はてなキーワード: 子宝とは
高校受験の時、自分は推薦一校で受かって、友人は第一志望落ちたんだ。
大学受験では10校くらい落ちた。情けなくて涙が出た。3月にようやく合格通知が出て、友人の気持ちが少しだけ理解出来た。
そして今。友人は不妊治療を行っていた。そうする理由が分からなかった。
でも先日、ようやく子宝に恵まれて、無事産まれて焦る気持ちが少しだけ理解出来た。
隣同士で一緒に成長するつもりはなかった。二人いつも違う方向を見ているようで足並揃っていて
それが心地良かった。
自分がもし性同一性障害かもと言えていたら、変に寄り添わずに済んだだろうか。
親に恥をかかせたくなくて、ひきこもりから脱出。専門学校出て就職。半年に1回くらい、通勤中にパニック発作が起こるようになったので転職。イマココ。
まともに人生歩みたくて30まで頑張ってきたんだよ。頑張れば変われると思って。
まともに人間関係築いて、まともに就職して、ほどほどに昇進しつつ、いいタイミングで結婚して子宝に恵まれ、月イチくらいで実家に遊びに行って「わー○○(子供の名前)またおっきくなったねぇー」ってトーチャンカーチャンに笑ってもらって。そんな人生になりたかった。
コミュ障だけど頑張って人の話聞いて相槌うって、全然興味無いのに掘り下げて質問してさ。へーそうなんですねーって言うんだよ。30まで続けたら流石に訓練されて、それなりに外面だけ良くなったし、仕事もそれなりにできるようになった。でもこんなの全然自分じゃないのだ。理想の自分に近づいているはずなのに苦痛でしかない。こんなに頑張ってるのに!?!?
かなり内向的な元ひきこもりニート、でも社会復帰してエラい!って自分で自分を褒めながら頑張ってきた。親を悲しませないために。
でももう限界。頑張れば変われるなんてナイナイ。今までの努力を無駄とは言いたくないけどこれ以上頑張りたくはねーわな。
消えてなくなりたい。でもでも自殺は駄目だ!迷惑をかけるし、なにより親が悲しむ。
あーあ。
30歳になりました。
20代前半で美人だとチヤホヤされてきました。自分なりに努力した結果でしたので、存分に調子に乗らせて頂きました。
謝礼付きの飲み会や、経営者を集めてのパーティ、芸能人ともお食事させて頂きました。
お付き合いした方は軒並み俗に言うハイスペックな方ばかりで、8桁年収高身長以外にはおりません。
でも30歳になってしまいました。
今でもありますし、最近は子宝に恵まれたいとも強く感じています。
でも、相手すらおりません。
若い時分にお付き合いしていた方は、当然女性に困っている方などおらず、結婚など夢のまた夢でした。
理想は下げてきたつもりでしたが、蓋を開けてみれば何のこともない、ただの高望みです。
30歳になってしまいました。
皆さんどうぞ笑ってください。容姿にあぐらをかいて、金と見た目で男を選んできたばかりに、結局今でも独り身でいるアホを嘲笑して下さい。
自分自身、何一つ笑えないので、せめて周りの方々でこき下ろして笑って下さい。
その子はネットの影響か当時からかなり右翼脳をしていて、一般参賀に喜々としてでかけたり、靖国神社に参拝しに行ったりとかいうことをしてた人。
大学在学中から結婚願望丸出しで、「女として国を守るために男性を支えたい」とか昭和の良妻賢母に憧れるような発言をしていた。
結婚後私は大学とは違う土地に就職したのでしばらく連絡が途絶えていたが、数年後の同窓会で結婚したと聞いた。確か23か24歳だったと思う。
友人から聞いたら結婚相手の男性もたいがいだったらしく、一緒に皇居に行ったりとかそういうことは続けてたらしい。
ただお国を守るためにたくさん子供(特に男)を産みたいと言っていたのになかなか子宝に恵まれなかったそうで、数年してようやく初妊娠したという。
その時の愚痴がなんかちょっとアレで「旦那が家事をしない」「自分が立会出産しようと何度も言ったのに結局逃げた」「姑がうるさくてめんどくさい」とか。
昭和の良妻賢母はどうした?とか思ったけどまあ結婚して価値観が変わることはよくあるからそんなもんかとも思ってただ聴くだけ聞いてた。
そこで思ったんだけど右翼主婦の脳内って、自分は家庭に入って男と子供を守るとか言いつつ、家庭の活動に男性が参加しないと怒るし、稼ぎが悪くても怒るんだなってこと。
「女は家にいて家庭を守るのが仕事」とか口では言っているけど、姑にはいじめられたくないし、夫の言うことを100%きくのも嫌。でも自分は仕事したくない。
