はてなキーワード: 東大卒とは
https://this.kiji.is/207438898890506241
情報提供の受付
https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2
「二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである。
「戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである。
保守勢力(自民党文教族、文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚、国歌斉唱、「教育勅語」の再評価、修身の復活などを主張してきた。
国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣の天野貞祐文相は、その嚆矢である。内藤誉三郎(文部事務次官→参議院議員→第一次大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。
教育機関で国民国家の歴史や意義を教えることは必要である。国民国家は、現在の国際政治の基本的な単位だ。これを否定するつもりはない。
グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。
パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。
ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である。
あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である
東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。
東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い
今日ほど「君が代」に関する議論が劣化した時代はほかにないだろう。
「君が代」を歌うか、歌わないか。問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守・愛国であり、歌わなければ左翼・反日であると即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史や意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している
「ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼」のものと勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって、歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。
1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。
→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。
「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。
むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。
日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた
→君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではない
また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。
もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。
追加修正
西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。
1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された
この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。
結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。
1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ
「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。
高校入学後最初の授業で、「受験までに、勉強する意味に明確な答えを言えるようになれ。自分が信じられる意味であれば、他人に批判される意味でもいい」と言ってくれた化学教師(そう言えば東大卒だったわ)のことを思い出した。
たくさん考えて決めた「勉強する意味」は、今考えるとかなり当たり前だけど、おっさんになるまで自分を導いてくれているように思う。
たぶん、誰からも批判されない意味より、自分が信じることが出来る意味が大切で、それは自分で見つけるしかないのだと思う。
