はてなキーワード: 男尊女卑とは
ツイッターでUVERworldの男祭りが炎上しているという話を目にした。
検索してみると、なんとなくの流れを把握。
①トークショーへの"応募条件はなし"
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ぱっと見なので、もしかすると詳細が違うかもしれないので真に受けないで欲しい。
ちゃんと調べて欲しい。
でもなんとなく、自分が見た感じはこう。
まー、炎上するよな、という内容。
男祭りずるい!!とかではなく、なんで女性も応募は可能にしたんだ?っていう話ですよね。
ファンではない自分が思うのだから、ファンの人たちはもっと思うはずだ。
ただ、ファンではない部外者の自分が何より思ったのは、残酷だな、ということ。
まず男祭りとかやるのどうなの?という話だが、わかる。
男性だけのうおおおおおお!!という歓声の盛り上がり方は、確かに女性では出せないものだ。
ただ、これが悲願というのは女性ファンにとってとてつもなく残酷なことだと思う。
これは好きなバンドの悲願に、自分が必要とされていない、むしろ邪魔、という事実に他ならない。
女性である自分は、好きなバンドの悲願の中に混ざることができない。
そういうことだ。
女性であるという自分ではもう余程のことをしないと変えようのない部分だというのに、それを好きな人たちにいらないと言われたようなものだ。
お金をつぎ込んだのに!!とかそういう話じゃない。
いや、そういう人もいるかもしれないけれど。
好きなバンドが望んでいた光景の中に、自分がいては駄目だという事実を、女性ファンはどう受け取ったのだろう。
ここで言いたいのは、男尊女卑!!平等にしろ!!という話ではなく。
男女という肉体に違いがある以上、男女平等は無理なんじゃないかということ。
可能かどうかではなく、それを実現しようとする動きは大切であるのだけれど、やっぱり完全に男女平等という世の中は来ないと思う。
違いがあれば、無理なことだって当然出てくる。
出そうと思えば出るとか、声の高い男性もいるだろうが、大多数の話だ。
つまり女性という肉体に生まれた以上、内面がどうであれ男祭りという場の雰囲気を作ることはできない。
男性にも言える。
そのアイドルが「男性の手はゴツゴツして嫌だ。女性の方が柔らかくて好き」と言ったとする。
それを公言するアイドルの性格やばいのでは??という問題はとりあえず置いておくとして。
でも言ってしまえばそれも好みだ。
本人の好き嫌いは、倫理観等とは無関係のところから出てきてしまう本能的なものだ。
「そう思うのダメだと思いますよ!」と注意して治るものではない。そう感じてしまうのだから。
そして男性はもちろん、男性である以上、大抵の女性より手は骨太だろう。
自分は男性であるというだけで、好きなアイドルから嫌厭されているということだ。
これに限らず、男性というだけで男性恐怖症の人からは怖がられてしまうし、逆に女性もそういうことがあるだろう。
ここまで言ってしまうと、男女に限らず、身長とかそういう話にもなりそうだ。
性別はその最たるもので、人間をかなり大まかにわけることができる。
今回の炎上問題は、男女の身体の作りが同じにならない限り、これからもこういった性別に関連する問題は無くならないのだろうなと感じた話だった。
https://anond.hatelabo.jp/20190413114026
ああ、俺はこういう論理的な思考力が低すぎるからこの歳になっても大して仕事で活躍できないのかなって思った。
