はてなキーワード: rhelとは
俺はまだ辞めないが、去年入った新人が辞めたのでなんとなくだだらと書く。
残業は月20hくらいで手取りは28万くらい。残業次第で変わるので手取り額ってあんま当てにならんよね。高収入というほどでもなく低収入と言ったら怒られるくらいの微妙な層。
はてなに書いたらそれだけでアンチ湧くレベルのFラン理系。クソみたいな学部論文からのクソを具現化した修士論文で一応院卒。謙遜とか自虐ではなくマジで就活が嫌だったのでなんとなくで院に行き、マビノギに明け暮れてろくに研究室に顔出さずに論文出して教授からはノーコメントをもらい発表会で他大学のせんせから「この研究、何?」と言われたくらいには意識が低い。
就活やる気起きなさすぎてうだうだしてて、当時の彼女に未来が無いと振られてしゃーなしで学内専攻行ったらそれが富士通で適当行ったら通った。俺はハリボテが得意なんだ。
雑用。エクセルひたすら編集したりjava書いたりbash書いたりマクロ書いたりRHELいじったりpostgres弄ったり客とだべったりパートナーとだべったりオフショア折衝したり。
大学時代はクソだったが仕事は流石にそうもいかんのでちゃんと毎日出社して自分のこと仕事はこなしてる。お金は欲しいので。
管理職になりたくないので一生下っ端みたいな仕事してたい。マネジメントは一応資格とったけど二度とやりたくねえ。
パートナー会社、大抵は良い人だしスキルもあるんだけど、この世に俺以上のカスがいるのかと思わせられるクラスのカスがいるしそんな人間のマネジメントさせられるのももう面倒でいやだ。
「勉強!勉強!」みたいなキラキラSEではなく仕事で必要になったら「ほなクラウドの取説読むかあ……」みたいな意識低い系。
というかインターネットに住んでるITマンすごいね。仕事おわったら酒酒シコ酒ゲーム酒でしょ。それが正しい人間の生き方だよ。
みたいな昭和カンパニー的な感じはない。申請事項と申請フローはクソ多いので面倒。
うちはBtoGなんでせいぜい二億くらいの小規模案件多いから部長本部長決裁で適当に説明にして承認もらえるけど、BtoBで銀行とか企業相手にしてるところは社長決裁とかあってヤバいらしい。
よく退職エントリで見る開発PCが低スペック!!!みたいなのは意味わからん話。稟議出して購入手続きすればCPUメモリ増し増し40万くらいのマシンが社内価格で20万くらいで買えるので。FCNT別会社になったはずなんだけど、まだpc安くてよかった。win11のマシンが欲しくて今年頭に買ったので最近の話ね。
有給はフルで毎年20取ってる。みんな取ってるから俺だけ勝手に休んでる訳じゃないぞ。
社内の連絡手段はメールがlyncかteams。lyncはもうすぐ終わるらしい。lyncとteams両方生きてるせいでどっちもアプリ立ち上げとかないといけなかったのではよ終われ。
ファイル保存はネットワークドライブと皆様ご存知projectWEBだったけど、ネットワークドライブは、boxに移行し、そのboxはろくにつかわれないままonedriveとshrepointになった。
projectwebはなんだかんだで便利だった。エクスプローラー感覚でできるファイル管理とチケット管理とタスク管理できるシステムはUI古く見えても便利だったよ。
仕事は全部テレワーク。最近「でもやっぱ直接会うのって大事だよネ……!」とか上層部が言い出したので、たまには出社するようにとのことらしい。課会で「マネージャーとチームリーダーが出社したことでチーム内コミュニケーションとする」という空報告が決まった。
幹部社員崩れの老害社員は1人いる。正確にいうと仕事はできるしいうことも正論だがお小言が多くコロナ前にあった飲み会の場では「俺の若い頃は〜」という話を延々と続け、俺とはソリが合わない上に体臭がきついので俺は嫌っている。耳ほじった手でキーボード触んな。
今まで4人面倒見たけど全員離れて行った。
本人の希望ではなく会社都合で別部署になったのが2人、本人の希望で別部署行ったのが1人、そしてYouTubeに本腰入れるためと言って入社一年目で辞めたのがこれ書く契機になった1人。
別部署行った子も「わたし文系出身だからSEの仕事合いません…」っつって営業に行ったのでまあわかる。向き不向きあるしね。変数名にint OkyakusamaNunberと付けてきたのも良い思い出。せめて綴りは合っててくれ。
君と夏の終わり、将来の夢、rm -rf /*したテスト環境忘れない。
それはそうとYouTuberよ。
そんな「父さんな、YouTubeで食っていこうと思うんだ」みたいな台詞現実で聞くことになるとは思わなくて三回くらい聞き直しちゃったもんね。
いや俺もVtuber見てるからYouTuber自体に理解が無いわけでは無いのよ?
