はてなキーワード: 映画館とは
満員でも快適に観たいなに対して快適に見たいなら家で観ろじゃどうしようもない
意外と反響合って嬉しい。大半は否定ですがただの愚痴にありがとうございます
シネマシティは良い顧客に恵まれているんだな。みんな大好きなんだね。自分には合わなかった
いや、正直新型コロナ前でも満員の映画館って嫌いじゃないの?自分は40代だから入替制前の映画館も経験しているけど一向に好きになれないぞ
昔は映画以外の娯楽が少なかったから立ち見でも「もう一回観れば良いかな?」でなんか許してたけど、入替になって音響に拘っても未だに席数だけはパンパンにして隣と共用の肘掛けで観せてる映画館の方が怠慢だと思うけどな
超大作や人気アニメ以外は真ん中以外大して入らないんだし、それなら最初から座席独立して少しゆったり目にすれば良いじゃないか。あとはカップルシートやファミリーシートとか増やしてくっつきたいニーズに対応するとか
新しく都内に映画館が出来てもスクリーンデカいとか音響良いとか席が良いとかコンセが充実とかばっかで、あんまり席間とか拘らないよね。如何に詰め込むかって感じ
行ったのがそこだっただけで、実際は【全席販売している映画館】には二度と行かない。
もちろんルールに基づいて対応しているのは分かる。でも飲み物だけはOKで結局マスク外す奴はいる
咳する奴も居るし上映前にゲラゲラ話す奴も居る。挙げ句に映画館で購入していないモノを持込飲食する奴もいる
別に見廻れとは言わないが、全席販売するならそれなりのチェックをして欲しい
映画館の換気は~とか言うけど、客にとって上下左右に人が居ないのは効果はどうあれ目に見える安心なんだよ。飛沫は~m飛ぶとか科学的には隣に居るのと同じとか言うかもしれないけど
数%も違わないかもしれないが映画を観る時くらいは少しでも安心感が欲しかった。立川シネマシティはそれが無かった。だから新型コロナが終息するか隔席になるまでは行かない
https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/10/01/222627
ところが、今って、ドラえもんって、デートムービーじゃないですか。高校生がカップルで見に行ってもおかしくない映画になってしまった。
そうか?
去年ドラえもん見に行った時はカップルなんか皆無で子連れしかいなかったけど…
涙があふれた。映画館から出て、それでも余韻がすごくて近くのベンチでただただ座っているしかなかった。
しばらくして小説が出ているんだったと、映画館からほど近い地元のデパートの本屋で隈なく探したけどなかった(同じように恐らくミッドナイトスワンの小説を探しているような女性をみかけた)。その時は元国民的アイドルが主演してるからって、結局は話題性に乏しいと判断されてそもそも入荷してなかったのかなと思っていたのだけど、重版出来ときいて、あれは本当に売り切れだったのかもとおもった。
映画を観た後、CMやyoutubeのPVを観るとまた涙があふれてしまう。
正直映画は、序盤の物語のテンポが早く、合間合間端折られているようでよくわからない部分もあった。
それでも涙があふれてしまった。
なぜだろうとやっと今考えてみて、それは不器用な人物ばかりなのだけど希望の光がある人がいる一方、ひたすら報われない人がいて、その対比があまりにも残酷だったからではないかとおもう。
「なんで私だけ…」
そのことばは悲劇のヒロインが呟くうすらさむいセリフじゃなかった。
リアリティある魂のさけびだった。
これはいうまでもなく草彅剛の圧倒的な説得力ある演技のたまものであろうと思う。
前々から草彅剛の演技はすごいって聞いてたけど、それを初めて実感をもって感じた。本当にすごい。
ポリコレ棒が振りかざされる昨今、この作品がどう評価されるのか全くの未知数だが、私は大切にしたい心にいつまでも残る映画だと思っている。
うちの会社、これこらもほぼ完全テレワークになりそうなんだけど、数年後が怖い。
数年先もこのままこの生活が続いたら鬱になってしまう気がする。
自分にとって会社に出勤するというのは世界を広げることだったのかもしれない。帰り道に新宿で待ち合わせて旧友と飲んだり、映画館に寄ったり、早退して飛行機に乗って夜便で旅行に行ったり…。会社のために外に出るっていう作業があったから、そのほかの行動ができていた気がする。
家で仕事してたらそのあとわざわざ飲みに行くのも映画行くのもしなくなる気がする。
前は集中切れたら、同期とコンビニまで飲み物買いに行って、色々話してた。思い返せば楽しかった。今はふっと集中が切れても静かな部屋に自分一人。このままだと何年先もふとした時にずっと自分は自分一人の静かな部屋にいると思うとゾッとする。
察してちゃんは悪なのかと併せて読みたい。
https://anond.hatelabo.jp/20200926173820
まあ、自己主張が幼少期から認められなかった人たちは、周囲の人の意思決定によって自分の人生が決まるからじゃないか?