どういう意味かと言うと、俺は元の祝辞の全文を読んで出てきた感想が「へーなんか良い感じのこと言ってる気がする。まあそういう学問の研究者っぽいし若干思い込みを語ってる部分もあるのかもしれないけど、社会に出て仕事してたらやっぱり明らかに女性が少ないなって思うし少なくとも男尊女卑状態は日本ではまだ当たり前で本気で是正するつもりなんて誰もなさそうに見えるから多分あと10年してもそこまで大きく変わらないんだろう。ただ、女性とかみたいな社会的に弱者としてなぜか位置付けられている人が本当に弱者なのかどうかっていう定義はこれから変わっていったりするのかもしれないな。そもそも弱者ってなんだよそれってただ今の社会の中で『沢山お金が貰える行為』ができることが強者っていう定義してない?それは強者とか弱者の関係なんじゃなくてたまたま社会がそういう風な流れになってるだけの話でもし今この段階で全人類の脳みそが一瞬で書き換えられて例えば『直接的な子育ては最高に偉いことで子供を作って世の中の流動性を増やすことこそがひいては将来的にも人類の為になるのだからその行為に対する貢献度によってお金が支払われるべきである。それ以外の行為は無償で行われるべき。』みたいな、今と逆(今は子育てには金が発生せずそれ以外の社会を作る行為にお金が払われてる)の定義になった瞬間に男性は社会を回せるけどお金は貰えない弱者になって女性は社会を回す立場に行きにくいけどお金が貰える強者になったりする訳なのか?もちろん今仕事に専念してるから子育てはできてないっていう男性も大勢いるだろうけど何となく今の感じだと女性の方が直接的な子育ては上手そうな気がするよなあ。じゃあやっぱり今の社会的弱者って位置付けられている人達は今の社会性とか現代の人の考え方ありきでたまたま弱者に位置付けられてしまってるだけな訳だしそういう人たちも尊重されるような社会であって欲しいし事実俺自身大して仕事できねえけどお金を貰って生きていけてることに感謝するべきだし東大生も紆余曲折あって東大入った人も含めて運が良かった訳だから全て自分の努力から生まれて努力だけで勝ち上がってきたんだっていう思い込みをもししてしまっているんだったらそれは多分あんまり良くないよな。とはいえ本人の努力自体は認められるべきだと思うけどそれは祝辞の最後の方で言われてるみたいにこれから入学生達を待っている日本で最高峰に充実していると思われる研究環境がある所に毎日通える時点で認められたも同然な気がするし、今はそんなことよりも『入るまでは大変で卒業は簡単』とか言われてしまう日本の大学において入学当日から大人に褒められるんじゃなくてこれからも自分の思うことを突き詰めるために頑張っていきましょうって言って貰える方が絶対将来のためになるだろうからそういう祝辞を用意できた東大ってマジスゲーよなあ」みたいな、なんというか元の文章とかについて大して深く触れている訳でもなくて特に自分の主張が強く含まれている訳でも登場したデータとか事実とかに対する考察とかも全然入ってなくてただただ頭の中でもやもやしていた言葉がぼんやりとした形になって脳内で流れただけで、これって全然論理的じゃあなくてこんなこと考えているだけじゃ現実世界は何も変わらないし誰かと有益な議論が生まれるわけでもないのだから社会に対して何の意味も無い行為だなってことです。
そもそも上の文章自体にも矛盾した意味のない前提とか設定とか考え方が含まれているような気がするけどそんな細かいことはどうでも良いと思ってしまっているし、それよりも冒頭の反論を見て「ああこの人はちゃんと事実とそうでないことを切り分けようとする意識があって、この人にもある程度の思い込み(もしくは何か意図した悪意かもしれないけど)があることを考慮した上でこれだけ他人の発言に対して自分の納得できない所を並べて発言することができる時点で俺より社会に出てから活躍する人間になっていくんだろうな。自分の思っていることをちゃんと言葉にして反論できるのであれば反論したことに対する間違いは恐らく身の回りの他の誰かが突っ込んでくれてそこから有益な議論が始められる気がするし現時点で多少ブレてたり間違ってる箇所が仮にあったとしても大した問題じゃないな。まあ書いたのが現役東大生じゃなくて俺より年上のどこぞのおじさまおばさまかもしれないけどそんなことはどうでも良いや。どうせ増田として表に出た時点で裏の人間の情報は切り捨てられて文字情報だけが存在し得る訳だしな。」って思ったから書いた人は凄いなあって思う。
