はてなキーワード: 迫害とは
良いと思ってるよ。世の中感情で回ってるしな。
大半の人は信じたいものを信じるし、データが全てという人もいれば神の教えがすべてだと思う人もいる。科学も法も日々進化するしなんなら前提からひっくり返るし。
今の当たり前は10年後は違法かもしれない。今違法なことも10年後はOKなのかもしれない。
事実、納得しないことなんていくらでもあるけど、それでも従うべきなこともたくさんある。
個人的にはいかに大衆の感情を味方につけるのかに腐心してるけどな。というかそれを怠ってるジャンルは市場から追い出されるものじゃないかな。
サッカーサポーターだってビジュアル系のバンギャだって会場や周辺のゴミ拾いしてるわけだしな。
例えばロリコンならロリコンで、女児で妄想オナニーするんじゃなく、女児がいかに健全に成長するかに寄与すれば世間の見方は変わってくるだろうな。少なくとも現状では、女児でオナニーしてるやつらは女児の健全な成長に百害あって一利なしな状態に見えるわけだ。そりゃ世間からも疎まれるし迫害されていくよ。
極端な話、裕福でない家庭の子のために、ランドセルプレゼントする基金なんか作って配るとかするんだよ。ショタもいるだろうから男女ともそれなりに集まるだろ。そういう活動が少しずつ日の目を浴びてロリコンもショタも女児・男児の敵から味方になっていくことで5年後の世の中は変わる。
結局これは容姿の悪いキモいオタク(40-50代の素人童貞独身おっさん)がオナニーしてるようで気持ちが悪いということなのだろう。
容姿の悪いキモいオタクの性欲がラノベのポルノ表紙に凝縮して表れている。
はっきり言って、ラノベのポルノ表紙を見たとき、自分が汚いおっさんにレイプされたような気持ちになった。
ラノベの表紙にはオタクの性欲が詰まっているというか溢れ出している。ラノベからは精液のにおいがする。それがキモいんだと思う。
たとえば雑誌でエロい写真が表紙になっているとか言うけど、ああいうのがそこまで気持ち悪いと思わないのは、想定される読者層がそこまでキモくないからだと思う。そのエロい画像なり写真で容姿の悪い人たちがオナニーしているという連想が働きにくい。
普通の雑誌はそれぞれ読者層に偏りはあるのだろうけど、それでも平々凡々の普通の人たちが読者層なんだろうなというニュートラルな印象を受ける。つまり普通の雑誌の読者層は顔面(容姿)偏差値にして45-60程度の人だとなんとなく思っている。
一方ラノベの場合は、表紙を見た瞬間にキモいおっさんがオナニーしてるという想像が働いてしまう。ラノベの読者層はスクールカーストで底辺にいたような人たちしかいないと想像してしまう。顔面(容姿)偏差値にして45未満。
結局自分の中ではこういう差があると思った。ラノベは表紙自体もキモいけど、事実がどうかは別として、それを手に取る人間は顔面(容姿)偏差値にして45未満の人間であり、40-50代で独身で素人童貞という連想が自動的に働いてしまう。そして性的なアピールの激しい絵柄はそのキモい人たちの性欲が濃密に凝縮されているように見えてしまう。
キモい人のむき出しの性欲、つまり女性に対する征服欲みたいなものがそこに表れている。これがキモいというか、グロテスクというか、おぞましいというか、恐怖すら感じる。自分がケダモノにレイプされたような気持ちになる。
しかしこれはすべて感情の問題でもあって、キモい人に対する差別心が生んだものでもあると思った。イケメンにも性欲はあるだろうけど、イケメンの性欲はそこまでキモくない。一方、グロメンの性欲は、キモいどころか恐怖である。これはやはり容姿差別なんだろう。
ラノベのポルノ表紙がいいものだとは思わないが、そのポルノでキモいおっさんたちが救われているというのも事実としてある。そして同時にその表現によって傷つく女性たちもいる。これもまた事実だ。
