はてなキーワード: 教養とは
人命第一を謳うこの社会で便利だという理由で人が死ぬ原因となる車(装置)を許容するのはおかしい、という話かと思いますが
大多数の利便性を優先して、人命軽視を許容しているのではないか、という話になると思います。
一旦この解釈が正しいとすると
ブコメに多くあったメリットデメリットの話は若干回答がずれている、というかあまり良い回答ではないでしょう。
実はこの話、科学技術を世に出す際に倫理的に何が求められるのか、という話でもあり、
大学で科学技術と倫理(技術者倫理)という教養として習う範囲でもあります。
と言うわけで、ここでは科学技術と倫理の観点からなぜ許容されるのか話をしていこうと思います。
と、本題に入るまえにブコメで多くされていた
メリットが大きいからリスクが許容される、つまり最大多数の最大幸福であるという話について触れて起きます。
この様な功利主義的思想は局所適用にはあいますが、社会システムに適用されると非常に危険です。
言い換えてしまうと多くの人が益を受けるから少数者は被害を受けても構わない、という全体主義的システムになりかねないからです。
銅山から流れる鉱毒のせいでそこらへんに住む人は甚大な被害を受けるけど、
国家全体から見れば利益が多大なので仕方ない、みたいな話に繋がってしまいますよね。
なのでデメリットに対してメリットが大きいから、だけだと間違いを産む可能性がありあまりよくないということになります。
では次に本題の、人を死なせることはこの社会において許可されていないのになぜ人を死なせる可能性のある車が許されるのかの話をします。
シンプルに言ってしまうと人を死なせることと人を死なせる可能性がある、というのは大きく違うから、という話なんですが
車増田氏としてはそれに対し可能性があることを認識してるのであれば未必の故意いえるのではないかと考えているんじゃないかなと思います
これに関してはマックスウィーバーが著書「職業としての政治」で述べた心情倫理と責任倫理という考えが役に立つと思います。
心情倫理とは結果がどうあれ正しいと思うことを行動することで
ドイツ観念論のカントの「定言命法」に近く、物事がうまくいったとしても動機が不純なものであれば善としない考えです。
一方、責任倫理とは動機がどうあれその行為が不幸の結果を及ぼすことを予見できるのであればそれを避けるための最善の努力をし、
その結果を負わなければいけないという考えです。
ウィーバーはこの2つの倫理を兼ね備えることが政治家としての不可欠な資質としましたが、技術者倫理としてもこの思想は適用できます。
技術者として製品を世に出す際、その製品が世間をよりよくするものを目指すべきでありかつ
その製品の持つ機能が直接的に危害を及ぼすことがない様に想定できうる限りの防止策を講じるべきである、という考えです。
多分ですが、日本の車メーカーに車を作る理由を問い合わせた際に「弊社の利益さえ上がればいいと思っています」なんていうところは
基本的にないと思うんですよ。
内心はどうであれ、車の製造が利用者の利便性/快適性をあげるという公益性を目的にしているということを言うのではないかと想定してます。
そして実際、機能の研究開発の期間もさることながらテスト期間も相当長く、真冬の北海道に持っていって
寒冷地テストしたり、砂地や泥を用意してそこに突っ込んでスリップテストしたりと
事故を起こさない、人命を守るためのテストをすごいしているんですよね。なので大体開発に5年程度かかります
そしてメーカーだけでなく行政も運転免許という適正審査や安全講習、
小学生児童に対しても交通安全講習会も行い、技術と社会規則の両輪から事故を未然に防ぐ努力をしているわけですね。
つまり、車の利用に関しての「直接的な結果」として人命への被害を避けるための「最善の努力」をしている、とも言えるのです。
そして皆が交通安全規則を守り安全運転をすれば突発的な災害等が起きない限り人命を損なう様な事故は起きないだろうというところまで