この文章を自分で書いて気づいたことは俺は論理的思考っていうものが何か理解してないなっていうことと、自分で書いた文章見直すと自分でも色々つっこみたくなるなっていうことと、そういうつっこみを「この部分ってこうじゃない?」っていう事実に対する反論としても表現できるし「こんな考えを持っているこいつはこの程度の人間だ」っていう人間性に対する攻撃としても表現できてしまう世の中が怖いしだからこそ俺はこの文章を自分の名前と紐づかない増田にしか投稿できないんだろうなっていうこととか、そういうことでした。
あと語彙力少ないけど文章書くのは好きかもしれない。もしかするとタイピングが好きなだけかもしれないけど俺にはその違いが分からない。
東大祝辞を読んで、どう受け止めたらいいのか考えている兼業主婦です。
いや、東大祝辞はあまり関係ないのかも…ずっと感じていたことのメモ。
まだまだ、男尊女卑があって、女性が評価されない社会なんだろうなと思っています。
その一方で、私のような「学歴」や「仕事」をそもそも選択しなかった「母親」という女は、どこの数にも入れて貰えていないなぁ…といつも感じています。
夫はとてもよく(時に私より)家事をしますし、育児などは子供かわいさで率先してやっています。
兄も、弟も、結婚して子供が産まれて、驚くほど家庭に関わっています。
きっと、昔よりずっと主婦や妻や母は、家事育児を自分だけでやらなきゃいけない、という思い込みを無くせてきているのでは。
それでも、
それでも、やっぱり産むのは母親です。
10ヶ月の妊娠期間、自分の身体は自分のものでないような状態になります。
つわりはじめマイナートラブル、切迫流産、心理的なプレッシャー…、これは産む性として仕方のないことです。
そして産んでから1ヶ月はまともに動けず、そして一年かけて身体を正常な状態に戻していきます。
そしてこの期間、仕事に専念できなかったり、仕事をやめたり、休んだり、重要な立場から遠ざかったり…キャリアは止まります。
夫は育休を取ってくれました。
しかし、産んだ本人の私も身体のために一年半仕事から離れました。
私はまたつわりで休み、産休をとり、育休をとり、キャリアは止まります。
どちらか、を選ばなければいけないと思ったからです。
両方選ぶことももちろん可能でした。しかし以下のことを考えた結果でした。
大学…大学院への希望もありました、研究がしたい、でも卒業して就職して、あっという間に高齢出産の35歳。
きっとその頃には仕事が楽しく忙しい、いや、仕事で苦しんで他のなにも手につかないかも。
10ヶ月妊娠しさらに1年休む…復職してしばらく働きまた妊娠…
これを三回繰り返すことを思うと、院まで進めば高齢出産リスクになるだろうことや、休みながらの専門的な職業は難しいのではと思い、決断したことです。
現在の職業も、妊娠トラブルでも休めるような、辞めるとしても誰でも代わりがいそうな事務を選びました。役職もありません。
多くのフェミニストたちは、進学率や、就職率、管理職比率の男女比を5:5にしたいと思っているのかもしれません。
でもそれは、私のような産む選択をした母親たちにも「進学するべき」「働くべき」「昇進するべき」と言っているようで、時々苦しくなります。
産むという女特有の選択をしたばっかりに、男女平等の足を引っ張っていると言われているようで。
産んでから夫婦の役割として話し合い、納得して専業主婦になる人もいます。
産んでから復職したくて、夫が家事育児をして母親がキャリアを積んでいく人もいます。
でもやっぱり、産む人には妊娠期間と産後は×子供の数だけ、必ず年単位であります。
でも、できればその産む選択をした母親が出産に専念し、身体を休めている間のことを、「女性差別されて進学や会社の中に入れなかった被差別者」としてカウントして欲しくないんです。
その学校のなか、その会社のなか、その職業のなかで男女比が偏っていたとして、女性が少ないことをみんな差別だと感じるのはごく自然だと思います。
でも、社会の構成員として、私たち母親も数えて入れてほしい。働いてないけど、進学してないけど、ここにいます。
女性の半分が産まない選択をして進学やキャリアの道を突き進んで行っても、残りの半分の女性が産む選択をして、そこから自分で下りることを許してほしい。
5:2.5:2.5であることも許してほしい。
祝辞で語られたような女性差別や、男女どちらでも性別による差別は本当になくなればいいと思っています。