でもさあ。「チャンネル登録者1000人の大台に乗ったんです!いま踏ん張らないと!」とか言われてもさあ、1000人クラスでよく会社辞める決心ついたな……としか思わんじゃん?
仕事に不満はなかったというが立つ鳥跡を濁さなかっただけなのかはよくわからん。振り返ってみてもそんな旧態依然としたオールドカンパニー、待遇激悪、未来なしみたいな会社じゃ無いと思うんだが。
チームメンバーみんな「えっ辞めるんだ……1年経ってないのに……」っていう戸惑いの後に「YouTuber???????」っていう戸惑いあったもん。オンライン会議のマイクの向こうから伝わる、必死に言葉選んで「ゆ、ゆーちゅーばーやるために会社辞めるの?」という問いかけにちょっと怒り気味で答えた君の勇姿美しい。
ごめん「障害点が増える」「難易度が上がる」って言ったほうがよかったわ
まさかここでそのあたりまでツッコめる人いないだろうと思ってたんでw
多重化をすれば回避できるのはソフトだろうがハードだろうが当たり前のことだけど、
ハードウエアであることによる発見の困難さ、ってのはSDSより難易度が上がるからね
OSを積んでるRAIDカードってのは初めて知ったけどw、そんな何百万もするハードはレアな運用になるし、
RHEL・MS・HCIメーカー提供のSDSより圧倒的に情報も少ないからね
ベンダーに言われるままにハード入れて某銀行のようなことが起きる
SDS万能って言ってるわけじゃないけどね
物理的なモノが増えればそれだけ厄介が増えるよて話よね
引きこもりから抜け出し25歳で就職してから今年で35歳になる。
引きこもりから抜け出した後に情報系の専門学校に通ったものの、「C言語ができない人間はエンジニアで非ず」と言う
講師の影響でプログラミング嫌いになり中古のルーターやサーバーで遊んでばかりいた(上記の講師が担当していた資格取得の講義もやる気も出なかった)。
よって3年で身に付いたスキルはネットワークとCiscoルータとUNIXとLinux(RHEL系)に関する知識のみだった。
その専門学校で自分に紹介されるのはプログラミングが嫌いならと言う理由で特定派遣会社(中小規模)ばかりだった。
就職後、新卒で入った会社では銀行系の現場に派遣されたものの営業がやらかしたのか「新卒が来るなんて聞いていない」と
騒動になりウチの会社と旧知の仲である1次受けの現場担当の部長が間に入って落ち着いたものの現場の社員からはOJTをして貰えず
突然「死ね」とか「消えろ」とか「こんなクズがココにいるなんて」と暴言を吐かれたり、業務の進め方を聞くと胸ぐらを掴まることがあった。
そんなこんなで「仕事をしない」と言ったクレームが自分が所属する特定派遣会社に入り雇用契約が打ち切りとなった。
打ち切りになってからは会社から同じ系列の工場派遣の会社に異動を命じられ拒否したら、自動的に自己都合退職となり辞めることになった。
その会社には2年半いたが教えてもらった事はない・・・今更ながらにさっさと辞めればよかったと思っている。
そのころに鬱病を発症して3年ほど療養した後に、リベンジで転職活動したがスキルのなさで再び特定派遣会社に就職することになった。
その会社は保守とサポートメインの会社だったネットワーク重視と聞いてはいたが、ネットワークのネの字も出てこないような
