仕方なく自分で脚本を書いた…が、脚本は素人なので当然不評
・脚本家の元に9話と10話の不出来について視聴者から様々なDMが届くも、脚本家は「9話10話だけ原作者が書いた、私じゃない」とインスタで弁明
・さらに脚本家は「最後は原作者がワガママで書きたがったので、仕方なく協力した」と激怒してポスト
・脚本家のインスタを受け、原作者はブログにて「窓口はプロデューサー1人のみだった。そもそも原作を守る契約が脚本家に伝わってなかったのでは?」と暴露
・暴露ブログについて、ネット上では擁護の声多数
・その後、なぜか原作者は謝罪し、記事を削除してブログも閉鎖
・なぜか原作者「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい」とポスト
・原作者が自殺
・しばらくして2024/02/08、脚本家は「知らされていなかった」、小学館は「日テレには間違いなく伝わっていた」と暴露
https://petitcomic.com/news240208
小学館編集のお気持ち表明記事について批判するつもりはありません。
最後の一文「寂しいです、先生。」についてはXでトレンド入り。「打算的で女性の共感を求める戦略的コメント」などとバッサリ切り捨てた投稿がバズっていましたが、この編集は長きにわたり深い信頼関係があったようなので、救えなかった自分の無力さを嘆き感情を吐露したとしても不思議ではありません。
また、この記事では日テレとのやりとりに関する経緯について説明不足ですが、「編集として」のコメントなので致し方なしかと。
https://www.shogakukan.co.jp/news/476200
組織として検証すると宣言されたのは大きな進歩ですが、結果は公表するということですね?
この2週間何やってたのかわかりませんが、それではみんなで結果の公表を待ちましょう。
第三者検証でないと意味をなさないのですが、一歩前進かと思います。
芦原妃名子先生がが亡くなられてから二週間強、先日(2/5)以下の記事がバスっていました。
■小学館が『セクシー田中さん』に関係する記事を削除したことについて
https://anond.hatelabo.jp/20240205173407
穿った見方をすると、この記事がバズったから「もう精神的に無理です、コメント出させて」と小学館上層部に泣きついたとも推測できます。事実は不明ですが。
衝動的に記事を消すのは不要な疑念を招くことになります。恥ずかしいことがなければ堂々としていればよいのです。
しかし、はてな匿名ブログがバズらなかったら、ひょっとしたらこれらのコメントは出なかった可能性があるのでしょうか。
全部推測ですが、そうだとしたら恐ろしい話です。
え?それってやばくないですか?
終わってない?
今回のコメント表明は、脚本家と小学館が歩調を合わせて公表されています。
つまりタッグを組んだ「日テレに対する徹底抗戦」にも見えるのです。
脚本家は「何も聞いてなかった」と言い、小学館は「日テレにはしっかり伝えていた」と言う。
それに加え「原作者と脚本家の間に入っていたのは日テレの人のみ」だと原作者がブログで暴露していたことを考慮すると、
自ずと「日テレが原作を守るという約束を反故にし、好き放題コントロールしていた」ということになるのですから。
ずっと沈黙を貫くのも流石に無理があるでしょう。
今後の日テレの動向に注目が集まるところです。
意外なほど反応ついてたけど読まず返事せず続ける。というか言いたいことの1割も書いてないので返事してたら続けられない。
読み返しててアズレンとブルアカが混ざっててどっちの話だかわからなくなってるが、すまん。
神バハだって当時すごい盛り上がって楽しかっただろというのは自分もそうですはい。
三目並べだって楽しめれば別にゲームとして欠陥あっても関係ないというのもその通り。
この場合、ゲームデザインとして実際のゲーム内容とゲームのルックが嚙み合ってないのが、よろしくないと感じる理由になる。
つまり、なんか雰囲気がドルフロに似てるなあという類似が、ゲームの性質からくるのではないと考えるからだ。