その人個人が望む道へ、選択へ進むことに、障害が少なくなればいい。
子供たちが育ったあと、私もまた学問や、専門的な仕事へ挑戦するかもしれません。
あるいは、三人目を産み、専業主婦になるかもしれません。
あるいは、体力がもうなくなりこのまま事務を続けて趣味などで余生を過ごすかもしれない。
ただ、いまは、子供たちを安全に産むことが望みです。その間も、「社会の構成員としての数」に数えてもらえたら嬉しい。
勝手に子供産んだくせにと言われる昨今、それでも私は産む選択をしました。
重大な仕事だと、信じて選びました。
それでも、私という女を、進学させ働かせ昇進させなければ男女5:5を達成できないと言うなら、あんまりにもしんどいです。
しんどいです。
疲れちゃいます。
走り書きでごめんなさい。
※※※※※※🙋
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色々なコメントありがとうございます。
勘違い…気のせい…そうなのかも知れませんね。私の気持ちのなかだけの問題なのかもしれません。
専業主婦と勘違いされている方もいらっしゃいますが、兼業主婦です。
フルタイムで残業なし定時勤務。負担少なめな毎日同じ書類事務。
第一子は女の子ですが、三人産んでもみんな大学へ行きたいと言っても叶えてあげられるように共働きです。
夫は家事も育児もよくします(手伝ってくれる、ではなく自身の責任のように)。
そういう意味で、夫は兼業主夫ですね。話し合い、経済的にも夫は管理職を目指すということで、今後は私が主に家事を担うでしょう。
女性だけが育児や家事を選択できる、または押し付けられる、とは微塵も思いませんし、夫婦間でその割合は働き方や経済力を考えて家族ごと、自由に取り決めたら良いものだと思っています。
なので、「家事育児を私(母親)」という話は記事でもしませんでした、あくまでも産前産後の肉体的な、男性に半分分けられない部分の負担のことです。
育児のこと?と思われた方も多いかも知れませんが、もちろん夫婦二人で分けあっても育児は大変なものでしたが、産前から切迫流産で入院、産後も輸血、子宮復古不全などという肉体的な休息や回復期間のままならない身体…、その間仕事のことを気にしなくていいのは気が少し楽でした。
ご指摘の通り、夫や家族、職場にも幸運にも恵まれて、私の望む選択の結果としてとてもよい環境だと思います。
なので、進学や仕事に関する選択に恨みがあるとか、後悔があるということでは全くないのです。
ただ、もっと大変で不幸で、選択が上手くいかなかった人も、選べなかった人もいるのだから、好運なあなたは黙っていなさい、と口を塞がないで欲しい。
この世で最も不幸なただ一人だけが、望み求めることを許されるのでしょうか。
産んでもキャリアに戻れるような制度、とても大切だと思います。
産みたい、それが仕事でも進みたい気持ちを妨げるものにならないように。
産んだあとに挑戦できる、学び直せる、専門的に働ける、そんな社会がいいなと思いますし、私の周囲にもそんな選択をした人もいます。
休んで止まっている空白のキャリアに、産む選択をせず休まなかった人に劣らない「補填」を求めているわけではいんです。
(もちろん、その補填を必要とする方もいます、出産がリスクだけ、損だけだと思われるのはおかしい)
私の選択は、肉体的、精神的、時間的な負担を仕事に大きく割かない、10年かけて子どもを三人産み、その子供たちが進学の選択をしたいときに選ばせてあげられるだけ夫婦で働く、という選択でした。
この選択と、いまだ試行錯誤している家庭生活、バランスとれてるぞ!とホッとしている産後の自分、これが弱い弱い女性被害者の姿だと数えられたらとても、かなしい。
なるとしたらそれは男性差別による部分じゃなく言ったやつの相手への距離感がおかしいからだと思う
同じ言動でもちゃんと関係性を理解して言う人のはセクハラにはならない
だってそういう事を相手が受け入れる関係性をちゃんと作り上げてそれを分かった上で言ってるから
