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はてなキーワード: 主語とは

2023-06-19

anond:20230619105828

とにかく一度嘘を言うんだよね。

これは俺の母も、妹も、妻も、学生時代の後輩も、職場の同僚もみんなやるので、女であればほぼみんなやると思ってる。いったん本心とは違うことを言う。

俺の経験した範囲内においては女はやるが男はやらないことがかなり明白なのでこう書いた。主語がでかいと言いたければ言うがいい。俺にとっては真実であり、これを読んで主語がでかいと思った人にはそうではないというだけのことだ。

 

たとえば、親族女性)と話をする中で「親もも高齢だし、そのうち実家に戻らなきゃだめかなー」みたいなことを言ったら、いやいや住むにはリフォーム必要だの家具の整理が大変だの何のかんのとピンと来ない理由をつけて反対された。二世住宅に老親ふたりだけ現住しているのだから住めないわけがなく、押し問答の末に、母親が今のところ同居を望んでいないということがわかった。

おいおいそれを先に言えよ。そっちのほうが重要だろ。望まれてないならむしろ好都合なんだよ。「同居は気は進まないが、両親が望むならしかたない」という前提は共有した上で話をしているんだからストレートにそう言っていい場面だろ。

 

そんな具合に、聞けば納得!の合理的理由別にありながら、いまいち説得力のないオリジナル理由こちらの関心を問題本質からそらそうとする試みにしばしば出くわす。すべて女性だ。

こう言うと「聞き方の問題」に帰そうとする人も多いだろうと想像できる。まるで見てきたように、お前はモラハラ男で本当の理由を言ったら叱られると思っている、お前のせいでみんな正直に理由を言うのを避けるようになってるんだろう。みたいな。

本当にそうならまだ改善余地が残っているわけでむしろ希望が持てるが、あいにくこちらも大人なので聞き方には常識的な注意を払っているし、そもそも俺の利害とはまったく関係ない質問でさえこれをするのだ。

しろ、嘘の返答によってそこから先が全部変なことになったりする。「ふうん、そういう理由なのか。じゃあ次からはこうしようね」と方針が立てられるが、当然ながら嘘の理由に対して立てられたまったく見当違いの方針なので何の効果も果たさない。そこであらためて協議するとようやく「実は」と本当の理由が出てくる。えっ、なんで最初にその理由を隠したの? 全然関係ないことにだいぶエネルギー使っちゃったよ?

 

この「いったん嘘を言う」行動にはいくつかのパターンがあると思う。

そもそも当人さえ本当の理由を把握できておらず、「わからない」という返答よりも嘘のほうがマシと考えている

何事についても真相はぎりぎりまで伏せたほうが自分に有利と考えている

本質解決が面倒なので嘘の理由でその場しのぎしようとしている

いずれにしても厄介なのは、こうした反応をほぼ無意識でやっているらしいことだ。つまりこれらはいずれも半自動的に行われており、とっさに嘘をついたという意識希薄な人も多い。だからこそ発見本質への到達)が遅れる。

本当に女のこういう「言い逃れ体質」みたいなのは困る。

同人日記

正直、新刊出してる人、新キャラプレイしていないやろ。

新刊かいてたらそんなヒマないもんな。

どれもこれも(主語大きすぎ)公式との解釈違いがすごい……。

もっと公式の良さだしていこ!

いや同人なんだから15年前のアレが最高、何年でも噛んでいられる味が出るとか

各自楽しみ方は自由だけど

せっかく供給あるジャンルなのにもったいない

(一方で供給とまった旧ジャンル公式は15年うごいてないのにずっと本だしてくれてる人もいるけど

自分はとらにも当時うけいれてもらえなかった旧ジャンル在庫本捨てないとだめなのに見切りがつかない)

 

というか公式の最新情報の良さ知ってる人だけの本かいたいんだけど未だに数えるほどしかわからん

 

おっ、さすが集合知そうかメロン……

嫁が話下手すぎて疲れる

何かしらのエピソードトークをする際、まず基本的主語が抜ける。

そして同時にこちらが知るわけがない固有名詞を連発してくる。

結果的に何の話をしてるのかよくわからないことが多い。

これをやんわり指摘したところ「頭悪くてごめんね」と泣き出してしまった。

うーんと思ったが、ぶっちゃけ頭悪い人って話すときこういう特徴あるよなと思ってしまった。

どうフォローすればいいかからず、夜中2時に増田に逃げ込んできた現在

どうしたらいいんだか。

2023-06-17

PENLIGHTとかい非ジャニオタ団体マジさぁ……(憤怒)

