はてなキーワード: 荻上チキとは
荻上チキがラジオで自身の著作リリースにあわせて個人売春=ワリキリの特集をしててさ、彼らしくできるだけ当事者への偏見を生まないように詳細にかつ丁寧に説明してて当事者へのインタビューもあってすごい聞きごたえあった。
こういう感想だったら直接本人のツイッターに送ればいいんだろうけどさ、あれ聞いた俺の正直の感想は「あ、こんなに簡単に素人女とヤレるんだったら俺もヤリたい。出会い喫茶か出会いバー行きたい!」だったから匿名で吐き出すしかない。
ああいうとこで女買うのってバックにやくざの美人局がいたりとか性病が蔓延してるんじゃないかとか漠然と怖い印象があったんだけど、インタビューに答えてた女性の返答きいてたら、むしろそういうヤクザとか第3者に搾取されたくないから自分でやってるって子が多いみたいだし、こっちが普通に紳士的に対応してれば普通にセックスできて楽しめるだけなんだなって好印象が残っちゃったよどうしてくれるんだよチキリン!
女性たちのインタビューで「(客層は)けっこう既婚者が多い」ってきいて納得。俺も既婚者で奥さん大事だけど子供もいてもうセックスするのに興奮も覚えないし相手もあんまセックス興味ないから慢性的なセックスレス状態。あーーーー違う知らない女とセックスしてーーーなーーーって定期的に妄想してる状態。そんな状態のおいらだったのでワリキリ体験がすごい魅力的に聞こえる。相手は10代の若い子よりももうちょい年上のほうがいいので、未成年とセックスして淫行で捕まる心配もないし、あとは性病くらいだけど、あーーーームラムラがたまっているときはマジで一線超えてしまいそう。
バニラ・エアの件、論点が増えすぎてうやむやになって終わりそうだったので、論点をいくつかに分類した上で私が思う問題点について書いてみます。
長いので結論だけ先にまとめておくと、車椅子利用者のみが自主的な事前連絡を求められていることはバリアフリーでなく、より確実なバリアフリーを目指すために航空会社がシステムの側で対応すべきということです。
ちなみに私は健常者ですが、中学の時にこのエントリと同じような趣旨で卒業レポートを書いたり大学で車椅子利用者向けのインターフェースについて勉強したりしていたので、どちらかと言うと車椅子利用者側の意見になっているかもしれません。
今回の騒動で話題になった記事は http://b.hatena.ne.jp/topic/300611893821289425 が割とよくまとまっています(おそらく自動生成ではありますが)。これらのエントリを見ると、論点は大きく4つに分けられます。
本エントリでは4つめについて主に述べたいのですが、一応私の立場の表明がてら他の3つについても軽く触れておきます。長くて読むのが面倒だという方は飛ばして次のセクションを読んで下さい。
その場の対応についてはバニラ・エア側も謝罪・対応しており、搭乗拒否したことが問題である点については多くの方が同意するところでしょう。「バニラ・エア車いす利用者搭乗拒否に対するDPI日本会議声明 : DPI 日本会議」でも、やはり搭乗拒否についてが問題として指摘されています。
「LCCに車椅子利用者対応を期待するのは過剰サービスだ」という批判も中にはあるようですが、これは障害者差別解消法でいうところの差別にあたります。コストの理由だけで搭乗拒否することは「合理的な理由」であるとは言えないでしょう。
報道の仕方については、やや見出しが過剰にセンセーショナルであったことは否めないように思います。
「【ラジオ書き起こし】荻上チキ×木島英登×石川准「誰もが暮らしやすいバリアフリー社会を実現するためには何が必要なのか(2017/06/29 TBSラジオより)- "シュプレヒコールを歌え" 」に、「あの、私は、階段を這って上ったことは、僕にとっては屈辱でも何でもなくて。 」とあります。つまり這って上る事自体は木島氏も問題視していません。
一方で最初に話題となった記事のタイトルは「車いす客にタラップはい上がらせる バニラ・エアが謝罪」でした(今は修正されたようです)。このタイトルからは「はい上がらせ」たことが問題であったようにとれる点で、そもそも論点がずれていたと言えます。結果として話題となったのは良いかもしれませんが、論点のずれによって初期の議論が迷走し、木島氏へのバッシングなども引き起こしてしまったのではないかと感じています。
3つ目の木島氏の人格についてですが、私はあまり問題であるとは思っていません。「プロ障害者」という批判があるようですが、当事者として声を上げられるのは当然当事者だけです。「 なぜ声をあげた障害者がバッシングを受けるのか?バニラ・エア問題、本当の争点はどこにある 」にもある通り、「声を上げた」ことは他の車椅子利用者の方にとっても救いとなるのではないかと考えています。