そこの過程や気遣いを飛ばして同じ言動して同じ反応が返って来ないだとか態度が違う事を一方的に理不尽に選り好みしているかのように言ってそちらに原因があるかのように言うのはストーカーの気質があると思う
それは相手によって贔屓してるんじゃなく公平に関係性によった言動になってるってだけの普通の話だから
でも外見なんかでその関係性の進度に差が出るっていうのは現実としてある事だと思う性別関係なく
男女差があるように見えるのは男性側の女性への距離意識の関係でおおよそ男性側の方が女性より異性からの色んな距離感に対して受け入れる傾向があるからだと思う
男性が女性より割合としてセクハラ指摘される方向にあるのもそれが理由だと思う
男性が問題とかじゃなく単純にハラスメントはされる側の印象が尊重されるから比較した場合に男性側の方が女性からの発言の許容範囲が広いために女性の発言がハラスメントとされにくくまたそれが関係性を誤解する結果にもなり易いという事なんだと思う
それを何か発言においての性別による社会的な絶対的許容度の差が原因の結果だとか女性が許される発言でも男性だとハラスメント扱いみたいに言うのはそもそも色んな事を理解してないんだと思う
当然男性も気の合う女性ならOKな話題でも違う相手にはなんやこいつって思う事もあると思うし
同性で下心的な含みなんてなくても立場利用して性的な話題に関して色々言ってくる人間はいるし
あと勝手に代弁するようにこれセクハラでしょ、ってやる人はおかしいのかなって本当に思う
グリンピース嫌いだから人のチキンライスからも除けてあげるべきとか言う人なのかな
いや知らんやんてなる
自分がされた時はセクハラって言えばいいけど今あなたはされてませんよ大丈夫ですかってなる
私もグリンピースきらいだから除けたいけど出来ないって言われたら除けてあげるのも私もきらいなの最悪だよねって言うのも解るけど
セクハラって定義出来る言動が自分の主観的な基準に沿って存在すると思ってる認識の歪み感がすごい
そんなものはないのに
かわいいね、もプライベートの話も見た目の話も年齢の話も肩組むのもハグも関係によっては職場でだって相手が異性だって受け入れられるよ当たり前じゃんて思う
そしてそれを受け入れる人がいるからってその行動自体が受け入れられるべき行動って事にならないのもそうだし
距離の取り方や受け入れられる言動の範囲は人それぞれだなんて当たり前の話だし
そんなの普通の事じゃんって
何で普通の事なのに急に職場だとかハラスメントって言葉になるとそれが非難する方もされる方も理解できなくなる人が続出するんだろうか
普通に考えればいいだけなのに
意味分かんないわほんと
男女平等とか、男尊女卑とか、男ってやつは〜とか、女っていつもいつも〜とか。
そういう議論の時にみんながイメージする「女」って、アイドルとか女優さんとか、会社の美人さんとかなんだろうなって思う。
美人さんといっても絶世の美女ではなくて、まぁ女として見られる、抱いてやってもいいかなと思える女。
涙を流した時に「そうやって泣けば罪悪感覚えてもらえると思ってんだろ!」って言ってやれるくらいの可愛げのある女。
男から美人ではないと言われたとしても、見る人が見れば磨けば光りそうな女。
女として生きていることを認めてもらえるレベルの女。
そのレベルに辿り着けない、けれど男でもない生物って、身の置き場が無いな。
女としての恩恵を受けるには、生物学上女なだけなだけじゃ不十分なんだよな。
女はブスになる程男に近づくけど、男は綺麗な方が女に近づくからかな。
bottomzlife 「差別じゃねー!」と言い張ってる人間いるけど、冒頭事例が男尊女卑傾向のきわめて強い福岡県の例であることをよく認識したほうがいいよ…。地方ではいまだにこういう差別が残ってる。男女それぞれ列なのはまだ一部
ずっと男女それぞれ列で生きてきたので男子が前列とかいうカリキュラムへの強い違和感には賛同する。
・「よく認識したほうがいいよ…」
お前これ地域差別とどう違うんだ。
正直九州のいくつかの県について一部に”そういうイメージ”があることは知ってる。
しかしそれを公言して、差別性判定の根拠にして、他者にも「よく認識したほうがいい」と促す、
それはひょっとしてギャグでやっているのか。