先に言っとくと私はジャニーの性加害についてはある程度追求されるべきだと思っている。それを隠蔽し続けてきた企業にも問題があると思っているしまともな説明の無い現社長などにも問題があると思っている1人のジャニオタなんだけど

PENLIGHTくん嘘ついたり意見クルクル変えたりガバガバ解釈批判して私たちアイドルに性加害する事務所を許さなヅラすんのやめてくんないかな〜〜??

チケとか転売ヤーのせいで数年前に無くなったし

チケットがファンクラブ会員しか買えない!管理が厳しい!て言うのもガバガバ解釈過ぎない?

虚言癖クソデカ主語ガバガバ解釈非オタの癖に推したちを語るなジャニーズ内部に入ろうとするなお前らの名前全員覚えたからなこの謎界隈利権むしゃむしゃ団体がよ……

anond:20230614211736

>「女は~」の主語も「男性は」であるので

元増田のどこにも主語が男女どちらか特定できるような内容は書かれてないけどお前にはいったい何が見えてんだ

この世に女性蔑視する女性なんて存在しないとかい童貞臭い幻想でも抱いてるんか?

自他境界曖昧で、作品への批判をその作品を好きな自分への否定攻撃と捉えて傷ついた!と騒ぐオタクが無理すぎる

でもそうなってくるとこちらも作品ではなく確かに傷ついた!と騒ぐオタクは嫌だなと思うので、まぁ別に間違っちゃいないなと一周した

オタクめんどくさい(主語でか)(自戒)

自分の好きな作品が嫌いとか苦手とかつまんないとか言われてるのが嫌で傷つくならもう全部ミュートにしておけよ

直接本人にあなたの好きな○○って作品、嫌いですって言ったわけでもないのに、勝手被弾して傷ついたって騒がれるのめんどくさい

それを傷つく人がいるかもしれないのに嫌いって言うのは配慮が欠けてます!ってやっぱり異常だと思う

でもこれが今のオタクの多くの割合を占める意見なんだよな…

下書き

書き直し。

ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。

 

全部谷川俊太郎って演奏会明日やるんだけど、中の2曲が自分経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい

「生きる」と「ネロ」。

 

去年の夏、子供誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。

 

数日後、会社仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。

数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援ヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。

会社は早退して駆けつけた。

 

病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署手続きやら葬儀社の互助会書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団練習は無断欠席していた。

 

 

諸々落ち着くまで合唱団練習は一ヶ月ほどお休みした。

復帰してはじめての練習に行ったら、新曲が始まっていた。

「生きる」だった。

ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。

 

うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。

曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。 

 

……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。

それはのどがかわくということ

木もれ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。

本来の詩とは少し違うが、合唱歌詞としては

くしゃみをすること、手をつなぐこと

あなたと、あなたと手を…あなたと、あなた

と続く。

くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。

 

これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系から、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。

そうはならなかった。

寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。

そうはならなかった。

私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまたからだ。

私は亡くなった人と手をつないだことがない。

 

曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然科学芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。

それら美しいもの出会うということ。

あの人はもう、新しく美しいもの出会うことはできない。最後電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。

 

「生きる」というタイトルなのに、谷川俊太郎の詩は死が匂う。

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこが揺れている、揺れているということ

いま、いまが過ぎてゆくこと

不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。

生も死も同じ時間の中にある。

 

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。

もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリ存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。

それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さな人間でも、愛する可能性がある希望

 

そして曲はまた、

あなたの手の

あなたの手のぬくみ

いのちといういのちということ

生きるという生きるということ

あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。

 

私が繋がなかった手のぬくみ。

永遠に失われ、想像上にしか存在しない温かさ。

 

 

一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。

空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。

子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。

  

亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。

でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。

去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。

今日リハーサル明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。

もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。

 

 

ネロ」も練習復帰後すぐに始めた曲だ。

これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。

しか

ネロ

もうじきまた夏がやってくる

(中略)

おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった

と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ

 

主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。

何でもかんでも自分関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。

 

今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。

ネロ

もうじき又夏がやってくる

しかしそれはお前のいた夏ではない

又別の夏

全く別の夏なのだ

去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。

お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。

去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。

 

曲は、しか喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。

たびたび出てくる「知る」という営為

そして僕は質問する

いったい何だろう

いったい何故だろう

いったいどうするべきなのだろうと

主人公は何を知りたいのだろう?