だから増田は一緒に悩んで、娘さんにとっての意味を見つける手助けをしてあげられればいいのではないかな。
結果的に勉強いらないってなっても、勉強しないことを自分で肯定できるなら、それは素晴らしいことだと思う。
いやいや高卒でも頭いい奴はいるとか東大卒でもアホなやつはいるとか
「要領が悪い奴はアホ」
だと思うんだよな
別に要領が良くてテキパキなんでもこなせる凄い人以外は全員アホって言ってるんじゃなくて
凄い低いレベルで要領が悪い奴って実際にいるじゃん
「Aの仕事についてメールで依頼したから返信が来るまでBの仕事を片付けよう」
とかその程度のことができないやつ
もしくは
「炊飯器にご飯セットしたから炊き上がるまでにおかずを作ろう」
っていうのが出来ないやつ
http://anond.hatelabo.jp/20170204225930
こんなこと増田でしかかけないが、なんでこんなやつより俺の評価低いんだよ。いやこいつのことは全く知らないが、なんで学ぶことの意味も目的もフワフワしてるような奴が「東大卒」とかいうブランドで着飾ってられんだ?おかしいだろ。俺は学ぶ意味を、喜びを知り、就職してから学びまくった。学問は最高に面白れぇ。夜間大学に今も通ってる。トータルでみたら東大で勉強やめたこいつより俺のほうが評価されるべきじゃねえかな!?でも結局、こいつは東大卒、俺はFラン卒だ。夜間大学で修士をとっても、学歴で見られるのは「18歳時点での学歴」だ。俺なんか「学歴ロンダリング」扱いだぞ。なんなんだよ。
「学問は自分の世界を広げてくれる」ってのは真実だが、そのパワー、そのすごさ、その感動は全然人に伝わらねえんだよな。
勉強は知識にインデックスを付けて回る行為だ。そして学問とは、そのインデックスを掘り起こして整理し、組み合わせ、関連に気づくことだ。今まで解かれてきた数学の難問はほとんどこういう経過で説かれてる。人生も、仕事も同様だ。隠されたつながり、関連に気づくことがすなわち価値のあるアイディアだ。何も知らなけりゃ組み合わせねぇ。ラマヌジャンみたいな異次元の天才はまずいないからな。
そして、勉強とは「ものの名前を知ること」でもある。現象、状況、歴史、物体、あらゆるものに名前がついている。名前を知るということは、そのものに関する歴史を知るということだ。世の中の99%のものは、すでに先人が発見済みだ。車輪の再発明を防ぎ、無駄に迂回する必要もない。
単に映画を見るのでも、視点が全く異なってくる。世の中の創作物というのは、製作者が全霊をかけて「うまいこと」を言おうとしている。通常、その「うまいこと」は5割も気づいてもらえればいいほうだ(実際に創作してる人ならわかるだろう)。学べば、その6割、7割、もしかすると8割を気づけるかもしれない。その瞬間の感動は、3割の理解に100倍する。そして、もっと学びたいという欲求が生まれる。死の間際まで学びたいと思う。任天堂の岩田社長も死の間際まで勉強していたらしいしな。あこがれるわ。
明日死ぬとしても学びたい。知らないことを知りたい。このエネルギー、この興奮は、いかなるものよりも価値がある。俺はそう思っている。
正直こいつを殴りつけたい。俺のほうが価値のある人間だと信じている。たとえ金がなく、配偶者を一生もてずとも。もちろん、「俺のほうが~」なんてのは傲慢だし、そんな風に思ってはいけないと賢人たちもいっているが。俺はこいつに嫉妬している。なぜだ、なぜ、と、理不尽な怒りがこみ上げてくる。こいつは国内最高の大学を出ているのに学問への尊敬がないからなのか。先人たちから受け取った最高の財産を軽視するばかりか、次代に伝えようともしていない。腹がたつ。
先日、地元の図書館から市民講座の講師をやらないかと誘いが来た。最高に楽しみにしている。どうやって面白さを伝えようか、緊張もするがそれ以上にワクワクしている。不評だったらどうしようと思うが、それを糧にまた学んでいきたいとも思う。
すげぇむかつく。18歳で成功しただけのマンダリンが。まぁその努力はもちろんわかるし尊敬もするが、納得は行かねぇ。俺のことも尊敬しやがれこの一発屋が。くそが。ちくしょう。納得できねぇ。
あーもー!ままならねぇ!
なぜ勉強するのか。
明確に何かしたいなら、それに必要な勉強をすればいい。必要だから勉強することに異議はないと思う。
何になりたいかはっきりわからないなら、いざ目指す方向が決まったとき、すぐそちらに向かえる下地があったほうが行動しやすい。
何もない僕には得られないものだ。
自分は有名私立院卒、一番仲のいい高校時代の友人達は高卒(地方底辺)
勉強しなくても特に困らず幸せに問題なく生活できるという事を彼らから学んだ。
学歴の有無の違って、何かしたい、何かになりたい、どこかに行きたい、って時に選択肢が多いか少ないかそれだけの違いだと思う。
東大とか俺はきっと頑張っても入れかっただろうし、同僚や上司が東大って知った時はすげーって思った。
けど同時に思い描いていた東大卒と違ってガッカリした。こんなもんかー的な。
ここで細かいプロフィールを書いても釣りっぽさが増すだけだけだが。
私は東大卒なんだよ(学部卒、就活に失敗した負け組)。で、中2の娘がいる。めっちゃかわいい。くそかわいいぞ。うらやましいだろ。反抗期だけどな。
さて、この前、娘に「なんで勉強するのか」と問われて、答えに窮してしまった。