その結果、文句は言うけれど、自分では現状を変更しないが出来上がる。
もちろん、文句がない状態に自分で現状を変更するがよりよいのだけれど、それはそれなりにリスクがある行為で、それを幼少期から訓練していない人に突然やれと言っても無理だよねと思う。
...と書きながら高度機能障害のある子供たちを育てる人向けの講演会で選択するのにもトレーニングが必要という話をしていたのを思い出した。まず、当り障りの少ないところから選択肢が少ないところから選ぶ訓練をする。例えば、今日のおやつはリンゴとバナナのどっち?みたいな。この段階では選択のメリット・デメリットは自明なものになっている。この段階でだんだんと選択肢の数を増やし、リスクも増やす。例えば、今度のお休みに遊びに行くのは遊園地、映画館、ちょっと遠くの大きな公園みたいな。
次に、選択肢の背景にあるメリットデメリットを自分で見つける訓練をする。それから、選択肢そのものを自分で見つける訓練をするだったと思う。この時点まで来てやっと自分で選択肢を考えて、優劣をつけて、選択をするができるようになる。
「自分で選ぶ」ことができる人は幼少期から誰かにこの訓練をしてもらって、選ぶことができるようになっているわけで、訓練してもらってない人に突然選べというのはちょっと酷だと思った。
...いや、「自・分・が・選ぶの!」は正しいんだけどさ、でもさ、世の中にはそれができない人がいるんだよって話だよ。
クリストファー・ノーラン監督の映画『テネット』を観てきた。2時間40分という上映時間にビビリながら映画館に行ったが、冒頭のテロのシーンから一気に映画世界に没入し、楽しむことができた。真の敵の目的の壮大さに呆れ、「順行時間」と「逆行時間」が入り乱れるアクションシーンの精密さとそれを支える撮影技術に舌を巻き、あの一言はこういう伏線だったのかと最後に驚く、楽しい映画体験だった。
楽しむことは出来たのだが、100%理解できたかといえばそうではなく、正直「逆行」とか過去の時間で並行に起こる出来事とかよく分からなかった。思わずパンフレット買って帰ってしまった。読んでもイマイチ理解できず、ファンの皆さんによる解説ブログなどを眺めていた。眺めているうちに、これはもう映画をもう一度観るしかないなと思った。
ところで以前、同じくノーラン監督の映画『インセプション』を観たときも、分からないと思ったことを思い出した。『インセプション』について調べると、Amazonプライムビデオで配信していた。思わず、観てしまう。
すると、なんと、分かった。
以前観た時は、観ているうちに分からなくなってしまった夢の多重構造と話の筋がすっと頭に入ってきた。そしてびっくりするほど面白かった。むしろ何で分からなかったんだ過去の自分、馬鹿なのか。
途中、元妻との話が少し過剰なのではなどと思ったりもしたが、あのラストに繋げるためと思えば納得。仲間を集めるところも「お約束感」がありながらもワクワクした。そしてコマ。重要アイテムであり、トーテム。あのラストですよ、コマと夢と現実と。
公式のではないけど、「インセプション コマ」で検索すると出てくるパチモンのコマ。800円ほどだった。
まもなくコマは届いた。過剰に大きな段ボールに包まれてやってきたコマ。謎の金属製で、ひんやりとしていた。手に持つと、小さな割にはずっしりと重かった。これでインセプションごっこができる。
指の捻りと共にテーブルの上に落とした。勢いをつけてコマは回りだす。回りだす。回り続ける。
あれ、と思う。
コマは回り続ける。倒れない。
「ちょっと、これ観て」
ダイニングのソファーで寛ぐ妻に声をかけた。彼女は回り続けるコマを観ても顔色を変えなかった。そして一言。
この文章を書いている間も、テーブルの上では、コマが回り続けている。
逆行のためのゲートはどこにも見つからない。
どうすんの。いやどうもしないけど。
ふとした瞬間に相手のことを考えてる。
次に会うときは何を話そう、どこに行こう、何を着ていこう。楽しい。ドキドキして落ち着かない。LINEが届く。嬉しい。電話をする。声が可愛い。好き。なんかよく分からんけど好き。
同性に恋心を抱くのは人生2回目。