なぜネロは死んだのかを?

なぜ生あるもの死ぬ定めなのかを?

私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。

 

詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、

ネロの声や「気持ちまでも」が「はっきりとよみがえる」。

それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、

しかネロ

もうじき又夏がやってくる

新しい無限に広い夏がやってくる

そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう

新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え

春を迎え 更に新しい夏を期待して

そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいもの貪欲に取り込む力強さ。

(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)

 

私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。

冬場からこち空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。

家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダー書き込みもそのまま。去年、子供誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。

それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。

まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。

 

 

(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記距離を置かないと吐き出しにくい)

 

引用の詩は曲のために繰り返しなどの改変があり、オリジナルと少し違っています

anond:20230617111249

増田愚痴りたくなる気持ちが少しわかってしまったので、最初チラ見して、あーこういう自分の中の差別心と向き合いたくないわ…と思ってコメントも付けずきちんと読まずそっ閉じした。

その後も続編が伸びてるからみんなタフだなーとか思ってたら、全然自分の中の差別心と向き合ってないんかい!いや差別ではあるし正当な差別とかはないよ!

まあ自分正義の側において一方的に叩くのは頭使わないから楽でいいかもしれないけどさあ…

追記ブコメへ)

言いたいことちゃん理解できてるかわからんけど、自分の中の差別心みたいなのを感じて俺は罪悪感に襲われた、他の人も同じ気持ちかと勝手に思ってたら全然そういう感じじゃなかった、差別的な内容にそうだそうだって乗っかるのは俺は嫌だ、っていう増田でした。主語全部俺のつもりだったけどわかりにくかったかも、すまん。

卑怯者「ん? それは一般論だよね。」

卑怯

「ん?

それは一般論だよね。

できればあなた自身はどうするか、主語を「自分」にして語ってくれると嬉しい。」

2023-06-16

ヘイトスピーチの成立・不成立要件

女性ソロキャンパーへ話しかけに行く男性について日本単独野営協会が思うこと(https://tandokuyaei.com/2257/)」というお知らせに、このような文がある。

男性女性にとって、ゴキブリハイエナを足して二で割ったようなものに見えていると思っておくくらいが丁度いいんです。

ずいぶんと主語が大きくいかにも分断を生みそうな書き方であるし、この団体の評判についても何か言われているが、それとは別に「これはヘイトスピーチなのかどうか」が気になった。

法務省ヘイトスピーチ、許さない。(https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00108.html)」という記事にはこのようにある。

例えば、(中略) (3)特定の国や地域出身であるを、著しく見下すような内容のもの特定の国の出身者を、差別的意味合い昆虫動物に例えるものなど)などは、それを見聞きした方々に、悲しみや恐怖、絶望感などを抱かせるものであり、決してあってはならないものです。

ヘイトスピーチ理解する:ヘイトスピーチとは何か | 国連広報センターhttps://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/48162/)」という記事にはこのようにある。

ある個人集団について、その人が何者であるか、すなわち宗教民族国籍人種、肌の色、血統ジェンダー、または他のアイデンティティー要素を基に、それらを攻撃する、または軽蔑的もしくは差別的言葉使用する、発話、文章、または行動上のあらゆる種類のコミュニケーション