何年か前のこの時期だけど、お天気の話でもするみたいな感覚で、何歳までサンタさんのこと信じてた? と夫に聞いたことがある。
そしたら、
「何歳っていうか、分からん。俺んちプレゼントとか? そういうのなかったし」
そうか。朝起きたら枕元にプレゼントが置いてあるっていう体験があって初めて、サンタクロースの存在を感じられるんだった。
幼稚園の頃に両親が離婚してて、夫は母親のいない子供時代を過ごしている。
オモチャやゲームなどは割と普通に買ってもらっていた模様だが、クリスマスとかのイベントの計らいまでは父親も気が回らなかったようだ。
夫いわく、色んなことでまわりの友達から疎外されたように感じることもあったらしい。
その後、父(私から見て義父)は再婚してて、夫もその妹もすごく嬉しかったそうだ。
私も義父母にはよくしてもらってる。
いい話にするつもりは無くて、そもそもの離婚の原因は義父の暴力なんだけど。
まあ、色んな面があるよね。
今は夫がサンタクロースとして張り切っていますというオチもない。申し訳ない。
https://anond.hatelabo.jp/20170725082449
「誰のせいでもないって分かってるし、ホントまだその時が来てないってだけなんだからこそですよ。
この言葉に涙が止まりません。その時が来ていない、そう心に何度も何度も染み込んでいく気がします。
神社の件、願い事を書く際に、子宝について書こうとした私に対して「ああ、そっか!」と言って慌てて同じ願いにしていたので、心のズレは多少あると思うんです。でもいつも優しくて、治療に協力してくれ、病院について行ける時には必ず来てくれる夫なので感謝はしています。
35歳の節目、私は家を建てた。
会社のマドンナだった女性を妻にして、子宝にも恵まれ、平凡だが充実した毎日を送っていた。
自然な流れで、更なる幸せの象徴、そして家族の夢である「マイホーム」を手に入れようとした。しかし、この時悲劇がおきた。
まさか、東証一部上場企業勤務の私が「住宅ローン」でこんな絶望に追い込まれることになるとは。。。
過去、あなた個人に自分では見過ごすほどの小さなミスがあれば、いくらいい会社に勤めていても住宅ローンに通らない可能性がかなりある。
住宅ローンなんて実際に借りようと思わなければ、その業界にいない限り詳しくは知らないものだ。
家族や友人は、住宅の申込みをした時点で既に家は手に入ったと思っている。
私は本当に運良く、一度は落ちた住宅ローンを他行から借りることができ、今ではマイホームを手に入れ、以前より充実した生活を送ることができている。
「こうすれば落ちることはなかったのに」と
後悔していることをあなたに伝えたいと思い、
この体験談を書いてみようと思った。
興味があったら読んでみてください。
自分で言うのも何だが私は平凡だ。見た目も普通。特に華やかな青春時代もなく 地方の公立から、そこそこの大学を出て、運良くまあまあ大手企業と呼ばれる会社に滑りこむことができた。
クラスにいるあまり目立たないやつというのが、他人が抱く私への印象だろう。
平凡だと思っていた私の人生にとって最もインパクトがあったのが、妻との出会いだ。社内のマドンナであった妻はなぜか私の素朴さを気に入ったようで、 数回デートを重ね付き合うようになった。会社中に驚きが走ったのを今でも覚えている。
1年程付き合った頃、妻の妊娠が発覚し、自然な流れで結婚に至った。
自分にはもったいないくらいの女性と結婚ができた私は、家族のために生きることこそが私の人生だと。強い決意をもち仕事にも精が出た。
子供が出来た時点で28歳、まだまだ給与も低く、妻は専業主婦を望んだため、生活はなかなか厳しく、日々の生活で手一杯という感じだった。だが決して楽ではないが幸せを積み重ねている実感はあった。
結婚から6年程たったころだ。 子供が来年から小学校に上がるタイミングで妻から
「そろそろマイホームを考えてみるっていうのはどう?」
という提案があった。
正直貯金も十分に用意できていない状況だ。今までは憧れはあったが具体的に考えたこともなかった。
マイホームなんて。。。と思ったが、よくよく考えてみると会社の同期達はもうすでにマイホームを持っているものも多い。
私は彼らと比べても、仕事の成績は悪くはなかったし、特に給与に違いがあるわけではない。なぜだろうと思い、同期の一人に聞いてみると、 うちの会社の信用が大きいので、住宅ローンが降りやすく誰でも結構簡単に家が建てられるとのこと。