院進しなかったから「学問そのものの価値」について説明する資格もないし、そんなもん分からない。
就活に失敗して自殺未遂までした身だから、「勉強すれば良いトコに就職してお金持ちになれる」と言うこともできない(余談だが、自殺未遂のときに救急車を呼んでくれた人がいまの妻)。
かろうじて「勉強すれば、くだらない嘘に騙されなくなる。水素水とか、EM菌とか、怪しい新興宗教とか」と言うと、「水素水の何が嘘なの」と返された。「健康に効果があるって言ってるけど嘘だよ」「健康に効果があるって具体的にどういうことを言ってるかちゃんと調べたことある?それに、嘘だってパパがちゃんと立証したの?論文かなにか読んだの?」と言われてしまった。「みんなが嘘って言ってるから嘘って思ってるだけじゃないの?そんなの水素水を信じてる人と変わんないよ」「いまちゃんと調べて反論しようか」「そういう話じゃない。パパが勉強して得たものは、知識や自分の頭で考える能力じゃなくて、信頼のおける情報元とそうでない情報元を識別する能力だけなんじゃないの?学問って権威に服従することなの?」
言ってから気付いたが、オウム真理教の幹部に高学歴が多かったのはあまりにも有名な話であって、「怪しい新興宗教に騙されない」って例示はあかんかったなぁ。
そりゃあ、私にも、東大を受験するために毎日勉強していた時期もある。毎日毎日英単語帳を捲り、世界史の教科書を隅から隅まで読み、文系なのに手が痛くなるほど計算していた。でも、「勉強していた自分」が遠い遠い過去になってしまったいま、なぜ子どもは勉強するのか、なぜ私は勉強していたのか本当に分からなくなってしまった。
追記1:娘に読まれてもバレない程度にはフェイクを入れている(妻に読まれたらおそらくバレる)。ただ会話や内容の本質は損なっていないはずだ。
追記2:結構伸びてて嬉しい。娘の頭が良いというコメントがいくつかあるけれど、少なくとも勉強に関しては、数学が異常にできるのを除いて、これといって優秀なわけではないよ。最低限のことはやっているみたいだけど、そもそも勉強が全く好きではないっぽい。「勉強しないと社会で普通に生きていくことができないから勉強するのだとしても、ではなぜ社会は私たちに勉強を要求するのか」あたりが質問の真意だったと思う。
つーか今気づいたけど、娘も私も「勉強」と「学問」という言葉をほとんど区別せずに使ってた。これが問題だったのかもしれない。
追記3:娘は、私が答えに窮しているのを察するや否やさっさと消えてしまったので娘の本当の気持ちは分からない。私の推測でしかないが、「一応東大卒の父親」を試したんだろう。娘よ、期待に応えられなくてごめん。
自分が東大を目指して勉強したきっかけを考えてみると、何かやりたいことがあったとかではなくて、「周囲の人間に尊敬されたい」「親を喜ばせたい」「モテたい」あたりの気持ちしかなかったと思う。もちろん勉強自体きらいではなかったし、だから続いたのは確かだけどね。
追記4:親が言うのも変だが娘は多分文化系のリア充グループに所属している。先生に怒られるような問題をおこしたことが皆無で、成績も中の上、似たような同級生たちと楽しく生活している中学2年生の女の子に、「将来の選択肢が増える」とか言っても実感が湧かないのかもしれない。娘は教員に怒られるようなことはしないけれど、内心では先生や学校を酷く軽蔑しているようで、「中学のシステムはぜんぶクソ、教員は馬鹿ばかり、数学の教員が数学を分かっていない」などとよく言っている(娘はいつも先生のことを教員と呼ぶけれどこれも中二病かな)。勉強を強制されているという感覚がある一方で、(勉強が好きではないけれども)学問に対する憧れはあるのかもしれない。というのはこの前、娘の部屋で中島義道「哲学の教科書」を見つけたから。自分の利益不利益からもっと勉強しておけばよかったなんて思ったことはないけれど、娘に適切な助言をできないのは本当にかなしい。大学に入ってからも誠実に勉強しておけばよかったと心から思う。
追記5:当たり前だが追記にもフェイクを入れてある。
私の職場のひとたちはやたら高学歴で、東大、東大、慶応、京大…みたいな感じ。
みんなすごく能力高くて、決断は早いし、どんどん無駄をなくしていくし、めんどくさい人間関係もない。
部下として働くぶんには、もうサイコー。
私はもともと、かなり低いところから出てきたので
でも唯一、かつ、決定的に困っていることがある。
あ、編集者なんだけど、
格差社会とか機能不全家族についてとかの企画がめっちゃ通しにくいのだ。
前述のとおり私は「下」の世界に生きてきたので
編集者としての才能は正直ないんだけど、
何百万部も売れるなら、彼らはぶっちゃけなんでもいいんだけど
残念ながら格差社会ものや毒親ものって、ごく一部を除き、そこまで売れないから
そういう「よくわからないもの」に投資するのは会社にとって正しくないことくらい、私でもわかる。
第一、私が届けたいのは「本を読まないような家の子ども」とかであり、
ウェブなら、漫画なら読むかなとかいろいろ思うんだけど、まあ儲かる気配はしないわな。
お金持ちのひとがもっとお金持ちになったり、誰からも愛されたり、定時で帰れたり、マインドフルになったりするよりも、
やらなきゃいけないことがいっぱいあるんだよ。それは権力をもっている人にしかできないんだよ。
その人たちはその世界を想像できないんだよ。それは無理もないよ。
だから想像できる奴が想像させるしかないんだよ。なのに私は!!!