これらの説明には「誰に対して」は書かれているが、「誰が」は書かれていない。それで次のようなことを疑問に思ったのだが、実際どうなのだろうか。

AIイラスト界隈でAI推進派と反AI対立を煽るの楽しすぎてワロタwww

インターネットでのレスバを見るのが好きだ。

特に過激派同士がトンデモ理論で殴り合っていると人類創造性を感じずにはいられない。

そういう争いをもっと見るため、争いが起きる場があれば両陣営に扮して対立煽りをしてきたし、なんならまとめサイトも作った。


そんな俺にとってAIイラストは絶好の狩り場だ。

メインの層が10代〜20代クリエイターを盲信している若年層。

年齢高めの層もまともな教育を受けておらず、精神年齢子供並み。

インターネットに慣れていないキッズ釣りやすくて助かる。かわいいね〜


まりにもチョロすぎて手応えがなかったから、対立煽り手法を公開する。


レッテル貼りをする

AI推進派には「盗賊」「ケガレ」「犯罪者

AIには「馬鹿」「ラッダイト」「因習村」

などの言葉を投げつけてやろう。

もちろん呼称もっと沢山ある。クリエイターなだけあって言葉遣いも創造的ですねw

最近誹謗中傷での訴訟も始まってるみたいでワクワクしてきた。


なお、自分誹謗中傷訴訟されないために、

特定ユーザーへの繰り返しの言及を避ける(主語は大きく)

自分では新しい用語を作らない(過激派が作った言葉を借りる)

ように注意している。

例えば100ワニ裁判では

「○ねばいいのに」という言葉でも敗訴している。過去判例を見ることで、引き際のラインが分かりやすくなる。

あくま自分安全から他人の争いを眺めるのが最高の娯楽だ。


中立派を叩く

AI推進派にも反AIにもまともなことを言う人がいる。

曰く、

学習画像制作者にも還元できるシステムがあった方がいい」

「現時点ではAI学習合法から個別ユーザーを叩くより法改正を求めるべきだ」

とか。

AIへの生理的嫌悪で理性を失っている人間が大量にいて絶好の争いのタネなのに、冷静になってもらっては困る。

こういった中立派気取りには「裏切り者」みたいな言葉を投げかけて議論に参加する気を失くしてやろう。

そうすると過激派が残り、過激派言動の流れ弾に当たった人間がまた新たな過激派になってくれる。争いは終わらない。最高だ。


議論をするフリをして煽る

まともに論理が通っていない言説(ダブスタなど)を振りかざしている層にはまず煽ってやる。

反応してきたらあえて論破せずに、極論を言ったり、論点すり替えたり、詭弁を駆使すれば良い。

論破しない理由は、「自分のほうが上だ、自分のほうが正しい」と勘違いさせたままにさせておくためである

(まあ論破したところで理解してもらえないだろうから、どっちも大して変わらないという可能性もある)

相手からすれば、あとに残るのは暖簾に腕押しした徒労だけ。

「反対派閥には話が通じない」と思い込ませることができれば、あとはエコーチェンバー勝手に先鋭化する。

男子三日会わざれば刮目してみよ」とは言うが、ちょっと見ないうちに人は簡単に狂っていくのである。その様を眺めるのもまた一興。


追記

批判しているのは時代についていけなかったジジババ共では?

アナティクスを見てみると実は1020代が多い。

まあそもそも近年人気のイラストレーターなどに関心のある層がこのあたりに集まっているというのと、「技術革新によって環境が変わる様を体験したことがない」層が変化を嫌っている。

ベテランイラストレーターは流石に冷静に受け止めている人が多く、経験の違いを感じた。


対立煽りしてお前に何のメリットがあるの?

アフィリエイトによる小遣いが少々。アフィッフィッフィッフィwwwww

まあそんなものは端金である

怨嗟が渦巻くインターネットから生み出される迷言が好きで、それらが発生する土壌を生み出そうとしているだけだ。


性格悪くない?

知ってる。

でも最近だと「ペ◯スを押し付けるように女性知識押し付けるのをやめてください」は面白かったろ?