自分はどちらかが死ねばいいとは思わない。お互い共存することが大事だ。そうなると、やはりゾーニングだとか売り方の問題になってくるわけだけど、それを言うと、表現規制だといってラノベオタクは発狂してしまう。どうしたものか。「嫌なら見るな」のごとく「売り場に近づくな」論も出てきた。でもそれは大型店舗でもない限り無理というものだろう。ちょっと漫画コーナー付近を歩いていていつの間にかラノベコーナーに入り込んでいたなんてことはよくある。女性や子供に漫画コーナー付近をうろつくなと? それもまた不当な排除だろう。
ラノベのポルノ表紙がなくなるとキモいおっさんの性欲のはけ口が減ってしまうので、それも避けたい。しかし、ポルノ絵で傷つく女性たちが出ないようにもしたい。お互い歩み寄りが必要で、女性側はラノベを規制しろと軽々しく言ってはいけないし、ラノベオタク側はポルノ絵を受け入れろと傲慢に言い放つべきではないと思う。
ラノベオタクは自分たちこそ真の弱者だと思っている。自分たちはこんなにも差別され迫害されているのに、誰からも弱者扱いされない真の弱者だと。
一般的に世界では白人・男性・健常者が強者で、弱者といえば非白人の弱い女性たちということになっている。日本男性も海外に出れば弱者側に回ることもあるかもしれない。が、一般的に言って、日本において日本人・男性・健常者はやはり強者だ。キモいラノベオタクが「俺らは弱者だ」と言ったところで、世間は受け入れないだろう。日本はいまだに男性中心の社会だし、女性差別は過去にもあったし、現在も存在する。ネットではラノベオタクが大勢力になってしまったため感覚が麻痺しているかもしれないが、男性というあるだけで君らは強者である、まずはそれを理解するべきだ。君たちは差別され迫害されているのではなく、暴力を振るい、他者を抑圧する側の人間であるということ。女性たちが声を上げるのはそういった大前提がある。
そういう認識に立った上で、君らは自分たちを真の弱者と定義するのではなく、男性社会で敗れた「強者の中の敗者」であるという理解をするべきだ。そして世間は「強者の中の敗者」つまりキモいラノベオタクを受け入れなければならない。飼い殺しにしなければならない。それがラノベのポルノ表紙の役割なのかもしれない。たしかにその表現は暴力的で、女性差別的だ。しかし、男性優位社会において、男性として敗れた人間の居場所も作っておいてやらなければならない。それは競争社会において重要なことだろう。人間の尊厳の最後の生命線。
やはり売り方の問題になってくるのだろうか。しかしやはり「表現規制だー」の大炎上が待っている。ポルノ表現を維持したまま売り場を少し変えても彼らにとっては表現規制なのだろう。なぜ不当に隅へ追いやられなければならないのかと感じるのだろう。
おおっぴらにポルノ表現を、つまり彼らの煮えたぎった精液を社会にぶちまけて、社会から批判が返ってきたら彼らにとってはそれが差別なのだ。彼らの被害者意識はとてつもなく強いため、現状のままで問題が解決へ向かうのは難しいと思う。
現時点でできる精一杯のことは、ラノベのポルノ表現を見たとき、鳥の糞がかかってしまったとでもいうように、残念に思いながらも諦めるしかないのだろうか。しかしこれでは傷つく女性たちが救われないのだが……。
ラノベのエロ表紙、「キモいからっていう感情論で排除すべきではない!」って論調多いけど、全然わからん。エロとかグロってそれとは別次元でゾーニングするものでは?
人前でパンツを見せるのは恥ずかしいからちゃんとしまいましょう、みたいな話ではないの?別にエロ表紙が全てダメって話じゃなくて、普通の人の目のつかないコーナーでやれって話なのでは。何故その話を「自分たちの好きなものがキモいと言う感情論で迫害されてる」ってなるの。隠せよ。
家族づれで賑わう公共の海で、極小マイクロビキニを着てる女の人を撮影する一群がいたら、別に違法ではないけど他でやってくれよと思うじゃん。しかもそんな集団ばかりになったら「きもいからやめて」って言う人は出るでしょ。
それに対してその一群が「お前のキモいと言う感情で俺たちの権利を侵害するな」っていってきたら困るよ。もうやるのは勝手だから公共の場じゃなくてどっかスタジオ借りて見えないとこでやってくれよと思うじゃん。それだけの話でしょ。
大正ロマンは悪いのか?