妻、そして家族の夢であるマイホームが一気に現実を帯び、急激にそれを手に入れたくなったのを覚えている。
持ち家を考えた時は建売、中古住宅、若しくはマンション全てを選択肢には入れていた。
とは言え、私が住んでいた場所は駅近くで全体的に値段が高く、なかなかよい物件は見つからない。
私は、場所を変えて広い場所で広い家もありだなと思っていた。過去に同僚が家を新築で立てたばかりのタイミングで、家に行ったことがあったのだが、 郊外だが非常に広く、とても魅力的に私は感じた記憶があったからだ。
しかし、そこに反対をしたのは妻と子供。子供にとって転校というのはかなり抵抗があるらしく、妻にも猛反対されてしまった。
結局、現状と同一学区希望、大きな場所の移動はなしという制約条件の中、私の家探しは始まった。
家を建てようと思い切って決断はしたものの、まず何をしていいかわからない。
「俺って家に関して何も知らないのに、こんなに意気込んでいたのか・・・・」
私は自分のあまりの無知ぶりに驚き、恥ずかしさがこみ上げてきた。同僚に何から何まで聞くのも忍びないので、まずネットから情報収集を始めた。先程の通り、場所は現状からさほど変えられないため、近隣で値段を軸にリサーチをした。
まずは値段が安い中古物件から開始。予算内で良さそうな中古物件いくつかがあった。早速、仲介業者に数社にアポイントを取る。最初の数社はだいたい建売かマンションを紹介したが、どこも予算がオーバー。
加えて頭金0を希望すると「それはさすがに難しいです」と一刀両断。中には鼻で笑うような会社もあった。3社目に出会ったA社さんは非常に誠実かつ親切な対応で安心感があった。
ところが、A社は一通り私の現状と希望を伺った後、注文住宅を提案してきた。
建売やマンションですらキツイのに注文住宅なんてとんでもない…と思っていた私は既に注文住宅をなんとなく選択肢からは外していた。
と思い始めてきた。
中古、建売、マンションの欠点を考えず目先の金額だけを追っていた私は
・建売はほとんどが建てられた後に購入なので、中身が見られない。よって購入後、不満が出ることが多い
・マンションは、自分固有の土地が持てず、何かあった時に何も残らない。
・また、マンションだと部屋の購入以外にも、毎月に修繕費などの積立等があり、割高感はある。
・中古住宅も同じ理由で中身がわからないし、安く買えても結局リフォームをするケースが多く、結局かなり高い。
という説明で
「必ずしも安ければいいものではない。」
という考え方に変わった。
ところが、「さあ、注文住宅にしよう」と言ってはみるものの、最も大事な「お金の話」が出てくる。
中古住宅、建売ともに頭金0でというので断られ続けている。まして注文住宅となればなおさら。
「今回も無理だろうなー」 そう思っていた。
しかし、A社さんは「頭金0でも構いませんよ」と言ってくれた。
私の年齢がまだ若いことと、大手企業勤務というところを評価してくれたようだ。これまでの誠実な対応、親切な説明、そして頭金0でもやってくれるという経済面での提案。全てが私にとってポジティブだったので、A社さんに注文住宅をお任せしようと決定した。
早速詳細な話をA社さんと始めることになった。
資金が潤沢にあれば、住みたい土地から決めていくのだろうが、先程の通り頭金0で進めるので、予算がいくらぐらい確保できるか? というところから打ち合わせを始めた。
私は年齢がまだ若い部類に入るので、35年ローンと長めのローンがいいのではないかとの提案をもらった。
具体的な予算としては月8万程度の返済を前提に、利息も考慮して、3500万円が適正ということに。
但し、家を建てるには単純に土地+家を建てるお金だけではない。土地の登記や仲介手数料、土地の状態によっては地盤改良も必要となる。それをすべて踏まえての3400万、となると実質土地にかけられる値段は1200万。
ここまで話が進んだところで既に8月くらいを迎えていた。
妻からの強い要望で子供の学年が変わる4月には新しい家で住みたいとのことなので、かなり突貫な形で進めることとなった。
A社さんは私の事情を理解して、土地探しをかなりの急ピッチで進めてくれ、結果、数週間で現在の賃貸マンションから3km程度のところに良い土地を見つけてくれた。
現状と同じ学区であることで、妻の要望も満たしていた。実際に見に行った際に、確かに広くは無いが、私も周辺施設、雰囲気含め気に入った。加えて、価格も予算内だったのですぐにOKを出した。