この「最善の努力」を「完全に避けなければいけない」としてしまったり「間接的な結果」も責任としてしまうと
言い換えると企業がリコール訴訟を受けた際、事故と直接的な因果関係がないことはもちろんのこと
「最善の努力」をしていたということとが必要になると言うことでもあります。
(アメリカでプリウスが訴訟になった際、そこら辺が焦点になったと聞いています)
つまり、メーカー及び行政がさまざまな手段で事故を防ぐための策を講じてる事実があるので
当初の
人命第一を謳うこの社会で便利だという理由で人が死ぬ原因となる車(装置)を許容するのはおかしい、という意見に対する回答としては
人命に対するリスク対策を社会コストとして払っており、そもそも人が死ぬことを許容はしていない、ということになります。
というわけでまとめます
1. 危険性を伴う製品に関し、メリットデメリットの観点だけだと公害を許容しかねないのでよろしくない
2. 建前とは言えメーカー・行政の両輪で理論上事故が起きない様にする施策を打っており人命軽視しているという認識は間違い
ということになります。
念のため付け加えますが、努力しているから問題を起こしていい、責任がない言うわけではなく、
その開発当時にしりえる知識、技術を元に最大限の努力をしたかが問われるため「最善」と表現されます。
言い換えれば公知の知識の対応を怠った場合などは懈怠責任をとわれます。
つまり今後、科学技術の発展に伴い、危険運転でもリカバーする技術が発明されたらそれも実装が必須になっていくと思います(昔はエアバックとかなかった)
どうでしょう?車増田氏のどこで線引きをしているのか、という問いに対して回答になりえたでしょうか?
あと、死刑の話を絡めて聞いていますが、その話は犯罪者の更生の話や社会から外れてしまった人格をどう扱うかという話なのに対し
車社会の話は公益性を持つが危険性を伴う科学技術とどう付き合って行くかと言う話で根本が違うため
その話を混ぜると複雑になりますし長くなるので省きました。
ゲームでしか存在意義が示せないのに、そこに教養を求めるのはあまりにも酷すぎる。
SNSで見かけたけど、掛け算すら出来ないのが自称プロゲーマー様だ。
酷いときには4桁程度の足し算も出来ないような阿呆がいるのだよ。
そんな彼らに学を求めるのは無理な話。
エッセイだろうと随筆だろうと、それこそ小説だって根っこの部分はそれが全て。
教養がない? ご冗談を、貴方の読書体験は間違いなく血肉になっている。
2021年は例年より多くの本を読んだ年だった。
本に手を伸ばす理由は、過ぎる時間の虚無を埋めてくれるからだ。
暇な時間にふと、理由のない虚無感や今まで自分の行ってきたことがふと無意味だったのではないだろうかという思いに襲われる。
そんな中、以前では現実逃避や問題の先送りが悪と捉えてきたものを、積極的に物事を放置、物語や文章に没頭することが心地よくなってきた。
恐らく、以前はもっと人生とは自分の思うように舵を切って、自身に起こりうる出来事は自分次第で制御できると考えていたのだ。
もちろん、突拍子のない願望や生まれ持った環境など、制御しようがないことが存在することはわかっていた。
しかし、心の奥で、自分の願望は全て叶えられる、変化できると思い込んでいたのだ。
そんな気持ちで日々を制御しようとしていた10代、20代、さぞかし理想と現実の差に苦しみ続けてきただろうと考える。
どこまで求めて、手に入れても満ち足りない日々は確かに何かを手に入れて、成長したこともあったのだろう。
けれども、取り組んできた物事の難易度が時間と共に上がり、自身の行動の影響する範囲が大きくなるにつれて、自分の能力では制御しきれない領域もあることを徐々に感じ始める。
精神が一気に崩れ落ちて、自身を鼓舞していた心のどこかにあっただましだまし、綱渡りのスイッチで稼働していた力の源泉から何も沸いてこなくなりついには割れてなくなってしまった。
この虚無感はいったい何なのか?答えを本の中に求めて、小説、エッセイ、ドキュメント、啓発など色々読んだ。