ゲームジャンルが同じだと見た目が同じになるのはむしろ当たり前。ファイアーエムブレムとラングリッサーが見た目が似てると言って怒るのは…譬えが悪かった。
艦これとアズールレーンでいうと、艦これはジャンル分けが難しいオリジナルジャンルだがああいうゲームで、アーケード艦これは3Dのアクション?ゲーム。アズールレーンは2Dシューティング。アズレンがアーケード艦これのルックにあえて似せる必要は特にない。が、実際、なんかそれっぽくなってしまってる。
パクリではない。キャラクターは独自の2Dに落とし込んであるし、ゲームシステムも違う。別物である。
ただ、軍艦モチーフのヒット作の後追いで出た軍艦モチーフゲームのゲーム画面の全体のルックが、ゲームシステム上の要請によるものでなく、なんとなく似てる。
おそらくは、参考にしました、ということだろう。
アズレンの場合、一番近いのは二次創作同人ゲーだと思う。キャプテン翼のやおい同人誌を商業向けに絶愛にしました、みたいな…譬えが悪いか。
気にする奴は気にするが、気にしないやつは気にしない、ただネタ元へのリスペクトは本当にあるんか? と思いたくなるような微妙な感じだ。
この場合、似てるから悪いのではなく、似てないことが気持ち悪さの原因になっている。別にネタ元のニュアンスをあえて残す必要がないのに残ってしまってるのが、単なる素材として雑に扱ってるんだろうなと感じるのである。自分は。
ブルアカでも、同様の、パクリではないけど…を感じ取ってしまう。
基本的にゲームシステムは生煮えである。2Dキャラがちょこまかと動きまわり、いろんなアクションを取るところが一番のセールスポイントであるのは間違いないが、それを使ってゲームシステムとしてうまくできてるかというと、見た目がちょっと豪華になっただけというのが正直なとこだろう。
プレイヤーが操作可能な範囲とゲーム画面のルックがうまく繋がってない。範囲攻撃の範囲指定ぐらいだろうか。回避指示はごく少数の特定キャラしか使えないし。AIオートにすると本当に頭が悪すぎるのでスキル使用はプレイヤー操作するしかないのだが、正直、ここまでオートが使い物にならない理由がわからないぐらい使えなさすぎる。なんとかゲームっぽさを演出しようとして、プレイヤーのやることを無理やり残すためにオートをあえて役立たずにしたのではないかと疑っている。
美少女が実銃で銃撃する動作を頑張って作ろうという熱意は凄くある。あるが、ゲームにはならなかった。
銃と美少女という組み合わせだけが先行してて、後が続かなかった。
さて2D銃撃部分ではグラフィックが先行してゲームデザインが追い付かなかったという話なのだが、そうなると気になるのが「もう一方のゲーム画面」であるフロアマップ。
メインと銘打ったステージで見れるのだが、これは完全に、まったく、寸分の違いもなくドルフロそのまま。ユニットの動かしかたまで同じだし、マップ上のオブジェクトも似てる。
ドルフロでは、マップはゲームの中心部分として機能していた。最初に見ると艦これの海域マップみたいに見えるが上手くアレンジしてあって、要は戦術シミュレーションのマップの簡略化した形だ。ゲームデザインとしての中心部分なので先に進むほどマップが大きくなり難易度が上がり、そのうちスマホだとマップを見ることすら不可能みたいなことになり(ゲーム公式がPCエミュでのプレイを推奨してたぐらい)、ライトユーザーが引くぐらいなことになるのだが、そのぐらいゲームとしての意味がちゃんとあった。
ブルアカでのマップは、ドルフロの凶悪マップを反面教師としたのだろう、基本的に戦術シムみたいなことは一切ない。というかやらせてくれない。代わりにボタン押しギミックがやたら増えた。
結果、マップはあっても、実際のユニットの移動ルートは実質1つだけ、というのが現在のブルアカのマップである。この部分はトライアンドエラーで運営の用意した正解を引くパズルみたいなもので、プレイヤーのやれることはほぼない。こうなってくると、マップ攻略はほぼ作業でしかなく、こんなことやらせず戦闘だけ抜き出して置いておけばいいだろ、という気分になってくる。