土地が決まれば次はいよいよローン審査。銀行を選んで審査を受ける。
銀行の審査など受けたことが無い私はさっぱりだったので、色々と伺うと、いきなり本審査というのは今はやらないらしく、事前相談という形を取るという。今までもA社さんに任せきりだったため銀行の選定もハウスメーカーに行ってもらった。
「一応、東証一部の企業に努めているし特に大きな借金もないから審査は余裕だろうな-」
そんなことを思っていたのを覚えている。今思えばこの決断が住宅ローンにおける私の苦難の始まりだった・・・
ハウスメーカーと取引が多くあるのでコミュケーションが取りやすい、
かつ ・利息が低めである という理由でS銀行、Y銀行、R銀行の3行を選定された。
この時、提出した書類は以下の通り。
そして、いよいよ申し込みだ。 しかし、この3銀行に申し込むにあたり少し不安になることが出てきた。審査基準は明確には説明がされないため、ちょっと気になって調べてみたのだ。
② 勤務先の安定性、及び勤続年数
④ 既存の借入の有無
とのことだった。③、④は思い当たる節があったのだ。
まず1つは過去に1~2回ほど携帯の支払いを滞ったことがあった。これについては、その時偶々銀行に入金し忘れており、督促が来た時点ですぐに支払いをしていた。不安に駆られ率直にハウスメーカーに聞くと、やはり返済忘れ、滞りはかなり印象が悪いとのこと。
2つ目はクレジットカードのショッピングリボ&キャッシングの金額が残っていたこと。支払い自体は毎月ちゃんと行なっていたのですが、額は40万近く残っていた。そのうちキャッシング枠も10万位使っていた。
私の場合、この③と④に引っかかりそうな部分が多々あり、かなりの不安を持っていた。
そんなことを言ってももはやどうにもならない。流れのままに、R社さんとの建築請負契約締結も完了。 家族も「いよいよマイホームだね」と頭の中では家が既に完成している。
もう引き返せないところまで私は来ていた・・・・
審査結果は2週間以内に返答が来るとのことだった。全ては「考えすぎだ」と思うしかなかった。
ハウスメーカーを通じて思ったよりも早く事前相談の結果が返ってきた。
結果としては、3行全てNG。。。。
NGを聞いた瞬間。私は頭の中が真っ白になった。 その後に家族の期待を裏切ることになる絶望感、同僚を含めた周囲からの目線への恐怖心がこみ上げて来ました。 そこそこ名の知れた会社で真面目に10年勤めてきたのに、たった数個のポイントでこれまでの人生を全て否定されたような感覚に陥った。 まさに絶望の縁といった状態だったと思う。
「これでは仕方ありませんね。ローンが降りなかった場合に解約できる特例条項はついているので契約自体を解約されますか?」
と即座に聞いてくる。
物腰は柔らかだったが、私には手のひらを返したような対応に感じて「あなたも敵か」と一瞬感じてしまった。
ただ、私はどうしても諦められなかった。 妻、子供平凡な私が手に入れた身に余る幸福を手放すわけにはいかない。なによりローンが通らなかったなんてかっこ悪くて言えるわけがないのだ。
自分にはもったいないほどの妻が私に愛想をつかしてしまうかもしれない。これまで積み上げてきた幸せにヒビが入っていくのを感じた。
「少しお時間をいただけませんか」
その場はそれを言うことで精一杯だった。
私はその日から誰にも相談できない大きな悩みを抱えることになった。時間がない。同僚にはこんなこと言えやしないから人脈もない。ここからどう住宅ローンの問題を解決したらいいか。正直、仕事中も住宅ローンのことばかり考えていた。
結果、
という結論になった。
審査が通りにくくなるから複数の銀行に行くのはやめたほうがいいという意見もあるが背に腹は代えられない。
「だがどうやって?」
銀行に一つ一つ連絡を取って審査を行うことはできなくは無いが、私は会社員、平日は動きにくいため膨大な時間がかかる。ハウスメーカーからもそんなに長くは待てないとの回答も来ている。
妻からも「家の件どんな感じ-」と数日私から報告がないことを怪しんで来ている。
私には時間がなかった。
ここまで追い詰められて私はやっと「人に聞く」という選択をした。同僚で最も信頼できる聡志に電話をした。去年マイホームを手に入れ、私が一戸建てをいいなと思ったきっかけになった友人だ。
聡志は私が家を建てようとしていることを知っていたのもあるだろうか。電話で話をしてみると思いの外すんなりとローンの悩みを打ち明けることができた。