なるべく同年代の主人公で人が死なない日常の物語を最初は求めていたのだけれど、いつしかその縛りは忘れて、自由なジャンルのものを読み始めて没頭していた。
自分は何している時が満たされているのだろう?とふと考えた時にパソコンのキーボードを打ち込んでいる時と思った。
仕事柄キーボードは毎日叩くのだけれど、キーボードを打ち込むそれ自体の行為が好きなのではなく、打ち込んでできた成果物が完成した時に満足している。
のだと思っていたが、単純に今キーボードを叩いて文章を書く行為が気持ちいい。
そして、今さっきまだ読み途中なのだが、「中年の本棚」という本を読んでいた。
その中には超おおざっぱにいうといわゆる中年あるあると中年の虚無感を古今東西の本から該当する要素を抜粋してそれに対する思案を述べているものである。
当初自分が求めていた内容が書いてある本にようやく出合えたと謎の手ごたえを感じた。
その本の中で「隠居」について掘り下げて書いてあった。
では何も思い浮かばないが、
では真っ先に「隠居」がしたいと筆者は語っている。
自分も同じ考えだ。
そこから、「隠居」について書かれている本をピックアップしている。
その中で、「日曜〇〇家」というキーワードがでてくる。
要は、「日曜〇〇家」で社会人生活を60歳まで過ごし、以降は「日曜」ではなく「〇〇」を毎日やるのだ。
例として、そのような小説家を何人か取り上げている。
医師を平行して、小説を書き、定年後は本業、ないし隠居しながら小説を書くというものだ。
エッセイやら随筆やら小説やら、結局は自分のために書きたいものを書けばいいというメッセージがふと強く突き刺さった。
自分には教養も知識もないが、キーボードをひたすら打ち込むと心地がよいという属性がわかったので、これから何かしら文章を書きたいと思っている。
タイピングソフトでもやればいいのでは?という問いには、自分が何かしらの成果物を作り上げているという達成感がなければ意味がないと答える。
というわけで、なにかカタカタ打つからには、自分か他人に何かしら意味のあるものを書こうと思っている。
また自分の思考を整理する過程も好きなので、一石二鳥ということで。
難しいことはわからないし、無理に着飾ってもしょうがないので、自分が面白いと思うものをひたすら書こうと思う。
趣味は「キーボードをひたすら打ち込んでなにかしら成果物を作ること」にしたい。
一言でいうとなにになるのだろう。
作文かな
これの追記です。
https://anond.hatelabo.jp/20211222103320
charonbing9 SNSでの発言は公開に際して誰にチェックされることもないからとにかくなんでもでてくるというのもある気がする (もちろん「あー、自分、これ気づいちゃったんですけどぉ~」っていうのやりたい欲も超デカそう)
これはそうだし、カッコ内のこととも合わせてどちらの考察にもあることだと思う(承認欲求として言及した通り)
承認欲求はどちらの考察の場合にもありうるし、そもそもこの時代に限った話ではないと思う
それは展開予想と呼び分ければいいんじゃね
・当たると自己承認が得られるらしい
最愛や真犯人フラグは真犯人が隠されてるんだから真犯人を探すのでは。 エヴァ・すかすか・Undertale・まどマギの内容知らんけど、真犯人がいる物語なの? 単純にジャンル違うくね?
全く同意するけど公式が「考察」って売り出しちゃってるんだよな
もはやいちクラスタの傾向とかそういう話ではないんじゃない(「を穿って考察した奴」は見たことない用法だったからよく分からなかった、読み間違えてたらごめんね)
いやそりゃそうだろ.......断言口調で突き放すようなこと言いたいだけ?
監督が考えに考え抜いて構築した設定があっても、尺の都合で盛り込めなかった部分を考察する。
この考察には、少なくとも監督の中に正解があるし、監督すら思いもよらなかった考察がでてきたりもするしで、
でもあるときから、こんな風に伏線はれば、考察厨が勝手に考察するでしょ。的な、
そうなん?ゆうてエヴァとかの昔からある作品もぶん投げた部分多いと思うけど.......