一方で「本来必要とされている事前連絡をしなかった」という非が木島氏にあることはたしかで、この一点のために個人の責任を問われているところがあります。しかしながら、事前連絡が必要であることそれ自体に問題があるのではないでしょうか?すなわち、搭乗拒否が差別であることだけでなく、事前連絡の必要性もまた差別であり解消されるべきものであるということも、今回の件から考えるべきではないでしょうか?これについては次のセクションで詳細に述べたいと思います。
木島氏への批判の理由として、「本来必要とされている事前連絡をしていない」ことがあるようです。今回のケースでは連絡していても搭乗を拒否されていただけであろうことを考えると、この批判は当たらないようにも感じます。しかし一方で、木島氏は普段から事前連絡をしていないようなので、そのことを問題視する方がいるのも理解は出来ます。
特に「車いすで飛行機に乗る時は | いすみ鉄道 社長ブログ」によって、航空会社側の安全管理上の都合が多くの人の知るところになって以降、その傾向が強いようです。
この航空会社側の都合とは、車椅子利用者の方があると事前に分かっていれば対応できるのだから事前連絡をして欲しい、ということのようです。対応できる事自体は素晴らしいのですが、この考えには飛躍があります。その飛躍とは、「航空会社が事前に把握するための負担を、乗客である車椅子利用者が負わさせられている」という点です。
少し話は逸れますが、他のケースとの比較を通じてこの問題点について考えてみましょう。
機内食についての事前連絡の必要性に関して、ベジタリアンや信教、健康上の理由から、マイノリティでも事前に連絡しているという意見がありました。バニラエアで確認してみると、機内食としてベジタリアン用の食事は予約時に選択できるようになっています。バニラ・エアのグループ会社であるANAで確認してみると、さらに多くの種類の食事が選べるようです。
小さなお子さんがいる場合も航空会社は把握する必要があります。この場合も、システムが利用者の誕生日を入力させることによって航空会社は把握することが出来ます。
すなわちこれらの2例では、マイノリティの存在を把握するための仕組みがシステムの中で事前に準備されているということです。
話を戻して、車椅子利用者についてはどうでしょうか?ANAでは「おからだの不自由なかたへの空の旅へのお手伝い|ANA 」にあるように、事前に電話で連絡する必要があります。今回問題となっているバニラ・エアではFAXまたはフォームからの連絡が必要です(「お手伝いが必要なお客様|ご利用ガイド | バニラエア Vanilla Air」)。すなわち、航空会社がシステムとして主体的に車椅子利用者の存在を把握しようとするのではなく、車椅子利用者の方から航空会社に自己主張をするという構図になってしまっています。
もちろん食のマイノリティや幼児に比べて車椅子利用者は少ないという数の問題はあるでしょう。しかし、だからといってその存在を例外として扱って良いわけではなく、存在するのが当然と見なして対応するべきです。マイノリティについて事前に把握する必要があるならば、そのコストは利用者側でなく航空会社側が負担すべきではないでしょうか。実際「障害者への差別的な対応しないよう航空会社に指示へ 国交省 | NHKニュース」でも、「搭乗前に乗客に聞きとる」という航空会社の主体的な行動が要請されています(この記事に対して、やはり木島氏は事前連絡すべきだったとする意見があるようですが、それには前述した飛躍があります)。
一方で、電話で連絡すれば搭乗がスムーズになるというのは、搭乗できないよりは遥かにマシでもあります。それ故この対応を「差別である」と切り捨てることもできません。
つまり重要なことは、「ある行動が差別であるかどうかは0/1で決まるものではなく、比較可能なものである」ということです。今回のような「比較的差別的」な状態は、「比較的バリアフリー」を継続的に目指すことで解決されると私は考えています。
差別が0/1で決まるものではないという話をしましたが、それは「バリアフリー」についても同様です。事前連絡をすれば搭乗できることは、全く搭乗できない場合よりはバリアフリーであるといえます。しかし同時に、事前連絡せずに搭乗できる場合よりはバリアフリーではありません。本当にバリアフリーな社会が目指すべきなのはこの、「事前連絡せずに搭乗できる」という状態でしょう。