書いてみて思ったが、自分がドルフロとブルアカを対比してしまうのは、かなりの部分ここだと思った。ドルフロは艦これフォロワーとして作られたがゲーム部分は独自性が強く、艦これから受け継いだように見える部分でも自作品に合わせるように作り変えてあり、ゲームのルックとゲームデザインの間に乖離がない。ブルアカはドルフロから全く変えずに完コピしたが、(おそらくソシャゲとして楽に遊べるようにするためにという思惑もあって)その完コピした部分はゲームとしての機能を失い煩雑なだけの盲腸となってしまってる(かといってマップをなくすのも微妙かもしれない。先述したように2Dキャラ銃撃部分はプレイヤーがやることがあるように見えて少ない、基本的にキャラを愛でるためのパートだ。形骸化してるとはいえマップをなくしてしまうと、ただでも少ないゲームっぽさがさらに失われてしまうことになる)
ドルフロと同じなことについて「真似した」以外の理由が思い浮かばなくなってしまっている。このへんの真似っぽさは「銃と美少女」というセールス部分からは外れたとこなので雑にやっつけちゃったんだろうが、ここがあるからこそ、「銃と美少女の組み合わせなんて過去にいくらでも前例がある、別にドルフロは関係ない」と言いづらくなっている。ゲームシステムとしての合理性がありプレイヤーのゲーム体験としてうまく昇華させていれば、同じジャンルだから似てるだけと言えてたはずだ。
自分がブルアカのゲームデザインが雑なのが、単に雑であるよりあかんとこだと思う理由は、上記となる。
まだまだ続きます。
見た通り基本お気持ち表明なのでそのように。
3つに共通
・親しみを感じるが唯一無二でもあるビジュアル
2作に共通
・協力要素あり
なるほど。
今のゲームはネット環境が前提であるとでもほざくつもりだったが、よく考えたらブルアカもパルワールドもソロクリア可能なんだよな。
ぶっちゃけパルワールドもマルチがメインってほどではなく、ソロの延長としてマルチがある感じだな(ARKと比べてサクサクだから皆で協力しないと何も始まらんって状態じゃないのがデカイ)。
ビジュアルでまずプレイヤーを惹きつけられないと何も始まらないってのは間違いない要素だろうな。
どこかで見たことがあるようなビジュアルでは似たようなゲームに埋もれて終わりだ。
ゼルダが毎回チマチマちょっとずつデザインを変えるのもユーザーに飽きられたら終わりだと思っているのだろう。
変にビジュアルが毎回一緒だとユーザーに新しい体験をさせようとしているうちに変な方向にズレてくか、ユーザーがガチで飽きて終わりだからなあ。
映画が3作目ぐらいからおかしなことになりがちなのも、ユーザーを飽きさせない工夫が迷走した結果だろうな。
だからといって全く真新しいものが来るとユーザーの警戒心が高まりすぎるので、どこか既存の物に近い感じにする。
そうすることで個々人の頭の中にあるクラウド的な所に保存されたイメージでどういうゲームなのかがキャプ画像を見るだけで想像もできて相乗効果だ。
たとえば、パルワールドはコミカルな雰囲気でえぐいことをするというゲーム性と絵柄はマッチしている。
全部アクションRPGってのも見逃せないな。
コマンドポチポチ型のRPGはいい加減飽きられてきてるんだろう。
客を熱中させたいなら画面にずっと釘付けにさせた方がいいってことだ。
プレイヤースキルの要求が低いゲームは段々とダレてくるのもあるな。
だからといって難易度が高すぎるとプレイヤーが絞られすぎるのでアクションオンリーではなくRPGにする。
遊ぶ側が自然と自分のレベルに合わせた進行度で遊べるように勝手に調整されていくのがアクションRPGの魅力なんだろうな。
上手くなれば早解きが出来るし、下手くそでもいつかはクリア出来る。
でもこれをちゃんとやるならゲームバランスの調整は難しくなる。
正直この辺は運も絡むかな。
これは実にシンプルで爽快だ。
敵を全部倒せ。はい終わり。
何よりこれは現代人に未だに組み込まれっぱなしの狩猟本能を適度に解消してくれる。