結局エヴァとかのとは別種やしひぐらし一強でもなかったと思うから本文の主張には関係しないけど、そうなんすねと思った
いやーこれはどうなんだろう.......そもそも「考察ブーム」に乗っかってる作品のファン層って別にオタクではないと思うんだよな Twitterとかで検索してみたらわかるかもしれんけど
ディスの対象にとりあえず軽蔑から入ろうとするのは偏見を産むし良くないと思う
「ナウシカが作られた背景には宮崎駿の照葉樹林文化論への出会いがあり云々」とか「アラジンはアウトローなヒーローとしてロビンフッドやオマリーの系譜にありつつも云々」なんかのように作品外の補助線を引くものから、エヴァ考察のような作品中の情報からの推察に変わった、という話かと思ったのに。
これはこれでまた別に変化があると思ってて、エヴァ旧劇以前/以後で大きく変化したかなぁという認識やね
そもそも(そう呼ばれてたかは別として)調べる限り「考察ブーム」的なことは旧劇の時にあったみたいで、作品評論的な「考察」(「『史記』が後世に与えた影響」みたいなノリの本とかもこれに含まれるんじゃないかな)から、オタクが作品世界について考える「考察」への転換があったみたいという認識はある。この増田もそういうことが書かれてることを期待してたのかな
作品評論的な「考察」は、1つ上で引用した「幽遊白書から読み取れるソ連崩壊後の雰囲気」みたいなやつも含むと思う
読解力がない人にはつまらないだろうなぁ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4712926863233549602/comment/rrringress
MetaVariable 提示された材料から欠けた要素を推測する行為はベクトルが異なってもすべて”考察”であって、単にその先の公式の答え合わせが近いか遠いか、あるかないかの違いではみたいな気持ちです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4712926863233549602/comment/MetaVariable
これどういうアンサーなのか分からないけど本文は「考察」のニュアンスの変化を書いてるんだからなんの関係もないと思う
わかる 考察には限らないけど(キャラのイメージの汚染みたいな感じで夏ぐらいに言及されてたやつもそう)
north_god これから語られるストーリーの予想と、語られたストーリーをより精度高く解釈するのは前後が逆だわな。そして前者は間違った推理を正当化するために解釈を歪めがち
これ別に前者に限った話ではないですね
Re-birth 某アニメの時は気づいた俺すごいこの作品の良さを知ってる俺すごいから作品もすごい、のために妄想こじつけたのを考察と称して垂れ流して他を叩いてるのが湧いてて、あれも身内とのコミュのためくさいなぁと
わかる それって共感のための消費だし、考察としてやるのはなんか傍から見ててキモさを感じる(何より原作者が不快な思いするんじゃないですかね.......感想や二次創作でやるべきじゃないかな)
misafusa 「考察」と呼ばれるもののほぼ全てが結局ただのこじつけなんだよな。それを理解した上での遊びならいいんだけど、有名どころの「考察」を絶対のものだと考える人が居るから。
これはこれで問題よね
そうなんですね
あと「考察さん」を名乗る人がいるんだ(「発達ちゃん」みたいで正当化の香りがして好かない.......)
c_shiika という考察でした。放送期間中に考えることと最終回以降に考えることは別ってだけでは。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4712926863233549602/comment/c_shiika
よく分からなかったらとりあえずメタればいいと思ってるオタクってまだいたんだ.......仲良くなった人にも避けられるからやめた方がいいですよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4712926863233549602/comment/hilda_i
ワハハ!
追記:
https://anond.hatelabo.jp/20210526203023?s=09
これ酷いな(今見つけました)
それなら、あとは人間力を磨くだけでは?