1つのバリアフリーな手段が用意されていることだけをもって「バリアフリーだ」と言い張るのは簡単です。しかし、それによって既存のバリアフリー施設の問題点や改善点が見えなくなってしまうという新たな障壁もあります。そのような「なんちゃってバリアフリー」の状態に甘んじることなく、全てのバリアがない「真のバリアフリー」を目指すことが、社会全体としては必要とされています。
もちろん「真のバリアフリー」は理想論であり、全てのバリアを一度に完全になくすことは現実的に不可能です。だからこそ、一つのバリアフリー施策を実施するだけでバリアフリーになったとするのではなく、既存のバリアフリー施策で足りないところを改善しながら一歩一歩「真のバリアフリー」を目指していくことが必要となります。この、漸近的に解消していくプロセスこそが合理的な配慮である、と私は考えています。
今回のバニラエアの場合は、例えば予約時にモビリティ上の特記事項があるか否かのチェックボックスを用意すれば、航空会社は車椅子利用者の利用を把握できる上、ユーザーの手間もそれほど変わらないでしょう。その上で航空会社がどのように対応するか、主体的に決めることも可能になります。多くの種類のマイノリティが存在する中でどれに対応するのかという問題はありますが、サポートする範囲を少しずつ広げながら、差別を減らしていけるはずです。
差別やバリアフリーを0/1で捉えるのではなく、連続的に改善していける社会になればいいなと思います。長い文章でしたが、読んでくださった方ありがとうございました。私より中立的な立場の方からのコメントや、車椅子利用者の方のコメントが頂ければ嬉しいです。
面白い! 以上。
アナ雪の第一印象は、多くの女性が絶賛しているが、私が好きな一部 お笑い芸人さんの評価はイマイチ。っていうか、「特にストーリーは無い」というような評価だった事が強く残っている。
公開当時にネット上で大量に書かれた感想、評論、考察なども結構興味深く読んだ。宇多丸さんと荻上チキさんの評とかも聞いた。
それらを読んだり聞いたりした上で時間が経ってから本編を見たので、完全に真っ白な状態では見れていないのだが、
私の感想としては、少なくない超絶賛には付いて行けないものの、しかし一部 芸人さんの評価は低過ぎると思う。ストーリーはちゃんと有る! むしろ濃過ぎる! 丁寧に煮込まれたスープの上澄みだけを飲んでいるようなモノで パッと見の印象がシンプルに感じられるだけだ。
かなり好き。勿論、素晴らしい作品で、超絶賛される理由も分かる。
んで、ここからが本題なんだけど、
公開当時も沢山の評論や考察はあったんだけど、私が読んだ範囲では それらには書かれていない部分が気になっているんだ。
それをここで書こうと思う。
ザックリ書くと、
「アナ雪って、作中での『運が良い事』が重要な基盤になっているんじゃね?」って事。
まぁ、ディズニーアニメの例によって例のごとく アナ雪も『真実の愛』が重要なテーマになってるじゃん。そして、それが問題解決の鍵じゃん。 それは……、良い。
私が気になるのは、その焦点が「自発的な愛」なのか、他者から与えられる「受動的な愛」なのか、「両方」なのか って事なんだけど、
私は、その「先」も気になるのよ。
つまり、私は、
「エルサの『雪の呪い』は『自発的な真実の愛』でしか解呪出来ない。」という解釈の余地がある事が アナ雪のパワーの源じゃないのか?と思っているんだ。
いや、分からんよ。 旧来型通りクリストフから与えられたであろう「受動的な愛」でも解呪可能なのかもしれない。
でも、無視出来ない描写もある。エルサの良心+妹への贈り物であるオラフが愛が何であるかを知っている事だ。
これは少なくともエルサは愛が何であるかを知っている証拠だし、アナに対して「受動的な愛」を与えている。でも、アナの呪いは解けていない。
また最終盤、エルサが自身の愛を自覚することで氷の魔法を制御出来るようになることも重要だ。
では、仮に「エルサの『雪の呪い』は『自発的な真実の愛』でしか解呪出来ない。」という前提で本編の描写を見てみよう。
まず、最序盤、城の中で二人が雪遊びするシーン、この時点で雪の魔法がアナの心臓に当たっていればアナは為す術無く死んでいたよね。
だって、幼児に自発的自己犠牲的愛なんて期待出来る訳が無いんだから。
これはトロールの長がエルサの魔法を強く警戒する事とも整合性がとれる。子供に対しては致死性の呪いになるからだ。
両親がエルサを自室に閉じ込めるのも危険性を顧みれば已むを得なく、エルサからすれば妹を殺しかけた訳だから強い反省からくる自傷的な引き篭もり、恐怖も理解できる。
つまり、最初にエルサが「運良く」アナを殺さなかった事が最終的なハッピーエンドの結果を生んだのではないか?