24時間365日年中無休のコールセンターとヘルプデスク業務がメインだった、そこでは障害の1次切り分けや
電話対応スキルで大いに学びがあった・・・・・が技術的な学びは一切なかった。
その会社には2年ほどいたが、仮眠も取れないような環境で日勤と夜勤が続く過酷なシフトに嫌気が出てきて辞めた。
初めて引き留めにも合い給与を今(手取り11万)から手取り19万に上げると言われたが丁重にお断りをして円満退社だった。
そして次は転職エージェントを利用してみたもののスキルの低さから今の特定派遣会社に入った。
そこはネットワークの運用と保守・監視をメインとしているため給与は微妙(手取り20万)けれど
通信・ネットワークをメインとする大手企業や中堅企業に派遣されるため今までの会社よりは学びがある。
今年で会社に在籍して3年が経つ、自分の年齢も35歳になった。これまでの業務経験から得た能力は
「極度のストレス環境で業務を追行する能力」「お客様相手の電話対応能力」であったが今の会社にいたおかげで
「Cisco機器の障害復旧やコマンドに関する知識」と「サーバーの障害復旧やコマンドに関する知識」が加わった。
しかしながら、はてなで見るような輝かしい経歴も開発経験もないため35歳でコレではゴミクズと言われてしまうレベルだ。
知り合いの中では部長や子会社の副社長に抜擢された奴もいる・・・・・それに比べたら俺はゴミクズだ。
ゴミクズと自覚をした上で、今度どうするかは未だにわからない。
特定派遣の正社員になって10年が経った・・・・このまま手取りが20万程度で何とか働けると言う現状では
年齢による首切りにあった瞬間に生活保護申請になってもおかしくない、何度も親に迷惑を掛けただけにあまり心配もさせたくない。
エンジニアのスキルは掛け算でなんて話も見たが元々がゼロかマイナスな人間には当てはまらないだろう。足し算をするにしても
この企業は、真っ赤かなレッドオーシャンのとある企業向けサービスをやっておりまして、開発をやってます。
基本的に受託開発のほうがメインの会社です。受託開発のほうはSE女衒に外注したりしてます。
インフラは利用企業に必要な設定とかやります。基本外向けじゃないのでFWの設定とか、証明書の設定とか、利用数が多くなるに連れCPUの数を増やしたり、サーバーを増やしたりする必要があるとそれの計画を立てて増やす。
インフラチームがやるのはそれだけです
Linuxで何かがあったときに調べる方法のレクチャーしました。
アップデートの方法とか、iptablesの設定とか、SELinuxの設定、監査ログの見方、httpサーバーのいろんなチューニングの方法、MySQLのバックアップ計画の考え方、RHELのsystemdについての説明、OpenSSLとかBashの脆弱性があったときの脆弱性の調査、いろいろなことをこっちでやりました。
全部、アプリケーション開発側がレクチャーして手順書を作りました。
サーバーの構築も俺たちの手順書通りです。
PHPとPythonのインストールについてはアプリの都合だから、アプリ開発の責任でいいけど、httpやネットワークはインフラの仕事だと思うんですの。
インフラは何をやっているんです?