ちなみに1回目は18歳のときで、初恋だった。バイト仲間に4年間ひたすら片思い。大学卒業を機に会うことがなくなって、やっと諦められた。
社会人になってから2人の男性と付き合って、結婚を前提に同棲を持ち掛けられたこともあったけど、誰かの奥さんになる自分が想像できなくて断った。そして別れた。
男性との性行為は、できなくはないけど可能であればしたくない。なんか抜き差しされてんなーって程度の感覚。彼氏たち、ごめん。人間としては好きだったよ。
そういう罪悪感もあって、男性と付き合うのをやめた。
1人で行く美術館と映画館が楽しいこと、成城石井で買ったチーズをつまみに1人で飲むワインが美味しいこと。他にもたくさん。
この歳になって、世の中は楽しいことで溢れてることに気付いた。自分は思っていたより、おひとり様を満喫できるタイプらしい。
そう思った矢先に落ちてしまった。
行動に移すつもりはないから、ひたすら好きだなぁと思いつつ友達でいるしかない。しんどいけど離れるよりはマシ。4年耐えた経験があるから大丈夫。
大人しそうに見えて好き嫌いがハッキリしてるところ、趣味が合うところ、食べ物の好みが同じところ、声が可愛いところ、仕事に対して真面目なところ、ストレスを溜めて私に愚痴りに来るところ、爪がいつも綺麗なところ、家族を大事にするところ。
全部好きでたまんない。無理。好きなところ羅列してたらもっと好きになってきた。
私が幸せにしてあげられたら良かったな。
手を繋いだり、頭を撫でたり、抱き締めたり。
愚痴も弱音も受け止めるし、いくらでも甘やかしてあげられるのに。
どうにもならないなぁ、本当。
人と知り合ったときとかってだいたい「何が趣味なんですか」「私の趣味は……」みたいな会話が交わされるじゃないですか。あれって意味不明だと思うんです。というのは、だいたいの人って趣味なんか持ってないじゃないですか?(はてなにいる人、何かのオタク趣味ある人が多そうですけど。はてなーとかいう偏りまくりバイアスありまくりの集団の話はしてないです。普通の人の話。)
まあ「趣味」っていう言葉の解釈の仕方にはいろいろあると思うんで、まず「趣味」を定義しましょう。
冷静に考えて、年に一冊しか本読まない人が「読書が趣味」って言ってたら「は?」ってなるじゃないですか。(そういうことも多分にありそうですけど) まずそのふわっとした感覚を言語化したいですよね。というわけで、
この条件は合意がとれるかと思います。でもこれだと労働とか通勤とか睡眠とか入ってきちゃいますね。じゃあこれを加えましょう:
いい感じの定義ができましたね。
で、考えてもらいたいんですけど、する必要がないのに長時間割いているようなアクティビティー持ってる人ってそんなに沢山いますかね?私なんかプログラミングするのが大好きなんで暇さえあればコード書いてますけど、そんな感じでする必要もないことに長時間割いている人ってそんなにいるのかな?というのが疑問で。趣味を聞かれて「音楽鑑賞」だとか「映画鑑賞」だとか答える人、はいて捨てるほどいますけど、その人たちが映画館に足繁く通ったり音楽を聴きまくったりしてるとはとても思えなくて。
まあ別に趣味がないなら「ない」でいいんです。でも実際のところ趣味持ってるなんかむしろマイノリティなのに、あたかもあらゆる人が趣味を持っているかのように皆さん振る舞っているじゃないですか?そのために趣味でないことを趣味としてでっち上げたりする。それが本当に意味不明で。
「趣味は?」「映画鑑賞です(実際映画館に足を運ぶのは半年に一回程度)」「趣味は?」「読書です(最後に本を読んだのは一年前で、自己啓発書)」こういうやりとり、馬鹿馬鹿しいったらありゃしないですよね。誰も得をしないんだからもう「趣味」なんていう概念は捨てれば?っていう私からの提案でした。
GoToトラベルだったり、満席で演劇が上演できるようになるだったり、社会が徐々に明るい方向に向かっているというのに。自分は、映画館もスタバも劇場も何もない田舎から出られないでいる。
産まれてから18年間、同じような生活環境の田舎で住んでいたのだから平気だろうと思っていたけれど、一度都会の娯楽に溢れた生活を知ってしまったら、もうこの「何もない」田舎の生活が苦しくて仕方がない。