あれが面白いと思ったらなら、お前も俺になれる素質があるよ。




つまるところ、常識的な頭をしていれば到底思いつかないような語録を追い求めているのである

理解出来ないモノを叩く時、人々は常識フィルターを外すことができる。

でたらめな言説を真顔で喋っている人間は、常識改変されているみたいでとても興奮する。

寿司食べたい。

貯金がない

まず、状況から書く。

発達障害知的障害がある

・それ以外にも持病いくつか

虐待されていた

・一応結婚はしている

・体調の都合で現在無職自身収入障害年金のみ

  

それで、今回タイトルに書いた[貯金がない]件についてだけど、リアル貯金がないわけではないんだ、ごめん。

  

では、何なのかと聞かれたら、[他者への感謝]というメンタル面の貯金が枯渇してきている。

助けられる度にいろんな方面にお礼を言っているのだけど、主語かい事を言うと日本って[持ちつ持たれつ]とか、[困った時はお互い様]とかそういう文化があると思うんだけど、自身が人に手を差し伸べられることがなさすぎて、こちらが感謝される場面がないに等しくて、むしろ手を出すなとか、余計な事をするなと顰蹙を買うこともあって、ずっと人に感謝しつづけないといけない生活もそろそろ少し疲れてきたなあ、なんて思っていたりするけど、自力生活できないのが悪いんだし、ワガママなのはわかっている。

  

自力での生活能力は、たとえばメシを作ろうとして食材炭化させてしまったとか、引火したとか、買い物を間違えるとか、風呂沸かしてたらボコボコに沸かしすぎたとか、そういう危ない事が多い。

デイケアとかそういうのに行っても集団生活きついし、人嫌いなのでストレスで大声出てしまってうっかり人に迷惑かけるだろうと思うと、気が進まないので今は引きこもってるけど、これが正しいのかどうかわからない。

  

甘いこと言っているのはわかっている。

だけど、もう疲れた

  

まりがなくてごめんなさい。

読みにくくてごめんなさい。

2023-06-15

anond:20230615130357

途中から急に脈絡もなく主語でかくなってんだよなあ。さっきまでの迷惑がどうのとか言ってた話はどこ行ったんだというレベルで。

1万歩譲っても文章が下手な奴が書いた話だし、あそこで急に主語が広がる理由がねえんだよな。

anond:20230615175943

主語が省略されてて何言ってんのかわかんねーよ

 

自殺したやつが正義だと思っちゃったのか、自殺させたやつが正義だと思っちゃったのか

どっちかによって反論の仕方が変わるわ

そもそも俺たち男が女から見てゴキブリハイエナを足して2で割った存在だなんてとっくの昔に気づいてるって話

あえて主語デカく書いたが

金玉暴走して性犯罪やらかす男のニュースや、それらに対する女の反応を見たりとか

っていうかフィクションでもそんな描写が多々あったりとか

好きでもない男から好意セクハラだってニュース記事見たりとか

電車で隣に座ってた女が、女が隣になる別席が空いたらそっちに移動したりとか

前歩く女が遅いから抜かそうとちょっと歩行速度上げたらなんか怖がるような反応されたとか

AEDとき肌が見られないシートが開発されたニュース見て緊急事態でこれってことは男ってのによっぽど警戒してんだなぁって思ったりとか

そもそもインターネットやってりゃ女が大多数の男に対してどれだけ警戒しているかって話題に嫌でもぶち当たるとか

ネットテレビでみた話題や、覚えてるやつから適当に書いたけど

まぁ、なんか、そういう積み重ねで

大小あれど大体察してるっていうか自覚してるでしょ

基本的に俺らがどういった感情をむけられているか、どういう立ち位置なのかなんて

ほとんどの男はさ

anond:20230615150602

もし本当にこういうことが言いたいなら

ペットかわいいワンちゃんも、犬が苦手な人からすると「凶暴な狼」ぐらいに見える可能性があります、だからノーリードはやめましょうね」

「1人の女性男性の苦手な女性には、男性ゴキブリハイエナを足して二で割ったようなものに見えている。」

とこんな感じで表現するはずでしょ。

でも実際はそうなってなくて

男性女性にとって、ゴキブリハイエナを足して二で割ったようなもの

とわざわざ主語拡張して書いてある。だからそんな意図はないと思うよ。

anond:20230615134606

記事タイトルも含めて「女性ソロキャンパーに話しかけに行く男に向かって」「『男は全員ゴキエナだからしかけに行くな』と言っている」

誰に向けて言っているかと、述べている文の主語がどれだけの範囲を指しているかはそれぞれ別だよ

anond:20230615133509

記事擁護するために元記事の言いたいことまで否定するのはマジで

自己判断による例外を許さないために敢えて主語を大きくしてんだからあのゴキエナの指定対象は男全員じゃねえと意味ねえんだよ

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