毎日仕事終わったらテレビ見るだけしかしてないような男性が、いきなり女性と接することになっても会話が弾むと思えない。
新聞やニュースを見て社会問題について考えたり、読書して教養を増やしたりしないと、年を取ればとるほどダメ人間オーラが出てしまう。
なんていうか仕事しながらあの濃いストーリーをじっくり見る体力がなくて
年末の休暇を使って溜め込んだ録画コツコツ消化して今に至る
鑑賞しながら「あーなんかこの展開知ってるなー…次は確か……あーそうだよなー言ってた言ってた」
知人やSNSのフォローしてる人々に、上映中に映画館で見た人がかなり居て
なんかあの人ら、まるで教養のようにネタバレトーク振って来たんだよな
まあ別に良いけど
でも、自分がリアルの知り合いに相手が見てない作品の話するときは
やっぱりあらすじ話す程度にとどめるの徹底するべきだなと再確認した
タイトルの通り。現在実家に帰省しているのだが、珍しく母が「なんか良いアニメとかない?」って聞いてきた。しかし俺は母が好みそうなアニメをあんまり知らなくて困っている。
母は韓流ドラマが好きだ。
うちの実家は四国の山中の田舎町にある。母は昔よく車で往復1時間くらいかけて、山のふもとの町にあるTSUTAYAで韓流ドラマのDVDを片っ端から借りてきて、休みの日にずっと見ていた。
そんな母を見て、俺は4、5年くらい前にAmazonのFire Stickを買ってきて、家のテレビでネトフリとアマプラを見られるようにした。もうわざわざ遠くのTSUTAYAに行く必要もなくなったから、母にとって革命だったらしい。
しかし最近、そこにある韓流ドラマはほぼ全て鑑賞し終わり、見たい韓流ドラマが枯渇してしまったという。本当に見るものがなくなって、最近はスマホでYouTubeやTikTokの動物動画ばかり見てる。ネトフリは特にアニメ作品がホーム画面に表示されることも多いが、ウチの母にはあんまりハマらないらしい。俺はアニメはその年の有名どころを1、2本かいつまんで見るだけだから、あんまり詳しくない。
母からは「面白いアニメはないか?」と聞かれているが、実際はドラマでも良いと思う。とにかく、ネトフリやアマプラで観られる、母がハマりそうな作品を探している。ここなら有識者(?)が多いだろうから、もし詳しい人が見ているなら教えてもらえるとありがたい。
少し長くなるけど、ウチの母の好みをざっと書いておく。
ウチの母は田舎の病院に勤める看護師だ。普段から、大けがして血だらけで運ばれてくる人の手当とか、終末期になってもだれも看取りにこない老人の世話とかしてる。だからアニメといっても、残酷な描写が多いやつはNGだ。流行りの進撃の巨人や鬼滅がネトフリのトップに上がってても、母は「見ててつらい」って言ってる。
当たり前だが、看護師のシフトは交代制で夜勤もある。夜勤明けの母はヘロヘロになって帰ってくる。だからストーリーが難解だったり、特殊な教養が必要な作品は「何言ってるか分からん」って言って視聴をすぐに止める。少し疲れてる脳みそで見ても分かりやすいストーリーだとありがたい。
母は趣味嗜好はいたって普通の50代後半の女性だから、女の子よりイケメンを頼む。
これはなぜかは分からない。例えば、実家でBig Bang Theoryを観ていて、父や弟たちはゲラゲラ笑っていたものの、母は「ノリについていけない」と言って視聴拒否していた。
母は冬ソナで韓流にハマった人なので、最近流行りのイカゲームとかじゃなくて、時代劇の純愛モノがとにかく好き。トンイとか太陽を抱く月とか。
なぜだか分からないが、母が好きなアニメは犬夜叉。これは俺が小学生の時に家族で一緒に見ていたからだと思う。そして最近母がネトフリで唯一ハマったアニメはうしおととら。「なんか犬夜叉っぽい」と言いながら、最終回まで完走した。
増田に投稿するのは初めてだけど、普段離れて暮らす母にしてあげられることは少ないし、こういうときくらいちょっとは役に立つ息子でありたいから、もし何か良い作品を知ってたら教えてくれないだろうか。
追記:
たった一日でこれだけ反応があってちょっとびびった。みんな本当にありがとう。とりあえず母には爽やかスポーツ系(ハイキュー!!、弱虫ペダルとか)と少女マンガ系(夏目友人帳、ちはやふるとか)から2、3選んで薦めておきます。半妖の夜叉姫のことすっかり忘れてたから、それは激推ししておくわ。ネトフリでこういう作品をいくつか見たら、あとは母の好みに合う作品をネトフリが勝手にオススメしてくれるから、それに任せようと思う。
あと俺自身は酒飲みながら電脳コイルを見て号泣した人間だから、地球外少年少女には結構期待してる。みんながオススメしてくれた中にも気になったものがいくつかあるからちゃんと見ておくよ。
教養がないってことじゃない?