大学進学を期にいわゆる都会という生活に触れた時も感じたけれど、田舎は圧倒的に選択が少なすぎる。または、選択を広げるためにかかる時間とお金の負担が大きい。当たり前だけれど。
だって、スタバの抹茶フラペチーノにチョコチップいれたやつを飲みたいと思ったら、電車で30分揺られなきゃいけない。タリーズのヨーグルト&アサイーを飲みたいと思ったら1時間近く電車に乗る必要がある。500円の飲み物を飲むために、その三倍以上の交通費を支払う必要がある。
映画を観たくても電車で1時間かかるし、そもそも一番近い映画館は県をまたがなきゃない。朝日が昇るまでバーで飲むなんてこともできず、日付をまたぐ前にどこの飲み屋も大概閉店してしまう。刀剣展示を見た次にミュシャの展覧会に行ったり、プッチーニのオペラを観た帰り道に箱で頭振るなんて芸当もできない。
きっとこの話を北海道に住んだことのある友人に聞かれたら「こっちはセブンまで〇〇時間かかる」とか言われそうだけど、今はそんな話をしているんじゃない。私が、私の経験してきた人生と照らし合わせて、今の生活がつらいっていう話をしたいんだ。私が今どうしても苦しいっていう話を聞いてほしいんだ。
こんなコロナがはやる前は「また田舎に住むことになったけど、大阪にも名古屋にもすぐ行けるし余裕っしょ。むしろ岡山(長船)にも高知にも福岡にも近くなってラッキー!」ぐらいのノリでしかなかった。ほんと馬鹿。
今じゃ大阪・名古屋はおろか、プライベートでは自転車で動ける範囲での生活に縛られているんだぞ。あの頃の能天気な自分を助走つけて殴ってやりたい。もっと足元を見ろ。
その自転車で行ける範囲にある娯楽はカラオケしかないし、大好きだった大判焼きを売っていたお店は、結局コロナ休業が明けることなく閉店してしまった。
そのくせ、駅前の通りにはデカデカと看板を掲げたキャバクラが立ち並んでいる。これで若者の移住やUターン就職を政策で掲げているのが、むしろギャグとしか思えない。(だからと言ってじゃあスタバを作ればいいのか、という話ではないから難しいけれど)
社会情勢を見るに、まだしばらくはこの田舎から出られない生活が続く。そう考えるとぞっとする、というような感情は薄らぎつつある。今は諦め、の方が感情に占める割合が大きいきがする。それと怒り。
諦めは、この人生を選択したのは自分だから、というもの。都会の生活が良ければ、就職の時に都会の会社を選べば良かった。それをしなかったのは自分の判断なのだから、今この状況に置かれているのは自分の責任だろう、ということ。
この田舎でコロナ初感染者が出た時、その家の窓ガラスが割られた。そんな話、ネット上の創作でしょ、と高をくくっていたけれど本当だった。風の噂によれば、その家族は引っ越したとも自殺したとも聞いている。どっちが本当かは分からないし、知りたくもない。
自分が、自分の家族が次の感染者になるかもしれないのに、よくそんなことができるなぁ。
おそらく、これは自分の想像でしかないけれど、「こっちは我慢しているのに都会に遊びに行った挙句コロナにかかって」といった憂さ晴らしでそうした行動に移ってしまったのだろうと思う。
実際、パートのおばさまたちの「〇〇さんこの前大阪に行ったんだって……」という陰口を叩いている場面に出くわしているので、当たらずとも遠からず、といったところだと思う。
自分は、その憂さ晴らしを、自分の中にある嫌だなと思う気持ちを、こうして文章にして出力することができるからまだ救われている。他人の家のガラスを割るよりは、よっぽど健全な毒の吐き方だと思う。
ただ、万人がこの毒の吐き方ができるわけではないことも分かっている。自分だって本当は、美味しい酒を飲みながら、誰かに自分のつらさを聞いてもらって同情してもらいたい。
それが叶わないからこうして、家で冷凍庫から出したウォッカを、瓶のまま飲みながらこの文字を打ち込んでいる。
Twitterが見れなくなった。舞台や美術館の上演・展示情報を見ると、そこに行けない事実を突きつけられるから。「行く!」と言っているフォロワーに後ろ暗い感情を持ちたくないから。
今の私の手には入らない美味しそうなお料理、綺麗な品々、素敵な物語。「どうせ自分はいけない……」と、いちいち悲しむことに疲れてしまった。