「おー、そりゃ大変だな。実はさ、俺もそれ苦労したんだよ。うちの会社ってちゃんとしてるから余裕で通るかと思ったんだけど、カード支払いの遅延が結構あってさ、かっこ悪いからなかなか人には相談できないし、相談したところでどうにもならんし大変だよな。」
聡志もなのか!と同じ立場の人間が同じことに悩んでいたことに一瞬安心した。
しかしすぐに
「こいつはなぜ家を持ってるんだ」
という疑問が湧いたので、質問をした。
「あー、時間ないし、一行一行あたるのもキツイからどうしようと思ってたんだけど、複数の銀行をまとめて審査してくれるサイトを使ったら2行くらい手を上げてくれてその後、すぐ審査してもらっていけたぞ。」
と回答があった。なるほど。
私は藁をもつかむ思いで即座に住宅ローン一括査定サイトを調べ、早速仮審査申込みを行った。 一括査定のサイトを使うと複数の銀行に審査を取っても金融機関にはその情報はいかないそうだ。 私は既に3行に直接相談をした経緯があったので、この部分の安心感はかなりあった。
早速アポイント調整を行い、面談。こちらの現状を伝え、資料は既に揃っているので全て提出。
結果は・・・
金利も最初に審査を行った3行とさほど変わらず良い条件だった。
落とされるのではないかという恐怖感に支配されていた私は条件付きであれど、あらゆるプレッシャーからの解放が見えたからだろうか。一気に喜びが爆発した。
条件付きの「条件」とはクレジットカードのリボ払い、キャッシング残金の精算だ。借入とみなされるものがあると、月の返済がそちらにもあると見なされる。
結果、住宅ローンの月返済見積もり額を減らされ、最終的には希望する額の借入ができないという問題となるようだ。これは40万円ほどであったので、親に頭を下げて借りて解決をした。
親は少し渋い顔をしていたが、これまでの経緯など説明を尽くしなんとか理解してもらうことができた。
すぐにA社、ハウスメーカーさんに審査を通過したことを報告。融資が確定したので、まず土地の金消契約を行った。
そして1月ほど経ち(この間、家の間取り等の大まかな計画はR社さんと進めてきました)、12月初旬。土地の決済が行われました。
ここまで行けばあとは家の完成を待つばかり。もちろん家の打合せ等はたくさん入り、ほぼ毎週A社さんの方や、各メーカーの展示場を見たりした。
決済は以下のように行った。
中間金として、建物代金の半額を決済。2回目の決済で全額決済を行いました。 最後の建物決済は、銀行にて行った。
約半年ほどで住宅は完成。 狭い土地とはいえ、短期間で且つ内部もしっかり作っていただき、とても満足いく出来に仕上がりになった。
完成した家を見た妻の表情、子供のはしゃぎぶりをみて、男として、父親として一つ大きな仕事ができたかなと安心したのを覚えている。 全てが解決した今でも、未だに住宅ローンで問題を抱えていたことは家族には言えていない。やはり男のプライドも関わるこの問題は悩みが深いと思う。 思ったより多くの人がこの問題で悩んでいるのではないか。 誰にも言えず、たった一人でどうしたらいいか絶望しているのではないか。 私の経験、解決策が全てだとは思わない。
親に頼んで保証人になってもらったりという選択肢がある人はそれでもいいと思う。 ただ、そういった選択肢がない人は、私の体験を少しでも役に立ててくれれば嬉しい。
からすみは、岐阜県の東濃地方、長野県の木曽郡南部と下伊那郡南西部、愛知県奥三河に伝わる銘菓で、米粉でつくった蒸し菓子のこと。
下記の地域では「からすみ」と言うと、鯔の卵巣の加工品ではなく、米の粉を加工した和菓子を意味する。
このからすみは、全体に細長い棒状の棹物菓子で、包丁で適当な幅に切って食べる。特徴的なのは、長い側面の上部を両側から
中央に向けて押し寄せたようになっており、切った断面が富士山のような山の形になっていることである。
これは、蒸した団子を長く伸ばし、このような形の木型に押し入れて作られる。
食味や作り方は名古屋名物のういろうに似ているが、より固く弾力があり、べとつきが少ない。
からすみの名前の由来は、子宝の象徴としての縁起物であるカラスミの形に似せて作ったという説と、中国で作られた富士山の形を
した墨、すなわち唐墨に形が似ているため、この名を取ったという説とがある。
この地方の各家庭では、桃の節句にからすみを作りお祝いをするという風習がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%BF_(%E8%8F%93%E5%AD%90)