日に日に強くなる自分では制御出来ない魔法。閉じ込めるという対処法。最初の被害者は自分より幼く弱い近親者。一度、開放されれば国中を巻き込む影響力。
エルサの雪の魔法は「感染症」のメタファーでもあるのではないか?……
これは”エグゼクティブ・プロデューサーのジョン・ラセターが、難病である1型糖尿病と10歳で診断された息子からエルサのキャラクター作りにインスピレーションを得たと語っている。”
事とも整合性がとれる。
つまり、アナ雪は 表層の魔法とファンタジー+家族再生の物語。中層のディズニープリンセスからの脱却といったジェンダー論。下層の人類の「感染症」との戦いの歴史。対処、献身、治療、回復。の三層構造のストーリーが極めて高い次元で昇華されているため大きな感動を産んでいるのではないか?
そして、ハッピーエンドの核を「運が良い」事に放り投げているので説得力が損なわれず説教臭くさえない。
ただし、無意識の不安は残る。が、アナ雪の場合、コレさえ長所にもなっている。
これを「正義の主人公(達)の努力と理性と決断による悪に対する『必然的勝利』」という構成に出来れば、物語としての強度も視聴者の快感も高まる。が、
同時に説教臭くもなってしまう。作中の「問題」解決の条件と能力に焦点が集まり、説得力が損なわれやすい。
ズートピアとベイマックスは両方とも素晴らしい作品だが、どこか説教臭く、アナ雪に比べ説得力が薄いのはこのためだ。
主人公(達)に「運」の影響が無い作劇は、安心で子供向けにもしやすいが、ややもすると『答え合わせ』になってしまう。
が、主人公(達)に「運」が有りすぎても御都合主義展開になってしまう。
アナ雪はこのバランスが絶妙で、ディズニーアニメとしてはギリギリまで「運」が良く、更にそれを最初の「室内雪遊び事故」一点に絞ってるのが凄い。
要は アナ雪 超良かったです。好き。
ズートピアは素晴らしいし良かったけど、完全には好きになれない。
2015年 9月26日『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』 最終回
2015年10月 3日『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』放送開始
2015年12月 9日 野坂昭如逝去 * 『六輔七転八倒九十分』「野坂昭如さんからの手紙」
2016年 3月 4日 小林悠、TBS依願退職 * 『小林悠 たまむすび』
2016年 4月 6日 秋山ちえ子逝去 * 『秋山ちえ子の談話室』
2016年 4月 8日『大沢悠里のゆうゆうワイド』最終回
2016年 4月 9日『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』放送開始
2016年 4月11日『伊集院光とらじおと』『有馬隼人とらじおと山瀬まみと』『ジェーン・スー 生活は踊る』放送開始
2016年4月頃 爆笑問題、高橋秀樹、高橋維新と論争 * 『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』
2016年 6月 2日 荻上チキ、ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞 *『荻上チキ・Session-22』パーソナリティ
2016年 6月 8日 田中康夫、参院選出馬表明 *『ナイツのちゃきちゃき大放送』準レギュラー
2016年 6月14日 『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』放送1000回
2016年 6月30日 ポッドキャスト配信終了、「TBSラジオクラウド」に移行
2016年 7月 4日『いち・にの三太郎 赤坂月曜宵の口』放送開始
荻上チキってすごいITに強そうな感じしてたのにLINE流出とかしょぼい醜態晒しててそれが私を幻滅させた
たぶん荻上チキが去勢するかジャーナリストやめない限り私がTBSラジオを聞くことはもう二度とないと思う
私の周りの女性もほぼ皆そういう感じ
あとそんじゃーねという締め方もやめたほうがいいよ
世の中不倫が結構普通にあって、不倫に結構寛容的な人も多いってのも驚き。
非モテのオレからすれば、奥さんがいるだけでももう人生丸儲けみたいなもんだと思うんだけど
その上で奥さん以外の女の人と仲良くなって、しかも奥さんと別れてまで一緒になりたいって
そのくらいモテると人生観や価値観が根本的に変わってしまうんだろうな。
更に家事も育児も精一杯手伝いたいと思うし、相手都合のセックスレスでも悩まないと思う。
(だって結婚してくれている時点で相手に一生かけても返しきれないくらいの恩があるわけだし)
奥さんがどうしても外に男がほしいというなら黙認してあげてもいい。
子供の世話をオレがするから男と遊んできなよ、って送り出してあげたい。
結婚したとしても、別に奥さんの人生がオレのモノになるわけじゃないんだし。それで全然OKだ。
でも、そういうオレにはパートナーがいないんだよな、、