つらつらと愚痴ってみる。
自分のスペックは大体こんな感じだけど、これで親と絶縁してるのは
人として冷酷なのかな。。
父:田舎出身、非正規で年収200万程度、高卒、自己破産経験あり。
母:同じく田舎出身、パート、高卒、離婚歴ありで、前夫との間に知的障害の連れ子(義兄)あり
自分:田舎生まれ。大学から都内の国立大、大手企業勤めで都内在住。今年で30才
結婚するときには確実にマイナスしかないし、利己的に考えると、
父親は学歴コンプレックスがあるせいか、「東大卒はがり勉なだけで、俺のほうが仕事ができる」といってこっちに学歴コンプレックスまき散らすし、
母親は「あんたの人生だから好きにしていいけど、義兄ちゃんはかわいそうだから面倒みなきゃ」と暗に兄弟だから
世話をしろと言ってくる。
2人とも、「今まで育ててやったんだから、子供のお前が親の面倒を見るのは当然」という態度だけで、
本当に嫌になる。
こんなことをここで愚痴ってるのは、今付き合っている彼女と結婚したいんだけど、
こんな不良債権負ってることが分かって引かれたくはないんだよねw
周りの友達見てても、きちんとした家族を持つ者同士が結婚していて、
俺と同じ境遇の人ってやっぱそんないないよね。。
http://anond.hatelabo.jp/20161215080543
今さらだけど、このエントリとおすすめに出てきた関連のいくつかを読んで愕然とした。
家族・親族に旧帝大卒はもちろん、東大卒も何人もいる家庭で育ちました。
おそらく、関連エントリーで描写されていた「高学歴の家の子」にあてはまるのではないかと思う。
正直に言って、関連エントリを読んだときの自分の気持ちは「悲しい」でした。
私は自分が勉強したことを知っているけど、決して頭がいいわけではないことも知っています。
高校受験のプレッシャーから解放された私は、中学後期から高校前期にかけてろくに勉強をしていませんでした。その結果、大学入試に本腰を入れて取り掛かる頃には散々たる模試の結果ばかりでした。
そして、数年のブランクをたった一年でとり戻せるような頭の持ち主でもなかった私は当然のように浪人しました。浪人中に必死に勉強したからなんとか今の大学に入れたわけです。
兄弟も同じです。そして、高校時代の友人も、大学に入ってできた友人も(努力しなかったから成績が悲惨だった時期があったのかはともかく)、大多数はものすごい努力をして成績を取ってきている。
私は高学歴の世界とやらに生まれた特別な人ではないし、優れた何かを持っているわけでもなく、ただ愚直に勉強しただけです。
高学歴の世界だなんて、そんなよくわからないものをいつのまにか背負っているのだとしたら、怖すぎる。
「いじめられる子が東大卒電通社員のような美少女だとも思えないし」とは言うが、いじめなんて可愛い子が妬みゆえにされるなんて例もよく聞くもんだから