先日、上司(この田舎に住んで十年以上)に息抜きの会話の中で「(大学生活を送った土地)に帰りたいんですよね~」と話したら、「万一コロナに罹った時村八分になるからやめた方がいいよ、ガチで」と改めて念を押されてしまった。
その会話の数日後に、仕事終わりの終電に飛び乗ってその地に行こうと画策していたけれど、その計画もぽっきり折れてしまった。
久しぶりにワクワクした。全部終電を乗り継げば、日付は越えるけどその地に辿り着ける。出勤前に駅のコインロッカーに旅行カバンを預けようとか、馴染みのバーのマスターにはあのお土産を買っていこうとか、あっちに帰ったらあのレストランのご飯を食べようとか、旅行用の歯磨きセットが無いから買わなきゃとか、いろいろ、考えてたんだけれど。
結局そのお休みは、昼過ぎまで寝てYouTubeで酷道走行動画を見たりしていたっけ。
どんどん預金残高が増えるけれど、これっぽっちも嬉しくない。いくら円盤を買っても生の演劇・映画・演奏とは別物。いくら高い酒を買ってもバーで飲む味には到底及ばない。
何で自分は働いているんだろ。
生きてるって言えるのかな、これ。
コメ返信
https://anond.hatelabo.jp/20200919145352
そんなささやかな希望すら叶えられない田舎クソだな〜〜〜ってほんと思う。京都の確か四条通りのカフェのカヌレとかも食べたい。あと博多のShinShin。
https://anond.hatelabo.jp/20200919145353
映画自体じゃなくて映画館に行くまでの道のりが電車しかない(車持っていない)なので詰んでるんですよね。別に映画館とか行くの自体は大丈夫でしょって思ってる。
https://anond.hatelabo.jp/20200919145626
明日トラックに轢かれて死ぬかもしれない刹那主義で生きてるから相容れなくてすまんな……あっでも10万給付で貯金額増えた時は嬉しかった。
https://anond.hatelabo.jp/20200919150005
近゛く゛に゛美゛味゛し゛い゛お゛酒゛飲゛め゛る゛バ゛ー゛が゛な゛く゛て゛困゛っ゛て゛ん゛だ゛よ゛!!!!!!!高い酒ストレートで飲む分にはいいけれど……さ……あとバーの雰囲気が好き人間だからよ……
https://anond.hatelabo.jp/20200919150734
分かりみすぎて笑ってしまった。わかる予言するわ多分「都会の生活は時間が早すぎる、こんな溢れた情報の中で振り回されるような人生は送りたくない」とか書いてそう。生きるの根本的に向いてないな???
初めて買った安室さんのCDはダンシングジャンクだ、忍たま乱太郎の主題歌。
世代だったこともあり安室さんのCDは買い続けたが小室時代よりもR&Bに傾き始めてからより熱狂的にのめり込んでいった。
引退で終了するまで14年間ファンクラブにも入ってライブに行ったりCDやグッズを買ったり楽しい日々だった。
そして迎えた25周年、引退発表。
安室さんからのメールを読んでも驚きはなかった、自分が思っていたより5年早い引退の決断だった。
行ける範囲、お金を払える分のチケットしか申込まないで楽しんできた、後ろ暗いことは一切ない。
運が悪かった、ただそれだけだ、しかたない。
安室さんが引退したことがツライわけじゃない、寂しいけど安室さんは幸せになる為に引退したのだから。
私も最後のツアー行きたかった、25年の集大成とも言えるライブをこの目に焼き付けたかった。
WOWOWで観てもBlu-rayで観ても映画館で観ても素晴らしかった、会場で観たらどんなに素晴らしかったかわからない。
きっと比べ物にならない、映像作品になったライブと生のライブは別物なんだ。
何よりキツイのはずっと楽しませてくれてありがとうって気持ちを私も会場で伝えたかったのに叶わなかったこと。
私もみんなと一緒にさよならしたかった、声援を送りたかった、あの空間でみんなと一緒に区切りを付けたかったんだと思う。
別のアーティストのファンクラブ入ってみたりもしてるし、仕事も頑張ってる、安室さんに使ってたお金が浮いたのでちょっと宝石にハマってみたりとそれなりに楽しく生きてる。
だけどやっぱり埋まらない、心にぽっかり穴があるみたい。