敵を殺して問題解決というシンプルな世界を現代人は求めているんだなあ。
一見すると暴力が支配する世界に見えるが、やってみると意外と牧歌的な部分もある。
だけどやっぱこの世界は暴力が全てを解決するんやっていう割り切りがある。
その割り切りの元でエグいことが色々起きていて、そのエグさを眺めてプレイヤーは安全の愉悦に浸ったり可愛そうな被害者を笑ってたりするわけだな。
そうしてリセットされた意識に再び暴力を叩き込むことで新鮮な脳内物質が出てくるわけだ。
なにより重要だと思うのが、結局のところソロでクリア出来るのかってことだ。
ゼルダはほぼ完全にソロゲーだが、ブルアカはソーシャルなゲームだし、パルはオンラインなゲームだ。
もしここで「このゲームは4人用なんだ。でもネットで友達が見つかるから大丈夫だよ^^」と言われたら、ビビって遊ばない引きこもりが日本には大勢いる。
ネットで出会う仲間たちはクソの役にも立たない初心者だったり、説明を聞かない文盲、挙げ句99999ダメージを無限に出し続けるチーターだったりの可能性がワンサカだ。
こんな状態ではクリアしたときにあるのは達成感よりもクソ味方を引かなかったことへの安堵感だろう。
まあそれはそれで独特の快感があるが、万人向けじゃない。
自分のペースで、自分の手で、ラスボスを手に掛けるっていう体験がやっぱ求められているんだろうな。
こうしてアレコレ言ってみたが、なんかこうマジで「売れているものにありがちな要素」って感じだな。
振り返ってしまうと売れるべくしてく売れているものが売れたって感じは強い。
そりゃそうだ。
刺さる人にはめっちゃ刺さるとしても、その刺さる範囲が狭いほどに売れなくなる。
スレスパはあのジャンルにおいて売れる要素の塊だが、それでもあのジャンル自体が刺さらない人が大勢いる。
アクション要素がないなら遊ばないとか、やるたびにリセットじゃ嫌だとか、そもそもカードゲームはルールがごちゃごちゃしてて嫌だとか、ストーリーが重厚じゃないと嫌だとか、売れなくなる要素が目白押しだ。
ストーリー的なゲームをアーケード的にぶつ切りで遊ぶのは不可能ではないが、アーケード的なゲームをストーリー的に遊ぶのはそもそもが無理という構造上の代替不可能性なんかもこの辺に絡んでくる。
たとえば、ブルアカはエッチな見た目だから皆の前では遊べないけど、スマホゲーだから一人でこっそりは遊べるし、人前に見せて自慢したいならスクショを裏垢で公開すればいいわけで、ユーザー側の自由裁量で好きな遊び方が選べるゲームほど最大公約数的な条件下で有利って話だ。
こっからが、この話のオチなんだが、そもそもゲームの良し悪しを売れた売れてないで測るのはやっぱ無理なんじゃねえかな。
狭い範囲にしか刺さらないけど、俺には滅茶苦茶刺さったから神ゲーだって作品が皆にもいくつかあると思うわけだ。
それこそ、outer wildsやLoLを人類全員が遊ぶべきだって主張するやつがいたら、そいつが今後変なイデオロギーに染まる前に人格矯正されて欲しいと願ってしまうだろ?
レビューの点数でさえそれぞれの好き嫌いが延々と喧嘩してるわけだ。
まあでも強いて言うなら「一見してイメージした内容から少しでもズレがないゲームであって欲しい」と思ってしまうよ。
そういう意味じゃ、ゼルダの最新作も、透明感のある学園銃撃スマホゲームも、ポ◯モンっぽい見た目のマイクラ風ARKも、ちゃんと見た目や看板やPVや広告通りのゲームになってる。
俺も最初の数人同じような感覚を持ったしすぐ別れちゃったんだけど
結局我々現代人はポルノやコンテンツのセックスに脳がチューニングされてるわけ
でもああいうのって第三者視点だから自分がする時にあれをイメージすると感覚と乖離するわけ
俺達が実際に探るべきはポルノやコンテンツで慣れ親しんだのとは全く別の感覚なわけ
でどうすべきかというと
スローセックス気味にただくっついてるとかで気持ちよさを感じるのが一番再チューニングに役立つ
その際は挿入すら要らない
そういうただくっついてるっていうのを好きな相手としかしたくならないって言うならそれはそう