そう、インフラはお客様の言われた通りの設定をするだけチームなのです。
FWとかドメインの設定をしたあと、お客様に接する機会が多いからウチのサービスの設定とかもやることになっているのです。
じゃあインフラじゃないじゃん
Bashのコマンドも手順書に書いてあるだけのことしかしないんです。
何年か前にオブラートに包んで、もっと独自で行動するようになったらいいんじゃないですかねぇと行ったけど
業務知識があれば問題ないというスタンスでずっと変わっていないのです。
最初に作った人たちはそもそも外注の人が中心なので社内にノウハウがないんです
そういう人たちがいなくなったらどうするんでしょうね。
http://fedoraproject.org/wiki/Changes/ReplaceYumWithDNF
Fedora18の頃から試験的に入ってたdnf(Dandified Yum)だけど、
Fedora22からは本格的にyumを置き換えるものになるのか…
(去年の今頃ぐらいの記事っぽいし今更感…)
別名はyum4になっているし、
使用感も特には変わらず、
大したyumの使い方をしてなかったせいか、
自分のところでは「s/yum/dnf/」するだけで済んでる…。
yumから移行するほどのメリットがあるのか分からなかったけれど、
そりゃ今の今ならCentOS 7使えばいいけれど、既に動いてる鯖だったり2ヶ月くらい前の話だったら6系でも仕方なし。
試験業務中心だった。
その中でもシステムテストとかやったりしてるのでネットワークやサーバー、アプリは商用の状態に近い環境で試験をしている。
具体的にはサーバーはLB使って冗長化/スケールアウトされていたり、クラスタリングされていたり、データセンターにあるサーバーにリモートでログインして試験をしたりとか。
rebootコワイヨーとかHW障害うざいよーとか思いながら。
ソフトウェアの受託開発の会社で、Javaの業務アプリを設計・開発・試験していた様な人達が集まっているので、ネットワークやLinuxなどアプリよりは低レイヤなところに詳しい人が地味にいなかった。
システムテストの項目書をExcelで作るお仕事や、試験を実施するお仕事は凄くやる気しなかったが、試験の実施方法を検討するお仕事や、試験をするための環境を構築したり、仕様書を読んでミドルウェアやアプリにコンフィグを投入する仕事は楽しかった。コンフィグを投入する作業をスクリプトで怠惰に自動化したりするのは、けっこー楽しかった。
リグレッションテストや、バージョンアップでの改修テストなどで環境を再構築する際に、作成した自動化スクリプトは腐らさせずに誰かに展開することが出来たので、自動化した工数も無駄にはならなかった(ちゃんと効率化に!)大量にデータを投入するとき、さすがにだるい。ツールも使えば使うほどバグなくなるし良い感じ。PerlやBashを覚えるきっかけにもなるし。
今思うと出向も楽しかった!メーカーSIの会社は社員食堂とかあったので、うわすげぇドラマみたい!とか朝はエレベーターの前に人が並ぶのでうわすげぇ人多い!とか。(最初だけだけど)
後はサーバー室でサーバーとかLBとかを目の前で見れたのがテンション上がった。うわこれF5じゃね?うわこれJuniperやん…いくらすんだよ…HPのブレードサーバーだ!いくらするのかググった。
まぁ、普通に誰も興味示さないw あの時は商用ネットワーク機器という物に憧れている少年だったw
作業で疲れたときはぶらぶらして眺めてた。
何かの見学の時は「おいふらつくな」とか誰かに怒られそうだけど、仕事で来てると誰も何も言わないので見たい放題。転んでケーブル抜いた日には大問題になりそうなので、さすがにそこは気をつけた。
あの1UサーバーにRHELをインストールするとか、少年には楽しすぎた。でも手順はMacのVirtualBoxにCentOS入れるのと変わりはなかった…。ただ、仕事として1UサーバーにRHELをインストールした、という経験を持つことが嬉しかった(少年だから)
でもいいさ。
F5なんか使わずにLVSやUltraMonkey-L7で負荷分散すればいいし、商用のアプライアンス機器なんか使わずにオープンソースで解決してしまおう。AWS使うならELB使えばいいし。そういう環境行ってみようぜー。