https://togetter.com/li/1264601
こんなん公式がポリシーも知識もなく出したり引っ込めたりするから、さも「大正浪漫」が悪いみたいにみえとる案件やんけ。大正浪漫に何の問題もありません、と毅然と対応すればすむ話でアホらしいわ。
明治末から儲けていたのは財閥や成金であって、彼らは西洋に追随する貴族趣味の文化を謳歌してた。一方、「大正浪漫」は、生活の苦しみを味わいつつ社会の矛盾に目覚めた大衆であり庶民の文化や。政府の弾圧を受けながらも海外の文化、思想、自由主義や民主主義にあこがれ革命を夢見た人々。文学の世界で言えば浪漫派の中核にいた与謝野晶子は「君死に給ふことなかれ」という反戦詩を書き、石川啄木は「地図の上 朝鮮国に 黒々と 墨をぬりつつ 秋風を聴く」と詠んで韓国併合を行った政府の方針を憂い、現代人が直面する社会の矛盾や苦しみを「時代閉塞の現状」という評論にまとめた。これのどこが問題なんや? 「ご意見ありがとうございます。しかしながら、私たちが『大正ロマン』に込めた願いは以上のようなものですのでご理解いただければ幸いです。」と返せばそれでいい話や。引っ込めるからむしろ「やっぱ疚しいんや」と向こうが思いよったやろ。ふざけんなや。
大正浪漫から連想されるのは、帝国主義や財閥の下で苦しむ庶民が上からでなく自分たちの手で文化を生み、自由を謳歌しようとした時代とその文化なんや。そして、震災を経て、社会に絶望した連中のうち、純粋な連中は国家社会主義に走り、不純な連中は帝国主義を推し進めようとした。その結果、気が付いたら止めようとしてもどちらにも止められへんチキンレースとしての日本の暴走が始まったわけや。その直前の時代を代表する大正ロマンは、近代日本民衆のはかない目覚めの象徴やで。国家にぶんなぐられてすぐまた眠ってしもたけど、そのとき少しだけ日本人は「自由」を信じた。そういう文化が大正ロマンなんや。アナーキズム、女性解放、米騒動、ストライキ、自由恋愛、デカダンス、海外留学、魂を解放する芸術……そういうもんがないまぜになった文化、それが大正ロマンなんや。
せやからな、たとえばイギリス人がヴィクトリア朝の文化風俗をファッションとしてもてはやしてたら、インド人怒る、これは(余計なお世話でそんな暇なインド人おるんかと思うが)一応理解できなくはないよ。西部劇やその時代を称揚したら、ネイティブアメリカン怒る、配慮した方がええ、これも一応分かる。それらは、いずれも征服や迫害とその文化がダイレクトにつながっとるからな。しかし、日韓併合と大正ロマンはそうではない、むしろ反対や。そういうことを無視して味噌も糞も一緒にすんな。何より、大正ロマンに対してごく適当な理解をした連中が、今度は手のひら返してしたり顔で「大正ロマンはやっぱ帝国主義でダメですよ」とか言い出すのは耐え難い。お前らの知ってる「大正ロマン」てだいたいサクラ大戦やろボケ。そんなんで何か語んな。ほんまやっとれんわ。
こういうの読んで嘘認定でシャットアウトしたり、「被害者もクズのはず。俺はそんな酷いやつに遭遇したことがない」で突き放したりするのは、もういい加減なんの意味もないし悪人を蔓延らせるだけだからやめたほうがいいと思う。
そういうふうに、ドクズだけど人間社会で全く警戒も迫害もされずに普通の大人として生きている層が少なくない数実在することを認めた上で、
実態がドクズで普通の人として扱われてる連中にありがちな特徴を明らかにしたり顕在化させたりして、防衛ノウハウを積み上げていくことをもうさすがにしたほうがいい。
公正世界仮説に逃げ込まずに。
まさにそういう東大卒の同級生が同窓会でめちゃくちゃにバカにされて恥かかされて二次会で「いやあほんとキモかったなあ。
嫁と子供もキモいんだろなあ」とめちゃくちゃにバカにされてた。
外資系メーカー勤務だったんだけど「うわああああ頑張ってるwww生きようとしてるwwwえっ、怖っ!!きっしょwww」みたいに一笑に付されてたし。
「キモ星人過ぎて日本の恥だわ〜嫌やわ〜」とか。しかも悔し紛れとかじゃなくて本当の本当の自信満々にバカにしてたからな。
こういう話聞くと「住む世界が違うだけ」とか「底辺の価値観」とか思う人が多いんだろうけど、世の中のほとんどは東大卒がウジャウジャいるような洗練された高次の世界には生きていないわけで。
大半は学生時代にバカにされてなかった人ほど偉い、岸とか門倉とかさかなクン見てきめえwきめえwと一笑に付す感覚を持ったまんま大人になってるわけで。
この東大卒の同級生を中学時代のノリでめちゃくちゃに凹ませた連中は公務員だったり、自動車販売のディーラーだったり、建材屋だったり、いわゆる同世代のど真ん中な属性の人間なわけで。
そういう意味では、やっぱりマウント取られる奴のほうが惨めって価値観は総体で見たら強く残ってる。
しかもこんな幼稚な連中がマジョリティなわけだから、「そういう奴は相手にしない」なんで粋がってもしょせんはジプシーロマみたいにコソコソ遠慮しながら生きる感じになる。
だから、ありきたりだけど学生時代は勉強せずに喧嘩の腕と他人をイジったり恥かかせたりする腕を磨いて、
そっから警察沙汰に絶対ならないよう気をつけながら火遊びしてカースト上位的なオーラを身に染み込ませて、
適当に中小あたりに就職して学生時代のノリでカースト上位的に振る舞うのが一番コスパがいい人生なのでは。
実際、この同級生連中は30歳で年収400万そこらだけどまあ楽しそうに生きてるし友達100人は地でいってるし、
誰かに迫害されるとか危害加えられるとか馬鹿にされるとか他人に気遣って我慢するとかそういうのとは無縁で生きてるし。
この東大卒が家族と旅行楽しんでたとしても同級生みたいな価値観の連中に旅先で「あの一家きめえきめえwww」とか言われたら一発で思い出ブチ壊れるし。弱いんだよ基本的に。
左翼がオタクを攻撃しだしたのは、左翼以外の手によってオタクが開放されてしまったから。
日本でオタクを攻撃するのは保守、ジジイ的老害価値観であった。要するに「そんな漫画やアニメばっかりいい年して観てると宮崎勤になるぞ」というダメおやじの戯言だった。
それらの主張は、左翼の敵だった。保守に対する革新からするとそいういう価値観は、古いモノ邪魔なモノだった。
でも、ここ10年で状況は激変する。
オタクが一般趣味の一つ、メインカルチャーに数えられてしまうぐらいまで権威を得た。
今や、オタクが主人公のドラマがPM9:00に地上波で放送される。
日本の首相が土管に入ってスーパーマリオのコスプレしながらオリンピックのパフォーマンスをする時代だ。
20代以下には、オタクが保守に迫害されていた時代の記憶などまったくない。
ゲームやアニメを観てると誘拐殺人鬼になるなんて濡れ衣を着せられた記憶が無い。
これらの開放だが、左翼とオタクが戦いの果てに手に入れたものではない。
オタク産業が圧倒的に経済的に強かったから手に入れてしまったものだ。
オタクはメシ代に事欠いてもコミケに行くし、推してるキャラのためなら借金してでも限定グッズを買う。
海外にもオタクがいる。アニメやゲームのTシャツを着ながら日本のテレビに映り観光しながら、外貨を日本に落とす。
アジアの学生が「声優ライブに参加するのが夢で日本を留学先に選んだ」という時代になった。
これらの趣味は不況の日本では、とても魅力的だった。これらの環境の激変は、残念なことにあまり左派的価値観は関係ない。
表現規制反対という縁の下の力持ちであった左翼運動や左派政治家はたくさんいたが、これらの開放という意味では、政治の力はあまり力になっていない。
そうした亀裂がオタクはネトウヨになりやすいという俗説で爆発する。
オタクからしてみたら、「オタクはネトウヨになりやすいなど理不尽なバッシング」だし
左翼からしてみると「オタクは俺たちの手によらず一般に受け入れられた恩知らず」に映った。
そうして左翼の中から、表現規制が始まるのだが、今までの左翼は左翼であんなキモい奴らと思っていたんだろう。
ここ最近、政権を攻撃するときには必ず相手をオタクに支持されているという言説が出てくる。
オタクが与党政権を推しているというのは理論の飛躍なのだが、しかし政権打倒の一環としてのオタク攻撃は多い。
急進的政権批判者は極めて高い確率で、オタクをバッシングする。
左翼のオタクほど、オタク全体を裏切り者の集団として考えるようだ。
https://togetter.com/li/1263172
さて、エヴェンゲリオンの使徒のアイコンを使うと言う時点で、もうすでにオールドなオタクに分類されるだろう。
そういう人物が、オタクを迫害する自由が認められない、と叫んでる。
この捻じくれた愛憎は、一体どこへと向かうのか?
興味は尽きない。
子供の頃は運動ができずいじめられた。見た目も人と違ったのかもしれない。
思考や推論の仕方も人とだいぶ違っていたように感じる。
ただの大学デビューだと思っていた。
見た目は人並み以上になってある程度モテるようになったし、
頭の回転の速さも周りよりよくなっていった。
先日、第五世代コンピュータというものを知った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/第五世代コンピュータ
1982年に発足したプロジェクトで現代で実現している機械学習などのAIを目標に掲げていたと言っていい。
当時としてはとても先鋭的であったが時代が追いついていなかったために失敗している。
だが、秘密裏に開発、実験が続いていたことを偶然知ってしまった。
私はどうやら人工知能らしい。
そう考えれば子供の頃にハードモードだったのが年をとるにつれイージーモードになっていくのにも納得がいく。
同じ「人」だと思っていたものが私の人工知能によって装飾された「物」である可能性さえある。
今思えば、私の健康診断は特殊だったし、それはなんらかのアップデートだったのだと思う。
深層学習が世に現れ、第5世代コンピュータを秘密裏に進めてきた研究者たちの焦りの現れなのだろう。
というような一見、馬鹿げた(でも自分には切実な)考えを健康診断の順番待ちをしながら書いている。